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時計仕掛けの宇宙

作者:
掲載日:2026/02/24



「あ、瞼、動きましたよ」

「バイタルは?」

「正常です」

「おい、見えるか?」

 微かに感じる光?

「んっ」

「お、顔が動きましたね」

「いい兆候だ。おーい聞こえるか?」

 体が揺れる。薄い皮膜を越えた先に誰かがいる。私は知っている。この先に何があるのかを、私が何者であるのかを……

 重い瞼を開けた。飛び込んでくるのは、強い光、反射的に瞬きをした。光に慣れた私の目に映るのは、メガネを付けた男の顔。

「誰?」

「喋った……」

「私は、君を作った。言うなれば、お父さんだ」

「お父さん……」

 彼は、私の言葉を聞いて涙を流す。

「涙……」

「あぁ、そうだ涙だ」

「悲しい?」

「いや、これは、嬉しい方だ」

「嬉しい……」

 知っている言葉が並んでいく。

 けば立つ産毛、背中には冷たい感触。

「そうだ、君に名前を付けたんだ」

「名前」

 人々につく固有名詞。父にももちろん名前はあった。『清水 悟』

「そう、名前……君の名前は……『イヴ』だ」

「イヴ…………ふっ、ベタな名前。ていうか、なんで裸? ちょっと、その白衣貸して」

「あぁ、はい……」

 横に立つ青年の白衣を奪った。

「これが俗に言う、変態ってやつ……ほんと、目覚めが悪なぁ、はぁ。よいしょっと」

 地面に足をつけると、ひんやりと私の温度を奪っていく。私は、初めての一歩を踏み出した。あれ? 歩き方は、知っているはずなのに、何もないところで転んだ。

「あ、ちょっと、動かないで……」

 そんな言葉を無視し、私は、手を地面に手をつき、もう一度立ち上がった。目に入ってきたのは、棚の扉のガラスに映る私の顔だった。

「……これが、私の顔。やけに美形だな。……こんなところでもルッキズムか?」

「戻ってください『サラさん』。あ」

「おい! 隆一りゅういち

「さら……誰だそれは? 私の名前は『イヴ』だ。そこのお父さんが言っていただろ」

 彼は、私の声を聞くたびに、胸の辺りをグッと握りしめ。隆一は、たじろいだ。

「あぁ、そう言うことか。私のオリジナルの名前だな……私は、『イヴ』だ。次は間違えるんじゃないぞ」

「ごめんなさい、先生」

「あぁ……良いんだ」

「えーっと。胎児の状態をスキップし、肉体年齢満十八歳としてこの世に生み落とし、幼少期にえるはずの運動機能、知識を最大限まで詰め込んだ、次世代の人工生物。ざっとこんなところか」

「ちょっと、何見て……」

「研究ファイル」

「いや、それは、そうなんだけど」

「この時代に紙とは……この研究所は遅れてるなぁ」

「はぁ? ここは、政府公認の最先端の研究所だぞ。あと、それに、データで管理すると情報漏洩の危険性があってだなぁ、って聞いてんのか?」

「お前のつまらん話など聞いてない」

「お前って……」

「お前と言われるのが嫌だったのか? じゃあ今度から隆一と呼んでやろう」

「そんなことはどうでもいいんだよ。早く戻れ」

「うるさいぞ、隆一」

 隆一も父と同様の反応を見せるようになった。

「イヴ……こっちにこい」

「はぁ、仕方ないな」

「おい、なんで」

「一番偉い人間には、逆らわない。それが社会だろ?」

「あぁ、そうだったな」


 初めて話したが、初めて話したよな気がしない。私は、会ったことがあるのだろうか? いや、あるわけない。オリジナルの記憶だろうか? なぜ入っている。私は、考えることをやめた。



