その2「アナタノミカタ」
学校の行事というものは、どうしてこうも退屈なのだろうか。教師の話も、時たま壇上にあがる生徒もありきたりの定型文だけつらつらと話すだけ。隣に座っていた名も知らない生徒は周囲に聞こえるほどに寝息を立てて寝始める始末だ。
余計に溜まったストレスを爆発させないようになんとか耐え忍んだ司は、英雄との勝負のおかげで一年生の時よりも上がった自分の成績が記された通知表を鞄に詰め込んでいた。
「司さん! 私、とっても成績よかったですよ!」
「確かに、片穂は期末の成績よかったからな」
「うらやましいぜー。お前たちは学年でもかなり上位だったしなー」
英雄はふてくされたように唇を突き出して文句を垂れた。
「てかさ英雄。焼き肉の件、忘れたとは言わせねぇからな?」
「うげっ。覚えてやがったのか。ちくしょうめ」
一学期末テストでの勝負の際、司は勝負に負けたほうが焼き肉を奢るという約束をしていた。もちろんただでさえ一人暮らしするはずだった生活費を食欲旺盛な天使たちに食いつぶされてバイト代まで削る日すらある司にとっては一食分の費用が浮くだけでも十分な収穫だった。
「忘れるわけねぇだろ。食べ物を賭けた勝負だから気合い入れたんだぜ?」
「そんな得意げな顔されても全くかっこよくなんてないからな」
英雄の言葉を聞いても満足げな顔をし続ける司は、ふと朱理との約束を思い出した。
──終業式の後、屋上に一人で来ていただけませんか?
「そうだ。俺、ちょっと用事があるから先に帰っててくれないか」
「どうしたんですか? 司さん」
「雨谷さんに一人で屋上に来てくれって言われてさ。多分すぐに帰れると思うから、片穂も先に帰っててくれ」
朱理と二人、という事を聞いた片穂は少しむっとした表情をしたが、司を信頼してか、ぎこちない動きで片穂は頷く。
「わかり、ました。でもっ、でもでも! すぐに帰ってきてくださいね! 待ってますからね!」
「わかったわかった。導華さんにもすぐ帰るって言っておいてちょうだいな」
「はい。英雄さんたちは、どうしますか?」
英雄も元々用事はなかったらしいのだが、「あー」と腑抜けた声を出してから、英雄は口を開く。
「誉がこなかったから、俺はもう一回誉の所に顔出してみるよ。今朝は話しも出来たし、もしかしたら出て来てくれるかもしれないからな」
誉は、結局今日も学校にはこなかった。片穂もきっと落ち込んでいるだろうけど、表情には出していなかった。しかし、英雄の言葉を聞いてあからさまに心配そうな顔をしたのを見ると、やはり誉のことを気にしているのだろう。
英雄もそれは察しているようで、何も言っていない片穂に「任せろ」と親指を立てた。
「えっ、は、はい。よろしくお願いします」
片穂がぺこりと頭を下げる横で、司は華歩に話しかける。
「華歩はどうするんだ?」
「私は特に用事はないかな。あっても夕飯のお買いものくらい」
「なら、片穂も連れてってやってくれないか? きっと一人で帰るのは退屈だろうから」
「うん。全然大丈夫だよ」
華歩が優しく笑ってくれたのを見て、司も笑顔で片穂に華歩と一緒に帰るように伝えた。案の定嬉しそうに片穂は華歩の横にぴったりとついたので、司は安心して華歩に片穂を任せ、三人に別れを告げた。
司は基本的に階段を一段ずつ登る派だった。英雄は確か気まぐれに階段を一つ抜かして登るのを、視線を下にしている司は何となく思い出していた。
正直、朱理と二人きりで会うのは不安だった。別に告白されるだろうとか、ラッキーなイベントが待っているとか、そういった考えはない。
司が思い出しているのは、文化祭一日目の夜に出会った現代に生きる魔女、初知真理の言葉だ。「悪魔側の人間に気をつけなさい」と、そう言っていた覚えがある。
現段階では、司が知っている限りで悪魔との関連がある知り合いは朱理だけだ。本人も疑うのは当然だとも言っていた。朱理は、自分は絶対に司の味方だと言っていた。しかし、申し訳ないが、司の中の猜疑心は消えていない。
ただでさえ魔女に命を狙うと言われたのだ。危険には敏感にならざるを得ない。
今だってこれからどうなるのだろうか、という緊張感が付き纏っている。
