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第四話 後編 秘めた想い 

 第四話 後編 秘めた想い 


 1


 市子(いちこ)山口(やまぐち)の石碑が建てられたのは、創路(そうじ)の回収から数日が経った後だった。

 希莉絵(きりえ)さんから許可をもらい、あたしと文仁は花束を持ってあの地下の墓地に向かった。

 市子とはそれほど仲が良かったわけでも悪かったわけでもない。仕事でお互いに助け合うことはあっても、プライベートではほとんど話したことがなかった。

 それでも同年代のガードレディが亡くなるのは、やっぱり辛い。

 市子、絶対に苦しい思いをしただろう。刀で斬られるだけならまだよかったけど、あの男に殺されたんだ。あの男は人を見下して、いたぶって、少しずつ相手の身体を切り刻んで殺すのを楽しむような奴だ。

 絶対に許さない。これ以上、あの男に仲間を殺させることは……絶対に。

「鶴香、どうした?」

 前を歩く文仁が立ち止まって聞いてきた。

「う、ううん、なんでもない」

「そうか……」

 文仁は何かを言いたそうな顔をしていたが、そのまま前を歩き出した。その背中を見つめながら、あたしは心の中で言った。

 大丈夫、あたしなら出来る。あんたを俊明(としあき)や市子と同じ目には遭わせないわ。

 文仁がドアを開いて墓地の中に入る。その後に続くと、ちょうど市子たちの石碑の辺りから戻ってくる子がいた。

未国(みくに)?」

 間違いなく未国だった。未国は顔を下に向けていて、泣いているように見えた。けれどあたしたちに気づいて顔をあげたら、いつもの無表情な顔だった。

佐東(さとう)、どうしてお前が?」

 文仁がそう聞いても、未国は何も言わなかった。あたしたちを完全に無視して横を通り過ぎ、部屋を出ようとする。

「ちょっと無視しないでよ、未国」

 あたしがそう言うと、未国は部屋の出口の手前で立ち止まった。

「ここに来たってことはあんたも市子の墓参りをしに来たんでしょ?」

「……」

 未国は何も言わない。でも、ここに来た理由を考えるとそのことしか思い浮かばなかった。そうに違いない。

「あたし、誤解してたかも。あんた、あまり他の子のことを気にしてないように見えてたから。勝手に勘違いしてごめん」

「あんな役に立たないガードレディなんて必要ない」

 一瞬、未国が言ったことが理解できなかった。

「え?」

「間抜けな奴だ。私が代わりにいたら助かったかもしれないのに。奴らに殺されるなんて……」

 わずかに見えた未国の顔に笑みが見えた。

「ちょっと未国。いくらなんでもそれは言い過ぎじゃないの? 市子は私たちの仲間でしょ?」

「仲間? いつ私がお前の仲間になった?」

 未国が後ろにいるあたしを睨む。

「ただ同じガードレディということだけだろ。友情だの、愛だの、絆だの、そんな綺麗事の中に私を入れるのをやめろ。虫唾(むしず)が走る」

 その一言にそれまで我慢していたあたしもさすがに頭がきた。ほんの数秒でも未国が良いやつだと思った自分がバカだった。

 あたしは未国に走り寄ってその頬を手で叩いた。

「未国、あんたがあたしのことを嫌いなのはわかってるわ……前からそうだったもんね。理由があるんだろうけど、この際、あんたがあたしのことを軽蔑しようと、悪口を言おうとかまわない。でも、死んだ仲間を侮辱することは許さないわ!」

 未国の胸ぐらを掴んだ。

「あんた、仲間を何だと思ってるの! 一緒にここで暮らした仲間でしょ! 死んでいった人たちはみんな創路に跡形もなく消されてしまうのよ! そうなったら、死んだみんなのことは生きているあたしたちの思い出にしかないのよ! あんたがそんなふうに言っちゃったら、死んだ人たちがかわいそうじゃない!」

「おい、鶴香!」

 後ろにいた文仁に肩を掴まれても、あたしは未国を離さなかった。それまで溜まっていたことを全て未国にぶつけたかった。未国に、これまで傷ついたあたしと少しでも同じ思いをさせたかった。

「あんた、死んだ人のこと何とも思わないの? 自分だけが生きていればそれでいいと思ってるの? 一人だけで今まで生きていくことが出来たの? 他の仲間が一緒に戦ってくれたからここまで生き延びることが出来たんでしょ!」

「……」

 未国は何も言わない。それがさらに苛立った。

「何とか言いなさいよ! いつもみたいにあたしに悪口言いなさいよ! さあ、早く!」

「鶴香!」

 文仁がそれまで以上に強い力であたしの両肩を掴んだ。そこでようやく未国を離した。

 結局、未国は最後まで何も言わなかった。あたしに叩かれた頬が赤く腫れたまま、部屋を出て行った。

「なんでよ……なんで、あんたは仲間をそんなふうに言えるの……」

 わからない。あたしには未国の気持ちが全くわからなかった。


2


 夜。一仕事終えた俺は神戸神社(かんべじんじゃ)とかいう場所で一人、ベンチの上で寝転がっていた。

 野宿するつもりは最初(はな)からない。近くに浜家(はまや)が泊まる場所を用意してくれている。それでも俺がここにいるのは、人と待ち合わせしているからだ。

「へへ、普段はあいつら普通の学校に通っているってわけか」

 人を簡単に殺せる力を持ってるくせに生意気な奴らだ。この世界で生きている連中はろくな死に方しかしない。

「だから、人間に戻りたいってか」

 くだらない。そんなことをしても生きる手段なんて他にあるわけがない。

 それなら割り切って刀人の力を使いまくったほうがいいに決まってるだろ。

 この世界から邪魔者扱いされたじじいやばばあを殺しまくればいい。そして、同じ刀人同士で殺し合えばいいじゃないか。

 なぜ平凡な日々を望む?

