第三部
【まえがき】
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※尚、旧かなづかいは似非です。
『終曲』
水銀色の感熱用紙が
ようやくオメガを刻むころ
もうわたくしは何もかもが厭になっていて
薄い蜉蝣の二枚の羽根に
橙色のタングステンを透かし
そこへ蒼い煙を重ねてみるのです
不定形な三角窓にときおり白い処女や
優しげな若衆たちが見え隠れし
どうやらわたくしを誘っているようなのですが
もはやわたくしのこころは
何も生み出さないような気がしてくるのです
やがて硬質の銀河がトロリ堕ちてきて
遠く終焉のラッパが鳴る時刻──
わたくしはようやくうち連れて
おそらく最後の通信を送るのです
……狂想曲 第零番終了セリ
次回演奏ノ要請ヲ待ツ……
◆◆◆
『閃きのごとく』
生から逃れたいと願う死と
単に生きているというだけの生……
積極的な死と消極的な生とのあいだに
いったいどれほどのちがいがあると云うのですか?
上のほう 薄暗い半円から垂れてきた
青銅色のなにかがそうささやいたとき
わたしは自分がひとりであるという事実に
初めて気づいたということ
◆◆◆
『おまへのやうに』
たとへ今は世に組み込まれやうとも
おまへは半ば自由を持つている
麗らか陽気にやノド鳴らし
雨が降つては気もそぞろ
ほんにやう触れては響く音叉のやうに
放埓で耽美な心根よ
黙して結果で考へるでもなく
主人に噛みつくことを怖れず
だからと云つて疎まれることもなく
ただ気がつけば
あゝゐたのかおまへと知る程度
『あたいもおまへのやうに
なれればよかつたのにねえ……』
するとおまへはスツクと起きて
あたいの鼻を尻尾で払いゆく始末
本当に──おまへのやうに
なれればよかつたのにねえ……。
◆◆◆
『風の輪くぐり』
静かな麦藁には菜の花が
重い水の背には唄さえあります
すべては確かにある種の畢竟であり
タンパクとパルスの化学反応であるのですが
もたらされる結果はひとつとして同じものはなく
それぞれにそれぞれの想いを乗せて響きあう
しかしこれは
ほんとうに皆に知らせなくてはと私は云い
口々に何度も云い
嗚咽と動悸のうちに血を吐くのです
だから私は、もうこんな思いはしたくないのです
あそこの森と その森を吹く風に
良質の光合成と穏やかな心を持ちたいのです
そうしてたまにはあなたの泪にふれて
風の輪をくぐってみるのです
たとえ私という記号が失われても
以前私であったどこか一部は健在で
きっと吹いているでしょう
◆◆◆
『第一二〇七号室』
そのうちに嵐の予感を含んだ
なんだかぞくぞくする夜明け前の空気に怯え
暗がりに君の身体をまさぐって
まるで幼子のように震えます
君の胸の鼓動がとても落ち着くので
僕はもう何ものにも脅かされることはないのです
外は吹雪いていると君は云い
怖い人たちがあなたを責めようと
待ち構えているから
行ってはだめと云い
そっと僕を暖めて
だからもうなんにも怖くはないのです
もう葦の生い茂った隅にも
何か潜んでいる部屋の角々にも恐怖はなく
ただミルク色の漆喰と
消毒用アルコホールの香り
そして、
優しくうごく君の手とが
僕をつなぎとめているのです
◆◆◆
『ある日ポリプの丘のうえで』
ミラプロスの海岸線が
銀色の地形性降雨でにぎわう季節
角閃石族のきれいな結晶と
イリス根の精油の小瓶とをたずさえて
いつか外洋船員がくれたフイルタ付きの遠眼鏡で
ポリプの丘のうえから覗いたら
広場はすでに祭りの支度で波打っていて
僕はなぜだか急に寂しくなって
桜貝のまぶたをおろします
鈴の音きれいな梢の影で
