その2「制服が」
導華の言葉を聞いた瞬間に、片穂は身を乗り出して声を上げる。
「が、学校⁉︎ お、お姉ちゃん! 今、学校っていったの⁉︎」
目を輝かせる片穂を見ながら、導華は笑顔で答える。
「そうじゃ。やはり若い間には色々な経験をせんとな」
「片穂が、学校にくるんですか?」
導華は大きく首を縦に振る。
「うむ。実は前々から手続きしておってな。片穂さえよければ今日にでも編入できるぞ」
「き、今日⁉︎ そんなことできるの⁉︎」
「なに、少し学校関係者の記憶をいじってやればいいだけの話じゃ。別に規則違反にはならんからな」
過去に司の記憶を改変しただけあり、この程度のことならこの天使なら簡単にやってしまうのだろう。
そんなことを考えながら、司は苦笑いをする。
「か、かなりゴリ押しなんですね……」
「まぁ、これくらいなら上から怒られることはないから大丈夫じゃろ」
「でも、いきなり今日じゃいくらなんでも片穂が大変じゃ……」
司が言葉を言い終える前に、片穂は再び声を上げる。
「行きたい! 学校、行きたい! すっごく行きたい! お姉ちゃん! お願い!」
「はっはっは! そうか。ならば話は早い。どれ、少し待っておれ」
導華は笑いながら、服のポケットを探り、折りたたみ式の手鏡のようなものを取り出し、開き、それを耳元に持っていく。
恐らく、片穂が研修期間中に導華と連絡を取るために使うはずだった鏡とはこれのことなのだろう。
余りにも普通に使っているので、天使の力が関わっているようには見えないのだが。
そして、導華はその耳元にあてた手鏡を、ケイタイを使用しているかのように話し始める。
「……ワシじゃ。ワシの妹のことなんじゃが……。うむ。……うむ。そうじゃ。よろしく頼む」
話し終わると導華は手鏡を閉じ、司の洋服が収納されているタンスを開く。
すると、中から司の学校指定の女子生徒用制服が出てきた。
「許可が出たぞ。これを着ていくがいい」
「いつの間に制服が俺の棚に⁉︎」
「なに、こんなもの一晩あれば縫えるわ。手先の器用さには自信があるからの」
天界屈指の力の制御技術の持ち主は、どうやら指先まで器用であるようだった。
再び苦笑いしながら片穂を見ると、まるで宝物を見つけた少年のようにその目は輝いていた。
「はぁあ~~……。制服だぁ……」
「そ、そんなに行きたかったのか?」
司の質問に片穂は満面の笑みで答える。
「はい! ずっと憧れてたんですよ! それに……」
「それに?」
片穂は視線を斜め下にずらし、小さな声で言う。
「司さんとも、もっと長い時間一緒に入れますし」
「そ、そうか」
司も片穂も目を逸らし赤面している。そんな甘い空気を感じた導華は耐えきれずに声を上げる。
「なぁにをイチャイチャとしるんじゃお前ら! さっさと準備しないと遅刻するぞ!」
「そうだった! 早く制服に着替えなきゃ!」
導華に言われた瞬間に片穂はその場で服を脱ぎ始めた。
パジャマのみを脱いだので下着姿ではあるが、片穂の豊麗な体と蠱惑的な胸が不意に露わになる。
突然の刺激に司は一瞬戸惑い、そして声を出す。
「ばっ! 片穂! ここで着替えるな!」
司の声で自分が無防備に体を晒していることに気づき、片穂は動揺を露わにし、とっさに腕で何とか体を隠そうとした。
「はぅ!」
しかし、腕では全く体を隠せないことに気づくと、片穂は目にも止まらぬ速さで普段更衣室として使用している浴室の中へ逃げ込み、隙間から顔を覗かせる。
そして、ゆっくりと恐る恐る口を開く。
「見て、ないですよね?」
「あ、あぁ。見てないさ」
何度も首を縦に振りながら、震えた声で司は返事をした。
