第一話「散華」その1
司と片穂の物語が再び始まります!よろしくお願い致します!
佐種司がワンルームに引っ越してきたのは、約一年前のことだった。
その日から祖父母にもらった資金で高校に通い、一人暮らしを始め、以来食事や洗濯などの家事全般は基本自分一人で行ってきた。
将来誰かと結婚したら家事などは妻に任せて自分は仕事をして、なんて普通の生活を単純に想像していた。
まさか、そんな理想の世界が一人暮らし一年目でやってくるなんて、予想すらできなかったわけだが。
「おはよう」
眠気に打ち勝って体を起こした司は、目を擦りながら朝の挨拶を投げかける。
つい先日まで返ってくるはずの無かった返事が、昔の想い人と少々特殊な再会を果たし、死の淵から舞い戻り、悪魔を撃退してなんとか生還した今は当たり前のように返ってくる。
「あ! おはようございます! 司さん!」
「お、起きたか! 司! もう朝食の準備はできておるぞ」
台所でエプロンを身につけ、朝食の準備をする天使の姉妹は寝起きの家主に爽やかな挨拶をした。
只今、司の家には天使が絶賛居候中である。理由は少しばかり複雑だが、今までの人生で最も非日常な四日間を過ごしたから、とでも説明しておく。
そして、司が今まで使っていたベッドが姉妹に占領され、現在は床に敷いた布団で睡眠をとっているのも、この理由である。
だからといって交代してくれと言えない司は今日ものんびりと布団から起き上がる。
「ありがとうございます。毎日毎日」
悪魔アザゼルの襲来から、今日でちょうど一週間になった。
あの日からこの司の家に住んでいる天羽片穂とその姉、導華には今まで司が行ってきた家事の全てを任せている。
朝晩の食事はもちろん、洗濯、さらには学校へ持っていく弁当すら作ってもらっている。
さすがに申し訳なくなり、司は何度も二人に家事をやらせてくれと言っているのだが、
「なに、こちらは居候のようなものじゃからな。手伝うのは当たり前のことじゃ。気にするでない」
その言葉で司は動きを止められてしまう。
毎回この言葉に甘えて任せきってしまう司だが、それでも何か少しでも手伝いをしなければと司は台所へ歩く。
「あ、運ぶのは俺がやりますよ」
「司さん! こっちのお皿お願いします!」
ほとんど自分の仕事が終了した片穂は、料理の準備された皿を司に渡し、それを司はテーブルへ運ぶ。
「はいよー。っと!」
司の配膳によって朝食の準備が完了すると、片穂と導華もエプロンを外し、部屋の中心のテーブルを囲むように座った。
「では、朝ごはんの時間ですね!」
「それじゃ、いただきます」
「うむ。味わって食べるがよい」
超美人の天使二人に挟まれて当たり前のように朝食を食べることにようやく慣れてきた司は、出来たてで温かい料理を頬張りながら、何となく過去を振り返る。
「あの時の戦いからもう一週間ですか。悪魔たちも出てくる気配はないし、余りにも平和で俺が悪魔と戦ってたなんて嘘みたいですよ」
「まぁ悪魔たちの力も無限ではないからの。それに無意味に攻撃を仕掛けてくるようなバカもほとんどおらん。あの三日間は明らかに異常じゃ。アザゼルのやつが一体何を考えているのか全く分からんわ」
アザゼルの襲撃以降、悪魔と戦うどころか、悪魔という言葉さえ聞かないまま一週間が経過していた。
「大波が来る、と言ってましたけど、どういう意味なんでしょうかね」
「多分、悪魔たちの総勢力で下界に攻め込んでくるのでしょうけど、そんなこと今までもほとんど無かったですからね」
「最近での大きな動きは十年前ぐらいじゃのぉ。たった十年でまた動くとは考えにくいが、準備はしないといかんな」
食事をしながら会話をしていた司の手が、『十年前』という言葉に反応して固まるように止まる。
「十年前、ですか?」
「そうじゃが、どうかしたか?」
司は取り戻した片穂との記憶の中にあった出来事を、手繰り寄せる。
「あの、導華さんって俺の母さんと知り合いなんですよね?」
記憶を取り戻すまで知ることのなかった、佐種司の母親、佐種美佳と天使、天羽導華との関係。
司の中で眠っていた記憶の中で導華が片穂を引き取るとき、二人は知り合いのように話していたのだ。
その二人の関係について、今まで聞くタイミングを失っていた司だったが、ようやくそれを見つけ、司は問いかけたのだった。
「うむ。特別長い付き合いという訳ではないがの」
司の質問に、導華は隠すことなく素直に答えた。
そして、導華と美佳の関係を確認した司は、一番聞きたかったことを問いかける。
「じゃあ、今、俺の両親がどこにいるのかって、わかりますか?」
十年前、二人の子供を残して、司の両親は忽然と姿を消した。
特に特別なことは無い、いつも通りの日だったことを、今でも覚えている。
両親が自分たちを置いて出掛けることに少し不安を抱いていた兄妹の頭を撫でたあの手の温かさも、はっきりと覚えている。
―――お母さんたちはやらなければならないことが出来たの。
―――少し、出かけてくるわ。いい子にして、待っていてね。
そういって家を出た兄妹の両親が再び返ってくることはなかった。
少し経って、祖父母が司たちの世話をするために佐種家に来てくれた。それから司が高校に入るまでずっと面倒を見続け、さらには一人暮らしの資金まで出してくれた。
