救う段階はとっくに過ぎている
そうしてレアリスに案内されるまま、一同はさらに奥へと進んでいった。
辿り着いた先は――樹界。
レイズの目には、そこはただの森林にしか見えなかった。
木々が立ち並び、葉が揺れ、光が差し込む。
静かで、どこか幻想的ではあるが、それでも“森”という認識から大きく外れるものではない。
だが、それ以外の者達には違った。
そこに広がっていたのは、想像を絶するほどの異様な光景だった。
枝と根と蔦と花、それらすべてが普通の植物の在り方を逸脱している。
木々はただ生えているのではない。
互いに絡み合い、支え合い、時に脈打つように揺れながら、ひとつの巨大な意思を持った器官のように空間そのものを形成していた。
地面は柔らかく、それでいて足を取られない。
足元には白い根が血管のように張り巡らされ、その上を淡い光が流れている。
宙には、花びらとも胞子ともつかぬ光の粒が漂い、空気の中にまで生命の濃さが満ちていた。
この場所は森ではない。
巨大な“何か”の内側だ。
そう理解させるには十分すぎる空間だった。
ニトがその景色を見回しながら、少し楽しそうに口を開く。
「レアリス……また、変な場所を産み出したんだね」
その言い方に、レアリスは少しだけ頬を膨らませる。
「変な場所……違う……」
小さく、しかしはっきりと否定する。
「ここは……元に戻せる場所……だよ?」
その言葉に、ニトが軽く頷く。
「魂を元に戻す、か」
周囲の構造を見回しながら、さらりと要約する。
「まぁ簡単に言えば、治療室みたいなものだね?」
その説明に、その場の何人かはすぐには納得できなかった。
だが、少なくとも“何かを治す場所”であることは、場の空気からもわかった。
そして、そこでついに、ずっと沈黙を守っていたリリィが、震えるように口を開いた。
「あの……」
か細い声だった。
皆の視線が集まる。
リリィはびくりと肩を揺らし、それでも言葉を続けた。
「私……ついてこれなくて……」
「ずっと、黙っていました……」
その声には、迷いと恐れがそのまま乗っていた。
そして、恐る恐るレアリスを見る。
「レアリス様……」
レアリスは首をかしげる。
だが、返事はしない。
促すことも、急かすこともせず、ただリリィの次の言葉を待っていた。
リリィは、唇を噛む。
それから、ぼそりと本音を吐き出すように言った。
「魂の回廊に……アルティナ様を返すのは……やっぱり、やめませんか?」
その一言に、場の空気がわずかに揺れる。
レアリスは、すぐには否定しなかった。
ただ、静かに問う。
「どうして……?」
リリィは、その問いに答えるまでに少し時間がかかった。
「アルティナ様は……」
「ウルティア様も……」
そこで一度、呼吸を整える。
「みんな……同じ場所へ行きたいんです」
その言葉には確信があった。
「私……私は、わかるんです」
エルディナが、そこで小さく口を挟む。
「私は……ジークがいるなら、どこだっていいのだけど」
その言葉は、強がりではなく本心だった。
どこに堕ちようが、どこへ行こうが、ジークがいるのなら構わない。
そういう種類の愛情が、エルディナにはあった。
だが、リリィは首を振る。
「エルディナ様は……」
「ジーク様を心から愛している」
「それはずっと、言動を見ていても理解しています」
そこまでは穏やかだった。
だが、次の言葉には強さが宿る。
「でも、本当にそれが成せる場所は……」
「みんながいる場所へ」
「みんなが集まれるからじゃないですか……?」
エルディナは、すぐに首を横に振る。
「無理よ……」
「ジークは、私たちのことを意味嫌ってるもの……」
その言葉には痛みがあった。
愛しているからこそ、相手からの拒絶がどれほど深く突き刺さっているのかが、嫌でも伝わる。
だが、リリィは引かない。
「だからです」
静かに、けれどはっきりと。
「だから……お互いに罪を認める必要があるんです」
エルディナが、表情を強張らせる。
「罪なんて……私たちは……」
反発は弱かった。
言い切れない。
自分たちに罪がないと、本気では言い切れないからだ。
リリィは、その曖昧さを見逃さない。
「罪はあります」
きっぱりと言う。
「ジークさんを造り出しただけじゃありません」
「たくさんの方々を、乗っ取っただけでもありません」
そして、自分で自分を刺すように。
「私たちの罪は……」
「ちゃんと、この世界の在り方を認めなかったこと」
その言葉に、エルディナは目を見開く。
「認めるって……」
「私たちだって……私たちの在り方があった」
「それを、なんで私たちが認めなくちゃいけないのよ」
「私たちだって認められないのはおかしいじゃない!!」
そこには怒りがあった。
悲しみも、反発も、理不尽さへの叫びも、全部混ざっていた。
だが、リリィはそれすら受け止めるように続ける。
「だって……私たちの……」
「魔女は……この場所には本来いない……」
言いながら、リリィ自身の体が震え始める。
「根元が産み出した……つまり……」
