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俺と天使のワンルーム生活  作者: さとね
第三章「不屈の英雄に最高の誉れを」
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その7「『佐種家』というもの」

 荷物をまとめ、明日の準備を整えてから片穂、導華と共に学校を出てから歩くこと約二十分。三人は木造の古風な喫茶店の前に立っていた。


「ここ、か……」


「とっても普通のお洒落な喫茶店ですね……。本当にここに魔女の人がいるのでしょうか?」


 司自身、あまり信じれていない。自分たちとは違う、魔女の眷属。その存在を素直に信じろと言われてもそうはいかない。


 でも、知りたいことは沢山ある。その未知への期待を込めて、司は口を開く。

 

「いるはずだよ。きっと」


 そしてゆっくりと、店のドアを開けた。


 カランカラン、と寂しげにドアに付いた小さな鐘が司たちの来店を伝える。見た目の割に備えのいい蝶番ちょうつがいは、司の開けるドアの動きをより滑らかにした。


 中も至って普通の喫茶店だ。落ち着いた雰囲気で、一人でのんびりとコーヒーを飲むのには丁度いいと思う。喫茶店自体も広くはないが、窮屈には感じない。


 一歩二歩と、司は歩く。辺りを見回す視界の中に、椅子に座ってカップを手に持つ女性が入り込んだ。


「いらっしゃい。思っていたよりも早く来たのね。嬉しいわ」


 昼間と変わらない妖艶な笑顔で、初知は言った。


「あなたが、魔女……?」


「そうよ。初知真里という名前なの。よろしくね」


「…………はい」


 明らかな警戒心が片穂から放たれていた。司もそうだ。言葉自体は何もおかしな点はない。しかし、本能的に胸の奥から警戒しろ、という指令が鳴り止まない。


 導華も同じく、鋭い目つきで初知を睨みつけていた。


 だが、三人から発せられる敵対心を一切気にかけず、初知は声をかける。


「どうぞ、座って頂戴。少し長い話をすることになるから。今、コーヒーを持ってくるわね」


 初知はゆっくりと立ち上がると、カウンターへと歩き、コーヒーを淹れ始めた。


 その背中を見ながら、三人も席に着く。誰も話さない。ただコーヒーを淹れる音が店内に響くだけ。


 三人分のコーヒーを用意すると、初知はトレーにカップの載せて丁寧に運んでくる。


「約束通り、この店で一番上質のコーヒーよ。丁寧に淹れたから、ぜひ味わって頂戴」


「頂こう」


 目の前に出されたコーヒーを、導華は躊躇いなく飲んだ。


「良いコーヒーじゃ」


「ふふ。ありがとう」


 司はコーヒーに手をつけられない。警戒心が強すぎるためか、毒か何かが入っていてもおかしくないのではないか。そんな不安が拭えなかった。


 司と片穂は手をつけないが、導華がコーヒーを飲んだのを満足そうに見てから、椅子に座る初知は少し前のめりになって話し始める。


「じゃあ、何から話そうかしら。色々と多いから選ぶのが大変だわ」


「では、ワシが質問しよう」


 単刀直入に切り込んだのは導華だ。ここに来るまでにも真剣な顔をしていたので、会話の内容を考えていたのだろう。


「——佐種司は、『佐種家』とは、一体なんじゃ」


 にやぁああと滑らかに上がる初知の口角。その不気味さは、悪魔と同等のそれだった。


「まぁ。とてもいい質問だわ。これからの話の核になることよ。優秀な天使で助かるわ」


「俺の事、ですか」


 昼に屋上で会話をした時も、初知の関心は自分にあるようだった。ただそれほどまでに自分が重要であるとは思えない司は、実感の湧かないままこの場にいる。


「最近の悪魔の動きは、明らかに司が中心になっておる。その理由が知りたい」


「それも知らなかったのね。てっきり佐種美佳から聞いていると思っていたわ」


「母さんを知っているのか⁉︎」


 ガタンッ! とその場で立ち上がり、司は声を荒らげた。両親について少しでも情報を得ることができれば運がいいと司は考えていたので、名前まで出てくるとは考えもしなかった。


