長時間労働がもの書きの可能性を潰すということ
ものを書く、という行為は頭と時間を使うものです。
自分の書きたいことを筆に託し、それを文章にしていく。
文章を連ねてストーリーを作りあげる。
ごく短いエッセイなどは除いて、書くということはそういうことです。
肉体的な意味で言えば、かなり負荷は軽い作業と言えるでしょう。
パソコンでもスマホでも、キータッチさえ出来れば良いのです。腰痛はまた別としましょう。
では暇さえあれば出来るのか?
ちょっとした空き時間さえあれば、ものを書くことは出来るのか?
はい、と言いたいところではあります。
ですが、現実的にはいいえ、だと思います。
† † †
頭を使う、と私は冒頭で書きました。
どんな文章であっても、これなくしては書けません。一定レベルの余裕とやる気がなくては、頭は働きません。疲れた頭では良いアイデアは浮かばないのです。
もし取っておいたアイデアがあっても、それを組み立てるにも頭の元気が必要です。
主に社会人のもの書きの方を対象としてになりますが、残業続きの日々があるとします。
デスクワークで目は疲れ、動かない体を栄養ドリンクで無理にでも動かします。
どうにかこうにか仕事をさばきながら、何とか今日も退社します。
「疲れた」と呟きながら。
この人には書きたい物語があります。
書きたい、という気持ちがあり、既に連載を開始しています。
続きを書きたい、書かなきゃと思ってはいます。
だけど筆が進みません。
帰宅してからパソコンを起動させようと思っても、疲れてそれも億劫です。
あるいは帰りの電車でスマホで書こうと思っても、鈍い頭の働きに断念します。
「......書きたいんだけどなあ」
こう呟きながら、ぐったりとソファに倒れこみました。
ほんとは元気なら書きたいんだけど、と心の片隅で思いながら。
† † †
企業の人員整理が進んだ結果、日本の一人一人の労働時間はかなり多い方になります。平均睡眠時間は、先進国の中では最低クラス。
こうしたゆとりの無い状況が、趣味としての創作を潰している。
もしかしたら傑作が生まれたかもしれないのに、仕事で断念せざるを得ない。
傑作までいかなくとも、ある程度の満足を書き手と読み手が共有出来る――そんな物語が消えたのかもしれない。
それは間違いなく、不幸なことです。
眠い目をこすりながら、創作に向かう全ての人へ。
無理しないでください。
けれど、願わくばあなたが満足いく話が書けますように。
明日のあなたが元気でいられますように。
仕事に潰されませんように。
そして何より、あなたが幸せだと感じられる社会になりますように。