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第4話「歪な愛と有能な秘書」

 鷹司家の本邸は、都心の一等地に広大な敷地を持つ要塞のような屋敷だった。

 高い塀に囲まれ、門をくぐると手入れの行き届いた日本庭園が広がる。一度目の人生では、この屋敷は私にとって冷たい牢獄だった。使用人たちは皆、レオの顔色を伺い、私を「金で買われた没落貴族」として軽んじていた。

 だが、今回は車寄せに到着した瞬間から空気が違っていた。

 ずらりと並んだ使用人たちが、私たち、いや、私に向けて深々と頭を下げたのだ。

「お帰りなさいませ、旦那様、奥様」

 一糸乱れぬ挨拶。その最前列に立っていたのは、執事の相馬律だった。

 銀色の髪をきっちりと撫でつけ、モノクルをかけたその姿は、相変わらず感情の読めない能面のようだ。

 レオが私の手を引いて車から降りると、相馬が静かに近づいてきた。

「お待ちしておりました。新居の準備は全て整っております」

「ご苦労。……おい、みんな聞け」

 レオが低い声を発すると、場の空気がぴんと張り詰めた。

 彼は私の肩を抱き寄せ、使用人たちを見回した。

「今日から旭は、この家のもう一人の主人だ。彼の言葉は私の言葉と同義と思え。彼を軽んじる者は、即刻この家から去ってもらう。いいな?」

 その声には、絶対王者の威圧感が込められていた。

 使用人たちの間に戦慄が走る。

 かつて、私が使用人に陰口を叩かれていても、見て見ぬふりをしていたレオが。

 私は驚きを隠しつつ、控えめに微笑んで頭を下げた。

「未熟者ですが、よろしくお願いいたします」

 その謙虚な姿勢が効いたのか、あるいはレオの威圧のおかげか、使用人たちの視線が「侮蔑」から「畏怖」へと変わったのを感じた。


 案内された私の部屋は、以前押し込められていた北向きの暗い部屋ではなく、レオの寝室の隣にある、日当たりの良い南向きのゲストルームだった。

 内装は私の好みに合わせて改装されており、本棚には読みたかった書籍が並んでいる。

「気に入ってくれたか?」

 レオが子犬のように反応を伺ってくる。

「はい、素晴らしいお部屋です。……でも、少し贅沢すぎます」

「君には世界中の財宝を集めても足りないくらいだ」

 真顔で言うので、返す言葉に詰まる。この男の語彙力はどうなっているんだ。

 レオが仕事の電話で席を外した後、部屋に残ったのは私と相馬だけになった。

 相馬は紅茶を淹れながら、静かに口を開いた。

「旦那様があそこまで入れ込まれるとは、正直驚きました」

 探りを入れるような口調だ。

 相馬はレオの乳兄弟であり、最も信頼の厚い腹心だ。彼の目はごまかせない。

「私も驚いています。政略結婚だと思っていましたから」

「……以前の旦那様は、感情を表に出すことを良しとしない方でした。ですが、今回はまるで別人のようだ」

 相馬の眼鏡の奥が光る。

「旭様。何か、心当たりは?」

 鋭い。彼はレオの変化に違和感を抱いている。

 ここで私がボロを出せば、レオに報告がいくだろう。

 私はカップに口をつけ、困ったように首を傾げた。

「わかりません。ただ、あんなに大切にしていただけて、私は幸せです」

「……そうですか」

 相馬はそれ以上追求しなかったが、その視線は私の本心を値踏みしているようだった。

 この男もまた、攻略対象だ。

 レオを孤立させるには、相馬をこちら側に引き込むか、あるいは排除する必要がある。


 その夜、事件が起きた。

 夕食後、リビングで寛いでいると、突然の来客があった。

 レオの叔父にあたる、鷹司重工の役員・剛造ごうぞうだ。

 彼は酒が入っているのか、顔を赤くして大声で入ってきた。

「レオ! 聞いたぞ、またあの貧乏華族に金を使い込んだらしいな!」

 剛造は、一度目の人生でも私を目の敵にしていた人物だ。

 レオは眉をひそめ、冷ややかに叔父を見据えた。

「叔父上、言葉を慎んでください。ここは私の家だ」

「はんっ! 親父さんが死んでから、お前は甘くなった! オメガ風情にうつつを抜かしおって!」

 剛造が私を指差して喚く。

 私は怯えたふりをして、レオの背後に隠れた。

 次の瞬間、轟音が響いた。

 レオがローテーブルを蹴り飛ばしたのだ。

 ガラスの天板が粉々に砕け散る。

 剛造が腰を抜かしてへたり込んだ。

 レオはゆらりと叔父に近づき、胸ぐらを掴み上げた。その瞳は、まさに獣のような凶暴な光を放っていた。

「俺の妻を、二度と愚弄するな」

 地獄の底から響くような低い声。

「次、その汚い口で旭の名前を呼んだら――舌を引き抜いてやる」

 本気の殺気だった。

 剛造は顔面蒼白になり、震えながら頷くことしかできなかった。

 ゴミを捨てるように叔父を放り出すと、レオは振り返り、私の方へと歩いてきた。

 その表情は、瞬時に悲痛なものへと変わっていた。

「旭、怖かったか? すまない、あんなものを見せて」

 彼は震える手で私を抱きしめた。

 その体は、怒りではなく、恐怖で震えているように感じた。

 私が傷つけられることへの、病的なまでの恐怖。

 私は彼の背中に手を回し、宥めるようにポンポンと叩いた。

「大丈夫です、レオさん。あなたが守ってくれましたから」

 その言葉を聞くと、彼は安堵したように息を吐き、私の肩に顔を埋めた。

 この男は、壊れている。

 一度目の冷徹な仮面の下に、こんな脆弱さを隠していたのか。それとも、時を超えた代償として壊れてしまったのか。

 どちらにせよ、この歪な愛は利用できる。

 私は彼の髪を撫でながら、冷たく澄んだ瞳で砕け散ったガラスを見つめていた。

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