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俺と天使のワンルーム生活  作者: さとね
第二章 「華へと導き、華へと歩く」
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番外編「己との闘い(物理)」

番外編です。本編とは微塵も関係ありません。そしてこれ以上ないくらいに真剣にふざけました。よろしくお願い致します。

 高校二年生、佐種司はバイトをしている。何の変哲もない、コンビニのバイト。勤務時間もそこまで長くない。生活費外の小遣い稼ぎのために週三で夕方五時から夜十時までの五時間。いたって普通のバイトである。


 現在時刻は夜十時を回ったところ。自転車で五分ほどで着く場所なので、バイトが終わってからすぐに帰宅できる距離だ。


 司は運動部に所属していないため普段自分の住んでいるマンションでの移動は最低限の運動のために階段を使っている。しかし、今日に限って司は珍しくエレベーターを使っていた。特別な事情はないのだが、少し階段を使う気になれなかったからだ。


 急いでいるのか、司はエレベーターの中で軽く足踏みをして自室のある階に着くまでの時間を過ごす。


 数秒ほどで扉が開くと、司は歩くとも走るとも言えない絶妙な動きで自室の前まで行き、既にその手に用意されている鍵を鍵穴に差し込んで扉を開ける。


「ただいまー」


「うむー」


 司の気の抜けた帰宅の声に返事をしたのは、だらだらと足を伸ばしてテレビを見ていた天羽(あもう)導華(とうか)だった。普段なら片穂も「おかえりなさい!」と声をかけてくれるのだが、既に寝ているのだろうか。導華以外の声は聞こえない。


 しかし、司は片穂の姿を確認することなく玄関の扉を開けてすぐ左にある扉のドアノブに手をかけ、ガチャリと開く。


「…………はぇ?」


 なんとも言えない情けない声が聞こえた。


 そこにいたのは、入浴のために衣服を脱ぎ、肌を露出させた天羽片穂。ちょうどこれから入浴だったらしく、片穂が普段自分の部屋着にしている司のジャージを畳み、その上に下着を置いた瞬間に、司は扉を開いたのであった。


 そう、下着を置いた瞬間だった。つまり、今の片穂は何も身につけていないゲームの初期アバター以下の、いや、むしろ課金をしなければならないような状態で。


 目の前に映るのは、片穂の顔と、肩と、胸と、腹と、腰と、そして、そして――


「…………ただいま」


 何を言ったらいいのか分からなかった司は、頬を赤らめながらもとりあえずこう言ってみた。しかし、まだ入浴すらしていないのに司よりも火照ったような顔をした天使が目の前にいて、


「こ、こんな所まで言いに来なくて大丈夫ですっ!」


「へぶぅ!」


 司の頬に、電気が流れたかのような衝撃が走った。


「お、乙女の入浴を覗くだなんて……は、は、はれんちです!」


 バタンッ! と大きな音を立てて片穂は扉を閉めた。その大きな音に気付いた導華は、ポカンと呆けた顔をした司に問いかける。


「なんじゃ、騒がしい」


「片穂って、いつもこの時間に風呂入ってましたっけ……?」


 ヒリヒリと痛みが残る頬をさすりながら、司は返事をした。


「あぁ。今日は司がバイトじゃから夕飯を作るなどと言い出してな。さすがに疲れた司に片穂の料理を食べさせるわけにもいかんからワシも手伝ったんじゃが……」


「まぁ、この時間までかかりますよね……」


 未だに片穂に一人で料理を作らせると、魔界から産地直送されたような人智を超えた『何か』が生産される。なので片穂が料理を作る時には必ず導華か司が隣にいることが二人の間での暗黙の了解になっていた。


 ただ、想像の通り、料理を作る時に片穂がいると効率が落ちることは必然である。あの優しい梁池華歩も苦笑いしてそれ以上は何も言えないほどの腕前である。面倒見のよい司や導華でなかったら今頃片穂は食材に触れる機会さえないだろう。


