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第三話 太陽と影 

 第三話 太陽と影


 1


 日高(ひだか)尾上(おがみ)が殺された。

 その報告を聞いてもあまりショックを受けなかった。泣いたり、落ち込んだりすることもない。だけど、最初の印象が悪かった二人の人柄をようやく掴んだところだったから、残念な気持ちはあった。

 日高。口が悪くて短気だったけど、他のメンバーのことを何かと気にかけていた。僕たちのメンバーが全員彼のような性格ならマシだったかもしれない。

 尾上。あまり喋らないやつだったけど、日高とは仲が良いように見えた。正反対な性格だったからかもしれない

「残念だ……」

伊月(いつき)、買ってきたわよ」

 独り言をつぶやいていると、車のドアが開いて花麗(かれい)が現れた。その手にはコンビニ袋がある。

「ありがとう、助かるよ」

「まだフィールドが張られてるから、ここからコンビニ行くの遠かったわよ」

 花麗が愚痴を言いながら袋を差し出す。それを受け取って中を見ると、大量のランニングバーが入っていた。どれも夏限定のチーズケーキ味だ。

「そんなに甘いものばかり食べてると太るわよ」

「心配しなくていいよ。僕は太らない体質だし」

 袋から一本取り出して、包みを破って口にくわえた。その瞬間に冷たくて甘い味が口の中に広がる。真夏の暑い時に食べているから、よりおいしかった。

「うん、やっぱりこれが一番良いね」

「もうすぐ 浜家(はまや)のおじさんが来るわ。降りておいたほうがいいわよ」

「りょーかい」

 アイスバーを口にくわえたまま、車から降りる。

 ちょうど、そばにあるアパートから四人の仲間が出てくるのが見えた。二人ずつでシーツにかけられた遺体を近くのトラックへ運んでいく。その遺体は今まで殺してきたおじいさんやおばあさんじゃない。シーツの中には刀で斬られた二人の遺体が入っているんだろう。

 日高の二人一組で行動する作戦が裏目に出てしまったらしい。もし自分か花麗が一緒にいたら殺されることはなかっただろう。

「ごめんね」

 謝罪の気持ちを込めて二人に言った。もう死んでいるから返事が来るはずもないけど。

「来たわよ」

 花麗の声を聞いて、道路のほうに視線を移す。黒いリムジンが静かに近づいてくるのが見えた。そのまま、トラックのそばに停車する。後部座席のドアが開いて浜家が降りてきた。  

 各メンバーに指示を出す浜家とこんな頻繁に顔を合わせるのは久しぶりだった。『彼女』たちの追跡に躍起になっているんだろう。

「日高と尾上がやられたか?」

 相変わらず感情のない声で聞いてくる。黙って頷くと、浜家は携帯を取り出し、どこかに電話をかけはじめた。

 誰に電話をかけているのかは大体想像がつく。自分の手を汚さず、ただひたすら命令を出している上の人たちだろう。

「あららぁ、また人がご臨終しちゃったんですねえ」

 重い雰囲気が漂う中、突然軽い調子の声が聞こえてきた。浜家と同じように誰なのかすぐにわかった。

 さっきのトラックの助手席から一人の女の子が降りてくる。その出で立ちは明らかに場違いだった。赤茶色の髪をした彼女は青いアロハシャツに麦わら帽子を被り、サンダルを履いている。どう見ても、これから海に出かけるような格好にしか思えなかった。

 だけど、彼女の姿を見た仲間たちは顔色を変えた。彼女の格好について指摘する者がいなければ、話しかけようとする者もいない。当然だ、誰も彼女に手出しすることが許されていないからだ。

「あ、それ、うちに見せてくれます?」

 彼女がトラックの荷台に遺体を入れようとする仲間に声をかける。仲間たちの動きがピタリと止まった。

 彼女は「どうもぉ、どうもぉ」と言いながら、シーツをめくって遺体を見た。

「えーと、男性の遺体が二つ……ですねえ。おおきに、もういいですよぉ」

創路(そうじ)

 いつの間にか、電話を終えた浜家が彼女に声をかけた。

「あ、ども、どもぉ、浜家さん。いつもお世話になってます。ふふふ」

 創路と呼ばれた彼女は笑いながら浜家に挨拶した。とても軽いように見えるかもしれないけど、彼女の態度はいつもあんな感じだった。

「今回ご臨終しちゃってる遺体はこの二つでよろしかったですか?」

「もう一箇所回収してもらいたい場所がある。座標を送った」

「あちゃー、今日はご臨終しちゃってる人、多いですねえ。了解しましたぁ」

 創路が浜家にもう一度頭を下げてトラックのほうに戻っていく。その時にようやく目があったので、軽く手を振った。すると、彼女は顔を赤くした。目をそらしながら手を振ってくる。前々から気になっていたけど、僕を見ると、彼女はいつも顔を真っ赤にしていた。

「伊月、字倉(あざくら)

 遺体を積んだ創路のトラックが走り去っていくのを見届けると、浜家が話しかけてきた。

「この数日で七人が殺された。もはや疑う余地はない。ガードレディはこの町に潜伏している」

「そのようですね」

「ターゲットの行方は不明なままだ。向こうに保護された可能性がある」

「どうするんですか? 僕たちの仕事、その人に見られちゃったんでしょ?」

「問題ない。一人の人間が我々のことを話したところで、信じる者などいない。ガードレディが再び現れたら、その時に対処すればいい。お前たち二人は一度、本部に戻れ」

 そう言うと、浜家はリムジンに乗り込み、そのまま走り去っていった。

「本部に戻れなんてつまらないこと言うね」

「仕方ないわ。『ダルレスト』の刀人だけ殺されて、向こうは一人も死んでいないし。本部に戻るということは私たちを集めるってことよ」

「そっか……僕たちだけで何とかなればいいけど」

「ん、どういう意味?」

「ううん、何でもないよ。さ、戻ろうか」

 花麗を促して車のほうに戻る。

 おそらく浜家はこの町に増援を送ろうとしているんだろう。日高や尾上は構成員の中ではまだ下位の人間だった。もしかしたら僕や字倉と同じ位の刀人を送ってくるかもしれない。

「本当に……」

 僕たちだけで済めばいいけど……。


 2


 2064 年七月上旬。


真那(まな)潤一(じゅんいち)が死んだわ」

「え……?」

 鶴香(つるか)から聞いたその一言に、私は言葉を失った。

「嘘でしょ?」

「信じられないかもしれないけど本当よ。創路の回収リストにチェック済みになってたわ」

「そんな……だってシンナが潤一にちゃんと言ったはずなのに……」

 そう、あの雨の日、神戸神社(かんべじんじゃ)の前で確かに言ったはずだ。

「遅かったみたい。殺されたの、シンナが警告した日の夜だったから」

「う、嘘よ……」

 唇が小刻みに震えてきた。

 信じたくない。今日、学校に来ていなかったのは偶然に決まってる。隣の席でいつも笑って、話しかけてくれて、何かと自分のことを気にかけてくれる潤一。その潤一にもう二度と会うことが出来ないなんて、信じられるわけがなかった。

 でも、目の前にいる鶴香の表情は暗いままだった。よく見たら、涙を流したあとがある。

 もうそれだけで嘘じゃないことがわかった。

「嘘に決まってる……」

 それでも、私は信じたくなかった。

「潤一が死んだなんて……」

 涙が勝手に溢れてくる。

「嘘よおおおおおおおおお!」

 その日、私は一晩中、声をあげて泣き続けた。そんな私を鶴香が何も言わずに抱きしめてくれた。それでも涙が止まることはなかった。


 3


 日のあたる太陽の下。その世界で生きる『私』は普通の高校生だと思う。学校での成績はそれほど悪くなく、読書が趣味でクラスメートと平凡な日々を送っている女子高生。潤一、鶴香、文仁(ふみひと)……みんな良い友達だから、一緒にいる時間がすごく楽しい。それが『私』の日常だった。

 暗い闇に包まれた夜。その世界で生きる『あたし』は戦いの中でしか生きがいを感じられない。

 遠い昔も、この前も、昨日も、今も、あの刀を持った奴らはフィールドと呼ばれる中で狩りを行っている。

 『あたし』は一方的に殺しを楽しむあいつらを始末するために戦っている。お互いに生と死の境で殺し合う。いつ死んでもおかしくないが、それが『私』のために出来る『あたし』の役目だ。

 朝の『私』と夜の『あたし』。私たちは二人で一つ。『私』がいるから『あたし』がいて、『あたし』のおかげで『私』は生きている。

 そんな私の日々を潤一の死が変えてしまった。

 私が深い闇に堕ちないようにしてくれたのは潤一のおかげだった。彼がいてくれたから私は今まで挫けることもなく、頑張ってこれたんだ。

 この手がどれだけ汚れても、潤一や他の仲間がいてくれたから、私は今まで自分を見失わずに戦ってこれたんだ……。

 でも、潤一は死んだ。あの人たちに殺された。

 私から大切な人を奪っていったあの人たちが、潤一までも奪い去った。

 潤一……どうして私を置いて死んでしまったの?

 私、あなたに言っていない。私が本当は何をしてきたのか、どんな過去があったのか、どれだけあなたのことを想っていたか、何も伝えていない。

 私はもう二度とあなたの姿を見ることができない。今頃、あなたは創路によって跡形もなく消されてしまっているだろう。

 こんなのあんまりだよ……。

 あなたがいない世界で、私はこれからどうすればいいの? 

 これから、私は何を支えに生きていけばいいの?

 潤一……潤一……。

 そんなふうに私が思い悩んでいた時だった。

 潤一のお兄さん――秀平(しゅうへい)さんがこの町に戻ってきたことを知ったのは。


 4


 2064 年七月中旬 松阪総合病院。


 病室の窓から差し込む太陽の光が眩しくて、目を覚ます。いつの間にか、眠っていたようだった。

 ベッドの布団の柔らかい感触がまだ頬に残っている。けど、眠っているのは私じゃなくて別の人だった。

 この病室でずっと眠り続けている女の人。もう何年も前からこの人のお見舞いに着ている。この先、この人が目を覚ますことはないかもしれないのに。

 でも、私にとってこの人はとても大切な家族だった。

「お母さん、この前ね……潤一のお兄さんを助けたの。会ったことあるでしょ?」

 私はいつも自分の母――八重坂(やえさか) 香代(かよ)に身の周りで起きたことを包み隠さず話していた。

「あの人、潤一が死んだことを知ってこの町に戻ってきたみたい。そのせいで『ダルレスト』に命を狙われて……私とシンナが助けたよ」

 一方的にお母さんと話をする。

「とうとうこの町にもあの人たちが来ちゃったの。私たち、また戦わないといけなくなる。今度はもっと大勢の人が死んでしまうかもしれない。でも、私は逃げないよ。潤一のためにも、秀平さんを守ってみせるから。だから……」

