第六話「佐種勇という男」
笑えないくらい呆気なく、何の感動もない再会だったな、とその場にいた全員が思っていた。
驚嘆や動揺など、する余裕すらなかった。
いなくなったはずの父親が。
もう帰ってこないと思っていた父親が。
すぐ、目の前に。
「どうして……?」
問いかけずには、いられなかった。
正座をしたままの勇は、真剣そのものと言えるほどの鋭い目で、
「ここまで来たらちゃんと話すからさ。とりあえず俺の前にいるこの子をどうにかしてくれない? お父さんの足はもう三〇分前から限界点を突破してしまっているんだ」
「……どういうこと、これ?」
得体の知れない異物を目の当たりにしたような表情で子どものように勇に指を差した誉に、司は言葉を選びながら口を開く。
「一〇年前にいなくなった、俺の父さん」
端的に表せる表現はこれしかないのだが、他にどんな説明をしたらいいのだろうかと司の頭は困惑を極める。
なにせ司や真穂は父親の別の顔を知らない。知っているとしたら、
「佐種勇。一〇年前の戦争の主力人物で、ミカエル様の契約者じゃ」
一〇年前の戦いについて知っていて、なおかつ勇とも面識のあるのは導華だけだろう。
ただ、導華のこの説明は天使にとっては十分すぎるようで。
「ミカエル様の、契約……者……?」
「うむ。そうじゃろう? 勇殿」
導華の問いかけに、勇は照れているのか頭を掻きながら、
「ま、まあそうだね。ミカエルとはかなり昔からの仲になるかな」
誉がその言葉たちをゆっくりと飲み込み、消化するまで約一〇秒。体感的にはかなり長く感じるほどに虚空を見つめてから、飛び上がるように誉は声を上げた。
「うにゃぁぁあああああああ‼︎⁉︎⁇」
目玉が飛び出すかと思うぐらいの驚嘆はこちらが一歩引いてしまうほどの威力だった。
ちなみに目の前で正座していた勇は壁に背中をぶつけていたのでもしかしたら物理的な何かもあったのかもしれない。
「た、大変な御無礼を! 私、まだ新人で十年前についての知識がほとんどなくて……!」
身振り手振りで誉は謝罪をするが、勇は気にしていないようで顔の前で手を横に振りながら立ち上がった。
痺れているのか足が生まれたての子鹿のように震えているのは父親の威厳もあるだろうし黙っておこうと司は視線を勇の上半身へ移す。
「それで、ちゃんと説明してくれるんだろうな?」
司の素っ気ない問いかけに、勇は苦い顔をした。
「い、いや。まあ、そう……だな。説明、しなくちゃな」
やけに途切れ途切れに言葉を発する勇に対する苛立ちが、司の腹深くから湧き出した。
無意識のうちに勇の胸ぐら掴んだ司は、怒鳴り散らすように、
「なんなんだよ! 俺たちを置いて消えたと思ったら、急に現れてこれかよ! こっちは聞きたいことが山ほどあるんだ!」
「……そう、だよな」
一切の抵抗をせずに、勇は呟いた。
不都合そうに視線を逸らすと、勇は口を開く。
「わかった。全部、話そう」
「…………」
「とりあえず場所を移させてくれないか。出来れば他の人に聞かれない場所がいいんだけど」
返答をしたのは、少し後ろから話を聞いていた導華だった。
腕を組み、見た目には合わない冷静な表情で導華は言う。
「なら華歩の家にでも行けばいいじゃろ。夏休みは暇だからいつでも遊びに来ていいと言っておったし」
皆の反応を待つこともなく、導華は「今から皆で行く」とだけ告げて電話を切った。実は司の耳に「えっ? えっ? みんなって何人? お茶とかの準備は――」とか若干不安な言葉が聞こえていたので、司は心の中で謝罪した。
「ほれ、行くぞ。勇殿も足をどうにかしてくだされ。そんな情けなく歩かれてはミカエル様が可哀想じゃ」
「あ、ああ……」
どう答えたらいいのか困りながらも勇は導華に言われるまま華歩の家へと向かう司たちの後ろを歩いていく。
司は後ろを振り返り、父親の顔を見る。
司も勇も、強張った表情のままだった。
実際、どう接したらいいのか分からないというのが司の本心だった。
勝手にいなくなって、勝手に戻ってきて、それで一体どんな顔をしてこの父親と話せばいいのか。
「……大丈夫ですか、司さん」
司のぎこちない動きを見た片穂が心配そうに横から問いかけた。
「え? い、いや。どうして?」
まさか一目でわかるほど顔に出てしまっていたのかと焦る司だったが、覗くように司の顔を見る片穂はケロッとした顔で、
「特別な理由はないんですけど、なんだか元気がないように見えたので」
それだけ言うと、片穂は勇の方を見て申し訳なさそうに、
「でも、やっぱり動揺しますよね。ずっといなかったお父さんが急に戻ってきたんですから」
「…………そう、だな」
