第四話 前編 秘めた想い
第四話 前編 秘めた思い
1
血の匂いはこれまでに何度も嗅いだことがあるけど、未だにあの鉄のような匂いに慣れることが出来なかった。匂いを嗅ぐと頭の中に『不快』という二文字が出てくる。僕たちが刀人であるということを除けば、それが人間のまともな精神状態だと言えるだろう。
でも、僕の仲間には血の匂いを好む奴もいる。そういった奴らは人を殺すことに快感をおぼえ、人間としての常識が通じない。僕には到底理解出来ない奴らだ。
そのうちの一人がこの町に戻ってきたと花麗から聞いたのが数日前。そして、今日、そいつは一つの大きな殺しをやってみせた。
時間は午前四時。あと一時間ぐらい経てば、朝日がのぼり始める時間帯。僕は花麗と共にある民家の中に入った。
家の中に入ったのと同時に血の匂いが漂ってくる。『不快』な匂いだ。
靴を履いたまま、玄関を上がって、近くの部屋に入る。明かりはついていなかったけど、テレビの画面がついていて、そこがリビングだということがわかった。
家族みんなで楽しくテレビを見ているのが合っているような部屋。だけど、この現状を見るとそれをイメージするのは難しかった。
部屋には何人かの人間が倒れていた。どれも酷い傷だった。特に対象のおじいさんやおばあさんじゃない女の子と男の遺体は、とても見続けていられるものではなかった。
それらの遺体のちょうど真ん中あたりに置かれたソファ。そこで寝転がってテレビを見ている男がいる。尖った茶色の髪、耳や唇につけたピアス。僕が知る限り、ここまで酷い殺し方ができるのはこの男ぐらいだった。
「ガードレディとガードマンを返り討ちにするなんて、さすがと言っておいたほうがいいのかな、椚木」
僕が話しかけると、椚木はソファから起き上がった。
「よお、伊月。それに字倉か、また胸がおおきくなったか?」
ニヤニヤ笑いながらそう聞いてくる。この男の笑っている顔を見ていると、いつも『不快』な気分になる。
「まさか、よりにもよってあんたが来るなんて思ってなかったわ」
花麗もまた嫌そうな表情を浮かべたけど、当の本人は全く気にしていないようだった。
「桜夢のほうが良かったか?」
「そう言われたらどっちもどっちもね……」
椚木は「へっ」と笑って再びソファに寝転んだ。
「全くこんなザコ相手にお前らが手こずってるからだよ。ガードレディなんてどんなやつかと思って相手したらまるでたいしたことがない。これなら本部の精鋭部隊のほうが強いな」
「それにしても酷い有り様ね。この子なんて特に……」
花麗がそばで死んでいる女の子を見ていた。この前の少年と同い年ぐらいだろうか、その子の表情は泣き叫んだあとのように見えた。殺すのにずいぶん時間をかけたんだろう。とても辛かったと思う。
「いくら敵とはいえ、これはやりすぎじゃないかな、椚木?」
そう言うと、椚木は「ああ?」と言って再びソファから起き上がった。
「伊月、俺の殺し方にケチつける気か?」
「人を殺すのは遊びじゃない。すぐに始末すればいいじゃないか」
「お前に指図される筋合いはねえな。俺の唯一と言ってもいい楽しみを奪うなよ。生きがいがなくなる」
僕は自然と拳を強く握った。やはりこの男とわかり合うことは今後一切ないと思った。女の人の立場で考えると、こういうのを生理的に受け付けないとでも言うのだろうか。こみ上げてきた『不快』な気持ちを僕は口にした。
「君の価値観は歪んでいるよ、椚木」
「お前だって今さらまともな人間ぶるんじゃねえよ。俺もお前もただの人殺しだろうが」
さらに拳を強く握る。椚木も殺気を出していた。やるなら戦うつもりらしい。
「ちょっと伊月……」
花麗の止めようとする声が聞こえてきたけど、一度始まったら止められない。
いい機会だ。こんな奴がいるから不幸な人が増えていく。いっそここで……。
「何をしている?」
その時、背後から声が聞こえてきた。振り向くと、部屋の入口に浜家が立っていた。
まずい……。
すぐに拳を握るのをやめた。浜家や創路のいるところで戦うのは絶対にダメだった。
「椚木、次の仕事がある。すぐに撤収しろ」
「へーい」
椚木がソファから立ち上がって、リビングを出る。すれ違う時にニヤリと笑っていたけど、浜家のいるところでは何も言えなかった。
「すぐに創路が回収に来る。お前たちも戻れ」
浜家はそれだけ言うと、静かに部屋を出て行った。あとに残された僕は改めてそばで倒れている女の子と男の遺体を見た。少なくとも僕ならほとんど苦しませずに殺すことができたはずだった。
「ごめんね」
そう言ってその部屋をあとにする。こんな死体をこれから何回見るのか、検討がつかなかった。少なくとも椚木が彼女たちに倒されるまで終わることはないだろう。
「ああいう奴が死んでしまえばいいのにね……」
「実力はあるから簡単には死なないと思うわ」
そばにいた花麗が言った。
「そうだね……」
他の刀人と違って、調整を受けていない能力の高い刀人。そのうちの一人でもある椚木が倒されたらダルレストにとって大きな損失になるだろう。
そうなったら浜家は他のメンバーまで使うことを考えるかもしれない。
桜夢ならまだいい。でも、もし『五人目』が出てきたら、後には何も残らない。彼女たちも、そしてあの人も……。
2
2064年八月上旬。
夏休み。学生にとってそれはほっと一息つける長い休暇かもしれない。夏休みの宿題さえ済ませれば、部活をしたり、友達と遊んだり、どこかへ出かけたりという感じで、好きなことだけをして一日を過ごすことが出来る。
そんなイメージの夏休みがすごく昔にあったと、希莉絵さんや伊津美さんたちに聞いても、とても信じられなかった。
あたしにとって夏休みは、二学期から始まる職業体験実習の分を補うために、夏期講習のある期間だった。休みの日は一学期や二学期よりも多いけど、学校に行くことはよくある。それにあたしたちには勉強する時間と同じくらいに夜の戦いにも命懸けで臨んでいる。
一日何もない休日なんてどの季節でも、ほとんどなかった。
朝の六時。まだアサガオ本部の活動が始まっていない時間帯。松阪高校の制服に着替えたあたし――橘 鶴香は夏期講習に行くために、手早く身支度を済ませた。
「よし、準備オッケー」
「鶴香、今日早いね」
まだベッドで眠っていた真那が目をこすりながら言った。
「ごめん、真那。起こしちゃった? 今日はちょっと大事な日なのよ」
「……あ、そうか。今日だったね」
