その10「お料理の時間」
各々が自分の作る料理の為に、食材を調理台に運び作業を始めるが、ここでも相変わらず誉は片穂を意識し続けているようだった。
「見なさい! この包丁捌きを!」
「ま、負けないよ!」
荒々しく包丁を食材に叩きつける少女たちを見ている司に、かなりの不安が心を満たす。そして、見かねた司は片穂の頭をコンっと叩くと、
「アホ。危ねぇから刃物使うときはもっと丁寧に使えっての」
「す、すいません……」
「はっ! 恥ずかしいわね。たかが包丁一つも心配されてろくに使えないなんて……」
目を離した瞬間に、勢いあまって最初に指を切ったのは誉だった。
「〜〜ッ!」
傷は深くないようだが、切れ味の良い包丁の為に浅く切れただけで傷口から血が溢れる。
涙目で傷口を抑える誉を見て、英雄はため息を吐く。
「全く。言わんこっちゃない」
英雄はポケットをガサガサと漁りながらうずくまる誉に声をかける。
「誉、大丈夫かい」
「だ、大丈夫よ。これくらいすぐに治るわ」
「強がることねぇって。普通に痛いだろ。ほら、手出せ」
「あ……ちょっと……」
誉の切れた指の手を英雄はそっと取り、ポケットの中から取り出した絆創膏を怪我をした誉の指に優しく巻きつけた。
「一応の応急処置だけど、もっと気をつけろよ?」
巻き終わると勢いよく手を自分の元に戻し、誉は頬を赤らめながら、
「わ、わかったわよ……」
急に口数の少なくなった誉が調理台についてから約三十分。最初に料理を完成させたのは朱理だった。
「司様。完成致しました」
「おぉ。もう出来たの?」
「えぇ。司様に仕える身である以上、料理など出来て当たり前でございますわ」
そう言って既にメイドのような立ち振る舞いを見せる朱理が司の前に差し出したのは、香ばしい匂いを漂わせるカレーライスだ。
「いや、明らかに当たり前のレベルじゃないんだけど……」
一般的なカレーだが、女子高生が三十分強で軽く作るには随分と質が高い。料理を得意とする司でも、これだけのものを作るとすると一時間は簡単に過ぎ去るだろう。
底が見えない雨谷朱理という人物を司は見つめるが、当の本人は可愛らしく笑っている。
「さぁ。食べてくださいまし」
とりあえず「いただきます」と司は一言呟き、カレーを口に運ぶ。そしてもう一口、さらにもう一口。
「うめぇ……! なんだこれ! 普通にうめぇ!」
「光栄でございます。多めに作っておきましたので、もし足りないようでしたら追加もお持ちしますわ」
「雨谷さんって、何から何まで完璧なんだね」
「恐縮でございますわ。私に至らない箇所など数えきれないほどありますから」
謙遜する朱理の後ろ姿を、調理中の片穂が頬を膨らませて細い目で見つめる。
「むぅ〜! 司さん、待っていてください! 私もすぐに作ります!」
「いや、片穂はマジでしっかりと念入りに作ってくれ。本気で」
「はぅ!? なんだか冷たいです!」
ちょっと言いすぎたと思った司は、慌てて優しく取り繕う。
「急いで作った料理より、ちゃんと心の籠った料理がいいからさ」
「そ、そうですか……なら、仕方ないです……」
(俺だけならまだしも、英雄まで殺すわけにはいかねぇからな)
少し落ち込んでいる片穂が、調理に戻ると今度は誉が声を上げた。
「出来たわ!」
「おっ、何作ったんだ?」
英雄が近くと、誉は自信満々の表情で胸を張り、出来上がった料理をどん、と置く。そこに置かれたのは、優しく湯気が上がる日本の伝統料理、味噌汁だ。
「どうかしら! 私が最も得意とする味噌汁は!」
何かを言う前に、司と英雄は味噌汁を飲んでみる。出来は悪くない。しかし、
「……美味しいけど、これを出すのか?」
「なっ、なによ! 何か文句でもあるのかしら!?」
