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俺と天使のワンルーム生活  作者: さとね
第一章「俺と天使の四日間」
15/106

その2 「星に願いを」

 少女を眠りから覚醒させたのは暖かな太陽の光であった。日差しを感じて、少女は目を開ける。


「……あれ……? ここ……どこ…?」


 立ち上がり、辺りを見回す。少女が今まで姉の仕事場で見てきた風景の中でも特に人間が少ない場所で、周りは殆ど緑色。生い茂る木々や、田んぼ、民家もあるにはあるが少女の視界に映るのはたったの二件程度。無論、少女の周りに人の気配はない。


 なによりも、いつも一緒にいてくれた大好きな姉がいないことが少女の不安を駆り立てた。


 少女は歩き出す。しかし、自分が今どこにいるのか分からない。何処へ向かっているのかもわからない。ただ、大好きな姉を探すことだけを考えて少女は歩き続ける。


 だが、三十分ほど歩いたところで、少女の足と心の限界がやってくる。


「お姉ちゃん……お姉ちゃん……」


 頼れる姉はどこにもいなかった。不安で満ちた心と歩き続けた疲労は少女の歩みを止める。限界を感じた少女は道の横でしゃがみ込むが、そうしてみたところで周りに人影はいない。姉どころか、助けてくれる人さえいない。


 それに加えて、長時間歩いて火照った体も、片穂にとって初体験である。体温がいつもよりも格段に高い感覚がはっきりとあった。


 天界では天使として存在できるため、体調などに善し悪しなど関係ない。しかし、下界ではこのような感覚も慣れていない少女には負担となる。


 道の片隅に腰を下ろしてから約五分が経った。周りを見ても不安になるだけだと思い、少女は下を向いたままだった。潤んだ瞳から涙が溢れそうになってくる。視界が霞み、悲しみが外に漏れ出しそうになった瞬間だった。



「どうしたの?」



「え……?」


 突然聞こえた声で、少女は驚きに顔を上げる。


 視線を上げた先にいたのは、自分と同年代の少年だった。心配そうな表情で、少年は悲しみに暮れる少女の顔を見つめる。


「そんなに泣いて、どうしたの? 迷子?」


 自分が泣いている理由は、明らかだった。


「お姉ちゃんが……いないの」


 姉の不在。少女の人生に姉が無い時間は少しもなかった。そんな存在がいなくなり、少女の心は安定を失っていた。


「お姉ちゃん? いなくなっちゃったの?」


 無言のまま、少女は頷く。

 そんな少女を見て、ほんの少しだけ少年は何かを考え、そして決心をしたように口を開く。


「そうなんだ。じゃあ、僕が一緒に探してあげるよ!」


「……いいの?」


 泣きそうな表情のまま返事をする少女に対して、少年は明るい笑顔で、


「うん! 僕の家がこの近くだから、きっと力になれると思うよ!」


 悲しくないのに、涙が出ていた。途方に暮れて、どうしたらいいのか分からなくなってしまった自分の元に指した一筋の光を、少年の優しさを、少女は丁寧に受け取る。


「……ありがとう……」


 少女の礼を聞くと、少年はそっと手を差し出す。


「さぁ! おいで。一緒に君のお姉ちゃんを探そう!」


 少女の心を覆っていた不安が、少年の優しさで剥がされていく。目の前に出された小さな掌を、少女はそっと取る。


「……うん……」


 立ち止らずに、前に進もう。そう決意して立ち上がろうとした時だった。



「あ……れ……?」



 立ちくらみのような感覚に襲われ、視界が外側から灰色に侵略されていく。目に移る世界がぐるぐると回り、ぼやけていく。平衡感覚を失った少女は立ち上がる勢いをそのままに少年にもたれかかる。


 この時に初めて自分の体の異常に少女は気付いた。寒気、吐き気。幼い体には余りにも大きな負荷に耐えきれない少女は紐の切れたマリオネットのようで、体から全ての力が抜け落ちる。


