第二話 刀を持つ少女
第二話 刀を持つ少女
1
辺りがすっかり暗くなってから、それまで激しく降っていた雨は嘘のように小雨になっていた。
このぐらいならもう傘をささなくてもいいかな。
そう思って手にした傘を閉じて、道路脇の壁にもたれた。
「よし、ゆっくり運べ」
「わかった、ああ、わかってる」
そばから二人の男の声が聞こえてくる。最近、この地域の担当を始めた日高、尾上という男たちだった。あまり交流もなかったので、話しかけることもなく、じっと二人の様子を見ていた。
二人は灰色のシーツに覆われた遺体を、道路脇に停めてあるバンに運び込もうとしている。赤い血に染まったそのシーツを見ていると、また罪悪感がこみ上げてきた。
あの遺体はこれまで僕が始末してきたおじいさんやおばあさんじゃない。本当のことを知ってしまったせいで殺されたあの少年だった。
「ごめんね」
小さな声でもう一度謝る。せめて、自分たちの手で殺した相手には敬意を払うのが義務だと考えていた。でも、他の仲間は何もせず、遺体をただの物のように扱っている者が多い。相変わらず不快な気分を味あわせてくれる。
「伊月、これはお前の獲物だろ。創路に回収を頼んだからサインしてくれ」
日高に呼ばれて、僕はもたれていた壁から離れて白いバンのほうにむかった。
バンの近くにいた日高が「ほら、ここに書け」と言って、下敷きに挟まった白い紙とボールペンを渡してくる。それを受け取って内容を確認する。
その紙には遺体回収のリストが記載されていた。ここ数週間で僕たちが始末した遺体の数はこのリストを見ればすぐにわかる。上から隙間なくそれぞれ遺体の特徴がびっしりと書かれていたけど、もうほとんど覚えがなかった。
一番下に新しく記載された「男子高校生、十七歳」の隣の枠に自分の名前を書いて日高に返した。
「まだ高校生だね。僕たちとそんなに年も変わらないのに」
「フィールド内で自由に動けたんだ。誰かに喋らせたらまずかっただろ。ちゃんと状況判断をしてやったことだ」
日高が差し出したリストを手に取った。
「公には行方不明という形を取る。創路に回収させれば見つかることもないだろう」
「ふぅん、あの子に身内はいたの?」
「兄がいるようだが、関東住まいだ。真実を知ることはないだろう」
「そっか……」
あの子の兄さん……弟がどう死んだのかわからないままなんだ。
これまでに何度も思ったことだった。対象の人を始末しても、真実が明るみに出ることはない。家族には失踪したか、瓦礫病で亡くなったか、そう伝えられる。周りの人たちもそれで納得がいくだろう。今の時代、近所付き合いなんて全くないし、隣人が誰なのか知らない人だって大勢いる。だからこそ、僕たちはこうして仕事をこなすことができた。
その時、道路の奥から別の車が来るのが見えた。遺体をバンの中に入れていた尾上が身構えたけど、日高が手を挙げて止めた。
真っ黒なリムジン。それを見れば、誰が乗っているのかすぐにわかった。
リムジンがバンの近くに停車し、後部座席のドアが開いて男が降りてくる。長身で短く刈込んだ髪、彫りの深い顔つきをしたその男はいつもスーツを着ていた。
浜家と呼ばれているこの男について、僕が知っていることはほとんどない。あるとすれば、みんなに指示を出すリーダーみたいな人だってことぐらいだ。
「早かったですね、浜家さん」
日高が浜家に声をかける。浜家は何も言わずにバンに乗せられた遺体のほうに歩いた。
血に染まったそのシーツの遺体を見ても、浜家は表情一つ変えなかった。悲しみはおろか、哀れみも何もない。この男はいつも無表情だった。
「フィールド内で動いていたというのは本当か?」
浜家の感情のない声が響く。自分に聞いているとわかった日高が姿勢を正して答えた。
「はい、記憶消去の処理も行いましたが、我々のことに気付いたようです」
「『ガードマン』の疑いは?」
「ありません。戦い方が素人でした」
「それにしては少し手こずったようだな。とどめを刺したのは伊月か。フィールドの許可は出したが、時間がまだ早い。今後は注意しろ」
浜家の鋭い指摘を受けて日高が黙り込む。日高の表情と遺体を一目見ただけで、そこまで分析したらしい。あまり見ていないようで、僕たちのことをしっかり見ているのが、とても気味が悪かった。
「まあいい、遺体は創路に回収させろ。万が一、この遺体がガードマンなら、『ガードレディ』がこの町に潜伏している可能性がある。お前たちは引き続き作業にあたれ」
浜家の指示に日高と尾上が揃ってお辞儀をする。それをまた無視して、浜家が僕のほうを見た。
「伊月」
「なんですか?」
「この傷にはためらいがある。今回は許すが、次からは本気で殺せ。情けをかければ失敗につながる」
「はい、わかっていますよ」
いちいち殺し方について指摘してくる。感情を押し殺して仕事をするなんてただの機械と変わりない。浜家が僕たちを道具のようにしか見ていないのが不満だった。
「撤収しろ」
指示を受けた日高と尾上がバンのほうに戻っていく、浜家もリムジンに乗ってそのまま走り去っていった。
空を見上げた。いつの間にか雨がやんで、星が輝く夜空が広がり始めていた。
人を殺すためだけに使われる存在……。
それだけが僕たちの生きる意味なのかな。
「伊月、早く乗れ!」
日高の声が聞こえ、僕は「はーい」と返事をしてバンに乗り込んだ。
2
時々、同じ夢を見る。
『ごめんなさい……』
明かりがついていない真っ暗な部屋。その隅に座り込んだ少女。長い髪のせいで表情は見えないが、おそらく泣いているのだろう。
「どうして謝る? 謝るのは俺のほうだろ」
ひたすら謝るその子に俺はいつもこう言う。なぜ、こんなことを言うのか、俺自身よくわからなかった。
『私ね、この部屋で死んだの。それで良かったのに……それなのに……』
「それなのに……何だ?」
『それなのにね……私――』
その子が何か言いかける。でも、俺はその言葉を最後まで聞くことができない。この夢はいつもそこで終わるからだ。
その子が俺に何を言いたかったのか、わからない。
わからないが、一つだけわかっていることがある。
俺はこの子とどこかで会ったことがある。そんな気がした。
3
『ちょっと秀平、聞いてるの!?』
耳元で大きな声が聞こえ、びくっと体が動いて、目を覚ました。どうやら携帯を持ちながら、うたた寝をしていたらしい。
「ああ、聞いてるよ。そんな大声出すな」
『大声出させてるのは秀平でしょ! あたしの話、聞いてたの!?』
「すまん、何だった?」
『急に地元に帰るっていうから、どうしたのかって聞いてるのよ! 心配するじゃない!』
「だから、そんなに大声出すなって。今、電車に乗ってるんだぞ」
携帯に小声で囁きながら周りを見回す。座席に座っていた何人かがこっちを見ていた。
『電車か、あたしの話、どっちが大事なのよ! はっきり言いなさい!』
「わ、悪い、もう駅につく。切るぞ、由美」
『ちょっと秀平! 最後まで話を――』
由美が何か言いかけたが、かまわず電話を切って、携帯の電源も落とした。
「はあ……」
目が疲れてきて手で押さえる。
女は苦手なんだ。思った以上に繊細だし、つい口にした言葉で傷つくときもあれば、ああやって怒鳴り始める時もある。
何をすれば喜ぶのか、何をすれば怒ってしまうのか、何をすれば泣いてしまうのか……。わかるやつがいるならぜひ教えてもらいたかった。
「あいつとよりを戻すなんて、無理に決まってるだろ、潤一……」
そう呟いて、窓際の座席から外を眺める。近鉄山田線の電車の窓から三重県松阪の町並みが見えてきた。
「夏にこの町に戻ってくるとはな……」
いつもなら懐かしい余韻に浸るところだが、今は決してそんな気分にはなれなかった。
数年に一度の年末年始以外、この町に戻ることはほとんどない。皆無と言ってもいいだろう。
