終章 「俺と天使のワンルーム生活を」
窓から差す陽の光は、相も変わらず暖かい。
しかし、今までと違うのは、温かい心もすぐ近くにあるということ。
そんなことを肌と心で感じて、佐種司は目を覚ます。
「あっ! お姉ちゃん! 司さんが起きたよ!」
片穂の声で台所で何か作業をしている導華が、振り返る。
「おお! やっと目覚めおったか! 心配したぞ!」
目が覚めたが、状況が把握できていない司は周りを見回す。
「あれ…? ここは……」
視界に映るのは今まで自分が暮らしてきたワンルームだった。
「俺の……部屋?」
「はい! あの後司さんがすぐに倒れてしまったのでここまで運ばせてもらいました!」
その言葉で、司は昨晩の悪魔との戦いを思い出した。
「そうだ。俺、アザゼルと戦って……。それで倒れちゃったのか」
司の飛んだ記憶が繋がったところで、導華は台所から、司のいるベッドまで歩いてくる。
「まぁ、一度失血死寸前まで血が抜けてから天使化して全力で戦い続ければ倒れるのは当たり前じゃな。むしろ一晩で目覚めたことに驚きじゃよ。ほれ、温かい茶じゃ。飲むといい。さっぱりとするぞ」
そういって導華がテーブルに置いたお茶を、司は手に取る。
「ありがとうございます」
「うむ。昔知り合いに譲ってもらった良質の茶葉じゃ。よく味わうといい」
言われるままに飲んでみると確かに美味である。なんとも落ちつく味。そしてホッと一息ついたところで、ふとカレンダーを目にした司は今日が平日であることを思い出す。
「そ、そういえば、学校は⁉︎」
焦りを見せる司に、導華は優しく伝える。
「心配するでない。すでに学校の方には体調不良による欠席だと伝えておる。無断欠席にはなっておらんから心配せんでよい」
「なら、まぁ大丈夫か」
特別、学校に行きたいという訳でもないので、誰にも迷惑がかからないのであれば構わないか、と司は落ち着きを取り戻す。
そして、司はまたお茶を口に運びながら、導華に話しかける。自分たちにとって一番大事な、記憶の話。
「俺たちって、昔に出会っていたんですね」
「そうか。思い出したんじゃったな。あの時はすまんのぉ。こっちも規則なんじゃ。あの時はどうしても例外にできんかったから記憶を消すしかなかったんじゃよ」
導華の申し訳なさそうな顔を見て、司は笑いかける。
「いや、気にすることじゃあないですよ。最終的には、思い出せたんですから」
そんな司の笑顔を見て、片穂は苦笑いを浮かべる。
「そうですね。私は思い出してくれなかったらどうしようとか思ってましたけど」
「なぁにを言っておるか。やっと司さんに会える~! とか、言ってずっと興奮しておったくせに。お前が下界に降りる前に何度司の名を聞いたことか。耳にタコが出来るかと思ったわ」
導華の口から出てくる裏話に、片穂はかなり動揺して声を上げる。
「お、お姉ちゃん⁉︎ そんなこと言わなくていいの! 黙ってて!」
「はっはっは! よいではないか! 微笑ましくて結構、結構!」
腰に手を当てて大笑いする導華を見て、片穂は頬を膨らませる。
「むぅ~。いつか仕返しするんだからね!」
目を細めて導華を睨む片穂に、司はある疑問を思い出す。
「そういえば、俺に会うために来てくれたのに、あの朝はなんで逃げちゃったんだ?」
全ての始まりであった司の部屋への誤転送と突然の逃亡。今考えてみると逃げ出すことはなかったのではないかと思ったのだ。
その司の言葉を聞いた瞬間、片穂はモジモジと呟く。
「そ、それは……。恥ずかしいし、びっくりするじゃないですか」
「え? 何が?」
頬を赤らめながら、片穂は視線を逸らす。
「………好きな人が、急に目の前にいたんですから」
「ぅ……」
強烈な一撃が、司の心に襲いかかる。
急激な心拍数の上昇に司は言葉が出ない。
顔を赤らめて黙る司に片穂は追撃をする。
「ほ、本当はもっとちゃんと準備してから司さんに会いたかったんです! なのに、あんなみっともない姿を見られて……」
「へ、変な言い方しないでくれ!」
慌てて声を出す司を見て、導華は笑いながら、言う。
「それじゃあ、ワシの妹を辱めた司にはお仕置きが必要じゃのぉ」
「と、導華さんまで!」
司の動揺する顔を見て、導華はさらに口角を上げる。
「司よ。腹は、空いておるか?