 急に力の抜けた様子の少女に驚いた少年は、動揺を露わにして声を上げる。


「だ、大丈夫⁉︎ しっかりして!」


 心配する少年の声も、次第に遠くなってくる。少女の視界はどんどんと減っていき、意識も朧げになってくる。



 そして、少女の意識は闇の中へ引きずりこまれていった。








 額に、気持ちの良い冷たさを感じた。


「ん……」


 少女が目を覚ますと、見知らぬ天井が見えた。そして視線を少し横にずらすと、先ほどの少年が隣に座っていた。


 少女の意識が戻ったことに気付いた少年は安堵の声を上げる。


「あ、起きた! よかったぁ」


 ゆっくりと体を起こし、周りを見回す。木造建築の一般的一室。畳みの上に敷かれた布団に自分が寝ていたことに少女はこの時初めて気付いた。


 少年の顔を眺めながら少女は口を開く。


「ここ……は?」


「僕の家だよ! 急に倒れたと思って触ったらすごい熱だったんだ! 無事でよかったよ」


 はきはきと少年が体を使いながら説明をしていると、部屋の襖を開けて女性が入ってくる。和服に身を包んだ長髪の女性は、少女が起きた事を確認すると明るい表情で、


「まあ、起きたのね」


「うん! もう大丈夫みたいだよ!」


「そうみたいね。ちょっといいかしら?」


 女性は少女の目の前に腰を下ろすと、片手で自分の、もう一方で少女の前髪を上げると、互いの額を合わせる。


「へ……」


 少し少女の体温を確認すると、女性は魅力的な笑顔で、


「うん。 熱もない。 さすが私ね」


「あ、ありがとうございます」


 少女の礼に対して、笑顔のまま答える。


「どういたしまして。あなた、名前は?」


「カホ……じゃなくて、天羽……天羽、片穂……です」


 片穂がどもるのは少し前に姉から教わったことを思い出したからであった。姉が下界のことを話している時に聞いた事。


 天使であるとこは原則人間に伝えてはならない。


 もしそれが露呈してしまった場合、もしくは必要以上に天使として人間に関わってしまった場合は、その干渉自体を記憶の改変によって無かったことにしなくてはならない。


 今ここで片穂が自分の天使としての名前を言ってしまうとその規則に触れてしまう可能性があるため、人間としての名前にとっさに言い換えたのだった。


「そう、片穂ちゃんね。私はこの子のお母さんの美佳。佐種美佳。よろしく」


 片穂は頭を撫でられながら返事をする。


「は、はい……」


「ほら、あなたも自己紹介しなさい」


「うん。僕は佐種司。片穂ちゃん! よろしくね!」


 母の言葉の通りに司は名を名乗る。


「う、うん」


「それよりも片穂ちゃん。 お腹、減ってない?」


「お腹……」


 美佳の言葉を聞いて片穂は自らの腹に手をやると、ぐぅ、と可愛らしく体が空腹を訴えた。


 飢えを理解した片穂は少し照れながら上目遣いで呟く。


「……ぺこぺこ、です」


 片穂の言葉を聞いた美佳は手を合わせながら笑顔で、


「そう。ちょうどよかった。お夕飯がさっき出来たばっかりなの。片穂ちゃんもどうぞ」


「え、あ……あの……」


 片穂が返事をする前に司は片穂の手を取る。


「こっちだよ! 下の階でお父さんも真穂もいるから!」


「う、うん……」


 言われるままに片穂は司に引かれて下の階に下りる。


 下りた先のリビングでは、司の妹と父が食卓を囲んでいた。妹は司と片穂に気付くと、笑みを浮かべて声をかける。


「あ! お兄ちゃん! それにさっきの女の子だ! 元気になったんだね!」


「こいつは僕の妹の真穂! それにこっちがお父さん!」


 司は自らの家族を片穂に紹介する。それに答えるように、片穂も自己紹介をしようとしたのだが、


「は、はじめまして! あ、天羽片穂と申しまふっ!」


 今までほとんど会話をしてこなかった事と、緊張とが合わさって盛大に自己紹介を失敗した片穂は顔を赤くしながら下を向く。

 そんなあどけない片穂の羞恥心を司の父は笑い飛ばす。


「がっはっは! よろしくなぁ片穂ちゃん!」


「さぁ、ここに座って」


 司に誘導されて、片穂は司の隣の椅子に腰かける。


「お母さん! 今日のご飯は何?」


「ふふふ。今日は二人の大好きなオムライスよ」


 母親の言葉を聞いた兄妹は笑顔で声をあげる。


「やったー! オムライス!」


「……おむらいす?」


 まだ下界についての知識が少ない片穂にはオムライスという料理名を聞いたことがなかった。