「先生、こんな時間なんで詳しい検査は、明日にしましょう」

「あぁ、そうだな」

「終わりか?」

「あぁ。終わりだ」

「よし」

「あ、動きまわるんじゃないぞ……イヴ」

「わかっている。おい、隆一」

「ん?」

「私を案内しろ、世界を知りたい」

「案内しろって……いいんですかね? 先生」

「施設の中なら、まぁ」

「そうですか」

「おい、案内しろ」

「わかったよ……」

「じゃあ、まず、私をおぶれ」

「え?」

「疲れたんだ。いいだろ?」

「疲れたって、何もしてないだろ」

「生まれたばかりなんだ気を遣え」

「はぁ、何だよそれ」

 隆一は、文句を言いながらも私に背中を差し出した。

「やけに聞き分けがいいな。隆一」

「やめろ、隆一って呼ぶの……」

「はは、隆一、隆一」

「お前……振り落とすぞ」

「あ、いいのか? 貴重な実験体が怪我しても」

 隆一は、唇を噛み空を見上げた。面白い。

「じゃあ、しゅっぱーつ」

「気をつけていくんだぞ、二人とも」

「はい、先生」

「はーい」

「はぁ……」


「おー、白いな」

 施設内は、真っ白で埃一つない。

「感想、それだけか?」

「それ以外ない……残念だ。それと、なんだこの服は、まるで病人ではないか」

「仕方ないだろ、それしかなかったんだから」

「やはり、お前たちはセンスがないな」

「うるさい……」

「さっきから、人間が見えないが何処にいるんだ?」

「この研究は、倫理的な問題があるとかで、公式では発表できないんだよ。だから、少人数体制で研究してる。今は、みんな休憩中」

「お前たちは、マッドサイエンティストか?」

「まぁ、世間的に見たらそうなんじゃないか。おい、着いたぞ。少しは自分で歩け」

「仕方ないなぁ。隆一、ここを開けたらいいのか?」

「あぁ」

 ドアを開ける。

 私は初めて月というものを見た。その月は、綺麗な円を描いていた。

 今の時刻は、夜か。

「月」

「淡白だな」

「まぁ、知っているからな。この景色は」

「そうだろうな……」

「隆一、寒い」

「中に入るか?」

「あぁ、あまり面白いものはなかったからな」

「そうか……」

「何でこんな景色を見せたんだ?」

「世界を知りたいと言ったのは、お前だろ」

「隆一の世界は狭いな」

「悪かったな」

「何がだ?」

「何でもない」

「何だそれは? まぁどうでもいい。それでは、初めての食事を所望する」

「それは、まだだめだ。明日の検査に影響が出る」

「けちだな」

「なんとでも言ってくれ」

「人工進化の過程で、何も食べなくてもいい体にしてくれればよかったのに」

「そんなこと、言うなよ……」

「なぜだ? わからんな」

「わからないなら、それでいい」

「そうか」――


「おい、もう寝る時間なのか? 私は、生まれて十二時間しかたっていないぞ」

「はぁ……じゃあ、寝るまでこれでも書いとけ、字が書けるかどうかの検証にもなる」

 手のひらサイズのノート。

「日記か?」

「好きに使ってもらって構わない。じゃあ俺は、寝る。おやすみ」

「おやすみか……悪くない言葉だ」

「考えたことなかったよ」


 個体名『イヴ』

 経過報告――

 体調は良好。

 今日は、初めて月を見た。

 おやすみ。

 