「司もよく片穂の手伝いを拒まずに毎日料理を出来るのぉ」


「なんとなく片穂にやらせていいこととダメなことがわかってきたんで、慣れちゃえば全然大丈夫ですよ」


「そんなものかのぉ」


「はは……そうですね」


 こんなことを言っているが、実際司はこんな片穂に心を奪われているわけで。詰まる所、佐種司は隣で笑って料理を作る片穂を見ると怒る気を失くしてしまうような甘い男なのである。


 軽く笑いながら、司は導華がテレビを見ている横でベットに腰掛ける。


 こんな話をしてはいたが、現在、司はとてつもない境地に立っていた。そもそも、片穂がこの時間から風呂に入っているということが誤算だった。暑くもないのに司の頬には冷たい汗が流れる。少し深めに呼吸をすると、頭を抱えて司は考え込む。


 なぜ、こんなにも司が苦しんでいるのか? 答えは、至極単純である。




 ――――トイレに、行きたい。




 こういうと行けばいいじゃないか、と返答がくるだけではあると思うが、その問いの答えは至極複雑なのである。司の住むこの部屋はワンルームマンション。そして、最初にここに来た時は天使二人と同棲するなどと夢にも思っていなかったわけで。


 この部屋には、扉は二つしかない。一つは家に入る際に司が開けた玄関の扉。そして、もう一つは先ほど司が開けてしまった桃源郷への扉。この二つだけである。これが何を意味しているのか。


 そう、ユニットバスである。


 通常、日本ではトイレと風呂場が別れた作りになっているのが主であるが、ワンルームにはしばしばトイレと風呂場が一つになったユニットバスと言うものが見られる。


 それでも、トイレと風呂場の間に壁があればこんなことにはならなかった。しかし、もう一度言うが、この部屋には扉は二つしかない。そして片穂と先ほどの事があった以上、片穂は扉の鍵をかけてしまっているだろう。


 正直な所、今日は一日中便意との闘いだった。最初に腹がそれを訴えてきたのは昼を過ぎたころだった。弁当を食べ終わった辺りで腹痛を覚えた司は、昼休みがもうすぐ終わりそうなので一度授業を挟んでからトイレへ行こうと考えた。しかし、それが失敗だった。


 休み時間に数学が分からないと片穂に捕まり、最後の授業である体育では何故か部活に入っていないからと英雄と共に片づけを任され、それからバイトに間に合いそうにないからと間髪いれずにコンビニへと行ったのだ。


 最悪、バイトの合間にでもトイレに行こうとでも思っていた。しかし、何故か今日は客が多く、司をレジから解放してくれない。そして結局トイレへと行けないままバイトが終了した。そのままトイレへ行けばよかったのに、何となくバイトが終わった瞬間にトイレ入ることを気不味く感じた司はそのまま帰宅することを選んだ。


 そして、現在に至る。


 司は腹痛を耐えながら頭を抱え込む。


 今日は何かと運が悪かった。学校やバイトでトイレに行けなかった時点で気付くべきだったのだ。しかし、無駄に近い家と、ほんの少しの羞恥心が為に、司は判断を誤った。


 悪手。司の選択は悉く悪手だった。


「どうした。なんだか体調が良くないようじゃが」


「い、いえ……少しバイト終わりで疲れが溜まってるだけですよ」


「そうか。ならば早めに飯を食べて寝るといい。今日はベッドをお前に譲ってやろう」


「あ、ありがとうございます」


 激しい腹痛で血の気の引いた司の表情に気付いた導華は心配そうに司を見つめる。


 とてもありがたい。身に染みるような優しさなのだが、今それを喜ぶ暇はない。


 まずは、この状況を打開できる方法を探さなくては。


 司は考え込む。悠長に待っている暇はない。だがしかし、動くのなら早いほうがいい。


 司が危惧していること。それは、自分がどれだけ扉が開くのを待つか、ということである。単純に片穂が出てくるのを待てばいい。そういう分には簡単なのだが、司は身を持って知っている。