それでも俺――梨折 秀平がこの夏に戻ってきたのには理由がある。俺はどうしてもこの町に戻らなければいけなかった。
4
2064年七月上旬。東京都 某所。
あれは一週間前のことだった。
町の路地裏に『STACHE』という店がある。あまり人気はないが、五十年以上続いている老舗の喫茶店だった。
店内に他のやつはいない。店長らしき初老の男がカウンターでグラスを磨いているだけで、客はテーブル席に座っている俺だけだった。
注文したコーヒーを少し飲んだあと、手にした新聞を広げる。
『先日、高齢者保護法による介護制度が新たな地方で実施されることになった。対象地域は中部地方の富山県、新潟県、近畿地方の和歌山県、奈良県、三重県の五つとなっている。高齢者の在宅する家庭には、随時担当の者が訪問する予定となっている』
新聞のトップ記事に記されている内容だった。高齢者保護法。昔はあまり興味がなかったが、最近、この制度が推進されるようになったことは知っていた。
エイジスキャンで高齢者と判定された人間を都市部にある巨大な施設に預けるこの制度。制定された当時、この制度に対する賛否両論はなかなか激しかった。残り少ない人生を家族と過ごしたいと願うやつは多いし、その一方で介護の負担や年金問題などの残酷な現実もある。仕方なしにこの制度を利用するやつも少なくない。
そういえば、じいさんもそんな年齢だったな。また、潤一のところに電話をしてやらないと。
その時、店の扉が開く音とエイジスキャンの電子音が聞こえてきた。見ると、井出浦さんが店内に入ってきた。新人の頃から色々と世話になっている俺の上司だった。
井出浦さんは店内を見回し、すぐ俺に気付いた。
「おう、悪い悪い、またせたな、梨折」
「井出浦さんから俺を呼ぶなんて、珍しいですね」
「うむ、どうしてもお前さんには伝えないといけなくてな」
井出浦さんはなぜか厳しい顔つきで対面の席に座った。
「ご注文は何になさいます?」
「コーヒーでいい。砂糖は多めに入れてくれ」
注文を聞いてきた店長にそう言うと、井出浦さんは胸ポケットから煙草を取り出した。
「井手浦さん……」
自然と声が低くなった。井出浦さんは「あ、すまん、すまん」と言って煙草をポケットに戻す。左のこめかみの辺りにある火傷の痕。ガキの頃に煙草で出来た傷だった。俺にとって煙草はトラウマでしかない。見るだけで気分が悪くなる。
「お前さんが煙草嫌いだったことをうっかり忘れてたよ」
「すいません。それより、どうしても伝えないといけないことって何ですか?」
「ああ、そうだな……」
井出浦さんが席を座り直して大きく息をつく。そもそも、井出浦さんが休日に俺を呼び出すことなんて滅多にない。仕事帰りに飲みに行くことはよくあったが、今回は何か重要な話に違いないと思っていた。にもかかわらず、次に井手浦さんの言ったことは俺の予想の範囲外だった。
「単刀直入に言おう。梨折、お前の弟とじいさんが行方不明になった」
「え?」
一瞬、井出浦さんの言っている意味がわからなかった。頭の中が真っ白になる。
「ど、どうゆうことですか?」
数秒後にようやく思考が元に戻ったが、動揺して言葉が詰まってしまった。
「お待たせしました」
店長がコーヒーをテーブルに置いたが、井出浦さんはそれを手に取らずに表情をかたくしている。
「お前は高齢者保護法のことを信じているか?」
「いえ、そんなことよりも――」
「必要なことなんだ」
井出浦さんの顔つきは真剣そのものだった。潤一たちのことを知りたかったが、とりあえず頭の隅においやった。
「あまり興味がなかったので、詳しいことはわかりませんが……。正直に言えば、本当にこの制度が実施されているのか疑問です。全国の高齢者を都市部にしかない施設に押し込むなんて、容易なこととは思えません」
「そうか……お前もそう思うか」
「どうゆうことですか?」
そこで初めて井出浦さんがコーヒーを手にとって口につけた。一息入れてコーヒーをテーブルに置く。
「これは俺の信頼できる奴から得た情報だが、今、近畿地方を中心にじいさんやばあさんが次々に失踪しているらしい」
「失踪? どうしてですか?」
「残念だが、原因はわかっていない。だが、相当な人数が行方不明になっているのは間違いないようだ」
「……」
正直、突拍子もない話で半信半疑だった。だが、井出浦さんが冗談を言っている素振りはない。この話をしてからずっと真剣な表情のままだ。それだけで信じられる気がした。
「この失踪は世間には全く報道されていない。巧みな情報操作で隠蔽されているんだ。もし、この事実を知っていることがバレたら、危険な目にあうかもしれない。事実、俺はもう監視されている可能性がある」
「なぜですか? どうして、井出浦さんが!?」
「世の中には知ってはいけないこともあるってことだ。恐らく、俺の命はもう残り少ないだろう。その前に梨折、お前にはこの事実を伝えなければいけないと思ったんだ」
井出浦さんがまた、ため息をついてコーヒーを口につけた。
「考えてみろ。大都会であるこの東京でじいさん、ばあさんと呼べる人間を見たことがあるか? 誰もいないだろ。それなのに、他の奴らはみんな知らんぷりだ。自分には無関係だと思っている。今度は自分の身内が同じ目にあうかもしれないのにな」
「それは……」
否定しようとしたが出来なかった。井出浦さんの言うとおり、都市部の高齢者の割合はほんの数%に過ぎない。しかし、誰もその理由を調べようとしないし、知らなくてもいいと思っている。よく考えればおかしいことだと気付くのに、誰も気付こうとしていないのだ。
「梨折、三重県に戻って真相を探ってこい。これは俺からの最初で最後の任務だ。向こうには情報をくれた男を待たせている。お前の捜査に協力してくれるはずだ」
「井出浦さんは……どうするんですか?」
「俺のことは気にするな、心配しなくていい」
ここで初めて井出浦さんが笑顔になったが、俺は胸の中にある不安を取り除けなかった。
事実、この日を最後に井出浦さんとは連絡を取っていない。携帯にいくらかけても音信不通で職場にも来なくなったからだ。
あの人はすでに覚悟していたのかもしれない。
それから数日後、俺は地元の三重県松阪の町へむかった。
5
2064年七月中旬。三重県松阪市。
電車を降りて松阪駅の改札を抜ける。
「暑いな……」
朝方にもかかわらず、真夏の日差しは想像以上に暑かった。外に出てそんなに経っていないのに、汗が流れ始める。
格好を気にして我慢していた自分が馬鹿らしく思い、俺はスーツの上着を脱いで手に持った。
周りを見回してみたが、駅の周辺にはたくさんのタクシーが停まっているだけで、誰かが迎えに来ているような感じはしなかった。井出浦さんから事前に教えられた日時に到着したが、俺に協力してくれる男がどんなやつなのか、聞いていなかったため探しようもない。
そもそも、向こうは俺のことを知っているのか。
「良いですねえ、その不安気な表情。とても絵になる」
そう思って佇んでいると、どこからか声が聞こえてきた。
声の聞こえたほうに目を向けると、改札のそばのベンチに一人の男が座っていた。短い焦げ茶色の髪、両耳につけたピアス。俺より一回り若いが、服装は同じスーツだった。
何よりも目についたのは男の持っている鉛筆とノートだった。どうやら今まで絵を描いていたらしい。
どうしてこんな暑い中、この男がスーツで絵を描いているのか、意味がわからなかった。
「時間通りに到着。真面目な人だと聞いていましたが、そのとおりみたいですね」
「そういうお前は?」
そう聞くと、男はノートを閉じてベンチから立ち上がった。
「沢村 愛太郎です。はじめまして、梨折先輩」
「愛太郎?」
聞きなれない名前だったので、思わず聞き返した。
