友の強さ
───翌日。
学校から帰り、急いで支度を整えた私は、律渦を伴って家を出た。
待ち合わせ場所は隣町のカラオケボックス。近所の駅から市バスに乗って、目的地近くで降りたら後は徒歩。
バス内が混雑することはまず無い(巡回コースに気の利いた施設が少ない為)ので、気を張らなきゃいけないのはここから。それなりに人通りのある道を歩くので、律渦がパニックを起こす危険性も増す。母から聞いた話では、肩がぶつかったらほぼアウトとのこと。
先週、警察署に行った帰りだった。
☆★
母が迎えに行くと、律渦が安心したような表情で駆け寄って来たらしい。その時点では、ただ不安だっただけだろうことが窺える。
だが、近くのコンビニに停めた車へ向かう途中のこと。
二人が並んで歩いていると、後ろから自転車が来てすぐ横を通り過ぎていった。母は思わず声を上げかけたが、乗っていたのがサラリーマン風の男性だったのを確認して寸でのところで口を閉じた。しかし、母以外の者が声を上げた。
「あっぶねぇなぁ!」
声に振り向くと、後ろを歩いていた若い男が肩を怒らせて、自転車の方に詰め寄ろうとしていた。
自転車も声に反応して一瞬止まったが、すぐに再発進する。それを反射的に追いかけようとした若い男は、途中で我に還ったのか中途半端なブレーキをかけた。
その弾みで、一連の顛末を傍観していた律渦の腕に手が当たった。
「ぇあ!?」
「あっ、すんません」
律渦が触られた箇所を握り締めてぶるぶると震え出す。男が早足で歩き去ってからも、その痙攣は続いたらしい。
律渦が発作を起こさないためには、早急かつ人を避けながら目的地へ辿り着かなければならない。難易度高すぎるでしょう……。昨夜はそれに気付いてからの絶望と苦悩で、頭を抱えながら寝たものだ。今日の昼休みまでずぅっと考えていたら、ようやく一つの案が浮かんだが。私は傍らの律渦に注意を向けつつ、きっちり被ったウィッグの調子を再度確認した。
☆★
途中、サラリーマンや学生風の若者と擦れ違う度に冷や冷やしたが、無事、目的のカラオケボックスへ到着した。もう中で待ってるとのことなので、受付でそれを伝えて部屋番号を教えてもらう。幾つかの扉を素通りして、目的の部屋番号を探し当てた。初対面への緊張を押し隠しながら、微笑みを添えて律渦を扉の前に立たせる。そしてわたしは、その細い背中の後ろに隠れるように立った。律渦が振り向く。私が頷くと、律渦は躊躇無く扉を開け放った。
「あっ、リッちゃんやっと来た!待ってたよ~っ!」
中に入った瞬間、がちゃがちゃとしたポップミュージックと共に、マイクを通して増幅された女性の声が、私の鼓膜を突き刺した。
「麻里~っ!会いたかったよぉぉぉっ!!」
軽く目眩を起こした私とは対照的に、律渦はマイクにも負けない姦しさで叫び返した。
私が気を取り直した頃には、律渦と一人の女性がきゃいきゃい言いつつ抱き合っていた。わぁ……いつの間に……。
とりあえず誰が誰だか判らないままというのは何なので、まずは律渦と縺れ合っている女性を観察する。名前は確か、律渦曰く、麻里さんといったか。
明るい茶色の髪は肩口まで伸びており、毛先をくるっと遊ばせている。背は低めだが、決して幼児体型ではない。目測ではCカップぐらいか……。垢抜けた雰囲気で、大学デビューを華麗に決めたことが窺える。
…………あ、曲終わった。
そういえばもう一人いたな。と、部屋内を見回すと、丁度律渦達の陰になるところにちょこんと座っている女性を発見。
律渦が挙げてた名前は二つ。あの茶髪さんが麻里さんだから、この人は朱音さんか。あっ、目が合った。軽く会釈すると、小さく返してくれる。どうやらこの二人、性格が逆ベクトルの友人らしい。
「あれ?リッちゃん。その娘は?」
ようやく落ち着いた麻里さんが、こちらを見て首を傾げた。一応関係者だとは思ってくれたことに安堵。
問われた律渦は、早速マイクを握りつつ答えた。
「私の妹。付き添いで来てもらったんだ。言ってなかったっけ?」
「言ってないよ?」
麻里が即答した。が、
「言ってたよ」
朱音にすぐに否定されて、顔をしかめた。そんな麻里を無視して、朱音がこちらに近づいてきた。
まだ立ちっぱなしだった私をさりげなく座らせて、隣に腰を下ろす。雰囲気に反して気遣いが丁寧だ。
「まだ自己紹介もしてなかったね。私は三島朱音。で、こっちは」
「田井中麻里で~すっ」
突然の声に振り向くと、いつの間にかもう一つの隣に麻里さんが顕現していた。柑橘系の香りが漂い、垂れた髪が腕を擽る。……ちょっと近くないですか?そう思うも、挟まれてるので離れることも出来ない。
仕方無くそれは諦め、礼を失しないようこちらも名乗ることにした。
