伏せ字は俺なりの自制心です
タイトルのとおり
外に出ると、いつの間にか空気が冷たくなってきていた。空は曇り、太陽は何処へか見えない。まるで今の俺の心象を映し出したような景色だ。
「ふぅ……」
別に森高達との会話でこんな気分になったのではない。もっと学生らしい憂鬱だ。具体的に言うと、試験課題についてだ。明日から試験期間に入る。そこで、各教科担任から課題が出されるわけだが……量が……前回の五割増しだった。英語では長文の意訳がズラリと並び、数学なんて教科書の章末問題クラスを五十問も出されて、物理と化学は一年生の頃に受けたところも範囲内にされた。いじめである。俺の前を歩く三、四人の見知らぬ女子生徒達も、「マジ最悪課題多すぎ」だの「しかも範囲広すぎ」だの「ア★ルひりひりするぅ」だの、試験についての愚痴をだらだら垂れ流している。……なんか一人だけ違うもの垂れ流してないか?非常に気になったものの、これ以上突っ込んだら脳内で規制がかかりそうなので強引に思考課題を変える。手っ取り早く、通りがかりの男子生徒達の会話を拾う。「パ★ズリもいいけどさ。俺は素股がイイと思うんだよ」「同感。パ★パンの娘がやるとヤバいな」「ラブ★チオも捨て難いぞ」「よし、今度リレーで官能小説書くか!」「おぉっ、それなら全部注ぎ込めるな!」………………。さて、素股の話だっけ?いやいやいや、駄目だろオイ。ア★ルと同レベルの下トークじゃねぇか。何なんだオイ。ここら一帯の話題が下方向に引っ張られてるんだけど。俺は已む無く思考を現実時間から切り離し、昨日見た全日本学生剣道大会の決勝の動画を脳内再生させた。苛烈な攻め合い、機を視る停滞、怒涛の打ち込み、一瞬の返し技。自分達とはまるで別次元の戦いだった。奴ら最早人外である。こうして動画を見ていると、凄いというより段々と呆れてくるが、俺の場合は見ないわけにもいかない。何故なら月一でしか練習してないから。想像訓練(=イメージトレーニング)は、どんな競技に於いても重要だ。実際に出来る出来ないに関わらず、理想の動作というものは、上達を目指す上で必須である。想像訓練とは、その理想の動作を思い描き、実現するための訓練なのだ。剣連や至誠館の先生方も、「ただ闇雲に練習するだけでは無駄だ」とよく言っていた。だからってロクに練習すらしない奴が言うのはどうなんだと突っ込まれそうだが。いや、俺は色々と諸事情があるのだから仕方無いといえば仕方無いのだが……。と、そんなことを考えてる間に校門に差し掛かっていた。あれだけだらだらと論を展開していたにしてはあまり進んでなかったな。一分も経ってないんじゃないか?自分の脳内時間の濃密さに驚愕しつつも、とりあえず校門をくぐる。そしていつもの通学路をてくてく歩き出そうとしたところで───
「ん?」
見知った顔を発見した。しかも二つ。一人は、垢抜けた雰囲気のやや小柄な女性。甘酸っぱい柑橘系の香りが思い出される。もう一人は、寡黙そうな雰囲気のスレンダーな女性。校門脇のフェンスに背を預けて、何かを待つように佇んでいるのは、間違いようもない。律渦の親友───麻里さんと朱音さんだった。私以外にも数人の高校生が、彼女達に目を留め、足を止めている。でも何故こんなところへ?ここは二人の母校というわけでもない。考えかけて、すぐに思い至った。───私だ。前日の電波越しの会話が思い出される。律渦のことでまた何か言いに来たのだろうか。どうやら二人とも、まだ私には気づいていないようだ。無視するのは失礼だし、こちらから声をかけてあげよう。
「あの───」
そう思い、近寄ろうと一歩踏み出して───そこで止まった。意識が───自分の穿く制服のズボンが見えて、今の自分の姿を思い出す───切り替わる。待て神楽よ。今の俺は、あの二人との関係は“無い”だろうが。ここで出てってもただのナンパだ。それにあの事件以来、二人共男性には警戒しているだろう。特に、見知らぬ人間ともなれば、態度如何によっては(主に俺が)心に深い傷を負う可能性もある。というか、そもそも今の“俺”には、あの二人と好き好んで話そうなんて気は更々無い。俺は直ぐ様踵を返すと、逃げるように早足で家路を進み出した。