「え? まぁ、空いてますけど…」
「なら、朝食を、食べねばならぬな」
不敵な笑みに、司は嫌な予感を感じ取る。
「へ?」
「片穂! 持ってきてやれ」
「うん!」
導華の言葉で、片穂は台所へ行く。
「まさか……」
司は悟る。これから先に起こるであろう悲劇と、その戦いを。
「はい! 司さん。『おむらいす』ですよ!」
片穂がテーブルに置こうとするときに、司は反射的に目を瞑る。
司は怖くて目を瞑ってしまったが、逃げられないことはもう分かっている。
過去に二度も食べたんだ。今度だって、なんとかなるはずだ。
司はゆっくりと目を開く、そしてそこに映る禍々しい料理を―――
「って、あれ? 黒く、ない?」
そこにあったのは、司が今まで食べてきたもの同じ黄色い料理。
それはまさしくオムライスで、片穂の作る『おむらいす』とは別物だった。
驚く司に対して、導華は笑みを浮かべたままである。
「とりあえず、食べるがいい」
言われた通り、司は『おむらいす』を口に運ぶ。
「どう……ですか?」
「……おいしい」
特別美味であるわけではない。しかしそれでも余りにも進歩した片穂の料理の技術に、司は驚きを隠せない。
そんな司を見て、片穂は静かに、喜びの言葉を口にする。
「えへへ……。よかったです」
「まぁ、どうしようもなくて半分以上はワシが作ったんじゃがな! はっはっは!」
再び大笑いする導華に、片穂は先ほどと同じ様に頬を膨れさせる。
「むぅ~! お姉ちゃん! また余計なこと言って!」
「それでも、片穂だって作ってくれたんだろ?」
「は、はい」
「なら、嬉しいよ。ありがとう」
司は分かっている。どれだけこの天使が愛情を込めて料理を作ってくれたのか。
自分のことをここまで想ってくれる相手に、感謝をしないわけがない。
想像以上に真っすぐな司の言葉に、片穂は照れながら返事をする。
「………はい。どう、いたしまして、です……」
そして、想像以上に食が進み、司はあっという間に『おむらいす』を完食した。
「御馳走様でした!」
「うむ! 元気でなりよりじゃ!」
「はい! 良くなってくれて嬉しいです!」
二人の笑顔を見ている司の視界に再びカレンダーが映り、司は片穂に問いかける。
「そ、そうだ! 今日って、研修四日目だよな? もしかして、帰っちゃうのか?」
「あ、それは……」
少し、口ごもる片穂の代わりに、導華が説明をする。
「『悪魔アザゼルの撃退の功績、膨大な力の消費のための休養、悪魔たちに大規模な動きあり、悪魔への警戒及びその動向の観察。以上の三点より天使カホエルは天使カトエルと共に下界に待機すること』だそうじゃ」
紙に書いた内容を音読するような導華の説明を、片穂が分かりやすく要約する。
「つまり、悪魔たちが動いたらすぐ対応できるように下界にいろ、ということです!」
「じゃあ、まだこっちにいるのか?」
「はい! なのでこれからもお世話になります! 姉妹共々、よろしくお願いします!」
笑顔で返事をする片穂の言葉の中に、司は一つ疑問を浮かべる。
「姉妹、共々……?」
「なんじゃ。そんなにワシがいるのが嫌か?」
導華の不満そうな言葉に、司は慌てて弁明をする。
「え、い、いや! まさか導華さんまで俺の家に住むとは思わなかったので」
「探そうと思えば家などいくらでも探せるんじゃがな。ここにいた方が何かと楽しそうじゃからな。よろしく頼むぞ。司よ」
司の前で腰に手を当てて堂々と立ちながら、導華はにかっと笑った。
「は、はぁ……」
そんなことを言いながらも、司は内心安心していた。
まだまだ、片穂と共に過ごしていくことができるのだから。
互いに好きだとはいえ、共に過ごした時間はたったの五日間。もっと、この天使と思い出を作っていきたい。
十二年という長い時間を、取り返せるぐらいの楽しい思い出を。
そんなことを考えているだけで、心が温かい。
片穂がいてくれるなら、きっとどんなことでも乗り越えられる。
この先どうなっていくかは分からないけれど、それでも、二人で歩いていこう。
互いに力を貸しあって、支えていこう。
一人で完璧である必要なんて、ないのだから。
「よろしくお願いしますね! 司さん」
「あぁ。こちらこそ」
天使の明るく、優しく、美しい笑顔に、司は静かに返事をした。
そして、司は誰にも聞こえない声でそっと呟く。
「まぁ、楽しむとしますか」
俺と片穂の同居生活。なかなか、楽しそうじゃないか。
ゆっくりと、のんびりと、大切に、一歩一歩、俺たちらしく進んでいこう。
これから続いていく、俺たちの生活を。
――――俺と天使のワンルーム生活を。
ここまで読んで頂き、本当にありがとうございます!
めちゃくちゃ最終回みたいな閉め方をしてしまいましたが、司と片穂の物語はまだまだ続きます!
諦めずに進み続ける二人を、どうかこれからも見守ってあげてください!