 お母さんの手を握る。その手の暖かさだけが今のお母さんに残された唯一の優しさだった。

「だから、これからも私たちのことを見守っていてね。そしていつか、また三人で仲良く暮らそうね」

 届かない思いでも、決して叶わない夢じゃないかもしれない。けど、私はずっとそれだけを願っていた。 しばらくお母さんの手を握り続けたあと、私は病室を出た。

『元気出せよ、真那。泣くのはまだ早えぜ』

「うん。ありがとう、シンナ。そうだよね、まだこれからだもんね」

『入口で鶴姉(つるねえ)たちが待ってるはずだ。早く行こうぜ』

「うん」

 階段を下り、病院の正面玄関に向かう。玄関前のロビーで鶴香(つるか)文仁(ふみひと) が待っているのが見えた。

「ほら、この前の即売会でゲットしたカンベちゃんの団扇(うちわ)、すごくいいだろ? 最高じゃないか!」

「あんたねえ、どうしてもって言うから行ったけど、はしゃぎすぎなのよ。今の状況、わかってるの?」

「わかってるって、ちゃんと仕事してるんだから、たまには息抜きしてもいいだろ? カンベちゃんがいないとやっっていけないんだよ」

「はいはい……あ、真那!」

 鶴香が私に気付いた。

「ごめんね、遅くなって」

「大丈夫よ、そんなに待ってないわ」

「迎えがもう着てるだって。戻ろうぜ」

「文仁、秀平さんはどうしてるの?」

 先を歩き出す文仁に聞く。

沢村(さわむら)が対応してくれてるから多分、大丈夫だろ。潤一の兄貴にはもう全てを話すつもりらしい」

「あたしとシンナが戦ってるところを見られたから、仕方ないわね。でも、希莉絵(きりえ) さんはどうするつもりかしら?」

「とりあえず話すだけ話して、じゃあさよならってことにはならないだろ。『ガードマン』として働いてもらうか、監視するかってところじゃないのか?」

「……」

 真実を知った秀平さんはいったいどうするだろう。あの人の性格を考えれば、ガードマンになるほうを選ぶかもしれない。 そうなれば、私たちと同じように秀平さんも命を賭けて戦うことになる。潤一だけじゃなくて……あの人まで死んでしまうかもしれない。

「そんなの……」

「おーい、お前ら。こっちだ、こっち!」

 正面玄関を出たところで、そばに停まっていた車の運転席から男性の声が聞こえてきた。この声は間違いない。嵯峨山(さがやま) 葉作(ようさく)のおじさんだった。

「おう、おっさん、今行く」

 文仁が返事して車のそばに駆け寄った。

「あれ? 愛佳(あいか)ちゃんは?」

「ここ」

 おじさんの一人娘の愛佳ちゃんが後ろの席の窓から顔を出した。

「うっひょー、愛佳ちゃん。今日も一段と可愛いね。施設に帰ったらまた遊ぼうぜ!」

「いい。変に思われる」

 文仁の誘いを無表情で断る愛佳ちゃん。でも、文仁は傷つくどころから逆に喜んでいた。

「ああ、いいね、愛佳ちゃん。そんなクールに俺の誘いを断るなんて。何て君は良い子なんだ。大丈夫、君は将来とても綺麗な女になるよ。セレブな女優……いや、二次元のクールビューティーなお姉さんだ、間違いない。ああ、俺はそんな君に踏まれたい。踏まれて『私の足をお舐めなさい』とか言われたい……」

 また文仁が自分の世界に入ってしまった。こうなったら元に戻るのに時間が……。

「いい加減にしなさい、この妄想オタク!」

 鶴香が背後から文仁に蹴りを入れた。

「い、いてえええ!」

 文仁が背中を押さえながら飛び跳ねる。結構痛いと思う。

「つ、鶴香、お前何するんだよ!」

「愛佳はまだ十三歳なのよ! あんたの妄想話を聞かせてたら病気になっちゃうわ」

「な、なんだと! 俺は愛佳ちゃんの素晴らしい将来を語ってただけだぞ。ったく、本当にお前は可愛くねえな!」

「……ブチッ」

 あれ、今ブチッて何かが切れた音がしたような……。

「お、おい、文仁。それは鶴香にはタブー……」

 葉作おじさんが言いかけたが、もう遅かった。

 鶴香の体が小刻みに震え出している。彼女の周囲から異様なオーラが漂い始めていた。これは危ない。

「どうせあたしは可愛くないわ、この妄想バカ!」

「ぐほぉ!」

 一瞬だった。文仁に避ける暇はなかった。鶴香の強烈なグーパンチが文仁にクリーンヒットし、殴られた彼は葉作おじさんの車に激突して気絶してしまった。

「自業自得。女心の理解。これ、重要だよ、文仁お兄ちゃん」

 車の窓から文仁を見下ろしながらつぶやく愛佳ちゃん。鶴香はふんと鼻を鳴らして反対側のドアから車に乗った。

「ははは、お前たちは本当に仲が良いな」

 笑いながら車から降りて、気絶した文仁を蒸し暑いトランクの中に入れるおじさん。何気に酷いことをしている。

「真那姉ちゃん、こっち座って」

 愛佳ちゃんが窓際の席を空けてくれた。それに「ありがとう、愛佳ちゃん」と言って、私もおじさんの車に乗った。

 向かう先は決まっている。私たちの家だ。


 5


弥生(やよい)?」

 明かりのついていない薄暗い部屋。自分が夢の中にいるとわかった俺は部屋の隅にいる少女の名前を呼んだ。

 今度の夢の中では弥生が泣いていた。呼びかけても返事しない。ただひたすら泣いているだけだった。

「ごめん……ごめんね、おじさん」

 弥生が泣きながら呟く。結局、何に対して謝っているのか全くわからないままだ。

「ごめんね……」

 その時だった。額から汗が流れ落ちてきたかと思うと、急に部屋の中が暑くなり始めた。

「なんだ?」

 夏場の蒸し暑さなんてレベルじゃない。何かが燃えているような感じだった。

「燃えている?」

 背後から焦げた匂いがして後ろに振り返る。アパートのドアが真っ赤な炎に包まれ始めていた。その炎がどんどん部屋の中へ広がっていく。

「どうして火が……弥生! 今すぐ逃げろ!」

 弥生に向かって叫ぶ。だが、彼女はひたすら泣いているだけだった。

「何してるんだ、弥生! 早く!」

 俺は弥生に向かって走ろうとしたが、出来なかった。足が床に張り付いていて全く離れない。

「弥生!」

 炎の中に消えていく弥生に向かって、俺はただ叫ぶことしか出来なかった。

 でも、なぜだろう。

 全く覚えがないはずなのに、こんなことはなかったはずなのに……。

 俺はこの光景をどこかで見たような気がした。


 6


『起きて……おじさん』

「う……」

 頭の中で弥生の声が聞こえて、目を覚ました。

 最初に目に入ったのは真っ白な天井だった。中央に長細い蛍光灯がある。辺りを見回すと、まるで病室のような部屋だった。

 部屋にある家具は自分が横になっているベッドだけだった。唯一ある窓からは木々の生い茂った山々が見える。かなり山奥にあるようだが、ここがどこなのか検討もつかなかった。

「う……」

 起き上がろうとすると左肩に少し痛みがはしる。よく見ると、肩には包帯が何重にも巻かれていた。

 あの夜、男に刀で刺された場所と全く同じところだった。痛みはだいぶひいていたが、間違いなく本物の傷だった。

「やはり夢じゃなかったのか……」

 あれからどれくらいの時間、意識を失っていたのだろう。

 窓の外が明るいということは少なくとも半日は眠っていたことになる。

 自分の体を調べると、拳銃がなかった。携帯もなくなっている。だが、ベッドのそばに気絶する前に着ていた自分のスーツがハンガーにかけられていた。

 とりあえずここがどこなのか、確かめないとな。

 そう思ってベッドから下りようとした。だが、その直前に部屋のドアが開く音が聞こえてくる。

 ドアの前に誰か立っている。見ると、一人の少女がいた。右側にヘアピンをつけたショートヘアーの髪に大きな目、そしてどこの学校のものかは知らないが、学生服を着ている。

 見覚えがあった。沢村と初めて会った時にあいつの車から降りてきたあの女の子だった。

「お前は確か沢村の妹の――」

 言い終わらないうちに、その子が俺に向かって何かを投げた。避ける間もなく、首に何かが巻き付く。細長いワイヤーのようなものだった。

「うっ!」

 首を締め付けるワイヤーをほどこうとしたが、その暇もなくその子が走ってきた。目で追いきれない速さだった。驚いている間に腕を掴まれ、後ろに回される。

 そのまま、ベッドに押しつけられた。抵抗したが、その力は予想以上の強さだった。びくともしない。

「何をするつもりだ!」

 俺が聞いてもその子は何も答えなかった。冷たい目で見下ろしている。首に巻かれたワイヤーの力が強まって息が苦しくなってきた。

 いつの間にか、もう片方の手に何かを持っている。鋭く尖ったサバイバルナイフだった。どこにそんなものを隠し持っていたのか、わからなかった。

 その子がナイフの先端を突き出そうとする。必死にもがいたが、身動き一つ取れなかった。

「やめろ、未国(みくに)!」

 その時、またドアが開いて男の声が聞こえてきた。聞き覚えがある。その声を聞いて、未国と呼ばれたその子の動きが止まる。

「梨折先輩を殺すのは俺が許さないよ」

 入ってきた男は他でもない、失踪事件の捜査を共にしていた沢村(さわむら)だった。

「こいつは私たちの正体を知った。今すぐ殺すべきだ!」

 少女が俺にナイフの先端を突きつけたまま言う。

「理事長からもう指示が出てるんだ。責任は俺が持つから、わかってくれ」

 理事長という言葉にその子は明らかに反応した。舌打ちして、俺を睨みつけた後、持っていたナイフをどこかへ消して腕を離した。ようやく身体の自由がきいた。

「ありがとう、未国」

「ふん」

 お礼を言う沢村を無視して、少女は部屋を出て行った。

「すいませんね、先輩。未国はあなたが秘密をばらすと勘違いしたんだと思います。自分たちの秘密を守ることに人一倍強いやつなので」

「秘密? どういうことだ、沢村? ここは?」

「まあ、知りたいことは山ほどあるでしょう。ぜひ先輩に会いたいって人がいるんです。とりあえず、一緒に来てもらえます?」


 7


 沢村のあとに従って病室のような部屋を出ると、そこは長い廊下だった。

 俺のいた部屋と同じドアが左右にたくさん並んでいる。一瞬、松阪総合病院にいると思ったが、造りが少し違った。

「ここは病院じゃないですよ」

 俺の心を読んだように沢村が言った。

「じゃあ、どこなんだ?」

堀坂山(ほっさかやま)ですよ。その山の中にある施設です」

「堀坂山?」

 俺の地元だったのでもちろん知っている。堀坂山は松阪市から少し離れたところにある山だった。確かにさっき見たときは山林が多い気がしたが……。

「それでここがどういう施設かと言いますと……」

 そう言いながら沢村が廊下の突き当たりにあるドアを開けた。

 ドアの向こうは病院のロビーのような場所だった。二階部分まで吹き抜けになっていて、天井を覆うガラス窓から太陽の光が差し込んでいる。

 そのロビーを大勢の人間が行き来していた。よく見ると、ほとんどが年老いたじいさんやばあさんだった。松葉杖をついたり、車椅子で移動している人もいる。

「はい、前田(まえだ)さん。今日はお昼から中庭でリハビリしますから、移動しましょうね」

史恵(ふみえ)さん、まだお風呂に入ってませんよね。今、空いてますから入りにいきましょう」

 そして、そのじいさんやばあさんたちの側で若い女たちが世話をしていた。看護婦……いや介護師か、それが頭の中でイメージされる。

「えーと、見てもらえればわかると思いますが、この建物は高齢者の方々を介護するための施設になっています。NPO法人『アサガオ』の本部です」

「NPO? お前、刑事じゃなかったのか?」

「刑事ですよぉ。表向き、ですけどね」

 沢村がにやりと笑ってロビーの奥へ歩き始めた。そのあとにしたがって周りを見回す。

 ざっと見ただけで数十人はいる。こんなにたくさんのじいさんやばあさんを見たのは随分久しぶりのような気がした。

 ロビーの中央にある時計台を見ると、時間はちょうど昼前の十一時だった。

 その直後、学校のチャイムのような音がロビーに鳴り響いた。それと同時にロビーにいたじいさんやばあさんたちがロビーの奥へ歩き始める。

「ああ、そういえば、もうすぐ中庭でリハビリの時間でしたね。昼頃はいつも外で運動させているんですよ。何かと運動不足ですから」

「……」

「ああ、すいません。まだ説明をしていませんでしたね。とりあえず行きましょう」

 そう言って沢村がロビーの奥に向かって歩き始めた。さっきの話だと、あの先は中庭のようだが。

 沢村がロビーの奥の自動ドアをくぐる。その先は緑の草原の広がる中庭になっていた。かなり広い。学校の校庭ぐらいの広さはあるだろう。

 その隅でさっき見かけた若い女たちが、じいさんやばあさんの歩く運動の補助をしていた。

「アサガオは『表向き』五十五歳から六十四歳の準高齢者を対象にした NPO 法人の介護団体となっています。この松阪の町以外にも、日本のあちこちに拠点があります。一応、松阪市にあるここがアサガオの本部になっていて、大勢のおじいさんやおばあさんが暮らしてますよ」

