第四話「同じだから、助けたい」その1
ずっと同じ時を過ごしてきた親友と仲違いしてしまった場合、なんとも言えない距離感にむず痒さを覚えることがある。互いに悪い所があって、でも互いに譲れない主張があって。本音の伝え方もよく分からなくなってしまうことは、きっとこの世界にはありふれているのだろうと思う。
では例えば、幼い頃から共に野球を続けてきた親友がいて、高校に入って片方がレギュラーで大活躍、もう一方がスタンドで応援、という場合はどうすればよいだろう。
単純に二人はずっと仲良く、対等に過ごせるか。
そんなことはきっとない。劣等感、焦燥感、無力感。同じ時を過ごしてきた分、開いてしまった差を受け入れきれないことはあるはずだ。
そうなってしまった場合、きっと追いつこうとする者は必死に努力するだろう。置いて行かれないように、友の隣にいれるように。
力の無い自分を恥じて、長い道をがむしゃらに走って行くだろう。
では例えば、努力しても届かないと痛感する瞬間が訪れてしまったら?
きっと、勝ちに拘り始めるだろう。友に勝って、少しでも早く自分が対等になったと実感したくなるのだ。そうして、負けを重ねても、いつか勝つために闘いを挑み続けるだろう。
では、そうして積み上げてきたものを、圧倒的な実力で薙ぎ払われてしまったら?
どうしたらいいのかなんて、分からなかった。
「ごめんなさい。カホエル」
部屋に家具が少ないからか、フローリングに音が反射して呟いた声がやたら大きな声で誉の耳に刺さった。
もうすぐ、学校に行かなくなって一週間になる。
片穂に負けたあの日から、誉は学校へ行けなくなった。行きたくないのではない。行けないのだ。こんな弱い自分のまま、もう片穂の前で胸を張れる自信が、誉にはなかった。
弱音を吐ける人もいない。いや、いなくなったのか。
テストの勉強をしている時は、誉は英雄を信頼できると思っていた。
でも、あの日の英雄の目を見てわかってしまった。自分の弱さも、彼の弱さも。
誉が導華に戦わせてくれと言った時の、あの目。英雄が、負けて悔しいと言った時の、あの目だ。
あの目は、自分が勝てるなんて思っていない目だ。ただ、弱い自分から目を逸らしたくて、負けがわかっている闘いでも、なんとか自分は頑張っているんだと言い聞かせるような、そんな目。
負けてもそのために積み上げた努力は無駄じゃないのだ、というようなそんな目だ。自己弁護、自己防衛。恥ずかしくて堪らない。自分に失望した。
分かっていたのだ、追いつけないと。理解していたのだ、この差は一生埋まらないと。
そんな事実を認めたくないという下らないプライドのために見栄を張り続けた。なんて滑稽だ。まるで道化。愉快に思えて笑えてくる。
「ほんと、馬鹿よね。私って」
そんな時、部屋にインターフォンの機械音が響いた。
恐らく英雄だろう。あの世話焼きは誉が学校に行かなくなってから登校する前と放課後、つまり一日二回も家のインターフォンを押しに来る。悪質なセールスやストーカーよりもやっかいだ。
もうすぐ一週間になる。ずっと無視をしていたが、さすがに我慢の限界だ。
誉は眉間にしわを寄せたまま荒々しく受話器を手に取る。
「……何」
『やっと出てくれたか! 何してるんだよ。みんな心配してんだぞ』
「別に、学校に行かない程度でそこまで大袈裟に言われたら逆に行きたくなくなるわよ」
『急に来なくなったから心配してんだろうが。せめて連絡の一つぐらいなあ……』
「じゃあしばらく学校には行かないわ。みんなにもそう伝えておいて」
食い気味にこれからの不登校を報告した誉だが、
『んなこと言ったって、今日で一学期終わって明日から夏休みなんだ。終業式ぐらい顔出せってんだ』
言われて初めて、誉が今日と言う日が学校に取って一つの区切れであることを思い出した。
「だからって行かなくても問題はないでしょう。欠席するわ」
『司や華歩や片穂ちゃんだって心配してるんだ。最悪、全部終わってからでも……』
「気が向いたら、ね」
そう言って、誉は逃げるように受話器を元の場所に戻した。
途端に音が消えた部屋で、誉は受話器を軽く撫でる。
「今更、あなたに相談なんて出来るわけなんてないでしょ」
小さく呟くと、誉は自分を嘲るかのような笑い声を出す。
「ほんと、なにやってんだろ。私」
ガチャリ、という糸の切れたような機械音を聞いて、英雄は胸の深い場所から溜息を吐きだした。そして静かに扉の前から立ち去り、マンションの入り口で自分を待ってくれている友人の元へ戻る。
「やっぱり、今日もダメだったか?」
司は英雄が一人で戻って来たことと、その寂しそうな顔から、今日も誉が来ないことを悟ったようだった。
「あぁ。でも、やっと話してくれたんだ。少しだけでも顔出してくれって頼んだから、もしかしたら来てくれるかもな」
「そうですか……」
片穂はあからさまに肩を落とし、誉が住んでいる部屋の扉を遠くから見つめた。
