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俺と天使のワンルーム生活  作者: さとね
第三章「不屈の英雄に最高の誉れを」
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第三話「英雄という名の凡夫」その1

「もう、疲れた。一生分のカレーを作った気がするよ……」


 机に突っ伏してブツブツと皮肉じみた文句を垂れ流す司。その隣に立つ黒髪の少女が軽く頭を下げて司の苦労を労う。


「お疲れ様でした。司様。ただいまお茶をお出ししますね」


 騒がしい外とは裏腹に、司と朱理のいる調理室は滴る水の音が聴こえてくるほどに静かだった。


 昨日の魔女との会話があって、正直今日は文化祭に来るかすら迷ったほどだ。殺されるかもしれないという恐怖や、自分に課された運命の重み。昨晩は導華が夕食をつくってくれたが、ほとんど喉を通らなかった。


 気を使ってか、片穂も導華も司のことをそっとしておいてくれた。とりあえず今は寝ようと思ったが、目を瞑っても寝れなかった。多分二人もそうだと思う。寝ている時とは違う静かさを感じていたからだった。


 ——魔女にはくれぐれもお気をつけくださいませ。

 ——悪魔側の人間にも気をつけることね。


 こんな身近にいるとは思えないが、悪魔側の人間と言われて最初に浮かんだのはやはり雨谷朱理だった。


 魔女に悪魔。何を信じればいいのか分からなかった。実際、自分の存在そのものは悪魔側だ。出会う人物が天使ではなく悪魔だったら、きっと自分の人生は全く別のものになっていたのだろうとつくづく感じてた。


 ぐったりと椅子に座る司の前に、音を立てずに朱理が茶の入った湯呑みを置いた。


「司様。かなり疲れが溜まっているように見えますが、大丈夫でしょうか?」


「そ、そんなに見てわかるかな……?」


 肉体的には前日の疲れが寝不足で取れなかっただけだ。なのに、目に見えてわかるほどに疲れていたのだろうか。いや、片穂も導華も何も言ってこなかったから、とても些細な違いなのだろう。


「ええ。分かりますわ。私、ずっと司様のことを見ておりますから。普段と違うのは一目瞭然ですわ」


「そんなにジロジロ見られてたのか。恥ずかしいなぁ」


「私が勝手に見ているだけですわ。お気になさらずに」


 そんなこと言われても、って感じだった。司は横で微笑む朱理を見つめる。


(この子が敵…………なんて、ありえないよな)


 司は朱理が持ってきたお茶を口に運ぶ。いい苦味だ。疲れて固まった体から力が抜けていく感覚がして、とても気持ちよかった。


「やっぱり凄いよ、雨谷さんは。出来なかったって言ってるけど、誰にでも出来ることじゃあないよ」


「恐縮ですわ」


 朱理は軽く会釈した。

 司はチラッと壁の時計を見る。午後四時。文化祭も終盤だった。


 振り返ってみると、怒濤のような二日間だった。片穂と誉の集客力には驚かされてばかりだった。昨日は口コミでどんどんと人が増えたイメージだったが、二日目の今日は最初から満員御礼どころか列が長すぎて他のクラスの出し物を封鎖しかけていた。


 接客の片穂たちの苦労もさる事ながら、カレーを作るこちらもかなりの疲れだ。作り終わった時にはもう足りないと言われ続け、全力で買い集めた食材たちも午後になるころにはほとんどなく、買い出しの嵐。聞いた話によると文化祭の歴代来校者数を数倍超える数を叩き出したそうな。


「さてと、そろそろ教室に戻ってみんなを手伝おうか。まだ片付けも残ってるだろうし」


「かしこまりました」


 調理室から出て教室まで歩く司。ほんの少し後ろでぴったりと歩く朱理にようやく慣れてきた司だが、やはり庶民の自分がこう召使いを従える主のように人を連れる感覚は未だに慣れなかった。


 間もなく、教室が見えてきた。もう既に出し物が営業できる時間は終わっているので長蛇の列は消えていた。あれだけの人がいた分、いつもと変わらない廊下の幅が少しだけ広く感じた。