 片穂が着替えの途中だったことを。


 そう、まだ片穂の入浴は始まってすらいないのだ。だとすれば待ち時間は一時間弱。もうそんな時間を待つ余裕は司にはない。いっそのことコンビニまで戻ってしまうか。いや、今から下へ降りて自転車を五分間も漕ぐのはあまりにもリスクが高すぎる。


 しかし、先ほど司が扉を開けてしまった時に片穂が鍵を閉めてしまっていたら、選択肢はこれしかない。


 そう思った司は立ち上がり、手を洗うふりをして扉の施錠を確認する。


(鍵が……まだ開いている……っ!)


 まだ、希望は消えていない。この闘いは、全てこの部屋の中で完結する。


 これ以上ないほどに、司は脳を回転させどのようにこの桃源郷へと入るかを考える。


 ここで、司の脳裏に浮かぶ一つの記憶。


 導華が初めて司の家に来た時、導華は恥ずかしがる素振り一つせずに服を脱ぎ捨て風呂場へと歩いていた記憶だ。


 導華は、そもそも裸になることに躊躇がないのだ。ならば、もし風呂場へ入ったのが気付かれたとしても、特に導華は言及しないはず。ならば、


(行くしか、ない……!)


 そう思って、司がドアノブに手をかけた瞬間だった。


「最近はこんなにも変態が溢れておるのか」


「へぁっ!?」


 いつか出た時と同じくらいに情けない声が部屋に響いた。


 ただ、驚いたのは導華も同じだったようで、


「な、急になんじゃ! 驚かせおって!」


「い、いえ。導華さんが何か言ったのが聞こえたので」


 司が冷や汗を流しながら答えると、導華は顎でテレビを指す。


「ニュースで痴漢やら下着泥棒などが特集されておってな。こいつら、男のくせにちっぽけなことをしおってからに。ワシはこういうねちねちしたのが一番嫌いなんじゃ。男ならもっと堂々とせんか」


「で、ですよねー」


(なんでこんな時間にそんな特集やってんだよ……っ! タイミングが悪すぎる……!)


 そして、これでトイレへ忍び込む計画は不可能ということになった。それはつまり、


(待つしか……ない)


 四面楚歌。八方塞がり。完全な司の詰みである。

 

 さらに、先ほど上げた奇声によって司の防波堤は決壊寸前。いつ崩壊してもおかしくないほどの濁流が押し寄せていた。


 血の気が引いていくような腹痛と、額から流れる冷たい汗が止まらない。


「司よ。ちと肩を揉んでくれんかのぉ」


「あ、はい。いいですよ」


 冷静を装いながら、司は導華の肩を揉み始める。もしこれでうたた寝でもしてくれれば儲けものだ。司は下半身に必要以上の刺激を与えないように丁寧に導華の肩に刺激を与える。


「はぁ〜。気持ちいいのぉ。お前も随分と上手くなったではないか」


「勘違いされそうな言葉遣いはやめてくださいってば」


「はっはっは! 気にするでないわ!」


「は、はは……」


(笑えない。笑えないですよ、導華さん……っ!)


 数分肩を揉んだところで、気分が良くなってきたのか導華はゴロンとうつ伏せになると、可愛らしく笑いながら司を見て、


「そうじゃ、最近は腰も悪くてのぉ。少し踏んでくれんか?」


「……え?」


 一瞬、言葉が理解できなかった。


「なに、軽く片足で踏んでくれればよい。これでもか弱い乙女じゃからの。丁寧に扱ってくれ!はっはっは!」


「……はい」


(この状態で足を上げて、腰を踏む……?)