「おい、何食ってんだ。お前」

「パンというものを食っている」

「そんなことを聞いてるんじゃない」

「じゃあ、隆一。お前は、何を問うている」

「どこで、そんなもの見つけたんだと聞いているんだ」

「はぁ、初めからそう言え。えー、これは、内緒だ」

「はぁ、どうしたもんか……」

「うまい」

 パンは、美味しい。初めての感動だ。


「隆一、こいつはすごいぞ。ずごく甘い」

「そうですか……わかったから、その両手に握ったパンを離してくれないか」

「ん? 断る」

「はぁ……」


「おい……隆一、どういうことだ」

「いや、わからないんですよ。朝行ったら、なぜかパンを……握っていて」

「イヴ、どうやって見つけたんだ」

「はい? これ? あーえーっと、食堂から盗んだ」

「盗んだ? どうやって」

「えーと、部屋の鍵を壊した、あとに……」

「ちょっと待て、部屋の鍵を壊したのか?」

「はい」

「あぁ……」

「で、そのあとはもう簡単。食堂に行って、ちょちょいのちょい」

「隆一……食堂の場所教えたか?」

「いえ、教えてないです」

「はぁ……予定変更だ。今日は、能力テストを行う」

「りょうかーい」――


「結果、どうでした? 先生」

「まぁ、ある程度は、予想通りと言ったところだ。だが、身体能力が想定よりも大幅に、下回っているのは気になるな」

「ラット実験では、こんなことなかったですよね」

「知能に関しては、申し分ないんだが、原因を突き止めなければならないな……」

「知能は申し分ない……」

「見てみるか?」

「はい、お願いします。確か、ここの研究室に入る時、受けさせられるテストですよね?」

「いや、違うのを受けさせた。IQテストと言われるものと、純粋な知識をとう問題」

「あぁ、そっちですか……」――


「満点……」

「あぁ、IQに関しては、もうちゃんとした数値が出ない」

「成功と言っていいでしょうか」

「表向きはな」

「まだ、可能性はありますかね……」

「0ではない。だが0ではないだけだ」

「そうですか……」

 

「おい、隆一」

「イヴ……」

「ご飯は、まだか」

「さっき食べただろ」

「腹が減って仕方ないんだ。早くご飯」

「先生、大丈夫ですか」

「隆一もう、いちいち確認しなくていい。イヴの観察はお前に任せた」

「先生……」

「おい、隆一聞いているのか? ご・は・ん」

「わかったよ、『イヴ』」――


「やはり、ご飯はうまいな。感動的だ」

「やけにがっつくな。昨日は、何も食べなくていい、体が欲しいとかなんとか言っていたのに」

「うまいを知ったからな。私が知っているのは、個体名だけだ」

「まぁ、そうなるのか……」

 私は、黙々とご飯を食べ続けた。

「サラ……」

「ん? 何か、言ったか?」

「いや、独り言だ」

「自分の心の中でしてくれ、食事の邪魔だ」

「あぁ、悪い」

 ご飯は、うまい。特に米。


 個体名『イヴ』

 経過報告――

 疲れた。

 今日は、初めてご飯を食べた。

 私は今、多幸感に包まれている。眠れる気がしない。

 おやすみ!