「くだらねえ……」

「何がくだらないの?」

 神社の入り口のほうから声が聞こえてくる。字倉(あざくら)が一人で歩いてくるのが見えた。

「なんだ、伊月は一緒じゃないのか?」

「先に休んでるわ。このところ出かけっぱなしだったし」

「それでお前はやる気になったのか?」

「何の話?」

 素で聞いてくる字倉に笑う。袖なしの黒いティシャツと青いジーパンの格好は相変わらずだが、そのスタイルは抜群だった。見てるだけでムラムラしてくる。

「とぼけるな、前に話しただろ? 俺とやらせてくれるかどうかだよ。伊月とはもうやったんだろ?」

 そう聞くと、字倉は俺から視線を逸らして素っ気なく答えた。

「悪いけど、あんたとやるつもりはないわ。もうそういうことはやめたの」

「体を売って金を稼いでいた女が言う科白とは思えないな。その手を使って何人かのガードマンを誘って殺してたんだろ? どうしてやめたんだ?」

 そう聞いても、字倉は何も言わなかった。触れたくねえ過去ってやつか。まあ、どんな暮らしをしていたのは大体わかるが。

「頼まれていた物、持ってきたわよ」

 字倉がジーパンのポケットからスマートフォンを取り出した。ベンチから起き上がってそれを受け取る。

「へへ、助かった。これで心おきなく奴らと戦える」

「フィールドを展開できる機能を搭載した物をもってこさせるなんて、いったい何を考えているの、椚木(くぬぎ)?」

「奴らとやり合うんだ。使わないといけないだろ」

「あんただから大丈夫だったけど、あまり自分勝手な行動を取っていると良くないわよ」

「どういう意味だ?」

 そう聞くと、字倉はまた呆れるように息をついた。

「浜家のおじさんが状況を報告しろだって。あんた、ここ最近連絡入れてなかったでしょ?」

「俺の頼みに素直に応じた理由はそれか」

「そういうことね」

「はっきりした場所はわからないが、目星はつけたぜ」

「どうするつもり?」

「そりゃあ、直接あたるしかないだろ」

 ベンチから立ち上がり、にやりと笑って字倉のほうを見る。

「本当に大丈夫なの?」

「へっ、俺はちゃんと命令は聞いてるぜ。だが、それをどうやってやるかは俺が決める。ただ殺すだけじゃ面白くないだろ。奴らの予想も出来ない方法で仕掛けてやるさ」

「ま、ほどほどにしておきなさいよ。話はこれでおしまい。帰るわ」

 字倉がそう言って神社の出口のほうへ向かう。その背中に向かって言った。

「お前も来てもいいんだぜ。伊月と一緒じゃ退屈だろ?」

「遠慮しとく。あんたとの相性は良くないし。ああ、そうそう」

 神社の出口の手前で立ち止まって、字倉が俺のほうを見た。

「あんたが死んだら色々と面倒なことになるわ。伊月や浜家のおじさんの態度を損ねるようなことはしないことね」

「言われるまでもねえ。わかってるぜ」

 そう言うと、字倉は軽く手を振って神社の外へ姿を消した。

「へっ、死ぬつもりなんかねえよ」

 再びベンチの上に寝転がってある方向を見る。

 その先にあるのは松阪高校とかいう学校だった。奴らはあの学校に通っている。少なくとも金髪のガードレディがいるのは確実だった。

「会うのが楽しみだな、へへ」


 3

 

 銃声が鳴り響く。

 目の前に出た標的の真ん中に連続で命中させて、弾を全て撃ちきった。

「ふぅ」

 一息入れて近くの椅子に座った。周囲を見ると、同じように射撃の練習をしているやつが何人かいる。

 沢村(さわむら)の案内で知った男子寮の地下にある射撃場。ガードレディを援護するために、ガードマンたちはここで銃の練習をしているらしい。

 ただでさえ、この国じゃ銃器の所持は厳禁になっているが、その銃を当たり前のように使って、男たちが練習している姿はどこか違和感があった。

 沢村から聞いた話だと、ここにいるガードマンたちは中学二年ぐらいの歳でこの練習をするらしい。ガキに銃を持たせるなんて何を考えているんだ、とツッコミたくなるが、この施設ではそれが常識になっている。

「ま、元々、この場所自体非常識だけどな……」

「あ、ここにいたんですか、先輩」

 射撃場のドアが開いて沢村がこっちに向かって歩いてくるのが見えた。

「朝から射撃訓練なんて、本当に元気ですねえ。どうですか、射撃の腕は鈍っていませんか?」

「ああ、かなり調子が良いみたいだ」

「そうみたいっすね……って、すごいですね、先輩!」

 俺の撃っていた標的を見て沢村が驚きの声をあげる。

「全部ど真ん中に命中しているじゃないですか!」

「自分でも驚いてる」

「俺ならやる気が出てもあんな連発で真ん中に撃つことはできませんよ。何かコツでもあるんですか?」

 そう聞かれて一瞬迷ったが、沢村にはいうことにした。

「信じられないかもしれないがな、声が聞こえるんだ」

「声……ですか?」

「どこを狙えばいいか、頭の中に聞こえてくるんだよ」

 自分の頭を指差す。

「声というのは自分の声ですか?」

「いや、女の子だ。最初に奴らに襲われたときもその子に助けてもらった」

「?」

 沢村は俺の言っていることが理解出来ないようだった。首を傾げながら俺の隣の椅子に座る。

「えーと、女の子が先輩を助けたというのは、その子があの場所にいたんですか?」

「いや、実在はしていないんだ。ただ、その子が必死になって俺の危険を事前に知らせてくれたおかげで、何度か命拾いした。フィールドが張られた時もその子が呼びかけてくれたおかげで助かったんだ」

「……」

「まあ、信じなくていいがな」

「先輩はフィールドの中で遮断パッチなしで活動していましたし、刀人を相手に互角に戦っています。その根拠は全くわかりませんでしたが、もしその子が先輩を助けてくれたとしたら、一応、辻褄(つじつま)が合いますね」

「半信半疑って感じだな」

「すいません、けど、それが本当だとしたら、その子にとても興味がありますね」

 どうやら沢村の好奇心に火をつけたらしい。

「名前はあるんですか?」

弥生(やよい)という名前だ。苗字は知らない」

「弥生……ですか。俺の知っている範囲では知らない名前ですね。先輩は知っているんですか?」

「いや、わからない。ただ」

「ただ?」

「ただ、俺は弥生とどこかで会った気がする。だが、全く思い出せないんだ。何だろうな。頭の中では知らないはずなのに、そんな気がする」

「なるほど……」

 沢村は考えるように顎に手をあてた。

「その弥生という子がいったい誰なのか、とても気になりますが、少なくともわかったことはありますね」

「今の話でわかったのか?」

 驚いて少し椅子から腰を浮かした。

「まあ、俺の勝手なイメージですけどね。たぶん、その子は先輩に何か大きな恩を感じているんじゃないですか?」

「恩?」

「ええ。そうでなければ赤の他人を必死に助けようとしないじゃないですか。先輩を助けるのには何か大きな理由があるはずです」

「弥生が俺に借りがあるというのがその可能性の一つ……というわけか」

「はい。先輩は何かの原因でそれを覚えていないようですが、身体の感覚がそれを覚えているんですよ」

「身体の感覚か……」

「記憶を喪失しても、ご飯の食べ方や服の着替え方を覚えてるという話があるじゃないですか。それと同じ類ですよ」

 沢村にそう言われても、うまく受け入れることができなかった。

 理解は出来るが、俺と弥生のケースにそれがあてはまるのかがわからないのだ。だが、沢村の意見で考えると、やはり俺と弥生はどこかで会っていて、俺は弥生に何か大きな恩を着せたことになるのだろう。

 いったいそれは何だ……。

「……」 

 だめだ。思い出そうとしてもやはり思い出せなかった。

 沢村が椅子に座り直して質問を重ねる。

「その子と話が出来るんですか?」

「出来る時と出来ない時があるな」

「先輩から話しかけることは?」

「俺が呼んでも返事はしない。今まで向こうから話しかけてきた」

「いつ話しかけてくるんですか?」

「今まではずっと夢で会っていたんだが、この騒動に巻き込まれてからは起きてる時でも声が聞こえてくるな」

 何だか話している自分がバカに思えてきたが、聞いてる沢村はずっと真剣だった。

「もしかしたら……いえ、もしかしなくても、先輩。その子の存在が先輩の強さになっているかもしれませんね」

「どういうことだ?」

「刀人の力は普通の人間よりも強いのは確かです。ガードマンである俺たちでも苦戦することは避けられないでしょう。ですが、先輩は怪我をしたとはいえ、刀人を相手に二度も互角に渡り合っています。その子のおかげであなたは今まで生き延びてきた。その力はもしかしたら今後、俺たちとダルレストの戦いに大きな変化をもたらすかもしれません」

