レイズの過去の話へ
「……リアノ」
不意に名前を呼ばれ、リアノははっと顔を上げた。
そこにはイザベルの姿。
驚いたように深く会釈をしてから、控えめに答える。
「イザベル様……どうなさいましたか?」
イザベルは肩をすくめ、いつもの調子で笑った。
「あーぁ、そんな大したことじゃないよ」
そう言って、二人並んで月明かりの庭を見やる。
夜風が少しだけ冷たくて、静けさが言葉の代わりに流れていく。
しばらくして――イザベルが口を開いた。
「ねぇ、リアノ。レイズくん、変わったとおもう?」
リアノは一瞬言葉に詰まる。
けれど、落ち着いた様子で答えた。
「……はい。そうですね。とても……立派なお方になられました」
その声音には、どこか寂しげな色が混じっていた。
イザベルは小首をかしげ、不思議そうに彼女を覗き込む。
「変わらないほうが……よかった?」
そして小さく笑みを浮かべながら続けた。
「私はね、今のレイズくんって……“昔に戻ったなぁ”って思うんだ」
「……昔に、ですか?」
「うん。子供っぽくなったって意味じゃないよ。もっと……根っこの部分。大事なとこ」
リアノは小さく目を伏せ、ぽつりと呟いた。
「……根っこ、ですか」
そして遠い記憶をなぞるように言葉を紡ぐ。
「確かに……そうかもしれません。もっとお若い頃のレイズ様は……リリアナ様にべったりでいらっしゃいましたが……」
「……リリアナ様にべったり、でしたか」
リアノがそう口にすると、イザベルは思わずクスクスと笑った。
「ふふ、なんか想像できちゃうなぁ」
月明かりの下で楽しげに笑うその声は、重い空気をやわらげる。
けれど、イザベルはすぐに真面目な声に戻した。
「それでね、私は……数ヶ月前におじいさまに呼ばれて、この屋敷に来て……ようやくレイズくんと昔みたいに話せるようになったの」
ふと、リアノへと視線を向ける。
「リアノも見てたでしょ?」
リアノは小さく頷いた。
「……はい」
イザベルはゆっくり言葉を続ける。
「レイズくんが、あんなふうに人と話せなくなった理由。事情は私も聞いてる」
そこで少し間を置いて、優しく微笑んだ。
「でもね……それを一番よく知ってるのは、きっとリアノだって思ってるの」
リアノはしばらく黙って夜空を見上げていたが、やがて小さな声で口を開いた。
「……私は。今は……私だけが忘れられずにいます。
いえ……忘れてはいけないのです」
その言葉には、重く深い決意が滲んでいた。
イザベルは静かに頷き、そっと言葉を添える。
「……良かったら、私も聞きたいな。
レイズくんに何があったのか……知りたい」
リアノは驚いたようにイザベルを見た。
けれど、すぐに目を伏せ、ふっと遠くを眺める。
「……そうですか。イザベル様が……」
彼女は胸の奥で何かを決意するように小さく息を吐いた。
「それなら……お話ししなければなりませんね。
――メルェのことから」
そうしてリアノは、月明かりの下、静かに“故人メルェ”の物語を語り始めるのだった。




