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俺と天使のワンルーム生活  作者: さとね
第二章 「華へと導き、華へと歩く」
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その4「大丈夫」

 傘が雨を弾く音が耳にまとわり続けている。それでも、華歩の小さな声は司の鼓膜を振るわせた。


 黒いにも関わらず、透き通るような美しい長髪。そして普段から掛けている眼鏡によって華歩の表情は司の視界では余り確認出来ない。


 司はゆっくりと華歩のすぐ側まで歩き、問いかける。


「こんな所でどうしたんだよ。学校にも来ないで」


「えっと、少し、用事があってね。今、帰り道なんだ」


「そうじゃなくてさ、華歩。今日だけじゃなくて、なんでずっと学校休んでるのかなってさ」


「……」



 華歩の傘を握りしめる手の力が、少しだけ強くなったように見えた。華歩は視線を司に向けないまま、アスファルトの隙間を流れる雨水を見つめて静かに答える。


「そっか。司くんは知らないんだね」


「英雄に訊いても誤魔化されたから分からないんだ。何があったんだ?」


 傘を握る手は未だに力が入ったままで、一呼吸を挟んでから、華歩は再び口を開く。


「……大丈夫だよ。私の心配は、しなくていいから。今はちょっと忙しいけど、落ち着いたらまた、学校、行くから」


 言葉を言い終えた瞬間に、華歩の顔が少しだけ上がり視線が司とぶつかる。その目はどこか寂しげで、体と体の距離と比べて心がずっと遠くにあるような感覚に司は襲われる。


 そして、司と目を合わせて、そっと優しく語りかけるように、


「だから、大丈夫」


 梁池華歩は、笑った。見かけの表情は、間違いなく笑顔である。その笑顔を見て、司は低い声で問いかける。


「本当、か?」


 再度視線を外した華歩は、下を見たまま静かに頷く。


「うん。大丈夫」


 そう司に告げて、華歩は二人の間を過ぎて行こうとするが彼女が横を通り過ぎようとしたしたとき、片穂が静かに口を開く。


「梁池華歩さん……ですよね?」


 華歩は足を止めるが、体の向きは変えずに前を見たまま返事をする。


「……あなたは?」


 華歩の冷たい問いかけに、片穂は丁寧に答える。


「始めまして。天羽片穂と申します。本日から華歩さんや司さんと同じクラスに転校してきました」


 片穂の声が、日常とは違う声だったことに司は気付く。それは司が以前聞いた片穂の声。他人から聞いたらいつも片穂と変わらないような、そんな些細な違い。でもそれでも司は気付く。その声は、片穂が天使になった時と同じ声だった。


「……そうなんだ。よろしくね」


「一つだけ、いいですか?」


 細々とした声で、華歩は答える。


「……なに?」


 片穂は自分の方を向かない華歩の正面に、回りこむ。それに気付いた華歩は片穂へと視線を移した。そして二人の目が合うと、片穂は華歩の目を見つめて笑いかけ、そっと華歩に語りかける。その言葉で華歩を優しく包み込むように。



「辛い時は、泣いてもいいんですよ?」



「…………」



 一瞬、華歩の呼吸が乱れ、少しだけ動揺したように司には見えた。


 しかし、華歩からの返事はない。


 それでも、片穂は笑顔のまま続ける。自分たちが雨の中にいることを忘れてしまいそうになるくらい、明るく、温かい笑顔で。


「辛いことは、一人で抱え込む必要なんてないんですよ。何かあったら、何でも相談してください。私たちは、あなたの味方ですから」


 華歩は片穂の純粋な双眸を見つめ、少しだけ唇を噛む。そして、強張った口元の力が段々と抜けてゆき、華歩はゆっくりと口を開く。


「……なんのことだか分からないや。もう行くね。バイバイ」


 華歩は急ぐように司と片穂の横を抜けて歩いていった。その背中が見えなくなった頃に、司は片穂に話しかける。


「急にどうしたんだ、片穂」


 司の質問に、片穂は寂しげに答える。


「華歩さんの笑顔、辛そうでした」


「え……?」


 あのような笑顔に片穂は覚えがあった。


「司さんに出会う前の私も、きっとああやって笑っていたんでしょうね。心の奥にある感情を押し込めて、誰にも迷惑をかけないように無理やり笑って。今ならはっきりと分かります」


