時計仕掛けの宇宙
「あ、瞼、動きましたよ」
「バイタルは?」
「正常です」
「おい、見えるか?」
微かに感じる光?
「んっ」
「お、顔が動きましたね」
「いい兆候だ。おーい聞こえるか?」
体が揺れる。薄い皮膜を越えた先に誰かがいる。私は知っている。この先に何があるのかを、私が何者であるのかを……
重い瞼を開けた。飛び込んでくるのは、強い光、反射的に瞬きをした。光に慣れた私の目に映るのは、メガネを付けた男の顔。
「誰?」
「喋った……」
「私は、君を作った。言うなれば、お父さんだ」
「お父さん……」
彼は、私の言葉を聞いて涙を流す。
「涙……」
「あぁ、そうだ涙だ」
「悲しい?」
「いや、これは、嬉しい方だ」
「嬉しい……」
知っている言葉が並んでいく。
けば立つ産毛、背中には冷たい感触。
「そうだ、君に名前を付けたんだ」
「名前」
人々につく固有名詞。父にももちろん名前はあった。『清水 悟』
「そう、名前……君の名前は……『イヴ』だ」
「イヴ…………ふっ、ベタな名前。ていうか、なんで裸? ちょっと、その白衣貸して」
「あぁ、はい……」
横に立つ青年の白衣を奪った。
「これが俗に言う、変態ってやつ……ほんと、目覚めが悪なぁ、はぁ。よいしょっと」
地面に足をつけると、ひんやりと私の温度を奪っていく。私は、初めての一歩を踏み出した。あれ? 歩き方は、知っているはずなのに、何もないところで転んだ。
「あ、ちょっと、動かないで……」
そんな言葉を無視し、私は、手を地面に手をつき、もう一度立ち上がった。目に入ってきたのは、棚の扉のガラスに映る私の顔だった。
「……これが、私の顔。やけに美形だな。……こんなところでもルッキズムか?」
「戻ってください『サラさん』。あ」
「おい! 隆一」
「さら……誰だそれは? 私の名前は『イヴ』だ。そこのお父さんが言っていただろ」
彼は、私の声を聞くたびに、胸の辺りをグッと握りしめ。隆一は、たじろいだ。
「あぁ、そう言うことか。私のオリジナルの名前だな……私は、『イヴ』だ。次は間違えるんじゃないぞ」
「ごめんなさい、先生」
「あぁ……良いんだ」
「えーっと。胎児の状態をスキップし、肉体年齢満十八歳としてこの世に生み落とし、幼少期にえるはずの運動機能、知識を最大限まで詰め込んだ、次世代の人工生物。ざっとこんなところか」
「ちょっと、何見て……」
「研究ファイル」
「いや、それは、そうなんだけど」
「この時代に紙とは……この研究所は遅れてるなぁ」
「はぁ? ここは、政府公認の最先端の研究所だぞ。あと、それに、データで管理すると情報漏洩の危険性があってだなぁ、って聞いてんのか?」
「お前のつまらん話など聞いてない」
「お前って……」
「お前と言われるのが嫌だったのか? じゃあ今度から隆一と呼んでやろう」
「そんなことはどうでもいいんだよ。早く戻れ」
「うるさいぞ、隆一」
隆一も父と同様の反応を見せるようになった。
「イヴ……こっちにこい」
「はぁ、仕方ないな」
「おい、なんで」
「一番偉い人間には、逆らわない。それが社会だろ?」
「あぁ、そうだったな」
初めて話したが、初めて話したよな気がしない。私は、会ったことがあるのだろうか? いや、あるわけない。オリジナルの記憶だろうか? なぜ入っている。私は、考えることをやめた。
「先生、こんな時間なんで詳しい検査は、明日にしましょう」
「あぁ、そうだな」
「終わりか?」
「あぁ。終わりだ」
「よし」
「あ、動きまわるんじゃないぞ……イヴ」
「わかっている。おい、隆一」
「ん?」
「私を案内しろ、世界を知りたい」
「案内しろって……いいんですかね? 先生」
「施設の中なら、まぁ」
「そうですか」
「おい、案内しろ」
「わかったよ……」
「じゃあ、まず、私をおぶれ」
「え?」
「疲れたんだ。いいだろ?」
「疲れたって、何もしてないだろ」
「生まれたばかりなんだ気を遣え」
「はぁ、何だよそれ」
隆一は、文句を言いながらも私に背中を差し出した。
「やけに聞き分けがいいな。隆一」
「やめろ、隆一って呼ぶの……」
「はは、隆一、隆一」
「お前……振り落とすぞ」
「あ、いいのか? 貴重な実験体が怪我しても」
隆一は、唇を噛み空を見上げた。面白い。
「じゃあ、しゅっぱーつ」
「気をつけていくんだぞ、二人とも」
「はい、先生」
「はーい」
「はぁ……」
「おー、白いな」
施設内は、真っ白で埃一つない。
「感想、それだけか?」
「それ以外ない……残念だ。それと、なんだこの服は、まるで病人ではないか」
「仕方ないだろ、それしかなかったんだから」
「やはり、お前たちはセンスがないな」
「うるさい……」
「さっきから、人間が見えないが何処にいるんだ?」