「ずいぶん大げさだな」

八重坂(やえさか)と組んでいたら尚更でしょう。まさに最強のペアと言っても過言じゃありませんよ」

「八重坂か。そういえば今日はどうしているんだ?」

「学校……と言いたいところですが、どうやら昨日体調を崩したみたいで寮で休んでいますよ」

「そうか」

「やっぱり気になりますか? 弟さんの幼馴染のこと」

「こんな状況にいるなんて知ったら尚更な」

 そう言うと、沢村が笑みを浮かべた。直感で怪しい笑いだとわかる。

「確かに気になりますよねえ。可愛いし、現役の女子高生ですから」

「妙な誤解をしているようだが、そういう意味の気になるじゃないぞ」

「あれ、先輩、年下が趣味じゃないんですか? 俺はてっきりロリ――」

「殴るぞ」

 そう言うと、沢村は慌てて口を塞いでまた笑った。

「冗談ですよ。からかっただけです」

「そんなことより、あの件はどうなったんだ?」

 あの件というのは先日、殺されたガードレディとガードマンのことだ。沢村は少し表情を険しくした。

「良くありませんね。坂上(さかがみ)は優秀なガードレディでしたから、他の子たちにも悪い影響が出ています。八重坂が体調を崩したのもそれが原因でしょう。彼女はガードレディたちの中でも仲間意識が特に強いですから」

「殺した犯人はわかったのか?」

「いえ。ですが、あの傷はダルレストの普通の刀人がやった傷ではありません。あそこまで酷い殺し方をする奴もそうはいませんから。それにもしかしたら鶴香が何らかの手がかりを持っているかもしれません」

「あの子が?」

「詳しい話は知りませんが、鶴香の相棒の文仁、実は彼女にとって二人目のガードマンなんです」

「何?」

 初耳だった。だが、今思えば他のやつの素性をほとんど知らない俺にとっては、全てが初耳といっても良かった。

「最初のガードマンは数年前に殺されたみたいで、その殺し方は言葉で表現できないほど残酷なものだったようです。そしてそのガードマンは……」

 沢村が俺のほうを見る。時折、見せる真剣な表情だった。

「溝谷俊明という文仁の兄です」

「……」

「俊明が死んだ原因は詳しく知りません。知っているのは鶴香本人と現パートナーの文仁、そして理事長ぐらいです」

「そうだったのか……」

「ま、その件で鶴香が何を考えているのか、そして俊明が死んだことに鶴香が関わっていると知った文仁はどう思っているのか、それも謎のままですね」

「色々と複雑なんだな」

「あの二人に限ったことではないですよ」

 沢村が椅子から立ち上がって俺のほうを見た。

「ところで先輩。最近、八重坂とろくに話していないんじゃないですか?」

「そういえば、そうだな」

「お見舞いということでこれから行きませんか?」

「行こうとは考えていたが、お前も来るのか?」

三十路(みそじ)の男が一人で清楚な女の子の部屋に行くのはまずいでしょう」

「殴るぞ」

「冗談です。案内しますよ」

 笑って席を立ち、歩く沢村のあとにしたがって、俺は八重坂のいる寮に向かった。


 4


 授業の始まる五分前。あたしは次の授業の教科書を机の上に置き始めた。クラスのみんなも席に座り始める中、一つだけ誰も座らない席がある。

 そこは潤一(じゅんいち)の席だった。潤一が死んだことはみんな知っている。先生からそれを聞いてクラスのみんなはとてもショックを受けていた。泣いている子も何人かいた。潤一はこのクラスでは結構人気だったからだ。

 でも、それもたった数日のことだった。机の上に置かれていた花もいつの間にかなくなっている。それを見ると、みんなが思い出して悲しむからと先生が言っていたから、たぶんそれで置くのをやめたんだろう。

 クラスのみんなはもう潤一のことを話題に出さなくなった。もっと日が経つと、みんな潤一が死んだことさえ忘れてしまうんだろう。ダルレストの奴らに殺されたなんて知らずに。

 でも、あたしは絶対に忘れない。潤一のことを、市子のことを、そして俊明のことも。死んでいったみんなのことをこれからも覚えておく。

「ふああ、眠いなぁ……」

 そばの席で大きなあくびをしている文仁を見る。いつもなら呆れて何かを言うだろうけど、何も言わなかった。

 文仁は態度では見せないけど、あたしのことを恨んでいると思う。あたしのせいで俊明を死なせてしまったようなものだから。でも、それは仕方がない。 

文仁があたしを相棒に選んだ理由はよく知らないし、聞く権利もあたしにはない。

あたしが出来るのは命に代えてでもこいつを守ること。それが今のあたしに出来ること。自分の想いを口にする必要はない。

「ん、どうした、鶴香?」

 文仁があたしが見ているのに気付いた。あたしは考えるのをやめてわざとらしくため息をつく。

「どうしたじゃないわよ。もうすぐ授業始まるわよ」

「わかってるって。だけど、その前にこのカンベちゃんの新作漫画を……」

 机の中から漫画を取り出そうとした文仁の手が途中で止まった。

「どうしたの、文仁?」

「あれ……渡り廊下のとこに何かいるぞ」

 呆然と後方の窓を指差して言う文仁に不審に思ってその方向を見る。

 反対側の校舎へ通じる渡り廊下、その柵の外側に何かが見えた。

「何……あれ?」

 はっきりとそれを見た瞬間、全身に寒気がはしった。柵にまるで十字架に打ち付けられたようにぶら下がって、誰かが死んでいる。

 身体のあちこちに切り傷があったけど、外見の特徴で次の授業の遠上(とおがみ)先生だということがすぐにわかった。

「ちょっとあれ、遠上先生じゃない?」

「何やってるんだろ?」

「おい……死んでるんじゃないのか?」

 クラスのみんなも異変に気付き始めて、騒ぎが起こり始める。

「まさか……」

 呆然と見ていたあたしはとてつもなく嫌な予感がした。席から立ち上がり、教室の外へ出る。

「おい、どこ行くんだ、鶴香!」

 後ろから文仁の声が聞こえたけど、構わず廊下を走った。階段を駆け上がって、先生の死んでいる渡り廊下に向かう。

 渡り廊下へ続く道はもうたくさんの生徒でいっぱいになっていた。先生たちが必死になって生徒たちを後ろに下がらせている。

 その間をくぐって人ごみの一番前に出ると、ようやく死体が見えた。間違いなく遠上先生だった。人ごみに押されて数秒しか見えなかったけど、その殺し方は普通の人間の仕業じゃなかった。両手両足の先は何もなくて付け根から大量の血が出ていて、体に何度も切り刻んだ傷痕が見えた。

 あの殺し方……あたしは知っている。

 頭の中に俊明や市子の惨殺された姿が思い浮かぶ。まだ日も暮れていない真昼間だ。あたしたちもダルレストも活動するような時間帯じゃない。それでも、この殺し方ができるのは……あいつしかいない。

 あいつがこの学校に?

