終章「平凡な英雄と見栄張りの誉」
終業式が終わり、今日はついに夏休み初日である。本来ならば学生にしか味わえない長期休みを満喫するために外へ繰り出して体力が尽きるまで遊ぶのが世の常というものなのだろうが、佐種司は室内でぐったりと椅子の背もたれに体重を預けていた。
「だぁー。せっかくの夏休みなのに最近色々ありすぎて外で遊ぶ元気なんてでなーい。うぎゃー」
「私もなんだかぐったりですー」
司の正面で机に突っ伏しているのは彼の家の同居人、天羽片穂だ。
昨日は拉致監禁という散々な目にあっている上に謎の力をまき散らしたせいで体のだるさがピークになっていた。
そんな二人の前に温かいお茶を出すのはお淑やかさに満ち満ちたどの挙動にも気品の溢れる黒い長髪の女の子。
「二人がお疲れなのは仕方のないことですわ。どうぞゆっくり休んでくださいませ」
雨谷朱理はメイドのように頭を小さく下げて一歩後ろへ戻る。
「それにしても、昨日は大変だったみたいじゃのお」
「ごめんね。私たちがもっと早く助けに行けてればよかったんだけど」
ちょっとばかり他人行事な、椅子にあぐらをかいて座る幼女のような天使、そしてその小さな体の割に片穂の姉でもある天羽導華と、申し訳なさそうな顔で微笑する司のクラスメイトであり天羽導華の契約者、梁池華歩はそれぞれの感想を口にした。
現在皆がいるのは華歩の家だ。昨日の出来事もあり、夏休み初日ということで、皆がこの場所に集まることになっていたのだ。
文化祭、テスト期間、終業式の間に訪れた様々な出来事。悪魔との戦い、天使同士の戦い、力を持った人間同士の戦い、魔女と人間の戦い。その全てに一時的だが決着がついた。倉庫から逃げた魔女の行方は追っていない。というよりも、追う必要がなかった。元々向こうから手を出さなければ干渉する必要はないし、今回は片穂が誘拐されたから戦う必要が生まれただけだ。魔女だって世界を救おうとする考えを持って動いている。その方法が佐種家の司とその妹真穂を殺すということだから抵抗しているだけで、それ以外の方法があるならば手を貸したっていいと司は思っているほどだ。
そして雨谷朱理との関係も修復された。元々は悪魔側の人間で佐種司を使ってサタン降臨の補助をしようとしていたこと、司との戦いで改心して悪魔側の人間ではなく、ただの友人として接してほしいということ。
それを聞いた皆の反応は当然、「もちろん」だった。
というわけで、朱理も華歩の家で普通に(司のおかげで改心したので司への忠誠と皆への敬語はそのままらしい)過ごしている。
そうなると、最近あった出来事で最後に残るのは……。
「ちょっと! 私が荷物を持っているのにすぐさまドアを開けないとかどういう神経してるのかしら!? 男なら何も言わなくても動くでしょう!?」
「分かってるって! 今やろうとしてたんだって……って言ってるそばから荷物持ちながら背中蹴るなんて器用なことしないでくれよ! ちょ……ッ! 痛い! 痛いから止めろって!」
華歩の家の外から突然聞こえたのは男女の喧嘩の声。
その声を聞いて、家の中でくつろいでいた全員がやれやれとため息を吐く。
「喧嘩するほど仲が良いとは言うが、あそこまでいくと呆れてくるのぉ」
その通り、と司を含めて全員が頷いた。
間に入るのも面倒なので無干渉を貫こうとした司たちだったが、
「すまん、司! 背後からの攻撃が激しすぎてドアを開けられねぇ! 頼む! 開けてく……痛い! 蹴りながら腕を摘むとか無駄に器用な攻撃するんじゃねぇ! 止めろ、いや、止めて下さい、もう耐えられないからやばいんだっておいおい──」
やれやれ、と司が立ち上がろうとしたところで、司ではなく片穂が扉へと歩いていく。
片穂が魔女に拉致されたのは昨日のこと。そして昨日、片穂は翼の無い天使化をした後、魔女が逃走してからすぐに気を失ってしまっていた。
そのため、期末テストの一件以来、片穂と誉が面と向かって会うのは今回が初めてなのだ。それでも一切気にすることなく、片穂は扉を開けた。
そこにいるのは今も買い物からの帰りで荷物を運んでいるだけなのに取っ組み合いの喧嘩の一歩手前にまで発展している英雄と誉だ。
ついに誉が限界を迎えて英雄を殴ろうとした直前に視界に片穂が映り、彼女はその手をぴたりと止める。
「カホエル……」
呼んだのは、片穂の天使としての名前だ。英雄が誉の契約者となった以上、隠す必要もなくなったのか、それとも単純に口から零れた言葉だったのかはわからない。
名前を呼ばれた当の本人は、ずっと無くしていたものを見つけたかのような表情で目の前の誉を見つめる。
先に口を開いたのは誉だった。
「その……、前はごめんなさい。私の勝手な都合であなたには辛い思いを──」
「イぃぃぃいいいちゃぁぁぁああああん!!」
素直になった誉の謝罪の真っ最中に、耐え切れなくなった片穂が誉に勢いよく抱きついた。
「なんッ!? 何よ急に!?」
「ありがどぉぉ!! 助けにきてくれて嬉じがっだよぉお‼」
「分かったわ! 分かったからとりあえず離して……ってちょっと!? 鼻水が服にべったりじゃない! 本当に離しなさいって……言ってる最中に顔をすりつけてくるんじゃないわよ! これ以上はさすがに……」
「イーちゃぁん、イーちゃあん……」
どれだけ抵抗しても離れようとしない片穂を見て、誉は諦めたように動きを止めて逆に受け入れるように胸にくっついて離れない片穂を、子どもをなだめる母親のように抱きしめる。