「変な名前だと思いましたか? でも、それは偏見ですよ。この名前のおかげで学生の頃のあだなは『ラブ』になりまして、結構モテましたから」
「お前も刑事なのか?」
「不釣り合いですか? まあ、無理もないですね。こんなやる気のなさそうな男が先輩と同じ仕事をしているなんて。でも、俺は正真正銘本物の刑事ですよ。井出浦さんにあなたの弟と祖父の失踪の件を伝えたのも俺です」
「……」
井手浦さんの名前を知っているから、協力者というのはこいつのことだろう。だが、俺はこの男を信じていいのか……。
「そんな堅い顔をしないでくださいよ。先輩の捜査には協力させて頂きます。まあ、気楽にやりましょう」
「捜査を気楽にやってどうする? 重大な事件なんだぞ」
「はは、すいません、すいません。とりあえず、俺の車に乗りましょう」
沢村が近くに停めてあった車に向かう。自然と視線がこいつの持つノートにむかった。
「あ、これですか? 小さい頃から絵を描くのが好きなんです。暇なときはいつも描いていますよ。ネットでも公開してるので、アクセス権を持っているならぜひ見てくださいよ」
「気が向いたらな」
適当にそう答えたが、潤一とじいさんが行方不明だと聞かされた今の状況では、しばらくそんな気分になれないと思った。
車のそばにつくと、沢村は運転席ではなく、なぜか後部座席のドアを開けた。
「ん、どうして――」
「お待たせ。もういいよ、未国」
俺が聞く前に車の中から誰かが降りてくる。一瞬、男に見えたが、それは少女だった。耳が隠れるくらいのショートヘアー。前髪の右のあたりにオレンジ色の髪留めをしている。その少女は学校の制服を着ていたが、どこの制服なのかはわからなかった。
「迎えに行くのはいつも通りでいい?」
沢村がそう聞くと、少女がにらみつけてくる。
「知っているなら聞くな」
無愛想な声だった。少女はそれだけ言うと、足早に松阪駅の改札のほうに去っていった。
「あの子は?」
「ああ、すいません。妹の未国です。朝はいつもこうして駅まで送り届けているんです。普段より少し早く来たんで車の中で待たせていたんですけど、かなり機嫌が悪くなったみたいですね」
沢村は苦笑しながら、今度こそ助手席のドアのほうを開いた。
「では、行きましょうか、梨折先輩」
6
松阪駅から住宅街に向かって車が走る間、俺はずっと外の町を眺めていた。以前、来た頃とほとんど変わっていない町の風景。夏のせいで暑いということはあるが……。
「東京での暮らしは快適ですか、先輩?」
沢村がハンドルを操作しながら聞いてきた。
「苦労はしていない。それよりさっきから先輩っていうのは何だ?」
「だって俺より年上じゃないですか。それに数々の難事件を解決しているベテラン刑事と聞いています。とても尊敬していますよ」
本心で言っているのか、わからなかった。
「井出浦さんとどういう関係なんだ?」
「昔、あの人としばらく二人で仕事していたんです。その時に色々とお世話になりまして、今回の失踪事件についても井出浦さんから頼まれて調べていたんですよ」
「その失踪事件だが、どうしてわかったんだ? 情報は隠蔽されていたんだろ」
一番気になっていたことを聞くと、沢村はまた笑みを浮かべた。何がおかしいのか、よくわからん。
「まあ、色々とコネがありましてね。詳しいことはお話できませんが、事件の概要を説明しますと、始まりは約一ヶ月前です。最初の犠牲となったのは六十代のおじいさん。次に起こったのはそれから数日後、今度の犠牲者は七十代のおばあさんです。それから一定の期間毎にこの事件が始まっています」
「被害者は全員、高齢者というのは間違いないのか?」
「ええ、それともう一つ大事な共通点があります」
「共通点? 何だ、それは?」
聞き返すと、沢村はそれまで笑っていた顔から打って変わって真剣な表情になった。
「この事件が発生したことを被害者の関係者は知っています。これは当然なんですけど、不思議なことに、どの関係者も警察の説明を受けて不満や文句一つ言っていないんですよ」
「ん、どういうことだ? 身内のやつらは被害者がただ行方不明になったって聞いただけで納得してるのか? おかしいだろ、それは」
「ええ、非常におかしいことです。あと、これは井手浦さんから聞いていないと思いますが、彼らは全員失踪しているわけではありません。そのうちの何人かは瓦礫病で亡くなっています」
「瓦礫病で?」
「医師の死亡診断書がありますし、ちゃんと死亡届も提出されていますよ」
「……」
俺の経験上、事件の概要を聞けば、色々なことがわかる。どんな事件なのか、被害者は誰なのか、いつ、どこで起こったのか。それらのことを知った上で事件を捜査するのが基本だからだ。だが、今回は違う。概要を聞いても、わかるどころか、ますます謎が深まるだけだった。
「被害者は行方不明か、瓦礫病で死んでいるっていうことか」
「もう一つ謎があります」
「なんだ?」
「この一連の事件は総合して十数件に及んでいますが、事件の目撃者は一人もいません」
「本当なのか?」
俺はほぼ反射的に聞き返していた。沢村が無言で頷く。予想以上の数に驚く。松阪市全体の数から見ればそれほど多い数ではないが、その全員が失踪しているか瓦礫病で死んでいるとなると大事件だった。にもかかわらず、関係者は警察の説明を受けて納得し、目撃者も一人もいない。
おかしい。やはり、この事件には何かがある。
「とりあえず先輩の自宅に向かいますよ」
「ああ、念のため付近の奴らに聞き込みもしておきたい」
「さすが刑事の鏡ですね」
こうして俺は沢村と自宅に向かった。
7
松阪駅から車で約二十分ほどで俺の自宅に着いた。
車から降りると、蒸し暑さはさらに激しくなっていた。汗をいくらふいても、どんどん流れ落ちていく。周りの木々で鳴いている蝉もかなりうるさかった。
真夏にこの家に戻ってくるのは何年ぶりになるだろう。ただでさえ、数年に一度の年末にしか帰っていなかったから、イメージがほとんど湧かなかった。
「潤一くんと昭雄さんが失踪した原因は、これまでの事件同様に判明していません。数日経っても、潤一くんが学校に来ないことを不審に思ったクラスメートが警察に連絡し、捜査したところ家はもぬけの殻。その後、付近の捜索や聞き込みが行われましたが、有益な情報が得られないまま捜査は打ち切り。テレビでも報道されていませんし、新聞にも載っていません」
隣にいた沢村の説明を聞きつつ、家の中に入った。
玄関。ここに入るといつも見る光景がある。リビングでテレビを見ながら無愛想に「元気にしてたか?」と聞いてくるじいさん。普段から厳しかったが、何かと自分のことを心配してくれた。一人で東京に行くことを許してくれて、そのあとは潤一の面倒をちゃんと見てくれていた。
そして、奥の部屋から「おかえり、兄さん」と言って迎えに来てくれる潤一。十歳ぐらい離れた弟だったけど、元気な奴だった。親父もおふくろも、ばあさんが死んだあとも落ち込むことはなかった。電話をかければ、いつも元気な声で話をしてくれた。
その二人がいるはずのこの家に、今は誰もいない。
大切なものは失って、初めてその価値を知る。昔から知っていた言葉だが、今の俺はそれをとても強く感じていた。
「先輩、大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ」
「話の続きをしますよ」
沢村が手にしたメモ帳を見ながら説明する。
「潤一くんは松阪高校に通っていたので、外出はよくしていますが、昭雄さんは滅多に外出することがなかったそうです」
「個人的に二人が失踪した場所はここだと思うんですけど」と言って沢村が靴を脱いで家にあがり、リビングのほうを見た。
「リビングには争った形跡や血痕はひとつも見つかりませんでした」
沢村に続いて家にあがり、リビングを見る。テレビもテーブルも、本が置かれた棚も全て元の場所にあって、前に来た時と何一つ変わったところはなかった。
