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俺と天使のワンルーム生活  作者: さとね
第三章「不屈の英雄に最高の誉れを」
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序章「誉れ高き天使」

 蝉が鳴き始める季節になった。もうすぐ七月が始まろうとする日曜日の昼。少し暑くなってきているが、佐種司の家では節約のため体の限界ギリギリまでクーラーは使わないことになっているので、カラカラと扇風機の風を送る音が部屋に響いていた。


「暑いですねー」


「暑いのぉ」


「アイス、食べたいですね」


「アイス、食べたいのぉ」


 鏡に話しかけているのかと思うほどに同じ言葉を司に返すのは司の体育着を着てダラダラとテレビを見ている小さな天使、天羽導華である。そしてこの部屋にいるのは今、情けない声を出している二人だけ。肝心の妹はと言うと、


「片穂にアイス、頼めばよかったですね」


「片穂にアイス、頼めばよかったのぉ」


 天羽片穂はいつも司と行っている買い物を「今日は一人で行かせてください!」と司に訴えかけてきたため現在夕飯の買い出し中である。今週はクラスメイトの梁池華歩の引っ越しのために荷物を運ぶのを手伝っていたため、買い物に行く時間が少なく、週末となった今、冷蔵庫の中はすっからかん。為す術なしのまま二人はテレビを見ていた。


「そうだ、どうせ暇だから勉強教えてくれませんか。俺、数学が苦手で」


 司の通う学校では、七月一週から二週にかけて文化祭、そして夏休み直前の三週で期末試験という密度の濃いスケジュールのため、文化祭を楽しみすぎると期末試験で痛い目を見てしまう。それ故、テスト勉強はこの時期からやっておかないと後が苦しくなるのだ。


 気怠るそうに背伸びをしながら、皮肉たっぷりの言葉で導華は返事をする。


「仕方ないのぉ。あまりに暇で精神が崩壊してしまいそうじゃから渋々お前に数学を教えてやろう。どこじゃ」


「ありがとうございます。えっと、ここなんですけど」


 導華の言葉に一切動じずに、司は鞄から教材を取り出して導華に見せる。司が開いたページを見せると、導華は少しだけ考えてから口を開く。


「ふむ。……四分の一じゃな」


「……へ?」


「なんじゃ。この範囲でのSの最小値じゃろう? 四分の一じゃ」


 確かに、答えは合っている。合っているのだが、それは司の求めている解答とは全く違う返答である。答えよりも、過程が知りたいのだ。この小さな脳で理解しきれないこの数式の過程を。


「あの……できればどうしてその答えになるのかを訊きたいんですけど」


「見ればわかるじゃろう? これぐらいならば少し考えればわかると思うが」


「少し考えて、分からない場合はどうすればいいですかね」


 司はすっかり忘れていた。天羽導華は、紛うこと無き天才なのだ。天使としても、人間としても。だから、幼き日の天羽片穂の心が一度は折れてしまったわけで。


 しかし、今の導華は他人の心を理解しようとする。たとえそれが、才能の無い人間だとしても。


「仕方ないのぉ。面倒じゃが、書いて説明しよう。紙はあるか?」


「あ、はい」


 司が白紙の紙を導華に渡すと、導華は問題にあるグラフを綺麗に書き、説明を始める。


「よいか。まずはの……」


 これでもかというほどに、導華は初歩の初歩から説明を始める。しかし、それは司の頭の中で絡まっていた糸を解くように、スルスルと理解でき、あっという間に回答へと辿り着く。


「……これで、回答じゃ。どうじゃ、分かったか?」


「導華さんって、教えるのも上手なんですね。完璧に分かりました」


「なに、頭の中の情報を下から順に話しているだけじゃ。どうってことないわ」


 そもそも、頭で理解していることを分かりやすく人に伝えると言うことが難題なのだが、それは導華にとっては全く障壁になっていないようだった。


 苦手だった数学が流れるように理解できた司は、今まで感じた事のない小さな興奮を覚え、さらに導華に質問をしようとページをめくる。


「えっと、じゃあ……ここなんですけど――」


 そう司が導華の前に教材を置いた瞬間に、部屋に高い機械音が鳴り響いた。それはインターフォンの音。恐らく、片穂が帰ってきたのだろう。


「帰ってきたみたいですね」


「片穂にしては少々早い気もするが、あいつも成長したということじゃろうな」


 少し小馬鹿にした導華の言葉を聞きながら、司は玄関のドアを開ける。


 片穂の荷物にアイスが入っていたらいいなと思いつつ、司が口を開き始めた瞬間だった。


「久しぶりね! カホエル!」


「……へ?」


 そこにいたのは片穂ではなく見知らぬ少女。歳は司たちと変わらないだろうが、片穂よりも少しだけ小さい体を大きく見せようと精一杯胸を張って自信に充ち溢れた表情で声を上げた。