 その時、授業のチャイムではない違う音が校内に鳴り響いた。よく耳にする音、放送が始まる前のあの音だ。

 スピーカーから雑音が鳴り始めて、それまで騒いでいた人達が一気に静かになった。

『あーあー、マイクのテスト中、テスト中』

 そして、雑音のあとに男の声が聞こえてきた。

『聞こえるかぁ? 俺の声を聞いてビクッてした奴、いたらすぐにわかるぜ』

 その声を聞いてさっきよりも寒気を感じた。

 こ、この声は……。

『もうわかってると思うが、そいつを殺したのは俺だ。お前がこんな普通の学校に通っているのにむかついてな、ちょっと見せしめにしてやった、へへ』

「何よ、これ!」

「お前って誰のこと言ってるの!」

「見せしめって何だよ!」

 周りのみんなが再び騒ぎ始める。スピーカーから聞こえる声は笑い声をあげた。

『目の前で起こっていることがわからないバカな連中を見ているのは実に愉快だ。次はこいつらを殺すのも楽しいかもな』

 男のその言葉を聞いて、より一層その場が混乱する。

「落ち着きなさい! みんな、ゆっくりと学校の外へ出なさい!」

「静かにしろ! とりあえず外へ避難するんだ!」

 先生たちがみんなを落ち着かせようとしてるけど、本人たちもかなり混乱していた。定期的に行われていた避難訓練なんて何の意味もない。でも、少なからずみんなは校舎の外へ逃げようと動き始めた。

 そんな中であたしだけがあの放送をしていた男のことを考えていた。

 校舎に放送を流せる場所は放送室しかない。だとしたら、あいつはこの学校の中にいるということになる。

「何とかしないと……」

 ぼうっとしている暇はない。あたしは急いで放送室のほうに向かった。

 放送室は校舎の二階にある。遠上先生の死んでいた四階から降りるのは簡単だけど、今回は違った。人ごみが凄くてなかなか前に進めない。

 それでも数分後にようやく放送室にたどり着いた。あたしの予想に反してそこにはまだ人が来ていなかった。みんなパニックになって、とりあえず学校の外へ出ようと必死になっているからだろう。男が放送室にいると考えついた人がいなかったのかもしれない。

 この部屋にあいつがいる。

 ドアノブに手をかける。その時、他のみんなと同じようにあたし自身も混乱していたのかもしれない。冷静になった瞬間、それまで麻痺していた恐怖が沸き起こってきた。

 あの男がここにいたら、今度はあたしが俊明や市子と同じ目に……。

 ドアノブに手をかけたまま、少しの間、動けなかったけど、あたしはノブを回した。

 怖がっちゃいけない。あの時とは違うんだ。

 ドアを開けて中に入る。部屋の中は薄暗く、人の気配はなかった。近くにあったボタンで電気をつける。やはり誰もいない。

 少し安心した気持ちと不安が入り混じった。

 放送に使っていた機材は電源が入ったままだった。さっきまで使っていたらしい。ということは、やつはまだ近くにいる。

「!」

 辺りを見回すと、あるものが目に止まった。机の上に置かれたスマートフォン。ただの携帯ならまだいい。でも、アクセス権がないと所持の許されていないスマートフォンであることが問題だった。未成年の高校生が学校に持ち込めるわけがない。

 その時、スマートフォンから着信音が鳴り響いた。恐る恐る手にとって画面を見る。当然、知らない番号だった。でも、なぜかその番号の主がわかる気がした。

 通話ボタンを押して電話に出る。

『よお、久しぶりだな』

 さっきの放送の時と同じ男の声が聞こえてきた。

 男がそう言ったということは、あたしが電話に出ると予想していたのだろう。

『へへ、山を張って良かったという感じだなあ。この状況で冷静に判断してその部屋に来るやつはガードマンかガードレディだと思っていた』

「あんた……あの時見ていたのね」

 真那と文仁の三人でお昼ご飯を食べていた時、やっぱりこの男はあの桜の木の場所にいたんだ。

『へへ、いくらガードレディと言っても生きた人間には変わりない。俺が思いつく限り、どっかの建物に隠れてるか、あるいは普通の人間に紛れて生活しているかのどっちかだ。俺たちのほうは前者だが、お前らは後者だったってわけだ』

 電話越しに男の嘲笑う声が聞こえる。

『くだらねえ、刀や剣を持った化物になって存在も消されたくせに、今さら人間ぶるのかよ。こっちはこっちで楽しいだろ。政府の奴らが邪魔者と見なした人間を殺しまくって、同じ社会の嫌われ者同士で殺し合える』

「それがあんたの生きがいだというの? イカれてるわよ」

『へへ、まあ普通の価値観だとそうだろうな。でも、しょうがないだろ。刀人になっちまったんだから。刀人なりに楽しい人生にしたいじゃないか』

「何が……楽しい人生よ」

 スマートフォンを持った手が小刻みに震えた。恐怖で震えてるんじゃない、これは怒りだ。

「そんなことのために……あんたは殺したの!? 俊明も市子も他の人達も!」

『はっはっは! いいねえ! 怒ってる、怒ってる。あの時みたいにぶるぶる震えてるだけの子猫じゃない。少しは成長したみたいだな』

 男が笑い声をあげる。あたしは怒ったせいで息が詰まって何も言えなかった。

『へへ、久しぶりに楽しめそうじゃないか。わざわざお前の学校に出向いて良かったぜ』

 まだ小さく笑いながら男が言う。

『どうやら今この学校にいるガードレディはお前だけみたいだな。あの時いた長髪の女はいないようだ』

 真那(まな)がいないことがバレてる。こいつの言うとおり、今この学校にいるガードレディとガードマンはあたしと文仁だけだった。

「こんな真昼間に来るなんて、何を考えてるのよ?」

『ま、俺たちがやりあうのはいつも真夜中だしな。それまで待っていても良かったが、我慢出来なかったのさ』

 ようやく男が笑うのをやめる。

『さあて、次はどいつを殺してやろうか。リクエストがあれば応えるぜ。一人くらいムカつくやつがいるだろ? 何なら、お前のガードマンでもいいけどよ』

 この男は自分の思い通りにならないと他の人間も殺すつもりだ。遠上先生も、クラスメートも、ここにいるあたしと文仁以外の人間は、こいつにとってはどうでもいいんだ。

 あたしが逃げれば、他の人が殺される。

「やめて。狙いはあたしでしょ?」

『さすがだ。人の考えを見通すのも得意になってる。へへ、同類だからか?』

「あんたみたいなクズと一緒にしないで」

 文仁以外には滅多に使わなかった悪口を男にぶつける。でも、男はただ笑うだけだった。

『体育館に来い。十分くらいありゃ、いいだろ。来なければ他の奴を殺す。あと、一応決まりだからな、この電話を終わったあとにフィールドを張らせてもらう。じゃあな』

 そこで通話が切れた。同時にあたしの持っていた携帯から音が鳴る。フィールドが張られたことを知らせる特有の音だった。

「……」

 あの男は明らかにダルレストの普通の刀人とは違う。これまで何度も戦ってきたけど、あの男の持っている武器は刀じゃなかった。実力はかなりある。そうじゃないとあんな余裕のある態度で話をしてこない。

 でも……逃げるわけにはいかなかった。

 あたしは放送室を飛び出して体育館に向かって走った。


 5


 校舎の最上階にある渡り廊下の人ごみは未だにすごかった。さっきの放送でみんながパニックになって学校の外へ避難し始めてたが、校門近くにも人がたくさんいてなかなか進んでいなかった。

『おいおい、それは本当なのか!? 冗談じゃないんだな?』

「ああ、間違いない。坂上や山口を殺した奴と同じだ」

 その様子を見守りつつ、俺は携帯で沢村に電話をかけていた。遠上先生の死体のことを話すと、さすがの沢村も驚きの声をあげた。

『その学校に今、ダルレストの刀人がいるのか?』

「さっきみんなの前で派手に放送流してたんだ。間違いない」

『じゃあ、お前と鶴香が潜伏していることがバレていたのか?』

「理由はわからないが、そうみたいだ。銃を持っていたら良かったけど、寮に置いてきてしまった、ちくしょう」

『スタンバトンのほうは?』

「そっちがあるのはまだ幸いだが、刀人相手じゃきついかもな」

 基本的にガードマンと刀人じゃ差がある。スタンバトンはあくまで身を守るための道具で、ガードマンの強さは銃のほうに依存していた。だから、今の状態はほとんど丸腰に等しかった。