「あなたは、自分の母が佐種家に籍を入れる前の名前を知っているかしら」


 確かに母の方が佐種家に籍を入れたという事は知っている。しかし、旧姓など興味がないために訊いたこともなかった。


「い、いや……」


「あなたの母、佐種美佳の旧姓は『初知』よ。私と彼女は、遠い親戚なの」


「美佳殿との、血縁じゃと……?」


 次に動揺を露わにしたのは導華だ。

 

「ほんの少しだけよ。私は『黒』で、あの女は『白』だもの。根本的にジャンルが違うわ」


「もう少し分かりやすい言葉を使ってもらえんか。ワシは魔女には詳しくない」


「悪魔寄りか、天使寄りか、それだけよ。元々魔女はあなたたち側、天使や悪魔への適性が極端に高い血筋なの。大抵は『黒魔女』。つまり悪魔への適性が高く生まれるのだけれど、あの女は『白魔女』——つまり天使への高い適性を持って生まれた」


「だから、あそこまでの力を持っておったのか?」


 初知は首を横に振った。


「いいえ。それだけではないわ。佐種美佳は魔女の力だけではなく、それ以上の力を持って生まれた。まるで、神に選ばれでもしたかのように」


「『神に愛された女』……でしたよね」


 司は以前導華の言っていた言葉を思い出した。天使の世界に最も近い人間、『神に愛された女』、佐種美佳。その存在は希少というよりも異常。天使の理解すらも超える存在だった。


「ワシが今まで見てきた人間で、最も天使に近い人間じゃ。今更何を言われても驚かん」


「別に、天使に適性があろうが、特別な力を持っていようが、それだけなら問題はなかったわ。それだけなら、世界は平和だった」


 何かを察した導華は、さらに一歩話を進める。


「十年前の戦いが、関係しておるのか」


「十年前も、今の状態も、全てはあの女が佐種家の人間と結婚したことが原因なのよ。無責任にも程があるわ」


 吐き捨てるように話す初知。しかし、その因果が司は理解できない。母が佐種家に嫁いだからなんだというのか。


「佐種家って、一体——」


「あなたは、なぜ自分の家が周りに人のいない田舎にあるのか考えたことはあるかしら。なぜ、人との関わりを極力避けるような場所に、佐種家の本家があるかと、考えたことはあるかしら」


 なぜ……? 実家の場所の意味? 別に田舎に実家がある家なんて山ほどあるはずだ。特別なわけがないじゃないか。


「理由なんて、あるのか……?」


 失望するように、初知は息を吐いた。


「やはり知らないのね。まぁ知らないから、こんな都会のど真ん中で普通に生活しているわけなのだから」


「何を言って——」



「魔王サタンをこの世に召喚するための媒介、『器』を作るための家が、『佐種家』よ。あなたたちは、サタンをこの世に下ろす為に生まれてきたの」



 魔王のために存在するのが『佐種家』だと、おまえは魔王のために生まれてきたのだと、初知は告げた。


「それは一体どういうことじゃ!」


 堪らなくなった導華も立ち上がり、初知に対して声を上げた。


 しかし、初知は依然として落ち着いた様子で、手元にあるコーヒーカップを持ちながらくるくるの中のコーヒーを混ぜていた。


「落ち着きなさい。それを訊くためにそこに座っているのでしょう? 焦らなくても教えてあげるわ」


「平常心でなど、聞いていられるか……ッ!」


 座らずに自分のことを睨みつける導華を無視して、初知は続ける。


「悪魔への適性がなければ人間の体に悪魔を宿しきれないことは、知っているわね」


 返事はない。しかし初知はそれが返事だと判断して話を進める。

 

「悪魔を受け入れる器を持つ人間は、探せば出てくるわ。しかし、魔王サタンは話が違う。並大抵の適性では、収まりきらない。それでもサタンはこの世界に降り立ち、その手でこの世界をどうしても壊したかった」