君は金糸の虹彩をたたむのだけれど
みなの見ている前で
僕は黙っているしかできなかった
パタハタ消えたそのあたり
僕は君の海を見つけては
そっと想いを埋めました
ある日ポリプの丘のうえで
そんな悲しみがありました……
◆◆◆
『想い』
降りしきる雨の中
大切なカルトンが濡れないように
気をつけて抱えていたのに
とつぜん鳴った雷鳴に驚いて
ひょうしにあなたのカルトンを落としてしまった
あわてて拾ったのだけれど
もうどうしようもなくびしょ濡れで
腹を立てながらあと戻り
もう一カルトンようやく買って
今度こそ取り落とさないように用心深く
歩いていると
容赦なく落ちてくる五月雨にそそのかされて
不意に泪がこぼれた
手の中のカルトンがとても憎らしくて
これほどあなたを愛していることに気づいて
とても切なく、悲しかった午後
わたしは泪も拭かずに走って帰り
あなたに抱きついて思い切り泣いた
◆◆◆
『こわい、こわい』
もうずいぶん陽のひかりを見ていないので
とうとうお日様が怖いのです
いまではなにもかもが恐ろしく
ああ、電話のベルがこわい
(わたしを責める)
眼がこわい
(わたしを見ている)
声がこわい
(わたしを笑っている)
時間がこわい
(わたしを置いてゆく!)
ああ こわい、こわい……
長いことそんなふうだから
わたしに優しいのは
もう闇だけなのです
◆◆◆
『無題』
お早う──おはよう。こんにちは──さようなら。さよなら……“さよなら”……厭な言葉。なぜ嫌い──別れの言葉だから、でも出会いも嫌い。なぜ──出会えば必ず別れるもの、ただ見ていたい、離れて見ているのが好き。何を見るの──なに──空──鳥──花──草──海──なんでも──あらゆるもの──あらゆる生き物──小さな虫──大きな魚──すべてのもの──みんなきれい、見ていたい。ヒトは──見たくない。なぜ──ヒトはきれいじゃない。なぜ──ヒトは考えるもの。動物は考えないの──動物も考える、でも善悪を知らない、ヒトは善悪を知ってる、なのに考える、だから嫌い、きらい。あなたも考える──わたしも考える。あなたもきれいじゃない──そう。自分が嫌いなの──きらい──だけど好き。なぜ──わたしがわたしだから。どうして──わたし以外わたしを知らない、わたし以外わたしを好きになれない、だからわたしはわたしが好き。ひとりで生きてゆけるの──いけない。ではどうするの──どうもしない、待つの。なにを──変わるのを。なにが──世界が、わたし自身が。変えようとはしないの──しない。どうして──疲れたから。なにに──すべて、あらゆることに。死にたいの──死ぬのは厭。疲れたんでしょう──でも死なない、死ぬのはいや。なぜ──見たいから。なにを──世界が変わるのを、壊れるのを、どっちでもいい、ただ見たい。矛盾ね──そうね。壊れているのはあなたじゃないの──わたしは壊れてる、でもわたしはわたしが好き、壊れたわたしも好き。生き物が好き。水が好き。風が好き。この星が好き。でもヒトは嫌い。どうして怒るの。どうして傷つけるの。なぜ考えるの。ばか。バカ、みいんなバカ。わたしもばか。わたしはただ生きたいだけ。生きるために生きたいの。生きるのが好き。死ぬのは嫌い。だれもわたしを殺さないで。お願い。生きたいの。死ぬのは厭。わたしは生きたい。みんなでわたしを殺さないで。
【あとがき】
閲覧ありがとうございます。
今回の『第三部』は前回の続き。古い作品群の再修正版です。
このままダラダラと連載の形を続けようとも思ったのですが、ひとまずはこれで完結することにしました。
次は、また書き溜めたら適当に新規でアップしますのこと。