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俺と天使のワンルーム生活  作者: さとね
第四章「諦める覚悟、諦めない覚悟」
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第十一話「天使は堕ちていく」

 その鎌は、完璧に急所を外していた。

 胸を貫いているにもかかわらず、心臓も、それにつながる大動脈も一切切らない、一見大胆に見えて外科医のような精密さを兼ね備えた一撃。命を奪うことなく、意識だけを刈り取る悪魔の所業。


 本来なら鎌を引き抜いてしまえば数秒で絶命するはずなのに、力なく倒れる司にはまだ息があった。

 アスタロトの目的は佐種家に生まれたサタンの器の回収。本当の器が真穂であるということにはまだ、あの悪魔は気づいてはいないようだが。


「つか、さ……さま……ッ!」


 震える声で言ったのは、自らの生命をアスタロトに搾り取られ、司の胸を貫くために利用された少女、雨谷朱理。

 アスタロトが顕現するための媒体として使われた時点で、その生命力の大半を削り取られてしまっていた彼女は、それでも自分の慕う彼の元へ手を伸ばす。

 だが、届かない。


「…………目的、達成。……劣勢、だから…………もう、逃げる……」


 司と片穂による攻撃によって全身から血を流したまま、逃げることだけに全力を注ぐアスタロトは、いつの間にか司を体を担ぎ上げていた。

 そして、再び朱理を媒体にしようと一歩、進もうとしたとき。


「司を離せぇぇぇええええッッッ‼︎‼︎」


 声を上げてその姿を天使へと変えてアスタロトへと突進したのは、司の父親、佐種勇だった。

 勇は司とは違い、力をその体に蓄え続けてくれる天使が側にいない。それ故に、彼の場合は天使化という行為がどれだけ困難な作業であるかは明らかである。


 人間の天使化は、本来天使と人間の二人一組でなければならない。力を制御する天使と、それを使役する人間がいて初めて、安定した力で活動できるからだ。

 導華のように、極端に力の制御に長けており、なおかつ力を生まれつき持っている天使ならば、特別視するほどではない。

 しかし、佐種勇はただ人間だ。

 生まれついた力の総量も天使よりも数段少なく、少し器が一般人よりも大きい程度。

 さらにその力は後天的に手に入れたものだ。使いこなすのはセンスだけでは不可能。使えば使うほど力だって減っていく。

 それなのに、だ。


「アスタロトォォォォオオオ‼︎‼︎」


 全身全霊、渾身を込めて、勇はアスタロトへ向かっていた。

 これからの戦いに回すための力など一切考慮の外に弾き出した、怒りに任せた攻撃だった。


 ゴッッ‼︎ という鈍い音が、その場にいた全員にも聞こえるほどに響いた。

 あまりにも強い衝撃に、アスタロトは思わず司を手放す。怒りに溺れる勇は、止まることなくアスタロトへの追撃を開始した。

 そして、その場に倒れる司の元へ歩いたのは、二人の少女。


「おにい、ちゃん……?」


「つかさ、さん」

 