「だから、その媒介を作るために……」


「そうよ。そのために、佐種家は作られた」


 笑みの一切消えた真剣な顔で、初知は頷いた。浮ついた雰囲気はいつの間にか消えていて、息苦しさすら感じるほどだ。


「しかし、なぜそれを天使のワシらが知らんのじゃ。そんな重要なことを……」


「だって天界に佐種家の存在意義が知られてしまったら、佐種家は消されてしまうでしょう?」


「そんなことは——」


 この時初めて、初知は敵意の籠もった目で導華を見た。


「あるわ。天使は、悪魔に世界を乗っ取られる可能性があるなら家族の一つぐらい平気で滅ぼすわ。それがあなたたちの正義でしょう?」


「て、天使はそんなことしませんっ! 心外です!」


 声を出せないでいた片穂が堪らず声を上げた。身内が侮辱された気分なのだろう。天使として、片穂は怒っていた。


「私たちの一族が悪魔への適性が高いというだけで殺したのは、そちら側でしょう? 未熟な天使は座っていなさい」


 それは、魔女も同じだった。『魔女狩り』は実際にあった。魔女も実在した。悪魔を悪と定義するのなら、悪魔への適性が高い存在が魔女ならば、魔女も悪だと定義されてもおかしくない。それならば、魔女の血を途絶えさせたい存在は——


「お、お姉ちゃん……?」


「……事実じゃ」


 それ以上は、何も言わなかった。四人の間に沈黙が流れる。


 少し大きめの呼吸をしてから、初知は再びカップに入ったコーヒーをくるくると回し始めた。


「ごめんなさい。あなたたち自身は何もしていないし、私自身も何もされてないものね。別にあなたたちに罪を押し付ける気はないわ」


 知らない世界が、知られなかった歴史が、目の前にいるような感覚だった。


「話を戻すわ。重要なのは、佐種家と初知美佳が結びついたことなの」


「それが、そんなにも重要なのか?」


「あなたは、今までなぜこの世界がサタンによって直接的な攻撃を受けていないかわかるかしら?」


 誰も答えない。分からないからだ。それは初知も承知のようで、問いかけてから間も無く答えを提示する。


「答えは簡単よ。サタンのために作られた佐種家でさえ、サタンを許容するほどの人間を作ることが出来なかったから。ただそれだけよ」


「でも、他の悪魔は何度も俺たちの前に来てるじゃないか」


『器』があれば強化されるのはわかっているが、アザゼルもアスモデウスも悪魔のままの状態で司たちの前に現れている。それならば何が問題だというのか。


「『悪魔』と『魔王』にどれだけの力量差があるのか、あなたは知らないのかしら。恐らく、隣の二人は知っているはずよ」


 司は導華へと視線を移した。言葉を発さずとも司の言いたいことを察知した導華は、小さく頷く。


「真実じゃ。今のワシらでは、決して届くことのない場所に、魔王はいる」


「そんな……」


 信じられないと、今度は片穂へと視線を移すが、


「本当、です。実際に見たことはありませんが、天界でミカエル様の言っていたことを聞く限り、私たちでは手も足も出ません」


 俯く二人に指を出して、「でも」と初知は付け加える。


「それだけ強い存在は、下界では形を成すことができないの。そんな状態では、サタンは満足に力を使うことができない」


「そのための、『器』……」


「その通りよ。そして、今の今までその『器』は不完全のままだった。だから、サタンは下界へ下りることができなかった」


「その不完全な状態だった佐種家にやってきたのが、美佳殿というわけか」


 初知は嘲笑した。


「正真正銘の大馬鹿よ、あの女は。自分ほどの力を持った人間が佐種家との間に子供を持ったら『器』が産まれるなんて容易に想像できるはずよ。佐種家だって、サタンを下界に下ろすことなんてしたくない。それなのに、佐種勇と初知美佳は自らの愛を選んだ」