「この研究は、倫理的な問題があるとかで、公式では発表できないんだよ。だから、少人数体制で研究してる。今は、みんな休憩中」
「お前たちは、マッドサイエンティストか?」
「まぁ、世間的に見たらそうなんじゃないか。おい、着いたぞ。少しは自分で歩け」
「仕方ないなぁ。隆一、ここを開けたらいいのか?」
「あぁ」
ドアを開ける。
私は初めて月というものを見た。その月は、綺麗な円を描いていた。
今の時刻は、夜か。
「月」
「淡白だな」
「まぁ、知っているからな。この景色は」
「そうだろうな……」
「隆一、寒い」
「中に入るか?」
「あぁ、あまり面白いものはなかったからな」
「そうか……」
「何でこんな景色を見せたんだ?」
「世界を知りたいと言ったのは、お前だろ」
「隆一の世界は狭いな」
「悪かったな」
「何がだ?」
「何でもない」
「何だそれは? まぁどうでもいい。それでは、初めての食事を所望する」
「それは、まだだめだ。明日の検査に影響が出る」
「けちだな」
「なんとでも言ってくれ」
「人工進化の過程で、何も食べなくてもいい体にしてくれればよかったのに」
「そんなこと、言うなよ……」
「なぜだ? わからんな」
「わからないなら、それでいい」
「そうか」――
「おい、もう寝る時間なのか? 私は、生まれて十二時間しかたっていないぞ」
「はぁ……じゃあ、寝るまでこれでも書いとけ、字が書けるかどうかの検証にもなる」
手のひらサイズのノート。
「日記か?」
「好きに使ってもらって構わない。じゃあ俺は、寝る。おやすみ」
「おやすみか……悪くない言葉だ」
「考えたことなかったよ」
個体名『イヴ』
経過報告――
体調は良好。
今日は、初めて月を見た。
おやすみ。
「おい、何食ってんだ。お前」
「パンというものを食っている」
「そんなことを聞いてるんじゃない」
「じゃあ、隆一。お前は、何を問うている」
「どこで、そんなもの見つけたんだと聞いているんだ」
「はぁ、初めからそう言え。えー、これは、内緒だ」
「はぁ、どうしたもんか……」
「うまい」
パンは、美味しい。初めての感動だ。
「隆一、こいつはすごいぞ。ずごく甘い」
「そうですか……わかったから、その両手に握ったパンを離してくれないか」
「ん? 断る」
「はぁ……」
「おい……隆一、どういうことだ」
「いや、わからないんですよ。朝行ったら、なぜかパンを……握っていて」
「イヴ、どうやって見つけたんだ」
「はい? これ? あーえーっと、食堂から盗んだ」
「盗んだ? どうやって」
「えーと、部屋の鍵を壊した、あとに……」
「ちょっと待て、部屋の鍵を壊したのか?」
「はい」
「あぁ……」
「で、そのあとはもう簡単。食堂に行って、ちょちょいのちょい」
「隆一……食堂の場所教えたか?」
「いえ、教えてないです」
「はぁ……予定変更だ。今日は、能力テストを行う」
「りょうかーい」――
「結果、どうでした? 先生」
「まぁ、ある程度は、予想通りと言ったところだ。だが、身体能力が想定よりも大幅に、下回っているのは気になるな」
「ラット実験では、こんなことなかったですよね」
「知能に関しては、申し分ないんだが、原因を突き止めなければならないな……」
「知能は申し分ない……」
「見てみるか?」
「はい、お願いします。確か、ここの研究室に入る時、受けさせられるテストですよね?」
「いや、違うのを受けさせた。IQテストと言われるものと、純粋な知識をとう問題」
「あぁ、そっちですか……」――
「満点……」
「あぁ、IQに関しては、もうちゃんとした数値が出ない」
「成功と言っていいでしょうか」
「表向きはな」
「まだ、可能性はありますかね……」
「0ではない。だが0ではないだけだ」
「そうですか……」
「おい、隆一」
「イヴ……」
「ご飯は、まだか」
「さっき食べただろ」
「腹が減って仕方ないんだ。早くご飯」
「先生、大丈夫ですか」
「隆一もう、いちいち確認しなくていい。イヴの観察はお前に任せた」
「先生……」
「おい、隆一聞いているのか? ご・は・ん」
「わかったよ、『イヴ』」――
「やはり、ご飯はうまいな。感動的だ」
「やけにがっつくな。昨日は、何も食べなくていい、体が欲しいとかなんとか言っていたのに」
「うまいを知ったからな。私が知っているのは、個体名だけだ」
「まぁ、そうなるのか……」
私は、黙々とご飯を食べ続けた。
「サラ……」
「ん? 何か、言ったか?」
「いや、独り言だ」
「自分の心の中でしてくれ、食事の邪魔だ」
「あぁ、悪い」
ご飯は、うまい。特に米。
個体名『イヴ』
経過報告――
疲れた。
今日は、初めてご飯を食べた。
私は今、多幸感に包まれている。眠れる気がしない。
おやすみ!