「俺から見れば、この家からお二人だけが消えたように思えますね」
「人が消えるなんてあるはずないだろ。そんなのは映画や小説の世界の話だ」
視線をリビングから別の場所へ移す。その先にあるものに目が止まった。
黒い電話機。潤一がいつも電話に出る時に使っていた物だった。
「沢村、電話の発信履歴を調べられるか?」
「ああ、それなら既に調べていますよ」
沢村が胸ポケットから青いスマートフォンを取り出した。アクセス権を持っている証拠だった。
「最後の発信履歴は……六月○日の夜の七時ぐらいですね。この番号は……携帯かな?」
「ちょっと見せてくれ」
「ええ、どうぞ」
沢村の差し出したスマートフォンを手にとって画面を見る。最新の発信履歴の電話番号が誰のものかすぐにわかった。言うまでもない、その番号は普段俺が使っている携帯のものだったからだ。
「あいつ、最後は俺にかけたのか……」
「日付はちょうど潤一くんや昭雄さんの失踪した頃ですね。もしかしたら潤一くんは失踪する直前、先輩に何かを伝えたかったのかもしれません」
「潤一……」
電話がかかっていた日は別の事件の捜査で躍起になっていた時だった。忙しかったせいで、ほとんど携帯を見た覚えがない。
もしあの時、俺が潤一のことを少しでも気にかけていれば、あいつを助けることが出来たかもしれない。
定期的に電話するのではなく、たまには月に二、三度かけてもよかった。
そうしていれば、あいつを……。
「……」
考えるだけ無駄だ。全ては過ぎてしまった。今の俺に出来ることはこの事件の真相を突き止めることだけだ。そのために次にやるべきことは……。
「沢村、付近の住民に聞き込みがしたい」
「え、聞き込みですか? 目撃者は誰もいないですよ」
「念のためだ」
俺はいったん自宅を出て、隣の家に向かった。
昔は知らないが、今は近所付き合いなんて言葉がほとんど使われていない時代だ。みんな、隣のやつが誰かなんて知らないし、知ろうともしていないだろう。
だが、日本に住んでいるやつが全員それに当てはまるとは限らない。
隣の家の呼び鈴を鳴らす。一、二分待つと、学生の頃に世話になった角川のばあさんが顔を出した。
「ばあさん、久しぶりだな。俺のこと覚えてるか?」
「あれ、もしかして、昭雄さんのところの……秀ちゃんじゃない!」
ばあさんの表情が一気に明るくなる。俺への呼び方は昔から変わっていなかった。
「なんだ、戻ってきたなら言ってくれれば良かったのに」
「ちょっと仕事で戻ってきたんだよ。聞きたいことがあるんだけど、いいか?」
「ええ、いいけど、そちらの人は……?」
ばあさんが俺の隣に立つ沢村のほうを見た。
「初めまして、梨折さんの後輩の沢村と言います」
沢村が礼儀よくお辞儀する。さっきの事件の説明と言い、やるべきことはきちんとしているやつだった。根はかなり真面目なのかもしれない。
「あら、後輩が出来るなんて、秀ちゃんも大きくなったわねえ」
「もう三十手前のおっさんにそんなこと言っても嬉しくないぞ。それより質問に答えてくれ。潤一とじいさんが失踪したことは知ってるか?」
そう聞くと、それまで笑顔だったばあさんの表情が、一気に暗くなるのがわかった。無理もない。ばあさんとじいさんはずいぶん前から仲が良かったからな。
「ええ……初めて聞いた時は驚いたわ。何の前触れもなく突然だったから。潤ちゃんと昭雄さん、とても仲が良かったじゃない。最近、平田さんも瓦礫病で亡くなったって聞いたし、物騒になったわねえ。この町からどんどん人がいなくなっているみたいで、次は自分だと思うと怖いわ」
「そうだろうな……」
やはり沢村の話していた通りだった。被害者のうち、瓦礫病で亡くなった人間もいるらしい。
「でも、不思議よね。私、平田さんが亡くなる直前に何度か会っていたけど、とても元気だったのよ。それが突然瓦礫病だなんて言うから、驚いたわ」
「元気そうだった? それ、本当なのか?」
「ええ、平田さんだけじゃないわよ。玉井さんや松永さんのところも瓦礫病で亡くなったって聞いたけど、とても信じられないわ」
隣に立つ沢村と目を合わせる。沢村も違和感をおぼえたようだ。
ばあさんがこの辺りの人たちと仲良くしているのはガキの頃から知っている。他の人達の状況を一番よく知っているのは、間違いなくばあさんだった。
健康で何も異常のなかった人間が突然瓦礫病になる。そんなことが有り得るのか。
瓦礫病は最近流行している病気で、感情の一部が欠落して起こる病だと聞いている。個人差はあるが、その兆候が出るのは数日から一週間前ぐらいだ。
瓦礫病で死んだと決め付けるには少々無理があるように思えた。
「ばあさん、平田さんたちが瓦礫病で亡くなったのなら、どこかの病院に運ばれただろ?」
「たぶん、松阪総合病院だと思うわよ。このあたりで大きな病院と言えば、そこだから」
「わかった。助かったよ。また、来る」
ばあさんにそう言って家の外に出る。沢村も黙ってあとについてきた。
「先輩も何か違和感がありましたか?」
「その聞き方だと、お前もか。瓦礫病で死んだ高齢者のことだろ」
「ええ、僕の調べた情報だと、警察は確かに瓦礫病で死んだとしていますよ」
「とにかく、この辺りの聞き込みを終えたら、松阪総合病院だな」
『誰かいる……』
今後の捜査の方針を決めた直後、頭の中で声が響いた。聞いたことがある。夢の中で泣いている少女。それと同じ声だった。
「なんだ……」
どうして、あの子の声が聞こえる?
俺は無意識のうちに体を動かしていた。
「あ、先輩、どうかしたんですか!」
沢村の声が聞こえたが、構わず住宅路を走った。視線を感じて、その方向を見る。
少し離れた四つ角の道路の対面。そこに立つ一人の少女が俺を見ていた。
長いストレートの髪に端正な顔立ちをした子だった。その子の着ている学生服に今度は見覚えがあった。潤一の通っていた松阪高校の女子生徒の制服だ。
だが、覚えがあったのはそれだけじゃない。
「あの子は確か、潤一と一緒にいた……」
そう言いかけたところで、少女の前を一台のトラックが通った。
「八重坂……真那か?」
そのトラックが通り過ぎた時にはその子の姿はどこにもなかった。
8
夜になった。あの後、俺は自分の家をあとにして、沢村と共に他の被害者たちの家を訪れ、聞き込みを行った。
その結果も含めて今までのことを整理してみる。
一つ目、被害者は全員行方不明ということではなく、瓦礫病で死んだ人間も含まれているということ。沢村から事前に聞いていたことだが、瓦礫病で亡くなったのなら必ずその被害者は病院に運ばれているはずだ。明日は松阪の病院をあたることにする。
二つ目、この事件は全て夜か深夜に行われていると俺は推測している。目撃者が誰もいないという謎を解決するには、一緒に住んでいた家族が眠っている夜しかないからだ。
三つ目、もし犯人がいるのなら、少なくとも単独犯じゃない。十数件の事件をこんな短期間でひとりで行うなんて困難だ。犯人は複数ということになる。
四つ目、警察はこの一連の事件の捜査を充分に行っていない傾向がある。その理由はわからないままだが、警察はこの事件をあまり公にはしたくないようだ。
五つ目、これは俺自身のことだが……井出浦さんからこの事件の捜査を頼まれてから夢の中の少女はしきりに俺に話しかけるようになった。何か理由があるのか。
以上が俺のわかったことだが、この事件を解決するのはそう簡単ではないだろう。わかったことと同時に、新たに浮かんだ謎も多かった。
どの現場も争った形跡どころか、血痕の一つも見つからない。なぜ?
被害者を失踪させたり、瓦礫病として死んだことにしている。どうやって?
じいさんやばあさんばかりを狙った犯行。犯人の目的は何だ?
この事件に潤一が巻き込まれた。どうしてだ?