『まずいな。すぐに応援を送りたいが、時間が時間だからな……面倒だ』

 沢村が渋った声で言う。気持ちはわかる。こんな昼間に佐東(さとう)愛佳(あいか)ちゃんを学校内に入らせるわけにはいかない。八重坂が来てくれたら心強かったが、今日は体調を崩していた。タイミングが悪い。

『鶴香は一緒じゃないのか?』

 沢村がいたいところを聞いてくる。そっちのことも気になっていた。

「はぐれちまった。死体を見た瞬間、血相変えて教室を出て行ったよ」

『そうか、やっぱり鶴香は……』

「ああ、そうだ。たぶん兄貴を殺した奴だと思ってる」

 あのことをよく知っている俺だからわかる。鶴香は一人で決着をつけるつもりだ。。

「あいつ、自分ばっかり背負いこみやがって。俺がずっと妄想ばかりしてるバカだと思ってたのか……」

『鶴香が一人でやるつもりならかなり危険だ。相手はただの刀人じゃないぞ』

「わかってる。沢村、一応学校の外で待機しといてくれないか? 最悪の場合、俺と鶴香の死体だけでも片付けてくれ」

『りょーかい。まあ、そうならないことを祈ってるさ』

「頼む」

 携帯の電話を切って周りを見回す。

 鶴香は金髪のツインテールだから、校内では割と目立つ。見つけるのは簡単だと思っていた。だから、沢村に電話しながら探していたが、あいつの姿はどこにもなかった。

「くそ、どこに行ったんだ、鶴香……」

 その時だった。ポケットに入れていた携帯が特殊な音で鳴り出した。フィールドが張られる時の警告音だった。

「まさか……」

 次の瞬間、その場にいた学校のやつらが膝から崩れ落ちた。騒いでいたやつも、パニックになる生徒を止めていた先生もみんな何も言わなくなってその場に倒れる。

 それまで騒がしかった校内が一気に静まり返った。

「フィールドまで張ったのかよ」

 ガードマンになって結構経っているがこんなことは初めてだった。

 フィールドが張られたということは向こうはもう戦闘に入ろうとしている。とにかく鶴香を探さないといけない。

「死なせねえぞ、絶対に……」

 俺は静まり返った廊下を走って鶴香を探した。


 6


 校舎の中も外も大勢の人が倒れていた。学校の外にいる人がこんな光景を見たら、大騒ぎになるけど、フィールドの範囲は学校周辺の住宅街にまで広がっていたみたいなので、その可能性はたぶんない。

 あたしは外の廊下を歩いて体育館のほうに向かった。

 いつも部活で練習している場所。剣道部に入ったのは体力をつけるためでもあったけど、 施設でしていた刀人の訓練に近いからだった。

 学校の中でここがあたしの一番馴染みのある場所だと言ってもいい。それなのに、緊迫した今の状況だと全く知らない場所のように見えた。

 放送室から出た時はあんな懸命に走っていたのに、近くまで来ると、ゆっくり歩いていた。やっぱりあたしは怯えているのかな……。これから会うあの男に。

 でも、怖がっちゃいけない。あたしが……自分の力で戦うんだ。

 そう自分に言い聞かせて歩き進み、ようやく体育館にたどり着いた。一階の剣道場を少し見て、二階にあがる。あいつはたぶん広い体育館のほうで待ち構えている。この学校だと二階がバスケ部やバレー部が使う場所になっている。いるなら、絶対にそっちだと思った。

 階段を上って、目の前にある両開きのドアに手をかける。

 怖がるな。

 もう一度自分にそう言い聞かせてドアを開けた。体育館の中はまだ昼間だったこともあって明るかった。人はいない。でも、周りにある物が目に止まる。校庭でリレーや50m走の時のライン引き。それに使われる石灰の白い粉の詰まった袋が床にたくさん転がっていた。

 どうして、こんなに……。

「思ったより早かったな」

 声が聞こえてすぐにその方向へ視線を向けた。体育館のステージ。その淵に座っている男がいる。

 尖った茶色の髪、口や耳につけたピアス……。間違いない、俊明を殺したあの男だった。

「へえ、可愛いとは思ってたけど、やっぱり可愛いな」

 男が笑ってステージから降り立つ。それとほぼ同時に剣を出して身構えた。

「はは、随分やる気だな」

「どうして先生を殺したの? 狙いがあたしなら関係ないはずでしょ」

 そう聞くと、男は一瞬呆気にとられたような顔をした。でも、そのすぐあとに大きな声で笑い始めた。

「はははは! 何を聞くかと思ったらそんなことかよ」

 男は笑うのをこらえながら言った。

「ただの気まぐれだ。お前に手っ取り早く会う方法を適当に考えたら思いついたのさ」

「そう……」

「何だ? 普通はここでブチ切れて斬りかかってくるところじゃないのか? 漫画とかでよく見るぞ」

「残念ね、むしろやっぱりあんたは何も変わっていないことがわかったから安心したわ。あんたは人をなぶり殺しにして楽しむイカれた人間よ!」

「へへ、人間じゃねえよ」

 男が右手を横にはらう。それと同時に男の手に後ろに大きく反った剣が現れた。

「俺もあんたも刀人だろ?」

 素早く剣をもう一度握り締める。こっちから攻めてはいけない。頭に血が上ると、すぐに倒される。

 落ち着いて、鶴香。落ち着くのよ。

「そういえばあの教師といい、昔のあいつといい、随分我慢強かったなあ」

「あいつ?」

「お前の相棒だった男だよ」

 そう言われて俊明のことを言っているのだとすぐにわかった。

 あたしのことだけじゃない。こいつ、あの時殺した俊明のことも覚えていたんだ。

「人間という生き物は俺たちの想像する以上の痛みに耐えることが出来るかもしれないな。あいつらは命乞いも何もしなかった。死ぬ間際まで叫んでいた言葉は『生徒には手を出すな』とか『鶴香だけは殺すな』とかそれだけだったよ」

 無意識に頬が引きつる。手が勝手に震え始めた。

「手足を切ったら、もうあとは何も出来ない。痛みで感覚が麻痺していたはずなのに、あいつはずっと俺をにらみ続けてたよ。バカなやつだよなあ、ああいうあきらめの悪い奴は嫌いだが、それをなぶり殺しにするのはたまらなかったぜ」

「黙れ……」

「ああ? 何か言ったか?」

 男が笑いながら聞き返してくる。その顔を見た瞬間、必死に堪えていたものが全て弾け飛んだ。

「黙れえええええ!」

 無茶、無謀、無理。今のあたしの攻撃はそれらの単語全てがあてはまっても良かった。

 男に向かって走り、真正面から剣を振り下ろした。

「へへ」

 男に笑われて、あっさり横に避けられる。すかさずあたしは剣を横に振って、男を追撃する。でも、男はそれも避けて後ろに下がる。そのあと何度も攻撃をしたけど、男は避けるだけで反撃しようとしてこない。