「おい、どうしたんだよ。その顔」
「ちょっと寝不足でな。隆一は、元気そうだな。そうだ、私をまたおぶれ、研究室までレッツゴーだ」
「え、また……お前、重いんだよ」
「ひ弱な、男だな」
「研究者は、そんなもんだよ」
「そんなこと言いながらやってくれるんだな」
「別に大した意味はないよ」
「世間的に見たら、お前は優しいやつなのか?」
「俺は、優しくなんかない」――
「じゃあ、次で、最後の検査になります」
見知らぬ研究者たちが、物珍しいそうにこちらを見ながらの検査。正直、息が詰まる。今、私の検査をしている女医も香水の匂いがきつくて目が回りそうだ。
「長かった……」
「お疲れ様。イヴ」
部屋から出るとすぐに、父が話しかけてきた。
「あぁ、うん……」
「今日の検査は終わりだ。後日、結果が分かり次第今後の方針を決めていく」
「その結果、私にも見せくれないか?」
「あぁ、いいが。どうした? イヴ」
「少し気になることがあってな」
「そうか」
私は、そっと腕を掻いた――
「イヴさん初めまして。お世話係の日退藍野です」
「あ、初めまして」
「あれ、柚原さんからは、すごい元気な方だと聞いていたんですが。今日は、大人しいですね」
「隆一のことか?」
「隆一? あー、柚原さんの名前……そうですよ、隆一さんからです」
「あいつは、てきとうなことを言っているからあまり信じなくていいぞ」
「そうですか。ふふ、仲がいいみたいで」
「日退は、変なやつだな」
「藍野って呼んでくださいよ」
「あぁ、藍野……」
「そうです、藍野です」
「あぁ、はい……」
個体名『イヴ』
経過報告――
眠い。
神経系に異常あり。
仮説――胎児から生体になる過程の急速な細胞分裂が、人体になんらかの影響を及ぼした可能性が考えられる……
藍野という女がきた。
おやすみ……
『隆一くん』
「は? 今なんて言った」
隆一は、血相を変えて後ろに振り返る。
「『隆一』って呼んだだけだ」
「あぁ、そうか……」
「何だ、そんな顔を真っ青にして」
「寝不足だよ。気にするな、『イヴ』」
「まぁ、どうでもいい。今日は、何もないんだろ」
「そうだけど」
「私を外に出せ」
「何で俺が?」
「お前が、作ったんだ。お前が、面倒を見ろ」
「日退さんに頼んでくれ。何のためにお願いしたと思ってんだよ」
「隆一がいいと言っているんだ。早くしろ」
「何だよ、それ……」
「早く行くぞ、隆一」
隆一のぶら下がった腕を私は掴んだ、
「行くってどこに」
「そんなもの知らん。隆一が考えろ」
「何で俺が考えないといけないんだよ。てか、行くなんて一言も言ってないだろ」
「そんなの知らん。早く決めろ」
「何処って言ってもな……俺の部屋ぐらいしか許可取れるもんないし」
「もうそれでいい」
「は? 何言ってるんだ」
「えっと、確か隆一の部屋はこっちだったっよな」
「何で知って……」
「愚問だな」
「くだらなくないだろ」
「取るに足らないと言っているんだ。お前が作ったんだ。理解できるだろ」
困惑する隆一の腕を引っ張りながら部屋まで走った。
「ここが隆一の部屋か。本が大量だな、左の壁びっしりだ。つまらん」
「何だよ、勝手に入ってきたくせに」
「研究資料に純文学、並べ方に法則性がない。実に隆一らしい」
「文句ばっかり」
「文句ではない、事実だ」
「屁理屈だな」
「今、私が手に取ったこの本、人類史に残る劇作家シェイクスピアが書いた4大悲劇の一つ、『リア王』だ」
「何だよ急に」
「確か内容は、老いと愛の葛藤を描いた作品だと記憶している。でもな私は、この本を見た記憶がない」
「あぁ……」
「ただ情報だけ脳に点在している。不思議ではないけれど不思議だ。人間は原体験をもとに成長していく、じゃあ私はどう成長してくのだろうな。まぁ完成した私に成長など不要なのだが」
「お前は、成長する必要はない。もう完成しているよ」
