その2「灮焔之大剣」
闘志を剥き出しにして司は立ち上がる。
しかし、その体は傷だらけで、自己再生が追いついていない。導華が下界へ降りて司たちと出会ったときのように、傷は治ってはいるのだが、傷が塞がるまでの時間がかなりかかっている。
かろうじて立ち上がったが、痛みに顔を歪め、体には力が入っていない。
そんな満身創痍の司を見て、アザゼルは剣を振り上げる。
「無駄だ。消え失せろ」
しかし、その剣は光り輝く線によって再び防がれる。
「【破壊之光弓】! 離れんか! バカ者!」
悪魔に奇襲が二度も通じることはなく、今度は光の矢に即座に反応し、アザゼルは瞬時に後ろへ回避する。
「ちっ」
止めを刺しきれなかったアザゼルは悔しそうに舌打ちをする。
そんな悪魔に見向きもせず、導華は司へ駆け寄る。
「大丈夫か! 司!」
導華は司の怪我を治そうと手を出そうとするが、司はその手を止める。
「待って、ください」
司が導華の手を治療を止めたのは、遠慮などではない。
心の中で、天使の声が聞こえたからである。
『お姉ちゃん。お願いがあるの』
司の心内から聞こえてくる片穂の声に導華はすぐに反応する。
「どうした、片穂」
『二分間、アザゼルから時間を稼いでほしいの』
その一言で、導華の表情が変わる。
「あの技を、使うのか」
『うん。司さんが天使化してる今なら、使えるはず。だから、お願い』
「今は、それが一番のようじゃのぉ」
導華は片穂の提案を迷わず受け入れ、手に握る光の弓を消滅させる。
そして、ボロボロの体で、導華はゆっくりと一歩ずつ歩き、アザゼルの前に堂々と立つ。
「おい。お前に用はない。どけ」
司との戦いを再三に渡り邪魔をされたため、アザゼルは苛立ちを露わにする。
導華は悪魔に動じることなく、凛と腕を組む。
「あいつらの元へ行きたければ、ワシを倒してからにしろ、なんてかっこつけたい所なんじゃがのぉ」
「知るか。お前にもう興味はない。お前は俺よりも弱い。なぜまた前に出る」
悪魔は問いかける。力が及ばず、傷だらけの体でなぜ、尚も前に立ち続けるのかを。
「なぜ……じゃと? そんなの決まっておるわ」
導華は続ける。穏やかだが、決意の籠ったような、はっきりとした声で。
「戦っている妹の目の前で、ワシが背を向けるわけにはいかんじゃろうが。ただ、それだけじゃ」
諦めない理由なんて、単純だった。
それは、片穂が、妹が、諦めていないから。ただ、それだけ。
天使としての役割は、正義は、大義名分は、全て表面だけの理由。実際は違う。
心から自分に憧れ、その背中を追いかけてきてくれた妹の前で、逃げることの出来ない、完璧な姉のちっぽけなプライドだった。
そのちっぽけなプライドが、導華の背中を押し続け支え続ける。導華は振りかえらない、否、振りかえらせてくれないのだ。純粋で一途な、自分の妹が。
「二分間、技の準備で司たちは無防備じゃ。その間にワシを倒してみろ。出来なかったらお前の負けじゃ。簡単じゃろう?」
導華の提案に、アザゼルは笑みを浮かべる。
「面白い。乗り越えてみせよう。その壁を」
アザゼルは身構える。二度、油断して仕留め損ねた。今度は、一瞬の隙もないように攻撃するために、悪魔は神経を尖らせる。
導華も同様に重心を下げる。そして、悪魔を睨みつけ、言う。
「全力で、行くぞ。覚悟しろ。今度の【天翔】は、さらに加速するぞ」
導華は全身に力を入れ、力を蓄える。捨て身で構わない。二分間だけでいい、あの悪魔を、止める。
命を、削れ。絞り出せ、最後の一滴まで。
―――【颶風之天翔】
暴風が、吹き荒れた。
悪魔が殴られたことを自覚したのは、視界に映るものが地面に変わった瞬間だった。
「なんっ……だ……⁉︎」
