2038年問題
「2038年、人類、いやここでは日本と限定した方がいいのかもしれないが…、社会の秩序やサイクル、システムを揺るがしかねないある問題に直面した。その問題の名は2038年問題と言われる。」
「…どっかで聞いたことあるような…。」
「もしかしたらあるかもしれないな。現代でも都市伝説のレベルで示唆されているからね。」
「具体的にどんな問題なんですか?」
澪が尋ねた。
「簡単に言うと、社会で一般に扱われる一部のコンピュータにおいて、プログラムの限界が2038年の某日に迎えるんだ。それによってコンピュータが誤作動を起こし、社会システムを揺るがす可能性がある、そんな感じかな。」
「…へぇ。」
「それが実際に2038年の1月19日3時14分7秒に発生したんだ。それがそう単純なことではなかった。予期されたデータを遥かに凌駕する規模で引き起こし、社会のコンピューターシステムはほぼ崩壊に近い状態へと陥ったらしいんだ。それは日本国内だけの問題ではなくて、世界一の大国、アメリカをはじめ全世界で二百ヶ国ほどある全ての国で発生したんだ。」
「…それで?」
「…そうなれば社会に存在する膨大な情報量、いわゆるビッグデータが流出及び暴走する。それだけじゃない。経済面でもその均衡性が保てなくなり、貿易や金融システムにひび割れが始まったんだ。…そうして国家間の関係にも亀裂が起こり、始まったのが第三次世界大戦だ。」
「…!」
まさか、まさかという思いが脳裏に繰り返される。僕が生きている現代でおよそ二十年後にそんな惨事が発生し、そして戦争を引き起こすなんて…!
信じられないという思いを跳ね除け、玉樹さんの言葉は本当のことなんだと自分に無理やり言い聞かせ、そして尋ねた。
「でも、それがどういう…?」
「…だが日本政府はそれを事前に予測することができたらしいんだ。コンピュータの誤作動が社会システムの倒壊を引き起こしかねない、といった旨の研究結果を某大学が実際に発生する前年、2037年に政府に提供した。その時期に同時にもう一つ、ある全く別の研究結果が違う大学から提供されたんだ。」
「別の、って…?」
「当時、既に地震を予測する技術が相当発展していたらしくてね、一、二ヶ月程度先に発生する大型の地震であればそれなりに予測ができたんだ。別の研究結果っていうのはその地震予測に関する資料。2038年1月頃に南海トラフとそれに連動して同時に関東・東北地区がかつてない程の巨大地震に見舞われるという…。」
唾を飲み込むと、ゆっくりと口に出した。
「…それはつまり、ほぼ日本全体が巨大地震に襲われるってこと…?」
「そう。九州と北海道、太平洋の離れ小島を除いて日本が大地震に襲われる。太平洋沿岸では津波が押し寄せ、都市部ではビルの倒壊や大火事。それも東日本大震災や阪神淡路大震災、戦前の関東大震災をも比じゃないくらいの規模、犠牲者を出してね。」
「…でもそんなのが起きたら…。」
か細い声で一言放ったのは澪だ。
「そ。2038年問題とその大地震とが同時に発生すれば日本国家は間違いなく倒壊し、破綻する。国民だって犠牲者の数ははかり知れず、生存者ですら政府や経済が正常に機能していない以上、生活の復興はあり得ない。どうあがいても立ち直ることのできない程の痛手を被るわけだ。そして日本という国は混乱に陥り、それは内戦へと発展、のちに世界大戦へと繋がっていく…、そう予測されたんだ。」
「…。」
へえなるほどとも言えないレベルの衝撃的事実である。
「だが!」
沈黙をその二文字で破った玉樹さんはそのまま続けた。
「さっきも言ったように日本はそれを予期できたんだ。国民の混乱を避けるため政府はそのデータを公表せず、二つの打開策を進めた。一つは2038年問題の発生を食い止めるという方法。だがそれは失敗に終わったらしい。具体的にどういった方策をとったのか、調べたけどよく分からなかったよ。そしてもう一つの苦肉の策…。」
「…苦肉の…?」
「そう。それは日本を脱出するという方法…。」
「……。それってどういう…?」
彼の言葉に半ば驚きを覚えつつもその真意を尋ねる。
「ここは東京なんかじゃない。空中に浮遊する新たな世界。」
「…え…?」
「日本政府は当時保有していた最大限の科学技術を駆使し、財力も全てをつぎ込んでこの新たなる世界を創造した。ここは東西50キロ、南北40キロ、天井から地層の限界まで17キロにわたる直方体の形をした世界の内部だ。超硬質ガラスで外部から一切の干渉は遮断されている。第三次世界大戦から脱却して日本の存続を守るため、戦時中に政府は何とかこの世界を完成させ、無作為に抽出した六十万人ほどの人間をこの世界に積み込み、地上を離れ空中へと飛び立ったんだ。」