 沢村の説明を聞きながら後ろに振り返る。さっきまで俺が眠っていた建物はかなり大きかった。確かに多くの人間を収容できるようにはなっているらしい。

 だが、それよりも俺は沢村のある言葉が引っかかっていた。

「表向きっていうことは、本当は違うのか?」

「ええ、その通りです。アサガオでは別の活動にも力を注いでいます」

 沢村が中庭の先を進んでいく。その奥は木々の生い茂る森が広がっていた。その間に出来た細道を歩いていく。周りからセミや鳥の鳴き声が聞こえてきた。いつもならそれが 鬱陶(うっとう)しく感じるが、今は沢村の話に意識が集中していたせいか、ほとんど気にならなかった。

「この先には基本的に関係者以外の人は入ることが出来ません」

 細道を抜けると、また大きな建物があった。堀坂山には子供の頃に何度か遊びに来たことはあったが、こんな建物があるのは全く知らなかった。

 その建物の正面にある大きなドアを開けて、沢村が中へ入っていく。俺もそのあとに続いた。

「……」

 さっきまでいた施設とは違う雰囲気が漂っていた。無意識のうちに息を呑む。

 そこは一言でいえば学校の体育館をイメージする場所だった。左右に等間隔に建ち並ぶ六本の大きな円柱が二階ぐらいまで高さがあって、天井を支えている。両側の壁には大きなガラス窓が五つずつあって、そこから太陽の光が差し込んでいた。そして、何より目に止まったのは天井の中央にある大きなシャンデリアだった。明かりをつければ、かなり綺麗になるかもしれない。

「あー、ラブ兄ちゃんだあ!」

「ラブ兄だ! みんな、ラブ兄が帰ってきたよ!」

 その光景に圧倒されていると、大勢の子供の声が聞こえてきた。すると、円柱の周りで遊んでいた子供が一気に俺や沢村のほうに集まってくる。

「よっ、久しぶりだな、結衣 (ゆい) 、麻子(まこ)。ちょっと大きくなったか」

 沢村が最初に駆け寄ってきた二人の少女を軽々と抱き上げる。見たところ小学校にいるかどうかもわからないぐらい幼い子供だった。

「あれ、沢村! 帰ってきてたの?」

 その時、沢村のように子供を抱きかかえていた女が奥から姿を現した。袖なしの白いティシャツに青いジーパンのラフな格好。背が高く、長めの髪をした女だった。この数日、ずっと少女としか呼べないやつばかりと会っていたので、逆に新鮮に思えた。

 女は細身だったが、肩の筋肉がしっかりと締まっていた。日頃からかなり運動しているように見える。

「今日は大事な仕事があるんですよ、貝堂(かいどう)さん。ほら、この人の」

 沢村が親指で俺のほうを指差す。貝堂と呼ばれた女が俺のほうを見た。

「初めまして、貝堂(かいどう) 伊津美(いづみ)よ、よろしく。あんたは梨折(なしおり) 秀平(しゅうへい)ね」

「どうして俺のことを?」

「みんな知ってるよ。ここではもうあんたは超有名人なんだから。何せ『ダルレスト』の 刀人(かたなびと)を相手に生き延びた人だしね」

「何だ、そのダルレストとか、刀人っていうのは?」

 そう聞くと、貝堂はきょとんとした顔をした。その表情のまま、沢村のほうを見る。沢村はなぜか苦笑いしながら肩をすくめた。

「あ、ああ、今からだったのね。ごめん、ごめん。先走っちゃった」

「大丈夫ですよ。どのみち、説明しないといけないんで。理事長は?」

「今日は出かけてないと思うから部屋で待ってると思うよ」

「貝堂先輩、そろそろ授業が始まりますよ!」

 ロビーの奥から若い女の声が聞こえてきた。

「ごめん、絹子(きぬこ)。今行く!」

 貝堂がそれに返事する。

「ほら、結衣、麻子。沢村から降りな!」

「えー、やだやだ。ラブ兄と遊びたい!」

「私も! 私も!」

「大丈夫、今度遊んでやるから」

 沢村が抱きかかえていた少女たちを降ろした。

「じゃあ、ラブ兄、約束ね。絶対だよ」

「約束、約束!」

「はいはい」

 小指を差し出してきた二人に沢村が自分の両手の小指を絡ませて、指きりをした。沢村が子供の世話に慣れているように見えたのが少し意外だった。

「じゃあ、またね!」

 貝堂は沢村と約束を終えた二人の子供の手を繋いで、広間の奥にある階段を登っていった。

 その姿が見えなくなるまで見送ると、沢村は俺のほうを見た。

「ここにいる子供たちはみんな身寄りのない子ばかりなんですよ」

「親がいないのか?」

「ええ、色々と事情がありましてね。捨てられた子が大勢います」

「おかしいだろ。育てる金が不足していて施設に子供を預けるやつは多いが、親がいない子供なんて、この国じゃほとんどいないはずだ」

 事故死や自殺などを除けば、親のいない子供がいるのは百年以上前の戦時中ぐらいだった。

「あの子たち……男の子は違いますが、女の子のほうは普通の子供じゃありませんよ」

 沢村が真剣な表情で話した。

刀人(かたなびと)と呼ばれる 特別な能力に目覚めた子供たちです」

「刀人? さっき貝堂が言っていたやつか」

「先輩、気絶する前のことを覚えていますか? 先輩は刀を持った連中に襲われましたよね?」

「……」

 沢村に聞かれていなくても、覚えていた。刀を手にして襲いかかってきた男たち、金髪のツインテールの少女、そして潤一の幼馴染の八重坂(やえさか)

「ああ、覚えている」

「奴らは刀を武器にする能力者で、刀人と呼ばれています。昔は特定の感情で覚醒していて、それぞれで違う形の武器を持っていましたが、今は色々と技術が発達して、奴らは基本的に刀を得物にしています。その力で色々な暗殺訓練を受けたグループなんですよ」

 沢村が子供たちの登っていった階段に向かって歩き始めた。

「俺と先輩の調べていた高齢者の連続失踪事件。あれは奴らの仕業なんです」

「何のために?」

「何年も前から深刻になっていた高齢化問題。奴らはその解決策の中で効率良く、かつ最も非道な方法を行っているんですよ」

「どういうことだ?」

「先輩、高齢化問題っておじいさん、おばあさんの人数が多すぎるのがそもそもの問題じゃないですか。それを解決する最悪な方法って何かわかりますか?」

 沢村のその質問を聞いて俺はようやく察した。嫌な汗が額から流れ落ちていく。

「冗談だろ?」

「この状況で冗談をいうと思います?」

 沢村が寂しげに笑う。冗談ではないことが明白だった。

「……」

 俺自身も心のどこかで納得していた。ただの冗談だと言って実際に起こっている現実から目を背けたかった。だが、真実からは逃げられない。

 高齢化問題を解決する最悪な方法は考えなくてもすぐに思いつく。何のことはない。じいさんやばあさんを片っ端から殺して数を減らせばいいだけのことだ。

そんな子供でも発想できそうな手段を、実際にやっている連中がいるっていうのか。

 ふざけている。そんなことが許されるはずがない。

「……それでお前たちは何なんだ?」

「行きましょう。その質問には理事長が答えてくれますよ」


 8


 沢村のあとにしたがって四階まで登ると長い廊下に出た。

 廊下には等間隔にいくつかのドアが並んでいる。他の階もちらっと見たが、どこも似たような構造だった。

 一階で説明したのを最後に沢村は何も言わなくなった。子どもたちのざわめきも聞こえなくなった気がする。廊下を歩き進むと、一番奥に他の部屋とは違うドアがあった。沢村がそのドアをノックする。

「理事長、沢村です。先輩をお連れしました」

「あいています、どうぞ」

 部屋の奥から女の声が聞こえてきた。

 また女か。

 いくら女に苦手意識がある俺でも、こんな短期間で何人も顔を合わせていると流石に慣れてきた気がした。

「失礼します」

 沢村がドアを開けて部屋の中に入る。それに続いて中に入ると、自然と足を止めていた。

「何だ、これは……」

 その部屋は四方を大きな本棚で覆った部屋だった。だが、棚に置かれているのは本じゃない。色々な種類のぬいぐるみだった。どれも綺麗に手入れがされていて、汚れの一つもない。

 その部屋の奥でメガネをかけた女が椅子に座っていた。クマのぬいぐるみを抱えたその顔を見ていると、なぜか幸せそうに見えた。

「……」

 いい年した女がぬいぐるみに覆われた部屋で、嬉しそうにクマのぬいぐるみを抱きかかえている。開いた口がふさがらなかった。

「あれ、理事長。また新しいの買ったんですか?」

「ええ、今季を逃すと手に入らない株式会社アポックの限定商品ですよ。買うしかないじゃないですか」

「ちなみにいくらで?」

 理事長とよばれた女がにっと笑って右手でパーをして前に出した。五千円……ということか?

