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ミミズクシリーズ

森の美術館

作者: ミミズク

森の美術館


窓から飛び降りようとしたら、なぜか止められた。

それはさっきの数学の時間の出来ことで、僕はなぜ今、進路指導室で叱られているのかピンときていない。

僕を叱っているのは学級担任の川口先生で、これまた何故か涙ぐんでさえいた。

涙ぐむくらいなら、今すぐ窓から飛び降りさせてくれ。

どうして僕が数学の時間に窓から飛び降りようとしたかと言うと、理由は実に簡単だ。


" 3階の窓から飛び降りて生きていられるのか "


突然思い浮かんだ。

疑問が頭の中を埋め尽くし、それを立証しないかぎり、それは僕の脳を蝕むことだろう。

飛び降りずにはいられない。

僕のすぐ左隣には青空が広がっている。

その青空に向かって飛び、花壇の前で着地する。

うん。完璧だ。

イメージトレーニングはばっちりなのでさっそく立ち上がって鍵を外し、窓を開ける。

そして迷いなく足をかけると、突然襟首を強い力で後ろに引っ張られ、僕は椅子にお尻を落としてしまった。

邪魔をしたのは後ろの席の巨人、白井宙(しろい そら)だ。

190cmに近い、中学生とは思えない高身長と恵まれた体格はまだ170cm行けば高いと言われる中学男子の平均を超越していた。

その神から貰ったであろう体格は柔道部に生かされ、この間の全国大会でも見事優勝に輝いたという。おめでとう白井。

だからといってお前は僕の実験を邪魔したことには変わりない。

その澄ました顔で笑いを堪えているのはわかっているんだ。ていうか、どうしてお前が進路指導室にいるんだ。

担任は白井にとてつもない信頼をおいている。

それは僕の実験をいつも止めてくれるかららしい。

僕の実験は奇行ではなく、絶対に不可能だろうとやってもいないのに豪語されるのは大嫌いなだけだ。そしてそれを立証するために行うのだ。

変人と言われようが出来損ないと言われようがどうでもいい。

僕は僕のために、行動したい。

こうやって自由をできるのは子供のときだけなのだから。


「聞いているのか森野!お前は、あの森野グループの御曹司だということを、自覚しているのか?お前の身に何かあったらなあ!…なんだ白井」


また説教をし始めようとした担任の肩に白井が手を置いて首を横に振る。

いつもそうだ。僕が進路指導室に連れて行かれると白井もいて、白井は先生の隣に必ず立っている。


「全く、白井も大変なんだぞ?いつもありがとうな」


白井は担任に感謝されると、真顔で頷く。

その反応に担任は満足したのか、僕たちを2時間の説教の上開放してくれた。


白井と進路指導室を出てから、僕は白井を肘でつついた。


「どうして止めたんだ。」


「3階から飛び降りたら……死ぬ」


「それ、やったことあるのか?」


「ない。だけど、死ぬ。」


「やったこともないのを決めつけるのはおかしい。僕は自分でそれを確かめたいだけだ」


「お前は…………いや、なんでもない。もう飛び降りるのはやめてくれ」


白井はそう言って、後は何も話さなかった。

白井は口下手であまり、ものを喋らないが、大切なことは必ず口に出す。僕に対するお願いもそうだ。

だから僕はそれを受け入れる。了承する。どんなにモヤモヤしても、やめてくれと白井に言われればやらない。

いつだって白井が正しい。


僕よりも白井の方が僕について正確だからだ。



「お前は森野グループの跡継ぎだという自覚があるのか」


はい、父さん。

その言葉は今日で5226回目です。

ちなみに似たようなことを今日担任に言われてきました。


とは言えず、僕は凛とした顔を装って、森野グループの社長である父の言葉を聴いている。

父の森野月忠(つきただ)は僕を怪物にしたいのか、僕をあまりに完璧に育てようとする。

勉強は全国模試で1位をとれても、僕は運動が壊滅的だ。

美術コンクールで金賞を取っても、人物画はどうしても書けないし。

ヴァイオリンとピアノができても、歌は不得意だ。

料理はできても味音痴だ。

僕は僕なりに出来ないことが山程あった。それを隠すために僕はできることを磨くしかない。

運動が壊滅的なこともあって、テストで100点を取っても僕の成績表には5はつかない。どう頑張っても4である。

父はそれをいつも苦い顔で見るが、そこについては大目に見てくれる。

なぜならその代わりに僕は美術が大得意だからだ。

父は運動神経は並の倍以上で、陸上競技の10種で日本新記録を出している。オリンピックも夢じゃないと言われていたのに、父は高校で陸上をすっぱりとやめた。会社を継ぐために、オリンピック目標をゴミに投げ捨てたのだ。