「樋江井神楽です」
苗字は知っているだろうが、初対面の礼儀として敢えて外さなかった。
「神楽ちゃんねぇ」
麻里さんが記憶に刻みつけるように復唱する。ちゃん付けで呼ばれると何かむず痒いな。その反対側では朱音さんが苦笑いを浮かべていた。
「律渦といい、樋江井といい、何か変わった名前の家系だね」
「……まぁ、メジャーではありませんが……」
「私のそんなに変?」
そんなことを話してると、律渦がマイク越しに割り込んできた。リッちゃんそれ煩い。
「変ではないけど珍しいね」
麻里さんが考える素振りも無く答えた。思ったままを答えたのだろうが。今後、爆弾発言が繰り出されないか心配だ。
「その話はもういいでしょ?早く歌おうよぉ」
律渦がいい加減ゴネ始めたので、話もそこそこに、各々マイクとタンバリンを握り締めた。
「さてさて何歌う?」
「ラブソング以外なら何でもいいよ」
「そうなると私の持ち歌殆ど封じられちゃうんだけど」
「神楽はどうする?」
「私は付き添いですので」
「そ~んなの関係無いって。お金払ってんだし」
「逃がさない」
「バレましたか」
「もしかしてカラオケ苦手?」
「いえ、あまり来たことが無くて……」
「それはいけないな神楽ちゃん。カラオケに行かないなんて人生の三割は損してるよ」
「何か妙にリアルですね」
「それは置いといて神楽さん。どうするの?」
「う~ん……。では、無難にサクラ大戦で」
「何処が無難なのよ」
「私知らない。リッちゃん知ってる?」
「私も知らないけど」
「私は知ってるわよ」
「あ~、ちょっとチョイス間違っちゃいました?」
「いえ、別に大丈夫よ。───解ったわ。今日はアニソン祭りよ」
「アニソン!?私プリキュアぐらいしか知らないよ!」
「麻里なら大丈夫よ」
「ちっちゃいもんね~」
「くぅぅっ、あの推定Fカップが恨めしい……」
「胸、か……。よし、じゃあ私が逝くわ」
「今イントネーションがおかしかった気が……」
「よっ、朱音イッちゃってーっ!」
「さぁ聴きなさい。私のキャラは気にせず聴きなさい───『チチをもげ』!!」
「この選曲……。最初の物静かな雰囲気が、それこそ雲散霧消ですね」
「そういえば二人とも。あの後、学校行ってる?」
律渦と麻里さんが交互に何曲か歌い、喉休めの休憩を挟んでいるところ。律渦が何でも無さげに切り出した。
「……………………」
空気が一瞬、止まった。
律渦の問いは、彼女達が受けた屈辱を否応も無く思い出させるものだったから。
煌々と光を放つ画面では、知らないアーティストがべらべらと喋っている。私は口を出すべきではないな。と判断して、気配を消すように黙り込んだ。
体感時間で十分程(実際は二十秒程だろう)が経った頃。
「……私は、行ってるわ」
その騒々しい沈黙を破ったのは、タンバリンを膝に置いた朱音さんだった。
「私はあんな男達に屈してる場合じゃない。ネットで見たわ。男性経験の無い女性ほど、性犯罪に遭ってから立ち直るのは、難しいって」
彼女は、律渦の求めていた以上の言葉を返してくれる。
───求めてないことまで、話してくれる。
「知ってると思うけど、私はこういう性格だから男と付き合ったことが無い。だから正直、前よりも男は格段に怖いし、嫌い。……でもね」
そこで言葉を区切り、朱音さんは律渦と麻里さんを見た。真剣で、少なからずの非難が籠められているようにも感じた。
「それがどうしたっていうの?私達の夢は、その程度の障害で諦めれるものなの?」
二人はばつが悪そうに、話を切り出した律渦までもが、目を伏せた。
察するに───朱音さんは、事件の後も学校に通い続けた。しかし律渦と、おそらく麻里さんも、事件後の学校には通っていない。それを朱音さんは知っていたのだ。友人のことを気にかけて、調べたのだろう。
「少なくとも、私は諦めれない。だけどもし、貴女達も同じなのだとしたら───学校、来て」
「「……………………」」
何故、集合場所がカラオケボックスだったのか。私はその謎に気づいた。
律渦達が強姦未遂に遭った日も、カラオケの帰りだったと聞く。多分、今回の舞台をセットアップしたのは朱音さんだろう。彼女は大切な友人たる二人に、立ち直ってほしかったのだ。
そこまで脳内でストーリーが補完されたところで、私は組み立てるのを止めた。脳内を一つのイメージが塗り潰す。
出来かけの本を前に、佇む二人の影。
片方は女性だが、もう片方は男性。背丈は同じ。女性の方が、口に手を添えて呟いた。
『美しい友情ね。朱音さんの強さが伝わってくるわ』
上品な口振りで賛美を贈る。対して、男性の方はつまらなそうに本を捲りつつ。
