その6「魔女の眷属」
「魔女……?」
「ええ。昔話や伝承に出る、魔女。私はその一族の生き残りよ」
清々しいほどの笑顔で、初知は頷いた。
「導華さん。魔女って、本当にいたんですか……?」
「ワシが生まれた頃には、もうすでに魔女狩りとしてほとんどの魔女が殺され、生き残りがいるという話は聞いていない。いたとしても、日本にいるとはのぉ……」
「日本だから、殺されずに生き残れたのだけれどね。運が良かったとは思うわ」
司もネットやテレビで目に来たことがある。『魔女狩り』。数百年前に行われた、不思議な力を持つ女性たちが大量惨殺されたという出来事。本当の魔女だったとか、単に惨殺の理由づけのために人々を魔女と称したなど、本当の事実は謎に包まれているはずだ。
もし魔女が実在していたとして、本当に日本に魔女が生き残っていたとして、それがこの場に現れる理由にはならないはずだ。それならば——
「ではなぜ、魔女がここに、ワシら天使の目の前にいる?」
司の疑問を導華が代弁した。
「話をしに来たの。これから先の世界を守るために必要な、とてもとても大事な話を」
「世界を守る、じゃと?」
司も理解するにはほど遠い。世界を救う、という言葉。そもそもこの世界に対して危機を感じてすらいないのだ。誰から、何から救うというのか。
「あなたはここ最近の悪魔の動きに、違和感はない?」
「違和感はもちろんある。異常じゃ。ここまで同じ場所に集中的に悪魔が出ることなどありえん。過去に前例もない」
「その通り。異常なのよ。そして、その理由はなんだと考えているのかしら?」
「まだ、わかっていることが少なすぎる。判断はまだまだ出来んのぉ」
「ただその理由を佐種司の前では言えないだけ、ではなくて?」
導華の表情が、再び変わった。
「……どこまで、知っている」
不気味に口角を上げる初知。その顔を導華は鋭く睨みつける。人間と対面しているとは思えないほどに尖る意識。
それを一点に受けてもなお、初知は動じずに答える。
「あなたよりもずっとずっと深くの闇まで、よ」
「……ッ!」
動揺しているのは、導華のほうだった。おかしい。何かがおかしい。なぜ悠々と笑う人間の言葉で、この天使が動揺しているんだ。あんなにも強く、自分たちを支えてくれた天使が、ここまで動揺する言葉だったのか?
「導華さん……?」
「司。すまないがこの魔女に訊かねばならんことが多数ある。お前も付き合ってはくれんか?」
「わかりました」
導華の言葉に躊躇いなく司は答えた。知らなければならないことが、すぐ目の前にあるような気がして。
「ただ、話をするにはここは少し人が多すぎるわ。ここの住所にきて頂戴」
初知が懐から出した紙を受け取り、それを見る。そこに書かれていたのは、丁寧に書かれた住所と『喫茶 古蘭』という文字。
「喫茶店……?」
「ええ。私の家であり、職場よ。私、喫茶店をやっているの」
「その喫茶店に行くのは、三人か?」
脈絡のない導華の言葉を聞いて、初知は満面の笑みを見せた。
「本当に素晴らしい天使なのね。あなたの契約者が羨ましくて堪らないわ」
「片穂、ですか?」
「うむ。ワシらに接触して、さらに司に用があるのなら、片穂の存在は不可欠じゃろう」
「それでは、私はこれで失礼するわ。あなたたちにもやることがあるでしょうし、時間はいつでもいいわ。今日の夜にでもいらっしゃい」
「では、美味いコーヒーでも飲ませてもらおう」
「上質なものを、用意しておくわ」
優雅な立ち振る舞い、上品な笑い方。魔女という存在を納得してしまえるかのような、異常な雰囲気。
堂々と歩くと、初知はこちらへと振り返って、
「それでは、また後で会いましょう」