真那が悟ってくれたのか。それ以上は何も聞いてこなかった。
「じゃあ、先、行くね」
「うん」
真那にそう言ってあたしは部屋を出た。山の中にある施設といっても、窓から太陽の光が差し込んでくるおかげで、廊下は明るかった。外を見ると、雲一つない青空が広がっている。
「こういう日は海にでも行きたいわね……」
独り言を呟きながら廊下を歩く。海なんて小さい頃に行ったきりで、どんな場所だったのかほとんど思い出せない。
当然ね……あの時のあたしはまだ『普通の人間』だったから。
「あー鶴香、おはよう!」
「鶴姉さん、おはようございます!」
その時、ちょうど近くの部屋から出てきた明日野、奈央と出会った。
「おはよう、あんたたちも学校?」
「そうよ、ほんと夏期講習なんて、せっかくの夏休みが台無しよねえ」
「おまけに部活の朝練があるので今から行くんです」
二人が不満げな表情で顔を見合わせる。奈央が十五歳の誕生日をむかえて、外の学校に通えるようになってから、二人はとても喜んでいたけど、色々と苦労しているみたい。
「それにしても鶴香も早起きだよね。朝練でもあるの?」
「ううん、今日は大事な日なの」
「大事な日……溝谷さんに告白するんですか?」
「……は?」
奈央の質問が予想外だったので、あたしは言葉を失った。
「えー、鶴香。ついに……ついに決心したの!?」
明日野も目を輝かせながらあたしを見てくる。
「ちょ、ちょっと急に何言うのよ!」
「おやおや、顔が赤くなってるね」
「鶴姉さん、ひどい。私たちに一言相談してもらえれば……」
二人が笑うのを必死にこらえているのはあたしでもよくわかった。ダメだ、完全におちょくられてる。
「じゃ、じゃあ、あたしもう行くから!」
「頑張れ、鶴香!」
「ファイトです、鶴姉さん!」
二人の応援を受けつつ、あたしは早歩きで女子寮を出た。
真那にまで気づかれていたからまさかと思っていたけど、やっぱり他の子にも気づかれていたのか……。
「あーあ、やんなっちゃう……」
独り言を呟きつつ、渡り廊下を歩いて隣の男子寮に向かった。ガードマンたちの暮らす建物の外見はあたしの生活している寮とそれほど違いはない。でも、内部の構造は色々と異なっていた。
まずガードマンたちはみんな一人部屋で暮らしている。人数があたしたちより少ないということもあるけど、別に羨ましいと思ったことはない。一人だと色々と寂しいし、話す相手がそばにいるのはあたしにとって良いことだった。
もう一つの違いは寮の地下にある施設。あたしたちの寮の地下には刀人の訓練ができる部屋があるのに対し、男子寮には射撃場がある。
これらの違いは仕事の時の戦い方があたしたちとガードマンたちとでは違うから、自然と訓練の内容も変わってくるためだった。
男子寮に入って二階にあがる。文仁の部屋は階段を登って、廊下を少し歩いたところにあった。
「文仁、起きてる? そろそろ行くわよ」
そう言いながら、部屋のドアを叩いたけど、反応がなかった。
「はあ、またか……」
あたしが起こしに行くまで、あいつが寝ているのはいつものことだった。それでも、やっぱりため息が出る。
「入るわよ」
ドアを開けてまず目に入るのが、目の前に立っている等身大の人形……松阪市のマスコットキャラであるカンベちゃんだった。
数人限定の応募キャンペーンであたってゲットしたと文仁が嬉しそうに話していたけど、電気のついていない部屋で見ると、かなり不気味だった。おまけに背中のボタンを押すと「この変態め、成敗してくれる!」、「そこの者、私のしもべになるのじゃ!」などと色々なセリフが出るので、夜中に喋り出したらもっと不気味かもしれない。どのセリフも文仁が喜びそうなものばかりなんだけど。
そのカンベちゃんのフィギュアの横を通り過ぎると布団の上で大の字になって寝ている文仁がいた。
「相変わらずだらしないわね……ほら、文仁、起きて。学校行くわよ!」
「んー駄目だよぉ、カンベちゃんは俺の嫁だ……むふふ」
夢の中でも妄想世界に入り込んでいるらしい。妄想している時のこいつは本当に幸せそうだった。
「早く起きろ!」
それでもあたしは容赦しない。何の躊躇いもなく、足で文仁の背中を踏んづけた。
「ぷぎっ!」
文仁が変な声をあげて目を開けた。
「な、なんだ……鶴香か!? お前、どうしてここに!?」
「呼んでも返事がなかったから入ったのよ。早く用意して。今日は大事な日でしょ」
「や、やべっ! 忘れてた!」
そういいながら、文仁が被っていた布団をどけて起き上がる。
「……」
そこでようやく文仁が下着しか履いていないことに気付いた。
「こ、この変態! くたばれえええ!」
「ぐほぉ!」
あたしは文仁を思いっきり殴り飛ばした。
3
「いてえ……朝からひどい目にあったぜ」
「あんな格好で寝てるあんたが悪いのよ。デリカシーのひとかけらもないんだから」
「殴ることなかっただろ、ちくしょう……」
文仁が身支度を済ませたあと、あたしたちは男子寮を出て、大広間のある建物に向かった。
あたしたちの住んでいる寮から外に出るには渡り廊下で一度、子供たちが勉強や遊びに使っている建物を通る必要があった。でも、そこを通り抜ける前にあたしたちには寄る場所がある。
「鶴香」
「え、なに?」
学校の体育館の作りに似た大広間。そこを歩いている途中で文仁が言った。
「あれからもう二年……だよな」
普段と違った調子で聞いてくる。
「そうね……」
文仁は何も言わなかった。いつもふざけてばかりいるこいつでも、この日だけはとても真面目だった。冗談なんて言えるわけがない。
「行こうぜ」
文仁が奥にある階段で上……ではなく、地下へ降りていく。この地下へ入っていいのは基本的にガードマンとガードレディだけだった。
階段を降りると、明かりのない暗い廊下が続く。あたしと文仁が歩く音だけが響いていて、それ以外に何も音はなかった。静かなのは嫌いじゃないけど、この類の静けさは少し苦手だった。
廊下をしばらく歩くと、奥に木製の大きな扉が見えた。これまでに何度も開けた扉だった。文仁が何も言わずに扉を開けて中に入る。あたしもそのあとについていった。
そこはろうそくの灯った暗い部屋だった。広さは上の大広間と同じくらいある。床一面には茶色の土が敷き詰められていて、その上にあたしの腕くらいの高さの石碑が置かれている。一つや二つじゃない。一定の間隔をあけて、たくさんの石碑が部屋中に並べられていた。
その石碑の一つ一つに人の名前が刻まれている。誰の名前なのかは、初めてここに来た時からもう知っている。