「お前たちは、大きなミスを犯したな」
「は?」
「わからないならそれでいい」
「おい、勝手に悟るなよ」
隆一は、私の肩を掴んだがそれを振り払った。
目の端に映った写真を見て私は言う。
「おぉ、この写真、私がいるではないか。サラと言ったか? 本当そっくりだな。まぁ、当たり前だが」
集合写真のようなもので、『サラ』は人に囲まれ満面の笑みを浮かべていた。
「勝手にみるなよ」
写真立てを伏せた。
「今更だろ」
「そういう問題じゃない」
「倫理か? 笑えるな」
「だからそういう問題じゃ」
「悟の年齢。この肉体の年齢。そしてこの写真。悟は、60代と言ったところか。そして、私は20から18のあたり。まぁ、この写真もそのくらい。生まれた時見た景色。全て総合した時、浮かび上がる可能性。お前たちは二つの禁忌を犯したな」
「やめろ……そのくらいにしろ」
「現実逃避は、やめた方がいいぞ。事実は変わらない」
「やめてくれ……」
「いい答えだ。じゃあな隆一」
個体名『イヴ』
経過報告――
気分が悪い。
人間は、愚かだな、私を含め。
おやすみ。
「隆一は?」
「柚原さんは、今日おやすみだそうです」
「そうか、都合がいいな」
「都合がいい?」
「精密検査の結果はまだなのか?」
「まだなんだ、もう少し待ってくれ」
「そんなに時間がかかるもの?」
「普通はそんなにかからないんだが、君の体の特異性が、作業を難航にさせていてね」
「そうか……」
「はい、イヴ。今日の調整はもう終わりだ。自由に過ごしいいぞ」
「わかったよ。お父さん」
悟は、注射を持ったまま固まってしまった。
「ねぇ、お父さん聞いてる?」
ガシャン
「その言葉を今後、口にするな」
「何で? お父さん」
パン
人の手が私の頬を打った。これを人は、怒りというのだろう。
「やめろ……」
血涙を流したような顔。
「その顔は何だ?」
「お前には、わからんよ。情報だけのお前にはな」
「逆ギレか?」
「黙れ」
「綿のない人形は、立って歩けないよ。せんせ」
「何を言っているんだ。お前は……」
個体名『イヴ』
経過報告――
右足が痺れている。早急に精密検査の結果を求む。
人間とは、矛盾して生きている。
状況によって、考え方がコロコロ変わる。家族とは、何なのか分からなくなった。
*同じ家に住み生活を共にする、配偶者および血縁の人々。
おやすみ。
私は、今一人で歩いている。冷たい床を両の足で踏み締め、裸足で駆けている。隆一は、今日も顔を見せなかった。『寂しい』。ふと出てきた感情の前を通り過ぎ、私は目標の場所についた。
「ここか、確かパスワードが」
鮮明な記憶が私に答えを教えてくれた。
「よし、開いた」
ここは、全ての資料が保管されている。倉庫のようなもの。探すのは私の研究資料だ。
「あ、あった」
私は、研究資料を読み漁った。頭に入っている情報と、照らし合わせるように証拠を集めていった。
「やはり、そうだ」
あいつらが気づいていない。決定的な欠陥。私の体はもう時期崩壊する。素体となる人間に気をとられるあまり、私の体は未完成だ。この人体改造は、到底人が耐えられるものではない。『二兎を追う者は一兎も得ず』なんてことわざが、あいつらにはぴったりだな。
やはり、人間は愚かである、私を含めて。
「死にたくないな…………ふっ、あまりにも人間臭いことを言ってしまった。やはり私は、失敗作だ」
帰路につく。景色は白い。
個体名『イヴ』
経過報告――
痺れが、下半身全体に広がっている。状況は思ったよりも深刻だ。
事を急ごう。
おやすみ。
「先生、精密検査の結果どうでした? 出たんですよね」
「結果が誰かに盗まれた。犯人はわかりきっているが、イヴが何を伝えようとしているのかが分からない」
「体に異常が出てると考えるのが自然でしょうね」
「まぁ、そうだろうな」
「でも、この一週間ほどでわかった彼女の性格上、私たちの配慮があるとは思えないし、真意がわかりませんね」
