その2「不滅之光弓」
アスモデウスと華歩は真正面から向かい合い、両者ともが火花が散りそうなほど睨み合っていた。
華歩が動き出そうと一歩前へ踏み出そうとしたとき、導華の声が聞こえた。
『華歩よ。戦い方はわかるか?』
「うん。なんとなくだけど分かるよ。導華ちゃんの力を使って、戦えばいいんだよね」
天使と契約してその力を身に宿した者は、その天使の力を借りて自分の力にすることができる。さらに天使は戦闘を契約者に任せることで力の制御に集中し、力を十全に発揮することができる。
華歩は、その事を本能的に理解しており、素直に導華の言葉に頷いた。
『そうじゃ。それなら、心配はいらなそうじゃな。力の制御はワシに任せろ。華歩は全力であの腐れ悪魔を攻撃すればよい』
「……うん。頑張る」
「ほざいてろ! 今すぐ殺してやる!」
動き出そうとした華歩を見たアスモデウスは、自らの『器』を確保して戦うために先ほどまで取り憑いていた華歩の家族を殺した犯人の元へと駆け始めた。
『華歩。行くぞ』
言葉を発さずに華歩は頷き、ほんの少しだけ重心を落とす。そして地面を勢いよく蹴り出すために下半身に力を入れる。
再び人間に取り憑こうとするアスモデウスの背を見つめて、華歩は口を開き、技の名を唱える。天使カトエル、天羽導華の高速の打撃技の名を。
「【軀癒之天翔】」
こちらに背を向けて移動していたアスモデウスの背中に、華歩の蹴りが直撃した。
「ぐはッ!」
人間に取り憑くことは出来ず、アスモデウスは勢いよく吹き飛び、ビルへと叩きつけられた。
司は、目を丸くして呆然とその光景を見ていた。
「なんだよ。あの速さ」
「あれが、お姉ちゃんの全力なんです。私も今、初めて見ましたけど」
通常の天使状態でも目で追うのが難しいほどに速い導華の攻撃だったが、今回の一撃はそれよりも速かった。まるで、峡谷を突き抜けるような突風のような速さだった。
倒れた体を起こしたアスモデウスは醜いほどに顔を歪ませ血走った目で狂気的な声を上げる。
「なんで……! なんで!? なんでなんでなんでなんでなんでなんで!? 殺したいんじゃないのか!? その男を! なぜ助ける! 何故ッ!? 何故ッ!?」
華歩は自分の家族を殺した男を少しだけ見つめる。その目には迷いなど一つもない。自分の考えは、悪魔の言葉などでもう変わることはない。
「私は、この人を殺さない。生きて、償わせる。私の家族を殺した罪を、死なんかで償わせたりしない。だから、殺させない」
「人間ってやつはどうしてこうも狂ってやがる! もう知らねぇぞ。『器』なんていらない。そんなもの無くても、殺してやるよォ!」
『やれるものならやってみろ。腐れ悪魔め』
アスモデウスに届くように華歩の中から発された導華の挑発に、悪魔は全力で答える。
「死ねぇ! 【蛇陰之闇槍】!」
手を振り上げその技の名が唱えられた瞬間に、これまでとは比べ物にならないほどの大量の槍が出現した。その槍一つ一つからアスモデウスの全力が窺えた。
その槍先は全てが華歩に向いており、アスモデウスが手を振り下ろした瞬間に豪雨のように槍が降ってくる。
数え切れないほどの槍を目の前に、華歩は口を開く。
「大丈夫、かな?」
『余裕じゃ。契約時のみのとっておき、その一つじゃ。行くぞ、華歩』
「うん!」
導華の言葉を信頼し、華歩は笑顔で答えた。そして気を引き締めて集中しながら、華歩は右手を開く。
その手に光が集まり、光の弓が顕現する。その弓を強く握りしめると、次は先ほどと同じように足元に力を入れる。槍が自分に衝突する直前に、華歩は口を開き新しき技の名を唱える。
――【光風之流鏑天】
華歩のいた場所に、槍の雨が降り注いだ。剣山のようにその場に槍が突きささる。アスモデウスは嗤いながら華歩の死体を見ようとするがしかし、その場所にはすでに華歩の姿はいない。
「なッ!?」
慌ててアスモデウスは周囲を見回すと、上空に羽を広げ飛行する天使が一人。
「そこか!」
華歩の姿を確認したアスモデウスは再び手を振り、地に刺さった槍の進行方向を変更し、華歩へと放つ。
『遅すぎる、のぉ』
「……」
口を真一文字に結んで集中力を高めながら、華歩は空中を高速で飛び回り、光の矢を放って槍を次々と射落していく。
文字通りの百発百中。一つの矢も外す事なく、瞬く間に大量にあった槍は四分の一ほどにまで数を減らされた。
「さすが、お姉ちゃん」
片穂から溢れた感嘆の声に、司は問いかける。
「なあ、片穂。確か、身体強化と弓って同時には使えないんじゃなかったっけ?」