それはダルレストとの戦いで命を落とした人たちの名前……。そう、ここはあたしたちの仲間が眠る墓地だった。
文仁が部屋の入り口のそばの棚に置かれていたろうそくを手に取り、マッチで火をつけた。それを銀色の小さな台に乗せて運んでいく。ここまでの手順はとても早くて無駄がない。普段の文仁からは想像出来なかった。
石碑の列の間をしばらく歩いて、ある石碑の前で立ち止まった。
「もう二年か……早いな」
文仁がそう言ったけど、それはその石碑か、あたしか、どちらに向けた言葉なのか、わからなかった。
文仁がしゃがみこんで目の前にある石碑の前にろうそくを置く。
刻まれている名前は「溝谷 俊明」。文仁の兄で、あたしのガードマンだった人の名前だった。
4
もし自分の子供が何の前触れもなく、化け物になったら親はどうするだろう。
突然、吸血鬼になって血を吸われたら驚いて逃げるかもしれない、もしくは超能力者になって物体を宙に浮かせることが出来たら喜ぶだろうか。
そんなはずはない、と思う。大抵の親は何が起きているのか理解出来ないだろう。でも、そのあとしばらくして親が子供に対してどんな感情を抱くか、ほとんど決まっている。
『恐怖』。目の前にいるお化けや怪物と似たような存在に怯え、怖がるだろう。
もちろん例外はあるかもしれないけど、あたしの両親は例外にはならなかった。
「ば、ばけものぉぉぉ! 来ないで! 来ないで!」
「つ、鶴香……お前、何でそんなものを持ってるんだ!? 来るな! 来るんじゃない!」
あたしが刀人に目覚めた時にお母さんとお父さんが言った言葉は、今でもはっきりと覚えている。
小学校に入学する直前にあたしは普通の人間じゃなくなった。
あたしはごく普通の家庭で育って、嫌なことなんてほとんどなくて……どちらかといえば幸せな家庭だったと思う。
でも、両親はためらうことなくあたしを捨てた。それがあたしの今後の人生を変える大きな出来事だった。
そのあと、同じように刀人に目覚めた捨て子たちと一緒に希莉絵さんたちに保護されたのは、あたしが六歳の誕生日を迎えたばかりの頃だった。明日野や奈央、未国たちと出会ったのもその時だった。
施設での暮らしはそれほど嫌じゃなかった。まだ伊津美さんがガードレディとして働いていたことがとても懐かしい。
でも、施設に来た頃のあたしには悩みがあった。昔のあたしは今と違って人付き合いが得意なほうじゃなかった。友達を作るどころか、話しかけることさえ苦手だったし、目があっただけで恥ずかしいと思ったほどだ。
周りの子たちがどんどん仲良くなっていくのをあたしは遠くで見ているだけだった。
自分のせいなのに、あたしは孤独な時間が嫌いだった。
そんな時……アサガオの施設に来て一ヶ月ぐらい経った時だった。
「おい、お前」
「……」
「何ぼぅっとしてんだ。お前だよ、お前」
「え?」
大広間の隅でいつものようにみんなが遊んでいるのを眺めていたあたしは少しの間、彼が誰に話しかけているのかわからなかった。でも、彼は目の前に立っていて、あたしのことを見下ろしていた。
「お前、いつも一人で退屈じゃないのか?」
「……」
「そのなんだ……退屈なら俺らと遊べよ」
「!」
彼はぶっきらぼうに言ったが、少し照れているように思えた。彼は右手に大きな茶色のボールを持っていて、左手は彼より背の低い男の子に掴まれていた。
「弟がお前とどうしても遊びたいっていうから……」
彼はあたしから少し目を逸らした。
「あたしで良いなら……」
「ほ、ほんと!?」
それまで一度も声を出さなかった彼の弟が目を輝かせて言った。
「う、うん……」
「よし、決まりだ。とりあえずキャッチボールでもやろうぜ!」
これがあたしと文仁、そして彼の兄の溝谷俊明と初めて交わした会話だった。
5
俊明と文仁はあたしと同じ孤児だった。でも、そうなった経緯は少し違う。ここにいる女の子たちは刀人に覚醒したせいで捨てられたケースが大半だったけど、男の子の場合はその刀人に育ての親を殺されたケースが多い。
希莉絵さんたちは刀人となった子供じゃなくても、そういった事で親を失った普通の子供たちもなるべく引き取っていた。
だから、二人にとって親の命を奪った刀人と同類のあたしたちは憎むべき存在かもしれない。そのせいか、あたしは女子以上に男子との関わりを避けていた。
元々、話しかけられることなんてなかったし、お互いに訓練する内容が違っていたから、顔を合わせるのは休みの時間、つまりこの大広間で遊んでいる時ぐらいだったけど。
でも、それでもあの二人はあたしに話しかけてきた。嬉しいという気持ちはもちろんあったけど、それ以上に驚きと困惑が頭の中を占めていた。
どうして、あたしに話しかけてきたんだろう。
最初はやっぱり不安だった。でも、刀人の能力をうまくコントロール出来るように訓練しつつ、あたしは二人と色々な遊びをした。男子二人と遊ぶとなると、自然と男子よりの遊びになってしまう。キャッチボールや追いかけっこはまだ良かったけど、勉強を教えてもらっている時に抜け出して、介護施設のほうに行こうとしたり、夜中に施設の後ろにある山の探検をして、職員の人に怒られたことが何度もあった。自分で言うのもなんだけど、あの時のあたしたちはかなりの悪ガキだった気がする。たぶんあの二人と遊んでいたから、今のあたしはこういう性格になったんだろう。
でも、すごく楽しかった。それまで寂しかった毎日が嘘のように変わった。俊明と文仁の三人で遊ぶ日々がこれからもずっと続けばいい、そんなことばかりを考えていた。
そんな三人の関係にも大きな変化が訪れた。アサガオの施設に来て八年後、あたしが十四歳になった時だった。
この頃、あたしは既に独学で勉強を始めていた。アサガオは人数不足ということもあって、早い段階で自立できるようにならないといけなかった。刀人の能力もうまく使えるようになって、もうすぐ本格的に外部の活動を始めることになる。そういった時期に差し掛かっている時だった。
「兄貴、本気なのかよ!」
「ああ、本気だ」
「何でだよ! 約束と違うじゃないか!」
昼を少し過ぎた時間帯。三人で遊ぶときに集まっている男子寮の裏側に行くと、俊明と文仁の言い争っている現場に出くわした。
もちろん、これまであたしたちが喧嘩したことなんて何度かあったけど、今回は何かが違っていた。
「俺は鶴香を守るために、鶴香を俺のガードレディにする」
え?
