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律渦は災禍  作者: sniper
第一部
3/27

妹と弟

本格的な調査は週明けから始まるということで、俺は休日を女装テクの修得に使うこととなった。最初は面倒だと思ったものの、慣れればどうってことはない。化粧やウィッグの調整は手順通りにやるだけだし、服に至ってはただ着るだけ。立ち居振舞いは最初から違和感無く演じてみせた。

「こんなに簡単なのか」

自分で一通りこなしてみた所で、その呆気無さに思わず呟いた。すると、母は真剣な表情で溜め息を吐いた。

「あのねぇ。普通はもっと複雑で難しいのよ?化粧もそんなに薄くないし、髪のセットだってちゃんとするのよ。香水やコロンを付けたりもね」

「へぇ~……」

何でそんなむきになって言うのだろう。理解出来ずに首を傾げる俺を見て、また不機嫌な顔になりながら、続ける。

「それにその外見なら、もっと落ち着いた上品なキャラの方が似合うと思うわよ」

「そう。気をつけるわ」

素っ気無く応えると、母はまだ何か言いたそうにしていた。その時は気付かなかったが、後で考えてみて理解出来た。ちょっと女性の真似事をしただけの俺に全て解ったように言われたのが、気に食わなかったのだろう。確かに、自分は一端にしか触れてないのに、簡単などと平然と口にしてしまった。そう受け取られても仕方無い。後でその事を言ったら、ちゃんと機嫌を直してくれた。


☆★


週が明け、学校が再び始まった。と同時、母は検察官としての仕事が始まった。

「ただいまぁ~」

帰宅すると、まず俺は自分の部屋へ急いで向かった。

───そして十五分後。

別人として姿を現す。長身の、大人っぽい色気を放つ女性。胸は平坦だが、その手足の長さが艶かしい。薄く化粧の施された顔は、上品で穏やかな表情を演出している。私は洗面所で鏡を見て、安堵したように溜め息を吐いた。

「うん。完璧ね」

思考は既に切り替わっている。もう一人の自分───律渦の妹に。

「姉さん。ただいま」

「あっ、神楽。ただいま」

先程玄関を開けたときには返って来なかった返事。律渦は見ていたテレビを消して、台所へ向かった。

「何か飲む?」

棚を漁りながら訊いてくる。

「じゃあミルクティー頼める?」

「了解~」

律渦は久し振りだなぁ~とか言いながらお茶の用意を始める。その表情に影は見られない。暫くして、お茶が運ばれてくる。

「どうぞ」

「ありがとう。姉さん」

微笑みを添えて感謝を伝えると、律渦も幸せそうに笑みを浮かべた。カップに口をつける。うん、美味しい。

「何か、私以上に様になってるね……紅茶」

「そう?まぁ、ちょっとお嬢様っぽく振る舞ってはいるけど……」

男子高校生が思い浮かべる上品な飲み物とは、総じて紅茶である。そして同時に、物腰が柔らかい女性というのに、いいとこのお嬢様がイメージされる。

「本当にお嬢様みたいだよ?まぁ、実際のお嬢様がどんなものかは知らないけど」

「意外とがさつだったりしてね」

律渦は対照的に、明るくて朗らかな性格だ───表面上は。

お嬢様とは明らかに雰囲気が異なるものの、目を惹くという点では共通しているように思える。何せ私の姉なのだ。美人に決まっている。そういえば、中学生の頃に見た律渦(確か高校生だったか)は、前髪で目を隠し、目がそこまで悪いわけじゃないのに、度の少し入った野暮ったい眼鏡を掛けていた。その様は、良く言えば文学少女。悪く言えば地味少女……だった筈だ。

「…………ねぇ」

「───ぅ?」

昔の律渦を思い出していると、今の律渦がその作業を断ち切った。

「麻里と朱音───私の友達ね?二人は、今頃どうしてると思う?」

「……………………」

律渦の友人関係など知る由も無いが───察するに、共に襲われたという二人のことだろう。勿論、二人の所在など知る筈が無い。しかし───

「意外と、変わらず元気に過ごしてるかもしれないわね」

“今の私”は、知らんと突き放すことが出来ない。

「うん。そうだといいな……」

そう言って、私の飲みかけのカップを奪い取り、ぐいっとあおった。


その後。本当に久し振りに私も台所に立ち、協力して夕食を作った。ごはんに野菜炒め、味噌汁。品目は貧相で、味も母には及ばなかったが、不思議と不満には感じなかった。


☆★


入浴を終えてからは、私は自室で課題をしていた。メイクは流石にしておらず、保湿用の化粧水やクリームを塗りたくっただけ。つまり素っぴんだ。にもかかわらず───。鏡に映る、ウィッグを装着しただけの自分は、普通~に女に見えた。あれ?私ってそんなに女顔だったかしら?十六年以上生きてきて、思わぬ発見だった。