片穂だからこそ分かる些細な違いだったのだろうけれど、それでも心配をかけたくないと司は思った。父親が帰ってきたのは悪いことじゃない。むしろ、母を取り戻すきっかけにもなるのだ。
それにちゃんと全てを話すと約束してくれた。
下を向いている暇なんて、ない。
「ありがとう、片穂。頑張るよ」
司が片穂の頭をくしゃくしゃと撫でると、片穂はリンゴのように頬を赤らめて笑う。
「……はいっ!」
少しだけ歩幅の大きくなった司についていくように、片穂は足を進める速度を少しだけ早くした。
華歩には、本当に申し訳ないと思っている。
なにせ急に家に行くと言ってやってきたのはなんと七人。友人の家にほぼアポなしでおしかけていい人数では決してない。
実際、華歩はこの人数を見たときにとてつもなく苦い笑いを浮かべていたし、なぜか司が妹と父親を連れてきているうえになぜかかなり重い雰囲気が漂っていて気まずくて仕方ないとお茶を準備している間、ずっと顔に書いてあった。
申し訳ないので司が事情を一から説明すると、さらに困惑したように慌てふためき始めてしまったので司は深々と頭を下げた。
そわそわと華歩がお茶を皆の前に出している途中で、耐えきれなくなったのか今の今まで黙っていた真穂が声を上げた。
「パパ! まず最初に教えて!」
まだお茶を置き終わっていなかったため、最後に置こうとした司のお茶が少しこぼれてあたふたする華歩だったが、真穂はまったく気にせず続ける。
「ママは、生きてるの!?」
ピクッ、と勇の体が動いた。
おそらく触れてほしくない最もデリケートな部分だったのだろうと司は思っているが、どうせ司も訊くつもりだったのでむしろ真穂には感謝すべきだろう。
口が乾いているのか、しかしそれでもお茶を飲む余裕すらないのか、唇と舐めてから勇は口を開いた。
「……生きてる、はずだ」
「なによ……それ……!」
勢いよく立ち上がった真穂は、怒声を槍のように勇へと放つ。
「なにが『生きてるはず』よ! そんな中途半端な答えで納得できるわけないじゃん! ママのことをあれだけ大切に思ってたパパはどこに行ったの!」
真穂の言葉を受けて、勇は数秒ほどの沈黙を挟んでから顔を上げた。
「……導華は、サタンとの戦いはどこまで知っているんだ?」
「ワシは第一陣のデーモンなどまでじゃ。それ以上は大天使様たちしか詳細は知らないはずじゃろうな。ワシはミカエル様からサタンに傷を負わせたものの、勇殿と美佳殿が魔界から帰ってくることが出来なかったことだけしか聞いていないのぉ」
「なるほどな。まあ、無理もないか」
勇は使い古してヨレヨレになったネクタイを少しだけ緩めた。
「一〇年前の戦いで、サタンと戦った俺と美佳は、どうにかしてサタンに傷を負わせた。でも、このままでは勝てないと分かった美佳は、自分が悪魔たちにとって重要な存在だということを知っていたから、自分を犠牲にして俺を逃がしたんだ」
震えるほどに握りしめる手からは、司たちには理解しきれないほどの後悔や怒りがあった。
「美佳は、魔界と下界を繋げるための『鍵』となる存在だ。だから、きっとまだどこかに閉じ込められているはずだ」
「だったら、今すぐにでも助けに――」
「俺と美佳で勝てなかったんだ。お前たちが束になったところでただ無駄に命を散らすだけだ。今、動いたところでなにも変わらないさ」
たったそれだけの言葉にかかる重みは、他の誰にも反論をさせなかった。
司だけでなく、真穂も口を開かない。
そんな思い雰囲気の中、再び勇が口を開いた。
「だからこそ、俺は一〇年という時間をかけたんだ」
勇は真剣なまなざしで自分の息子と娘を見つめる。
最初はみずぼらしいという印象すら受けたが、今はそんなものを感じないほど、圧力を覚えるほどの空気を勇はまとっていった。
きっとこれが、天使とともに戦ってきた佐種勇なのだろう。
「司、真穂、お前たちは美佳を助けるために勝てるか分からないサタンと必ず戦うと言われても、死ぬかもしれないと言われても、それでも行くのか?」
単純な二択だった。
そして、二人は同時に答える。
当然、一切の躊躇いなく。
「「もちろん」」
それを受けて考え込むように視線を落として勇は黙り込むと、どんな思考を巡らせたのか、数秒してから顔を上げて、
「……わかった、なら、やるしかないな」
華歩の出してくれたお茶を一気に飲み干すと、ゆっくりと立ち上がり、華歩の家の卓を囲む皆へそれぞれ視線を送りながら、勇は言う。
「たくさん伝えたいことがある。そのための準備をずっとしてきたんだ。俺には才能はなかったからな。一〇年もかかっちまった」
一度は緩めたネクタイを再び締めなおすと、勇は力強い口調で発する。
「こい、司、真穂。それに他のみんなも。悪魔と戦うための力と強さってやつを、教えてやる」
かつて魔王と戦った戦士は、固く拳を握った。