俊明のその一言に驚きを隠せなかった。寮の裏に隠れたまま、その様子を見守る。
「兄貴は別のやつにすればいいだろ! 鶴香はおれが――」
「鶴香はお前より早く奴らと戦うことになるんだぞ」
文仁の言葉を遮って俊明が言う。
「お前もわかってるだろ。ガードレディは俺たちより早く外で活動することになる。鶴香はもう一人前のガードレディだ。だが、お前はまだ最低一年は訓練を受けることになる。その間、誰が鶴香のガードマンになるんだ?」
「それは……おれが一年早くガードマンになる!」
「だめだ。お前、スタンバトンの成績は良かったけど、射撃の腕がかなり低かっただろ。無茶するな」
「でも、おれは……」
「だから、一年じっくり訓練しておけ。その時に鶴香のガードマンになれるようにな」
「え?」
悔しがっていた文仁が顔をあげる。その時、表情を変えなかった俊明が初めて笑った。
「まったく兄貴にも許せないのか。お前、鶴香のこと、心配しすぎだぞ」
「う、うるせえ! 別にそんなんじゃ――」
「文仁、俺はもう相方のガードレディを決めないといけないんだよ。そんで、お前と鶴香のことを考えたらこうするのが一番だろ」
「兄貴……」
俊明が笑いながら文仁の頭に手を乗せる。
「お前は訓練しながらカンベちゃんをおかずにしておけ」
「な、何言い出すんだよ、兄貴!」
「この前の新作は特に良かったよな。あれで色々と妄想できるだろ」
「ば、ばか! 鶴香には絶対言うなよ、兄貴!」
顔を真っ赤にして言う文仁、腹を抱えて笑う俊明。あたしはその二人の様子を遠くでしばらくの間、見守ることにした。
気づいていなかった。二人があたしのことを大切にしてくれていたことに。心の奥から喜びがこみ上げてきて、涙を流しそうになった。
6
「だから、悪かったって言ってるだろ」
『ぜーんぜん、反省してないわ! メールには返事しないし、電話にかけても出ない。どうせ他の女と遊んでいたんでしょ!』
耳元で由美の怒鳴り声が聞こえる。声が大きすぎてまだ治っていない体の傷に響いた。
『さあ、観念して言いなさい。女の名前は? 年齢は? 住所は?』
「やめろ、殺すつもりか!? いや、誤解だ。そんなことはそもそもしていないぞ!」
必死に否定すると、それまで怒っていた由美がため息をついて急に声の調子を落とした。
『ねえ、秀平。今、あなたが何をしているのかは知らないけど、無茶するのはやめてよ』
「……」
俺がどんな状況にいるのか、由美には絶対に想像できないだろうなと思った。だが、あまり良くないことに巻き込まれていると、由美は直感で思ったらしい。
『また電話するわ』
「悪い……」
『謝るならちゃんと電話に出なさいよ。じゃあね』
そこで携帯の通話が切れた。空気の読める女だ。今の俺の事情を深くは聞いてこなかった。
「あれ、もう終わったんですか?」
部屋の入口のほうで立っていた沢村が言った。
「ああ」
「良い奥さんですね」
「直前に破談になった。結婚したわけじゃない」
携帯を閉じて座っていたベッドから立ち上がる。電話の途中からずっと沢村がにやついているのが見えたが、さすがにもう慣れた。
本格的に『ガードマン』として活動を始めてからしばらく経過していたが、あの時以来、外に出かけることはなかった。そのおかげで怪我の具合はだいぶ落ち着いていた。体を動かせるようになったのは大きな進歩だった。
「先輩、傷の具合も良くなったようですし、今日の朝ごはんは食堂に行きませんか?」
「食堂? あるのか?」
「ああ、そういえば先輩はずっと部屋でご飯を食べていたから行くのは初めてですね。一応男子寮にも女子寮にもそれぞれ一階に食堂があるんですよ。ここの施設結構充実してますよ」
沢村が部屋のドアを開けた。
「さ、行きましょう」
沢村に続いて俺も廊下に出た。ある程度、このあたりの施設を歩き回っていたが、男子寮のことはよく知らなかった。もちろん、女子寮のことも。そもそも、俺が一人で女子寮を探索していたら、ただの不審者だろう。あの佐東とかいう女に今度こそ殺されるかもしれない。
食堂は思ったよりも近くにあった。何のことはない。廊下を少し歩いた先に『食堂』と書かれた札のついた部屋があった。中は大体五十人ぐらいが座れる広さだろうか。四人がけのテーブルがいくつか置かれている。
既に何人かのスーツや学生服を着た男が座って朝食を取っていた。おそらく……いや間違いなくか、沢村や溝谷と同じガードマンだろう。目を合わせると、他の奴と小声で話すのもいれば、軽く会釈してくるやつもいた。
「みんなの間じゃ、先輩は有名人ですよ。貝堂さんも言っていたでしょう」
沢村が空いていたテーブル席に座る。
「そんな大それたことをしたつもりはないがな」
俺はその対面の席に座った。木製のテーブルと椅子だった。座り心地はかなり良い。
「先輩、何食べますか? と言っても、食パンとご飯、焼き魚、味噌汁、サラダぐらいですけどね」
「わははは、ぐらいとっても、この旨さは誰にも負けないぞ、沢村!」
聞き覚えのある声が聞こえてきた。見ると真っ白な料理服を着た嵯峨山とごはんや味噌汁などを乗せたお盆を手にした嵯峨山の娘――愛佳が立っていた。
「おっさん、おはよう。朝から早いな」
「料理人の朝をなめるなよ、沢村。 こっちは他のやつが寝ている間から準備しているからな」
「これ、沢村とおじさんの分」
愛佳が手馴れた感じでご飯や味噌汁、焼き魚をテーブルの上に置いた。食べ物から良い匂いがしてくる。
「ありがとう、愛佳ちゃん。いただきます」
沢村が嬉しそうに箸を手にとってご飯を食べ始める。それを横目で見つつ、嵯峨山に聞いた。
「あんた、ラーメン屋じゃなかったのか?」
「あれは外で活動している時、限定だ。普段はここでみんなのメシを作っている。まあ、俺たちも仕事をする立場だから毎日料理をできるわけじゃないがな」
嵯峨山がそばにいる愛佳の頭に手を乗せた。愛佳は目を閉じて気持ちよさそうな表情を浮かべている。
「ここでの暮らしには満足してるさ」
安堵したように息をつく嵯峨山に、俺は違和感をおぼえた。その言葉に深い意味があるような気がしたからだ。だが、それが何なのかはわからなかった。
「さあて、じゃ、俺は他のやつのご飯の準備してくる。行くぞ、愛佳」
「うん」
嵯峨山と愛佳は俺たちに軽く手を振って厨房のほうに戻っていった。
「あの二人、何かあったのか?」
「さあ、あまり詮索しないほうが良いと思いますよ。ここにいる人はみんな何かしらの事情がなければ、ここにいませんから」
焼き魚をほおばりながら沢村が言う。
「ガードマンはもちろん、ガードレディの子たちは刀人と呼ばれる能力者に目覚めてしまった。そのせいで当たり前の日常から追いやられ、その存在までもが闇に消されようとしている。刀人の力は育て方さえ間違えなければ簡単にコントロールできるものです。そんなことを知らない親は一方的に怪物呼ばわりしてしまう。そんなの悲しいし、何より彼女たちがかわいそうじゃないですか」
沢村がいったん箸をとめて辺りを見回す。
「希莉絵さん達は俺たち……そして彼女たちの居場所を与えるためにここを作ったんですよ」
「生きる道を縛られた者たちが集まる場所ってわけか?」
「先輩だってそのうちの一人じゃないですか」
沢村が俺のほうを見る。表情は笑っていたが、どこか俺のことを哀れんでいるように見えた。
「井出浦さんから話を聞いたことをきっかけに、おじいさんと弟さんの死んだ真相を調べて、ダルレストに狙われることになり、ここに保護された。そして未国や八重坂たちの戦いを見て、悩んだ末にガードマンになることを受け入れた」