恐い。それでも、自分が逃げるわけにはいかないのだ。自分が逃げれば妹が標的になるかもしれない。母や父の命を助けられないかもしれない。
司は、必要以上に力を入れて屋上への扉を開いた。
「お待ちしておりました。司様」
本物のメイドのように優雅な立ち振る舞いで頭を下げると、朱理は笑顔で司へと近づく。
普段通りの司ならば、この朱理の必要以上の接近に動揺していただろうが、今回は違う。朱理が自分を呼び出した理由も、なんとなくだが予測していた。
この嫌な予感が当たらないようにと願いを込めて、司は問いかける。
「用って、何かな」
「あら、私としては楽しく雑談を挟んでから本題に入るのも思いますけれど」
「天使のことかな。それとも、魔女のことかな」
艶かしく笑っていた朱理だったが、真剣な司の表情を見ると彼女の顔から笑顔が消えていった。
「いえ、どちらでもありませんわ」
「……雨谷さんに呼ばれたのに悪いけど、いくつか質問して、いいかな」
「ええ。構いませんわ」
朱理が頷いたのを確認して、司は再び問いかける。
「雨谷さんは、俺の味方なんだよね」
「もちろんでございます。この身が尽き果てるまで司様の側におりますわ」
これは、初めて朱理と出会ったときから言われ続けてきたことだ。この言葉に嘘はない。
司は続ける。
「そっか、ありがとう。じゃあ、二つ目の質問」
朱理は「自分は司の味方」だと言っていた。しかし、「司以外の人物の味方である」と、彼女は言っていただろうか?
「雨谷さんは、天使の味方、なんだよね?」
「……」
返事は、ない。しかし動揺しているわけでもない。顔色を一切変えず、口を真一文字に結んで、朱理は立っていた。
「答えて、くれないのかい?」
「すいません。少々言葉にしにくい質問でしたので」
「じゃあ、少し質問を変えるよ」
司は間髪いれずにさらなる質問を朱理にぶつける。
「雨谷さんは、俺が『運命の人』だから、ここにいるんだよね?」
「間違いありませんわ」
この言葉も、朱理が初対面の頃から言っていたことだ。ただ、一つ司の中でこの言葉を聞くたびに違和感があった。ドラマや小説でもしばしば聞く『運命の人』という言葉。
だが、この『運命の人』が佐種司であるとして、『誰の』という目的語が抜けていたのは、果たして気のせいだったのだろうか。
「一回も、『私の』運命の人って言ってくれなかったのには、理由はないんだよね?」
「……」
返事は、ない。
ならば、と司は別の質問を投げかける。
「文化祭で一緒に戦ってくれた時も、雨谷さんはギリギリまで力を使わなかった。それは、力のことがみんなに知れて距離を置かれたくなかったからって言ってたよね?」
「……間違い、ありません」
今まで躊躇いなく即答していた朱理が、言葉に詰まったように感じた。
間違いない。司は確信していた。でも、本当は自分の考えすぎで、全ては勘違いだった、なんてオチの方が幸せだ。
だから優しく、司は問いかける。
「元々襲撃なんてどうでもよくて、俺の『体』さえ守れれば他はどうでもよかったからじゃ、ないよね?」
「……」
案の上、この質問にも返事はない。
「じゃあ、質問を変えるよ。はいかいいえで答えることのできる、簡単な質問だから」
司は、小さく息を吸った。
「雨谷さんは、『悪魔教会』と関わりがあるんだよね?」
「一体、どこでその名を……」
明瞭な動揺が、朱理の顔に確認出来た。
「俺のことを殺したいって言ってた喫茶店の店主から聞いたよ。悪魔側の人間が、そこに所属してるんだよね?」
「……」
「答えて、くれよ。雨谷さん」
朱理は、ゆっくりと目を閉じ、そして開いた。
「私は、この身が果てるまで司様に使えるつもりでございます」
「それは、何度も聞いたよ。肝心なのは、その理由なんだ。雨谷さんの言う『運命』について、ちゃんと教えてくれないかな」
「『運命』で、ございますか」
司は「そうだ」と小さく頷いた。
朱理は動かない。ただその場で、立ち続けているだけ。
重たい雰囲気が司たちのいる屋上を満たす。重力がいつもよりも強いのではないかという錯覚を感じた。
そして、朱理が笑ったように見えた。