「今まで強がってごめんなさい。酷いことを言ってごめんなさい。助けが遅れてごめんなさい」
一つずつ絡まった紐を解くように、誤った道から一歩ずつ引き返すように、誉は言う。
そして謝った後に、誉は続ける。
一番伝えたかったこと。自分よりもずっと先にいながら、どんな時でも隣を歩いてくれた最高の親友に伝えなければならないことを。
「私の憧れで居続けてくれて、本当にありがとう」
完敗だった。人としての器も、天使としての実力も、片穂に勝つことは出来なかった。圧倒的なまでの勝利をしておいて、それなのにこの天使は誉の言葉を聞いてさらに涙と鼻水を胸に染み込ませてくる。
そんな天使を見て、誉は優しく微笑み、
「だから私は、あなたのことが大好きなのよ」
宝物を愛でるように、誉は片穂の頭を撫でる。
と、そんな素晴らしい感動の空気の中に突如不純物が現れる。
「そういえば、魔女に勝てたら俺に素直に好きだって言う約束はどうなったの?」
「……、」
ピキィ……‼ と、誉のこめかみに血管が破裂しそうな勢いで浮き出た。
優しく片穂の体に回していた手を離すと、誉は柔らかく開いていた手を石のように堅く握って、
「空気も読めない馬鹿に送る言葉なんて一つもないと思うんだけど」
「せっかく誉が優しい表情になったから意を決して言ってみたのに一気に変わるその心象の違いはどこから生まれるんですかねぇ⁉︎」
「本当にありえない。納得がいかないわ。どうして私はこんなやつに頼ってしまったのかしら。昨日、私の家であんな会話をしたのが馬鹿みたい──」
言い切る前に、反射的に誉は自分の口を自分で押さえ込んだ。
「どうしたの? イーちゃん」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔の片穂が、顔を真っ赤にしながら口を抑える誉を不思議そうに覗き込む。
そして、当の本人がなぜ急に口を閉じたかというと、
(言えない。言えないわ……! 改めて思い出したら尋常じゃないくらい恥ずかしい事語ってたじゃない……ッ‼︎)
昨日、誉は家に閉じこもっていたが、英雄との会話で共に片穂の助けへ向かう決心をしたのだが、さすがにあの時の会話をペラペラと話す気にはなれない。というより、知られたら恥ずかしすぎて死ぬとまで思っていた。
さすがの英雄もそれについて触れられるのはマズイと思っているようで、白々しく口笛を吹いて斜め上を見上げる始末だ。
自分の力で取り繕うしか道はないと理解した誉はとにかく口を動かす。
「なんでもないわ! なんでもいいからさっさと昼食にしましょう!」
誤魔化すために誉は足元に置いていたビニル袋をガサゴソと漁って野菜なりなんなりを取り出した。
その様子でなんとなく誉の都合の悪さを感じ取った司はさっそく野菜を誉の手から取ってキッチンへと向かう。
「じゃあご飯、作りますか。片穂、雨谷さん、手伝ってくれるかな?」
「もちろんです!」
「もちろんでございますわ」
見事な二重音声で、二人は共にキッチンへと向かう。その後ろで再び口論が始まっている気がするが、そこはスルーしなければ身がもたないだろうから司たちが気に止めることはなかった。
「司さん! 今日は何を作るんですか!」
「カレーだよ。この人数なら一つの鍋で一気に作れる方が楽だしね」
「カレー、でございますか」
台所に並ぶ食材たちを見下ろしながら、朱理は呟いた。
恐らく、以前文化祭で司と共に作ったカレーを思い出しているのだろう。
「懐かしく感じるよ。二人で頑張ったよね」
「そう、ですわね」
後ろで片穂が「私もとっても頑張りましたよ褒めてください司さん!」と騒いでいるが、どうも沈んだ表情を浮かべている朱理を前に司は片穂を一旦スルーする。
聞く準備をしてくれた司を見て、朱理は口を開く。
「本当に、こんなに簡単に許されていいのでしょうか」
「雨谷さんは俺たちに何もしてないじゃないか。許すも何もないさ」
「でも私は、司様へ矛先を向けました。何も理由なんてなかったのに」
「理由がなかったなら、俺が雨谷さんを責める理由もないね」
「あなたという人は……」
それ以上は、彼女は何も言わなかった。文化祭のころよりも柔らかい表情で、朱理は調理を始めた。
文化祭の頃の経験値と、司、朱理、華歩という料理に強い三人が効率よく仕事をこなしたので、三〇分ほどでカレーが出来あがった。
大家族のように皆で華歩の家の食卓を囲み、それぞれがカレーを食べ始める。
散々言い合っていた英雄と誉も、料理が目の前に現れた途端に大人しく席に座っており、黙々とカレーを頬張っていた。
「なぁ」
リスのように頬にカレーを詰め込んでいる誉に、英雄は言う。
「これからもよろしくな、誉」
「ええ、泥臭くいきましょう。私たちらしく」
平凡な人間と天使は等身大の彼らのままの笑顔で笑い合う。
子どものように憧れを追い続けることを心に決めて。
いつか憧れた『英雄』になるために。
いつか憧れた天使になるために。
今も憧れている親友に追いつくために。
二人の決意はわざわざ口に出す必要などない。二人だけが知っていればいい。
彼らはきっと、どんな困難にも挑み続けるだろう。何度負けても、立ち上がり続けるだろう。
不屈の『英雄』は、天使は、戦い続ける。
最高の誉れを、その胸に抱いて。
これで三章は終わりです。ここまで読んでいただき本当にありがとうございます。細かな事は活動報告に書こうと思うのでお暇のある方はそちらへどうぞ。
次回から4章です。よろしくお願いします。