再び箸で焼き魚を掴んで口の中に入れる。
「今や先輩も普段の日常から追い出されてしまった一人なんですよ。ここから元の生活に戻るのは至難の業……いや、不可能と言ってもいいでしょうね」
「心配しなくても元の生活に戻れなくてもいいし、戻れたとしてもその気はない」
そこで俺は初めて箸を手にとった。
「俺にははっきりとした目的がある。ここにいる理由が俺にはある。八重坂が奴らと戦う意味、俺の知らなかった真実……この戦いを最後まで見届ける責任がある」
「ふふ、先輩にしては随分とはっきりと言えましたね」
「いつも曖昧みたいに言うな」
「あれ、違いましたか?」
そう聞きながら沢村が笑う。今度は本心で俺のことを笑っているとすぐにわかった。
「いや、そうでもないか……」
俺も小さく笑って焼き魚にテーブルに置かれたしょうゆをかけて食べた。かなりおいしい。一人暮らししてる時に焼き魚なんて作らないから、余計に旨く感じた。
「ところで八重坂たちは何してる?」
「今日は学校に行ってますよ。夏期講習らしいです。せっかくの夏休みなのにかわいそうですよね」
「学校か……」
「心配しなくていいですよ。真那や鶴香、未国たちはみんな外での生活が出来るようになっています。外の高校に通っていても他の人たちは何の違和感も抱きません」
「奴らに狙われる危険はないのか?」
「少なくとも夕方ぐらいまでは安全ですよ。連中は基本的に夜にしか活動していません」
「そうか……」
太陽が出ている時は普通の高校生。夜は奴らとの命を取り合う戦いに身を投じる戦士。
シンナが言っていた二つの世界。それが何の問題もなく日常で行われている。こんなことがいつまでも続けば、自分が死んでしまうかもしれないのに。
「わからないな……」
味噌汁を口につけたが、今度はその旨さがよくわからなかった。
「俺はまだあいつらのことをちゃんと理解できていない……」
「そんなものですよ、ここでの人間関係は」
落胆した俺に沢村はまた笑って言った。
7
「よぅし、じゃあ今日はここまで。今日やったところは夏休み明けのテストに出るからな。ちゃんと予習しておけよ」
遠上先生の言葉が終わったのと同時に教室のチャイムが鳴る。鞄から弁当を取り出す子がいれば、友達と教室を出て食堂に行く子もいる。朝から四つの授業が終わってようやく昼休みを迎えた。
「うーん、疲れたぁ」
あたしは大きく背伸びした。ずっと座りっぱなしでノートに授業の内容を書き込んでいたから肩が凝っていた。
「ふへえ……やっと終わったか」
近くの席にいた文仁が大きくあくびをした。次のテストで赤点を取ると、補習を受けないといけないから、この夏期講習はこいつもちゃんと勉強していた。
さすがにこれ以上補習を受けると、ガードマンの仕事に支障が出る。そのあたりのことはしっかり考えているらしい。いつもはバカでだらしないやつだけど。
「文仁、屋上でご飯食べに行くわよ」
「あー、わかったわかった」
それでもあたしはこいつのことをほうっておくわけにはいかない。今のあたしのパートナーで、命に代えても守らなければならないやつだから。
松阪高校の校舎には最上階で隣の校舎に移動できる渡り廊下がある。そこで町の景色を眺めながらご飯を食べるのはあたしと文仁、真那、そして潤一の日課だった。今は三人になってしまったけど……。
「ひょう! 相変わらずうまそうだ、このカンベちゃん弁当!」
文仁が目を輝かせながら弁当を見ていた。カンベちゃん弁当というのは駅前の売店で売っている松阪市の土産物のことで、カンベちゃんのイラストを模したおせち弁当だった。土産物なので買う人はたくさんいるけど、三日に一回の昼に必ずこの弁当を食べているのはこいつぐらいだろう。
「あんた、よく食べるわよねえ。それ、一つ2500円でしょ?」
「心配ない。給料はこいつとカンベちゃんセットにしか使ってない。俺はこれさえあれば生きていけるぜ!」
かなりのドヤ顔であたしのほうを見てくる文仁に呆れてため息が出た。
「あれ、真那。今日は焼きそばなの?」
いつも手作りしている真那が弁当を見ると、焼きそばと豚肉だけがほとんどのスペースを占めていた。
「シンナが今日はどうしても作るっていうから、作らせたんだけど……」
「え、シンナ、料理作れたの?」
「う、うーん、途中でキャベツ切るの嫌になったみたいで……」
「今度は真那がつくったほうが良さそうね……」
真那は毎朝一階の食堂の厨房を借りてご飯を作っている。そんなことをしなくても、あたしたちの弁当は毎日用意してもらっているんだけど、この子は自分で作っていた。とても偉いと思う。あたしじゃ真似出来ない。
「……」
あたしと真那が話している間、文仁は一口も食べないまま弁当を眺めていた。何をしているのか、長く付き合っているあたしにはもうわかる。どうせ「カンベちゃんを食べたくなーい」とか思っているんだろう。
「そういえば、鶴香。ちょっと気になっているころがあるんだけど」
「え、どうしたの?」
「市子のこと、知ってる?」
「う、うん、知ってるけど?」
真那の質問に首を傾げた。市子というのは明日野や奈央と同じように外で活動しているガードレディの坂上 市子のことだ。
「市子がどうかしたの?」
「あーうん、貝堂さんから聞いたんだけどね……この前の任務からまだ戻ってきてないらしいの」
「え?」
食べていた箸の手が止まる。
「今朝、聞いただけだから、もしかしたら戻ってきているかもしれないけど……」
「山口からも連絡がないの?」
山口というのは市子のガードマンのことだ。
「ううん、そんな話は聞いてない」
急に嫌な予感がした。この町でガードレディが亡くなったのは半年以上前のことだ。ダルレストの勢力がまだここまで浸透していないせいもあって、下っ端の刀人しか相手にしていないこともあるけど。
「でもよ、坂上と山口のペアなら簡単にやられないだろ。あの二人、結構ベテランだろ」
しぶしぶカンベちゃん弁当のご飯をつまみながら文仁が言った。
「帰ったらきっといるよ。心配することねえよ」
「だといいけど……」
真那は顔を下に向けてご飯を食べるのをやめていた。この前の潤一の件もある。仲間を失って一番落ち込むのは真那だった。
「真那、そんなに――」
心配しなくていいわよ、と言いかけたが、ふと視界の端に何かが映った。
視線を学校の校門のほうに向ける。春になれば綺麗な桜が咲く大きな木。その下に誰かが立っている。その姿を認めた瞬間、あたしは全身に寒気を感じた。
尖った茶色の髪、耳や唇につけたピアスをした男がいた。にやりと笑っているその男はじっとあたしのほうを見ていた。
笑っていた男の口が動く。声は聞こえなかったけど、何を言っているのかはわかってしまった。
見つけた、と男は確かに言った。
あの男……まさか。
急に強い風が吹いて思わず目を閉じる。すぐに目を開けたけど、男の姿はもうどこにもなかった。あとに残っていたのは散っていく緑の葉だけだった。
「あいつ……」
その時、携帯の着信音が鳴り響いた。文仁の携帯だった。
「なんだ、こんな時間に」
携帯を開いて文仁が電話に出る。
「沢村? どうしたんだ?」
電話の相手は沢村らしい。沢村の小さな声が聞こえてきたけど何を喋っているのか、わからなかった。でも、文仁の表情がだんだん険しくなってきたので、どれだけ深刻な内容なのかは何となくわかった。
「……まじか、わかった」
文仁が携帯を閉じて息をつく。普段のこいつがあまり見せない顔だった。
「どうしたの?」
そう聞くと、文仁はまたため息をついて言った。
「山口と坂上が……殺されたらしい」
8
自分の生きている意味は何だ?