 致命傷ではない。今すぐ治せば、すぐに元気になるはすだ。かつて腹を貫かれたときよりも、出血だって少ない。

 なのに、


「【灮焔之大剣】を使ったせいで、司さんを治せるほどの力が……」


 人間の姿をした片穂は、膝からその場に崩れた。

 かつて、司の傷を治したことはあるし、そもそも天使化してしまえば自然治癒がある。

 なのに、力を出し切ってしまった今では、それすらも叶わない。


「ねえ、片穂ちゃん。片穂ちゃんなら、治せるんだよね?」


「でも、私にはもう力が残って……」


「私の中に入って、私の力を使って治すことはできる?」


「――ッ‼︎」


 司と片穂の中に力がなくとも、有り余る力を持つ存在がすぐ近くにあったではないか。

 司が片穂を受け入れられたのなら、真穂ならば悠々と片穂を受け入れて天使化できるはずだ。


「前に言っていた『契約』って、力を互いに使ってもいいっていう同意なんだよね? それなら、大丈夫だよね?」


「……その、はずです」


 試してみる価値は、充分にある。

 早速、片穂は真穂の手を取る。


「では、いきます」


 徐々に、片穂の輪郭が淡く揺らいでいく。白い光となって、真穂の体に天使が溶けていく。

 そして――


「あああぁぁぁぁあああああッ‼︎⁉︎⁇」


 まるでビリヤードの玉が弾かれるように、片穂の体が光から人間へと戻って真穂の前に飛び出してきた。

 倒れた体を起き上がらせる片穂は、震えながら立ち上がって、


「なん、で…………ッ!」


「どうしたの、片穂ちゃん⁉︎ 一体何が……」


「真穂さんの体に入ろうとしたとき、何か不思議な力に弾かれました。まるで、天使そのものを体が拒絶しているかのような……」

 