「くそ……」
考えれば考えるほどわからないことだらけだった。事件のことも、夢に出てくるあの子のことも……。
「そんなに考えても答えは出てきませんよ、先輩」
阪内川沿いの河川敷の道で、前を歩く沢村が言った。
「でも、収穫はあったんじゃないですか。瓦礫病で死んだことになっている人たちのこと」
「ああ、その線で調べる必要があるな。松阪総合病院なら何か手がかりがあるかもしれない」
「そうですね。ところで、今日は朝からずっと歩きっぱなしでしたし、どうです? 息抜きにご飯でも食べませんか? この近くにうまいラーメン屋台があるんですよ」
「そうだな……」
「確かこの辺りに……ああ、ありました。あれです、あれ」
そういって沢村が指さした先を見る。河川沿いにひとつの屋台があった。『嵯峨山ラーメン』と書かれた旗や提灯がある。今の時代で屋台があるのは珍しかった。少なくとも都市部では見かけない。
「嵯峨山のおっちゃん、二人分空いてる?」
「おう、愛太郎か。空いてるぞ!」
沢村が垂れ幕をめくってそう言うと、店内から男の大きな声が聞こえてきた。
中に入ると、大柄の男がラーメンのスープを大きな鍋で煮ていた。ほぼ丸坊主に近く、頭に白いタオルを巻き、黒いTシャツを着たその姿はまさにラーメン屋の店長という感じだった。
「じゃあ、二人分、頼むよ」
「おう!」
沢村と共に席に着く。屋台なので席はそれほど広くない。六人ぐらい座れる長椅子が置かれているだけだ。
「おじさん」
不意にそばから声が聞こえて少し驚いた。見ると、小学生くらいの少女が目の前にいた。 耳元で切り揃えられた丸っこい髪形……ボブカットというやつか。どこかの迷子かと一瞬、思ったが、格好は店長とほぼ同じだった。
「上着、預かります」
「あ、ああ、ありがとう」
こんな幼い少女でもやはり俺は苦手らしい。変に言葉を詰まらせながら、持っていた上着を渡した。
「愛佳ちゃん、久しぶり。俺のもいい?」
「ん」
隣に座った沢村がそう言うと、愛佳と呼ばれた少女は黙って手を差し出した。
沢村は笑って着ていた上着をその子に渡した。
「ああ、梨折先輩、紹介するのを忘れていました。この人は俺の馴染みの方でこの嵯峨山ラーメンの店長でもある嵯峨山葉作さんです。近所の人からは『嵯峨山のおっちゃん』で呼ばれています」
「嵯峨山だ、よろしくな、兄ちゃん!」
嵯峨山と呼ばれた男がまたはっきりとした声で言った。
「で、この子がおっちゃんの一人娘の愛佳ちゃん」
「愛佳です、はじめまして、おじさん」
少女が俺と沢村の上着を持ちながらお辞儀した。沢村がその頭に手を乗せる。
「可愛い子でしょう? 嵯峨山ラーメンの看板娘ですよ。この子のおかげで人気なんですから」
「おい、沢村。俺の作ったラーメンも美味いから人気なんだぞ」
「もちろん、それもあるよ、おっちゃん」
沢村が笑いながら、少女の頭を撫でた。少女は何も言わずにじっとしている。
「ほら、出来たぞ!」
そう言って嵯峨山がどんぶり鉢に入ったラーメンを二つテーブルに置いた。食欲をそそる良い匂いがする。熱々のとんこつラーメンだった。
「さ、食べましょ、先輩。とても美味しいですよ」
「ああ」
そばにあった割り箸を取って、ラーメン食べようとした。
ふと昼間の捜査で見かけた少女……八重坂のことが頭に浮かんで手が止まった。彼女は明らかに俺を見ていた。それに平日なら学校に通っているはずだ。どうしてあんなところにいたんだ。
あの子はいったい……。
「……」
また考え込む自分がいる。今日の俺はいったいどうしたんだろう。
沢村の妹、潤一の幼馴染の八重坂、嵯峨山ラーメンの看板娘、そして夢の中の少女。今日一日でこれだけの少女に会うなんて滅多にないが、気分が高揚するわけじゃなかった。この事件がなければ、潤一との電話のネタになったかもしれない。
今日はもう考えるのはやめよう。疲れるだけだ。
そう思って俺は嵯峨山ラーメンの美味さを堪能して、その日を終えた。
9
耳元で悲痛な叫び声があがる。目をそらしたけど、その声は嫌でも聞こえてきた。
日高に斬られた女の人が血を噴き出しながら部屋の畳に倒れこむ。どうして、自分が殺されなければいけないのか、わからないままこの人は殺された。
「時刻は午前三時十五分だ。予定通りだ、予定通り」
そばにいた尾上が腕時計で時間を確認する。いつも無表情で感情がわからなかった。この数週間、行動を共にしていたが、泣いたり笑ったりしているところを見た記憶はない。浜家に似ている男だった。
「はあ、はあ……全く、このばばあ、大声で叫びやがって。フィールドを張っていなかったら絶対ばれてたぞ」
血のついた刀を払う日高。尾上と正反対に思ったことをすぐに口にして、感情的になる男だった。優秀なのは認めるけど、冷静さがないのは欠点だった。
「もう終わったかしら?」
隣の部屋から声が聞こえてきた。日高や尾上よりずっと前から一緒に仕事をしていたので、誰なのかすぐにわかった。
「花麗、早かったね」
部屋に入ってきたのは字倉 花麗だった。所属する組織の中では珍しい女性の構成員だった。黒髪を団子状に束ね、前髪は頬のあたりで綺麗に切り揃えられている。袖なしの黒いティシャツに青いジーパンの格好はいつもと変わらなかった。
「はいこれ、買ってきたわよ」
花麗がコンビニ袋を差し出す。それを受け取ってみるとチーズケーキ味のランニングバーが何本も入っていた。
「ありがとう、気が利くね」
「あなたが買ってきてって言ったじゃない」
呆れる花麗に笑ってアイスバーを一本取って、紙を破って口にくわえる。最近、発売されたこの味がとても好きだった。
「字倉、俺の分はねえのかよ」
顔についた返り血をタオルで拭きながら、日高が言った。
「あら、甘いもの好きなんて男じゃないって言っていなかったかしら、日高?」
「好きだとは言ってねえ。だが、全く食べないわけじゃねえよ」
「残念ね、あなたの分はないわ。尾上の分と一緒に自分で買ってきなさい」
「この格好で行けるわけないだろ」
舌打ちして日高が刀を消して部屋を出る。すれ違った時に睨まれたが、笑って対応した。
「ところで、次の仕事はどうなってる?」
「浜家のおじさんから連絡があったわ」
花麗のその一言で日高と尾上の動きが止まる。自然とアイスバーを食べるのをやめた。
「最近、この地域で高齢者の失踪を調べている人がいるらしいの。素性はまだわかっていないけど、写真があるわ」
花麗がポケットから何枚かの写真を取り出して日高に渡した。
「調べてるやつ? こいつ、警察が誰かか?」
「警察がこの事実を知っているはずがない、ないはずだ」
日高が差し出した写真を受け取り、それまで黙っていた尾上が初めて口を開いた。
「誰でもいい。警察だろうが、何だろうが、やることは変わらねえよ」
「あともう一つ報告があるわよ。Cグループが全員殺された」
「何?」
日高が驚いて花麗のほうを見る。Cグループは確か三人で行動しているチームだった。それが倒されたということは……。
「傷は刀で斬られたものだったらしいわ。間違いなく、向こうも私たちに感づいている」
「『ガードレディ』か。俺たちの邪魔ばかりしやがって」
「写真の人と何か関係があるかもしれないわ。今度の仕事はその人を調べて、拘束もしくは排除ってところね」
「殺すに決まってるだろ。ここ一ヶ月はこの地域を中心に仕事をしていたんだ。そいつが俺たちのことを調べているなら、必ず来るはずだ。字倉、お前は伊月と調べろ。俺は尾上と行動する。二手に別れたほうが効率が良い」
「大丈夫? ガードレディも私たちに気づいている可能性があるわよ」
花麗がそう言うと、日高は「ふん」と鼻を鳴らした。
「女の刀人にやられてたまるか、返り討ちにしてやる。行くぞ、尾上」
「わかった、わかってる」
日高と尾上が家の外へ出て行った。あの二人は彼女たちのことを甘く見ている。僕たちに性別なんて関係ないのに……。
「花麗、僕にもその写真見せてくれない?」
「伊月」
「ん、どうしたの?」
二人がいなくなったのを確認して、花麗は日高たちに渡したのと同じ写真を差し出してきた
「この人が誰か、あなたは知っているんじゃないの?」
写真を手にとって写っている人物を見る。
「あ……」
思わず声が出る。
そうか、あの人がこの町に……。
「そういうことだったんだ。たぶん、彼がいなくなったのを聞きつけて……」
「どうするの?」
「日高たちに任せるよ」
写真を花麗に返すと、彼女の表情が曇った。
「いいの? だって彼は……」
「大丈夫だよ」
深く考えなかったけど、なぜかそう言い切ることができた。
「あの人もきっと『声』が聞こえているはずだから。そう簡単には死なないよ」
10
俺はその日もあの夢を見ていた。
明かりのついていない薄暗い部屋。その隅で泣きじゃくる少女。ただ、ひたすら何かに対して謝る姿を見ていると、こっちも辛くなる。
いったいこの子は何をしてしまったんだ。
そして俺は……。
いくら考えても思い出すことが出来なかった。
「お前の名前は?」