「味はいいんだけど、メイド喫茶で味噌汁ってどうなんだ……?」
「サイドメニューとしては悪くないけど、文化祭で食べるのはなぁ……」
これは当然の疑問だ。わざわざ文化祭に来てメイド服の女の子に味噌汁を出してもらうとはなんとシュールな光景か。悪くはないと思うが、素直に頷くには難しい。
ただ、恐らく誉は文化祭を理解できていない。それ故、誉には二人の会話は不服のようだった。
「なによ。上手く出来てるじゃない」
「上手く出来てるけど……文化祭の出し物だしなぁ」
「だよなぁ。ご飯がメインならまだしも、メイド喫茶で味噌汁はなぁ……」
ふと司が視線を移すと、判断に渋る二人の横で、誉はしゃがんでうなだれていた。
「……別にいいじゃないの、味噌汁だって。美味しいじゃない。私だったら即購入なのに……」
「わかったわかった。検討するから。元気出せって」
可哀想に思えて来た司は、優しく誉に声をかけるが、誉は納得いかないようで司に突っかかる。
「そ、そういえば、佐種司。あなたはどうなのかしら? 人にそれだけ言うのだから、自分もそれなりに出来ているのよね?」
「まぁ、一応完成はしてるけど……」
実は、司もちゃんと料理を作っていた。目についた材料で自分が簡単に作れるものを作ったので、司は出来上がった料理を誉の元へ運ぶ。
「ほい、オムライスだ」
理由は言わないが、何故か週に四回前後オムライスを作る生活を一ヶ月以上続けていたため、司の得意料理はオムライスになっていた。今では三十分あれば余裕で作れる。
男子高校生が作ったとは思えない質のオムライスを目の前に、誉は少し引きつった笑いを浮かべた。
「み、見た目は悪くないようね……でも、あなたみたいな男が作る料理なんてーー」
「司様、大変料理がお上手なのですね。この上なく舌が幸福を訴えておりますわ」
誉が喋っている間に、既に朱理がオムライスを食べていた。
「司の作る飯は美味いからな。ここに司を呼んだのもこのためだし」
「う……」
負けを認めたくない誉は、少し手を震わせながらオムライスを口に運んだ。そして、もぐもぐとオムライスを咀嚼し、誉はゆっくりとスプーンを置く。
「誉ちゃんの舌には合ったかな?」
「……悔しいけど、完敗よ」
「よっしゃ!」
ぐっと拳を握った司の後ろから、突如として禍々しい殺気が襲いかかった。
「お待たせしました!」
「お! 片穂ちゃんも出来たのか! さてさて、司と同棲している片穂ちゃんの腕前はいかほど……か、な……?」
笑顔の片穂が手に持つ料理を見た瞬間に、英雄の表情が固まった。
司の目にも、英雄のこの異常な汗の理由は明らかだ。
「……やっぱり、一人じゃまだダメか……」
期待した自分が馬鹿だったとため息を吐く司に、恐る恐る英雄は問いかける。
「司、これって……なんだ?」
「これな、『おむらいす』っていう食べ物なんだよ」
片穂の手に持つ皿に乗る黒い物体を、司はそう呼んだ。
英雄は眉をひそめた。
「これが……オムライス……だと?」
「いや、『おむらいす』だ。言葉の雰囲気に気をつけろ。同音異義語ってやつだ」
『おむらいす』。それは過去に司が二度と味わったこの世の絶望を詰め込んだ闇の料理。あれ以来、片穂の料理には常に司か導華が付きそうことが暗黙の了解だった。
最近は補助があれば普通に食べれるような料理を作っていたので、そろそろ一人でもなんとかなると思っていたが、まだまだ片穂には努力が必要のようだ。
「なんだよそれ……」
すると、片穂の料理を見た誉が、嘲るように声を上げる。
「はっ! 見るも無惨な料理じゃない! ありえない技術ーー」
「だぁあー! 待て! 待ってくれ、誉ちゃん!」
大慌てで誉の口を手で押さえ、司は誉を部屋の隅まで引っ張る。
