追憶
幕間みたいなものです。息抜きで書きました。
どうしても忘れられない台詞がある。
「神楽ってさ。存在が気持ち悪いよね」
中学一年の頃だったか。確か給食の時間だった。あまり好きではないメニューを無理矢理喉に押し込んで強引に完食し、食器を片付けた俺は、図書室で借りた本を黙々と読んでいた。視界の隅では、隣に座るクラスメートが動かす肘がちらちらと見え隠れしている。
俺の通っていた中学校では、掃除や給食の際、クラスを四人一組の班に分けて行動する慣例があった。今も机をくっつけ合い、まるでお見合いのように強引に引き合わされている。俺の所属する第七班は、窓際に接する隅っこの班だ。俺としては、中々にいいポジションだと思う。
僅かに開けられた窓から届く微風が、前髪を弄ぶ。耳に届くのは、子供のものより幾分か低くなった喧騒。あちこちの話題が雑ざり合い、聞き取ることの出来なくなった音の波が、鼓膜を否応無く揺らした。
「………………」
俺は一言も喋らなかった。そりゃそうだ。読書中に一人で何を喋るというのか。しかも公衆の面前で。
ページを捲る。紙が擦れる感触。しかし、はらりと聴こえる筈の音は音は、無秩序な声の津波に掻き消された。
……煩い。
俺は字を目で追うのを止めて、顔を僅かに上げた。先程からずっと気にしないようにしていたが……ちょっと煩過ぎやしませんか?手のひらで耳を塞いでみても、あまり小さく感じない。まるで屋内のライブ会場みたいだ。
流石に気が散らされて、俺は読書を続けることを断念した。机の中に本を仕舞い、頬杖をついて溜め息を一つ。俺は教室中をぐるりと見回した。
男子生徒が競うように飯をかき込み、女子がアイドルの下敷きやクリアファイルを見せあって騒いでいる。男女が何やら険しい顔で唾を飛ばし合っているところもあれば、じゃんけんか何かで盛り上がっているところもある。
てんでばらばらの群衆。学校は社会の縮図とは、よく言ったものだ。
そんなお喋り達の中でも、隣に座る男子生徒の声だけが辛うじて聞き取れる。そりゃ距離が近いんだから聴こえ易い。
「あいつキチガイだよ。いきなり怒っちゃってさ」
「それって部活だけじゃないの?私体育館だからそっちのことわかんないけど」
「授業ではただ調子乗ってるだけだと思うけど」
「そういやアイツ、女子にはなんか優しくしようとしてるよね。バレバレできっもい」
話題の中心に上がっているのは、どうやら体育教師の遠藤のようだ。何部だったかは忘れたが運動部の顧問で、隣の少年はその部活に所属しているらしい。俺個人は、別に遠藤のことを嫌っていたわけではなかった。空回りしてる人だなぁ~とは思っていたが。
「陸上のときなんか、女子の方ばっか目で追ってたよ」
「うわぁ~、教師失格だわ」
「ロリコンとかマジヤバイな」
彼らの愚痴というか陰口は、周囲の喧騒に紛れてしまう程度に抑えられた声だが、それが逆に陰湿性を増していて、ちょっと怖かった。俺はそう思いながらも、他にすることも浮かばなかったので、頬杖のまま彼らの会話に耳を傾ける。
そうしていると───だんだんと苛々してくる自分に気づいた。
自分が嫌いな人間がどう言われてようと知ったことではないが、授業のちょっとした合間に、挨拶程度ではあるが楽しげに言葉を交わしたことのある人が、こうもボロクソに言われているというのは、何故だか気に入らない。別に大して仲が良い訳でもないのに。
無自覚のまま目つきが険しくなっていく。目線の角度もだんだんと上がっていき、さっきまで見ていた机の染みは視界の隅に追いやられた。
「んでこっち見たかと思ったらさ───……」
「………………」
不意に女の語り口が止まった。
対角に座る彼女の何気無い流し目と、俺の鋭くなった目線が、ばっちりかち合っていた。女が不機嫌そうな表情にがらりと変わる。
「なに?あんた関係無いんだけど」
こちらを適当に見下ろして言う様は、明らかにこちらを馬鹿にしている。
「………………」
言いたいことが無かった訳じゃなかったが、あまり波風を立てるのも性に合わなかったので、ただ何も言わずに目を逸らした。しかし、彼女はこちらの態度が気に入らなかったらしい。苛立たしげな口調のまま攻め句を吐く。
「つうかさ。前から思ってたんだよね。何で私らの邪魔すんの?何にもやんないで。いるだけとかマジ邪魔」
彼女が言ってるのは班行動のことだろう。確かに彼女の言う通り、俺は何もしていない。しかしそれも仕方が無いじゃないか。俺は彼女達から受ける筈の説明や仕事の割り当てや希望といったことを、全くされてないのだから。参加のしようが無い。
というように、言い返す言葉は頭の中にちゃんと準備されている。しかしそれは射出されない。
いくら強力な弾薬を籠めたって、銃身がちゃっちい上に射手が撃つ気がないとなれば、負け戦は必至である。
俺はただ黙っている。他の二人は、様子見とばかりににやにやと俺達を眺めていた。
ひたすら無視を貫く俺に、ようやく諦めたらしい。女は呆れたように目を逸らし、机を九十度回転させた。
次の昼食の時間は、既に残り五分となっていた。見れば、周りも大分落ち着いてきていた。
ぼちぼち俺も机を戻そうと、椅子をガタガタ鳴らして立ち上がりかけたとき。
「あんたってさ。存在が気持ち悪いよね」
彼女はそう、独り言のように呟いた。
成る程。存在が気持ち悪いとは、確かにそうかもしれない。この前思い出した、律渦の俺評価。
身内───家族だからこそ、俺のプラス部分も見てくれるのだろうが。他人───それもこちらに歩み寄ろうとなど欠片も考えていない赤の他人から見たら、ただの意味不明男(キチガイと同義)であろう。
律渦の言も参考にしてまとめると、
行動原理がぐちゃぐちゃ→意味不明→気持ち悪い
こんな感じだろうか。彼女の言葉は確かに良いものではなかったけれど、間違ったことでもない。俺は他人から見ると、事実として気持ち悪いのだから。
あの頃の俺は、ただ妙に耳にこびりついたあの台詞を捨て流そうと色々考えていただけだが。今は納得と共に受け入れている。彼女のあの台詞は、今の俺にとって、自分を客観視する大事な材料だ。
気に入らないがな。
嫌な思い出ほど役立つものです。なんて皮肉な。