「ふぅ~……」

最近高くなってきた気温のせいで、湯冷めにも時間がかかる。椅子に座っていても、手と頭を動かしているだけで身体が熱を持つのを感じる。そうして背もたれに身体を預けていると。

───ガチャ

と、突然扉が開いた。その音に反応して振り向く間も無く、私の身体は背もたれごと抱き締められる。

「わっ……ね、姉さん?」

「なぁ~ぁに~?」

猫なで声で耳元で囁かれたせいで、解くためにその細い腕を反射的に掴もうとした両手は、途中でぽとりと膝の上に落ちた。

「ふふふっ。こうしてると、やっぱり落ち着くなぁ~」

「もう……」

お風呂上がりのほんのり湿った髪が頬をくすぐり、平均よりも大きい胸が背中に押しつけられている。言い様の無い心地好さを感じながら、私はこの状況を不思議だと思った。律渦は本来、他人にこうしてべったりすることはない。共に行動したり、ある程度の執着を持つことはあるが、それも他人に比べればあっさりした方だろう。だから、私は今こうして、律渦が抱きついてきていることが予想外で、正直困惑している。私は肉親ではあるが、今は恐れる男性でもある。姿は女に見えるが、実態は男だ。なのにこの態度…………解らない。

「姉さん。私のこと…………好き?」

その思いからだろう。私は自然に、そんなおかしな問いを口にしていた。律渦はきょとんとするもすぐに表情を和らげ、より一層、私を強く抱き締めた。

「───大好きよ。決まってるじゃない」

「………………」

私の───神楽の周囲で、何かが変わり始めている。私は背中に感じる温もりに、そんな予感とも知れぬ思いを抱いた。


☆★


朝の通学路を歩きながら、俺は昨夜の予感を思い出していた。

───何かが変わり始めている。

一体何が?律渦はまぁ、変わっただろう。前よりも打ち解けた態度に───というより懐いているといった感じだ。

女装するまで、あんな風に抱きつかれることは無かった。推察するに、人に頼らざるを得ない今の状況が、彼女を年不相応なまでに幼くさせているのだろう。その結果、律渦が拠り所として“私”を選んだとしても、身内で歳も近いのだ。別におかしなことではない。……俺の迷惑は別として。

とにかく、昨日の予感は律渦のことだろう。なら考えるだけ無駄だな。律渦をどうこうなんて、俺が出来る筈もないんだから。

「………………」

そう無理矢理結論を出したはものの、得体の知れぬ不安───何かを見落としてるような感覚が、胸の奥で燻っていた。


☆★


書店に寄ってから帰ってくると、既に時刻は夕方となっていた。机に張り付きっぱなしで気持ち悪い疲労が蓄えられているが、それを発散するためにそのままベッドにダイブ───なんてことはしている暇は無い。正確には一週間程前に無くなった。

