第7話「第三の男と黒い封筒」
レオの告白以来、私たちの間の空気は少し変わった。
私は彼を一方的な加害者として見ることをやめ、慎重に観察するようになった。そしてレオは、悪夢を見られたことで開き直ったのか、さらに遠慮なく私への愛情を注ぐようになった。
「旭、このネクタイは君が選んでくれないか?」
「今日は早く帰る。一緒に映画を見よう」
新婚夫婦のような甘いやりとり。
だが、その平穏は長くは続かなかった。
ある日、私が会社から帰宅すると、リビングに先客がいた。
レオではない。
ソファに優雅に腰掛けていたのは、一人の青年だった。
色素の薄い茶髪に、柔和な笑顔。身に纏っているのは上質なスーツだが、どこか崩した着こなしをしている。
「やあ、おかえりなさい。旭さんだね?」
彼は親しげに手を挙げた。
相馬が困ったような顔で控えている。
「……どなたですか?」
「おっと、失礼。僕は桐島カイト。レオの大学時代の後輩で、今は海外支社を任されているんだ」
桐島カイト。聞いたことがある。鷹司グループの「裏の仕事」を一手に引き受けている切れ者だと。
一度目の人生では会ったことがなかった人物だ。なぜ今、現れた?
「帰国したついでに、レオの愛妻を一目見たくてね」
カイトは立ち上がり、私の周りを値踏みするように一周した。
鼻をひくつかせ、匂いを嗅ぐような仕草をする。
「へえ……なるほど。確かに上玉だ。レオが狂うのも無理はない」
その言葉には、明らかな嘲笑が含まれていた。
この男は、敵だ。直感がそう告げている。
「ご挨拶どうも。夫はまだ帰っていませんが」
「知ってるよ。だから来たんだ」
カイトは懐から黒い封筒を取り出し、テーブルの上に放り投げた。
「レオには内緒で、君にこれを渡したくてね」
「これは?」
「開けてみればわかるよ。……君が知っておくべき、レオの『罪』の記録さ」
心臓が跳ねた。
私は震える手で封筒を手に取ろうとした。
その時、玄関のドアが開く音がした。
「カイト、てめぇ……!」
レオが息を切らせて飛び込んできた。
その形相は、かつてないほど焦っていた。
「おやおや、お早いお帰りで。GPSでも見てたのかな?」
カイトは悪びれもせず肩をすくめる。
レオは私と封筒の間に入り込み、私を背後に隠した。
「旭に近づくなと言ったはずだ」
「近づくなもなにも、僕は親切心で来たんだよ。君が言えないことを、代わりに伝えてあげようと思ってね」
「黙れ!」
レオの怒号がリビングを揺らす。
カイトは冷笑を浮かべたまま、私に視線を送った。
「旭さん。レオは君を愛しているよ。それは間違いない。……でもね、その愛は君を壊す愛だ。彼が君を守るために、どれだけの人間を犠牲にしてきたか。そして――前回の君の死に、彼がどう関わっていたか」
時間が止まったような気がした。
前回の死。
この男もまた、タイムリープのことを知っているのか? それとも、この世界の「事実」として知っているのか?
「カイト!!」
レオがカイトに掴みかかろうとした。
カイトはひらりと身をかわし、玄関へと向かう。
「今日はこれで退散するよ。……封筒の中身、よく見ておきなよ。じゃあね」
嵐のように現れ、去っていった男。
残されたのは、私とレオ、そして黒い封筒だけだった。
レオは封筒を凝視している。その顔色は蒼白だった。
彼は封筒を手に取り、握りつぶそうとした。
「待ってください」
私が声をかけると、彼はビクリと肩を震わせた。
「……見せないでください、旭。これは、君が見なくていいものだ」
「いいえ、見ます。私には知る権利がある」
私は一歩踏み出し、彼の手からくしゃくしゃになった封筒を奪い取ろうと手を伸ばした。
レオは拒絶しようとしたが、私の強い瞳を見て、力なく手を下ろした。
封筒を開ける。
中に入っていたのは数枚の写真と、ボイスレコーダーだった。
写真は、一度目の人生で私が死んだ直後の現場写真だった。雪の上に広がる血痕。そして、その血だまりの中に立ち尽くし、狂ったように笑っているレオの姿が写っていた。
――笑っている?
違う。よく見れば、それは笑っているのではない。
絶叫しているのだ。魂が引き裂かれるような顔で。
そしてボイスレコーダーを再生する。
そこから聞こえてきたのは、三年前のレオの声と、もう一人の男の声だった。
『……契約通りだ、レオ。お前の妻を処理した。これで、鷹司の弱点はなくなったな』
『ああ……よくやった。これでやっと、あいつを"あの方"から隠せる……』
テープが切れる。
私は戦慄した。
レオは、私を殺すことを依頼していた? 隠すために?
矛盾している。殺して隠すとはどういうことだ?
私はレオを見上げた。
彼は顔を覆い、崩れ落ちるように床に膝をついていた。
「……違うんだ。そう言うしかなかったんだ。そうしなければ、君の魂まで奪われるところだったんだ……」
謎は深まるばかりだった。
だが一つだけ確かなことがある。
私たちの「一度目の死」には、まだ誰も知らない、おぞましい真実が隠されているということだ。
私は冷たい写真を見つめながら、復讐の矛先をどこに向けるべきか、迷い始めていた。