何の前触れもなく、いつもの夢が変わった。今までの自分はそんなことを聞いたことがなかった。
そこで少女が初めて顔をあげる。長い髪のあいだから見える瞳には涙が溢れ出ていた。「弥生……私の名前……弥生……」
「弥生?」
そう聞き返したが、弥生は何も言わずにまた泣き始めた。ただひたすら泣く弥生の姿を見ていると、視界がまた暗くなっていった。
11
部屋に呼び鈴の音が鳴り響く。その音で俺は目を覚ました。
今までと違った内容の夢だった。それが何を意味しているのか、考えてみたがよくわからなかった。
「弥生……」
記憶にない名前だと俺自身は思っている。だが、何故だ。本当にそうなのか、断言できない。頭の中で何かが引っかかっている感じがした。
「ふう……」
息をついて周りを見回すと、部屋には自分の寝ていた布団以外、ちゃぶ台が置かれているだけで何もなかった。今の時代では珍しい古びた畳の和室。沢村が用意したアパートの一室だった。
いくら極秘の捜査とはいえ、俺の部屋まで用意しているなんて予想していなかった。
井手浦さんが自分の死を悟っていたことや、沢村がこの失踪事件を事細かに知っている理由も気になっていたが、今はあまり考えないようにしていた。
呼び鈴が鳴り続けていたので、体を起こした。そのまま部屋のドアに向かう。
「誰だ?」
「沢村です。よく眠れましたかあ、先輩?」
ドアを開けなくても何となく沢村がにやついているような気がした。そして、ドアを開けると、やはりにやついていた沢村が立っていた。
「何で笑ってるんだ、お前」
「いえ、起きたばかりの先輩がどんな格好なのか楽しみだったもので……。意外と普通でしたね」
袖なしの白いTシャツに半ズボン。沢村にとってこの格好は普通らしい。俺自身も別に変だとは思っていない。
「そんなことはどうでもいい。まだ六時だろ。いくらなんでも早すぎるんじゃないのか」
すると、沢村は笑うのをやめて真剣な表情になった。
「新たな犠牲者が出ました。先輩の家の隣に住んでいたあのおばさんです」
「……」
一瞬言葉が出なかった。
「既に警察が失踪扱いにしています」
「待ってろ、すぐに準備する」
12
車で移動している最中に、沢村から事件の概要は大体聞き終えた。
角川のばあさんが失踪したのは、俺たちが聞き込みした翌日の晩だったらしい。
俺は潤一たちの家を調べていた日と同様に、付近の住民にばあさんのことを聞いてみた。しかし、その結果も前回と同じで目撃情報や詳しい話を聞くことは出来なかった。当然、失踪の原因もわからない。
今、わかっていることと言えば、この事件を起こしている連中がまだ犯行を続けているいうことだけだった。
ばあさんの失踪現場を調べたあと、俺と沢村は新たな手がかりを求めて松阪総合病院に向かった。
「お待たせしました、松阪総合病院です」
ばあさんの家から二十分ほどで病院の前に到着した。
「先輩、申し訳ありませんが、聞き込みは一人でやってもらえませんか。俺は一つやることを忘れていたんです」
「やることって何だ?」
「ぶっきらぼうなやつなんですよ。あいつはしばらく放っておくと……いえ、何でもありません」
沢村が口を閉ざした。珍しく慌てているように見える。
「事件のことで俺も気になった点があるんです。それを調べてきますよ。そちらで何かわかったら教えてください」
「ああ、わかった」
そう言って俺が車から降りると沢村はすぐに車で走り去っていった。
何をそんなに急いでいるのかわからないが、恐らく妹のことだろう。
「こんな状況なのに、女に振り回されてどうするんだ……」
思わず口に出したが、俺も人のことは言えなかった。
松阪に戻ってから連絡していないが、もうすぐ日が経てば由美から連絡が来るだろう。また、色々と愚痴を聞いてやらないといけなくなる。向こうから縁を切ってきたのになぜか自分のことを心配してくれているらしい。
まあ、由美との関係をうやむやにした責任は自分にもあるが……。
「はあ……」
またため息が出る。女のことを考えるといつもそうだった。
考えるのをやめて、松阪総合病院の入り口に向かった。平日なのに、病院の中には大勢の人がいた。
周りを見ると、虚ろな表情をした人が多い。付き添っている家族と思われる人が話しかけても、曖昧にしか返事していなかった。
瓦礫病の典型的な症状だった。随分昔から流行しているが、具代的な治療方法はまだ完成していない。毎年瓦礫病で亡くなっている人数も少なくはなかった。
事件に巻き込まれた高齢者が瓦礫病で死んだと聞いても誰も疑わないだろう。この事件の犯人はよく考えてやがる。
とりあえず、沢村からもらった調査資料と、ばあさんの証言にあった瓦礫病で亡くなったとされているやつらについて、担当医師に聞き込みをすることにした。
13
「やっぱり駄目か」
一時間後、ため息をついて俺は病院の正面玄関から外に出た。
結論から言えば、聞き込みをすることは出来なかった。そもそも、この町は自分の管轄外なため、事件の捜査をする資格がない。それに瓦礫病で亡くなったやつがいるという情報の根拠は、沢村の説明とばあさんを含む何人かの証言だけだ。他人を納得させるほどの証拠能力はない。
最初から俺がこの事件を調べるのは、無理があったらしい。
「くそ……」
だが、諦めるつもりはなかった。潤一やじいさんがどうしていなくなってしまったのか、それが知りたい。ただ、行方不明になったと聞かされても、納得出来るわけがなかった。
「潤一……」
とりあえず沢村に連絡しようと携帯を取り出した。
「ん?」
しかし、携帯を手にしたところで俺は動きを止めた。目の前を横切って病院の中へ入っていく人物。長いストレートの髪に松阪高校の制服に着たその子に見覚えがあった。
「お、おい、待ってくれ!」
慌てて呼び止めると、その子は立ち止まって俺のほうを見た。その表情が少し変わる。数年前に比べて大きく成長していたが、間違いなかった。
「お前は確か、潤一の幼馴染の八重坂真那……そうだな?」
「あなたは潤一のお兄さんの……秀平さんですか?」
八重坂が少し動揺した声で聞き返してきた。
「久しぶりだな。最後に会ったのは……確か中学に入学した時か」
「どうして秀平さんがここに? 東京に行ったんじゃ……」
「ああ、ちょっと調べたいことがあってな……」
そこまで言ったところで言葉が詰まった。あの時、現場の近くで俺を見ていたのは間違いなくこの子だ。刑事としての勘だが、俺の知りたいことをこの子は知っているんじゃないかと思った。だから、かまをかけるつもりで、自分の調べていたことを話すことにした。
「潤一とじいさんが行方不明になったことは知っているのか?」
「はい……行方不明になったって聞きました」
八重坂が顔を下に向けて答えた。
「今、俺はその事件のことを調べているんだ。潤一とじいさんだけじゃなくて、この町で人が次々いなくなっている。警察では行方不明か瓦礫病で死んだことになっているが、この事件は隠蔽されている」
「どうして、秀平さんがそのことを……?」
「やっぱりお前も知っていたんだな」
そう言うと、八重坂が驚いた表情をする。その反応だけで充分だった。やはり、この子は事件のことを知っている。俺は今まで知りたかったことを八重坂に聞いた。
「教えてくれ。どうして潤一やじいさんがいなくなったんだ? お前は知っているんだろ?」
「秀平さん、あなたの気持ちはよくわかります。でも、これ以上は駄目です。もしこれ以上調べていると、あなたの身にも……」
「俺の身にも……どういう意味だ、それは?」
聞き返すと、真那の表情がまた曇った。言ってはいけないことを言ってしまった、という表情だった。ここまでいけば、聞かずにはいられない。
「お前は知ってるのか? 潤一が今どうしているのか……」
「……」
「教えてくれ! 潤一は死んだのか!」
そう言いながら八重坂に詰め寄る。だが、その直後に彼女に腕を掴まれた。強い力で握りしめてくる。
「!」
振りほどこうとしたが、八重坂の手は全く離れなかった。とても少女の出せる力とは思えない。
「あーあ、面倒だ。おっさん、一度しか言わなねえからよく聞け」
八重坂の口調がはっきりと変わる。まるで別人のようだった。
「おっさんは今知ってはいけないことを知ろうとしてる。どこで事件のことを聞いたかは知らねえけど、まだ冥土への切符を手にしたわけじゃねえ。今すぐ帰れ」
「お前は……っ!」
誰だ、と聞こうとしたが腕を更に強く握り締められて、声が出なかった。骨が軋む音が響く。とんでもない怪力だった。
「わかったな、今すぐ帰れ! 今日中に、だ!」
八重坂が掴んでいた腕をようやく離した。彼女はそのまま病院の中へ入っていく。よく見ると、もう片方の手に花束を持っていた。
「お前はいったい……」
俺はそこから一歩も動けなかった。八重坂のあとを追うことは出来たが、追いかけたところで何も出来ないだろう。彼女に掴まれた腕にはまだ痛みが残っている。
あれは間違いなく警告だった。
なぜ、それを俺に言う必要がある?