蕩けるように、朱理の顔が緩んでいく。トロリトロリと溶けて伸びるチーズのように、口角が広がり、朱理は頬を赤らめた。
「ふ。うふふふ。あはっ」
上品でいて、それでいて妖艶な笑み。朱理はふらふらと体を揺らし、笑い始める。
口元を手で半分ほど隠しながら、不気味なほどに美しく、朱理は笑い続ける。
「運命。運命。運命の人。運命の人、人。そうです。司様は、運命の人。運命に選ばれた、私が仕えるべき人。そうです。司様は、世界を統べる運命に選ばれし人。そうです。私、共に時を過ごして分かりましたわ。司様は、アスタロト様の言う通り、全てを受けきる『器』を持つ人。私が、人生を捧げるべき人」
「あま、かい……さん?」
見た事のない朱理の言動に、司は戸惑いを隠せない。
そんな司を置き去りにして、朱理は姿勢をいつものような直立へと戻す。
「全ての準備が整いました。改めて、自己紹介をさせていただきますわ」
過去に一度行ったように、朱理はメイドのような立ち振る舞いで頭を下げた。
そして顔を上げると、朱理は幸せそうに、まるで恋人と最高の一時を過ごしている乙女のように顔を赤らめて、笑った。
「『悪魔教会』所属、雨谷朱理。アスタロト様の命により、私の生涯をかけてサタンの『器』である司様に仕える者ですわ。さぁ、共に世界を壊しましょう?」
司の心で、何かが崩れる音が聞こえた。
出来る事なら、ずっと彼女を信じていたかった。魔女、初知真理の言葉を聞いてからも、出来る限り、この可能性には目をつぶっていた。
しかし、もう目を背けることはできないのだ。
雨谷朱理はまっすぐこちらを見ているのだ。自分だけ目を逸らすなんてこと出来ない。前を向かなくてはならない。
たとえその先に、悪魔が待っているのだとしても。
「悪いけど、それは出来ない」
「遠慮する必要などありませんわ。司様の持つ素質は唯一無二の素質。それを有効活用するのは当然のことですわ。さぁ、私と共に行きましょう」
艶やかにこちらへと右手を差しだして、朱理は滑らかな手つきで手招きをする。
しかし、司は首を横に振る。
「何を言われても、今の俺は悪魔側に付く気はないよ」
「そうでございますか。それは残念でございます。その決意、私が揺らすことはできるでしょうか?」
「雨谷さんが何をしても、俺が悪魔側につくことはないよ。誓ってそれは言える」
文化祭の日、司は一度魔女に向かって悪魔側に付くという可能性について言及した。しかしそれは本来のサタンの『器』である自分の妹、真穂に危害を加えないためだ。
もし今ここで司が悪魔側についてしまったら、瞬く間に司が本物の『器』ではないことが悪魔側に発覚し、実家である佐種家にいる真穂に標準が変わるだろう。それだけは、さけなければならなかった。
揺らぐことの無い意志を示す司の凛とした表情を見ても、朱理の口角は上がったままだった。
「あぁ。それはそれは。できれば会話で終わらせたかったのですけれど」
「それは、どういう……」
朱理は一歩、司へ向かって踏み出した。
「【朱血之大鎌】」
赤黒く濁った煙が、朱理の周りを囲み、手元に集まり始める。集まったそれは、徐々に形を成し、次第に渇いた血の様な朱色に染まった大鎌へと変わっていく。
両手で柄を掴み、円を描くように回転させながら、朱理は少しずつ司へと近づく。
「アスタロト様から、殺さない程度に四肢を落としてもよいと言われておりますのよ。少々強引になってしまいますが、お許しくださいませ」
つまりは、「生きていて、さらに必要最低限の体が残っていれば後は何でもいい」ということなのだろう。十七歳の晩夏にこんな事を言われた時、もちろん司の表情はカチコチだ。なんとか平静を装うために、司は何か言わなければと口を開く。
「笑えない、冗談だね」
「笑っていただいた方が、私としても幸せなのですけれどッ!」
躊躇うことなく、朱理は鎌を振り上げ、司の右肩へと向かって振り下ろされる。命を狙う一撃ではない。しかし、確実にこの一撃を受ければ司の腕は根元から切断されるだろう。
司の腕を落とそうと高速で向かってくるその鎌は、司へと近づき、そして──
──【灮焔之剣】
司の手に握られた黄金の剣によって阻まれた。




