その8「凛々しき天使」
帰り道を歩くのは、司と英雄と片穂と誉である。朱理と別れ、会話が途切れたところで、片穂が口を開く。
「そういえば、イーちゃんのお家ってどこなの?」
その質問を聞いた途端、誉は表情を変えてニヤリと笑う。
「ふっ、気になるのかしら? ならば教えてあげるわ。私の家は……」
ビシッと手を挙げて、その方向を指差そうとするが、その手は宙を差したまま揺れ始める。
「私の……家、は……」
「……どこ?」
片穂の質問に、誉は答えることなく自分の記憶を辿り始める。
「えっと、確か、朝は向こうの道を通ったから……」
「……忘れたのか?」
「そ、そんなわけないわ! この私が忘れるわけないじゃない!」
慌てて取り繕う誉を見た英雄は、ふぅ、と息を吐くと司たちに視線を移して、
「司、俺が誉ちゃんを送っていくよ。お前は片穂ちゃんたちと仲良く帰りな」
「いいのか?」
「いいってことよ。任せな」
「悪りぃな。さんきゅ」
英雄は「おうよ」と親指を立てると誉の不安そうな顔に視線を戻して、
「俺が手伝うから、一緒に帰ろうぜ」
「い、いらないわ! 一人で十分よ!」
頑なに帰路を忘れたことを肯定しない誉に、英雄は少し呆れた顔をして、
「……そーかいそーかい。なら一人で頑張っておくれ」
「最初からそのつもりよ!」
ふんっ! と苛立ちを露わにしながらぐるりと回り、誉はそのまま歩き始める。
正直なところ、誉は自分が今どこにいるのかを分かっていない。しかしそう遠くはないはずだ。住んでいる家は覚えているのだから、考えなしでも歩けば帰れるだろうと、だから一人で十分だと、そう思っていたのだが、
「……なんで、付いてくるのかしら」
誉の後ろに付いて、英雄は当たり前のように歩いていた。
「俺もこっちだからかな」
「……そう」
そう言われてしまうと文句の言いようがないので、誉は黙って歩き続ける。もちろん両者の間には沈黙が流れているが、そんなものはこの男には通用しない。
「誉ちゃんって、こっちに引っ越してきたんだよな?」
ズカズカとプライベートな質問をしてくる英雄に、誉は「そうよ」と頷く。
「ってことはマンションに一人暮らしかい?」
「えぇ。そうよ」
誉はもう一度頷いた。
「じゃあ、夕飯とかはどうしてるんだ? 自分で作ってるのか?」
「昨日は近くのコンビニで買った弁当よ。でもこっちに来てからはスーパーで買った食材で簡単に作って済ましているわ」
「なるほどね。引っ越してきてから変わった事とかあった?」
この質問にも、誉は素直に答える。
「特にはないわ。ただ、今朝から大人たちが道に並んでる光景は異様だったわ。何を考えているのかしら」
「ほーん」
「散々訊いておいてなぜそんなにも無関心なのかしら! せっかく答えてあげているのよ!?」
数々の質問をぶつけておいて適当な返事をする英雄に痺れを切らした誉は、鋭い目つきで声を上げた。
そんな誉を、少し騒ぐ子供をあやすように、英雄は肩を掴み、誉の体をぐるりと回す。
「まぁまぁ、とりあえず回れ右だ」
されるがままに今歩いてきた方向に誉を向けると、同じ方向に英雄は歩き始めた。理解のできない行動に、誉はこめかみの血管を浮き上がせる。
「な……っ! 人が話しているのになんて態度なの!? 一体どこに行こうとしているのかしら!」
「どこって、誉ちゃん家だけど」
真面目な顔で、英雄は言った。
「なっ!? なんで……」
瞠目する誉の顔を見た英雄は、歩きながら解説を始める。
「そりゃあ、『近くにコンビニとスーパーがあって、今朝発売のゲームの行列を登校路で見て、一人暮らしに丁度いい大きさのマンション』なんて一つしかないからな。部屋の場所は覚えてるだろ?」
「あなた、最初からそのためにあんな遠回しな質問を……?」
「まぁね」
爽やかにウインクをする英雄を見て、誉は大きく溜息を吐いた。