声が細くなる。
「この世界にそもそも存在してはいけない……」
自分で言って、自分が傷ついているのがわかった。
「厄災そのものですよ……?」
その言葉は、あまりにも重かった。
リリィは、自分でその言葉を口にしておきながら、ぞっとしたように肩を震わせる。
それでも、止まらない。
「私たちは……私たちのいるべき場所へ」
「ジークさんも……それなら……」
「私たちが連れていくべき……責任です」
そこに逃げはなかった。
「どんなに嫌がられても」
「嫌われても……恨まれても……」
「憎まれても……」
一つ一つの言葉を、噛みしめるように言う。
「それを全部……私たちは受け止めなくてはいけません」
その場が静まる。
レアリスは、そのやり取りをじっと聞いていた。
そして、視線を落とす。
そこには、アルティナの魂があった。
まだ整いきっていない、静かな魂。
レアリスは、それを見つめながら、そっと問いかける。
「ねぇ……貴女はどうしたい……?」
だが、アルティナは返事をしない。
というより、返事ができない。
意識がないのだ。
ニトが、その様子を見て口を開く。
「魔女じゃなくなってるから、ただの魂に自我は生まれないよ?」
そして、レアリスに向き直る。
「ねぇレアリス」
「アルティナの答えを聞きたいなら……ちゃんと権能も戻さなくちゃ」
レアリスは、すぐには頷かない。
「だって……これ……危ないから……」
その一言に、この場にいる者達の何人かがぞっとした。
レアリスが“危ない”と言うものが、どれほど危険なのかなど、考えたくもない。
だが、ニトはそんな空気の中でも笑っている。
「レアリスもいて、僕もいて、レイズもガイルもいる」
「アルティナがたとえ力を取り戻したとしても、アルティナじゃ何もできない」
そう断言する。
「それはもう、アルティナ自身が一番理解してるはずだよ?」
そして、優しく囁くように続けた。
「ならさ」
「アルティナに選ばせてあげようよ?」
「選ばせるの、レアリスだって好きでしょ?」
レアリスは、その言葉に少しだけ揺れる。
選ぶこと。
選ばせること。
それは確かに、レアリスがずっと大事にしてきたものだった。
少し間を置いてから、レアリスは頷く。
「ちゃんと……選べるなら……」
ニトは、すぐに言う。
「選べるよ」
「だって、ウルティアとちゃんと選べてたんだからさ」
その言葉に、レアリスはうつむく。
しばらく動かなかった。
だが、やがて観念したように、なくなく支配の権能をアルティナの体へ戻し始める。
その光景を、レイズだけはまったく理解できない。
彼には魂も魔力も見えないからだ。
ただ、周囲の空気が微妙に変わっていくことだけがわかる。
「……うまくいってるのか、これ……」
誰に向けるでもなく呟く。
その横で、クルシアが前へ出る。
「さぁ、ティルシーを返す時がきました」
エルディナを睨む。
「貴女も観念しなさい」
エルディナは、露骨に嫌そうな顔をする。
「ちょっと……返せるなら返してるわよ……」
その返しには、強気と諦めが混ざっていた。
ニトが軽く手を振る。
「まぁまぁ、まずはアルティナが先だ」
そして、静かに呼びかける。
「さぁ、眼を覚まして?」
その瞬間。
アルティナの魂が、ゆっくりと赤く染まっていく。
淡い色ではない。
深く、濃く、鮮烈な赤。
そして、その魂はわずかに揺れ始める。
言葉は発しない。
発せない。
形は魂のままだ。
だからこそ、自我はまだ不完全で、外へ向けた表現ができない。
ニトが、静かに説明する。
「レアリス」
「アルティナの声を聞けるの、これだと僕とレアリス、そしてたぶんエルディナにしかできないからさ」
そのまま提案する。
「アルティナのために、依代を用意できない?」
レアリスは、右手を何もない空間へ向ける。
すると、その空間から何かを一気に吸い寄せるような動きが起きた。
空気が集まり、白いものが形を成していく。
やがて、それは人形のような、白い生き物の形になる。
簡素だ。
細部は作り込まれていない。
だからこそ、どこか不完全な優しさを感じさせる。
レアリスは、少しだけ言い訳をするように言った。
「細かいところは……苦手……だから」
その白い人形へ、アルティナの魂が吸い込まれるように宿る。
ようやくそれが、レイズの目にも映る。
魂だったものが“見える形”になったからだ。
「うまくいってるのか……これ……」
不安そうなレイズに、ニトは肩をすくめる。
「さぁ……?」
そして、白い人形――アルティナへ向き直る。
「ねっ、アルティナ」
「君はどうしたい??」
白い人形は無言だ。
目も鼻もない。
あるのは、口の形をした部分だけ。
それでも、その場の全員が理解する。
いま、アルティナは全員を見ている。
視線のようなものが、一人一人を舐めるように確かめていく。
そして、ゆっくりと手をこちらへ向けてくる。
レイズは、その動きを見て苦く笑う。
「やっぱりか……」
「憎いよな……」
当然だ。