本音を言うと、今すぐにでも誉の部屋へ行き、たくさんの事を話し、謝りたかった。今まで何度も勝負を挑まれてきたが、このような結果になったのはこれが初めてだ。鈍感な片穂でも、今回の出来事が自分に関係していることは当然理解している。だから、どんな声をかけたらいいのか分からず、英雄に全てを任せているわけだが。
「ごめんな、片穂ちゃん。なんにもできなくてさ」
「いえ。英雄さんが気に病む事はありません。むしろこれは私がイーチャンと話して解決しなければいけないことなんですから……」
「そんなに気にすることないさ。誉ならきっとすぐに立ち直って戻って来てくれるはずさ」
「……はい。そう、ですよね」
何となく重い雰囲気で通学路を歩く三人。少し進んだ先の曲がり角では、華歩が待っていた。普段、英雄はもっと早く学校に行くため、華歩との待ち合わせは司と片穂の二人で行くのだが、誉の家に朝から行くと決めてから、司たちは先に英雄と合流することにしていた。
司たちを視界に捉えると、華歩は笑顔で手を振る。
「おはよう。司くん。英雄くん。片穂ちゃん」
「おはようございます。華歩さん」
「元気、ないね。……誉ちゃんのこと?」
片穂は何も言わず頷いた。
「力になれることがあったら、何でも言ってね。私は片穂ちゃんの味方だから」
「ありがとう、ございます」
そう言って笑った片穂の笑顔が余りにも引きつっていて、華歩は胸にズキンと響く痛みを覚えた。
四人は学校に着くまでの間、一言として話せなかった。この一週間はずっとそうだ。誉が来ないと分かり英雄と片穂の元気が無くなり、華歩もその空気を感じて声が出せなくなる。
司も数日前にはなんとかこの異常に重い空気を変えようと話してみたが、何度やっても返ってこない返事を待っている内に心が折れ、もう口を開くことはなかった。
司は学校に着いた瞬間に、皆の普段とは違う空気を感じて今日が終業式であることを思い出した。
「そういえば、明日から夏休みだったな」
学校に到着してようやく口を開いた司の言葉に、英雄も遠くを見ながら簡単に返事をする。
「そうだな。って言ってもやることないけどな」
「まぁ部活もやってないし、受験は来年だし、危機感とかもなんにもないからな」
「だったら、私の家で何かする? 家のスペースならいっぱい空いてるから……」
家族が殺された事件の後、実家に住み続けるという選択をした華歩は、案の上一人では使いきれない部屋の広さに困っているようだった。
「片穂ちゃんは、どうかな。よかったら、一緒に料理なんか作ったり……」
「すいません。私、今はどうにもみなさんと楽しく過ごせるような気分ではなくて」
ずっと落ち込んでいた片穂の負の感情は、止まる気配など一切なかった。
「そっか。私はいつでも大丈夫だから、辛くなった時は頼ってね」
コクリと片穂は頷いた。
教室に入っても、片穂の表情は変わらない。
誉が来なくなってからの一週間、片穂はずっとこの調子だった。家でも導華がどんな冗談を言っても頬を膨らませて可愛く睨む事もしない。
司の心配はピークに達していた。片穂の口から直接訊くことは出来ないが、恐らく誉の挑戦を受け、圧勝したことを後悔しているのだろう。もっと良い選択肢があったのでないかと、誉との関係がこんなボロボロにならない道があったのだろうと、、片穂はずっと考えているようだった。
答えの見えない問いに、司も悩み続けていた。どうすればいいのか。どうすれば片穂が元気になってくれるか。
そんな事を考えていると、右耳に沁み込むような声が響いた。
「おはようございます。司様」
「うっひゃい!」
驚き飛び跳ねる司を見て、雨谷朱理は艶麗に笑った。
「ふふ。とても可愛らしいですわね」
「雨谷さん……急に耳元で囁くのは心臓に悪いから止めてほしいんだけど……」
「それはそれは大変な失礼を致しましたわ。深く謝罪させて頂きます」
「いや、頭を下げるほどじゃないけど……」
出会ったときから変わらない、朱理の過剰な振る舞いに、司は苦笑した。
「して、司様。一つ、お伝えしたいことがありますの」
司は、どうした、と首を少し傾げた。
「本日の終業式の後、屋上に一人で来ていただけませんか?」
「いいけど……一人で?」
「はい。司様にしか話せないことですので、一人だけでお願いしますわ」
一体どんなことを話すつもりなのだろうか。もしかして、告白とか? いや、この少女は告白程度のこと、公衆の面前でもやりかねない。となれば天使や悪魔についてだろうか。しかしそれならば片穂は導華も呼ばずに司一人など合理的ではない。ではなんだろうか。
こうやって複雑に考えていて実はかなりどうでもいいことだったなんてこともあるからもしれない。
考えても分からなくなった司は、場所が学校の屋上ということもあり、とりあえずこの要求を飲むことにした。
「わかった。じゃあ放課後に屋上に行けばいいんだよね?」
「ありがとうございます。それでは、お待ちしておりますわ」
上品に頭を下げる朱理は、司が今まで見たどんな表情よりも感情のこもった笑みを浮かべていた。