 理解が出来ていない片穂を見て、真穂は問いかける。


「片穂ちゃんってオムライス食べたことないの?」


「お母さんのオムライスはすっごく美味しいんだよ! ほら、食べてみなよ!」


「う、うん……」


 司の言葉を聞いて、片穂はスプーンを手に取り、オムライスを口に運ぶ。


「お、おいしぃ……」


 余りの美味しさに片穂は自分の頬をそっと手で押さえ、幸せ色に顔を染める。そんな片穂の顔を見て、美佳は穏やかな声で、


「私の料理はどうかしら?」


「すっごく美味しい!」


 片穂が初めて見せた、満面の笑み。緊張や疲労で今まで強張っていた表情がようやく無邪気な少女のそれとなる。


「そう。それはよかったわ」


 美佳も笑顔で答え、それを見た司の父も嬉しそうに笑う。


「そもそも母さんに出来ないことなんてないからな。飯が美味しくないなんてありえん!」


「あらあら、お父さん。それはさすがに言い過ぎだわ」


 美佳の言葉に司の父は「がっはっは!」とさらに大きく笑う。


 父の笑いの中、司は思い出したように声を上げる。


「そうだ! 片穂ちゃんはお姉ちゃんとはぐれちゃったらしいんだ。探してあげたいんだけど」


 その言葉を聞いて、美佳は片穂に確認をとる。


「あら、そうだったの?」


「はい……」


 明らかに片穂の元気が無くなったのが視認できる。先ほどまでの笑顔が一気に消えて、片穂は俯く。


 片穂にとって、姉は無くてはならない存在。今まで忘れていた姉の不在を思い出し、片穂は不安に襲われていた。


「片穂ちゃんのお姉ちゃんって、どんな人なの?」


 片穂の心の変化に気付かない無邪気な少年は、素直に自分の疑問を片穂へ投げかける。


「私のお姉ちゃんは……とっても凄いんだよ! なんでも出来て、私なんかよりもずっと凄いの」


 大好きな姉の自慢をしようとしたが、言葉が徐々に小さくなる。自分とかけ離れた姉の存在を遠くに感じているように。その心が浮き出るように、片穂はほんの少しだけ寂しい表情になる。

 そんな片穂の顔に真穂は気付かず、胸を張って誇らしげに、


「じゃあ私と一緒だね! 私、お兄ちゃんよりもずっと凄いんだから!」


「あらあら。それならほっぺにケチャップをつけながら話されてもそんな風には見えないわよ?」


「げっ」


 慌てて頬についたケチャップを拭きとる真穂を見て、食卓に笑い声が響く。それにつられて片穂も笑うが、姉がいない不安に胸がつまったどことなくぎこちない笑顔だった。


 そんな少女の心に気付くことなく、食卓の時間は過ぎ去っていく。そして十分もしないうちに兄妹はオムライスを食べ終わり、満足そうに真穂は背もたれに体を預けて脱力する。


「お腹いっぱ~い。美味しかった〜」


「僕もお腹いっぱいだー」


 満足感に身を浸す兄妹に、美佳は声を掛ける。


「あなたたち、まだお風呂に入ってないでしょう?」


「うん! まだだよ」


「なら片穂ちゃんと一緒に三人で入ってきなさい。そしたらみんなでゲームして遊んでいいわよ」


 母親からの遊びの許可を聞いた瞬間に、真穂が勢いよく立ち上がる。


「ほんと⁉︎ お兄ちゃん! 早く入ろう! 片穂ちゃんも! ほら!」


「え? う、うん……」


 真穂に手を引かれて、片穂はされるがまま風呂場へ連れていかれ、それに司もついていく。

 子供たちの姿が見えなくなると、笑みを浮かべたまま美佳は夫へ話しかける。


「さてと、少し出てくるわ」


「今回は、俺が手伝うことはないみたいだな」


 その一言で全てを察した司の父は、落ち着いた様子で返事をする。


「ええ。明日も仕事でしょう? 明日に備えてもう寝ちゃってもいいわよ」


「なら、俺はもう部屋に籠ってゆっくり休むとするよ。何かあったらすぐ起こしてくれ」


 美佳の言葉を素直に受け入れ、司の父は腰を上げる。


「ありがとう。大好きよ」


「俺もだよ」


 甘い言葉を交わして、司の父は静かに自室へ向かって歩いていく。

 美佳はその背中を少し見てから振り返り、玄関へ向かう。

 外へ出てほんの少し歩いた場所。家もまだ視界に入る距離。辺りには木々と田畑しかなく、辺りは静寂に包まれている。


 そんな中、美佳は微笑みながら口を開く。



「いるのでしょう? 出てきていいわよ」



「完全に、気配は消したつもりだったんじゃがのう。さすがは美佳殿じゃな。そちらに迷惑をかけないように頃合いを見計らってこっそり片穂を連れて帰ろうかと思ったんじゃが」


