その3「あ、天羽片穂と申しま」
平日の朝、平凡な教室。カレンダーだけを見れば何でもない普通の一日。しかし今日はいつにも増して騒がしい。
転校生がきたら基本的にそれは話題になり、話し声が多くなるとはよくあることだ。しかし、今日はそういった騒がしさの何倍もの声が響いている。
その原因は言わずもがな。超絶美人の天使のような、いや、本物の天使が教室に入ってきた上に、その天使は『佐種』と刺繍の入ったジャージを着ていたのだから。
騒がしい教室の中で、片穂は明らかに緊張した様子で視線をあちらこちらへと移して立っていた。そんな様子を見て、司は呟く。
「片穂の自己紹介、噛まなきゃいいけど」
司の記憶では、緊張している時の片穂の自己紹介は幾分個性的だった覚えがあったのだが、果たして大丈夫なのだろうか。
そして、教師が片穂に自己紹介を求め、片穂はそれに応じる。
「は、始めまして! 今日から転校してきました! あ、天羽片穂と申しまふっ!」
深々と頭を下げているので表情はわからないが、恐らく片穂の顔は真っ赤になっていることだろう。
「まぁ。案の定だな」
この自己紹介によって天使にさらにドジっ娘が付加され、教室の野郎たちの声がさらに大きくなる。
その教室の様子を冷静に見ている司の横で慌てふためく友人が一人。
「つ、司! なんだあの美人さんは!? 一体何が起きたんだ!? しかもなんでお前のジャージを着てるんだ!?」
明らかに混乱した様子で嘉部英雄は司に詰め寄る。かなりの至近距離まで顔を寄せてくる英雄を手で制止しながら司は口で開く。
「落ち着けって。別にそんなに騒ぎたてることのほどでも……」
司が英雄の興奮を収めようとしていると、緊張感に混乱する片穂が口を滑らせる。
「い、今は司さんのお家に住んでいます!」
「ちょっ!? 片穂っ!?」
教室の声がピタリと止まり、全員の視線が司を突き刺す。
「おい、司。今の言葉は一体どういう意味だ。一から詳しく聞かせてもらうぞ」
「うっ……」
大親友、英雄からの低い声に、司は声が詰まる。そして、ホームルームが終わると教室の男たちが司の周りに集まり様々な質問を投げつける。
そこで司は『片穂は自分の親戚で先日東京に引っ越してきたので今は自分の家に住んでいる』というあからさまなテンプレの言い訳を伝え続け、なんとか司は男子生徒の群れから解放される。
しかし、その日一日の授業や休み時間は司に対しての接し方が皆冷たかったことは言うまでもない。
そんな司とは反対に、片穂はほんの数時間でクラスの中心となる。
放課後の教室で、片穂はクラスメイトに囲まれて質問攻めにあっていた。
「天羽さん! 好きな食べ物は?」
「えっと、おむらいすが大好きです!」
生徒の質問に笑顔で答える片穂はさらに人気を呼び、人が集まる。そして、教室の隅で寂しく座る司の横には親友の英雄のみ。
「全くよー。あんな可愛い子とそんなウハウハな状況になったら報告しろっての」
「悪いな。片穂がきたのはつい最近だし、忙しくてな」
「なんだよー。お前ばっかりいい思いしやがってさ。あーあ。俺のところにもあんな天使のような可愛い子がやってこねぇかな」
「ははっ。来たらいいな」
そう言って笑い合う中で、司の視界に入ったのは無人の机。
皆に囲まれたりで気づかなかったが、その席に普段座っている生徒がいないことに、司はようやく気づく。
「今日も、華歩は休みなのか?」
司の何気ない質問に、英雄は少し驚いた様子で答える。
「お前、知らないのか? 華歩が学校来ない理由」
「そんな有名なのか?」
華歩が学校を欠席しているのは大体二週間ほど。家庭の事情としか聞いていない司は少し戸惑いを見せる。
「有名も何も、お前テレビとか見ないのか?」
片穂と導華が来てから、学校から帰ると二人の遊びに付き合うのが司の日課になっていたし、テレビは基本的に導華が占領しているので司がテレビを見る機会はほとんどなかったのである。
「最近は見てないな。色々と忙しくてさ」
「そうか。あんまり口にしたくはないんだけどさ、実は華歩のやつ事件に巻き込まれたらしくて……」
肝心の話題に英雄が触れようとした瞬間に、教室の外から声が響く。
「おーい! 英雄! ちょっと手伝ってくれ! 人手が足りないんだ」
「お! そうか! わかった! 今すぐ行くぞ!」
困っている人がいれば自分の不都合はほとんど考えずに行動していまう男はすぐに立ち上がり、司に対して手を合わせて頭を下げる。
「悪い司、話はまた今度な。帰ったらテレビ見てみろ。もしかしたらなんかやってるかもしれないから。それでもわからなかったら、俺が話すよ」
「あ、あぁ。わかった」
「それじゃ! また明日な!」
そう言って手を振り、教室の外へ駆けていく英雄の背中を司は少しモヤついた気分で眺めていた。
そして、片穂の登校初日はあっという間に終わり、下校の時間となった。
司と片穂が帰路についた時も、雨は降り続けていた。
「すいません、司さん。私、余計なこと言ってしまったようで……」
片穂の言葉で司がクラスメイトに囲まれて大変な思いをしていたのを見ていたので傘をさして隣を歩く片穂は申し訳なさそうにうなだれる。
「まぁ、嘘をついたわけじゃないからな。特に責めることもないよ」
「ありがとうございます……」
未だに元気の無い片穂を気にかけた司は話を切り替える。
「それで、初めての学校はどうだった?」
司の言葉を聞いた瞬間に、片穂の先ほどの悲しそうな表情が一瞬で消え、それは輝かんばかりの笑顔に変わる。
「皆さんいい人たちばっかりでとっても楽しかったです!」
「そうか。それは良かったよ。導華さんもきっと喜んでくれ、る……」
片穂への返事を言いきる前に、司の言葉が消えてゆき、それと同時に足を止め、司は道の先を見つめる。
突然足を止めた司を見て片穂も足を止める。何も言わずに視線を固定する司の顔を覗き込むように片穂は怪訝な顔をして問いかける。
「……? 司さん? どうしました?」
司の出した言葉は片穂への返事などではなく、ただ一言。
二人の歩く道の正面から歩いてくる人影を見て、それは司の口から自然と溢れだした。
「……かほ?」
雨の中傘をさし、一人で歩く少女。それは紛れもなく今までずっと欠席を繰り返していた司の友人。
「司……くん?」
梁池華歩が、二人の目の前に現れた。