「え……? そっちには出口はないのに」
初知が歩いていったのは、司が入っていた屋上への入り口でなく、その横の物陰だ。勿論ながら、屋上への入り口はそんな所にはない。
不思議に思った司はその後を追いかけるが、
「行っても恐らく意味などないぞ」
そんなはずはない。魔女とはいえ、天使や悪魔ではないのだ。司は初知がいるはずの物陰へと走ってその姿を確認しようとするが、しかし——
「いない……」
初知の後をおったはずなのに、司の目に映るのはフェンスだけ。人間の姿は、どこにもなかった。
「あの人は一体……」
「魔女、なんじゃろうな」
「そんな人間が存在するんですか?」
異常な存在だと、魔女であると、あの数分間で納得はした。しかし、理解ができなかった。人間が、天使や悪魔と次元に立っているということに。
「ワシも魔女の血を持つ人間に会うのは初めてじゃ。とっくの昔に殺されたと思っていたからのぉ」
「でも本当に魔女なんですかね。嘘って可能性は……」
「魔女であることは間違いない。そして、あの女はワシらが知らないことを数多く知っておる」
「俺たちの知らないこと、ですか……?」
導華は司の目をしっかりと見て、言う。
「アザゼルの言っておった『大波』、さらに十年前の戦いの詳細まで知っている可能性がある」
「それじゃあ、父さんや母さんのことも⁉︎」
十年前に姿を消した、自分の両親。いつものような一日の中で途端に消えた、自分の両親。天使や悪魔と関わっていたことを知ったのは、つい最近だ。
自分の知らない両親の顔。知りたくないわけなんて、ない。
「何かしらの情報を持っておるのは確実じゃ。天使では得ることの出来ない情報が、多く得られるかもしれん」
「なら、行かないとですね」
「すまんな。付き合わせてしまって」
謝る導華に、司は軽く笑った。
「二度も片穂に拾われた命です。気にすることはありませんよ」
少しだけ目を丸くして司を見てから、導華は誰も気づかないほど僅かに口角を上げて、歩き出す。
「……そろそろ、戻るとするかのぉ。皆も待っておるはずじゃ」
「はい」
数分遅れて教室へ戻った二人を、友人は温かく迎えてくれた。
「おっす! 司、久しぶりだな!」
「悪りぃ、少し長話しちまってな」
「片穂ちゃんが奥で休憩してっから、声かけてやれよ。お前のこと、待ってるぜ?」
「ありがとう。行ってくるよ」
冗談に答えるには少し落ち着かない精神状態の司は、簡単に英雄に返事をして奥へと進む。そしてそこに姿勢正しく立つ朱理が頭を下げる。
「司様。おかえりなさいませ」
「雨谷さん……」
初めて知った、朱理の力。彼女は悪魔の力を所有していることを隠していた。しかし、救われたの現実。敵か味方かはまだ判断には困っている。まだ司は朱理のことを何も知らない。本当の彼女が、その底が、見えなかった。
「本当に申し訳ありませんでした」
謝りたいことが数多くあったのだろう。何が申し訳ないとは言わなかった。でもそれはこちらも同じ。
司は笑って、朱理が少しでも楽になってくれるように、明るく答える。
「いや、いいんだよ。言いたくないことだってあっただろうし、結果的に俺のことを助けてくれたんだ。本当にありがとう」
「その慈悲、ありがたく頂戴させていただきますわ。この身、これからも側に置かせていただいてもよろしいでしょうか?」
不安そうな朱理の目。その瞳の奥に少しだけ見えた孤独。寂しそうな声色。
彼女に、何ができるのだろうか。
「雨谷さんは、味方なんだよね」
「何があろうともこの身、司様と共に」
こんな好意を受ける覚えが、何もない。片穂の時と同じだ。必要とされればされるほど、自分の価値に疑問を持つ。