 どこからともなく声が聞こえる。そして、誰も存在していないはずの空間から、純白の翼を背負った小さな天使が光と共に音もなく現れる。静かに美佳の目の前に降り立った天使から淡い光が溢れ、着物を着た女性へと姿を変える。


 美佳はその姿を確認して、その天使の目を見て話しかける。


「あなた程の天使が近くにいたら嫌でも気が付くわ」


 美佳の言葉を聞くと、ため息交じりに苦笑いをする。


「はっはっは。そんな言葉を言える人間はあなたぐらいじゃろうに」


「ふふふ。ところで、あなたがあの子のお姉ちゃんってことでいいのよね」


「そこもお見通しか。その通り。片穂はワシの妹じゃ」


 導華は笑ったまま返事をして、頷いた。


「あの子、勝手に降りてきたんじゃない?明らかに体が変化に対応しきれていなかったわ」


 司が片穂を家まで運んできたときに片穂の容態を見た美佳は、その体の異常な変化に気付いていた。片穂は単に体調を崩したような衰弱の仕方をしていなかった。


 例えるなら、寒帯の生物が突然熱帯へ移動してしまい急激な環境変化に対応できないような、そんな衰弱。明らかに片田舎で倒れた少女の苦しみ方ではなかった。


 その理由を、美佳は天界から下界への環境変化と考えたのだ。その美佳の推測を聞いて、導華は再び頷く。


「不甲斐ないことに、仕事中に目を離した隙に降りてしまっての。美佳殿がいなかったら今頃片穂は消えていたかもしれん。礼を言おう」


 天使という存在が肉体としてこの下界に降りるためには、天使の力を使った肉体の中に存在を閉じ込める必要がある。無論、天使の力を使っているのだから準備をせずに急に下界に降りてしまうと体にはかなりの負担がかかる。


 普通の天使でさえその準備を欠かすことはない。それなのに未熟な天使である片穂が不意に下界に降り、その変化に対応など出来るわけがなかった。


 もし、誰も苦しむ片穂に気づかないまま時間が過ぎてしまったとしたら、片穂の命は確実に消滅してしまっただろう。


 そして、自分の妹の命を救ってくれた恩人に対して導華は感謝を伝える。


「あら、お礼なら司に言って頂戴。あの子が必死になってあの子を家まで運んできてくれたのよ。司がいなかったら確実に手遅れだったわ」


「そうか。なら片穂を引き取るついでに一言礼を言っておこう。もうこそこそと動く理由もなくなってしまったからの」


 美佳の話を聞いた導華が、片穂の引き取りと司への礼を伝えに佐種家へ向かって歩き出そうとしたときだった。


「導華、その引き取り、もう少しだけ待ってもらってもいいかしら」


 美佳の横を通り過ぎようとした導華は足を止める。


「……理由を訊こう」


 目を合わせないまま、美佳は話し始める。


「あの子、天使の中でもかなりの力を持っているようだけど、恐らく正確に扱えているのはほんの少しだけでしょう?」


「……その通りじゃ」


 先ほどまでの笑顔は消え、二人から陽気な雰囲気は一切消え去っていた。真剣な面持ちのまま、美佳は話し続ける。


「きっとそれは単に技術だけの話ではないわ。もっとずっと根本的な所で、あの子は止まっている」


 夕食時の少しの会話の中で、美佳は片穂の心の底の感情を察していた。美佳は既に片穂の心を縛る枷に気が付いていたのだ。しかし、当の本人である導華は、その事には全く気が付いていない。