「なるほど、なかなか良いセンスだ。こんな形で出会うことがなかったら、仲良くなれたかもしれないのにな」

「黙れ!」

「おっと怖い怖い。でもよ、お前とやり合うのせっかく楽しみにしていたんだ。もっと楽しくやろうぜ!」

 直後、男が初めて手にした剣を振ってくる。慌ててその一撃を受け止めようとしたけど、  

 男の狙いはあたしを攻撃することじゃなかった。男の剣がそばにあったライン引きの粉の袋を切り裂く。中に入っていた大量の白い粉が煙のように宙へ舞い上がった。

「うっ!」

 視界が遮られて、男の姿を見失う。

 周囲を見回すと、右のほうで男の持つ剣が光ったのが見えた。すぐにその場に屈むと、わずかに遅れて男の剣が唸り声をあげて頭上を通り過ぎる。その勢いで煙が一瞬晴れて、男の姿が見えた。

 すかさず手にした剣を男に向かって突き出す。でも、それは急所には入らず、男の脇腹のあたりを裂いただけだった。

 男が一瞬顔を歪ませたけど、すぐにやりと笑った。

「いいねえ! 今のは痛かったぞ!」

「黙れ!」

 傷を負っているのに男の余裕がなくならない。それが(しゃく)に障った。

 だったら、次の一撃を浴びせるしかない。あたしは突き出した剣を後ろにひいて、今度は男の首筋に向かって振った。

「へっ」

 でも、その直前に男の足元から勢いよく白い煙が噴き出して、まともに顔に浴びてしまった。

 ほんの数秒、前が見えなくなる。わずかに見えた視界の端で男が剣を振り下ろしてくる。

 あたしはすぐに後ろに下がってそれを避けた。

「こんな卑怯な手を使わないと戦えないの、あんた!」

「卑怯? はは、何言ってるんだ? 正々堂々一対一で戦うのが筋だとでもいいたいのか? 笑わせる。そんな戦い方じゃつまらねえだろ。もっと楽しくやろうぜ!」

 男がまた笑って向かってくる。剣を構えて迎え撃とうとしたけど、すぐ前にあった袋を男が切り裂いてまた白い煙に遮られた。それで一瞬怯んでしまう。

「くっ!」

 男が剣を振り下ろしてくる。自分の剣でそれを受け止めたけど、怯んだせいでしっかりと防御することができなかった。

 男の攻撃を受けきれず、後ろに飛ばされる。男が距離を詰めて追撃してくるのが見えたけど、防ぐ暇がなかった。

「おらっ!」

 男がまた剣を振り下ろしてくる。避けるのだけで精一杯だった。

 右肩に痛みがはしったかと思うと、剣の柄で胸の辺りを突かれて、さらに後ろへ吹き飛ばされた。

「くっ!」

 体育館の壁に激突して体に衝撃がはしる。それと同時に右肩から出血が始まった。

 さっきの攻撃、避けきれなかったんだ……。

 そこまで酷い傷じゃなかったけど、肩から腕を切り飛ばされてもおかしくない一撃だった。

 男のほうを見る。相変わらず余裕の笑み。態度だけじゃない。戦い方は卑怯だけど、実力がある。今まで戦ってきた刀人とは違う。

「う……」

 体を起こすと全身に痛みがはしった。もう息切れも起こしている。

 それでも、あたしは剣を構えて男を睨みつけた。負けるわけにはいかない。こいつにこれ以上人を殺させるわけには……。

「へえ、良い目だ。まだ諦めたわけじゃねえようだな。じゃあ、これはどうする?」

 言い終わると、男が足元に置いてある袋を持ち上げ、あたしのほうに向かって投げてきた。

 そのすぐ後に袋が目の前で切り裂かれる。中に入っていた白い粉が一気に噴き出して、視界がまた煙に覆われた。

 来る!

 意識を集中させて左のほうから気配を感じとった。

 間一髪で左からきた男の剣を弾く。男が驚いた表情をしたのが見えた。すかさず、剣を返して、男の胴体に向けて振る。

 血しぶきが宙に舞った。でも、剣先がかすっただけで男に致命傷を与えることができなかった。

 男が反撃の一撃を浴びせてくる。すぐに避ける動作を取ったけど、肩の傷のせいで避けきれなかった。額のあたりを斬られて体育館の床に倒れこんだ。

「ふう、焦った、焦った。あの状況で俺の攻撃を読んでくるとは……」

 男があたしのほうを見る。その表情にまた笑みが見えた。

「でも、もう終わりだな」

「く……」

 剣を杖がわりに立とうとしたけどできなかった。額から流れ出る血が目に染みてくる。  

 右肩の痛みのせいで手の感覚が薄れてきていた。剣をしっかり握りしめているのかどうかよくわからない。

「安心しろ、簡単には殺しはしない。両手と両足を切り取って、苦しい思いをさせてやる。あの男と同じようにな」

 男が歩いてくる。早く立ち上がらないと……。

 頭ではわかっていても体が言うことを聞いてくれなかった。もう打つ手はない。

 あたし、ここで終わりみたいね……。

 どうせ苦しい思いをして死ぬなら楽しいことを考えようと思った。

 楽しい思い出……真っ先に思い浮かんだのはアサガオの施設で暮らした日々だった。俊明の背中を文仁と二人で追いかけて、明日野(あすの)奈央(なお)と仲良くなって一緒に遊ぶようになった光景が目に浮かんだ。

 次に思い出したのは学校での時間だった。潤一がいて、真那がそばで本を読んでいて、あたしと文仁が何かを言い争っている。

 親に捨てられ、孤独だったあたしにとってかけがえのない大切な思い出だった。

 最後に思い出したのは文仁の笑っている顔だった。

 いつもは頼りなくて、アニメやカンベちゃんのことばかり話して、本当に情けないやつだった。でも、あたしが落ち込んでいたら何かと気遣ってくれて、ガードレディとして仕事に出かける時も緊張しているあたしに冗談言って、気分をほぐしてくれていた。

 何だかんだで良い奴だった。結局、最後まで素直になれなかった……。

「じゃあな」

 男の声がそばから聞こえてくる。とどめの一撃が来る。でも、あたしは何も出来なかった。

 文仁……。

「鶴香!」

 何もかもあきらめた瞬間、男とは別の声が聞こえてきた。その後に、バチンと電撃のはしるような音が聞こえてくる。

「うぐっ!」

 目を開けると、ぼやけた視界の中で男がうめき声をあげてひざまずくのが見えた。その後ろから誰かが駆け寄ってくる。

「やっと見つけたぜ。大丈夫か!」

 視界がはっきりしてその人が誰なのかようやくわかった。

「文仁?」

 間違いない。汗を流して、肩で息をしながらあたしのもとに駆け寄ってきくれたのは文仁だった。文仁は手に持ったスタンバトンをしまって、倒れたあたしを抱き起こしてくれた。