アザゼルは理解が出来ていない。しかし、視線を上げて導華を見つけた瞬間に、ようやくその意味を悟る。
「お前は、回復に特化しているのではないのか!? なのになんだ、その右手は……」
アザゼルを殴りつけた導華の右腕の肩から先は、回復するどころか、傷だらけで血が滴り落ちている。
まるで内側から腕が破裂したかのような、半壊した右腕。
「ただ、体が壊れるギリギリまで治療に回す力を減らしてその分を身体能力に上乗せしただけじゃ」
導華は逃げることを止めた。後に引く退路を、保険を、自ら断った。今、導華が二分間だけ、アザゼルと互角以上に戦える術はこれしかなかったのだ。
それでも、己の全てをかけて導華は司たちを信じて戦う。
アザゼルは動揺したように声を上げる。
「一撃でその腕では、二分間俺を止めることなど不可能だぞ」
「ワシを誰だと思っておる。天界随一の、エリート天使じゃ。自分の技に喰われるほど、軟ではないわ」
血まみれの拳を導華は堅く握る。
「そうか。ならば完膚なきまでに叩きのめすのみだ」
「やってみろ。殴り返してやるわ」
そして、導華は風のように消え、アザゼルの目の前に移動する。
導華は再び、高速でアザゼルを殴りつけるが、悪魔の双剣はその打撃を受け止める。
しかし、速さで勝る導華の連打は、アザゼルでも防ぎきれない。
そしてついに、導華の強烈な鉄拳がアザゼルを襲う。
それでもアザゼルは致命傷を避け続ける。
激しい攻防戦の中で、アザゼルは導華への反撃方法を変更する。
「天使よ。随分と苦しそうに拳を振るっているな」
「なにを言って―――」
瞬間、導華に激痛が走る。
「~~~~~ッッッ‼︎」
猛烈な痛みに顔を歪め、声も出せず、導華が押さえているのは自分の拳。
「そんなに腕を壊れる寸前までに酷使し続けているのを、狙わない理由など無いだろう?」
アザゼルが狙ったのは自らの回復を無視した【颶風之天翔】でボロボロになった拳であった。
もちろん導華は殴るたびに感じる痛みを堪えて攻撃をしていたが、予想にしない外部からの痛みには無防備であった。
腕が破裂していくようなそんな痛みの中でも、導華は無理やり笑みを浮かべる。
「痛みがあるなら、まだ神経は元気に腕に繋がっておる。残念じゃが、まだまだ戦えるのぉ」
「そうか。では、続けよう。情けなど、微塵もかけんぞ」
アザゼルが攻撃を再開し、導華はボロボロの腕を無理やりアザゼルへ叩きこんでいく。
地獄の二分間は、未だに終わらない。
そして、その戦いの後ろでは目を閉じひらすらに集中している天使化した人間が一人。
技のための力を練り込んでいる司たちは、導華とアザゼルの戦いに対して、焦りを感じていた。
導華の戦い方は明らかに二分間も続くようなものではないことは、片穂も司も感じている。
それ故、自分たちのために戦い続けてくれる導華を、二人は意識せずにはいられない。
「ま、まだか⁉︎ 片穂!」
導華のことが心配で一秒でも早く助けなければという気持ちがさらなる焦りを生む。
『全力でやってます! あとちょっとなんです!』
しかし、司以上に片穂は姉のことを心配している。それでも、集中は切らさない。
今、自分が出来ることを全力で行うことが片穂にとっての最善だからである。
―――頑張って、お姉ちゃん。
片穂は祈る。自分の姉が、いつものように勇敢に敵を倒してくれることを。
しかし、時に理想と現実は食い違う。
「こんなものか。天界随一の天使というやつは」
悪魔の目の前で、血だらけの天使は今にも倒れそうな不安定な状態で立っている。
アザゼルの攻撃に加えて、【颶風之天翔】で傷ついた体たちが、悲鳴を上げる。
腕も足も、血に染まった状態で導華は立ち続ける。
「ぐっ、まだじゃ……。まだ、倒れるわけにはいかん……」