「五万円ですか、また買っちゃんたんですね」

 一桁違った。

「どうしても欲しかったんですよ。買うのを我慢してどうするんですか。我慢するなら買う。それが私のモットーです」

「あーとりあえず梨折先輩を連れてきたんで、話をしてもらっていいですか?」

 沢村が適当に流すと、女は「仕方ないですね」とため息をついて、ぬいぐるみを机に置いた。

「先輩、紹介します。この方は『アサガオ』の理事長をしている 秋野(あきの) 希莉絵(きりえ)さんです」

「希莉絵です。ようこそ、 NPO 団体『アサガオ』へ、梨折秀平さん。大体の話は沢村から聞きましたか?」

「まあな。俺を襲ってきたのが刀人とかいう連中で、密かにじいさんやばあさんを殺しまくってるってこと。それとここの表向きの活動ぐらいはわかった」

「なるほど、そこまでは理解して頂いているんですね」

 秋野が沢村のほうを見た。沢村は黙って相づちをうつ。何かを切り出す合図に見えた。

「私たちアサガオは表向きは準高齢者の介護団体として活動していますが、その一方で身寄りのない子や刀人となった子を保護して教育しています」

「あの子供が俺を襲ったやつみたいに刀を出せるのか?」

「今はなるべく能力を発動させないようにしています。力が暴走したら周りに危険が及びますから。だから、私たちはこの施設であの子たちの力を安定させるように訓練しているのです。そして、外部での生活ができるようになれば、『ガードレディ』として活動してもらっています」

「ガードレディ?」

 そう聞き返してくると見越していたのか、この秋野とかいう女は淡々と説明を続けた。

「刀人になった少女たちのことです。あなたが会った金髪の女の子の鶴香、沢村のパートナーの未国、そして真那は全員ガードレディです。彼女たちの仕事はダルレストが狙う対象者を守ることです」

「ダルレストっていうのは?」

 この質問も予想していたらしい。言葉の詰まらない説明が続く。

「社会から存在を消された刀人たちが集まる日本政府直属の暗殺部隊です。彼らは高齢者保護法の対象者を密かに抹殺することを主な仕事にしています」

「それを防ぐ刀人の女の子たちがガードレディ。そして、ガードレディのサポートをするのが俺たちのことで、ガードマンと呼ばれています」

 秋野、それに続いて沢村が交互に説明する。

 ガードレディ、ガードマン、ダルレスト……どこかの中坊がつけたような名前だ。普通なら冗談だと思って信じないところだが、この状況ではもう信じるしかないようだ。

「じゃあ、潤一やじいさんはそのダルレストとかいう奴らに殺されたのか?」

「残念ですが、そのとおりです。私たちの組織は設立してからだいぶ経ちますが、まだまだ人数不足で活動範囲も限られています。二人を守れなかったのは本当にごめんなさい」

 秋野が頭を下げる。ぬいぐるみを無邪気に遊んでいる時とは別人のように見えた。

井出浦(いでうら)さんはこのことを知っていたのか?」

 そう聞くと、秋野はやや躊躇った感じで答えた。

「彼もガードマンなんです。ダルレストの支部のある東京で探りを入れさせていたのですが、数週間前にダルレストに素性がばれて狙われるようになってしまいました。だから最後に、彼はずっと監視していたあなたに真実を告げたのです」

「監視? 井出浦さんが俺を?」

「まあ、そのことを相棒の真那は知らなかったので、かなり怒っていますけどね」

「……」

 次々と衝撃の事実を教えられて、言葉が出なかった。

 事実をまとめると、刀人とかいうふざけた能力者どもが密かに人を殺して、それにじいさんと潤一が巻き添えをくらって死んでしまった。そして、その殺人を止めるためにこいつらは八重坂をはじめとした少女たちを戦わせている。そして、自分が狙われていると知った井出浦さんは最後にこの事実を俺に伝えた。

 なるほど、もしかしたら井出浦さんは俺がここに来るのを最初から想定していたのかもしれないな。

 じゃあ、俺はどうする? これらの事実を受け入れて、これから何をすればいい?

 それを考えるのはとても重要なことだが、その前に俺はこの二人に言いたいことがあった。

「ふざけているな。あいつらはまだ子供だろ。お前たちは八重坂たちを危険な目に遭わせて、ただそれを見ているだけなのか? あの子や沢村の妹……ここで暮らしている子供にもみんな人殺しを――」

「あなたにあの子たちの気持ちを理解できるのですか?」

 それまで以上に秋野の口調が変わる。

「社会から疎外され、身内からも見放されたあの子たちが何を考えて生きているのか、あなたは知らないでしょう? 上辺だけで判断するのはやめてください」

 自分の過去に触れて欲しくないような怒りや複雑な気持ちが感じ取れた。つまり、秋野は俺が言ったことをかなり気にしていることになる。

 こいつらはこいつらなりに何かを考えてるってわけか……。

「だから、私はあなたに知ってもらいたいのです。あの子たちがどんな思いでこの戦いしているのか」

「どうやって?」

「そこで、今後のあなたの取るべき行動についてですが」

 秋野が机の上で手を組む。今度は笑顔に戻った。

「ここで働きませんか? ガードマンとして」

「何……だと?」

 この女の提案に、この部屋に入った時よりも俺は開いた口がふさがらなかったと思う。


 9


  NPO団体『アサガオ』は公には松阪の町に事務所を構え、そこで活動していることになっている。けれど、それはダルレストの人たちを欺くためのもので、実際は堀坂山のかつて小さな農村だった場所にあった。外の人は立ち入ることができない。

 緑豊かな自然に囲まれた私たちの家。 堀坂山の山道に入ってから大体一時間。葉作おじさんが運転する車が『アサガオ』の本部に到着した。

「よぅし、着いたぞ!」

「ん……」

 葉作おじさんの声で私の膝の上で昼寝をしていた愛佳ちゃんが目を覚ました。

「さてと……」

 隣の席に座っていた鶴香はすぐに車から降りた。そのまま、後ろのトランクに向かう。

 あ、そういえば、すっかり忘れてた。

「あぢいいいいい! 死ぬかと思ったぞおおおおお!」

 トランクから汗まみれの文仁が顔を出した。

「ちょっと、あんた、すごい汗かいてるわよ!」

「当たり前だ。こんなくそ暑いところに閉じ込められていたんだぞ! カンベちゃんの声を聞いていなかったら本当にやばかったぜ」

 文仁の手にはイヤホンのついたウォークマンがあった。そこからかなりの音量でカンベちゃんのセリフが聞こえてくる。ずっとトランクの中で聞いていたらしい。

「……」

 夏なのに私は寒気を感じた。

「よし、行くぞ、愛佳」

「うん」

 おじさんと愛佳ちゃんが先に施設の中へ入っていく。

「文仁、あんた風呂入りなさいよ! そんな姿でみんなに会ったら絶対だめよ!」

「わかってる、わかってる。そんなに大声出すな、俺の妄想が止まる」

 そのあとに鶴香と汗まみれの文仁が続いたけど、私はそのあとについて行かずに立ち止まっていた。

『どうした、真那? 早く行こうぜ』

 頭の中にシンナの声が聞こえてきたけど、返事はしなかった。別のほうに意識が集中していたせいだからだ。

 建物の正面玄関。そのそばにあるベンチで絵を描いている人がいる。未国のパートナーの沢村だった。私は彼のそばに歩み寄った。

「よっ、お疲れさん」

 沢村は私のほうを見ずに手元のキャンパスノートに絵を書き続けていた。

「沢村、私が何を言いたいのか、わかってる?」

「ああ、大体はな」

「じゃあ答えて」

「あの電話で言ってたことだな」

 沢村がようやく絵を描いていたノートを閉じた。

「勘違いしないでほしいが、先輩を巻き込んだことに関しては元々反対だったんだぜ。でも、井手浦さんに頼まれちゃ仕方ないだろ。何せあの人の最後の頼みだったんだからな」

「でも、あなたが手引きしたことは事実でしょ」

「それは否定できないな。どうする? 謝ったら許してくれるのか? もう先輩は知ってはいけないところまで知ってるぜ」

『真那、代われ。あたしが話す』

 シンナの声が聞こえてくる。私は小さく頷いて、手首に巻いていた青い紐を取った。その紐で長い髪を一つに束ねて結ぶ。

「ようし、選手交代だ」

 その瞬間、私とシンナの意識が入れ替わった。

「沢村の兄貴さ、真那の気持ちもわかんだろ? こいつは惚れてた男を巻き込まないように努力してたんだぜ。そいつが死んぢまって、そのうえ兄貴までってなると嫌に決まってるだろ」

「本当にお前は真那のことを大切にしてるな、シンナ」

 沢村がノートを片手にベンチから立ち上がる。

「俺が悪かったよ、八重坂に言っておいてくれ」

「はいはい。んで、あのおっさんはこれからどうするんだ?」

「さあ、まだ決まっていない。理事長はガードマンとして働かせたいみたいだけどな」

 秀平さんがガードマン……。

 もちろん反対だった。でも、真実を知ったあの人をこのまま解放することは出来ない。

 もし、秀平さんがガードマンになるとしたら、私とシンナが守らないといけなくなる。

 また、秀平さんが拒否した場合は将来ずっと監視することになる。ダルレストの人たちとの戦いが終わるまで。

「明日、仕事が待ってるから用意しとけ。その時に先輩も連れて行くつもりだ」

「あのおっさんに血みどろの戦いを見せるのか? へへ、それは面白そうだ」

「八重坂はともかく、お前はやけに乗り気だな」

「あたりまえだろ。あいつらをぶち殺すのが、あたしの生きがいなんだ」

「ま、ほどほどにしておいてくれよ。じゃ、俺は未国の様子を見てくる」

 沢村が手を振って本部のほうに戻っていった。

「あーあ、体を動かさずに話すだけじゃ疲れるぜ、まったく。早く戦いてえ」

『ごめんね、シンナ』

「悪い、あまり気にしないでくれ。じゃ、交代しようぜ」

 シンナが髪を結んでいた紐をとく。それと同時に私とシンナの意識が再び入れ替わった。

「もう日が暮れるね」

 太陽の下での時間がもうすぐ終わりを告げる。明日になれば、また暗い夜の時間だ。

「行こ、シンナ」

 山の背に夕日が沈んでいくのを見ながら、私はアサガオ本部に戻った。


 10


 日が暮れて夜になった。町には街灯や建物の明かりがあるが、山の中にはそういうものが一つもないので真っ暗だった。窓の外を見ても風で木が揺れる音しか聞こえてこない。

「ふぅ」

 俺は一息入れて、ベッドの上に寝転がった。

『今すぐに返事をもらわなくて構いません。明日、あの子たちの仕事を梨折さんに見てもらいます。それを踏まえて返事をください』

 秋野からそう言われた後、沢村にこの部屋を案内された。

 ここは昼間に見た子供のいた建物の隣にある宿舎らしい。他にもたくさん部屋があったから、おそらくここにいる連中が全員寝泊りしているんだろう。

 つまり、ここに八重坂もいるということになる。

「まったく……」

 まったく、とんだ目にあったものだ。

 連続失踪事件。その真相がイカれた能力者たちの戦いときてる。昔、読んだライトノベルに似た展開を思い出してため息が出た。

「馬鹿げているな、何もかも……」

『それで、これからどうするつもりなの?』

 突然、弥生の声が聞こえてベッドから起き上がった。姿は見えないが、頭の中に声が響いてくる。

「弥生か? ずいぶん、久しぶりだな」

『ごめん、ちょっと考え事してたの』

「……」

 今朝見た夢。炎に包まれたアパートの部屋で泣き叫ぶ弥生。それを必死に助けようとしたが出来なかった自分。

 あれはこれから起こることなのか、それとも過去にあったことなのか。俺の記憶にない光景だった。それでも、どこかで見たことがあるような気がする。頭の記憶にはないが、身体が覚えているような感覚に近かった。