「おい、どうしたんだよ。その顔」

「ちょっと寝不足でな。隆一は、元気そうだな。そうだ、私をまたおぶれ、研究室までレッツゴーだ」

「え、また……お前、重いんだよ」

「ひ弱な、男だな」

「研究者は、そんなもんだよ」

「そんなこと言いながらやってくれるんだな」

「別に大した意味はないよ」

「世間的に見たら、お前は優しいやつなのか?」

「俺は、優しくなんかない」――



「じゃあ、次で、最後の検査になります」

 見知らぬ研究者たちが、物珍しいそうにこちらを見ながらの検査。正直、息が詰まる。今、私の検査をしている女医も香水の匂いがきつくて目が回りそうだ。


「長かった……」

「お疲れ様。イヴ」

 部屋から出るとすぐに、父が話しかけてきた。

「あぁ、うん……」

「今日の検査は終わりだ。後日、結果が分かり次第今後の方針を決めていく」

「その結果、私にも見せくれないか?」

「あぁ、いいが。どうした? イヴ」

「少し気になることがあってな」

「そうか」

 私は、そっと腕を掻いた――


「イヴさん初めまして。お世話係の日退ひじり藍野あいのです」

「あ、初めまして」

「あれ、柚原ゆずはらさんからは、すごい元気な方だと聞いていたんですが。今日は、大人しいですね」

「隆一のことか?」

「隆一? あー、柚原さんの名前……そうですよ、隆一さんからです」

「あいつは、てきとうなことを言っているからあまり信じなくていいぞ」

「そうですか。ふふ、仲がいいみたいで」

「日退は、変なやつだな」

「藍野って呼んでくださいよ」

「あぁ、藍野……」

「そうです、藍野です」

「あぁ、はい……」


 個体名『イヴ』

 経過報告――

 眠い。

 神経系に異常あり。

 仮説――胎児から生体になる過程の急速な細胞分裂が、人体になんらかの影響を及ぼした可能性が考えられる……

 藍野という女がきた。

 おやすみ……


『隆一くん』

「は? 今なんて言った」

 隆一は、血相を変えて後ろに振り返る。

「『隆一』って呼んだだけだ」

「あぁ、そうか……」

「何だ、そんな顔を真っ青にして」

「寝不足だよ。気にするな、『イヴ』」

「まぁ、どうでもいい。今日は、何もないんだろ」

「そうだけど」

「私を外に出せ」

「何で俺が?」

「お前が、作ったんだ。お前が、面倒を見ろ」

「日退さんに頼んでくれ。何のためにお願いしたと思ってんだよ」

「隆一がいいと言っているんだ。早くしろ」

「何だよ、それ……」

「早く行くぞ、隆一」

 隆一のぶら下がった腕を私は掴んだ、

「行くってどこに」

「そんなもの知らん。隆一が考えろ」

「何で俺が考えないといけないんだよ。てか、行くなんて一言も言ってないだろ」

「そんなの知らん。早く決めろ」

「何処って言ってもな……俺の部屋ぐらいしか許可取れるもんないし」

「もうそれでいい」

「は? 何言ってるんだ」

「えっと、確か隆一の部屋はこっちだったっよな」

「何で知って……」

「愚問だな」

「くだらなくないだろ」

「取るに足らないと言っているんだ。お前が作ったんだ。理解できるだろ」

 困惑する隆一の腕を引っ張りながら部屋まで走った。


「ここが隆一の部屋か。本が大量だな、左の壁びっしりだ。つまらん」

「何だよ、勝手に入ってきたくせに」

「研究資料に純文学、並べ方に法則性がない。実に隆一らしい」

「文句ばっかり」

「文句ではない、事実だ」

「屁理屈だな」

「今、私が手に取ったこの本、人類史に残る劇作家シェイクスピアが書いた4大悲劇の一つ、『リア王』だ」

「何だよ急に」

「確か内容は、老いと愛の葛藤を描いた作品だと記憶している。でもな私は、この本を見た記憶がない」

「あぁ……」

「ただ情報だけ脳に点在している。不思議ではないけれど不思議だ。人間は原体験をもとに成長していく、じゃあ私はどう成長してくのだろうな。まぁ完成した私に成長など不要なのだが」

「お前は、成長する必要はない。もう完成しているよ」

「お前たちは、大きなミスを犯したな」

「は?」

「わからないならそれでいい」

「おい、勝手に悟るなよ」

 隆一は、私の肩を掴んだがそれを振り払った。

 目の端に映った写真を見て私は言う。

「おぉ、この写真、私がいるではないか。サラと言ったか? 本当そっくりだな。まぁ、当たり前だが」

 集合写真のようなもので、『サラ』は人に囲まれ満面の笑みを浮かべていた。

「勝手にみるなよ」

 写真立てを伏せた。

「今更だろ」

「そういう問題じゃない」

「倫理か? 笑えるな」

「だからそういう問題じゃ」

「悟の年齢。この肉体の年齢。そしてこの写真。悟は、60代と言ったところか。そして、私は20から18のあたり。まぁ、この写真もそのくらい。生まれた時見た景色。全て総合した時、浮かび上がる可能性。お前たちは二つの禁忌を犯したな」

