第二話「蕾」その1
沈黙する部屋の中で、最初に声を出したのは片穂だった。
「司さん! 華歩さんの家に行きましょう!」
「はぁ!? 何言ってんだ! だって、今あいつは……」
片穂の言葉に動揺しながら、司は言葉を詰まらせる。家族を失った華歩に、一体自分はどんな顔でどんな声をかけたらいいのか司には分からなかった。
「だからこそ、です! きっと、華歩さんはとっても寂しくて仕方ないと思います。私がもし華歩さんだったら、凄く悲しくて、寂しくて……」
まるで自分のことのように片穂は哀感に身を沈め、胸に手を当てる。
「そんなこと言ったって、ニュース見た限りだと、今華歩はあの家にいないみたいだし……」
ニュースの中継では華歩の家には人の気配はなく、事件があった時からそのままであるように見えた。自分の家で家族を失った後もその家に住むのは精神的に辛いのであろう。
司がそのような思考を巡らせていると、横で座っている導華が口を開く。
「……話を聞く限り、その華歩という娘が今の事件で家族を亡くしたのじゃな?」
「はい。華歩は四人家族だって言っていたので、多分、今は……」
「そうか。それで、その娘に何かしてやりたい、と」
落ち着いた導華の声に、片穂は真剣な目で訴えかける。
「うん! 私、放っておけない!」
「……少し、待っておれ」
導華は静かに立ち上がると、今朝も使った通信用の手鏡を懐から取り出しどこかへと連絡を取る。相手は誰だか分からないが、数回会話を交わすと手鏡を閉じてこちらを向く。
「現在、梁池華歩は精神的ショックのため一人暮らし、だそうじゃ。住所も訊いておいた」
当然と言えば当然ではあるが、華歩はやはり先ほどテレビに映った家には住んでいないようだった。それにしても、一体こんな情報を短時間でどこから仕入れてくるのか司には不思議でならない。
「毎回速いですね」
「ワシを誰だと思っておる。これくらいは何でもないわ」
そんな司の考えも関係なしに、得意げな顔で導華は胸を張った。
「ありがとう、お姉ちゃん! 司さん! 早く行きましょう!」
片穂が急いで準備をする後ろで導華も立ち上がる。
「ならば、ワシも行こうか」
「導華さんも、ですか?」
「うむ。戦闘ならまだしも、心というものは複雑怪奇じゃからな。ワシにも片穂にも分からんことはたくさんあるからのぉ」
心というものの動きに鈍いことを導華は十二年前に自覚していた。あの時、導華は自分で片穂を苦しめてしまったことに全く気付いていなかった。
だから、片穂も自分と同じように華歩の心に気付けないことがあるかも知れないと思った導華は同行を決意したのだった。
「そうですか。導華さんがいるなら心強いです。よろしくお願いします」
「じゃあ! 早速華歩さんのお宅へ行きましょう!」
そうして走り出そうとする片穂を、司は声で止める。
「おい、片穂! そういえば、華歩の家に行って何するんだ?」
司の問いかけに、片穂は少しだけ思考を巡らせえるが、
「……えっと、あの…………行ってから考えます!」
「ノープランかよ!」
文句を言いながらも、いても立ってもいられない片穂の気持ちは司にもよくわかる。華歩を助けたいという片穂の性格も、よくわかっている。
「片穂らしいのぉ。まぁなんとかなるじゃろ」
「そうですね。じゃあ、行きましょうか」
軽い身支度を整えた三人は傘を差して華歩が現在住んでいる家へと歩みを進めた。
「ここか……」
導華の伝えられた住所が正しいのならば、司の家と同じ様な形式のマンションの一室に現在華歩は住んでいるようだ。
司は少し躊躇いと緊張と共にインターホンのボタンを押した。
寂しげにチャイムの音が鳴る。少し時間を置いて、インターホンのスピーカーから小さな声が響く。
「……はい」
「あの、俺、司だけど」
「……司、くん? どうしたの?」
言葉を慎重に選びながら、司は口を開く。
「少し、話したいことがあるんだ。いいかな?」
「……ごめんね。今は、そういう気分じゃなくて」
華歩の小さな返事を聞いた片穂が司を押しのけてインターホンの前の位置を奪う。
「華歩さん! こんにちは! 天羽片穂です!」
「天羽……片穂……? さっき、司くんの隣にいた……?」
「はい! そうです!」
はきはきと話す片穂とは反対に、華歩は静かに声を出す。
「……何の用? ……用がないなら、もういい?」
「あの! ご飯はもう食べましたか?」
突然の片穂の問いかけに、媒体越しからでも華歩の戸惑いが感じられた。
「……ご飯?」
「はい! もし食べてなかったら、一緒に作りましょう! そして、一緒に食べましょう!」