初めて導華と出会って話した時も、繊細な力の制御が必要なので技の併用は出来ないと言っていた。
しかし、今見ている景色はその言葉と明らかに矛盾する。あの速さは明らかに天翔に違いない。その速さで動きながら、華歩は矢を放っているのだ。
二人が話している間にも、華歩が放つ矢は槍を消滅させていく。
それを眺めながら、片穂は説明を始める。
「元々、私が司さんと天使化している時に力が跳ね上がるのは、力の制御に全神経を注げるからなんです」
「でも、導華さんは制御に長けてるんだよな?」
「はい。そもそも戦闘しながら身体強化なんて、普通は出来ないんです。でもお姉ちゃんなら出来る。だから、天才なんですよ。それこそ、幼かった私の心をへし折ってしまうくらいに」
「……」
司と出会う前の片穂の心を縛り付けていたのは、紛れなくこの有り余るほどの導華の才能だった。今までの戦いも、あり得ない光景なのだ。
さらに、そこまでの力の才能を持つ天使が戦闘自体を華歩に任せた、という事が何を意味しているのか。
「そして、そのお姉ちゃんが戦闘を華歩さんに任せて力の制御に意識を回すんです。出来ないことなんて、何もありませんよ」
この才能が、天羽導華の強さである。二つのことを平然と同時に行ってしまうこの器用さこそがこの天使の力なのだ。
「やっぱり、導華さんって凄い天使なんだな」
「当たり前です。お姉ちゃんは凄いんですよ。今も昔も、ずっと私の憧れですから。追い越すには、まだまだ時間が掛かりそうですけど」
「……そっか。頑張ろうな」
片穂はそんな姉を見ても、追いつけないとは決めつけない。今でもその背中に追いつき、追い越そうと思っている。
そんな片穂を司は嬉しそうに見つめる。しかし、その片穂を見つめる視界の中に移ったのは黒く鋭い矛先。
「マズい! 片穂!」
アスモデウスの槍が、片穂を貫こうと一本だけ華歩への攻撃から外れてこちらへ向かってきていた。
慌てて司は片穂を庇おうと動くが、司が動くよりも速く、天使がその槍を光の矢で射抜く。
「させない!」
「華歩!」
華歩は司たちの元へと着地し、そこから自分に向かってくる槍を迎撃する。数が減った所で、華歩は振り返り二人の顔を見つめ、
「司くん。片穂ちゃん。怪我はない?」
「あ、あぁ。大丈夫」
「安心して。私が、倒すから」
華歩は笑顔でそういうと、再び悪魔へと体を向ける。その白銀の翼を生やした後ろ姿を、司は何を言わず見つめていた。
なんて逞しい、心強い背中なのだろうか。
ついさっきまでか弱く、小さく見えたその背中が、今の司には大きく見えて仕方がなかった。
そして、二人を守るために華歩は再び地を蹴り、空を翔ける。
「はぁ!」
向かってくる槍を高速で回避しながら、的確に一つずつ射抜いていく。
「何なんだよ! ちょこまかちょこまか!」
必死にアスモデウスは槍を操作して華歩を狙うが、一つとしてその槍は華歩に届かない。華麗に槍を避け、射抜きながら華歩は小さく口を開く。
「導華ちゃん。あと、どれくらい?」
『あと数秒じゃ。もうすぐ終わるぞ』
「わかった」
その様子を見ていた片穂は、何かを察したようで頬に汗を流しながら息を飲んだ。
「まさか、お姉ちゃん戦いながら力を練ってるの……?」
片穂が感じたのは、自分が【灮焔之大剣】を使用する際に生まれる、圧縮され練られた天使の力。司は天使化を解除したため正確に感じ取る事は出来ないが、司も意識すると同様の感覚を覚えた。
「確かに練ってる感じはするけど、そんなに凄いことなのか?」
「少なくとも、今の私には不可能です。アザゼルと戦っていたときも、その場に止まってでしか力を練れないですから」
その力の気配にアスモデウスも気づいたのか、攻撃されていないにも関わらず盾を展開する。
「チィ! ――【蛇陰之巨壁】!」
華歩を助けるために導華が命をかけて砕いた半透明で球形の黒い盾が、再び目の前に現れる。しかし、それを見ても華歩と導華は動じない。
落ち着いた様子で大きく翼を羽ばたかせながら華歩は空中に留まり、言う。
「準備完了、だね」
『うむ。行こうか』
華歩はゆっくりと手に持つ弓を悪魔へと構え、狙いを定める。
「どんな技か知らねぇが、この盾を破れるわけがない! 僕の力を最大限にまで練り込んだ最高強度の盾だ! どんな攻撃でも壊せはしない!」
『ならばその壁、貫いてみせよう。ワシのとっておき、その二じゃ』
「……」
華歩が静かに弓を弾くと、その動きに合わせて一際輝く矢が現れ始める。徐々にその矢は形を成し、華歩が弦を引き終わるのと同時に、矢も完全に出現する。