 司に出会う前の、導華になろうと必死になっていた自分と、同じ笑顔。自分の気持ちを押し殺して、寂しげな心を悟られないようにするための、上辺だけの笑顔。


 過去にも自分がその笑顔をしていたからこそ、そしてそれを救われたからこそわかる、笑顔の奥の、心の影。


 それを見た片穂は、華歩の苦しみが他人事には思えない。


 そんな片穂の感情を司は感じ取る。


「そうか。……じゃあ、助けて、やりたいよな」


「司さんなら、そう言ってくれると思いました。それに……」


 司の横に立つ片穂は、体を捻り司の正面に位置どり、穏やかな笑みを浮かべる。


「これでも私、天使なんですよ?困っている人を導くのは、天使のお仕事ですから」


 天羽片穂は天使である。天使の助けが必要な誰かを救うために、導くために、片穂は生きている。


 もちろん、自らの心と魂は司に捧げるつもりである。しかし、それは天使にとって誰かを見捨てる理由にはならないのだ。かつて自分が心を救われたように、誰かの心も救ってあげたいという純粋な想いが、片穂の原動力であるのだから。


 そんな片穂の言葉を聞いて、司は「ははっ」と少し笑い、


「そうだな。なら、俺もそのお仕事を全力で手伝わせてもらうよ」


 司も、誰かを助けることに躊躇いは持たない。誰かを助けるために生きる天使に、この身を捧げると誓ったのだから。


 この天使の進む道を共に歩こうと、心に決めたのだから。


 差している傘が横を向かないように、片穂は頭を下げる。


「はい! よろしくお願いします!」


 そして二人はまた歩き始める。


 二つの傘が、綺麗に横並びになって帰路を辿っていた。




「ただいま帰りましたー」


 雨に濡れた傘の水を落としながら、二人は玄関へと入った。


 部屋の中では導華が胡坐をかいて呑気にテレビを見ていた。


「おー! 帰ったか。学校はどうじゃったか?」


 片穂は幸せそうな笑顔で導華の元まで駆け寄る。


「とっても、楽しかった! 本当にありがとう! お姉ちゃん!」


「はっはっは! そう言ってくれるならばよかったわ!」


 満足そうに大笑いながら、導華はテーブルの上に置いてある湯呑を掴み、茶を飲みながらテレビを見続けていた。


「それにしても最近のテレビは面白いのぉ。お前たちが帰ってくるまで全く退屈せんかったわ」


 導華はリモコン持って、テレビの番組を変え始める。


「そうですね。最近は色んな番組がやってますから―――」


 変わっていく画面を見つめている司が、不意に言葉を詰まらせる。



「―――導華さん。チャンネルを一つ、戻してもらっても構わないですか?」



 突然真剣な表情になった司を見て、導華は素直にその言葉に従う。


「別に構わんが、どうした?」


 導華がボタンを押し、画面が再び変わる。番組自体は普段と変わらないニュース番組。しかし、そこに映る町並みは、司にとってはよく知る風景だった。


 そして、アナウンサーのニュースを読み上げる音声がテレビから発せられる。



『昨日、東京都内で起こった一家殺人事件の犯人が逮捕されました。被害者は都内に暮らす、梁池健蔵さん。妻の裕子さん。長男の勇太さんの三名です。この三名は警察と救急が駆けつけた時には既に死亡が確認されており……』



 このニュースに内容に気付いた片穂は、驚嘆し声を上げる。


「つ、司さん! これって!」


 片穂とは違い、冷静に司は言う。


「あぁ。映っている家も、家族の名前も全部、華歩の家族だ」


その画面に映る家は、間違いなく梁池家の家であった。家族の名前も全て同じ。元々珍しい苗字である「梁池」であるにもかかわらず、これが別の家族であるという偶然など起こる余地などない。


「じゃあ、華歩さんが学校休んでいるのって……」


「そう、だろうな」


 英雄が言っていた、華歩が学校へと来ない家庭の事情。そして、華歩の笑顔の裏にある、心の影。


 ようやく、司たちはその答えを知った。


「…………華歩……」



 沈黙する部屋に、雨の音が響き渡る。




 雨は、相変わらずこの世界を濡らしていた。


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