「どうして……?」

 そう聞くと、文仁は呆れるように息をついた。

「バーカ、一人で無茶しやがって。相棒の俺を放っていくなよな」

「あ、あたしはあんたを守るために――」

「守る? こんなボロボロになって言える立場かよ、お前」

「あ、あんたねえ、あたしがどれだけ必死になっていたか――」

「わかってるぜ」

 あたしの言葉を遮って文仁が言った。

「わかってる。お前が兄貴のことでずっと悩んでいて、俺を守ろうと必死になっていたことぐらいな」

「文仁、あんた……」

「ったく、何年付き合ってると思ってるんだよ。それくらいお見通しだ」

 文仁があたしから視線を外して前のほうを見る。再びスタンバトンを手に持ったのを見て、文仁と同じ方向に顔を向けると、男がうめきながら立ち上がっていた。

「鶴香、誤解してるみたいだけどな、俺、兄貴のことでお前を恨んだことなんて一度もないぜ」

「え?」

 文仁が立ち上がってあたしの前に行く。なぜか、その後ろ姿が普段よりも大きく見えた。

「俺は兄貴のためにも、お前を支えて守りぬく。あの時にそう誓ったんだ。だから、お前を一人にしねえし、死なせはしない」

「文仁……」

 文仁があたしのほうを見て、にっと笑った

「俺は二次元だとカンベちゃん一筋だけど、リアルはお前一筋だよ、バーカ」

 胸がとくんと鳴った。あたしが何か言う前に文仁が男に向かっていく。一人で戦うつもりだった。

 文仁が一人で刀人を相手にする。あの時の俊明と同じように。

 頭の中に文仁が俊明のように無残な殺され方をする光景が浮かんだ。

 いや……。

 思い浮かんだ悲惨な光景を必死で振り払った。

 そんなことはさせない! もう一人で行かせたりしない!

 朦朧(もうろう)としていた意識を強引に呼び戻し、あたしは自力で立ち上がった。額から流れ出てくる血を手で拭い、剣を強く握りしめて文仁のあとを追う。

「くそっ、てめえ!」

 男が表情を歪ませている。さっきの文仁の攻撃が効いているのだろう。そばにあった袋を手にとっていたけど、力が入らないのかすぐに落とした。

「女に傷つけるなんて最低だな、このクソ野郎!」

 文仁がスタンバトンを男に向かって振り下ろしたけど、男が剣でそれを弾いた。隙を突かれたら文仁がやられる。

 剣を横に構えてまた強く握り締める。そのせいで肩からの出血がひどくなって、腕が震えたけど気にしない。力を振り絞って男に向かって剣を振った。

 さっきつけた傷よりも深く男の胸元を切り裂いた。男がよろけて後ろに下がる。まだ死んでいない。

 とどめをさすために前へ踏み込んで剣を振り下ろそうとした。

「へへ、甘いな」

「え?」

 今ので致命傷を与えたと思って油断した。男が笑って片方の足で踏ん張り、剣を横なぎに振ってくる。踏み込んだせいで防ぐ態勢を取ることが出来なかった。

 やられる!

「鶴香!」

 そう思った瞬間、後ろから文仁の声が聞こえ、横に押された。男の剣先が文仁をとらえる。

「ぐっ!」

 次の瞬間、文仁があたしを庇って腹のあたりを斬られた。

「文仁!」

「今しかない。やれ、鶴香!」

 文仁が叫ぶ。あたしはもう一度男に接近し、大声をあげて剣を振り下ろした。

 男の頭に剣先があたる。そのまま、力を込めて振り抜いた。

「がっ!」

 男の頭から腰の辺りまでまっすぐ傷が入り、大量の血が噴き出した。男が手にした剣を落として、両膝を床につけた。

「へへ……お、俺が死ぬ? 死ぬのか……お、俺……が……」

 男は途切れ途切れにそう呟くと、口からも血を吐いて倒れ込んだ。しばらく体が痙攣(けいれん)していたけど、やがて動かなくなった。

「や、やった……」

 安心すると、体から力が抜けてバランスを崩してしまう。慌てて、片手を床につけた。

「ああ、やったな……鶴香」

「文仁?」

 そばにいた文仁もしゃがみこんでいた。腹の辺りを手で押さえている。その間から血がにじみ出ていた。

「文仁、大丈夫!?」

「大丈夫だ。そんな深い傷じゃない……」

 そう言ってはいるけど、文仁の顔色はだんだん悪くなっていた。剣を消して、慌ててそばに駆け寄ると、文仁はあたしのほうに体を預けた。

「悪い……少し貸してくれ。沢村に連絡しねえと……」

「あたしがやるから大丈夫よ……」

「悪い……」

 文仁はそう呟くと、目を閉じて眠り始めた。それを見て一安心すると、あたしも頭がふらついてきた。意識が朦朧としていたのに、無理をして戦ったせいかもしれない。

 その時、体育館のドアの開く音が聞こえてきた。

「おいおい、酷いありさまだな。大丈夫か、二人とも!」

 沢村の声だった。その後ろには未国らしき人影もいる。

 二人があたしたちのほうへ駆け寄ってくるのを最後に、あたしは意識を失った。

 

 7


 京都。発達した都市の広がる歴史ある町の代表。その町に高齢者保護法の対象者を預かる施設『アフターケア』が建っている。

 公ではここでおじいさんやおばあさんが暮らしていることになっている。

 おじいさんやおばあさんが暮らしているのは間違っていない。でも、それが僕たちの手で殺されるのをただ待っているだけという点が違っていた。創路の回収が間に合わないため、一時的にこの施設に対象者を監禁し、時が来れば始末する。証拠も何も残らない。身内の人たちは記憶を書き換えられ、真相を知らないまま残りの人生を過ごしていく。

 それがアフターケアの実態だった。

 建物の構造は地上四階までがおじいさんとおばあさんを監禁している施設になっていて、地下は僕たちダルレストの刀人が暮らす場所が用意されている。

 寝泊りしている牢屋に似た部屋。戦闘を行う訓練所、食堂みたいな場所もあるけど、刑務所に閉じ込められた囚人とほとんど変わらない生活だった。

 でも、今、僕がいる場所は刀人たちの暮らすさらに地下にある部屋だった。

「椚木が死んだらしいよ」

 部屋の前で独り言のようにつぶやく。

 目の前の部屋に入ることはできない。でも、この部屋には僕の全てと言ってもいいくらいに大切なものがある。

 頑丈な鉄のドアに触れる。いつものように冷たい感触しかしなかったけど、なぜか心は落ち着いた。

「でも、大丈夫。この部屋を出る必要はないよ。椚木の埋め合わせは他のみんなでやるから……だから」

 そこで一回言葉を切った。

「だから、まだ眠っていていいよ。いつか必ず迎えに行くから」

 目を閉じて耳を澄ます。部屋の奥からは何も聞こえてこない。そのほうが良い。

 もし、声が聞こえてきたら何もかもが終わってしまう。それならいっそのこと何も聞こえないほうがましだった。

 しばらくじっとしていると、遠くのほうから足音が聞こえてきた。ドアから手を離して、その方向を見る。一定の間隔で鳴り響く靴音。それで誰なのかすぐにわかった。

「伊月、仕事だ。私と来い」

 廊下の奥から現れた浜家が端的に言った。

「今度は僕の番ですか?」

「その前に上層に報告する件だ。準備しておけ」

 それだけ言うと、浜家は僕がここにいたことを気にも止めず、歩いてきたところを引き返していった。

 浜家の姿が見えなくなったのを確認して、再び目の前の部屋を見つめる。もう一度だけそのドアに手を触れた。

「行ってくるよ。また来る」

 それだけ言って、僕はその部屋を後にした。


 8


 山の後ろから朝の太陽が見えてくる時間帯。あたしは自分の部屋で呆然と外の景色を眺めていた。窓から見える緑の山と木々……。正直、この光景をもう一度見ることが出来ると思っていなかった。

 あの男を倒したあと、あたしと文仁は沢村たちに助けられた。あの男の遺体を始めとした学校での戦いの跡は創路が数時間で片付けたらしい。相変わらず手際が良い回収屋。どうやって掃除しているのか、いつも不思議だった。