 一般的に、そんなことはあり得ない。

 天使は人間を守るための存在であり、何千年も前からその関係は変わらなかった。だからこそ、人間が本質的に天使を拒絶するなど、あり得ない。

 だが。それはあくまで普通の人間は、である。


「お兄ちゃんは出来て、私には出来ない……? どうして……」


 視線を落として考える真穂は、今朝司の家で説明されたことの全てを思い出す。

 佐種家。サタンの器。魔女。佐種美佳。

 たしか、司の話の中には母である佐種美佳が『白魔女』と呼ばれる、魔女の血統の中でも特に天使への適性がある存在であると言っていた。

 それなのに、どうして真穂は天使化できないのか。


「…………まさか」


 もしかすると、目の前で倒れているこの兄が答えそのものなのではないのか。

 そう、真穂は考えついた。


「お兄ちゃんは、サタンの器になれなかった人じゃなかった……?」


 ポツリと呟いたその言葉に、片穂が反応した。さらに、真穂は思考を巡らせる。

 前提として、佐種美佳は天使を受け入れることができるはずだ。それなのに、司には出来て真穂には出来ない。

 それはつまり、佐種美佳の『白魔女』としての性質の「天使への適性が高い」点のみを司が受け継いだからではないだろうか。


 佐種家として、サタンの器の素質を受け継がず、勇から先天的な器の大きさのみを受け継いだのではないだろうか。

 要は単純な引き算だ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 その、力は。


「悪魔を許容する力……ッ!!」


 本来ならあり得ないはずだった、天使の拒絶。だが、『魔女』と『佐種家』の悪魔に関する遺伝子のみを受け継いだ真穂ならば。

 天使への適性という力の全てが司へと受け継がれたのならば。

 いや、それしかない。

 だから、真穂は天使化できない。


「………………、」


 つまり、目の前で倒れている司を救う手立ては、ない。天使の力で司を治癒できる存在は、もうここには。


「お父さんはッ⁉︎」


 まだいるはずだ。力の扱いに十年間という途方も無い時間を注いだ人が。

 しかし、


「…………手強かった、けど……でも、ここまで……?」


 そんな悪魔の囁く声が、少し遠くから響いてきた。

 目を凝らしてその様子を見て、真穂は戦慄する。

 倒れていた。血に塗れた、佐種勇が。

 アスタロトの多種多様な武器による攻撃で。


 何があったのかは見ていなかった。司を攻撃されたことで冷静さを欠いたからか。あるいは、後先考えない天使化によって蓄えていた力が尽きて戦闘不能になったか。

 いずれにせよ、すでに決着していた。

 アスタロト自身も司や勇の攻撃によって負った傷で全身を血で染めていた。


 それ故か、わざわざ勇にとどめを刺すことすらせず、アスタロトはこちらへとおぼつかない足取りで近づいてくる。

 それを見て、真穂はまず最初にその場に腰を下ろした。

 アスタロトはもう満身創痍だ。すぐに治してから逃げれば間に合うはずだ。


「私が、治す……ッ‼︎」


 どうしたらいいのか、なんて分からなかった。ただ、やるしかない。

 真穂は司の胸に出来た傷の上にそっと手を置いて、意識を集中させる。要は、司の体に空いた穴に力を流し込んで蓋をするような感覚のはずだ。

 焦らず、しかし迅速に。

 真穂は手のひらから力をほんの少しだけ放出する。しかし、その体から溢れる血は止まらなかった。


「なんで。なんで……ッ‼︎」


 片穂や導華が行なっていた治療というものは、力を傷に埋め込むのではなく、力を体全体に流して治癒能力を極限まで高めていたものだと、真穂は気づいていなかった。

 故に、間に合わない。


「…………『大器』を……かい、しゅう…………」


 寒気のするような声で、真穂は顔を上げた。

 自分にはない執念を、その悪魔の目に感じた。

 善や悪などを考慮から一切除外すれば、司と勇にも似た、たった一つの目的のために命を捨ててもいいと言い切れるような、そんな気迫。

 たった十五年しか生きていない真穂だが、自分に出来ないことは何一つとして無いと思っていた。しかし、蓋を開けたらどうだ。

 父に加勢するどころか皆の足を引っ張り、先天的な力の量にどこかで甘え、兄を助けるどころか、救われてしまった。

 なんて、情けない。


「…………あなた、は……いら、ない……?」


 雑草を刈るためと言われても違和感のない大きさの小さな鎌を顕現させたアスタロトは、呆然と司の前に腰を下ろす真穂を見下ろしながらそれを振り上げた。

 そして――







 さて、ここで、だ。




 こんな絶体絶命の状況にもかかわらず、真穂の横にいたはずの彼女は、一体何をしていたのだろうか。

 最初に真穂との天使化に失敗してから、今の今まで、動ける時間は充分にあったはずだ。

 その間、天羽片穂は、天使カホエルは。

 一体、何をしていたのか。

 答えは。


「……………………、」


 何も、していなかった。


 ただ。

 ただ目の前で血を流す司を、眺めていた。

 司を治す力を使い切ってしまった。

 司を治す手段を失ってしまった。

 そう思考が回った瞬間、その場で片穂の思考が停止した。

 このまま思考を巡らせれば、きっと行き着く先は司の死だ。そんなこと、考えたくもない。

 だから、何も出来なかった。

 動いたら時間が進んでしまいそうで。時間が進んだら、命よりも大切な人が死んでしまう気がして。


 なのに。なのに、だ。


「…………ぁ……?」


 気がついた時には、涙を流す真穂に鎌が振り下ろされていた。

 止めたと思っていた時間が、動き出していた。

 奪われる。また、大切な人が。

 守れない。守れない。


 ――と、ようやく動き出した片穂の思考の中に、ある感情が混ざり始めた。それこそ、コンマ一秒にも満たないそんな刹那に。


 それは、憎悪だった。

 それは、憤怒だった。

 それは、悲嘆だった。

 それは、絶望だった。


 自分の全てが穢れていく感覚があった。

 生まれて初めて経験した感情だった。

 ぐちゃぐちゃと心を掻き回され、犯されていくような。そんな。

 その直後だった。


「――ッ⁉︎」


 鎌を振り下ろそうとしていたアスタロトが、思わずその手を止めてしまった。

 異常を感じ取ったからか。あるいは。


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「…………その人たちから、離れろ」

 

 それはきっと、彼女を知っている者全てが、いや、本人すらも聞いたことのない声だったはずだ。

 あまりにも。愛おしさすら感じるほどの、禍々しさ。


 白銀の翼が、黄金の光をまとう神々しい白の衣装が、徐々に別の色に染まっていた。

 灰色だった。

 濁ったような、セメントに近いくすんだ灰色。それは体の中心から指先へ、そして翼の先へと広がっていく。


 天使化したときには黄金に煌めいていたはずの双眸が、漆黒に染まっていた。黒目を指しているわけではない。

 本当に染まっているのだ。美しかった瞳のその全てが。

 その姿を、一言で表すとするのなら。


「…………悪魔」


 ポツリと、思ったままの言葉を真穂は口にしていた。

 目の前の変化に理解が置いていない真穂は、呆けた顔でそれをただ見つめていた。

 対して、アスタロトは笑っていた。いや、嗤っていた。実に悪魔らしい、蕩けるような顔で。


「……闇の、中へ…………ようこそ。……歓迎、するよ…………?」


 それに対する、全身を灰色に染めた天羽片穂の返事はこうだった。


「ぶっ殺してやる」


 直後、漆黒の力が濁流のように溢れ出した。


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