当時は寂しくて兄妹で涙した日も少なくはない。高校になった今ではもう気にすることはなくなったが、両親が返ってきてくれることは願い続けていた。
そして、ようやく両親を知っている人に、天使に話を聞くことができた。
しかし、導華の返事は司の期待には答えられるようなものではなかった。
「…………そうか、帰っておらんか」
「導華さんも分からないんですか?」
落胆の色は隠しきれなかった。
「すまない。ワシは司の両親が十年前の戦いに関わっていたということしか分からんのじゃ」
「それでも、俺の両親は天使や悪魔と関わっていたんですね」
「うむ。詳しいことはわからんが、昔から関わりがあったのは確かじゃ」
それだけでも、両親の失踪に天使や悪魔が関わっていることを知れたのは司にとっては希望でもあった。
自分も天使と関わる身となった以上、両親に出会える可能性は大きく上がったのだから。
「そう、ですか。ありがとうございます。あのもう一つ、いいですか?」
「なんじゃ?」
もう一つの、両親の所在と同じくらい司にとって、大事で、訊きたいことは、
「母さんと父さんって、どんな人でしたか?」
自分の知らない、両親のこと。大好きだった両親。自分のことを愛してくれた両親の、別の顔。
それが一体どういうものなのか、司は聞かずにはいられなかった。
「勇殿は、片穂の師匠であるミカエル様の契約者じゃったな。悪魔との戦いでは、最前線で活躍したと聞いておる。ワシなんかよりもずっと強かったらしいのぉ」
佐種勇、司に「大切な女は、死んでも守れ」と教えた張本人である。
しかし、それを聞いて驚くのは司ではなく片穂のほうだった。
「え⁉︎ 師匠が言ってた契約者さんって、司さんのお父さんだったの⁉︎」
「片穂が司と出会っていたことをミカエル様は知らなかったからのぉ。別にいう必要もなかったんじゃろ」
片穂の驚きを落ち着かせて、導華は話を続ける。
「そして、美佳殿は……」
少し間を開けて、導華は口を開く。
「『神に愛された女』この言葉以外にあの人を説明する言葉が思い浮かばん」
「神に、愛された……?」
「もちろん、司の両親が心から愛し合っていたのは確かじゃ。しかし、あの人の力は人間が持てるものを完全に越えておる」
「そうだね。あの時一回だけ話したけど、普通じゃない感覚がしたよ。なんか、こう、底が見えないような」
ほんの少ししか会話をしたことがない片穂の記憶にも、美佳は鮮明に残っている。
天使である自分と、当たり前に、当然に、日常の延長のように会話をしていたのだから。
さらに、佐種美佳は母としても万能だった。小さな頃の自分から見てもできないことはなかったし、父も母に出来ないことはない、と言い続けていた。
しかし―――
「でも、母さんたちは悪魔たちとの戦いに行って、帰ってこなかった」
司の言葉を聞いて、導華は申し訳なさそうに答える。
「ワシはその戦いに参加できなかった。ワシの師匠のラファエル様や、ミカエル様たちが戦いに参加しておった。二人とも無事に戻ってきたから美佳殿も勇殿も帰ってきておるとばかり……」
「そう、ですか」
一応、司は片穂にも両親のことを知っているのか質問を投げかける。
「片穂は、何か知ってる?」
「いえ。その頃の私は悪魔との戦いは許可されていませんでしたから。申し訳ないですが、何も知らないんです。私も、あの時のお礼をしたいのですが……」
「まぁ、父さんや母さんなら大丈夫だろ。いつかきっと、帰ってきてくれるさ」
少しだけ笑って話す司に、導華は低めの声で言う。
「すまんな。何か情報があったらすぐに伝えよう」
「はい。ありがとうございます」
なんとも言えない空気と気分を変えるために、司はリモコンを手に取りテレビをつける。
『本日の天気です。本日は先週から引き続き大雨となっております。このように連続した雨は十年前に観測されて以来二番目の降水量となっており……』
「雨、止まないですね」
もう、一週間近くまで雨が降り続けていた。別に洪水になるような地域に住んでいるわけではないが、それでも不便には変わりない。
司は電車通学ではないので特別苦しいことはないが、そうではない生徒たちはかなり面倒な思いをしているようだった。
「そうじゃな。何かと不便なことも多いから早めに止んでほしいのじゃがのう」
「でも、雨も楽しいですよ? やっぱり下界は綺麗なものが多いです!」
下界にまだまだ新鮮味を抱く片穂はこのような雨でも目を輝かせる。
「ワシはだいぶ下界を見てきたからそんな気もなくなってしまったわ」
「そんなもんですよね。俺も子供の頃は雨でも外で遊んでいたんですけど」
「子供の頃、のぉ。ワシにも若い時があったのぉ」
そう言いながら導華は懐かしそうに遠くを見ていたが、何かを思い出したのか不意に声を上げる。
「そうじゃ!」
「わ! どうしたのお姉ちゃん⁉︎」
急な声に驚いて跳ね上がる片穂に視線を移し、導華は言う。
「片穂に伝えなければならないことがあったんじゃった。完全に忘れておったぞ」
「何のこと?」
首を傾げる片穂を見て導華はニヤリと笑い、片穂に顔を寄せる。
「片穂よ。お主、学校に行ってみる気はないか?」