「……」

 だめだ、何も思い出せない。やはり弥生に聞くのが一番かもしれない。だが、なぜだろう。聞いても、弥生は答えてくれない気がした。

『それで、おじさんはどうするの? あの刀を持った奴らと戦うの?』

 結局、俺は弥生に質問するタイミングを逃し、その代わりに彼女の質問に答えた。

「まだわからない。真相を知った俺をここにいる奴らが放っておくとは思えないし、仮に逃げ出しても今度はあの刀を持った連中に狙われるだろう」

 この前はただ運が良かった。弥生の声と八重坂たちの助けがなければ間違いなく殺されていた。左肩に傷を負っただけで生き延びたのは奇跡だった。

 今度、また奴らのような連中に襲われたら命はない。じいさんや潤一のようになぶり殺しにされるのは目に見えている。

 だが、このままでは……。

「潤一やじいさんだけじゃない。あの子も……八重坂もいつか殺される」

『誰か来る』

 弥生のその声を聞いて無意識に身構えた。廊下を歩く音が聞こえてくる。

 やがて、その足音がドアのそばで止まっま。

「……」

 息を潜めた。今の俺には携帯も銃もない。こんな状態で襲われたらひとたまりがないだろう。どうすれば……。

 そう思っている間にドアがゆっくりと開き始めた。だが、その向こう側にいた人物は俺が思っていたよりもずっと小さかった。大広間であった子供たちとそう変わらない。

「誰だ?」

 やがて、ドアが開いてそいつが姿を現した。

「おじさん」

「あ……」

 知っている顔だった。耳元で切り揃えられた丸っこい髪型の女の子。嵯峨山ラーメンの看板娘の……確か愛佳という名前の子だった。

 愛佳はピンクの水玉模様のパジャマを着ていて、右手に枕を抱えていた。どう見ても寝起きの格好だった。

「お前、嵯峨山ラーメンの……お嬢ちゃんか?」

「おじさん、トイレ行きたい」

「なに、トイレ?」

「おーい、愛佳。駄目じゃないか、勝手に入ったら」

 廊下のほうから今度は男の声が聞こえてきた。この声は……間違いない。あのラーメン屋の店長だ。思った通り、嵯峨山が廊下から現れた。

「よお、色々と災難だったみたいだなな、梨折」

「やっぱりお前、ラーメン屋の店長の嵯峨山。どうしてここにいるんだ?」

「なんだ、沢村からまだ聞いてなかったか? 俺もここで働いているガードマンだ」

「なんだと?」

 その言葉に驚いた俺は愛佳のほうを見た。八重坂や沢村の妹よりも幼い……中学に入ったかどうかわからないほどの年齢だった。

「お父さん、トイレ行きたい」

「わはははは、愛佳、まだ寝ぼけているのか。トイレはあっちだ、あっち」

 嵯峨山が愛佳を連れてそのまま部屋を出ようとする。

「ま、待て、嵯峨山!」

 思わず呼び止めると嵯峨山は俺のほうに振り向いた。笑っていた表情から笑みが消える。

「愛佳、一人で行けるか?」

「うん、大丈夫」

「よし、行ってこい。お父さんも後で行く」

 愛佳が頷いて部屋を出て行く。それを見送ってから嵯峨山が部屋にあった椅子に腰掛けた。

「さて、何か俺に聞きたいことがあるようだな」

「嵯峨山、あんたは――」

「愛佳のことか? 愛佳も八重坂や鶴香みたいに奴らと戦わせているのかって話か?」

 俺の言葉を遮って嵯峨山が言った。ほぼ正解だった。俺の聞きたいことをこの男はあっさりと見抜いたらしい。

「まあ、隠しても仕方がないな。そう、お前の思っている通り、あの子もガードレディだ」

「やっぱりそうか……」

「明日は久しぶりにあの子も出ることになっている。明日のことは希莉絵から聞いているだろ?」

「ああ……」

「悪いが、どうこう言うのはそれを見てからにしてくれないか? 言いたいことは八重坂にでも言ってくれ」

 言い終わると、嵯峨山は椅子から立ち上がった。

「待て、嵯峨山。あんたには俺の言いたいことがわかっているはずだ」

「ああ、わかっている。わかっているから、それを八重坂に言えといったのだ。愛佳も八重坂も立場が同じだ。だから、お前の考えていることはガードレディ全員に共通して言えることだ。違うか?」

「……」

「じゃあ、また明日な」

 嵯峨山はそう言って廊下のほうへ姿を消した。

 たぶん、あいつは俺みたいな奴に何度も会っているからわかるんだろう。誰だってこんなことを知れば一度は考える。

 まだまだ子供としか呼べない少女をどうしてこんな危険な戦いに使っているんだ?

 俺は嵯峨山や他の奴らにそう聞きたかった。


 11


「本当に希莉絵さんは秀平さんをガードマンにすると思う?」

 夜の寝室。私は相部屋のパートナーである鶴香にそう聞いた。

「んー、そうなるのが自然じゃない? どのみち潤一のお兄さんがダルレストに狙われるのは明らかだし」

 鶴香が隣のベッドの上でファッション雑誌を読みながら答えた。

「やっぱりそうだね……」

「気になるの? 梨折さんのこと」

「うん、あの人は……潤一のお兄さんだから。潤一のためにも私が守らないといけないから」

「そっか……それもそうね」

 鶴香がため息をついてファッション雑誌を閉じた。そのまま、横になって私のほうを見る。

「梨折さんはまだこの世界のことを理解していないわ。いつまで生き残るのか、いつ死んでしまうのか、何人の人間を殺すのか、何人の仲間が殺されるのか、そんなことが全く予想できない世界。それを見たら、あの人は多分あたしたちを助けようとするんじゃない?」

「うん、たぶんそうなると思う」

 私がそう答えると、鶴香はそれまで以上に厳しい口調で言った。

「でも、戦うのをやめるわけにはいかない。そうでしょ、真那? 真那、そしてシンナにはあいつらと戦う理由がある。ここにいるガードレディやガードマンはみんなそう。もちろん、あたしにも理由がある。だから、梨折さんに何と言われようともやめるつもりはないでしょ?」

「うん、もちろんだよ、鶴香。私とシンナはこれからもガードレディとしてあの人たちと戦うわ。最後まで……」

 私がそう答えると、鶴香は何処か安堵したように息をついた。

「安心したわ、真那。でーもねっ!」

 突然、鶴香が自分のベッドから私のほうのベッドに来た。

「戦うのはもちろん大事だけど、女の子なんだからおしゃれには気を使わないとだめよ。今度ピアスつけてみなよ。あと、髪形変えてみるとか。そうしたら、あたしなんかより学校でもっとモテるわよ、きっと」

「そんなことしてどうするのよ。鶴香だって男子にはもう人気だし、文仁のことが好きなんでしょ?」

「え……え、ええ!? きゅ、急に何言うのよ、真那!」

 鶴香の顔が急に赤くなった。

「あれそうじゃないの?」

「そ、そそそそそそんなことあるわけないじゃない! う、そういうわけで、ででででもないけど……」

 否定したいみたいだけど、明らかに動揺していた。 それは肯定しているのと同じじゃない。

「だって、文仁と話してる時、鶴香、呆れているようにしてるけど、実はちょっと嬉しそうにしてるよ」

「え……本当?」

「う、うん」

 もしかして、気づいてなかったのかな。

「う、そ、そんな……。隠しているつもりだったのに、真那にまでバレるなんて……。絶対、伊津美さんや愛佳にもバレてるわ……もしかしたら未国にも……」

「それどういう意味? まるで私が鈍いみたい」

「ご、ごめん、なんでもないから気にしないで」

 鶴香が自分のベッドのほうに戻っていった。

「でも、真那。文仁には言わないでね、あたしの気持ち」

「うん、それは言わないけど、どうして?」

「あたしには資格がないよ。あいつに告白するなんて……」

「鶴香……」

「もう時間も遅いし、寝よ。明日はまた仕事だし」

 鶴香が部屋の明かりを消して眠りに入った。

 彼女と文仁の間に何があったかは知らない。 口喧嘩はよくしてるけど、私から見れば二人はいつも仲が良かった。でも、さっきの鶴香の表情はとても暗く、悲しそうに見えた。

 もしかしたら鶴香にも私と同じような暗い過去があるのかもしれない。私の影になってくれているシンナのように。

 明日は秀平さんにその暗い世界の戦いを見せることになる。潤一にも言えなかった私たちの秘密。それを知ったら、あの人はどう思うだろう。


 12


 翌日の晩。左肩の傷の痛みはまだ続いていたかわ、腕を動かせるぐらいのことはできた。これなら銃を撃つこともできるだろう。もっとも、その銃が今の俺の手元にはないのだが。  

 この日、部屋にずっといるのも退屈だったので、俺は子供のいた施設と介護施設を歩き回っていた。

 施設内であれば、ある程度自由に行動しても構わないと沢村が言っていた。その証拠に探索している時、ここで働いている奴らと何度かすれ違ったが、何も言われなかった。

 というわけで何なく探索することができたが、その成果はこの施設の構造がわかったことぐらいで、あとは秋野や沢村の説明で聞いた内容がほとんどだった。

 唯一、気になった点をあげれば、子供の遊んでいたあの大広間にある扉だった。貝堂に聞いたところ、あそこは地下へ続く扉で、ガードマンやガードレディでないと通れないそうだ。

 あの地下に何があるのか、気になる気持ちはある。しかし、それだけでガードマンになるわけにはいかなかった。それを理由にすれば、あまりに単純でいい加減すぎる。もっとちゃんとした理由を考えるべきだ。

 そのためにも今晩行われるあいつらの『仕事』をこの目で見る必要があった。

「全てを決めるのはそれからか……」

「せんぱぁい、入っていいっすかあ?」

 ドア越しに沢村のふざけた声が聞こえてきた。根拠も何もないが、にやにや笑っているあいつの姿が思い浮かぶ。ドアを開けると、やはり笑っている沢村が立っていた。

「あれ? 俺の持ってきた私服着ていないじゃないですか」

「あんな派手な色の服、誰が着るか」

 今日の昼間、こいつは私服用だと言って俺に服を持ってきた。堅苦しいスーツをずっと着ていたからそれはありがたかったが、その服は紫と金色のラインの入ったティシャツに黄緑色のジーパンだった。完全に俺をバカにしていた。

「先輩が着ると絶対似合うと思ったんですけどねえ」

「そう思うのはお前だけだ。今度はもっとマシなやつを用意しろ」

「わかりました。残念、絵で描きたかったんですけど……」

 沢村が小声で呟いたが、しっかり聞こえていた。一発ぶん殴りたかったが、沢村の差し出した携帯と拳銃を目にした瞬間、その気持ちは消え失せた。

「そろそろ時間です。正面玄関のほうに行きましょうか」

「……わかった」

 差し出された携帯と拳銃を受け取り、俺はカッターシャツの上からスーツを着て沢村と部屋を出た。

 時間はさっき部屋で確認したところ、深夜の 0 時を過ぎたあたりだった。他の子供は寝ているのか、建物の中はかなり静かになっている。廊下の照明も一番小さいものになっていた。

 そのまま建物を出て、渡り廊下を歩き、最初に入った大広間を抜けて中庭に出た。

 夜空は雲が一つもなかった。星が輝いているのが見える。風も吹いていたため、結構涼しかった。

「ああ、忘れるところだった。先輩、とりあえずこれをつけてもらえませんか?」

 中庭の中央で沢村がスーツのポケットから何かを取り出した。

 絆創膏(ばんそうこう)だった。特別な形じゃない。薬局に行けば普通に並んでいるようなものだった。

「絆創膏? 肩の傷につけるには小さすぎるぞ」

「これは傷を治すためのものじゃありません。この絆創膏には特殊な IC チップが埋め込まれています。これをつけていれば、ダルレストのフィールド内でも仮眠せずに活動することができます」