その矢を放つ準備を完了した華歩は、目を瞑り深呼吸をする。
脳裏に浮かぶのは大切な家族。幸せだった思い出が頭を駆け巡る。
しかし、その家族はもういない。そんなことはもう、わかっている。ただ受け入れることが出来たのがついさっきだったのだ。
でも、覚悟はできた。もう、後ろだけ見る日々は終わりにしよう。
華歩は、深く吸った息を吐き出す。
――お母さん、お父さん、勇太。今までありがとう。
――そして、さよなら。
――私は、前へ歩きます。
目を瞑る華歩の頬を流れる涙が、長く降り続いていた雨の最後の一滴となり、落ちていく。
そして華歩は目を開き、放つ。全ての想いを託した、最後の矢を。
――【不滅之光弓】
眩いほどに煌めく光が、華歩の手から放たれた。
「貫け。その悪の、全てを」
外見は、通常の矢よりも二回りか、それより少しくらいの大きさでそれ以外は何も変わっていない。
それを見たアスモデウスは、練りこんだ力への懸念が杞憂だったと思い、高々と笑い出す。
「ヒャハハハハ! そんな矢一つで何が出来るっていうんだ! 他と同じように消えて無くなるさ!」
『その矢が他と同じ攻撃だったら、じゃがの』
アスモデウスが異変を感じたのは、矢が盾に衝突した瞬間だった。
「なんだッ!?」
矢が、止まらない。
盾に矢が衝突してもなお、その矢は盾に向かって進み続けているように見えた。
『ワシは回復を司る大天使ラファエルの弟子。この技も、師匠から教わった技じゃ』
「何故だ! 何故止まらない!?」
動揺するアスモデウスに説明するように、導華は話し始める。
『まだ分からんか。言ったじゃろう。ワシは回復の専門じゃ』
「それとこれとに何の関係がある!?」
『その矢は、回復するんじゃ』
「回復……だと?」
理解できないアスモデウスは、眉間にシワを寄せて戸惑いを見せた。
さらに、導華は説明を始める。
『その矢の形状、速度、方向。矢に関する要素全てが回復する。故に、【不滅之光弓】。この矢はたとえ止まったとしても進み続ける不屈の矢。お前のその盾、貫いてみせよう』
回復を司る天使は、矢をも回復させる。アスモデウスの盾に衝突して削れた矢の先端は、擦り切れることなく修復をし続けている。速度すらも回復し、ひたすらに同じ威力で盾を削り続ける。そして進行方向すらも回復するその矢は、どれだけ弾かれようとも盾へと向かい続ける。
矢は決して止まらない。まるで、華歩の決意を具現化したかのように。
天使と悪魔の力がぶつかりあい、闇と光の火花が散り続ける。止まることのない矢は、アスモデウスに向かって進み続ける。
たった一つの矢が、鉄壁の盾を貫こうとしていた。
「止めれるものなら止めてみなさい! アスモデウス! これが、私の覚悟よ!」
華歩の決意を乗せた光の矢は、アスモデウスの盾に少しずつ亀裂を生じさせる。じわじわと、一本の矢が盾を破壊していく。アスモデウスは正面に手をかざして盾に力を集中させるが、それでも光り輝く矢は一切止まることなく進み続ける。
「クソッ! クソクソクソクソクソ! こんなところで終わってたまるか! 僕はサタン様のために、サタン様の復活のために! まだまだやらなければならないことがあるだ!」
必死にアスモデウスはもがき続けるが、亀裂は段々とその広さを増し、ついにその盾の限界が訪れる。
そして、パリン、とガラスが割れるような音がした。
『お前らは魔界でじっとしているのが丁度よいわ。さらばじゃ。アスモデウス』
盾を貫いた矢は、矢を放った時と同じ勢いのまま、アスモデウスの胸を貫通した。
大きな穴が胸に空いたアスモデウスは、崩れ落ちるように倒れる。華歩は倒れた悪魔の元へとゆっくりと足を進め、アスファルトの上に横になるアスモデウスを見下ろす。
アスモデウスはヒューヒューと苦しそうに息をしながら、哀れな目で自分を見下ろす天使を睨みつける。
「……今に、見ていろ。いつか……サタン様の、計画が実行された時……お前たちは消え失せる。その日を、楽しみにしているよ! ヒ、ヒャハハハ!」
もうすでに虫の息のアスモデウスの体は、薄らと透けており、その存在がこの世界から消えようとしていた。
それでもなお、狂気に満ちた笑みを浮かべ続ける悪魔に、導華がそっと答える。
『そうか。そんな日がこないことを願おう』
導華の冷静な声が聞こえたのか、アスモデウスの笑みは消え、再び憎悪の籠った顔で言葉を吐き捨てる。
「……チッ。クソ天使め」
『さらばじゃ。腐れ悪魔』
天使と悪魔はそう最後に言葉を交わすと、アスモデウスは黒い煙となり、この世界から跡形もなく消滅した。