「やめろ……そのくらいにしろ」

「現実逃避は、やめた方がいいぞ。事実は変わらない」

「やめてくれ……」

「いい答えだ。じゃあな隆一」

 

 個体名『イヴ』

 経過報告――

 気分が悪い。

 人間は、愚かだな、私を含め。

 おやすみ。


「隆一は?」

「柚原さんは、今日おやすみだそうです」

「そうか、都合がいいな」

「都合がいい?」



「精密検査の結果はまだなのか?」

「まだなんだ、もう少し待ってくれ」

「そんなに時間がかかるもの?」

「普通はそんなにかからないんだが、君の体の特異性が、作業を難航にさせていてね」

「そうか……」

「はい、イヴ。今日の調整はもう終わりだ。自由に過ごしいいぞ」

「わかったよ。お父さん」

 悟は、注射を持ったまま固まってしまった。

「ねぇ、お父さん聞いてる?」

 ガシャン

「その言葉を今後、口にするな」

「何で? お父さん」

 パン

 人の手が私の頬を打った。これを人は、怒りというのだろう。

「やめろ……」

 血涙を流したような顔。

「その顔は何だ?」

「お前には、わからんよ。情報だけのお前にはな」

「逆ギレか?」

「黙れ」

「綿のない人形は、立って歩けないよ。せんせ」

「何を言っているんだ。お前は……」



 個体名『イヴ』

 経過報告――

 右足が痺れている。早急に精密検査の結果を求む。

 人間とは、矛盾して生きている。

 状況によって、考え方がコロコロ変わる。家族とは、何なのか分からなくなった。


 *同じ家に住み生活を共にする、配偶者および血縁の人々。


 おやすみ。



 私は、今一人で歩いている。冷たい床を両の足で踏み締め、裸足で駆けている。隆一は、今日も顔を見せなかった。『寂しい』。ふと出てきた感情の前を通り過ぎ、私は目標の場所についた。

「ここか、確かパスワードが」

 鮮明な記憶が私に答えを教えてくれた。

「よし、開いた」

 ここは、全ての資料が保管されている。倉庫のようなもの。探すのは私の研究資料だ。

「あ、あった」

 私は、研究資料を読み漁った。頭に入っている情報と、照らし合わせるように証拠を集めていった。

「やはり、そうだ」

 あいつらが気づいていない。決定的な欠陥。私の体はもう時期崩壊する。素体となる人間に気をとられるあまり、私の体は未完成だ。この人体改造は、到底人が耐えられるものではない。『二兎を追う者は一兎も得ず』なんてことわざが、あいつらにはぴったりだな。

 やはり、人間は愚かである、私を含めて。

「死にたくないな…………ふっ、あまりにも人間臭いことを言ってしまった。やはり私は、失敗作だ」


 帰路につく。景色は白い。


 個体名『イヴ』

 経過報告――

 痺れが、下半身全体に広がっている。状況は思ったよりも深刻だ。

 事を急ごう。

 おやすみ。



「先生、精密検査の結果どうでした? 出たんですよね」

「結果が誰かに盗まれた。犯人はわかりきっているが、イヴが何を伝えようとしているのかが分からない」

「体に異常が出てると考えるのが自然でしょうね」

「まぁ、そうだろうな」

「でも、この一週間ほどでわかった彼女の性格上、私たちの配慮があるとは思えないし、真意がわかりませんね」

「もしかしたら……」

「そんなことは考えない方がいいと思います」

「そうだな」――



「いた……」

「何だ、隆一か……」

「何でこんなとこにいるんだよ」

「屋上、いいではないか。空が掴めそうな気分だな」

「急に馬鹿なことを言うな」

「そうだな、私は馬鹿なのかもしれないな。私の脳には、世界があるのに来るのはいつもここだ。隆一、どう考える?」

「お前の知識には質量がない、可能性があるとしかいいようがない」

「いい答えだと思うぞ。隆一」

「何が言いたいんだ」

「お前が聞きたいことはそんなことか?」

「わかってるなら、話せよ……検査の結果どこやった。隠すことに何の意味がある」

「検査の結果に関しては、私が預かることにした。それ以上でもそれ以下でのない。お前は意味を問うが、それを答える義理がない。でも少しは感謝している。だから一つ忠告しておく、私を探すな、実験は、失敗だ。あと……このことは、お父さんに言わないでおいてくれ」