「な、何かしら」
「さすがに片穂が可哀想だから、これだけは触れないであげてくれないか。アレは俺と英雄で食べるから」
誉がそっと視線を移すと、嬉しそうな顔で『おむらいす』を持つ片穂が不思議そうにこちらを見ていた。
「……し、仕方ないわね。今回だけは見逃してあげるわ」
事情を察してくれた誉と共に司が戻ると、二人の会話を聞いていた英雄がそっと呟く。
「なぁ、司。俺も食べるのか?」
「なんだよ英雄。俺たち、死ぬときは一緒だろ?」
「俺たちは死ぬのかっ!?」
「どうしたんですか? 冷めちゃいますよ?」
ケロっとした顔で片穂は言った。戸惑いながらも、司は返事をする。
「あ、あぁ……今から食べるよ」
テーブルに置かれた『おむらいす』を司と英雄が見つめていると、心配そうに朱理が声をかけた。
「司様。私もお力添えを致しましょうか?」
やはり料理に秀でた朱理は、食べなくても『おむらいす』の脅威を理解していた。
「雨谷さん。めちゃくちゃ嬉しいけど、これは俺たちの戦いだから」
「……ご武運を」
優しく背中を押してもらった司は、覚悟を決める。
「いくぞ、英雄」
「わかったよ。付き合うさ」
そして、二人は闇に染まる物体を口に運んだ。
「どうでしょうか! 今回はいつもよりも上手に出来たんです!」
「……」
返事はない。無心に、二人は『おむらいす』を食べ続ける。
「えっと……上手に出来たんですけど……」
無視されたことで不安になった片穂の肩に、誉がそっと手を置く。
「カトエル。あなたの料理を二人はあんなに味わってくれているのよ。感想は後でいくらでも訊けるわ。今は食に集中させてあげなさい」
「う、うん……」
スプーンを握る二人の手が震え始めた。変な汗が止まらない。涙まで出そうだ。
阿鼻叫喚を心の中に無理矢理抑え込み続ける二人の元に、朱理がそっと歩み寄る。
「司様。お茶でございます。どうかお身体を大切に。あ、嘉部さんもどうぞ」
お菓子の付録程度にしか思われていない扱いを受けても、英雄は全く言葉を発さず食べる。
そして、最後の一口が、胃袋へと入った。
カラン、と食器の音が部屋に響く。
「ご馳走、さま……でした」
「……」
英雄は、未だに声を出さない。
「どうでしたか!? あぁ。美味しかったよ」
「あぁ。美味しかったよ……」
「本当ですか!? よかったですぅ〜」
「私、感服致しました。山より高く、海よりも深きその度量。やはり司様は運命の人でございます……」
朱理は涙を流して司を讃え、横で吸血鬼に血でも吸われたかのように青ざめた英雄の横に、誉が立つ。
「英雄、よく頑張ったわ。ほら、味噌汁よ。飲みなさい」
「……さんきゅ」
温かな味噌汁で、英雄は少しだけ生気を取り戻した。
「大丈夫か。英雄」
「なんとか……な」
「して、嘉部さん。文化祭ではどなたの料理を使いますの?」
「今回は、雨谷さんのカレーとサイドメニューに誉の味噌汁だ。それでいこう」
一人だけ自分の名を呼ばれない片穂が、悲しそうに英雄を見る。
「あ、あの……私のお料理は……」
「たくさんの人に出すと手間がかかっちゃうから、今回はたくさん作りやすいカレーにしようと思うんだ。ごめんな」
「は、はい……」
司が作った極上のオムライスに一切触れなかったのは、英雄の優しさだったのだろう。それでいいと思った司は何も言わなかった。
横腹を少し左手で軽く押さえて、英雄は立ち上がる。
「じゃあ、材料は明日にまとめて買うから、片付けて教室のみんなの手伝いに行こうか」
「英雄。少し休憩してからでもいいんだぞ」
「心配無用だ。安心しな」
せめて皆の前で格好をつけようと調理室を後にした英雄だったが、程なくしてトイレに走り出したのは、また別の話である。