運動が得意の父はその代わりに美術が壊滅的だったらしい。

テストで頑張っても、美術は5がつくことはなかったとこっそり母から教えて貰った。だから父は僕の体育の成績を咎めない。

と、思っていたのだがどうやら理由はそれだけではないみたいだ。

ある日、僕は目が覚めたら、父の運転する車に載せられていた。

心地のいいレザーに寝かせられ、上から毛布がかかっている。

運転席では父が黙ってハンドルを握っていた。陽の光が眩しいのか、サングラスをしている。


「あの…父さん。これは一体どういうことですか?」


「星、まずはおはようございますだ」


「あっ、おはようございます、父さん」


「おはよう。お前に見せたいものがある。そこに向かっている。着くまで黙って座っていなさい」


黙っていろと言われたのだから、黙るしかない。

色々と疑問はあるけれど、父は休日に僕を遊園地に連れて行くような人ではないし、水族館にも連れて行くような人ではない。

そうなるとすれば、母が騒ぐ。


「まあ酷いわ月忠さん!私も水族館に行きたい!」


そう頬を膨らませながら父に抗議する母の姿が容易に想像できる。昔、母が都内から離れた田舎の小さな水族館に行きたいと父に頼んでいた。

3ヶ月間毎日、いってらっしゃいの後に「水族館!」と付けていた母の努力も叶って、父は都内にほど近い有名な水族館に行こうと言った。

だけど母は田舎の小さな水族館だと譲らず、結局親子3人でその小さな水族館に出掛けたのだ。


「お義父さん、観てますか?こんなに綺麗で小さな水族館、私初めて!」


その時鮮明に覚えているのは、母がテレビ通話で祖父に水族館を見せていた光景だ。

子供みたいにはしゃいで、その後女の子にぶつかったんだ。

女の子が尻餅をついて泣いてしまって、母は慌てて女の子に飴をあげて、その子のお父さんが怒りもせず飴を貰ったことを母にお礼を言った。

女の子は泣き止んで、その隣にいた僕と母にありがとうと笑ってくれた。


あの子の名前、なんだったかな

確かとても綺麗で美しい名前…




「星、着いたぞ星」



驚いて起き上がると、父がドアを開けて僕を覗いていた。

そしてさらに驚く。

太陽に煌めく、森林の中にいたからだ。


「早く降りなさい」


父が言う。

僕は慌ててシートから腰上げて、さくっと音がする草の上に足を踏みおろす。

随分と神秘的なところだった。

TVで見た青森県の白神山地のような、どこか澄んだ気持ちにさせてくれる森。

様々な鳥の鳴き声が飛び交い、小川のせせらぎ、風で木々がなびく音、すべてが美しい。

父の後を追いながら、僕は森に圧倒されていた。

しばらく歩くと、開けた場所にでた。

ギャップになった空間に白い建物がある。

白い真四角の箱のような、巨大なサイコロをおいたようなその建物は何故か森と一体になっているかのように違和感がない。

まるでこの森が生まれたときからそこにあったような趣きである。

僕が見とれていると、父はさっさとその建物の中に入っていってしまった。

僕も慌ててその後を追いかける。

扉はガラス製で、僕は恐る恐るそれを開けた。


そして広がる絵画の世界。


白い空間に何十、何百もの絵画が飾られている。

壁に、床に、色んなところに立掛けられていた。

天井は窓になっていて、陽の光がそこから降り注いでいる。

森とはまた違う、美しい空間である。

絵画だけではなく、人形や像、など芸術作品がところ狭しと飾られてあった。

そしてさらに目を惹いたのは、空間の中心にある、ガラスの棺だ。

ちょうど天窓から注がれた光で、キラキラと煌めいている。

近寄って見てみると、その中には黒い髪に白い肌…あの童話、白雪姫そのものの人形が寝かされてあった。

人形のはずなのに、頬は血色がよく、まるで生きているかのようである。

その棺の中のお姫様に見とれていると、父が僕に言った。



「ここはお前の祖父の美術館だ」



と言った。

父の目もどこか輝いているように見える。陽の光のせいだろうか。


「太陽お爺様の……!?」


僕は驚く。

僕の祖父であり、父の父でもある森野太陽(もりの たいよう)が絵を描く趣味があったとは知らなかった。

祖父は僕が10歳の時に死んでしまった。

絵画といい、人形といい、確かにどれも美術館にあっておかしくない素晴らしいもの達だ。

あの厳格で無口な祖父にこんな才能があったとは思いも寄らない。


「父は、絵を描くのが大好きだった。仕事の合間をぬっては、絵描きに没頭し、作品作りに没頭し、度々母に怒られていた。母は私が18の時に亡くなったが、その時の遺言通り、父はこの森に美術館を建てたのだ。しかしここは秘密の場所で、私も父が死ぬ時に初めて聞かされた。父が死んだ後に教えて貰ったとおりにここに来たときは驚いたよ。」