これ以上、首を突っ込めば命が危ないからか?
やはり、あの子は潤一がどうなったか、知っているのか……。
「潤一……」
俺はもう一度事件の現場を調べるために走った。今さら、帰ることなんて出来ない。
必ずこの事件の真相を突き止めてやる。
14
「もう限界だよ……」
病院の廊下の壁にもたれた少女が携帯に向かって呟く。
「どうしてあの人がこの町に戻ってきているの?」
少女が携帯のメモ帳に自分の言葉と同じ文面を打ち込んでいく。
「あの人まで潤一と同じ目に遭ったら……私、今度は本当に耐えられなくなるよ」
そこまで少女が打ち込むと、自然ともう片方の手が動いて携帯を握った。その手でまた文章を打ち込む。
「うん、わかってる……泣いてばかりじゃ、どうすることも出来ないもんね。鶴香も文仁も同じ気持ちで頑張っているんだから、私だけがこんな所で挫けてちゃだめだよね……」
続けて新たな文章が打ち込まれる。それは少女の口にしている言葉とは違った。
「私と同じ気持ち? うん、そうだよね。私と同じだよね……。だから、頑張るよ、私……潤一のためにも、あの人を……」
そこで携帯を閉じる。直後、携帯に着信音が鳴り響いた。再び、携帯の画面を開いて少女が電話に出た。
「もしもし、どうして私に何も言わなかったのか、今は聞かない。もうあの人は狙われている可能性があるし」
少女の口調が先ほどと打って変わって厳しいものになる。
「鶴香たちと助けに行くわ。終わったら、保護して」
それだけ言うと、少女は携帯を閉じた。すぐそばにある病室の中を見る。その部屋にあるベッドの上で眠っている人。そのそばにさっき持ってきた花束を置いた。
「私、もう行くね」
少女はそう言うと、真剣な表情になって廊下を歩き始めた。
「行こ、シンナ。あの人を助けに……」
15
明かりの着いていない薄暗い部屋。もう何度も夢の中で見ているから、ここがどこなのかわかっていた。ただひたすら泣く少女……弥生。あの子といつも会っているアパートの一室だった。
「どうしたの? そんなに暗い顔をして」
しかし、それはもう今まで見た夢とは全く違った。この前の夢にも違和感があったが、今回は明らかに違う。
弥生は泣いておらず、心配そうな表情で俺を覗き込んでいた。
「あれからまた現場を見に行ってみたんだが、やっぱり手がかりは何もなかった。潤一やじいさん、他のやつらがどこに行ってしまったのか、井出浦さんがどうしてこの事件のことを俺に教えてくれたのか、沢村はどうして隠蔽されているこの事件のことを知っているのか、あの子……八重坂がいったい誰なのか、全部わからないままだ」
どうして俺は弥生にこんなことを喋っているのか、わからなかった。
「結局、俺がこの町に戻ってきた意味はあったんだろうか……」
「おじさんが戻ってきた意味ならあるよ」
「え?」
「おじさんが来たおかげで、色々な人たちが変わり始めてる。良い意味でも、悪い意味でも……あとはおじさんがどうするか、それだけだよ」
「お前はいったい……」
すると、弥生が笑い始めた。ずっと泣いている姿しか見たことがないから、その笑顔は新鮮に見えた。
「でも、安心して。おじさんは弥生が死なせない。おじさんのおかげで弥生はここにいられるから。だから、おじさんは弥生が守るよ」
「俺のおかげ? どういう意味だ?」
弥生の言っている意味がわからず、そう聞き返す。だが突然、弥生の表情が変わった。
「危ない。何か来る。おじさん、目を開けて!」
弥生の叫び声を聞いた瞬間、視界が再び闇に包まれた。
16
「!」
目を開けると、泊まり込んでいたアパートの部屋にいた。
あの後、現場を一通り調べ終え、沢村に連絡してから、アパートに帰ったが、そのまま眠ってしまったらしい。格好がスーツのままだった。
「また夢を見ていたのか……」
『夢じゃないよ』
頭の中に声が響く。姿は見えないが、弥生の声に間違いなかった。
「弥生? どうして、お前が――」
『あの人たちが来る。早く逃げて!』
弥生が自分の質問を遮って言った。来るって誰が……?