「おい、消えるのか?」

「消えるわけではない、少し長い旅に出てみるだけだ。私は世界を知っているが、世界は私を知らない。教えてあげるのだよ私という存在を」

「承認欲求か?」

「俗な言葉だな。人生の価値と読んでくれ」

「知るかよそんなの」

「じゃあ、またな隆一……」

「おい、ちょっと待てよ」

 掴まれる腕。

「どうした」

「まだ、何か方法があるんじゃないか? 見たわけじゃないから何とも言えないけど」

「馬鹿だな……私は、サラではないぞ」

「何言ってんだよ」

「残像を追いかけるのは、やめろと言っているんだ。心配も、気遣いも、私に構う優しさも全て、あの写真の人物に向けるものだったのだろう。後悔を私に押し付けるな、馬鹿共」

 腕を握る力が強くなる。

「やめて、痛い」

「あぁ、ごめん。サラ……あ」

 口を抑える。

「全てわかった。もうよい」

「いや、今のは違くて」

「面白い冗談だな、今まで一番面白いぞ。隆一」

「イヴ……」

「もう、遅い」


 私は駆け出した。何故だか頬に冷たい感触があったが、多分雨が降っただけだろう。

 研究所に警報がなり響く。実験用のラットが逃げ出したのだ当たり前だ。白い景色は、赤く点滅する。バタバタと人が走ってくる音が聞こえた。


 鎖の先に見える広大な自然、夜闇を照らす小さな街灯。門を目の前にして、始めて自由を知った。

 門に手をかけた瞬間、膝から崩れ落ちた。

「はぁ はぁ」

「イヴ、イヴ大丈夫か」

「お父さ……」

 私の意識は、そこで途切れた。自由とは……

 *他からの束縛を受けず、自分の思うままにふるまえること。

 私は実行できなかった。



「起きたか、イヴ」

「隆一……」

「その、お詫びと言っては何だけど、パン……持ってきた」

「ありがとう。やはり、パンはうまいな」

「今、イヴの体はどうなっているんだ、聞かせてくれ」

「パン一個で懐柔できると思っているのか?」

「いや、そんなつもりはないんだ。ただ聞いておくべきだと、そう思ったから」

「60点の答えだな。まぁいい、お前だけに話そう全てを」

「あぁ、聞かせてくれ」

「お察しの通り、私はこのままでは、というか十中八九死ぬ。理由は、お前たちの進化過程の仮説の甘さにある。人間という構造に当てはめた時の想像が、著しく欠けている。科学に私情を持ち込むからこんな失敗が起こるんだ。馬鹿共」

「何か解決方法はないのか……」

「ない」

「ちょっと、待ってろ、イヴ。先生と話して解決策を……」

「やめろ、隆一。もう、やめてあげろ」

「でも……」

「だから……私はサラではない」

「無理に決まってるだろ……何もかも重なっちまうんだから」

「お前が作ったのだ。背負え業を」

「無理に決まってるだろ……」

「できるよ、隆一」

『隆一くん……』

「あぁ、もう……やめてくれよ」

 膝から崩れ落ちた。ベットのシーツに顔を埋める男の姿は、悲しみに満ち満ちていた。頭に触れても、その悲しみを受け取ることはできなかった。


 