「それは、ワシが解決することは出来ないのか?」


「多分、難しいでしょうね」


「それを、美佳殿が解決してくれると?」


「ふふふ。私じゃないわ」


 真一文字だった口角が上がり、美佳は得体の知れぬ笑みを浮かべる。その薄気味悪さに耐えられず導華は少しばかりの焦燥に駆られ、早口気味に問いかける。


「じゃったら、一体誰が」



「―――司よ」



 導華が質問を言い終える前に美佳は言葉を被せた。導華は鋭い視線を美佳に注ぎ続ける。


「また、美佳殿の子か」


「ええ。私の子供たちは凄いわよ?きっと、導華の想像以上の結果になるはずよ」


「そもそも、どうして片穂にそこまで行動してくれるんじゃ。今までは必要最低限しかこちらに関わってこなかったじゃろうに」


 導華は美佳の言動に理解が出来ないでいた。片穂を助けてもらった感謝はあるのだが、そもそも導華の妹とわかっている上に導華の所在を感知していた美佳であれば、すぐに片穂を引き渡してしまえばいいはずであるのに、それをしなかったのだ。


 わざわざ片穂を歓迎する理由が、導華には理解できていなかった。


「ふふふ。今回は特別なのよ。片穂ちゃんの成長も理由の一つだけど、理由はそれだけじゃないわ」


「訊いても、いいか」


 瞬間、美佳の雰囲気が一気に変わり、声のトーンが低くなる。


「近いうちに、司の命は無くなるわ。命が削れて、心臓が止まる」


 急に美佳の纏う空気が変化したことに導華はわずかな動揺を見せる。


「……どういうことじゃ」


「それはこちらの、佐種家の事情よ。話す必要は無いわ」


 佐種美佳の放つ威圧感は、天界屈指の天使の追及を撥ね除ける。目に見えぬ重圧を肌で感じた導華は、深追いを止めて引き下がる。


「わかった。そこは深入りせんでおこう。それでも、美佳殿の子供の命が無くなることと片穂についての関係は訊かせてもらうぞ」


 佐種家の事情には関わらないとしても片穂が関係していることについて訊く権利はもちろん導華にはある。


 それに関しては美佳からの威圧感は消え、すぐに説明を始めるが、その言葉にも重みが感じられた。


「司の命の削られ方は、人間が干渉してどうにかなる次元のものではないの。だからどうしても天使の力が必要なの」


 突然の告白に、導華は再び動揺し、ほんの少しの間を挟んでから返事をする。


「治療に関しては、ワシのほうが優れているはずじゃが」


 死の危険があるのならば、自分の力はそれを救うのに最適であるはずである。人間の怪我や病気ならば、導華に治せないものなど下界に存在しない。


 そんな導華を差し置いてでも、片穂に治療を任せてしまうのにも理解が出来なかった。自分が回復の専門であるのに対して、片穂は全く回復の才能が無いのだから。


 しかし、そんな導華の疑問を一蹴するように、美佳は突き放すように返事をする。


「これは技術よりも、力の大きさの問題。あなたが治療しても、きっと力が足りないわ」


「……だから、片穂だと」


 天使カホエルが唯一天界随一の天使、カトエルを超えることができる力の大きさ。技術や力の制御よりも、その力が必要なのだと美佳は告げる。


「そうね。片穂ちゃんを見た瞬間にわかったわ。あの子なら、司を助けられる。これ以上にない最高の機会だわ。でも、ただ片穂ちゃんの力を借りても割に合わないでしょう?」


「その見返りが、問題の解決か」


 導華はわずかな会話で美佳の要求を察する。導華の返事を聞いた美佳は、再び口角を上げる。


「ふふふ。理解が速くて助かるわ。きっとお互いにとってとてもいい結果になる。だから何があっても私がいいと言うまではあの二人に関わらないで頂戴」


 少しの沈黙の後、溜息を吐いて美佳の要求に応じる。


「わかった。ここは美佳殿の言葉を信じよう」


「ふふ。ありがとう。必ず無事に導華の元へ帰すと約束するわ」


「それなら邪魔者はまた陰に隠れるとしよう。あの二人を見守るのは、構わんじゃろ?」


「ええ。問題無いわ」


 言葉を聞くと導華は振り返る。そして、美佳に背を向けたまま口を開く。


「―――ワシの妹を、任せたぞ」


 美佳の返事を聞かずに、導華は姿を消す。誰もいなくなった闇の中で、笑いながら美佳は自宅の方向を見つめる。


「さて、もうそろそろかしら」


 独り言を呟くと、美佳は満天の輝く星を眺め、もう一言を祈るように呟く。


「お願いね。司。そして、可愛い天使さん」


 我が子と小さな天使に、そして輝く星に願いを託して、美佳は徐に帰路を歩き始めた。

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