そんなくだらないことを聞いてきたバカがいる。答えられるやつなんて少ないだろう。
自分一人死んだところで悲しむのは身内だけで、この世界は回り続ける。他の奴らは興味を持たず、「また死んだのか」、「ふーん」みたいなことしか言わないだろう。
普通の人間でそんなレベルだから、刀人の場合はそれ以上だ。
まず死んでも悲しむやつなんて誰もいない。葬式みたいな面倒なこともやらない。創路とかいう女に全員跡形もなく消されるだけだ。
俺たちの価値なんて所詮そんなものだ。上の奴らはただの使い捨てだと思っているに違いない。
勘違いしないでもらいたいのは、俺自身、そういった境遇にいる自分に不満を思ったことがないことだ。
そう、今の俺は満足している。なぜなら、俺には他のやつと違って、自分の生きている意味があるからだ。
刀人に目覚め、親に捨てられて、物心ついたときには、俺はもうこのダルレストの施設にいた。
そこで言われてきた言葉は「愛してる」とか「元気に育ってね」みたいに親が言うようなセリフじゃない。俺が一番聞いてきた言葉はひとつだけだ。
「奴らを殺せ」
ただ目の前にいる奴を殺す。同じ施設で育ったからと言って同情する必要はない。躊躇うことなく目の前の相手を殺せ、そう言われてきた。俺は言われるがまま、人を殺してきた。何人も、何人も。それが生き延びる唯一の方法だった。
気がついた時、俺は本部の部隊どころか、その上を行く刀人になっていた。なぜ俺が他の奴よりも優れているのか。それは俺が自分の生きがいを見つけていたからだ。
大抵の刀人は親に捨てられて孤独感を味わうらしいが、俺はそんなことを微塵も感じていない。
この力を手に入れて俺は面白いと思った。ガキの頃なら誰もが憧れる特別な力。それを手にすることが出来たんだ。刀人の生きる方法なんて普通の人間よりも限られている。なら、割り切るしかないだろ。その中で楽しみを見つけるしかねえじゃないか。
だから、俺はこの力を使って人を殺すことに楽しみを見出した。じじいやばばあだけじゃ物足りねえ。俺を楽しませてくれるのは、必死に他人を守ろうとするガードマンとガードレディだ。あいつらに絶望を感じさせて切り刻み、血の匂いを嗅ぐのが好きだった。
高齢者保護何たらなんて法律のことはどうでもいい、ダルレストが何のために存在しているのか、どうしてこんな戦いが行われているのか、そんなことに全く興味はない。
だが、奴らを殺すことには楽しみがある。張り合いがあるんだろう。俺はそこに生きがいを感じる。それだけで俺がこの世界で生きていることに価値がある。
だから、奴らの潜伏していた学校のことを知っても、俺は浜家や伊月には言わなかった。
奴らに俺の楽しみを奪われるのは癪だからだ。俺は俺自身の手で奴らを殺す。
「へへ、しかし、あの女の顔を見たのは久しぶりだな」
昼間のことを思い出す。あの女が俺のことに気付いたのは知っていた。女は恐怖と絶望の入り混じった顔をしていた。あの時とほとんど変わっていない。
もうあの女は逃げることはできない。今度はあいつを守るやつなんていないからな。
「さあ、俺を楽しませてくれよ……金髪のガードレディ」
9
その家にやってきたのは報告を聞いた日の夕方だった。あたしと文仁、真那の三人は学校の帰りにその現場に到着した。
「よう、早かったな」
家の玄関で沢村と潤一のお兄さん……梨折さんが待っていた。
「もう見たのか?」
文仁が聞くと、沢村は「まぁな」と答えた。
「殺されたのは深夜の三時頃らしい。一組で行かせたのがまずかったな。中はもう綺麗に片付いているが、当時の写真はここにある」
沢村がポケットから何枚かの写真を取り出す。文仁がそれを受け取って写真を見た瞬間、
顔色を変えた。
「こんなの見ていられないな」
文仁はすぐに写真をそばにいた真那に渡して、沢村に言う。
「あの傷、刀で斬られた傷じゃないな」
「ああ、あんな曲線を描いた傷をつけることは不可能だ」
「じゃあ、刀人の仕業じゃないのか? あんなの普通の人間が出来ることじゃないぞ」
刑事の仕事をしていた梨折さんも深刻な表情をしていた。
「鶴香」
写真を見終わった真那もあまり良くない表情をしていた。真那から写真を受け取ってそれを見る。
「!」
その写真を見たとき、あたしの心の中で何かが弾けた。好きな人を相手にドキドキする気持ちなんかとは程遠い。沸き起こってきたのは真逆の感情だった。
赤い血で汚れた部屋、そこで倒れる何人もの死体。そして、切り刻まれたガードレディの市子とそのパートナーの山口。沢村の言っていた曲線を描いた切り傷。全身を傷つけ、充分に苦しませてから殺したのが見て取れる。
やっぱりあの時のは見間違いじゃなかったんだ……。
こんな酷い殺し方を出来るやつをあたしは一人しか知らない。
あの男がこの町に……。
「いやいや、皆さんお揃いで、ご苦労さんですぅ」
背後から女の子の声が聞こえてきた。麦わら帽子、アロハシャツ、短パンにサンダル。何度も見ている回収屋が立っていた。
「いやぁ、今回ご臨終してはる人たちの片付けにはずいぶん時間かかりましたよぉ。ほんと手間がかかりますねえ」
「誰だ?」
梨折さんが沢村に聞いた。
「遺体の処理を専門にしている創路と呼ばれている子です。我々とダルレストとの戦いで出た遺体の回収は全て彼女がしてくれています」
「どうも、どうも、創路 朋子です。よろしくぅ」
創路がいつもの調子で挨拶する。梨折さんは不審そうな表情をしていた。
「えーと、とりあえずどなたか、サインしてもらえると嬉しいんですけどぉ」
「あー悪かった、俺がするよ」
沢村が創路から下敷きに挟まれた紙とサインペンを受け取って表にチェックする。そのリストを見ると、殺された何人かの名前以外に市子と山口の特徴が書かれた欄があった。
二人はあたしたちの中では連携のしっかり取れたペアだった。そう簡単に殺されるわけがない。その二人が殺された……きっとあいつだ。
「創路、ここの遺体を出した人、あなたなら知っているんでしょ?」
あたしがそう聞くと、それまで笑っていた創路の表情が変わった。
「市子と山口が殺されるなんて、普通の刀人の仕業じゃない。あなたは見たはずよ」