 現状に全く理解が出来ない司から間抜けな声が漏れたが、胸を張った勢いで上を見ていたので、見知らぬ少女は司の存在に気付いていないらしく、そのまま司に対して溌剌とした声を投げかける。


「天界では私よりもほんの少しだけ優秀だったようだけど、ついに私も下界に降りる事が許されたわ! 今まで散々調子に乗っていたみたいだけれど、これからはそうはいかないわ! 今こそ、この天使イドミエルが瞬く間にあなたを抜かして――」


 言葉が止まったのは、指を差そうとして目を開いた時だった。


「……誰よ。あなた」


「……えっと、佐種司って言います」


 少し黙ってから、自分が人違いをしていたことに気付いた少女は冷や汗を流し始める。


「ここって、カホエ……。天羽片穂の家ではないの?」


 天使の名を使ってしまったことに途中で気付いたのか、少女はほぼ片穂の天使としての名前を言いきってから訂正を加えた。


「確かに片穂はここに住んでるけど、そもそもは俺の家なんだけど……」


「な……? じゃあ、天羽片穂は……?」


「今、夕飯の買い出しに行ってるけど……」


「な、なな、い、一体どういうこと!? なんで普通に人間の家に住んでるのよ! あんたは一体何者なの!?」


 驚くのも無理はない。そもそも天使は人間とは必要以上に干渉しないのが通常であるのだから。友人としてとならばまだ理解ができるが、同居という状態はその理解の範疇を超えてしまっているのだろう。


 会話の中身からして、この少女もきっと天使なのだろう。ならば、司と片穂の関係は一言で伝わるはずだろう。


「えっと、天羽片穂の『契約者』って言ったら伝わるかな?」


「け、契約者……ですって?」


 目を丸くして驚く少女だが、このまま玄関で大きな声を出されても困るので、司は扉を大きめに開いて、


「片穂に用があるなら、俺の家で待つ? もうすぐ帰ってくると思うけど」


 少し戸惑った表情を浮かべた少女だったが、数秒の思考を経てからゆっくりと口を開く。


「……お邪魔するわ」


「あ、家には来るんだね」


 思いの外、少女が家に入ることに躊躇がなかったので、司は少し意外そうな顔をして呟いた。しかしその言葉は少女の癪に障ってしまったようで、


「何よ! 折角ここまで来たのに何もせずに帰るのが癪なだけよ! 文句あるの!?」


「いや、ないけど……」


「なら、とっととその薄汚い扉を開けるといいわ!」


 悪態をつき続ける少女に、司は少し呆れながらも招き入れるように扉を開く。


「……じゃあ、どうぞ。えっと、片穂の友達でいいのかな?」


 司がそう言うと、ピクッと少女は反応して凛とした表情で胸に手を当てて声を上げる。


「友達なんかじゃないわ! よく覚えておきなさい、契約者! 私は天羽片穂のライバル、進撞(しんどう)(ほまれ)よ!」


「あ、そう。よろしくね。誉ちゃん」


 あれだけ天使だの悪魔だので苦労した今、天使の一人ぐらいで司は驚いたりはしないのだが、


「な、何よその反応! もっと驚いたりしたらどうなの!」


 素っ気なく返事をした司の態度が気に食わなかったらしく、誉は声を荒らげた。ただ、その声はマンションの玄関で出すには大き過ぎたため、司は口にピンと立てた指を当てる。


「ちょっ……。ここ玄関だから少し静かに! 近所迷惑になっちまう」


 周りを見回しながら司が言葉をかけると、誉は迷惑にならないように小声で文句を言う。


「な、ならさっさと入れなさいよ! あなたがノロマなのが悪いんじゃない!」


「わかった。わかったから早く入ってくれ」


 扱いに苦しみながらも、司は誉を家へと入れる。自室に入ってくる誉を見ながら、司は大きく溜息を吐く。


(天使っては、こんなにもキャラが濃い人ばっかりなのか……?)


 なんだかまた何か色々と大変なことがありそうだと、危険を察した司の心が叫んでいる気がした。


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