ぶっ倒れたい気持ちを抑えつけて、ブラウスとロングスカート。あとウィッグとメイクセットを用意する。

「さて」

俺は自分の意識を“妹としての神楽”に切り替えてつつ、女装を開始した。



十五分後───。

私は軽く姿見で綻びが無いかチェックしてから、姉の待つ居間へ向かった。

「ねぇ。明日の午後って何か予定ある?」

居間に現れた私に、律渦は待ってましたとばかりに訊ねてきた。実際待ってたのだろう。

「いえ、特に所用といったものは……」

私の返答が尻すぼみになったのは、何やら嫌な予感がしたからだ。案の定、律渦は両手を緩く併せて、上目遣いでもって私の瞳を覗き込んできた。

「お願いがあるの」

子供っぽい仕草とは裏腹の、意志を湛えた瞳。少なくとも、冗談を言うわけではないことが判った。

「私と一緒に、麻里と朱音に会ってほしいの」

一瞬、誰のことだか判らなかったが、そういえばこの前、律渦の友達といって出てきた名前だったなぁ、と思い出した。

「姉さんの友達だったわね。どうして、私も?」

それは当然の疑問だ。それに律渦と一緒となれば、私は妹として、彼女達と接しなければいけない。そのことに、流石の私でも多少の抵抗はあった。

「心配しないで。神楽はただの付き添いだから」

「……もしかして、外出したいのかしら?」

律渦は、うんと頷いた。母が不在の今、律渦が家を出るには私を頼るしかない。不特定多数の男性が行き交う外界へ一人で飛び出すには、律渦の男性恐怖症は根が深すぎるのだ。

「別に『弟』が同行する分なら、問題無かったんだけど……」

「当然、ついてきてほしいのは『妹』よ」

私の流し目に、律渦はキッパリと断言した。

「そうよねぇ……」

ここで問題なのは、律渦がどうこうというより、私の立場をどうするか、なのだった。

『律渦が外出すること』=『神楽が女装を衆目に晒す』であり、論点は、私が自分の尊厳を取るか、律渦の我儘を取るか。という感情的な部分なのだ。

「んぅ~…………」

「………………」

律渦はただ黙って、返事を待っている。

『弟』としては、正直友達に会うぐらいなら後回しにしてほしい。女装も、家の中だけだからこそ素直に割り切っていたのだ。

だが『妹』としては、姉の“おねだり”に応じてあげたい。それに律渦との外出なんて久し振りで少し楽しみだ───何て思えてしまう。

私はそこで、昨日の夜を思い出した。抱き締められた身体。柔らかな感触。仄かに薫る石鹸の匂い。

『───大好きよ。決まってるじゃない』

昨夜の律渦の、愛おしげな声。

…………ふっ。もう答えは決まってるじゃないか。

私は自分を胸中で嘲笑った。そもそも今の神楽は妹だ。断るには、理由が足りない。

───このとき、自分のことを自然に『弟』、『妹』と区別していることが異常だということに、まだ神楽は気付いていなかった。

「───わかったわ。姉さんのお願い、しかと承りました」

「そう……。ふふっ、ありがと!」

「ぉふっ」

威勢の良い謝辞と共に、律渦がぴょんっ、と飛びついてきた。慌てて受け止めるも勢いを殺しきれず、バランスを取るように数歩後退った。

認識が追いついたときには、律渦の整った顔が視界の大部分を覆い尽くしていた。

「姉、さん……」

「ん?」

甘えきった笑顔を向けてくる律渦は、まるで幼児退行したみたいで……。そのあどけない笑顔が、十年以上も前に散々見た、幼子の笑みと重って……。

自然と、右手が彼女の髪を梳くように動いた。さらさらと指をくすぐるその感触が、言い様の無い愛おしさを沸き上がらせた。

「不思議ね」

「ん?」

「姉さんが可愛くて仕方無いわ」

そう口にした自分が、まるで自分じゃない誰かみたいだった。

「ふふっ。神楽も可愛いよ」

首に回されていた手が下にいき、背中をさわさわと撫でてきた。むず痒いような心地好いような、変な感じがした。

プルルルルルルッ

不意に聞こえた電子音。まるで睦事のように撫で合う二人に水を刺したのは、一本の無機質な電話だった。



「はい……はい……。わかりました。来週ですね。はい。では───」

受話器を置くと、ふぅっ、と息が漏れた。電話越しとはいえ、馴染みの無い種類の人間との会話に、少しばかり気疲れしてしまったようだ。

「何処からだったの?」

居間に戻ると、律渦が早速訊いてきた。

「大学の教授で、渡橋という方でした」

先程の延長でつい敬語で答えてしまって、あっ、と反射的に口を隠した。その様に律渦が遠慮無く噴き出し、ニヤついた顔のままこちらを見上げた。

「もうっ、何?」

「いや、つい可愛くて…………ぷふっ」

思い出したのか、もう一度息を噴く姉。

「もう。それなりに大事な話なんだから、茶々入れないで」

少し強めに言うと、は~い、と子供じみた返事を返された。今といいさっきの飛びつきといい、どちらが姉だか判らないわね。

「単位について相談があるとかで、来週の土曜に一度顔を出してほしいって」

単位と聞いた瞬間、律渦は忘れてたとばかりに額を押さえた。

「忘れてた~」

実際に言っちゃったよ。

「幸い来週には母さんもいるだろうから、私が心配することは無さそうだけど」

「はくじょ~もの~」

いや、何が?

「……そんなに嫌なの?大学」

私の記憶が正しければ、結構充実したキャンパスライフを送ってた筈だけど。

「嫌というか……もっと家でダラダラしてたかった」

そっちかい。

「そんなんで弁護士なんかになれるの?」

「ぅ…………」

律渦は母同様、法に関わる職業を目指していて、今のところは弁護士が第一希望らしい。律渦の成績は、高校時代は校内でもトップクラスの成績だったらしい。が、大学に入ってからは、学部内で中の下にまでがくんと下がった。通っているのが国立の法学部ということを考えれば仕方無いかもしれないが。

とにかくそんなわけで、律渦には実はあまり余裕が無い。正直なところ、男性恐怖症なんかで休んでる場合ではないのだ。

「母さんにも一応、メールで伝えておくけれど。帰ってきたら改めて、自分から話しておくのよ?」

「はぁ~い」

私の念押しにも気の抜けた返事で応える律渦。

私は携帯電話を取り出しながら、今度育児雑誌でも探そうかしら?と、割と真剣に思った。

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