「おい、鶴香。やめろ」
そばにいた文仁が慌てて言う。どうしてそんなに慌てているのかわかっている。創路はあくまで遺体の回収を行うのが仕事で、あたしたちとダルレストのどちらにも属さない中立の子だ。その彼女から情報を聞き出すことはタブーになっている。
それでも、あたしはあの男の手がかりが欲しかった。
「教えて、創路」
「あーすんません、気分悪くなっちゃいました。そろそろ、帰りますわ」
創路がまた笑顔で沢村からリストを取って、近くに停めていたトラックのほうに向かう。
「創路! 話はまだ――」
「いいかげんにしてください、橘 鶴香」
それまでの創路の口調が打って変わって厳しいものになる。
「その情報を提供するわけにはいきません。片方の組織の利になることは厳禁です」
彼女が横目であたしのほうを見る。その表情は笑顔から程遠かった。
「何なら話してもいいんですよ、あのことを。あちらの人たちに、今すぐ」
「う……」
何も聞くことが出来なかった。創路の情報網は隅々まで行き届いている。あたしたちの素性なんて全て把握しているだろう。だから、強みも弱みも彼女は全部知っていた。
「では、失礼しますねえ」
また口調がいつもの感じに戻って創路はトラックに乗り込み、そのまま走り去っていった。
「鶴香、お前!」
文仁があたしの両肩に手をかけた。
「この大バカ! あの二人が誰に殺されたのか、知りたいのはわかるが、創路を敵に回すのはやめろって何度もおしえてもらっただろうが! 何、考えてるんだ、お前!」
「……文仁には関係ないわ」
「関係ないって。俺はお前のガードマンなんだぞ! お前だけの問題じゃないだろ!」
「おい、やめろ。こんなところで」
沢村があたしと文仁の間に割って入った。
「鶴香、理由は知らないが文仁の言うとおりだ。創路から手がかりを聞くのは絶対に駄目だ。今回は見逃してもらったが、次にこんなことをしたら、彼女、おそらくダルレストに俺たちの本部の所在をバラすぞ。そうなったら、『アサガオ』はおしまいだ。あの場所を失うことになる」
「わかってるわ……そんなことぐらい」
わかっているけど、あいつだけは絶対に許すわけにはいかない。
あたしの……そして文仁の大切な人を。俊明を殺したあいつだけは。
10
『橘、俊明の犠牲を無駄にするな! 戻れ!』
「嫌よ! 俊明を必ず助ける!」
『あの男はただの刀人じゃない! 一人じゃ危険だ!』
ガードレディになってから半年。あたしは俊明のパートナーとして仕事を始めていた。まだ、新米だったこともあってあたしは二組の仲間と任務にあたっていた。
今回の任務はフィールドの張られた破棄された病院に、ダルレストにさらわれたおじいさんやおばあさんが監禁されていたのを助けることだった。
任務は順調だった。俊明の的確な指示で他の仲間と見張りをしていた敵を倒すことができたし、三階の病室でさらわれていた人達も発見することができた。でも……。
「ほぉ、こんな場所にどんな用事かな? ガードレディさんたちよ」
あの男が現れた。尖った茶色の髪。耳や唇にたくさんつけたピアス。そして、あたしたちのことを笑って見ている顔。
ただの刀人じゃないと直感で思った。この男と戦うよりも逃げたほうがいいと思った。
「まあ、じっくり楽しもうや」
男がにやりと笑って手に剣を握り締める。普通の刀じゃなかった。刀身の部分が異様に後ろへ反っている。日本刀のそれと違って、かなり曲がっていた。ダルレストの刀人は全員、戦いに適した刀に統一するために、調整を行っていると聞いていたけど、この男の武器は違った。
男がまた笑う。その瞬間、男の姿が視界から消えた。
「いったいどこに?」
その一秒も経たないうちに、そばにいたガードレディの仲間が血を流して倒れた。全く見えなかった。男の気配も感じ取れなかった。
「鶴香、逃げろ!」
外から声が聞こえた瞬間に、もうひとりのガードレディと一緒に部屋の外へ走り出した。
叫び声が部屋に響いたのはすぐあとだった。そばにいた仲間が背中を斬られて倒れていく。
見えない。刀人はお互いにその力を感知することが出来るはずなのに、男がどこにいるのか、全くわからなかった。目の前で仲間が殺されていくのを見て頭が混乱していたせいかもしれない。
部屋の外へ出ると、廊下で銃を持っていた俊明と他のガードマンたちが立っていた。
「鶴香、無事か!?」
俊明があたしのほうに向かって走ってくる。その直後に背後から気配を感じた。
「俊明、伏せて!」
俊明に飛びついて地面に倒れこむ。それとほぼ同時に剣の一撃が体をかすめた。視界の端にあの男の笑っている姿が見える。
「このっ!」
他のガードマンたちが男に銃を撃つ。男はそれを避けて廊下の奥に消えていった。
「いまのうちだ、逃げるぞ!」
仲間がもと来た廊下を引き返す。あたしは俊明をすぐに起こして、一緒に走った。
階段で一気に一階まで下りて、長い廊下を駆け抜ける。
「もうすぐ出口だ!」
その時、後ろの方から男の笑う声が聞こえてきた。すぐに追いつかれる。隣を走っていた俊明も気付いたようだった。
「お前ら、鶴香と逃げろ。俺はあいつを足止めする!」
「俊明、危険だ!」
「ここで誰かがやらないと皆殺しにされるだろうが! 早く逃げろ!」
俊明が拳銃に弾を補充して後ろに振り返った。
「俊明!」
「鶴香、お前も行け。お前まで死んで文仁にどやされるのは嫌だからな」
「俊明、でも――」
「行くぞ!」
仲間があたしの手を掴んで走り出す。俊明が廊下の奥へ姿を消すのを見て、一瞬追いかけようと思ったけど、そのまま仲間と一緒に正面玄関の出口に向かって走った。そのあいだに後ろのほうから銃声の音が何回も聞こえてきた。
あたしたちは何とか無事に病院の外へ抜け出すことができた。
「早く応援を! 俊明が!」
「もう連絡した。十分もあれば来るはずだ」
「そんなに待てない。俊明が――」
鈍い悲鳴が病院から聞こえてきたのはそのすぐあとだった。
「俊明……」
それまで頭が混乱していたあたしは急に冷静になった。バカな自分の過ちに気づく。
「俊明!」
迂闊だった。どうして俊明を一人で置いていったの?
パートナーのガードマンを置いて逃げるなんて!