『テンプレとまではいかなくても、ありきたりな友情だな。そもそもこの麻里っての。ビッチくさくて気に入らねぇ。こんなのに律渦と朱音がくっついてるのが意味不明だね』
と、個人的かつ厳しい批評を繰り出した。
相反する二つの感想。
しかし、その二つはどちらも、同じ人物の脳が導き出したもの。
「───……楽。───神楽!」
ビクンッ
勢いよく肩を揺すられて、強制的に意識が現実へと引っ張り上げられた。
「ぇっ…………なに?姉さん」
ハッとして顔を上げると、何故か心配そうな目をした、三人の女性の姿があった。
「どう……したんですか?皆さん」
状況が解らず困惑する私に、麻里がたどたどしく説明した。
「あっ、えっと……朱音に私達が説教されてて、それで気まずくなって横見たら、なんか、幽霊みたいなのがいて……というかそれが神楽ちゃんで……えっと、とにかく普通じゃなかったんだよ!」
というか最後叫んで押し切った。
「なんか怖かったよ、神楽。瞳孔がくぱぁって開いてて」
「律渦ちょっと黙ってて」
「朱音冷たいっ☆」
律渦の下ネタをさらっと一蹴して、朱音さんはこちらを覗き込んできた。
「本当に大丈夫?疲れたんなら、ちょっと外出ようか?」
瞳がふるふると震えている。どうやら相当心配される佇まいだったらしい。結果的に、私が朱音さんの説教を邪魔してしまった形になったのか……。
「いえ、大丈夫ですよ。すいません、心配かけて……。本当に、ちょっとぼぅっとしてただけですから」
そう言う私を、朱音さんは未だ心配げに見詰めていたが、変わらず平気な顔をしていると、やがて溜め息と共に目を離してくれた。
「……大丈夫みたいね。じゃ───早速だけど神楽さん。私とデュエットしない?」
「えっ?」
突然の申し出に、間抜けな声を上げてしまう。
「大丈夫、なんでしょう?」
「は、はぁ……」
私は差し出されるがままにマイクを受け取った。画面を見ると、丁度曲が始まるところだった。画面に映ったタイトルは───
「シェリル・ノーム、ランカー・リリーで───『ライオン』」
朱音さんのタイトルコールと共に、そのディスコ調のイントロが力強く流れ出した。
「はぁ~っ、歌った歌った♪」
「そうね。ちょっと喉が痛いわ」
「ホント……朱音凄かったもんね」
喉をさする朱音さんを横目に、律渦がしみじみと呟いた。予想外の爆裂アニソン祭りに腰を抜かしたのは、どうやら私だけじゃなかったらしい。
「……いつもあぁなんですか?」
私はついさっきまでの光景をプレイバックしつつ、誰ともなしに訊ねる。
「いや、今日程じゃないよ。まぁ、それなりに弾けるけど」
苦笑いで拾ってくれたのは麻里さん。弾ける、か……。確かに、歌ってる姿は火が点いたみたいだったもんな。
「あっ、そういえば最後に撮った写真。みんな欲しいって言ってたわよね」
誰しもギャップとはあるものだなぁ、と感慨に耽っていると、その話題の人たる女性こと朱音さんが、大きめの声でそう言った。あっ、ちょっと辛そう。
「あぁ、そうだね。送ってもらえる?」
律渦が自分も携帯端末を取り出した。その瞬間、ぴろりぃ~ん♪という気の抜けた受信音が流れた。
「おっ、早っ」
「ねぇねぇ~っ、当然私もぉ~っ!」
朱音さんがしゅしゅっと操作する。ごねる麻里さんのポーチからも、受信音らしきメロディが聴こえた。
「さんきゅ~っ」
朱音さんは私の方にも目を向けた。
「神楽さんはどうする?」
「今日は家に忘れてしまったので……」
手のひらを向けて見せて、ジェスチャー付きで答える。
「じゃあ律渦にもらうのね」
「そうですね」
本当は、自分のアドレスとかは暗記してるから、送ってもらうことは出来た。しかしそうなると、彼女達と連絡先を交換することになってしまう。
姉とはいえ、他人のコミュニティに割り込むような真似は気が引けた。
「さて。そろそろ帰ろっか」
律渦が人通りの減った歩道で、腕を絡めてくる。
「そうね。もう遅いし」
朱音さんが時計を確認して呟いた。麻里さんは───と見ると、丁度、私よりも背が高い男性に抱きついてるところだった。
「あっ、私彼に送ってもらうから~っ!」
「へぇ。彼氏さんですか」
言葉を返す間も無く、麻里さんとその男性は、颯爽と夜の街に消えていった。
「じゃあ、私も帰るわ」
「待って待って。駅の方までなら私達と一緒だよ」
踵を返しかけた朱音さんが振り返る。
「あぁ、電車で来たの?」
「いえ。バスで来ました」
そう、と呟いて、朱音さんが前を向いた。私達もその横に並び、静かに談笑しながら、短い道のりを歩いた。
一頻り騒いだ後には、清々しい疲労と共に、予想外の新たな繋がりが出来上がっていた。
この先はまだ書いてませんのでどうなることか。