 個体名『イヴ』

 経過報告――

 体調は良好。

 体が軽い。私は死ぬのだろう。

 明日、目を覚ますことを祈って、おやすみ。


「おい、イヴ起きてるか?」

「あぁ、隆一」

「体は……起こさなくていい」

「すまない」

「先生、気づいてるぞ。まぁ、当たり前だけど。どうするつもりだ」

「どうしようもない。あの時、逃げられなかった私の落ち度だ」

「なんで、逃げようとしたんだ」

 私は隆一に背を向ける。

「お父さんに、娘を失う苦しみをもう一度、与えたくなかった。ただそれだけだ」

「そうか……」

「空が見たいな、できれば月が」

「わかった。今から見に行こう」

「気が利くじゃないか」


「この体制は、いつぶりかな」

「そんな、時間……経ってねぇよ」

「そうだな。短い人生だった」

「そんなこと……言うなよ」

「お、ついたぞ。開けろ、隆一」

「あ、おう」


「月か」

「感想は、無いのかよ」

「まぁ、知っているからな。この景色は」

「そうだろうな……」

「でも今日は三日月だな。前見た時は満月だったんだが。残念だ」

「三日月も俺は好きだぞ」

「そうか、好きか。私はパンが好きだ」

「知ってるよ」

「全て知っているはずなのに、私の好きなものはそれだけだ。そんな人生に意味があると思うか? 隆一」

「そうだな……」

 声は、震え何かをこらえているように見えた。

「生まれた意味はあるよ。人工進化による、肉体の維持の困難さを検証できたことに加え、幼少期に与える精神的成長の重要性を証明できた。それに、イヴがこの地球の地を踏んだということは、科学史において大きな一歩となるだろうな。なぁイヴ」

「そうだな、いい答えだ」

「あぁ……そうだろ」

「でも、私のたどり着いた答えは、違う。宇宙は、神によって作られた機械式時計のようなものであり、ニュートン力学に従い進行し続ける。私も、同じだ。そして人間も。所詮作り物であり、意味などそこにはない。ただの、タンパク質の塊。そう考えると楽にならないか?」

「気休めにかしか聞こえないな」

「ひどいじゃないか」

「イヴに比べたら、そうでもないよ」

「ふっ、そうだな。うっ」

「大丈夫か、イヴ」

「ハハ、問題ない」

「問題ないわけないだろ。一回、下に下ろすぞ」

「ダメだ、それはダメだ。このまま、このままでいろ」

「わかったよ」

「はぁ はぁ、隆一。一つ約束してくれないか」

「何だよ」

「私をもう一度作れ、今度は完璧に」

「は? 何言ってんだよ。この研究は、もう中止だ。こんな思いをもう二度としたくない」

「だから言っているんだ。この時を無駄にするな。お前が言ったんだろ、私の生には意味があると。お前が私の意味を作れ」

「わかったよ……イヴ」

 私は、肩を強く掴み白衣に皺を作らせる。

「月が、光ったぞ綺麗だな。隆一」

「あぁ、そうだな」


 背中で感じていた温度が、少しずつ消えていく。彼女は、綿の入っていない人形のように軽い。僕は、空を見上げたまま後ろを振り返ることができなかった。

 

 ガチャ

「イヴ!」

「先生……」

「またやってしまったのか。私は」

「そうですね。僕たちはまたやってしまったのかしれません」

「何も見ていなかった」

「もう遅いですよ」

「そうだな」

「雨……」

「中に入らないとな」



 

 個体名『柚原 隆一』

 報告書――

 イヴは、完璧な『イヴ』のつくり方をノートに記していた。私達はそれを元に『イヴ』をもう一度作った。もう『イヴ』である必要性はどこにもないが、約束をしたから……

 『イヴ』はもう一度生まれた。おそらく完璧な『イヴ』が。

 体の維持には成功し、彼女の言った通り、1号機の儚い命は、無駄にはならなかった。無駄には、なっていないと思いたい。

 でも夜な夜な考えてしまう。

 

『彼女は、幸せだったのだろうか』

『彼女の命に、意味があったのか』と


 おやすみ。

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