父が説教以外でこんなに喋る人とは知らなかった。

祖父のことにも驚いたが、少し楽しそうに話す父の一面にも驚く。



そうか。

父さんは太陽お爺様の作品が大好きなんだ。



「お前に絵の才能があると知ったのは、父さんが死んだ後だったが、……嬉しかったよ。それに、お前の描く絵は父さんそっくりなんだ。人物画が苦手なところは、違うけどな」


そう言って父は笑った。

父が笑うのを見るのは、随分と久しぶりだった。

何年ぶりかの笑顔で、きっとこの笑顔を見れば母の病気もすぐ治るのではないかとさえ思う。




「今日お前にこれを見せたのは、お前の誕生日だからだ。星、誕生日おめでとう」



父はそう言って、僕の手に金色の鍵を落とした。

危うく涙が溢れそうになったが、鍵を握り締めて堪えた。

でも

「車で待っているから、好きなときに戻ってきなさい」

と、言って僕の頭に手をおいて父が出ていったあと不覚にも涙が溢れてしまった。

袖で拭おうとしたが、母がハンカチで拭かなきゃ腫れてちゃうわと言っていたのを思い出して、慌ててハンカチで拭う。

母の香りがした気がした。


それにしても、この金色の鍵はどこのものだろう。

さっきここの入口の扉を開けるときに使っていた鍵は確か銀色だった。



『おい、おぬし。』



鈴の音のような声が響いた。

後ろを振り向くと、ガラスの棺が開けられ、上半身を起こした白雪姫が僕をジッと見ている。



「うっうわああああああああ!?」



驚いた。

今日一番驚いた。

なんで、彼女は人形。作品のはずではないのか。

僕は壁際まで後ずさりした。


「ふあーあ。眠いのう。全く。太陽といい月忠といい、我が眠っておっても誰も起こしてくれんのだから、困ったものじゃ。白雪姫には王子のキッスだと、決まっておるじゃろうに!」