「フィールド?」

「先輩、あの夜、襲われる直前にすごい眠気がきませんでしたか?」

 沢村にそう聞かれて思い出した。あの時、確かに今までにない眠気に襲われた。弥生に呼びかけられていなかったら、そのまま奴らに串刺しにされていたかもしれない。

「ああ、もうすぐ眠りそうになったな」

「それでどうして先輩が起きていられたのか、不思議なんですけどね……。フィールドというのは携帯や公衆電話、テレビなどの電波を使う通信媒体を利用して、ダルレストが流している特殊な電波です。そのフィールド内にいると、対象外の人間は仮眠状態に入ります」

「そのフィールドの中にいれば、目撃者を出さずに殺しが出来るってわけか」

「珍しく飲み込みが早いですね、先輩」

「珍しくは余計だ」

「はは、すいません。でもフィールドには欠点がいくつかありましてね、第一に『アサガオ』ではどこにフィールドが張られたのか、大まかに把握することができるんです。他の通信メディアと明らかに違う電波ですから、分析すれば容易にわかります」

 沢村が手にした絆創膏を差し出してきた。

「そして第二に、このフィールドの電波を遮断できるアイテムを俺たちは開発することに成功しました」

「それがその絆創膏か?」

「ええ、これがないと俺たちまで眠ってしまいますからね。そうなったら一巻の終わりです。念のため、先輩もこれを貼ってくれますか」

 俺は沢村の差し出した絆創膏を受け取った。どう見てもただの絆創膏だったが、とりあえずそれを首筋に貼った。

「まあ、この絆創膏にもデメリットはあります。フィールド内で動ける人間がいれば、奴らにも特定されますからね」

「なるほどな」

「いつまで話しているつもりだ?」

 突然の声に驚いて体がびくっとなった。介護施設の入口のそばで待っている少女がいる。 

ここで目を覚ました時の印象が強烈だったので、忘れることはない。未国という名前の子だった。

「そういえば、先輩にちゃんと紹介していませんでしたね。俺のガードレディの佐東(さとう) 未国(みくに)です」

「佐東? お前の妹じゃなかったのか?」

「いつ私がお前の妹になった?」

 俺が聞き返すと、佐東が沢村のほうを睨みつける。最初に会った時から思っていたが、この子は常に敵意を剥き出しにしているような気がした。

「他に未国との関係をごまかす手段がなかったんだ、勘弁してくれ」

「……」

「怒ってるか?」

「どうでもいい。早くしろ」

 佐東は一方的にそう言って、施設の中へ入っていった。

「やれやれ、あの調子だと眉間のしわが出来るのも時間の問題だな」

 後頭部を掻きながら沢村がため息をつく。どうやら彼女のことで色々世話を焼いているらしい。

「さ、行きましょうか、先輩。おそらく、みんな集まっていますよ」

 佐東に続いて俺と沢村も建物の中へ入る。内部には明かりがほとんどついていなかった。ここで生活しているじいさんやばあさんはさすがに寝ているようだ。

「愛佳ちゃん、もしかしたら俺は今回の仕事で死ぬかもしれない。だから、その前におまじないをかけてくれ」

「どうするの?」

「俺の頭を踏んでくれ。そして、ぐりぐりしてくれ。それだけで充分だ」

「嫌。病気が移る」

「さすが愛佳ちゃん。すぐに俺の願いを否定するそのクールさ、惚れるぜ」

「この馬鹿。愛佳に変なこと教えるな!」

「い、いてっ! 俺の頭を蹴るなよ、鶴香!」

「はっはっは、お前たちはこんな時でも仲が良いな。良い夫婦になるぞ!」

「馬鹿言うな、誰がこんな女と!」

「馬鹿言わないで、誰がこんなやつと!」

「はっはっは、息もぴったりだな!」

 施設の中を通り抜けると、正面玄関のほうで何やら賑やかな声が聞こえてきた。玄関のそばに停車してある大きな白いバン。おそらく十人くらいは乗れるだろう。そのバンの近くに学生服を着た坊主頭に近い髪の男と金髪の少女が言い争っていた。男は見覚えがなかったが、金髪の少女は男達に襲われたときに見た少女と同じ子だった。確か、鶴香と呼ばれていたか。

 そのそばにいる二人はすぐに誰なのかわかった。嵯峨山葉作とその娘の愛佳だ。

 そして、その四人から少し離れたところで立っている少女……こいつとはずいぶん久しぶりに会った気がした。

「八重坂……」

 向こうも俺のことに気付いたようだが、何も言わなかった。

「よし、全員揃っているな。先輩、もう顔見知りの人は何人かいると思いますが、とりあえず紹介していきますね。あの金髪の子が(たちばな) 鶴香(つるか)、そして坊主頭に近いバカが溝谷(みぞたに) 文仁(ふみひと)です」

「初めまして、橘 鶴香です」

「おい、沢村、バカは余計だろ、バカは!」

「二人とも潤一くんと同じ学校の生徒です」

 野球部にいそうな男のほうが騒いでいるのを無視して沢村が説明した。潤一がつるんでいたクラスメートは全員ここで働いていたということか。

「あの二人はもう知っていますね。嵯峨山葉作さんと愛佳ちゃんです」

 沢村の紹介を受けた二人が手を振る。あのラーメン屋の店長がガードマンで、愛佳がガードレディ……すなわち刀人というわけか。あの子が刀人なんてとても信じられなかった。

「そして、この子も知っていますよね。井出浦さんのガードレディだった八重坂真那です」

 そこでもう一度八重坂と目が合った。向こうも何か言いたそうにしていたが、今はお互いに黙っていた。

「おっちゃん、時間は?」

 沢村が嵯峨山に聞く。

「既に上野町(かみのちょう)大坂町(おおざかちょう)の二箇所で動きがある。数はおそらく三人ずつだ」

「よし、俺はおっちゃんと上野町に行く。八重坂と橘は大坂町に向かえ。途中で二手に別れる。先輩は八重坂たちについて行ってください。溝谷、説明を頼むぞ」

「了解、まかせろ!」

「よし、行くぞ」

 その場にいた全員が素早くバンの中に乗り込んでいく。俺も一歩遅れてその中に乗った。

 偶然か、必然か、俺は八重坂の隣の席に座った。

「秀平さん、無事で良かったです」

「……」

 八重坂がそこで初めて俺に話しかけたが、まだ返事をしなかった。

「出すぞ」

 運転席に座った嵯峨山がバンを発進させる。ライトのついたバンはものすごい速さで山道を降り始めた。

「お前、いつからこんなことしてるんだ?」

 視線を前に向けたまま、八重坂に聞いた。八重坂は答えるのに悩んだのか、少し間をあけて言った。

「小学五年生ぐらいからです」

「ということは俺がお前と会う前からか。潤一は何も知らなかったみたいだな」

「潤一を守れなかったのは私のせいです……」

 八重坂が顔を下に向ける。どうやら、こいつはこいつで潤一を死なせたことに責任を感じているみたいだ。

「お前だけのせいじゃない。あいつを死なせたのは俺の責任でもある」

「怒らないんですか、私のことを?」

「今さらお前を責めてどうなる? それよりも俺はお前があいつらと戦っていることに文句がある」

「……」

「こんな危ないことをしてどうする? お前みたいな子供が自分から命を捨てるような真似をして死んだ潤一が喜ぶと思うか?」

「私はやめるつもりはありません。秀平さんに何と言われようとも」

 今まで聞いた中でその言葉はとても強く聞こえた。秋野とかいう女がいっていたように八重坂にも戦う理由があるのか。

「私は秀平さんを必ず守ります」

「潤一のためか?」

「いけませんか?」

 真那が強い眼差しを向けてくる。やはり女に真っ正面から見られるのはどうも苦手だった。無意識に目をそらしてしまう。

 いつの間にか、車は山道を抜けて住宅街を走っていた。まだ明かりがついている民家が見えて、何台かの車とすれ違ったところから考えると、目的地に到着していないようだ。

「潤一のためにお前が戦う必要はないだろ? どうしてそこまでやるんだ?」

「他にも理由があります」

「なんだ?」

「それは――」

「そろそろフィールドに入る。未国、愛佳ちゃん、橘は EC 剤を打て。五分後に第一目標に到着する」

 八重坂が何かを言いかけたが、沢村の言葉を聞いて話すのをやめた。前の座席に座っていた橘が学生服の胸ポケットから注射器のようなものを取り出した。愛佳や佐東も似たような注射器を持っている。

「何をするつもりだ?」

Emotional(エモーショナル) Control(コントロール)。通称EC 剤って呼んでいる感情抑制剤を打つんだよ、梨折のおっさん」

 橘の隣の席に座っていた男――溝谷が言った。

「鶴香たち刀人は怒りや悲しみみたいな特定の感情で目覚めた能力者だけど、能力を発動しているとその感情に支配されてしまうんだ。そうなったら戦いの時に色々と不利になる。だがら、この EC 剤で事前にその感情を抑制しておくんだよ」

 溝谷が説明している間に橘たちが注射器の針を首筋に刺した。薬品のような匂いが車内に広がる。

「八重坂は使わないのか?」

「そいつには必要ないよ。なぜならこいつは――」

「あたしがいるからな」

 いつの間にか、八重坂は手首に巻いていた青い紐で髪を一つに束ねていた。そしてにやりと笑いながら俺の方を見ていた。

「あんたと話すのは三度目だったな、おっさん」

 八重坂の口調が明らかに変わった。雰囲気からして別人だった。

「お前、誰だ?」

「ああ、そういえばまだ自己紹介してなかったな。あたしはシンナだ。とりあえず真那とは別の人間だと思ってくれていいぜ」

「どういうことだ?」

 そう聞くと、前の座席の溝谷が説明した。

「真那は刀人の能力を使うときはシンナっていう別の人格になるんだ。最近は剣道してる時や普段の生活でも変わる時があるから不安定みたいだけどな」

「不安定は余計だろ、文仁。ちゃんと真那の了解得て交代してるんだぜ」

「そうだったか?」

「ったく、何度も言ってるだろ、このバカ。お前の脳みそ小さいんじゃねえのか?」

「なんだと、てめえ!」

「ちょっとやめなさいよ、二人とも!」

 喧嘩しそうになったシンナと溝谷を橘が止めた。

「任務中ぐらいおとなしくして」

「けっ!」

 溝谷が舌打ちして前の方に向いた。

「へっ、単細胞め」

 シンナも悪口を言いながら、胸ポケットからガムを取り出した。

「そうそう、おっさん。あんたにいっておきたいことがある」

「なんだ?」

 シンナがガムを噛みながら俺のほうを見た。その目は死んだ魚のように光がなかった。

「さっきおっさんが真那に言っていたことはあたしも聞いてたけどな、あたしたちがどんな生活をしてきたのか、知りもしねえくせに戦うのをやめろだの、お前がこんなことする必要ないだの、正義の味方気取ってごたごた言うのはやめろ。あたしは相手の気持ちを考えずに人助けして善人ぶっている奴は大嫌いなんだ」