容姿も良くて料理や裁縫の腕はピカイチ。たったの一週間ほどだが、献身的に自分のことを助け、支えてくれた。この文化祭も、彼女抜きにはきっと成り立っていない。
片穂がいなければ、縋っていた。きっと、心を奪われていた。それほどまでに、この少女は魅力的だ。
でも司にとって、天羽片穂はかけがえのない存在だ。彼女と共に歩くと決めた。彼女のために生きようと決めた。朱理の人生を自分が貰う権利なんて、決める権利なんて、あっていいはずがない。
「そこまでじゃなくていいよ。雨谷さんは雨谷さんのために生きればいいと思う。無理に人生を誰かに捧げる必要なんてないよ」
「……出来ませんわ。そんなこと」
下を向いて、小さく朱理は呟いた。
「……え?」
上手く聞き取れなかった司は聞き返すが、朱理は笑顔を作って一歩、後ろへ下がる。
「なんでもありませんわ。さぁ、司様。奥で天羽さんがお待ちですわ」
「うん。ありがとね」
さらに足を進めると、教室の端に置かれたテーブルでぐったりと体を倒す片穂。
抜け殻のようになった片穂に、司は優しく声をかける。
「片穂、お疲れ様」
司の声を聞いた瞬間に、ガバッと体を起こした片穂は、久しぶりに飼い主が帰宅した飼い犬のように司に抱きつき泣き始めた。
「づがざざぁん……どうして私だけ置いて行っちゃったんでずかぁ……」
「いや、俺も片穂と戦うはずだったけどさ……」
言い訳をしようにも、片穂に待機の命令をしたのは導華だ。文句をつけられる訳がないし、実際に判断が間違っていたとも思わない。
片穂もそれを分かっているからそれ以上は言わず、一通り泣き終わると司から体を離して頬を膨らませて声を上げる。
「みんないなくなっちゃったのに私だけずっとお仕事してたんですよ‼︎ 薄情です! 冷血です! 残虐非道です!」
ストレスが出しきれないのか、ポコポコポコポコと可愛らしい打撃が司の腕を攻撃し続ける。痛くないし、片穂の気持ちを分かるので動けない司は、助けを求めようと振り返る。
「導華さん……どうすれば……」
「とりあえず慰めて撫でておけ。それでだいぶ良くなる」
(なんか華歩が幸せそうに導華に抱きついてる気がするけど、気のせいだよな?)
「導華ちゃん〜。可愛いよぉ……」
「いい加減離れんかッ! この服を着てやっただけでもありがたく思え!」
(気のせいじゃなかった‼︎)
導華も大変なのだなぁ、と司は今も自分をポコポコと殴り続けている片穂の頭にそっと手を乗せ、撫でてみる。
「よ、よぉ〜し。頑張ったな〜」
「……頑張りました」
(本当に良くなったぞ……⁉︎)
数秒撫でただけで落ち着いた片穂は、ぐすんと鼻水を啜りながら俯いていた。
「なぁ、片穂。少し真面目な話があるんだ」
「……なんでしょう」
「さっき、自分が魔女だっていう人が来たんだ」
司の真剣な声色に即座に反応した片穂は、顔を上げた。
「魔女、ですか?」
「俺たちの知らないことを沢山知っているみたいだった。俺の父さんや母さんのことも知ってるみたいなんだ。この後にその魔女のところまで行くことになるんだけど、ついてきてくれるかな?」
「もちろんです!」
快く、片穂は受け入れてくれた。本当にありがたい。
それから文化祭の時間はあっという間に過ぎて、校内の店を全て閉めるリミット、午後四時がやってきた。
「みんな、お疲れ様だ! 本当にありがとう!」
全ての客がいなくなった教室では、想像を絶する多忙で疲弊したクラスメイトたちが崩れるように座っていた。司もあの後は接客に回っていたため、異常な疲れに押し潰されそうになる体を椅子に支えてもらっていた。
ぐったりと座る司の顔の横にそっとお茶を出して笑いかけてくれるのは、献身的な少女、朱理だ。