必死に導華は悪魔に食らいつく、たった二分間を、死守するためだけに。
瀕死の状態でもなお道を譲らない導華に、アザゼルは叫ぶ。
「その悪あがきが一番情けないわ! いい加減諦めろ!」
それでも、導華は立ち続ける。妹の約束を、守るために。
そして、諦められないのだ。片穂が、勝ちを信じて戦う限り。
このちっぽけなプライドが、体を支え続ける限り。
「諦めん。諦めんぞ。ワシは……ワシは……」
今にも倒れそうな体であるにも関わらず、執拗にアザゼルにまとわりつく導華に、悪魔は声を張り上げる。
「いい加減消えろ!」
悪魔は止めを刺すために剣を振り上げ、闇をその剣に集中させる。
そして、悪魔はその闇を天使に向かって振り下ろす。今度は完全に息の根を止めるために。
天使の首を狩るために、悪魔の剣が振り下ろされる瞬間だった。
――― 一閃。
導華に向かって落下していく闇を、眩い白光が遮った。
悪魔の剣を防いだのは、黄金に輝く剣。そして、その使用者。
「お待たせしました。ありがとうございます。導華さん」
傷だらけの天使を司はそっと左手で支える。自分で立つことができないほど衰弱した導華は、人形のように司に寄りかかる。
そして、司の心から優しい声が姉に伝わる。
『ありがとう。お姉ちゃん。後は任せて』
満身創痍にもかかわらず、導華は笑み浮かべる。
「遅すぎるわ。待ちくたびれたぞ」
『ごめんね。でも、もう準備はできたから』
姉を労うように、片穂は穏やかに言った。その言葉を聞いて、導華は安心した様子で、
「あぁ。任せたぞ、片穂。ワシは、少し休む」
「うん」
導華はゆっくりと目を瞑る。でも、息はある。命が無くなるほどではないと分かると、司はそっと導華を地面に寝かせる。
「ありがとうございます。導華さん」
司は蓄えた膨大な力を体に抱え込みながら、毅然として悪魔へ歩み寄る。
近寄っただけでアザゼルは司たちが練り込んだ力の大きさに気付く。
「随分と力を練り込んだようだが、俺を楽しませてくれるのか?」
「あぁ。くれてやるよ。とっておきのをな」
司と片穂は、心の中で気持ちを通わせる。
『片穂、いくよ』
『はい』
ゆっくりと、司は剣を天に掲げる。
そして、二人は言葉を発する。目の前の悪魔を倒す、最後の技の名を。
「『【灮焔之大剣】』」
その言葉が発せられると同時に、辺り一帯が光に包まれる。
いや、包まれているのではなく、照らしているのだ。
空を隠すほどの、巨大な剣が。
未完全な天使の、唯一誰よりも勝っていた天使の力の全てが、この剣に凝縮されている。
陽が出ているかのような輝きに、悪魔は思わず目を細める。
しかし、その技に宿る莫大な力を認識したアザゼルは、笑みを浮かべ、声を上げる。
「この力は! 面白い! 面白いぞ佐種司ァ! その一撃、跳ね除けてみせよう!」
アザゼルも迎え撃つように双剣を構え、大剣を見つめる。
「食いやがれ。俺と片穂の、全てを懸けた一撃だぁあああ‼︎」
司の魂の叫びと共に、大剣が振り下ろされる。否、さながら隕石のように、それは落ちてくる。一つの存在には大き過ぎる力が、アザゼル一点に向かっていく。
それを、悪魔は真っ向から迎え撃つ。
アザゼルの持つ漆黒の双剣が、異常なまでの闇をかき集め、剣に吸収されていく。
「【鴉陰之鵬翼】‼︎ 我が全ての力を持って、お前の希望をうち消してやろう!」
そして、アザゼルは渾身の力を込めた一撃を放つ。それはまるで黒く染まった鵬が闇を纏って翔けるかように、巨大な闇が大剣に向かっていく。
しかし、その大きさでは、片穂の全身全霊には遠く及ばない。
悪魔を、闇を、全て吹き飛ばすかのように、司と片穂は咆哮する。
「『うぉぉおおぁああ‼︎ いっっけぇえええぇぇええ‼︎』」