 危険だ。あまりにも危険だ。もし導華の上に乗っている最終に限界を迎えたら……? そうなれば司と天使のワンルーム生活はある意味終わりを告げるだろう。しかし、彼女たちは優しい天使たちだ。きっと笑って水に流してくれるだろう。


 だが、今、司が水に流したいのは、そんな恥ではない。この溜まりに溜まった汚物を一刻も早くこの腹から捨て去らなければ。


 肩を揉んでしまった以上断ることが出来ない司はゆっくりと導華の腰に足を置く。


「ぐっ……!」


 普段歩くよりも高く足を上げなければならないこの動きは、司の限界点を刺激し続ける。


(片穂……早く…………っ! 早く出てきてくれ……!)


 そして、ひたすらに我慢を重ねてからさらに数分が経った辺りで、恍惚とした表情で導華は声を上げる。


「ほぁ〜。御苦労じゃったな。もうよいぞ」


「……はい」


 気持ちが悪い。出てきそうなのは下半身からであるのに、口からも何か別の物が出てきてしまいそうな気がした。


 ゆっくりと司はベットへと腰を下ろし、深呼吸をする。司の頭に衝撃が走ったのは、その時だった。


(待てよ。もしかして……)


 司はある事に気付く。導華はあの時、覗きや痴漢をちっぽけな行為として弾糾していた。それはつまり、つまりだ。


 司は静かに立ち上がり、胸を張って導華に対して一言を明瞭に、凛々しく言い放つ。


(今、俺が取るべき最善の一手、会心の一撃は……!)


「トイレに、行ってきます」


 ちっぽけな行為がいけないのならば、これ以上ないほどに、堂々とトイレへと行けばよいのだ。


「そ、そうか」


 まるで悪魔を前にしたかの様な司の気迫に、導華は戸惑いながらも頷いた。


(そうだ。これが、正解だったんだ。迷う必要なんて、なかったんだ)


 修羅場をくぐり抜けてきた猛者の様な立ち振る舞いで、司は一歩ずつ片穂のいる桃源郷へと近づいていく。


 そして、司はドアノブに手をかける。これで、第一関門突破だ。そして、さらなる難所が待ち構えている。


 ゆっくりと、司は扉を開いた。少しばかりの湯気を含んだ熱気と石鹸の匂いが司の体を包む。司が視線を左へと視線を移すと、カーテンの先でシャワーで体を流す天使の影が見えた。幸い、扉が開いた事には気づいていないようだった。


 そして、前を向いた司の先に見えるのは、白く輝くオアシス。この場所に座るために、一体どれだけの忍耐を要したことか。


(この闘い……俺の勝ちだッ!)


 勝利を確信した司は、目にも止まらぬ速さでズボンを脱ぎ、安楽の地へと腰を下ろした。


 臀部が便器に触れた瞬間に、役目を終えた防波堤たちが立ち所に崩壊し、解放されたダムのように濁流が司の体から流れ出す。


 今までの苦労を労うかのように、快楽が全身を駆け巡った。涙が出るかと思うほどに、安堵が司の心を満たした。


 そして、司はトイレットペーパーをいつもよりも多めに取って、汚れを落としていく。


 そして、全ての作業を終えて今まで闘いを続けていた外敵を見下ろし、司は別れを告げる。


「じゃあな。楽しかったぜ」


 司は真剣な表情で、レバーを下ろした。


 勢いよく大きな音を立てて、水が全てを流していく。大きな、音を立てて。


「…………司、さん?」


 そう、隣でシャワーを浴びている片穂に聞こえるほどの、大きな音だった。


「…………夕飯、作ってくれてありがとな」


「だ、だだ……だから……」


 顔を真っ赤にさせた片穂は、大きくその手を振りかぶって、


「こんな所にまで言いに来なくていいって、言ってるじゃないですかっ!」


「へぶぅ!」


 水浸しの掌から繰り出される平手打ちは、前回の一撃よりもさらに強烈だった。


 再び頬を抑えて扉から出てきた司を見て、さすがの導華も動揺しながら、


「今度は、どうした……」


「名誉の、負傷です……」


 今日の夕食である司への愛情が籠もった片穂の手料理は、ほんの少しだけ鉄の味がした。

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