「うぃーす」


 ガラガラと音を立ててドアを開けると、そこにいたのはつい数分前までの自分と同じ様に机に突っ伏したクラスメイト達だった。


 その中の一人が司に気付いて顔を上げる。


「よぉ、司か……」


 悪魔に生気を吸い取られたかのようにげっそりとした顔をした英雄の顔を見て、皆も同じような感じなのだろうと周りを見ながら、


「おいおい。大丈夫かい、みんな」


「まぁ俺は大丈夫だけど、メイドたちはかなりキテるみたいだな」


 英雄は苦笑いをしながら親指で自分の後ろを指さした。少し視線を移すと、皆と同じように、いや、それ以上の疲れが見えるほどにぐったりと倒れ込むメイドたちの姿があった。


「司さん…………私、頑張りました……」


「うわ、ちょっと老けてるぞ。大丈夫か、片穂」


 若干引き気味に労いの言葉をかけられ、片穂は「はっ!」と顔を上げてパンパンと顔を叩いて気合いを入れ直し、


「だ、大丈夫です! まだまだピチピチの新鮮です!」


「そ、そうかい……」


 元気であることを言いたいのか老けてなどいないことを主張したいのかいまいち分からなかったが、とりあえず頷いておいた。


 一歩後ろへ司が下がると、司の肩にポンと手を置かれる。


「司くん。導華ちゃん、どうして来なかったの……?」


 これまた何の理由でここまで暗い雰囲気を纏っているのか分からない華歩が話しかけてきた。


 ちなみに導華は昨日華歩にメイド服を鼻息の荒い華歩に無理やり着せられ、挙句の果てに仕事までさせられたのがかなりストレスだったらしく、司に一言言い残して家に残った。


「えっ……? いや、『ワシはもう玩具にするのはごめんじゃ。寝る』って……」


「そんな……導華ちゃんのメイド服を楽しみに頑張ったのに……」


(これは導華さんも来たくないだろうなぁ……)


 実際の所、本当は初知真理についてだと司は考えている。昨日から導華は様々なことを考えていたようだったし、司の命の危険や悪魔との接触だってある。導華のことだ。任せておいても大丈夫だろう。


 というわけで、最後に労ってやるべきメイドの元へ司は足を運ぶ。


「んで、大丈夫かい。誉ちゃん」


「はっ……楽勝よ。この私がカトエルに劣るような体力なわけがないでしょう。元気の塊よ」


 どう見ても疲労感が窺える表情とどう聞いても元気の塊を感じない声色で返事をした誉。しかも片穂を天使の名前で呼んでしまう始末である。


「おい、その名前は出さない方がいいんじゃないか……?」


「知らないわよ。聞こえたところでどうという事もないわ。疲れているの、見逃しなさい」


「見栄すら張れないほどの疲れ⁉」


 まぁ自分で作っておいてあれだが、あの量のカレーをすべて売り切ったのだ。それで疲れていないほうが逆に引くぐらいだ。


 なんだか自分まで疲れてきた気がした司の近くで、英雄が一つ呼吸をしてから立ち上がる。


「さてと、ちょっと休んだら、あれを集計しないとな」


 あれ、と英雄が指差したのは人気投票の箱だ。このクラスの出し物がメイド喫茶になる理由の一つでもあった片穂と誉の人気勝負。初日は途中で誉が抜けたこともあって片穂が優勢だったが、それよりもまず、


「いいのか? 教室で全部済ませちゃって」


「もともとは片穂ちゃんと誉の勝負のためだし、文化祭の委員の奴らにも言ってない非公式人気投票だ。構わなねぇさ」


 笑いながら、英雄が他に余力の残ったクラスメイトと箱をひっくり返して結果を集計し始めた。


 そして数分後、メモを片手に英雄が教室の前に出てくる。


「投票の結果が出たぞ……! 一応メイドをやってもらった人には全員投票できるようにしたけど、やっぱり一位と二位は片穂ちゃんと誉の二人だ」


 この結果は案の定だ。片穂は言わずもがな、誉も性格はあれだが外見はかなりハイレベルだ。誉に投票する男はかなりいるだろうと思っていた。


「そりゃあな。俺がカレー恐怖症になりかけたのもこの二人のせいだからな」


「そ、そんなにもカレーが怖いんですか⁉」


「情けない男だわ。たった二日間ぐらいで」


 ならば貴様らも一日で数百食分のカレーを作ってみるかい? と言おうと思ったが、ぐっと堪えて司は耐え忍んだ。


「ちなみに、三位は華歩だったぞ」


「へ……? わ、私?」


 素っ頓狂な顔をして自分の顔を指さす華歩。実際、華歩も地味な感じがするだけで顔立ちは整っているのだ。アスモデウスと戦った時に髪を切ったのも幸いしたようで、暗い雰囲気が払拭されたのが要因だろう。


「ちなみに、『控えめな感じで恥ずかしがっているのが逆にたまらない』だそうだ」


「あ、あんまり嬉しくないかな……」


 苦い顔をして口角を上げる華歩。確かに『逆にたまらない』とか言われても嬉しくないだろうなぁ、とは思う。司は若干同情気味に華歩を見た。


 そして、英雄は最も気になる結果を声に出す。


「二人のうちで票数が多かったのは……」


 うずうずと聞きたそうに耳を向ける片穂と勝ちを確信したのか余裕の表情の誉。


 そして、英雄の口が開く。


「……片穂ちゃんだ!」


「なっ……⁉」


 焦りを露呈させる誉。実際、司にとってはこれも案の定だった。何も自分が片穂に惚れているからとかではなく、単に片穂が万人受けする性格だからだ。さすがに『ほら、カレーよ。さっさと食べなさい』と言われて全ての人が誉に票を入れるかと言われたら、まぁ、そんな感じだ。