「天使もびっくりのお人好しよ。あなたは」
直接聞けばいいだけなのに誉を気遣い、何でもない会話から家を探すという何とも回りくどい方法を使った英雄に、誉は皮肉をこめて言った。
しかし、そんなことを気にかけず、英雄は笑う。
「ははっ。そりゃあいいな。ただ俺がなりたいのは『英雄』だからな」
「英雄……?」
「俺の名前、『英雄』っていうんだ。本当なら魔王倒して『英雄』になるつもりだったんだけど、このご時世じゃ勇者みたいにはなれないからな。せめて人の役に立てるような人間になりたいんだ」
これと同じような言葉を、英雄は以前司に言った。司は「変な奴だな、お前は」と笑っていた。他の学校の友達も皆、笑いながら「頑張ってな」と声をかけていた。
そんなことを思い出した英雄は誉の返事もどうせ皆と同じだろうと、そう思っていた。しかし、
「そう。いいじゃない」
英雄の目を見て、誉は笑うことなく、真顔でそう言った。
「やっぱり変だよな……って、そこは否定しないのかよ!」
冗談だと思われて笑われると思っていた英雄は、予想外の返事に声を上げる。
しかし、その返事にも、誉は真剣に答える。
「もちろんよ。だって、私も同じだもの」
「同じ……?」
「えぇ。誰かの役に立ち、誰かを導く為に、私は生きているのだから」
誉は胸を張り、これ以上ないくらい真剣に、はっきりとそう言った。
「……」
「何かしらその間抜けな顔は。『否定しないのかよ』って、言った方がいいのかしら?」
「い、いや……今までこんなこと言って真面目に聞いてくれた人なんていなかったから、ちょっと慣れてなくてよ」
今まで、この言葉を真剣に受け取ってくれる人などいなかった。英雄は、胸の奥で何かが湧き上がってくるような感覚を覚えていた。
戸惑う英雄の顔を、透き通る誉の双眸が貫くように真っ直ぐ見つめ、はっきりと言葉を発する。
「私は好きよ。あなたのそんな真っ直ぐな心。素晴らしい考えよ。だから、恥じることなんて一つもないわ」
「そう、か」
「一つのことにひたむきに、真剣になれるのは立派な才能よ。その信念、決して無駄にはならないわ」
「それはまた凄い自信だな」
確信を感じさせるような力強い誉の言葉を聞いて思わず溢れた英雄の発言に、誉は大きく頷く。
そして、真摯な眼差しで誉は言う。
「えぇ。たった一人の男に会う為に死に物狂いで努力した、馬鹿で、真面目で、滑稽なほど愚直で、それでいて私よりもずっと強い天使を、私は知っているもの」
「てん……し?」
「単なる比喩よ。真面目に捉えることはないわ」
「そう、か」
まともな返事が、出来なかった。こんなにも堂々と、勇ましく、先程までの戸惑いや、片穂とのやりとりからは考えられない程に凛々しく、目の前の少女は話していたから。
凄いと思った。それと同時に、羨ましいとも思った。自分の信念に、理想に、一切の濁りなく誇りを持っていたから。
「本当に着いたわ。凄いのね、あなた」
「ぁ……」
自分が誉の家へと歩いていることを、英雄はようやく思い出した。
そんな英雄を気にかけることなく、誉は口を開く。
「それじゃあ、私は帰らせてもらうわ。お世話になったわね」
「あ、あぁ」
「精進しなさい。また明日ね、さようなら」
「おう、じゃあな」
軽く手を振った誉は振り返る直前に何かを思い出したのか「あと」と付け加えると、美しい瞳で英雄を見て、
「誉でいいわ」
「へ……」
「呼び方よ。あなた、『誉ちゃん』だなんて呼んでいたでしょう? 『ちゃん』だなんていらないわ。そのまま『誉』と呼びなさい」
「じゃあ……誉、で」
「上出来よ。それじゃ、失礼するわ。また明日会いましょう。英雄」
「おう……」
英雄は家へと歩いていく誉の後ろ姿を見つめながら、軽く頭を掻く。
「調子、狂うなぁ」
いつもよりも少し狭い歩幅で、英雄は自宅へと帰っていった。