その噂のフェンス前では、二人の女子大生がぽつぽつと会話を交わしていた。
「あの子……」
「ナニ?知ってる子でもいた?」
「うん……まぁ、そんなところね」
「ふぅ~ん」
麻里が気のない返事を返す横で、朱音はふと目についた、何処か見覚えのある男子生徒を目で追っていた。
「さて」
急がねば。私は着替えを済ませるとすぐに家を飛び出し、携帯を操作しつつ自転車に跨がった。そして片手でハンドルを繰りつつ、もう片方で朱音さんに電話をかける。あっ、ちなみに律渦には、オフ会に行くと言ってある。友達に会いに行くじゃないのは……まぁ、私の格好から察してほしい。
プルルルルルッ…………プルッ……ブッ
「あっ、朱音さん?」
『もしもし。あら、神楽ちゃん?』
朱音さんの声は、僅かに疑問を孕んでいた。そりゃそうだ。アポ無しで待っていた相手から突然電話が来るんだから。ペダルを強く踏み込みつつ、言葉を切り出す。
「突然すいません。実は───」
私は通学路を早歩きしながら考えた言い訳を、申し訳なさそうな調子で並べ立てた。
「今日は寄り道するつもりだったので、いつも使う正門ではなく裏口から出たんですが……用事を済ませて、さて帰ろうとした時に、友人からメールがありまして。『朱音さん達が正門前にいる』と。友人には以前、携帯の中身を少し覗かれてしまいまして。その時に、カラオケの帰りに撮った写真を見つけられて、失礼ながら紹介させて頂いたんです。友人から報せを受けた時にはもう家の近くでしたので、一旦家に帰らせて頂いたんです」
我ながら、よくもこう嘘八百を並べ立てられるものだと思うよ。将来は詐欺師かな。
『そう。じゃあ私達も、貴女の家に向かった方がいいわよね』
「いえ。もう十分程待って頂ければ、私の方から伺います」
『……分かったわ。じゃあ、待ってるから』
こちらが移動中だということを風切り音から察したのか、前とは変わって、あちらから通話が切れた。
「ふっ……」
私は携帯をジーパン(自転車を漕ぐので、流石にスカートはやめておいた)のポケットに捩じ込むと、ペダルを全力で踏みつけた。
「ハァ、ハァ……っ。申し訳ありません。待たせてしまって」
校門前に着くと、朱音さん達は変わらずフェンスにもたれかかっていた。
「別にいいわ、理由があったのだし。何より私達も、約束を取りつけて来たわけではないから」
「そうそう。私達の方こそ、いきなり学校にまで来ちゃってごめんね」
私の謝罪に二人は首を振り、こちらこそ悪かったと逆に謝られてしまった。年下の私にも、礼を以て接してくれる。律渦はいい友人を持ったものだ。
「ところでお二方。今日はどんなご用で?」
「お二方って……。ええとまぁ、律渦のことなんだけどね」
麻里さんが予想通りの答えを返した。いや、私自身も一瞬思いましたよ。お二方とかどんな時代劇だよと。でも仕方無いじゃないですか。敬語敬語で話してると、いつの間にか芝居染みた口調になってしまうんですもの。だからですものとか……。
「どしたの?八の字眉なんかしちゃって」
「あっ、いえ。何でもないです」
言えない。自分の口調にげんなりしてただなんて、なんか負けたみたいで言えない。
「ところで、そろそろ場所を変えない」
用件の確認が済んだところで、朱音さんが嬉しい提案をしてくれた。
「そうですね。では何処へ行きます?」
実はさっきから、ランニング中の陸上部がチラチラ見てきてて、居心地悪かったんですよねぇ。
「なら私の行きつけの喫茶店でいい?」
私の問いに、麻里さんが待ってましたとばかりに応じた。
「私はいいですよ」
朱音さんも続いて頷く。
───ということで、私達三人組は、その“麻里さん行きつけ”という喫茶店へと向かった。当然、私は自転車を引いてね。
続きはまだ書きかけ。