しかし、華歩は素直にこの誘いを受け入れない。
「……なんで、そんなに私に構うの? なんで、そこまで」
「華歩さんのことを、放っておけないからです! 華歩さんの笑顔、とっても辛そうでした。私は、華歩さんにあんな笑顔をしてほしくないんです」
自分の気持ちを片穂は華歩へと一直線に伝えた。その力強い心に引っ張られるように、華歩の感情が少しだけ高ぶりを見せる。
「……なんで? あなたは私のことを何にも知らない、私もあなたのことを何も知らない。なのに、どうして私を助けたいだなんて言うの? どうして……」
「私は、あなたの心を救いたい」
戸惑いに震える声に覆い被さるように、天使ははっきりと簡潔に自分の気持ちを伝えた。その言葉の衝撃に華歩の言葉が止まる。
「え……?」
「私も、華歩さんのように笑ってい時期がありました」
司に救われる前の、片穂の笑顔。その言葉を聞いて昔を思い出した導華は少しだけ視線を落とす。
「辛くて、苦しくて、どうしようもないと思います。でも、一人で抱え込む必要なんてないんです。私も、それを教えてもらったから。私は、あなたにも心から笑ってほしいんです」
すぐに返事は聞こえなかったが、数秒してから小さな声が響く。
「……変な人」
ほんの少しだけ、声に明るさが戻ったように感じた。そしてゆっくりと閉ざされていた扉が開く。
「華歩!」
「……なら、ご飯だけでも食べようかな」
「よかった! なら華歩さん。お買い物に行きましょう!」
笑顔で片穂は華歩の手を取るが、華歩は目を丸くする。
「えっ? 買い物?」
「ごめんな、華歩。片穂がご飯作るって今決めたんだよ」
普通は食事を提案しておいてまさか無計画で材料の一つもないとは思わないだろう。華歩の驚きも当たり前である。
そんな華歩の手を引いて、片穂は歩き出す。
「全く、世話のかかる妹よ」
やれやれ、と笑いながら導華はその後ろをついていく。
片穂にしっかりと握られた自分の手を見ながら、華歩は少しだけ笑みを浮かべ、
「……やっぱり、変な人」
目の前で嬉しそうに歩く片穂に置いていかれないように、華歩はいつもより少しだけ速く足を進めた。
十分ほど歩いて四人が着いたのは家の近くにあるスーパーで、中に入るとまず司が声を出す。
「えっと、何作るつもりなんだ?」
「じゃあ、華歩さん! 好きな食べ物はありますか?」
「……特には、ないかな」
「ならおむらいすにしましょう! 私、得意なんですよ!」
それを聞いた司は自分の中に眠るトラウマに一瞬だけ動きを止められる。
しかし、この前に作ってもらったときはまだ食べることのできる味であった。華歩をさらに苦しめることにはならないだろうと司は結論を出す。
「まぁ、導華さんも華歩もいるし、大丈夫か」
そうして前を見ると、司が少しだけ止まっていた間に片穂はすでに先へと歩いていた。
「司さん! こっちです! まずは卵ですよ!」
「わかったわかった。今行くから」
はしゃぐ子供に着いていく親のように、司は片穂の後を追っていった。
華歩のためにやってきた買い物であるにも関わらず華歩は導華と二人きりになる。
「連れ出されたのに早速放置とは、なんとも失礼な奴らじゃのぉ」
「……そういえば、あなたは?」
片穂と始めて会ったときはいなかった存在に、ようやく質問する機会ができた華歩は導華に問いかけた。
「ワシは天羽導華。片穂の姉じゃ」
「おねえ……さん?」
小学生と言われても違和感のないほど容姿をした導華の言葉に、華歩は理解が追いつかずに首を傾げた。
「うむ。そうは見えんか?」
「……まぁ」
素直に首を縦に振る華歩を見て導華は大笑いをする。
「はっはっは! 正直なのは嫌いじゃないぞ!」
導華の笑い声が消えると、二人の間に沈黙が流れる。
導華は視線を華歩とは合わせずに、司たちの後ろ姿を見ながらその沈黙に言葉を差し込む。
「……随分と、参ってるようじゃの」
「……」
華歩からの返事はないが、導華は構わずに続ける。
「大切な家族がいなくなってしまったんじゃ。苦しむのも無理はない。忘れろとも言わん。じゃが、今はあいつらのわがままに付き合ってはくれんか?二人とも、お主のことを真剣に考えておるんじゃ」
司と片穂が楽しそうに食材を選ぶ姿を見ながら導華ははっきりと伝えた。
華歩はゆっくりと頷く。そしてその胸の奥底から心の声が滲み出る。
「……わかってる。凄く伝わるよ。二人の優しさ」
「うむ」
「でも、私は……」
「導華さん! 他に必要なものってありましたっけ?」