 一部に誉の熱狂的ファンがいたらしいが、それには触れないでおこう。


「誉もかなりの票数だったんだが、片穂ちゃんに一歩届かずって感じだったな。残念だけど、今回は片穂ちゃんの勝ちだ」


 それを聞いて、片穂は飛び跳ねて喜びを表現する。


「やりました! やりましたよ! 司さん! 私が一番です!」


「おう、よかったな」


「えへへ〜。帰ったらお姉ちゃんにも自慢しますっ!」


 満面の笑みの片穂。こちらまで嬉しくなるような表情の片穂に、誉が突っかかる。


「はっ‼︎ 今回も運がよかったみたいね! せいぜい喜ぶがいいわ! 次は敗北の味をしっかりと感じさせてあげるわ!」


「うん! 次も頑張るよ! イーちゃんも頑張ろうね!」


 相変わらず何となく噛み合わない会話を交わす天使二人。仲が悪くは見えないからよしとするか。


「っても、次は何で勝負するんだ?」


「……未定よ」


「あ、決まってはないのね」


「な、何よ! 文句でもあるわけっ!」


 名探偵かの如く指を司に突きつける誉。自分に非があるとは思えないがこれ以上何か言われるのも嫌なのでとりあえず謝っておく。


「いや……そういうわけじゃないけど、なんかごめん」


 すると、華歩がピンと指を立てて案を出した。


「じゃあ、期末テストはどうかな?」


「それよ! 知性も立派な実力を図る物差しじゃない!」


 いつもどうしようもなくくだらない勝負をしているだけに、かなり妥当な勝負なので司は反対する理由はないのだが、


「司さん……」


 生憎、片穂は基本的に勉強が苦手だ。以前は休み時間の度にわからないと捕まえられて自分の時間が一切確保できないこともあったぐらいだ。


 これを機に少しでも勉強ができるようになってくれれば、司にとっても好都合だ。


「まぁ、いいんじゃねぇの? 誉ちゃんが絡めば片穂も気合をいれて勉強するだろうし、導華さんも賛成だと思うぞ」


「うぅ……薄情ですぅ……」


 メイドでの疲れに重ねてさらにうな垂れる片穂。自分も勉強が特別できるわけでもないので気持ちはわかる。


 司は片穂の頭にポンと手を置いて、自分も励ますように声をかける。


「まぁ俺もやることはたくさんあるから、一緒に頑張ろうな」


「はい……頑張ります……」


 しゅんと肩を落としつつ片穂は返事をした。


「おーい、司。片付け手伝ってくれ」


 司に声をかけたのは投票のゴミをまとめている英雄だ。人気投票の結果を言ってすぐ、英雄は片付けを始めていた。なんとも勤勉な男だな、感心しながら司は歩き出す。


「そうだったな。悪りぃ」


 司も英雄の隣に屈んでゴミをまとめ始める。


「お疲れ様だったな。カレー作るの、大変だったろ」


 英雄からの労いを受けて、司は微笑した。


「正直もうやりたくねぇな。次は飲食店以外で頼むわ」


「俺もさすがに疲れたから今度は楽なのを考えるさ。とりあえず、ありがとうな」


「何言ってんだ。お前の方が仕事してんだろうが。こっちこそありがとうさ」


 実際、司は当日二日間ひたすらにカレーを作っただけだ。前日までの準備を指示し、直前に決まったメイド喫茶を出し物として委員会に押し通し、他にも様々な場所へ駆けまわって手伝いをしていたのだ。全てを合計したら疲労も仕事量も完全に英雄に軍配が上がる。だからこそ、自分よりも人望が厚く、何事も器用にこなす英雄を司は尊敬した。


 そんな事を考えながら司が腕を動かしていると、英雄がふと口開く。


「……なぁ、司」


 ん? と軽い返事すると、英雄も腕を動かしたまま、


「俺たちもやるか? 期末の勝負」


「お前、俺よりも全然勉強できるじゃねぇか。反則だぜ?」


「数学はめっぽう弱いからそんな変わらないさ。それに、そんな理由で断ったら片穂ちゃんに怒られるぜ?」


 確かに、勉強ができるようになってほしいからと片穂と誉の勝負に賛成したのだ。これで断ったことが片穂にばれると、何かと面倒なことが起こりそうな気がした司は渋々承諾する。


「わぁーったよ。やるやる。んで、負けたらどーすんだ?」


「負けた方が勝った方に飯を奢る。どうだ?」


「言ったな? 近くの高い焼肉屋にでも連れてってもらうぜ」


 一人暮らしな上に天使二人とワンルームで暮らすという物理的にも金銭的にも窮屈な生活をしているので、高値の外食など一度も行けていない。心よりもまず胃袋が戦えと言っているような気がした。


「じゃあ負けた方が焼肉奢りだ。勝負は五科目の合計点でいいな?」


「やってやるよ。ちゃんと金、準備しておけよ」


 笑いながらも視線がぶつかり合い、両者の覚悟が衝突した。


 正直なところ、昨日の今日でこんな呑気にしていていいのだろうかと思う自分もいる。でも、だからこそだとも思った。


 魔女の脅威の中、張りすぎていた気を楽にするにはちょうどいい機会かも知れない。魔女の狙いは世界を救うことだ。その過程に司の殺害があるだけで、殺すことが目的ではない。気味の悪いほど慎重な魔女だ。関係のない人がいる前で行動を起こすことなどないだろう。


 テストまで残り一週間。繰り返される非凡の中で、平凡な戦いが始まろうとしていた。


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