その5「曲がり角で少女と衝突したのならそれは何かの始まる合図」
久しぶりに、司は後悔をしていた。中途半端な善意やその時の感情で頼みごとを受けてはいけないな、ということをひしひしと感じていた。
複雑な表情をしながら、司はゆっくり口を開く。
「なぁ、英雄。これを、運ぶのか?」
「わりぃな、断れなくてよ」
「おかしいだろうが! これは頼まれたってより押し付けられただろうが! なんでも頷けばいいってもんじゃねぇぞ!」
怒鳴りながら司が指差すのは、教室の前に積まれた荷物ぎっしりの段ボール箱。隙間から出ている物を見ると、文化祭で使用する備品のようだった。
英雄によると練習で忙しい運動部の友人が頼みこんできて断り切れずに頷いてしまったらしい。
「そんなこと言うなって。みんなが部活とかで忙しいなら暇な俺たちがやればいいじゃねえかよ」
「あのなぁ……。そんなじゃあお前将来必ず詐欺とか引っかかるぞ」
こんなにはいはいと頷いていては、この男は見知らぬ人に金を貸してくれと言われて素直に貸してしまい、詐欺の被害を被りそうな気がして司は不安で仕方なかった。
「大丈夫だ。そこらの区別はちゃんとするようにしてるさ。俺だって街を歩いてて片っ端から手伝うような事はしないさ。でもここは学校だろ? 学校で知り合いに頼まれたら引き受けたくなるもんさ」
「俺は全く思わないけどな。家でのんびりしてたいよ」
「ははっ。違いねぇ。でも、俺の名前は『英雄』だ。親が折角『英雄』って名前を付けてくれたんだ。俺はそれに恥じないようにしたいんだ」
これだけふざけた行為を繰り返すおちゃらけた男でも自分なりに信念があり、それを貫こうとしている。だからこそ皆から信頼される男であるし、司も共に過ごしている訳なのだが。
「やっぱり変な奴だな、お前は」
「よく言われるよ」
互いに微笑した後に、司ははぁ、と息を吐いて重量感のあるダンボールへと歩みを進める。
「じゃあぼちぼち運ぶか。これを多目的室でいいんだよな?」
「あぁ。サッカー部がお化け屋敷をやるんだってさ」
「そーかいそーかい。よっと」
体力があるうちに多めに運んでおこうと司はダンボールを二つ自分の腕に積み上げて荷物を運んでいく。
頼まれた仕事は荷物を運ぶことだけ。ただそれがどうにも苦労するもので、二往復してようやく運び終わる。
普段は使わない腕の筋肉の疲労を感じて二の腕を軽くマッサージしながら司は言う。
「まだ、あるんだよな?」
「次は野球部の売店用の内装道具だな」
「……りょーかい」
さっさと仕事を終わらせて自分のクラスの作業をしなければならないので、司は足を止めずに次の仕事へ向かう。
着いた先には先程と同じようにダンボール箱が積まれていた。ふぅ、と息を吐いて、司はダンボールを抱え込む。
「これだな。んじゃ、行くか」
早く終わらせたい司は、疲れが溜まる腕をトントンと叩きもう一度二つダンボールを持ち上げて運ぶ。
若干前が見にくいが、これで往復回数が減るならばこっちの方がいい。司は足元に気をつけながら階段を下っていくが、
「やべ、落としちまった」
「大丈夫か?」
「あぁ、先行っててくれ」
足元に注意を注ぎすぎたために、積んだダンボールを落としてしまった。床のダンボールを持ち上げるという苦行をもう一度行うと思うと、司の口から溜息が溢れた。
「あいつもよくこんな事するよ。全くさ」
ボヤきながらダンボールを持ち上げ、先に行った英雄を追うために司は少し歩く速度を上げた。
そして、曲がり角を右折した時、事件は起こった。
「きゃっ!」
「うわ! ごめん! 大丈夫?」
不覚。自分の注意がいかに散漫しているかが悔やまれた。少し速歩きをしていたので、ぶつかった少女だけが倒れる形となってしまった。
司は荷物を床に落として慌てて衝突した少女へ声をかける。
「い、いえ……私も不注意でしたから。申し訳ありません」
勢いよく尻餅をつき、その場に座った状態となった少女は、腰を軽く撫でながら答える。見た限り怪我はしていないようなので、それは不幸中の幸いだった。
「荷物ががっつり当たったけど怪我とかない? どっか痛かったら言ってくれな」
「大丈夫ですわ。驚いて倒れてしまっただけですから……」
「よかった。本当にごめんな」
改めて無事であることを確認して、司は安堵の息を吐きながら少女に手を差し出す。
「ありがとうございます」
司の手を借りて、少女はゆっくりと立ち上がった。倒れた時は焦ってよく見ていなかったが、目の前に立つ少女は高校生とは思えないほどに大人びた雰囲気を纏っており、滑らかに赤味がかった黒に染まる長髪と少し垂れ気味の目尻が和風的な美を司に感じさせた。
身長も女子にしては高めで、手足は細長く片穂とは違ったスタイルの良さを伺わせた。
想像以上に均整のとれた美に司が見入っていると、なかなか後ろを付いてこないことに気づいた英雄が引き返してきた。
「おーい。司! どうした?」
「いや、女の子とぶつかっちゃってな」
軽い返事を司がすると、少女は突然目を丸くする。
「つかさ……? 今、司、と仰いましたか?」
「え? まぁ、司は俺の名前だけど」
「それでは、もしかして……佐種司、というお名前ですか?」
「そ、そうだけど……」
英雄ならばまだ分かるが、自分が見知らぬ少女から名前を覚えられるほど有名になった覚えはない。ここまで綺麗な少女ならば一度会ったなら記憶には残っているはずであるし、何かと疑問が多い。
もちろん英雄もこの少女と初対面らしく、不思議そうに首を傾げる。
「なんだ? 知り合いなのか?」
「いや、会ったことないよ。これが初対面――」
「はい! 初対面ですわ! でもそんなこと関係ありませんの!」
先程の声とは打って変わった明るい声で、司の言葉を遮り、少女は司の手を両手で掴んだ。
「……え?」
司には全く理解できない光景だった。片穂以外に司をこんな輝いた目で見つめる双眸などかつてあっただろうか。
司は少女が向けるこの視線の理由を考えるが、思考が追いつかずに呆然と少女を見つめる。
間抜けな顔を見せる司など気にかけずに、少女は溌剌とした声で続ける。
「私、あなたを、佐種司様を、ずっと探しておりましたの!」
「司……様?」
訳が分からない。司様だなんて呼ばれたことなどないし、こんな少女に探される覚えもないのだ。
巨大な疑問符を浮かべる司に、少女は畳み掛けるように詰め寄る。
「はい! あなたは、私が探し求めていた運命の人なのですわ!」
「……へ?」
遂に、司の思考回路がオーバーヒートし、機能を止める。『運命の人』だなんて、そんな言葉をこの耳で聞くことになるとは思いもしなかった。
少女は司の手を離してゆっくりと二、三歩下がると、上品な立ち振る舞いで、
「私、雨谷朱理と申します。この私を、司様のお側に置いては頂けないでしょうか?」
雨谷朱理はそう告白し、まるで服従を誓うかのように深々と頭を下げた。