初めて、司が片穂に嘘をついた瞬間だった。
「ほ、ほんとですか……?」
「あ、ああ! 本当さ! 何も見てないさ!」
ぎこちない司の言葉を、天使は丸ごと信じてしまう。
「なら、いいです! 早速着替えます!」
片穂はそう言い捨てると勢いよく浴室のドアを閉めた。
見られた恥ずかしさよりも、制服に着替えたいという感情が上なのだろう。
それでも速い片穂の気持ちの切り替えに司は簡単な返事しかできなかった。
「お、おう」
「なんとも忙しい妹じゃのぉ」
導華のボヤキを聞きながら、司も着替えを始めるが、
「それで、毎回思うんですけど、俺が着替える時、導華さん普通にそこに座ってますけどいいんですか?」
「別にお前の体を見たところで欲情するような心は持っとらんわ。安心して着替えるがいい」
微塵も興味無し。
清々しいほどに告げられた無関心に司は声を漏らす。
「は、はぁ」
すると、今度は浴室のドアが大きな音を立てて開き、制服姿の天使が現れる。
「見てください司さん! どうですか⁉︎ どうですか⁉︎」
興奮しながら司に詰め寄り、片穂は問いかける。
「あ、あぁ。似合ってるんじゃないかな?」
「そうですか⁉︎ 変なところとか、ないですか⁉︎」
司の言葉を聞いても片穂は執拗に司に体を寄せ、問いただす。あまりの接近によって片穂の胸の柔らかさを感じた瞬間に、司は片穂を引き離す。
「な、ない! ないから! 遅刻する前に行くぞ!」
「はい!」
片穂ははきはきと返事をし、玄関へと行くと少しだけ振り返って導華に声を掛ける。
「お姉ちゃん! 行ってくるね!」
「うむ。気をつけるんじゃぞ」
片穂はすぐに靴を履き外へ出る。それをゆっくりと追うように司も玄関へ行く。そして靴を履きながら、
「すいません。導華さん。家、お願いしますね」
「うむ! 暇だったら夕飯も作っておこう」
「ありがとうございます。四時過ぎには帰ってくるのでそれまでよろしくお願いします」
導華が「うむ」と頷くの見てから司も片穂に続き外へ出て、傘を開く。
外に出ると濡れたアスファルトの匂いが鼻に沁み込む。かなりの量が降っているようで、側溝から溢れ出ている雨水も見られる。
司が出た時には片穂は傘を差してすでに先まで歩いており、その場で足踏みをして水の音を鳴らしながらこちらを振り返る。
「司さん! 早く! 早く! 遅刻しちゃいますよ!」
「おい、片穂。急ぐ分には構わないけど、そんなに後ろを向いて歩いてたら躓くぞ」
司の注意も聞かずに、片穂はこちらを向いたまま速足を続ける。
「大丈夫です! これでも私、天使なんですから! そんな簡単に転ぶわけがッ‼︎……」
あまり心地よくない音と共に、水しぶきが跳ね上がった。
今の片穂の状況を説明するなら、よほど地球が好きでその愛情を押さえきれずに地面に急に抱きついてしまったか、何かに躓いて盛大に転んだかの二択なのだが、どうやら後者のようなので、司は雨水でずぶ濡れの片穂に問いかける。
「……大丈夫?」
片穂は返事をせずに立ち上がり、新品の初々しさが無くなった制服を悲しそうに見つめる。
「……制服が……。制服が……」
大好きな姉の手作りの制服がここまで悲惨な状態になれば片穂がここまで悲しむのも当たり前だろう。
司は片穂に優しく声を掛ける。
「とりあえず、学校に行ってたら俺のジャージに着替えるか。放課後になる頃には乾いてるだろ」
朝のホームルームでの自己紹介を司のジャージで行わなければならないという状況に司は何となく危機感を感じたが、それ以外にないのだから仕方ない。
「……はい。そうします」
視線を下に向けたまま、片穂は学校に到着するまで静かに司の隣を歩いていた。