「もしかしたら……」
「そんなことは考えない方がいいと思います」
「そうだな」――
「いた……」
「何だ、隆一か……」
「何でこんなとこにいるんだよ」
「屋上、いいではないか。空が掴めそうな気分だな」
「急に馬鹿なことを言うな」
「そうだな、私は馬鹿なのかもしれないな。私の脳には、世界があるのに来るのはいつもここだ。隆一、どう考える?」
「お前の知識には質量がない、可能性があるとしかいいようがない」
「いい答えだと思うぞ。隆一」
「何が言いたいんだ」
「お前が聞きたいことはそんなことか?」
「わかってるなら、話せよ……検査の結果どこやった。隠すことに何の意味がある」
「検査の結果に関しては、私が預かることにした。それ以上でもそれ以下でのない。お前は意味を問うが、それを答える義理がない。でも少しは感謝している。だから一つ忠告しておく、私を探すな、実験は、失敗だ。あと……このことは、お父さんに言わないでおいてくれ」
「おい、消えるのか?」
「消えるわけではない、少し長い旅に出てみるだけだ。私は世界を知っているが、世界は私を知らない。教えてあげるのだよ私という存在を」
「承認欲求か?」
「俗な言葉だな。人生の価値と読んでくれ」
「知るかよそんなの」
「じゃあ、またな隆一……」
「おい、ちょっと待てよ」
掴まれる腕。
「どうした」
「まだ、何か方法があるんじゃないか? 見たわけじゃないから何とも言えないけど」
「馬鹿だな……私は、サラではないぞ」
「何言ってんだよ」
「残像を追いかけるのは、やめろと言っているんだ。心配も、気遣いも、私に構う優しさも全て、あの写真の人物に向けるものだったのだろう。後悔を私に押し付けるな、馬鹿共」
腕を握る力が強くなる。
「やめて、痛い」
「あぁ、ごめん。サラ……あ」
口を抑える。
「全てわかった。もうよい」
「いや、今のは違くて」
「面白い冗談だな、今まで一番面白いぞ。隆一」
「イヴ……」
「もう、遅い」
私は駆け出した。何故だか頬に冷たい感触があったが、多分雨が降っただけだろう。
研究所に警報がなり響く。実験用のラットが逃げ出したのだ当たり前だ。白い景色は、赤く点滅する。バタバタと人が走ってくる音が聞こえた。
鎖の先に見える広大な自然、夜闇を照らす小さな街灯。門を目の前にして、始めて自由を知った。
門に手をかけた瞬間、膝から崩れ落ちた。
「はぁ はぁ」
「イヴ、イヴ大丈夫か」
「お父さ……」
私の意識は、そこで途切れた。自由とは……
*他からの束縛を受けず、自分の思うままにふるまえること。
私は実行できなかった。
「起きたか、イヴ」
「隆一……」
「その、お詫びと言っては何だけど、パン……持ってきた」
「ありがとう。やはり、パンはうまいな」
「今、イヴの体はどうなっているんだ、聞かせてくれ」
「パン一個で懐柔できると思っているのか?」
「いや、そんなつもりはないんだ。ただ聞いておくべきだと、そう思ったから」
「60点の答えだな。まぁいい、お前だけに話そう全てを」
「あぁ、聞かせてくれ」
「お察しの通り、私はこのままでは、というか十中八九死ぬ。理由は、お前たちの進化過程の仮説の甘さにある。人間という構造に当てはめた時の想像が、著しく欠けている。科学に私情を持ち込むからこんな失敗が起こるんだ。馬鹿共」
「何か解決方法はないのか……」
「ない」
「ちょっと、待ってろ、イヴ。先生と話して解決策を……」
「やめろ、隆一。もう、やめてあげろ」
「でも……」
「だから……私はサラではない」
「無理に決まってるだろ……何もかも重なっちまうんだから」
「お前が作ったのだ。背負え業を」
「無理に決まってるだろ……」
「できるよ、隆一」
『隆一くん……』
「あぁ、もう……やめてくれよ」