「明日も頑張りましょうね。司様」
「明日が終わったら、当分カレーは作りたくないかな……」
朱理も表には出してはいないが、かなり疲れているのだろう。隠しきれない疲労が表情に現れていた。
しかし、そんな多忙に潰れる皆の中で一際目立つのはやはりこの男。
「ちゃんとお店に来てくれた人に人気投票をやってもらってるから、ほらみろ! こんなに溜まったぞ!」
英雄は笑顔で箱をひっくり返し、中に入った紙を出した。司は忘れていたが、確か誉が片穂にいつものように勝負を仕掛ける流れで人気投票をするというものだった。
形式は簡単で、片穂たちにそれぞれ番号が振られており、その番号を帰るときに紙に書いてもらうだけ。わかりやすいように写真を貼ったボードと、片穂たちの胸に付いた番号札で投票しやすく工夫した。
そのおかげか投票数はかなりのもので、余力が残っている生徒が紙の仕分けを始める。
その様子を眺めながら、自信満々な様子で腕を組み、胸を張る誉。
「当然、この私が一番に決まっているわ! この私が天羽片穂なんかに負けるはずがないもの!」
投票の結果が、出た。
「今のところは……片穂ちゃんが一位だ!」
まぁそんなところだろうとは思っていたので特別不思議には思わなかったが、案の定納得のいかない人がいるようで、
「どうして私が一位ではないのかしら! 不正じゃないの⁉︎」
「誉ちゃん。多分屋上で戦っている時に片穂だけ仕事してたからだと思うぞ」
司がそっと囁くと、いかにもな悪人顔をして誉は悪態をつく。
「ちっ……そんなにも票が欲しいのかしら。いやらしい天使だわ!」
(そんな思考回路になるのか。すげぇな)
「とにかく、今日はありがとう! 明日もよろしくな! それじゃあ解散だ!」
パンッ! と英雄が手拍子を打って、今日の文化祭の出し物は終わった。二日間の文化祭のようやく折り返し。様々なことがあったし、まだ何も終わっていない。急に密度の濃くなった人生のスピードに遅れないようにしなければ。
現在の時間は午後四時を過ぎたところだ。これからは皆、自由行動だ。中夜祭に行くも良し。友達と遊んで時間を過ごすも良し。
司にも大事な用がある。だから今からはすぐに学校を出なくてはならない。
魔女。一体どんな未来が待っているのだろうか。不安だ。
司がそっと溜め息を吐くと、その肩に手をポンと乗せて英雄が笑う。
「明日も頼むぜ。司」
「任せとけ。そっちも頑張れよ」
「んじゃ、まだ手伝いが残ってるから、俺は行くわ」
この文化祭で最も多忙な男だ。引き止めずにその背中に「頑張れよ」と一つ呟いて司も荷物を持つ。
帰ろうとする出口には、朱理が礼儀正しく立っていた。
「雨谷さん。明日もよろしくね」
「はい。仰せのままに」
「俺はこれから用があるから、雨谷さんは帰ってゆっくりしなよ。今日は色々あったからね」
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
深く頭を下げる朱理。そして頭をゆっくりと上げると、歩き出そうとする司の背中に「一つ、よろしいですか」と声をかけた。
今まで朱理に引き止められることなどなかったので司は少し速く反応して振り返った。
「魔女には、くれぐれもお気をつけてくださいませ」
「——なんでそれを」
司が言葉を伝え終わるのを待つことなく、再び朱理は頭を下げた。
「それでは、私はこれで失礼させて頂きます」
「ちょっ……‼︎ 雨谷さん!」
足早に去って姿を消した朱理。導華や片穂もいるので、追って遠くにも行けない。
悪魔の力を持つ雨谷朱理。魔女の眷属、初知真里。深い闇が、司のすぐ先で蠢いていた。