華歩が話そうとした瞬間に、司が二人の元に戻り、導華に話しかけた。
「なんじゃ。お前たちは作ろうとする料理の材料の買えんのか」
「いや、片穂に任せるのが不安になってきちゃって……」
「うむ。共に選ぼうか」
この言葉を聞いた瞬間に、導華は快諾してすぐに歩き始める。片穂だけに料理を任せるのがどれほどの自殺行為かを考えれば当然ではあるが。
少し歩いた導華は振り返り、笑顔で口を開く。
「ほれ、お前も行くぞ」
「う、うん」
華歩も導華に続いて歩き出し、共に食材を選び始める。
導華と華歩が加わってすぐに必要な材料が全て揃い、司は大きく息を吐いた。
「こんなもんですかね」
「じゃあ、会計じゃな。ほれ、行くぞ」
「あ、はい」
「そこのお兄さん。ちょっと、待ってくれるかしら」
司が歩き出そうとした瞬間に、背後から落ち着いた声がかけられる。
「えっ?」
司が振り返ると目の前には艶やかな女性が立っており、その手には見覚えのある革製の財布が握られていた。
「これ、貴方のお財布では無くて?」
「あっ、ありがとうございます」
頭を軽く下げながら司は女性から財布を受け取った。そして、女性は司を見て笑みを浮かべながら、
「ふふふ。気にするほどのことでもないわ」
そう笑った女性の姿に、司は明らかな動揺を見せる。そして、言葉に詰まりながらも女性へと質問を投げかける。
「あ、あの。名前を伺ってもいいですか?」
「ふふふ。名乗るほどの人間ではないわ」
「そう、ですよね」
司の言葉は軽く躱され、名前を聞くことができない。少しだけ視線を下げた司に対して女性は一歩、近寄って口を開く。
「大切なものは、ちゃんと持っておいたほうがいいわよ。失くさないようにね」
「はい。気をつけます」
司が導華の元へ歩き出そうと振り返った時に、司の背中に声がぶつかる。それはまるで耳元で囁かれたかのような、耳に、そして脳に纏わりつくような声だった。
「こんなにいい器を持っているのだもの。大切にね? ーー佐種、司くん」
「……ッ!?」
驚き、というよりも寒気、悪寒。そう言った薄気味悪さが先んじた。それを感じた司は反射的に振り返るが、
「あれ? ……いない?」
先ほどまですぐそこにいた女性は煙の如く消え去っていた。
誰もいない空間を見つめて冷や汗をかく司を見て、片穂が心配そうに近寄ってくる。
「司さん? どうしました?」
「いや、今女の人に話しかけられたんだけど、いつの間にかいなくなってて」
片穂は不思議そうに首を傾げる。
「本当ですか?天使の力のようなものは感じませんでしたけど」
現実ではあり得ないことであるのに、天使の力が関係していない。先ほどの現象に理解ができない司は、あたかも自分の勘違いであるかと思い始める。
「うーん。気のせい、だったのかな?」
しかし、それでもやはりあの時の寒気は未だに司の体に染み付いている。あの出来事はやはり技術なのである。司は軽く腕を摩った。
「そうなんじゃないですか?」
「でも、なぁ……」
もう一つ、気掛かりな事。それは司が動揺をした原因であった。司が見た女性の笑みが、自分のよく知る人間にそっくりだったからである。
その笑みが、どことなく佐種美佳を連想させたからである。
親戚であると言われても素直に信じてしまえるほどの感覚に、あの時司は襲われていた。
理解が追いつかず呆けている司を、導華が呼びつける。
「ほれ! 買い終わったのなら行くぞ!」
「あっ、はい。すいません」
我に返った司はすぐにまた歩き始めた。
「行きましょう! 華歩さん!」
「うん」
買い物の間にも片穂は華歩と会話をしており、少しずつだが打ち解けてきているようだった。
先ほどよりも近い距離で、華歩は片穂の横を歩き始める。
「少し、弱くなってきたな」
スーパーの外へ出ると、大雨が少しだけ小降りに変わってきていた。雨には変わりはないのだが、移動が楽になるのは明らかである。
「早くご飯作りましょう!」
ときめく瞳で司たちを見つめ片穂は先頭に立って歩き始めた。それについて行くように、三人も歩きだす。
華歩が必要最低限しか話さないのには変わらない。しかし、少しだけ変わったことが司の目にも見ることができた。
「変なやつだろ? 片穂って」
「うん。とっても変な人」
司の言葉に、華歩は迷わず頷く。
「でも、優しくて、楽しい人」
「あぁ。その通りだな」
傘を差して歩きながら司はニコッと笑いかける。司からは、傘で隠れて華歩の顔があまり見えていない。
しかし、傘に隠れた華歩の笑顔が、司には何となく見えたような気がした。