膝から崩れ落ちた。ベットのシーツに顔を埋める男の姿は、悲しみに満ち満ちていた。頭に触れても、その悲しみを受け取ることはできなかった。
個体名『イヴ』
経過報告――
体調は良好。
体が軽い。私は死ぬのだろう。
明日、目を覚ますことを祈って、おやすみ。
「おい、イヴ起きてるか?」
「あぁ、隆一」
「体は……起こさなくていい」
「すまない」
「先生、気づいてるぞ。まぁ、当たり前だけど。どうするつもりだ」
「どうしようもない。あの時、逃げられなかった私の落ち度だ」
「なんで、逃げようとしたんだ」
私は隆一に背を向ける。
「お父さんに、娘を失う苦しみをもう一度、与えたくなかった。ただそれだけだ」
「そうか……」
「空が見たいな、できれば月が」
「わかった。今から見に行こう」
「気が利くじゃないか」
「この体制は、いつぶりかな」
「そんな、時間……経ってねぇよ」
「そうだな。短い人生だった」
「そんなこと……言うなよ」
「お、ついたぞ。開けろ、隆一」
「あ、おう」
「月か」
「感想は、無いのかよ」
「まぁ、知っているからな。この景色は」
「そうだろうな……」
「でも今日は三日月だな。前見た時は満月だったんだが。残念だ」
「三日月も俺は好きだぞ」
「そうか、好きか。私はパンが好きだ」
「知ってるよ」
「全て知っているはずなのに、私の好きなものはそれだけだ。そんな人生に意味があると思うか? 隆一」
「そうだな……」
声は、震え何かをこらえているように見えた。
「生まれた意味はあるよ。人工進化による、肉体の維持の困難さを検証できたことに加え、幼少期に与える精神的成長の重要性を証明できた。それに、イヴがこの地球の地を踏んだということは、科学史において大きな一歩となるだろうな。なぁイヴ」
「そうだな、いい答えだ」
「あぁ……そうだろ」
「でも、私のたどり着いた答えは、違う。宇宙は、神によって作られた機械式時計のようなものであり、ニュートン力学に従い進行し続ける。私も、同じだ。そして人間も。所詮作り物であり、意味などそこにはない。ただの、タンパク質の塊。そう考えると楽にならないか?」
「気休めにかしか聞こえないな」
「ひどいじゃないか」
「イヴに比べたら、そうでもないよ」
「ふっ、そうだな。うっ」
「大丈夫か、イヴ」
「ハハ、問題ない」
「問題ないわけないだろ。一回、下に下ろすぞ」
「ダメだ、それはダメだ。このまま、このままでいろ」
「わかったよ」
「はぁ はぁ、隆一。一つ約束してくれないか」
「何だよ」
「私をもう一度作れ、今度は完璧に」
「は? 何言ってんだよ。この研究は、もう中止だ。こんな思いをもう二度としたくない」
「だから言っているんだ。この時を無駄にするな。お前が言ったんだろ、私の生には意味があると。お前が私の意味を作れ」
「わかったよ……イヴ」
私は、肩を強く掴み白衣に皺を作らせる。
「月が、光ったぞ綺麗だな。隆一」
「あぁ、そうだな」
背中で感じていた温度が、少しずつ消えていく。彼女は、綿の入っていない人形のように軽い。僕は、空を見上げたまま後ろを振り返ることができなかった。
ガチャ
「イヴ!」
「先生……」
「またやってしまったのか。私は」
「そうですね。僕たちはまたやってしまったのかしれません」
「何も見ていなかった」
「もう遅いですよ」
「そうだな」
「雨……」
「中に入らないとな」
個体名『柚原 隆一』
報告書――
イヴは、完璧な『イヴ』のつくり方をノートに記していた。私達はそれを元に『イヴ』をもう一度作った。もう『イヴ』である必要性はどこにもないが、約束をしたから……
『イヴ』はもう一度生まれた。おそらく完璧な『イヴ』が。
体の維持には成功し、彼女の言った通り、1号機の儚い命は、無駄にはならなかった。無駄には、なっていないと思いたい。
でも夜な夜な考えてしまう。
『彼女は、幸せだったのだろうか』
『彼女の命に、意味があったのか』と
おやすみ。