「……」

「ま、おっさんは真那の惚れてた男の兄貴だからよ、あんたのためにくそ野郎を殺すぐらいのことはしてやるよ」

「よし、第一目標に到着したぞ」

 運転していた嵯峨山がそう言って、バンを道路脇に止めた。いつの間にか、周囲の住宅の明かりが全くついていなかった。車や人の通りもなくなっている。

 ここがフィールドの中ということなのか……。

「俺たちはここで降りる。溝谷、運転を頼むぞ」

「了解」

 沢村が溝谷に指示を出す。このメンバーのリーダー的立場にいるのはどうやらこいつらしい。

「じゃあ、梨折先輩。色々と思うことはあるかもしれませんが、俺たちの仕事を見てください。その上で考えてみてください。今後のあなたの取るべき選択について」

「沢村、俺は――」

「行くぞ、未国」

「わかっている、いちいち言うな」

 沢村は俺の言葉を遮って佐東にそう言って、バンから降りていく。佐東、それに続いて嵯峨山と愛佳も素早くバンから降りた。

「愛佳……未国、気をつけなさいよ」

 橘がそう言うと、愛佳は親指を上に立てて頷いたが、佐東は睨みつけていた。

「お前もいちいち言わなくていい。自分のことだけ心配していろ」

「あ、あんたねえ、人がせっかく心配して言ってるのに、何なのよ、その態度!」

「お前の心配なんて迷惑だ」

「未国、あんた!」

「やめろ、二人とも。今は任務中だぞ!」

 今にも喧嘩を始めそうだった橘と佐東を沢村が止めた。

「言い争いも喧嘩もあとにしろ。ほら、未国、さっさと行くぞ」

「ふん!」

 佐東がそのまま路地の通りを歩いていく。沢村や嵯峨山たちがそのあとに続いていた。

「はは、相変わらずツンデレだな。まさか三次元で会えると思ってなかったぜ」

 溝谷が笑いながら運転席のほうに移動した。

「あんたは筋金入りのバカよ」

「そう俺はただのバカ……ってそりゃあどういうことだよ、鶴香!」

「あーあ、もうわかったからさっさと運転しろ、バカ文仁」

 シンナがシートにもたれながら言った。

「う、うっせえ、お前らなんか、お前らなんか……ネット掲示板に晒してやるからな!」

 二人に罵倒された溝谷は涙目になりながらバンを発進させた。

「……」

 とても今から人を殺しに行く連中の会話とは思えなかった。学校に通っている高校生と何ら変わりない。どう見ても、こいつらは俺より一回り若いガキだった。

 こいつらのことを何も知らないから、そう思うのか、俺は……。

 まだ何もしていないのにひどく疲れた気がした。


 13


 沢村たちを降ろしてから数分後に溝谷の運転する車が止まった。あいかわず外は真っ暗で、 明かりのついている民家は一つもなかった。

「鶴香、相手の位置は?」

「五ブロック先の家よ。もうすぐ始めるつもりみたい」

「わかるのか?」

「おっさん、あたしたちにはね、わかるんだよ。奴らの持つ刀、そしてじじいやばばあを斬った時に浴びた血。あたしたちはそういった匂いに嗅ぎ慣れているのさ」

 隣にいる八重坂……いや、今はシンナか。シンナがにやりと笑いながらバンのドアに手をかけた。

「まだあいつらは気づいていねえ。さっさと済ませるぜ」

「おい、シンナ」

 無意識のうちに、俺はシンナに呼びかけていた。何を言うのか全く考えていなかったが、こいつを呼び止めないといけないと思った。 だが、シンナはこちらに振り向くと、手にした何かを突き出してきた。

 いつの間に、そんな物を出していたのか、わからない。こいつが持っていたのは初めて会った時に見たあの刀だった。

「おっさん、よく見ておくんだな。これがあたしたちの生きる世界だ。あんたの知っているお日様の下の世界とは違うぜ。この世界に踏み込むことがどういう意味なのか、よく考えるんだな」

 シンナが突き出した刀をひいて、バンを降りて行った。

「潤一のお兄さん……梨折秀平さんだったわね」

 反対側のドアから降りようとしていた橘が俺に話しかけてきた。

「潤一を死なせてしまった責任はあたしたちにもあるわ。あなたも責任を感じているのかもしれないけど、だからと言ってあたしたちの仲間になる必要はないし、この戦いに関わる必要もないわ。個人的には秀平さんの力を貸してもらいたいとは思っているけど、全て梨折さんの意思で決めて」

 言い終わると橘がバンから降りる。その手には柄のついた剣がある。こいつもシンナと同じ刀人みたいだ。

「さあて、俺たちも行くか」

 溝谷がポケットから拳銃を取り出してバンから降りていく。さっきまでの学生の雰囲気が三人から全く消えていた。もうこいつらは普通の人間じゃなかった。

 溝谷に続いて車から降りる。自然と俺は内ポケットに入れていた銃を取り出していた。

 空気が重い。仕事柄、深夜に外を歩いたことは数え切れないほどあるが、明らかに今までとは違った。 あたりを見ると既に橘とシンナの姿はどこにもない。

「鶴香、奴らはいるのか?」

 前を歩く溝谷がスマフォを耳にあてて話しかけている。そこから橘らしき声が聞こえてきた。

「四人……か。沢村の言っていた人数と違うな。わかった、出てきたやつは俺が片付ける」

 スマフォを離して、溝谷が俺のほうを見た。

「連中はもうターゲットの家の中へ入ろうとしている。この町の中で結構な豪邸らしいから、鶴香とシンナは二手に別れて奴らを仕留める。俺は二人が取りこぼしたやつの掃除で、おっさんはその保険って感じだな」

「お前は行かないのか?」

 そう聞くと、溝谷はぽかんとした表情をした。そのあとに大きくため息をつく。

「俺や沢村は鶴香たちのような刀人じゃない。ただの人間だ。特別な訓練を受けているから格闘と銃の扱いには慣れているけどな。基本的に後方支援がメインなんだよ」

「また背も伸びきっていないガキが銃を使うのか?」

「何言ってるんだよ、おっさん? 俺は二次元をこよなく愛するごく普通の男子高校生だぜ。ガキの頃からあの施設で育ったっていうのは普通じゃないけどな」

 そう言いながら、溝谷が腰に差していた銃を取り出し、それをじっと見つめた。

「俺にはもうこの道しかなかった。他のやつだってそうだ。みんな似たような境遇と辛い過去がある。あんたにもあるだろ。俺たちよりはマシだと思うけどな」

「……」

「ま、潤一が死んぢまったのは、俺とあんたに共通して辛い過去だと言えるな」

 溝谷がふっと笑って、歩いていく。そのあとを付いていきながら、俺はこいつの背中を見つめた。

 シンナも橘も、そしてこいつも……俺から見ればただの高校生の子供だ。俺より一回り若いやつらだ。

 それなのに、どいつもこいつも何かを悟ったように話してくる。俺よりもはるかに早く自分の生きている世界を理解しているように。

『あたしたちがどんな生活をしてきたのか、知りもしねえくせに正義の味方ごっこをするのはやめろ』

 さっきシンナが言っていたことはこういうことなのか。俺はこいつらのことをわかっているようで何もわかっていない。何も知らずに死んだ潤一と同じだ。

 俺は本当にこいつらの世界のいてもいいのか……。

 その時、溝谷の持っていたスマフォから雑音が入った。

「始まったみたいだ。行くぞ、おっさん!」

 溝谷が住宅路を走り出す。俺もその後に続いた。少し走ると、前方に他の家より一回り大きな屋敷のような家が見えてきた。

 シンナは俺に自分たちの世界のことをわかっていないと言った。

 じゃあ、教えてくれ。どうして、お前はこんな世界で戦っているんだ?


 14


 数分前。

 バンから降りた私 (今はシンナと意識を交代しているけど) は黙ってシンナの様子を見ていた。シンナは左手に持った刀を下に向けたまま、前方にある大きな屋敷に歩いていく。

 相手の人数は四人と聞いている。鶴香が反対側から侵入し、私たちは正面から入るつもりだった。あの人たちがフィールドを張ってから約十分。あと数分もすれば、対象のおじいさんとおばあさんは消されるだろう。

『シンナ、あまり時間がないよ』

 心の中からシンナに呼びかける。

「わかってるよ。今、あいつらの位置を探してる。へへ、 鶴姉(つるねえ)と半分ずつってことは、二対一か。ますます 楽しみだ。この前、殺した奴よりも手応えがあればいいけどな」

 シンナは笑いながら地面を蹴って、宙へ大きく跳び、屋敷の周囲を覆っている瓦の壁に着地した。刀を肩に斜めに背負って、辺りを見回す。正面の入口のそばに停めてあった黒いバン。間違いなく、あの人たちのものだった。もうこの敷地内にいるはずだ。

「いるな……気配がする。これから人を殺そうとしてる奴らの気配だ。自分たちが殺されると全く思ってねえだろうな」

『シンナ、私……』

「おっさんのことを今は話さないでくれ、真那。集中が切れる」

 シンナに念を押されて何も言えなかった。言葉にしなくても、シンナにはわかっているんだ。私の悩みや考えていることが……。

 不器用だけど、私のことを気遣ってくれて、私の代わりに戦ってくれている。 

 本当に頼りになる大切なもうひとりの私。今の私にとって一番信じることができる人だった。

「やるぜ、真那」

『うん』

 シンナが意識を集中するのがわかる。この状態のシンナにはもう話しかけることはできない。ただ、彼女のことを見守るしかなかった。

 屋敷を覆う何本もの木々。その間を歩く二つの人影。顔はわからないけど、持っている刀が微かに月の光に反射して見えた。でも、シンナは私よりもっと早くそれを見つけていたのだろう。

 シンナが音もなく、瓦の壁から木の上へ飛び移り、その二つの影に近づいていく。

 頭上にたどり着いてもその二人は全く気づいていなかった。二人とも男の人だった。屋敷に向かって歩いている。何人もの人を殺してきた目をしていた。

「へへ……」

 けど、シンナは違った。普段よりむしろ生き生きとしている。剣道をしている時もそうだけど、その時よりも段違いに目が輝いていた。

「不意打ち上等!」

 叫んだのと同時に木の上から地面に着地する。男たちがシンナに気付いたけど、その時にはもうシンナが刀を横に振っていた。

 片方の男性が防ぐ間もなく、喉のあたりを斬られて倒れていった。

「ガードレディか!」

 もうひとりの男がそう叫んで斬りかかってくる。シンナはそれを刀で受け止めた。

「ご名答。喜べ、今夜は特別だ。じじいやばばあの悲鳴じゃなくて、てめえ自身の泣き叫ぶ声が聞けるからな」

「お前が仲間を……ふざけるな、このアマ!」

 男が刀を振り下ろしてきたけど、シンナの挑発に乗せられたせいで勢いしかなかった。シンナはそれを難なく避けて、横なぎに刀を振り、男の脇腹を切り裂いた。

「うぐっ……お、お前!」

 男が脇腹を押さえて両膝を地面につけ、シンナを睨みつけてきた。けど、シンナは全く動じなかった。むしろ、笑いながら男のことを見下ろしている。

「てめえ、さっき俺の仲間を……みたいなこと抜かしてたな。悪いことを何もしていない善人さまを何人もぶっ殺してきた奴が言うセリフか、ああ?」

 シンナがしゃがみこんで、男を見つめる。その表情から笑顔がふっと消えた。

「てめえらはこの世界じゃ、ろくでもねえ野郎だ。ろくでもない奴はさっさとくたばるのが性に合ってるんだよ」

「お前も……同類だろ!」

「同類? 笑わせてくれるな、てめえ。あたしはてめえらみたいに殺すか殺されるか、それだけを考えて生きているバカじゃねえよ。あたしらは目的を持って戦っている。てめえには絶対に理解できないけどな」