病院の中に戻ると、また悲鳴が聞こえてくる。俊明の声に間違いなかった。仲間が携帯で呼び止めてくるけど、あたしには聞こえていなかった。
廊下を走り、声の聞こえた部屋に近づく。
そこで俊明の叫び声が止まった。急に辺りが静かになった気がした。無意識のうちにあたしは走るのをやめていた。
「俊明……」
声の聞こえていた部屋にゆっくりと歩く。ドアの隙間から異様な匂いがした。鼻がおかしくなりそうなくらいに強い鉄の匂い。間違いない、血の匂いだ。
「俊明?」
部屋の入口のドアに手をかける。嫌な予感がした。この部屋を開けたら絶対に後悔する。
これから先、ずっと後悔し続ける。根拠も何もないのにそんな予感がした。
でも、逃げるわけにはいかない。
あたしはゆっくりとそのドアを開けた。明かりも何もついていない。でも、窓から差し込む月の光で部屋の中がどうなっているのかわかった。
「……っ!」
口を手で押さえる。体の中にあるものを全て吐き出してしまいそうになる衝動に駆られた。
廊下を歩いた時よりも血の匂いが充満している。その原因はすぐにわかった。
部屋の壁に磔のようにされた人。手首と足首から先にあるはずの手足がなかった。その付け根から見たこともないぐらいに大量の血が流れ落ちている。体には曲線を描いた傷が何箇所もあった。さっきの仲間が倒されたときの傷と同じだ。
その人の顔を見る。間違いなく、俊明の死体だった。
「うっ……うぐっ!」
とうとう堪えきれずにあたしはその場にしゃがみこんだ。今まで押さえ込んでいたものを吐き出してしまう。血の匂いに混じって嫌な匂いが立ち込め始めた。
「おやおや、ちょっとは気が強い女だと思ってたから我慢できると思ってたけど、残念だなあ」
部屋の入口のほうから声が聞こえる。あの男だとすぐにわかったけど、何も出来なかった。
「思ったより粘ってたなあ、こいつ。手足を切り落としても、ずっと俺のこと睨みつけててよお。まあ、さすがに何度も突き刺したら死んぢまったけどなあ」
「……」
口元を押さえながら男のほうを見た。男はにやにや笑いながらあたしを見下ろしていた。
「へぇ、良い目で見てくるなあ、お前。そういうの、嫌いじゃないぜ」
その言葉を聞いた瞬間、考えたことも何もかもが真っ白になった。この男に対する強い怒りが全身を駆け巡った。
「うわあああああ!」
あたしは叫びながら握りしめていた剣を男に向かって振った。しかし、男はそれを簡単に弾き、もう一度異様に曲がった剣を振る。
右肩から血が噴き出して、激痛が襲った。その場に倒れこむ。肩から血がどくどくと流れ落ちてきた。
「やめとけ、俺はお前を殺すつもりはない。見逃してやるよ」
男がしゃがみこんでまた笑う。
「見逃してやるから、ずっと俺から逃げ続けろ。今度お前に会ったら、お前もあいつみたいに充分に苦しませて殺してやる。仲間を失い、あいつの仇も取れないまま、悔しい思いをしたまま、お前は死ぬんだ。そうなりたくなければ、俺から逃げ続けてみろ」
男の言葉が頭の中に響いた。まだ怒りが収まらないのに、何も出来なかった。ただ唇を噛んでこらえることしかできなかった。
「じゃあな」
男は耳元でそう囁くと、そのまま部屋の外へ姿を消した。
あたしは酷く自分のことが嫌になった。男のあとを追うことが出来なかったこともあるし、男が姿を消して安心している自分がいることにも腹が立った。
でも、何も出来なかった。部屋に充満する血の匂いのせいで感覚が麻痺していたのかもしれない。
「ごめん、俊明……文仁……」
あたしは気を失った。
11
俊明たちの遺体は創路に回収され、遺体のない葬儀は数日後に行われた。
一度の仕事で複数の仲間が倒されたのは数年ぶりだったらしい。あたしたちを襲ったあの男のことはわからないままだった。
結局、捕らわれていたおじいさんやおばあさんを救うこともできず、仲間を失って、あたしたちは散々だった。でも、誰もあたしを責めなかった。新米で、まだ腕が未熟だったからどうすることも出来なかった。みんなはそう思っていたらしい。
「兄貴……どうして、どうしてだよ……なんで……」
地下の墓地に新たに建てられたいくつかの石碑。その中にある俊明の石碑の前で、文仁はうずくまってずっと泣き続けていた。
他の仲間がいくら励ましても文仁は泣き止まなかった。あいつは俊明の遺体と対面することもないまま、この葬儀に出ていた。まだ、ガードマンになることができず、兄と一緒に仕事を出来なかったことを悔やむ気持ちもあると思う。
でも、あたしは……あたしは俊明のパートナーで、ずっと一緒に仕事をしていた。新米だからと言っても、この施設で充分に訓練を積んで、実戦の経験もあった。それなのに、あたしは俊明を一人残して逃げてしまった。俊明を殺したあの男を前に怯えて何も出来なかった。
あたしは何て無力なんだ……。あたしがしっかりしていれば、俊明を守ることが出来た。文仁が悲しむ必要もなかった。あたしがちゃんとしていれば……。
「……」
あたしは文仁に何も言うことが出来なかった。励ます言葉も、謝罪も出来なかった。いくらあいつに非難されても仕方がない。あたしはそれだけのミスを犯してしまったんだ。
でも、文仁が聞いてきたのは怪我の具合のことぐらいで、あとは何も聞いてこなかった。俊明のことも、あの男のことも。
そして、それから間もなくして文仁はガードマンになり、あたしをパートナーに選んだ。
もちろん、戸惑う気持ちがあった。俊明を死なせたあたしを自分のガードレディにするなんて、何を考えているのかわからなかった。
「これから、よろしくな、鶴香」
文仁はいつもの文仁だった。ガードマンになった後も、俊明が死んだ前と変わらず、同じ態度で接してくれた。冗談を言って、あたしをからかったり、何かと心配してくれるいつもの文仁だった。
もしかして文仁はあたしのことを許してくれたのだろうか。
そう思ってもおかしくなかった。
でも、あたしは自分の思いを決して言わなかった。
たとえ、文仁があたしのことを許してくれたとしても、あたしには俊明を死なせた責任がある。
だから、今度こそ、自分の命に代えても文仁を守る。文仁があたしのことどう思っていてもいい。死んだ俊明のためにも文仁を守って……そして必ずあの男を……。
第四話 前編 秘めた思い 終
後編へ続く
キャラ紹介
・橘 鶴香
潤一や真那のクラスメートの美少女。明るく男勝りな性格。文仁のことに呆れつつも、目を離せられず、何かと苦労している。
・溝谷 文仁
潤一の悪友。単純かつお調子者で鶴香に呆れられている。三重県のマスコットキャラである「カンベちゃん」の大ファンであり、部屋にカンベちゃんの本やグッズをたくさん置いている。
・創路 朋子
ダルレストの始末した高齢者や、ガードレディとダルレストの戦いで出た遺体の回収を専門とする組織のリーダー。彼女の回収部隊の規模は大きく、大量の死人が出ても一晩で回収することができる。ガードレディとダルレストの中立な立場にいるので、双方の組織の重要な情報を全て把握している。そのため、彼女に対する反発や何かを聞き出すことは厳禁になっている。
普段はマイペースでのんびりとした性格だが、怒ると怖い。伊月に好意を抱いている様子。