白雪姫は大きく伸びをして、棺からでた。


「お、お前…っ人形じゃないのか?」


幽霊やオカルトがてんでダメな僕にとって、奴は敵でしかない。

恐ろしい、が美しい。


「ふん!人形?そんなものではないわ愚か者め!わらわはオフィーリア。ここを守る番人ぞ」


静かに、音も立てずにオフィーリアと名乗る白雪姫はこちらに寄ってくる。

「番人」そう言われても、ピンとこない。

ただ、彼女の名前はシェイクスピアの『ハムレット』からとったのだろうとは想像できる。

黒くて長い髪を引きずって、ついにオフィーリアは僕の目の前に、言葉通り、鼻がくっつきそうなほどに顔を近づけてきた。



「ぬしもしかして、スターライトか?太陽の、孫の」


太陽お爺様の孫だというのは正解だが、スターライトとはどういうことだ。


「祖父を知っているの?」


「ふむ。なるほどの。ぬしがあのスターライトか」


「違う!僕の名前は星だ!」


「しかし、太陽はぬしのことをスターライトと呼んでおったぞ?」


オフィーリアは祖父のことを知っているようだった。

それにしても、どうして祖父はオフィーリアに僕のことをスターライトと呼んでいたんだろう。

僕の記憶上、祖父は僕のことを『星』と呼んでくれていたはずだ。



「これは太陽が17の時に描いた奴の許嫁の絵じゃ。」


なんだかんだ言って結局詳しいことは教えてて貰えないまま、オフィーリアは祖父の絵画を紹介すると言いだした。

一つ一つ丁寧に詳しく、オフィーリアは絵を紹介していく。

祖父の妻である僕の祖母の絵は5点ある。

歳はすべてばらばらで、だけど暖かくて美しい絵だ。

その祖母の絵を見る度に、オフィーリアは哀しそうな顔をする。ほかの絵を紹介するときは喜々として言うのに、この時だけは妙に沈んでいた。


「この女は幸せ者じゃのう。奴にこうやって描いてもらって…」


本当に羨ましそうに、オフィーリアは祖母を見つめる。


ああ、そうか。


「君は好きなんだね」


人形なのに顔をトマトみたいに赤くさせてオフィーリアはその時は本物の恋する女性だった。


天使が描かれた絵を見たら、オフィーリアは話し始めた。


「わらわは天使だった。でも、ある日、神に転生させる魂を持っていこうとしたとき、うっかりその魂を落としてしまったのじゃ。

魂とはとても繊細なものでな、落としてしまって、一部が欠けてしまったのじゃ。神は酷く怒って、わらわに罰を与えた。その魂の家系が尽きるまで見守らなければいけなくなった。これはどういうことかわかるじゃろ?わらわは、天界から追放されたのじゃ。翼をもがれ、輪を奪われ、わらわはこの森に堕とされた。飛ぶことも、力も使うこともできない私は森で魂を待ち続けた」


それが本当の話かはわからない。

途方も無い話だ。僕には真実が見抜けない話。だけど、嘘でもない。

黙ってオフィーリアの話を聴いた。



「300年くらいが経って、ある若い男がやってきた。男は何人かと建物を作り始めた。いくばくして四角い箱が出来上がって、男は自分で描いた絵画を飾り始めた。わらわはそれをずっと見ていた。その男こそが、わらわが見守らなければならない男だったからじゃ。そして、ほんの少しの出来心で、わらわは奴の作品に入った。人形じゃ。タイトルはオフィーリア。ガラスの棺に入れられた彼女の中に、わらわは入った。そして、男と話せるようになった。」





そして、男に恋をしてしまった。





オフィーリアは話したあと、ガラス玉の目から涙を零した。

僕はただ彼女を見ていた。

堕天使は落としてしまって魂に恋をし、そしてずっとその魂のためにこの美術館を守ってきた。

とてつもない時の流れの中で、オフィーリアは人間にほど近い人形になってしまった。


恋は叶わなかったが、幸せだった


オフィーリアは言った。

そして、父から渡された金の鍵の扉のありかも教えてくれた。

父と母の肖像画を右に動かすと、隠し扉が現れる。

その金のドアノブに鍵を挿せば、爽快にカチャリ、と音がする。

中には暗闇の中で一点だけ照明で照らされた絵画があった。


海の中で魚たちと泳ぐ人魚の絵だ。

しかも、その人魚は男の人魚で、


「僕の…顔……?」


驚いて後ろを振り向くと、オフィーリアがまた哀しそうな顔をしていた。


「すまんの、騙して。太陽に、スターライトをここに連れてくるよう言われておったのじゃ」


オフィーリアがそう言ったあと、床が濡れていることに気がついた。


絵画から水が溢れ出ている。


みるみるうちに水は僕の膝まできた。


「オフィーリア!どういうこと!?」


「わらわが落としてしまった魂は【無意識の自殺願望】の障害を持ってしまった。それは親子3代まで続いてしまうのじゃ。わらわは太陽の障害も月忠の障害もなんとか治した。最後はお前だ、スターライト。」


ついに頭まで水がきた。

水が僕を責め立てる。

僕は意識を失いそうになる中、絵画のタイトルを見た。




『水族館の人魚 スターライト 』




♢♢♢



目を覚ましたら父の車の中にいた。

僕の上には毛布がかかっていて、運転席では父がハンドルを握っている。



「父さん!?これは、あれから…何年たって…」



「1年も経っていないし、1日も経っていない。父の美術館の帰りだ」



サングラスをかけた父は言った。

一体、どういうことだろう。

随分と長い時を、あっちで過ごしていたようだったのに。


「父さんも、オフィーリアに治して貰ったんですか?」


「まあな。私の時は花畑だった。父はメルヘンが好きだらなあ。」


ミラーをみたら、父は笑っていた。

本当に、今日の父は母に見せてあげたい。


「僕は水族館でした。あの、父さん。後でまた連れってくれませんか?オフィーリアにお礼が言いたいのです」



「ああ、また来よう。帰り、母さんのところに寄って行くぞ」



「はい、父さん」



僕は喜々として頷いた。


のちのちわかったことだが、祖父はずっと母のお気に入りになったあの水族館のスポンサーになっていたらしい。もちろん祖父が亡くなった後も、父がそれを受け継いで、だからあの小さな水族館は今でも生き続けている。



5年後、オフィーリアからあれは夢じゃなかったと聴かされて、慌ててあの小さな水族館に向かい、女の子と再会するのはまだ先の話。











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