第10話「獅子の棲む館」
決戦の舞台となる鷹司本家の屋敷は、山奥の深い霧の中にそびえ立っていた。
近代的なレオの自宅とは対照的に、そこは明治時代から時が止まったような重厚な和洋折衷の建築物だった。
黒塗りの車列が砂利道を進む。
車内で、私はレオの手を握っていた。彼の手のひらは冷たく、微かに汗ばんでいる。
トラウマが蘇っているのだろう。彼にとって、ここは自分を歪ませた地獄の釜の底なのだ。
「大丈夫です。私がついています」
指を絡めると、レオがハッとしてこちらを向き、弱々しく笑った。
「ああ。……君がいるなら、怖くはない」
大広間に到着すると、そこにはすでに一族の重鎮たちが集まっていた。
異様な雰囲気だった。
豪華な食事や酒が並んでいるが、誰一人として笑っていない。皆、奥座敷に座る一人の老人の顔色を伺っている。
鷹司源十郎。
枯れ木のような痩身に、和装を纏った老人。しかし、その眼光はカミソリのように鋭く、見る者を切り裂くような冷たさを持っていた。
「よく来たな、レオ。……それに、その嫁も」
源十郎の声は、虫が這うような不快な響きを持っていた。
彼は私をじろりと舐め回すように見る。
「ほほう。なかなかに上質なオメガだ。以前の嫁よりも、随分と毛並みが良さそうだ」
以前の嫁。私のことだ。彼もまた、私が「二度目」であることを知っているのか? それとも、単なる比喩か?
レオが一歩前に出て、私を背に庇う。
「祖父上。今日はご挨拶に伺いました。ですが、長居はできません」
「急くな。せっかくの宴だ。まずは乾杯といこう」
源十郎が手を叩くと、給仕たちが盆を持って現れた。
乗っているのは、琥珀色の液体が入ったグラスだ。
私は直感した。何か入っている。
レオも気づいたようだ。体が強張る。
「遠慮しておきます。車ですので」
「儂の酒が飲めんと言うのか?」
源十郎の空気が一変する。
周囲のボディガードたちが、音もなく一歩踏み出した。威圧的なフェロモンが広間に充満する。
普通のオメガなら、この場で失神していただろう。だが、私にはレオのフェロモンと中和剤の加護がある。私は涼しい顔で立ち続けた。
その時、軽薄な笑い声が静寂を破った。
「かたい、かたい! もっと楽しくやろうよ、お祖父様」
桐島カイトだ。彼はどこからともなく現れ、私の目の前のグラスをひょいと取り上げ、一気に飲み干してしまった。
「うん、いいヴィンテージだ。でも、ちょっとスパイスが効きすぎかな?」
カイトはニヤリと笑い、源十郎にウインクして見せた。
源十郎の眉がピクリと動く。
「カイト……貴様、何の真似だ」
「毒見だよ。大切なゲストに粗相があってはいけないからね」
カイトは空になったグラスを床に落とした。パリン、という音が響く。
「レオ、旭さん。ここは退屈だ。裏庭の薔薇でも見に行かないか? 僕が案内するよ」
それは明らかな助け舟だった。
源十郎は忌々しげに舌打ちしたが、カイトの背後には海外勢力との繋がりがあるためか、強く出られないようだった。
「……行け。だが、逃げられると思うなよ」
源十郎の不気味な言葉を背に、私たちは広間を後にした。
廊下に出ると、カイトがふうっと息を吐き、冷や汗を拭った。
「危ないところだったね。あれには強力な筋弛緩剤と発情促進剤が入ってる」
「なぜ助けた?」
レオが警戒心を解かずに問う。
カイトは真顔になり、私をまっすぐに見た。
「言っただろ。レオの愛が壊れるところを見たくないんだ。……それに、僕は前回の結末が好きじゃなかった。アンハッピーエンドは趣味じゃない」
やはり、彼も知っている。
しかし今は問い詰めている時間はない。
「カイト、俺たちはこれから仕掛ける。協力しろ」
「もちろん。そのために帰ってきたんだ」
裏庭の暗闇の中で、三人の視線が交差する。
役者は揃った。ここからが、反撃の始まりだ。




