幕間「悪魔の世界」
この世には、複数の世界が存在する。人間たちなどの下位生物の住む世界、それを下界と呼ぶ。天使や神の住む世界、それを天界と呼ぶ。そして、その対極にあるのは悪魔の住む世界、それを魔界と呼ぶ。
その魔界の中心にある巨大な城に、魔王と呼ばれる存在が堂々と座っていた。
それはまさしく闇そのもので、その禍々しさは周りに立つ悪魔とは一線を画していた。
魔王を囲む存在も、それぞれが莫大な力を秘めている。その存在の一人が、静かに座る魔王に向かって荒々しく声を上げる。
「おいおいサタン様よぉ。今回はやけに出席率が低いじゃねぇか」
声を上げたのは鋭い目つきをした男のような悪魔。服装はやはり黒一色だが、その装いは若い男性に近いものがある。
悪態をつく悪魔に向かって声をかけたのは、凛と立ち、落ち着いた雰囲気を纏う悪魔。闇を纏ってさえいなければ、騎士にも見えるような外見だ。
「口を慎め、ベリアル。今は忙しい時期だ。皆、別にやることがある」
ベリアルと呼ばれた悪魔は、自分の言葉遣いを指摘してきた悪魔にも攻撃的に叫ぶ。
「はっ! 失笑だな! アザゼルがバックれた上にアスモデウスがやられたらしいじゃねぇか! 余裕かますには少し無理があるんじゃねぇのかぁ? ぁあ!?」
ただ、その威勢は、魔王の言葉による重圧によって掻き消された。
「……少し、静かにしてくれ。まだ、完治してないんだ。傷に響くだろう」
怒鳴るわけでも、威圧するわけでもない。それでも、べリアルはその言葉から感じる悪寒に身震いした。王の声で静まりかえる空間の中で、べリアルは小さく返事をする。
「……了解」
そんな静寂に包まれた中で口を開いたのは、背丈の小さい幼女。悪魔ではあるのだが、その容姿は明らかに小学校に入学したての子供のような見た目で、身に纏う漆黒の衣も袖がかなり余っており、手は完全に隠れていてさらに腕半分ほどの長さが余っていた。
その余らせた袖を、悪魔は軽く振りながら、
「…………でも……こっちが不利になってるのは……ほんと、だから…………それは、どうするの?」
雨上がりに滴り落ちる水滴のように途切れ途切れの小さい声で、幼女のような悪魔はサタンに声をかける。
「事は全て順調に進んでいる。心配は、ない。アザゼルも好きにさせておけ。アスモデウスも、充分に働いた」
「…………なら、いいや……」
あまり興味がないのか、疑問が解消されると悪魔はそれ以上は問いかけることなく口を閉じた。
「バアル。『鍵』は、どうなっている」
「『深淵の牢』で私が厳重に管理しております」
鉄仮面のように固めた表情のまま、バアルと呼ばれた悪魔は魔王の問いに答えた。
「そうか。引き続き、任せた」
「はい。了解致しました」
バアルは機械のように固まった動きで少しだけ礼をして一歩後ろへと下がると、その体を闇が包み込み、音もなく姿を消した。
その姿を見て、幼女のような悪魔はモジモジと落ち着かない様子で口を開く。
「……えっと…………私は、何……すれば、いい?」
「下界に『大器』がある。それを、回収してこい」
「『大器』って……アスモデウスを…………やった……人?」
悪魔は大きく首を傾ける。
「……そうだ。まだ時は満ちていないが、アスモデウスが消された以上、早めに手を打たねばなるまい」
魔王の言葉に、悪魔はコクリと頷いて、
「……じゃあ…………とりあえず、様子見? してみるね。……どれくらいまで…………壊して、いい?」
「命と四肢が残っていればどれだけ傷つけても構わん。お前の好きにやれ」
「……うん。じゃあ…………教会……から…………何人か、送ってみる、ね」
そう口にして悪魔は振り返るが、その背中に念を押すように魔王は呼び止める。
「アスタロト。誤って『大器』を殺してしまえば、また振り出しだ。くれぐれも、命だけは残しておけよ」
「…………わかった。……気を、つける」
アスタロトは、そう小さく呟いてバアルと同様に煙のように姿を消した。
そして、この空間に残った悪魔は、魔王サタンと悪魔ベリアルのみ。沈黙が流れ始める前に、ベリアルは一歩前へ出る。
「おい。俺は、どうすりゃいい」
「お前は、まだ動く必要はない。いつも通り、悪意の回収をしてくれ」
具体的な命令が前の二人に出されていた分、粗末に扱われた気分になったベリアルは、苛立ちを露わにする。
「おいおい。あんたの養分を回収すんのもいい加減飽きてきたんだ。俺にも何か殺させてくれよ」
「……退屈か。ならば少し、別の指令を出そう」
「話がわかるじゃあねぇかよ。さぁ、俺は誰を殺せばいい?」
「新しい、仲間がいる。その者と連携して、少し動いてもらいたい」
一瞬喜びに表情を染めたベリアルだったが、予期せぬ魔王からの答えによって、その表情は落胆に変わる。
「……はっ! 今更新入りの悪魔なんて必要ねぇだろ。こんな時期に理解ができねぇな。俺一人で充分だ」
「事はそう、単純ではない。……入れ」
魔王が声を出すと、奥の空間からコツコツと音を立てて一つの影が歩いてくる。
声を発する事なく静かに歩いてくるその影の正体をベリアルが見た瞬間に、その目は驚嘆に丸くなる。
「おい、これは……どういうことだ?」
「見ての通り、私たちの新しい仲間だ」
戸惑うベリアルに対して、魔王は淡々と答える。ようやくその事実を受け入れたのか、ベリアルは口角を少しだけ上げて、
「…………なるほど、な。こりゃあ、色々と複雑なわけだ」
「それと、あの『欠陥品』の処分は終わったか?」
「あぁ。それならちゃんと捨てておいた。強めに殴っておいたから、そのうち消えるだろうよ」
ベリアルの報告を聞くと、魔王は静かに頷く。
「そうか。ならば、よい」
「んじゃ、俺は行くぜ」
右手を上げて振り上げると、ベリアルは横に立つ影と共に歩き始める。
「良い報告を、待っているよ」
魔王がそう告げると、ベリアルと影の姿は闇の中へと消えていった。
そうしてこの城の一室に残る存在は、魔王ただ一人。足を組んで頬杖を立てると、魔王は小さく呟く。
「十年も足踏みしてしまった。さっさと、あの醜い世界を壊さなければ……」
悠久の時を経て、魔王の念願がようやく叶おうとしていた。




