シーン1.報告
『薬物乱用者三名、薬物売買人二名を目視確認。渋谷区を逃走中。ただちに身柄を拘束しろ』
『了解しました』」
東京都渋谷区。そこは東京都の主要区域の一つ。
渋谷区は人が多いことで有名である。ある年の国勢調査によれば、その昼間人口は五十二万人にも及ぶという。特に渋谷駅前の大通りは一日中人が絶えないと言ってもいい。スクランブル交差点はその最たるものだ。
通学中の学生。ハチ公を見に来た外人の観光客たち。仕事に向かうサラリーマン。人が多いということは、目立った行動は出来ないのと同じだ。そんなことをすればすぐに人だかりで埋め尽くされるだろう。つまり、昼夜を問わず何万人もの監視下に置かれている訳である。
その言葉の裏を返すとこうだ。
人がいない場所はルールが存在しない「無法地帯」と化す。
その大通りから少し離れた路地裏。
誰も近づかないであろう暗がりの中、そこには二人の男の姿があった。
一人は帽子をかぶった男。体格はあまり良くない印象を受ける。顔は帽子でよく見えない。もう一人は身長が高く、あごひげが特徴の男。一言で表すならば、どこにでもいそうな中学校の教師。二人に共通しているのは黒いスーツにネクタイ、眼鏡をかけていることだった。外見はごく一般的なサラリーマンだが、彼らは一つ変わった所があった。
スーツの内側、至るところから機械の駆動音が聴こえてくるのだ。
インカム、金属製の補助関節、両手には黒いグローブ。履いている靴の側面は所々緑色に点滅している。恐らく何らかの細工がなされているのだろう。その姿は介護用のアシストスーツを連想させる(見た感じでは彼らに介護は必要なさそう年齢なのだが)。
「泉先輩。虎と鼠、どっちを追いかけます?」
帽子の男が眼鏡のふちに手を当てながら言った。いや、手を当てるではなく、操作しているの方が正しい。
彼のかけている眼鏡のレンズには渋谷区の地図が表示されていた。地図を拡大していくと、三つの赤い点が地図上を動いているのが分かる。
「俺が鼠を担当するからお前は虎を頼む。これ以上虎を放っておいたらエリアB署の手に負えなくなるからな。今のうちに始末しておけば後で困らないだろう」
泉と呼ばれたあごひげの男は答えた。口から発せられた"始末"とは、いったい何を表しているのかは検討もつかない。
「鼠の捕獲に失敗すれば今後の被害が拡大する恐れがあります。初期目標は鼠、それに虎は三人。エリアB署からは機動隊が出ていますし、二人がかりで鼠を捕獲しませんか?」
「あのな、南雲。上からの命令が鼠とは言っても実際に現場でどうなるかは誰にも分からない。もし機動隊が間に合わず、あの腐った薬物乱用者どもに襲われた人がいたらどうする?鼠はこっちで何とかするから。お前は虎の方に行って来い」
帽子の男、南雲はしばらく納得のいかない表情をしていたが、すぐに気持ちを入れ替えたようだった。
「分かりました、虎が第一目標ですね。泉先輩も気をつけてください」
「おう、言われなくてもそうするさ。何事も臨機応変にな、南雲」
二人は互いに会話を交わした後、別々の方向へ体を向けた。
南雲はつま先で靴の調子を確かめつつ、
「では、またあとで。『装工機動・開始』」
「オーケー。作業が終わり次第連絡するわ。『装工機動・開始』っと」
キュィィィンと甲高いコンピュータの処理音。靴の点滅が緑から青へと変わる。そして一歩目を踏み込んだと思った瞬間。
拳銃の発砲にも似た破裂音を残して彼らの姿はすでに消えていた。そのアスファルトには二つの焦げたような足跡と大きな亀裂が入っていた。