「そして、生まれたのが俺ってことか」


「そうよ。その天使を簡単に許容できるのも、天使に触れるほどの適性があるのも、『白魔女』と『佐種家』のハーフだからよ。むしろこれで適性がない方が笑い者だわ」


 ようやく繋がっていく、一つの線。異常とまで言われる天使への適性。遠く田舎にある自分の実家。佐種美佳の本質。さまざまな要素が絡まり合って自分はここにいるのだと、司は初めて自覚した。


「一つ、質問してもいいかしら?」


 司の目を見て、初知は言った。


「俺は何も知らないんだ。訊かれても何も答えられないぞ」


「あなたが本当にサタンの『器』であるのか、その確認よ」


「そんなことが出来るのか……?」


 それならば話が早い。正直、話が飛躍しすぎて理解できなくなってきた頃だ。確認して、違かったのならそれでいい。


 そう思って、司は少しだけ前のめりに体を動かした。


「簡単よ。サタンの『器』となった人間は、その有り余る力ゆえ、家族の命を削りとってしまう」


「……ぇ?」


 司の思考に、瞬間的に割り込んできたノイズのような感覚。


 表情には現れない司の心情変化に気づかない初知は、さらに続ける。


「あなたには、兄弟はいるかしら?」


「妹が、一人」


「その妹の命が削れて……そうね、三歳から五歳くらいまでに死んでいるのなら、あなたこそサタンの『器』よ」


「……ぁ…………ぇ……?」


 何かを言おうと思ったが、声が出なかった。実際何を言ったらいいのかも分からない。


 隣に座る二人の天使も、同じ感覚に囚われているようだった。


「命が、削れる……ですか?」


 ようやく絞り出した片穂の言葉に、初知は頷く。


「えぇ。そうよ。人間の手では決して治すことの出来ない、直接的な命の搾取。『器』は一人で充分だもの。他は淘汰され、吸収される。それが『器』を生み出した家族の運命よ」


「司さん……!」


「そう、だったのか……」


 慌ててこちらを見てくる片穂。対して司はむしろ動揺していなかった。人間は驚きすぎると全く表に出ないというのを、この時初めて知った。


 その横で、導華は拳を握り締め、歯を軋ませながらテーブルを睨みつけていた。


「その為に、ワシらを利用したのか……ッ! 美佳殿……!」


 明らかな焦り、動揺。これだけの様子を見て何もないと判断する人はいないだろう。そして、その様子を図星を突かれたと解釈した初知は、余裕のある表情で笑みを浮かべる。


「何か知っているようね。早く答えて頂戴」


 呆然と、司はテーブルを見つめる。


 ようやく、司は納得した。合点がいった。理解し、悟った。どうして自分が出来ないことが全て、彼女に出来たのか。自分がたった五歳で劣等感を覚えるほどに、彼女が優秀だったのか。なぜ彼女が母に似ている場所がいくつもあったのか。全てがストンと胸に落ちた。


「……ゃ…………ぃ」


 精一杯の声を出したが、誰にも声が届かない。当然、初知も聞き取れない。


「家族が死んでしまったことが辛いのはわかるわ。でも教えて頂戴。あなたの人生だけじゃなく、世界の崩壊に関わることなのだから——」


「……れ……じゃ、ない」


 もう一度。でも、届かない。


「……聞こえないわ」


 もう一回。


「サタンの『器』は……俺じゃない」


 ようやく届いたその声は、途端に初知の顔を曇らせた。


「……なんですって?」


「命が削れて死にかけたのは、俺なんだ。俺は片穂に救われた。だから生きてる。だからここにいる。だから俺は『器』じゃ、ない」


 簡単だった。単純だった。ただ、自分が『そう』でなく、彼女が『そう』だったのだ。


 司は、ゆっくりと口を動かし、告げる。一体誰が、『器』なのであるかを。


「サタンの『器』は……真穂だ。佐種真穂。俺の…………妹だ」


 カタカタ、と机や椅子が揺れている。いや、違う。自分の体の震えが伝わっているのだ。許容できなくなった現実に耐えきれなくなったかのように。


 運命という名のしなる大樹のような鞭が、グラグラと揺れる不安定な心を今にも壊そうとしているかのようだった。

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