【鴉陰之鵬翼】を一瞬で消滅させ、悪魔へと巨大な光がぶつかると、光が弾け、辺り一面全てが白光で塗り潰された。
そして、全てを懸けた攻撃は花火のように輝き、消えていく。
白く染まった景色が通常に戻り、司は目の前を確認するが、そこには誰もいない。
「やったか⁉︎」
『司さん! まだアザゼルの力は消滅していません!』
心から聞こえる片穂の声で、司は視線を移す。
そこでは、片膝をついて荒く息をして左肩を押さえている傷だらけの悪魔がいた。
「はぁ……はぁ……。なかなか、重い攻撃だった。腕を一本、持っていかれたぞ」
よく確認すると、アザゼルの押さえている左肩からは血が溢れだし、それを食い止めるための腕が存在していなかった。
しかし、これだけの技を使っても尚、アザゼルの腕を落とすことだけしかできなかった。
「これでも、ダメなのか……?」
『いえ、向こうも限界です』
落胆している司に、片穂は冷静に説明する。
もう悪魔は虫の息。あと一歩で倒すことが出来る。
「じゃあ、今がアザゼルを倒すチャンスじゃ……………ッ!」
だが、その一歩を踏み出す力さえ、司たちには残っていなかった。
導華も、今は眠りに落ちているので、戦闘不能である。
『私たちも【灮焔之大剣】で力を使い切りました。ここが、限界です。』
尚も冷静に、片穂は司を止める。
片穂は誰よりも、自分の弱さと向き合い、その中の最善で戦ってきた。故に、完全な限界点も理解している。
そして、天使の力が完全に尽きてしまった以上、天使化している司の命も削られてしまう。
そんな片穂の気持ちが司の心の中に響き、司は足を止める。
そして、悪魔は肩を押さえたまま立ち上がり、苦しそうに声を出す。
「今回は、引き分けのようだな。ここは、退くとしよう。少々重い代償だったが、目的は大方果たした」
悪魔は漆黒の翼は羽ばたかせて空中へ飛び上がる。
「ま、待てっ!」
司は手を伸ばすが、体が言うことを聞かずに進んでくれない。
悔しそうに立ち止まる司に、アザゼルは言う。
「次に会うときは、敵か味方か、楽しみな所だ。せいぜい力を蓄えておけ。後に来る、大波に備えて」
理解の出来ない言葉に司は声を上げる。
「どういうことだ! アザゼル!」
悪魔を追いかけようと動かない足を無理やり前に出そうとした瞬間に、天使化している司の体から光が溢れだす。
すると、司を纏う光が剥がれ落ちて司の天使化が解除され、司から離れた光たちが集合し、天羽片穂となる。
現実世界に帰ってきた片穂は動こうとしている司を腕で制止し、支える。
「司さん! もう身体がボロボロです! これ以上は司さんが死んでしまいます!」
片穂の声を聞いて、司の体は完全に停止した。
「そういう訳だ。また会おう。佐種司。そして天使カホエルよ」
そう言い放つと、悪魔は飛翔し、暗夜の中に消えていった。
アザゼルの姿が見えなくなると、司の緊張の糸が解け体の力が抜けていく。
足元がふらついた司は、そのまま片穂にもたれかかる。
「司さん⁉︎ 大丈夫ですか⁉︎」
「あぁ。ちょっと疲れただけだから、心配しないでいいよ」
一度深呼吸をした後、司は片穂に問いかける。
「戦いは、終わったんだよな?」
「はい。もうここに、悪魔はいません」
「そうか。俺は、守れたんだな。よかった」
「はい。お疲れ様でした。とっても、かっこ好かったですよ」
「ははっ。そりゃあよかった」
そう言っている最中にも、司の疲労は意識を保つことを許してくれない。
「片穂、ごめん。俺、少し寝るよ」
司の疲弊した顔を見て、片穂は穏やかに笑いかけて、
「はい。ゆっくり、休んでくださいね」
片穂の優しい声が、さらに司を眠りへと誘う。
そして、司の意識は、ゆっくりと深い心の奥へ沈んでいった。