そう聞こうとする前に手にした携帯からノイズのような雑音が響いた。何かと思って携帯の画面を開く。
「う……」
だが、携帯の画面を見た瞬間に強い眠気が襲いかかってきた。さっきまで眠っていたのにまた眠たくなってくる。
何とか立ち上がろうとしたが、ふらついて部屋の壁に体があたった。
「何だ……どうしてこんなに眠くなるんだ」
『またフィールドが……おじさん、だめ。眠ったら殺されるわ!』
「くっ……」
弥生の声を聞いて壁に手をつく。襲ってきた眠気が覚めてきた。あのままだと、また眠っていたかもしれない。
「今のは何だ? 教えてくれ、弥生!」
そう叫んだが、弥生の声は聞こえてこなかった。
「よし、この部屋だ。間違いねえ」
「やるか、よし、やるぞ」
部屋の外から二人の男の声が聞こえてきた。無意識に弥生に叫ぶのをやめる。
「二人に報告してる暇はねえ。尾上、手早く済ませるぞ」
「わかった、ああ、わかってる」
声が聞こえたあとに外灯の明かりに照らされて、窓枠に男の影が写った。しかし、その影よりも男たちの持っているものに目がいく。
明かりに反射して光る鋭い刃物……包丁よりもずっと長い。何かの凶器を男たちが持っていた。
影が窓枠からアパートのドアのほうに移る。ポケットに入れていた拳銃を手に取り、素早くドアのそばにしゃがみこんだ。
ドアノブが回る。鍵をかける余裕もなく、眠ってしまったため、ドアは開いたままだった。いくら疲れてるとはいえ、自分の注意不足に落ち込む。
『おじさん、何してるの? 早く逃げて』
弥生の声が聞こえたが、身動き一つ取らずにドアが開くのを待った。
ドアノブが回り、ゆっくりとドアが開く。そこでさっきの光を放つ凶器の正体がわかった。
刀だ。日本刀の形に近い金属の刀だった。それを握り締めた男が入ってくる。少し戸惑ったが、迷っている場合じゃなかった。
最初に入ってきた男に飛びかかり、刀を握った手を押さえる。男が驚いて後ろに退こうとしたが、そのまま男を引っ張り、自分の腕で首を絞めた。
「くっ、てめえ!」
首を絞めた男が必死にもがくが、力を出して男の動きを完全に封じた。
「動くな!」
手にした拳銃を男のこめかみに突きつける。男がもがくのをやめて、俺を睨みつけてくる。
「てめえ、何で起きていられるんだ? 何者だ?」
「こっちの科白だ。どうして俺を殺しに来た?」
「尾上、構わねえ! 殺せ!」
男が怒鳴り声をあげる。次の瞬間、別の男が俺の部屋に入ってきた。手にしてるのは首を絞めている男と同じ刀だった。俺の首のあたりに向かって一気に振ってくる。
まずい。
反射的に男を離して、その場にしゃがみこんだ。頭上をものすごい勢いで刀が通過し、ドアの淵の壁に食い込んだ。脅しのつもりだったが、自分が生き延びるためにはこの方法しかない。俺は銃口を男に向けて引き金を引いた。だが、銃声のすぐ後に鈍い金属音が鳴り響く。
目を見開いた。俺の撃った銃弾を男が刀で弾き飛ばしたのだ。
こいつら人間か!?
「てめえ!」
首を絞めていた男が刀を持ち替えて向かってくる。その男に二発目を撃ったが、頬にかすっただけだった。男が刀を突き出してくる。
「くっ!」
すんでのところで横に避けた。男の突き出した刀が部屋の壁に突き立つ。だが、その後ろからもう一人の男が近づいてくる。次の一撃が来る。
「させないわ!」
突然、部屋の外から女の声が聞こえてきた。それと同時にドアから女が入ってくる。薄暗くて見えなかったが、その女も手に剣のようなものを握っていた。
「誰だ、お前、お前は誰だ!」
俺に向かっていた男が後ろに振り向いて、女の振り下ろした剣を刀で受け止めた。そこでようやく女の姿が見える。
それは金髪のツインテールの少女だった。どこかで見たことがあるような気がしたが、思い出す時間はなかった。
「死ね!」
いつの間にか、刀を壁から引き抜いた男がもう一度振ってくるのが見えた。咄嗟に後ろへ下がって、刀の一撃を避けたが、男に振り向きざまに蹴りを入れられる。ものすごい力だった。踏みとどまることができず、そのまま部屋のガラス窓を割って外に吹き飛ばされた。
「くっ!」
俺は地面に落下する直前に何とか受け身を取った。アパートの部屋が二階だったため、怪我をせずに済んだ。
だが、息を付く暇もなく、男も窓から飛び出して刀をつきおろしてくる。横に転がって何とか避け、起き上がったが、その直後にまた男の刀の先が迫る。今度は避けられなかった。
「ぐっ!」
男の持つ刀が左肩に突き刺さる。強い痛みと共に血が出てきた。それをこらえて手にした拳銃で男に発砲した。
男が後ろに避けて刀を引き抜く。出血が酷かったが、気を抜いている余裕はない。次の一撃が来る。
拳銃を男に向けたが、肩の傷のせいで視界がぼやけた。銃口がぶれて銃弾が男から外れる。
『おじさん、死なないで!」
弥生の悲鳴が頭に響いた。ぼやけた視界の中で男が刀を振り下ろしてくる。避けようとしたが、傷のせいで思うように動けなかった。顔を下に向けてしまう。
「すまん、潤一……」
男の持った刀が目の前に迫ってくる。
その時だった。すぐそばから鈍い金属の男が鳴り響いた。
「お前は!?」
男の驚いた声が聞こえてくる。それを聞いて俺は顔をあげた。
目の前に誰かいる。さっきの金髪の少女じゃない。そこにいたのは長い髪を後ろで一つに束ねた少女だった。松阪高校の制服に身を包んだ少女の手には男とも、金髪の少女とは違う形の刀があった。
昨日の夕方にその姿を見たばかりだったから、誰なのかすぐにわかった。
「八重坂……真那なのか?」
「へっ、刀人相手に結構粘ったな、おっさん」
だが、その口調は八重坂真那ではなかった。病院で俺に警告してきたときの八重坂だった。
「正直、もう死んだと思ってたよ。先に鶴姉が助けに来てなかったら絶対に死んでたな」
「お前はいったい……」
「悪いけど、話はあとにしな」
八重坂が前方に集中し始める。後ろに弾き飛ばされた男が態勢を立て直して刀を構えていた。
「てめえがあいつを殺したくそ野郎だな。お前のせいで真那がめちゃくちゃ泣いたんたぞ。つけはきっちり払ってもらうおうか!」
八重坂が手にした刀を構えて、走り出した。男が刀を振ってきたが、八重坂が地面を蹴って大きく宙へ跳んだ。とんでもない脚力だった。そのまま、男の背後に着地する。
「くそっ!」
男が舌打ちして後ろに刀を振ったが、八重坂が素早くしゃがんでそれを避け、がら空きになった男の脇腹に向かって刀を払った。
男が声をあげるのと同時に大量の血を噴き出す。そして、とどめの一撃に八重坂が刀を上に構え直し、男に振り下ろした。
また、血が周囲に飛び散り、肩から切り裂かれた男はそのまま地面に倒れ込んだ。
「肩慣らしにもならないね、こんなんじゃ」
八重坂が刀についた血を払う。男の返り血を浴びた顔で俺のほうを見た。
「……」
全てがあっという間の出来事だった。肩から血が流れ続けていたが、そこまで意識がまわっていなかった。
目の前で起こっていることが全て現実離れしていて、何が何だかわからなかった。
「俺は……夢でも見てるのか?」
弥生の声も、襲ってきた男たちも、自分の前にいる刀を持った少女も。
全部夢なんじゃないのか。
そう思った俺に対して八重坂がにやりと笑って言った。
「夢なんかじゃねえよ。これは実際におっさんが体験している現実さ」
「現実? これが……現実だと?」
そう言ったの同時に、視界がまた一段とぼやけてきた。肩から流れ落ちていた血の量が多すぎたらしい。そのまま、地面に倒れ込んだ。
「シンナ、そっちは片付いた?」
八重坂とは別の少女の声が聞こえてきた。
「ああ、終わったぜ。鶴姉のほうは?」
「何とか倒したわ。どうやら油断していたみたい。すぐに撤退するよ、増援が来るかもしれないし」
「このおっさんはどうすんだよ?」
「本部に運ぶしかないわね。もう色々と見られちゃってるし……。文仁たちがアパートの入口のほうで待ってるわ。早く行くよ」
「けっ、真那があまりに心配するから仕方ないけどよお、あたしだったら無理やり東京に帰らせてやるのに」
「あんたがやると、すぐ暴力になるじゃないの」
「へっ、違いねえ……」
その二人の少女の会話を最後に聞いて俺は意識を失った。
第二話 刀を持つ少女 終
次回へ続く。
キャラ紹介
・梨折 秀平
潤一の兄。東京で働く刑事。上司の井出浦から教えられた情報をきっかけに地元の三重県松阪市に戻ってくる。
・伊月
謎の暗殺組織に所属しているソフトハットを被った少年。刀人という能力者の一人。他の刀人の態度や上からの指示に不満を抱きつつ、従っている。
・浜家
謎の暗殺組織の幹部。伊月や他の刀人たちに指示を出している。感情をほとんど出さず、冷静沈着な性格。言動一つ一つに威圧感がある。
・弥生
秀平の心の中にいる少女。秀平の身に危険が迫ったときに助言をしてくれる。その素性には謎が多い。