 窓から自分の体に視線を移す。右肩と額に巻かれた包帯を見ていると、よくあの戦いで生き残れたなと思った。

 あたし、俊明や市子の仇を討ったのかな……。

 仇を取ったことは確かだけど、その達成感はほとんどなかった。

 もしあの時、文仁が助けに来てくれなかったら、間違いなくあたしはあの男に殺されていただろう。運が良かっただけなのか、どうかそれはわからない。

 でも、あたしは生き延びた。それだけがとても実感できて、なぜか嬉しかった。

 ふとドアをノックする音が聞こえてくる。今、この部屋にはあたししかいない。真那ならノックせずに入ってくるから、他の人に違いなかった。

「誰?」

「俺だ。入っていいか?」

 ドア越しにあいつの声が聞こえてきた。「いいわよ」と言うと、ドアが開いて手に大きな紙袋を持った文仁が中に入ってきた。

「あんた、女子寮なのによく一人で来たわね」

「そりゃあ、少しは躊躇ったけどな……今回はそんなこと言ってられねえだろ」

 文仁が近くにあった椅子に座る。その時に腹のあたりを手で押さえた。

「傷は大丈夫なの?」

「大したことねえよ。お前よりはマシだ」

 文仁が腹をおさえるのをやめて両膝に手を置いた。

「お前のほうは?」

「何とか大丈夫かな……」

「そうか。たぶん、傷の具合が良くなったらまた仕事が待ってる」

「そう……」

「……」

「……」

 長く続かない会話。訪れる沈黙。こいつとは言い合いばかりしている仲なのに、二人で会話が続かないのは初めてだった。お互いに何も言わない時間がくる。

 何を言えばいいのか、わからなかった。

 お礼を言ったほうがいいのかな。でも……。

「鶴香」

 頭の中で考えていると、文仁のほうから呼びかけてきた。

「な、なに?」

 言葉が詰まってしまった。どうしてこんなに動揺しているのか全くわからなかった。

「えーと、その、なんだ……」

 文仁が指で頬を掻きながら、あたしから視線を逸した。

「悪かったな」

「え?」

「はっきり言わなくて、悪かった。もっと前に言っておけば、お前が一人で悩むことなんてなかったはずだ。遅くなったけど、ちゃんと言うぜ」

 文仁があたしのほうを見る。今までに見たこともない真剣な表情だった。

「兄貴が死んだのはお前のせいじゃない」

「でも、あたし――」

「兄貴はきっとお前に生き延びてほしかったんだと思う。自分を犠牲にしてもかまわない。それくらい、お前のことを大切にしていたはずだ。でもな、それは俺も同じだ。俺だって兄貴と同じくらい、いや、それよりももっとお前のことを守りたいと思っていた。俺、兄貴よりバカだし、強くもねえけど、せめてお前の支えにはなりたいと思ってガードマンになった」

「文仁……」

「だから、俺は兄貴のことでお前を恨んだことはない。兄貴が死んだ時、俺が考えていたことはただ一つ。兄貴の分までお前のことを守る。それだけだ。今回の戦いは何とか生き残れた。これから先もまた危険な戦いが待っているかもしれない。でも、それでも俺はお前を守ってみせる」

 なぜかその時、心臓の鼓動が高鳴った。胸が急に熱くなってくる。

「バ、バカね……刀人でもないあんたがあたしを守れるわけないでしょ」

「お、お前……せっかくかっこいい科白を噛まずに言い切ったのに……。ここはありがとうぐらい言っておけよ」

 悔しがる文仁。いつもと変わらない文仁だった。思わず笑ってしまった。文仁もそれを見て笑う。久しぶりに心の底から笑いあった気がした。

 ひとしきり笑い終わった後にあたしが言った。

「あんたは確かにバカだけど、ほどほどに頼りにしてるわ。これからもよろしくね」

「おう、当たり前だ」

 文仁がまた笑顔を浮かべる。「あ、ところでさ」と言って文仁が持っていた紙袋から何かを取り出し始める。

「怪我が治ったら鶴香にぜひ着てほしいものがあるんだよ。じゃーん」

 そう言ってこいつが取り出したのは神社の巫女が着る(はかま)だった。

「何……それ?」

 あいた口が塞がらなかった。

「いやー実はこの前の応募キャンペーンでもう一個あたってさ、カンベちゃんの着ている袴だ! 全国で五着しかないんだぜ!」

 文仁が目をキラキラ輝かせながら袴を広げていく。

「これをぜひ鶴香に着てもらいたかったんだ。な、いいだろ?」

「……このバカ!」

 あたしは左手で文仁の頭を叩いた。

「ひでぶぅ!」

 文仁が袴を持ったまま、地面に倒れて気絶した。

「おや~、怪我しても相変わらず夫婦喧嘩ですか、つ・る・か・さん」

 また部屋のドアが開いたかと思うと、明日野が隙間から顔を出してきた。

「おじゃましまーす」

 奈央の声も聞こえてドアが完全に開く。二人だけじゃなかった。

「鶴姉、お見舞いに来た」

「ごめん、鶴香。みんな呼んできちゃった」

 その後ろから愛佳と真那。

「やっほー、鶴香。差し入れ持ってきたよー」

 さらに伊津美(いづみ)さんまで部屋に入ってきた。

 みんながあたしのベッドを取り囲むように床に座る。

「あ、明日野や奈央はともかく、伊津美さんまで……どうして?」

「何よ、その言い方は? あたしが来るの嫌だったのぉ?」

「いや、そんなことは思っていませんけど……」

 ぷうと頬を膨らませていた伊津美さんは次の瞬間にはいつもの笑顔になって手に持った袋から何かを取り出す。クロワッサンだった。

「鶴香が無事に帰ってきてくれたから、はりきって作っちゃったわ」

「うわーすごいよ、伊津美姉」

「こら、明日野。これは鶴香のために作ったんだから、先に食べちゃダメよ」

「う、う……」

 そこでようやく気絶していた文仁が目を覚ました。あたしに叩かれた頭を押さえながら周りを見回す。

「な、なんだ……どうして女の子がこんなにたくさん? こんなハーレムな展開は二次元でしかありえない……」

「文仁兄ちゃん、そこ、じゃま。端っこに寄って」

 愛佳があたしたちの真ん中にいた文仁の耳を引っ張って端っこに追いやった。

「いてて! 愛佳ちゃん、そんなにひっぱらないでくれ! 怪我が治ったら、いくらでもしていいからー!」

 あいつが痛がっているのか、喜んでいるのかよくわからなかった。でも、あいつの姿を見ているとまた笑いがこみ上げてくる。他のみんなも大きな声で笑う。いつもの明るい雰囲気だった。

 今のあたしは一人じゃない。他のガードレディのみんながいて、ガードマンがいて、そしてバカだけど頼りになる相棒の文仁がいる。

 文仁への想いはまだ伝えるつもりはない。でも、いつか……その時が来たら、あたしははっきり言おうと思う。

 あんたのおかげであたしは幸せよ、と。

 それからあたしたちは伊津美さんの作ったクロワッサンを食べながら、楽しい時間を過ごした。

  

第四話 後編 秘めた想い 終


次回へ続く。


・キャラ紹介


椚木(くぬぎ)

ダルレストに所属するオリジナルの刀人の一人。好戦的な性格で、戦うことを何よりの楽しみにしている。刀身の曲がった剣を得物にしている。


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