 シンナが持っていた刀を上に向ける。

「んじゃ、あばよ。あの世でエンマ様にでも懺悔しとけ」

 躊躇うことなく、刀を男に振り下ろす。男は大量の血を出しながら地面に倒れた。

 その返り血を全身に浴びてしまったけど、シンナはやはり動揺しなかった。

「あたしは許さねえよ……てめえらのことは絶対にな」

 独り言のように呟いたけど、そこにどんな思いが込められているのか、シンナの片割れである私にはよくわかる。シンナの怒りが、憎しみが、悲しみが……。

『シンナ、無事? 聞こえたら、返事して』

 携帯から鶴香の声が聞こえてくる。何か慌てているように聞こえる。

「どうした、鶴姉?」

『一人逃がしたわ。文仁と秀平さんのほうへ向かってる』

「まじか。鶴姉、気づかれたのかよ」

『ごめん。もうひとりは倒したんだけど』

「了解、すぐ行く」

 携帯を閉じて、シンナが舌打ちする。

「敵は一人だが、バカとおっさんだと少し不安だな。急ぐぜ」

 シンナは地面を蹴って、屋敷の外へ向かった。


 15


『気をつけて。一人、そっちに行くわよ!』

 橘からその通信を聞いて、数秒も経たなかった。前方の屋敷を覆う壁の向こうから刀を持った男が飛び出してくるのが見えた。

「まずい、おっさん、離れろ!」

 溝谷が叫んで拳銃を取り出す。仕事で何度も使っている俺よりもその動作は遥かに早かった。すぐに男に向かって発砲する。だが、男はその銃弾を刀で弾き飛ばした。あの時の奴らと同じだ。やはりこいつらは人間じゃない……。

 銃弾を弾いた男が溝谷に向かっていく。いつの間にか、溝谷は片手に黒い棒状の物を持っていた。見たことがある。防犯用に使われているスタンバトンと呼ばれる電気の流れる警棒だった。

 男が刀を振り下ろしてきたが、溝谷はそれをスタンバトンで受け止めた。

 その瞬間、男が声を殺した悲鳴をあげる。溝谷の持っていた警棒の電流が流れてきたのだろう。だが、男はそれに怯まず、溝谷の腹を蹴り飛ばした。

「ぐわっ!」

 溝谷がコンクリートの壁に激突する。まずい、あのままだと男の刀で串刺しにされる。下がれと言われたが、黙って見ているわけにいかなかった。

 手にした拳銃で男に発砲する。当然のように刀で弾かれたが、それで良かった。男の意識を溝谷から俺に向けさせることが狙いだった。

 男が刀を振りかざして向かってくる。

 どこを狙う? 

 銃弾は刀で弾かれるし、溝谷のように警棒なんか持っていないぞ。

『左足……左足を狙って!』

 突然、聞こえてきた弥生の声にしたがって俺は男の左足に銃を発砲した。また銃弾ではじかれると思ったが、男が刀で防ぐのが遅れて、銃弾が足をかすめた。片膝をつけて立ち止まる。

 あたった?

 まさか命中すると思っていなかったので、一瞬、思考が停止した。

『おじさん、来るわ!』

 また、弥生の声が響いて意識が戻る。男が目の前まで近づいて刀を振り下ろしてくる。

 その一撃を避けるのがせいいっぱいで次の攻撃を見ることが出来なかった。左側から刀の光がうつる。次の瞬間、耳元で風を切るような音が聞こえてきた。反射的に後ろに下がる。

 体に痛みはない。奴の攻撃を何とか避け切ったと思った。だが、視界が急に赤くなる。

「くっ……」

 額から血がぼたぼたと落ちていく。致命傷は避けたが、刀で額を斬られたらしい。あとから痛みが続いた。

「くそ……」

 額を手で押さえて前を見ると、男が刀を構えて近づいてくるのがわかった。だが、流れ出る血が目に染みてよく見えなかった。もう片方の手で拳銃を握っているが、狙いを定めることができない。

『また正面からくるわ。後ろに避けて!』

 弥生の声がはっきりと聞こえる。言われるがまま、さらに後ろへ下がった。男の持った刀が道路にあたる音が聞こえてくる。

『さっきと同じ。左から横に振ってくる。しゃがんで!』

「くっ!」

 額から手を離した。血のせいでほとんど見えなかったが、その場にしゃがみこんだ。その直後に頭上から風を切る音が聞こえる。

『おじさんの目の前にいる。撃って!』

 もうほぼ見えない状態だった。だが、弥生の言うとおり、目の前に銃口を向けて引き金を引いた。

 男が悲鳴をあげるのが聞こえる。わずかに見えたところから、今の銃弾が男の肩に命中したらしい。だが、まだ殺してはいない。次の一撃が来る。

「くっ……」

 頭ではそうわかっていても、もう体がいうことを聞かなかった。額から流れ出た血が多かったらしい。体のバランスが崩れて壁にあたった。

『おじさん、だめ! また、来るわ!』

 弥生の悲鳴に似た声が聞こえる。俺にはもうその声を聞くことしか出来なかった。

 すまん、弥生……。

 どうして、お前がそんな必死になって俺を助けようとするのか、気になっていたが、どうやらここまでらしい。

 すまない……。

「へ、もう諦めるのかよ、おっさん。ここまでしぶとく粘ったのによぉ」

 その声とほぼ同時に何かを蹴るような音が聞こえてきた。何とか力を出して血を拭い、ぼやけた視界で前を見る。

 襲ってきた男が近くの壁に倒れ込んでいる。そして、道路の中央で全身が血まみれのシンナが立っていた。

 その姿になってもシンナは笑いながら俺のほうを見ていた。

「おっさん、よく見とけ。これがあたしたちの生きる世界だ」

 シンナが視線を俺から男のほうへ移し、左手に持った刀を振り上げる。何をするのかわかってはいたが、俺はそれを見ることしか出来なかった。

 こいつは……いつからこんなイカれたやつになってしまったんだ。

 次の瞬間、シンナは男に向かって刀を振り下ろした。


 16


 その建物は一見すると大きな病院のように思えた。しかし、正面玄関から人が出入りすることはほとんどない。また、四方を頑丈な壁で覆っているため、外部の人間が入ることは不可能に近かった。

 ある意味で要塞。別の意味で刑務所のような場所。公には高齢者保護法に基づいた介護施設『アフターケア』と呼ばれているこの建物が関東には東京、埼玉。近畿には京都と大阪などの発達した都市部に建てられいる。この施設こそ高齢者保護法の対象者を保護し、その命が尽きるまでの衣食住を提供する場所、ということになっている。

 そのアフターケアと呼ばれる建物の地下深くにある大きな広い部屋。天井が高く、部屋のあちこちに刃物で斬ったような傷痕が無数に残っている部屋があった。

「はぁ、はぁ……へへ、足りない、足りないな……」

 その部屋の中央に一人の男が立っていた。尖った茶髪、耳や唇にピアスをつけたその男はまだ大学生ぐらいの若者だった。

 男は足元をじっと見続けながら、荒くなった息を落ち着かせていた。床には男を覆うように赤い円のラインが描かれている。よく見ると、それは天井から落ちてくる赤い血で出来たものだった。

 その男の天井には刀を持った何人かの人間が吊るされたまま死んでいた。どれも無残に切り刻まれ、全身からおびただしい量の血を流していた。

「ここにいたか」

 その部屋にある唯一のドアが開いてスーツを着た男が姿を現した。

「はぁ、はぁ……あれ、浜家さんじゃないですか。珍しいですね、ここに来るなんて。くくく」

 男が笑いながら浜家のほうを見る。部屋中から血の匂いが漂っていても浜家の表情は全く変わらなかった。

「明日、お前をここから出す。ガードレディがまた動き出した」

 伝えるべきことを簡潔に説明し、浜家が後ろを振り向く。

「準備をしておけ、椚木(くぬぎ)


 17


 窓から差し込む太陽の光が眩しくて目を開けた。 真っ白な天井。そばにかけられたスーツ、そして自分の眠っているベッド。 アサガオの本部に戻ってきたとわかるのにはあまり時間がかからなかった。

「う……」

 上半身を起こすと額に痛みがはしる。 いつの間にか頭には包帯が巻かれていた。左肩の傷の痛みがマシになってきたところだったのに、まだ別の傷がついてしまった。

 この数日で苦手な女にはたくさん会うし、傷を負うし、ここまでくるともう運が悪いと思うしかなかった。

 ドアをノックした音が聞こえてきたのは、気がついてから十分ぐらい経ったあとだった。

「あいてるぞ、沢村か?」

 そう聞くと、ドアが開く。入ってきた人物は俺の予想していなかった人物だった。沢村ではなく、ぬいぐるみを集めているここの理事長だった。

「よく眠れましたか、梨折さん?」

「眠れたかどうかは知らんが、だいぶ寝てたみたいだな」

「ええ、丸二日」

「そうか……」

 秋野はベッドのそばにあった椅子に座った。

「額の傷は手当しました。しばらくすれば治るでしょう」

「これくらいの傷で済んだのは奇跡だな……」

 俺がそう呟いても秋野は何も言わなかった。言葉のキャッチボールの順番だと次はこの女に何かを言ってほしかったが、少しの間、沈黙が続いた。

 この女がわざわざ俺のところに訪ねてきた理由は一つしかない。今ここで決断しろってことか。 そう思った俺は秋野のほうを見た。

「あいつらはこんな危険な戦いを何度もしてきたんだな……」

「あなたの答えは出ましたか?」

 やはり聞きたかったのはそれか。この世界で戦うか、目を背けて逃げるのか。 この女はそれを聞きたいのだろう。

「そうだな……」

 俺は左肩の傷痕、そのあとに包帯の巻かれた頭を手でおさえた。

『あたしらの世界を知りもしないで善人ぶるのはやめろ』

 もう一度、八重坂、いやシンナの声が頭の中に響いた。

 ああ、充分わかったさ……。

 心の中でそう呟いて頭から手を離した。再び秋野のほうを見る。

「やってやるよ、そのガードマンって仕事」

「それがどういう意味かわかっていますか?」

「どのみちお前たちは俺をこのまま解放するつもりはないだろ? ここから出ても、俺はもう元の生活には戻れない。奴らに狙われて、殺されるのが落ちだ。それなら死んだ井出浦さんや潤一のためにも、あいつの……八重坂のことは放っておくわけにはいかない」

「ありがとうございます、梨折さん」

「勘違いするな。お前のことを信じきったわけじゃない」

「ええ、それで構いませんよ」

 秋野はそれまで厳しい顔つきをしていたが、俺の答えを聞くと笑顔になった。

「とても大変な仕事になると思います」

「もう散々な目にあっている。今さら大変もくそもない」

 不思議と笑いが出てきた。

 なぜかはわからない。けど、何となく俺の中で何かが吹っ切れた気がした。

「改めてようこそ、『アサガオ』へ、梨折秀平。そして歓迎します、新たなガードマンとして」

 この日、俺は八重坂たちの生きる世界へ本格的に足を踏み入れた。


 第三話 太陽と影 終


 次回へ続く


キャラ紹介


八重坂(やえさか) 真那(まな)

潤一(じゅんいち)の幼馴染の少女。控えめで大人しい性格。


・シンナ

真那のもう一つの人格。真那と正反対に男勝りで乱暴な性格。しかし、真那のことは大切に思っている。ガードレディの中でもトップクラスの戦闘能力を持つ。


字倉(あざくら) 花麗(かれい)

ダルレストに所属している刀人。大人びた雰囲気と抜群のスタイルを持つ。仕事の時は伊月と共に行動している。


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