これまでのことを思えば、恨まれていてもおかしくない。
だが、アルティナはその手を下ろし、やがてゆっくりと言葉を紡いだ。
「ウルティア……に会いたい……」
それだけだった。
だが、その一言には、他のどんな感情よりも重い本心が乗っていた。
エルディナが、すぐに反応する。
「アルティナお姉様!!」
「わ、わたし……」
だが、アルティナは静かに言う。
「エルディナ……貴女もついてきなさい」
そして、少しだけ間を置いてから。
「説教はそのときにしますから」
エルディナが、ぞっとする。
姉妹として、長い時間を共にしてきたからこそ、その言葉の重みを理解していた。
ニトが、どこか楽しそうに口を挟む。
「まぁまぁ、それでアルティナ」
「ウルティアは無の世界ってところで元気にやってるよ」
「だから会わせてあげる代わりなんだけどさ」
そこで、少しだけ笑みを深める。
「アビスホールでディアブロがたぶん一人で頑張って戦ってるからさ」
「力を貸してあげてよ?」
アルティナは、不快そうに眉を寄せる。
「どうして……私が……?」
ニトは即座に返す。
「ウルティアがアビスホールで呑まれるところを、ディアブロが救ったんだよ???」
その言葉で、アルティナの動きが止まる。
「意味……わからない……」
素直な反応だった。
だが、そのすぐ後に続く言葉には、明らかな揺れがあった。
「でも……そう……」
「ウルティアを……助けてくれたの……?」
ニトは頷く。
「うんうん」
「だから次は君が助ける番だろ?」
「ディアブロを助けてあげることができれば、きっとディアブロは君をウルティアの場所へ案内してくれる」
「だから、頼んだよ?」
アルティナは、しばらく黙っていた。
そのまま何も言わずに考えていたが、やがて小さく頷く。
そして、今度はリリィを見る。
「貴女……絶対許さないからね」
リリィが、ぞっとする。
だが、アルティナはすぐに言葉を続ける。
「でも……もう……いいわ」
リリィは、震える声で口を開く。
「アルティナ様……わたし……」
「リリィは……ルティー様も、サティー様も……」
言い切る前に、アルティナがそれを遮る。
「わかってるから……」
静かだった。
「終わらせたかった……のよね」
リリィは、目を伏せる。
「はい……もう……」
「終わりにしたかったんです」
アルティナは、小さく言う。
「そう」
「よかったわね」
「望みが叶って……」
その言葉に、リリィは首を振る。
「違う……」
「本当の望みは……ちがうんですよ?」
アルティナは、その意味を掘り下げようとはしなかった。
「いいから」
「早くしてくれる……?」
レイズが、そこで口を開く。
「アルティナ」
「ウルティアの件はすまなかった」
「だが、そうするしかなかった」
アルティナはレイズを見る。
その視線には、明確な拒絶があった。
「それなら……それが正解」
「私は貴方の敵だから」
「だから期待はしないで」
だが、レイズは首を振る。
「敵じゃないよ……」
その言葉に、アルティナはほんの少しだけ表情を止めた。
「……っそう」
それ以上は何も言わない。
そうして、いよいよリリィが手をかざす。
死属性を扱うための所作。
そして、ゆっくりと詠唱を始めようとする。
「ホワイト……」
だが、途中でニトが口を挟む。
「あぁ、詠唱はいらないから」
「アビスホールに還れ、って思って手を振れば大丈夫だから」
レイズが思わず眉をひそめる。
「ニト……違うだろ……」
「いま言うことじゃ……」
ニトは、軽く肩をすくめる。
「わかってるよ」
「でも、そんな感情を込めてやることじゃない」
「あっちにいけば全部わかるんだからさ」
「辛くなんかない」
「寂しくもない」
「アルティナ君はちゃんとウルティアの話を聞くべきさ」
アルティナは、即座に返す。
「余計なおせっかい」
ニトは笑う。
「ひどいなぁ」
「親切に教えてあげてるのにさ」
リリィは、一度深く息を吸う。
そして、ようやく気を取り直す。
アルティナへ触れ、死属性を流し込む。
ゆっくりと。
だが確実に。
白い人形は、ぐったりと横になる。
その瞬間、レアリスが手を当てる。
そして、それを再び吸収した。
しばらくそのまま見つめていたレアリスが、ぽつりと呟く。
「ねぇ……ニト」
「それって……私にもできた……?」
ニトは、あっさりと答える。
「うん。簡単に」
レアリスは、少しだけ目を伏せる。
「そう……」
その反応は、どこかがっかりしているようにも見えた。
自分にしかできないと思っていたこと。
あるいは、自分がもっと関われたかもしれないこと。
そうした小さな悔しさが、そこにはあったのかもしれない。
だが、それを深く掘り下げる者はいなかった。
この場にいる全員が、それぞれに抱えるものが多すぎたからだ。
樹界の空気は変わらない。
だが、そこで交わされた言葉と選択は、確実に次の一歩を決めていた。
アルティナはアビスホールへ向かう。
ディアブロを助けるために。
ウルティアに会うために。
そして、レアリスもまた、自分の選択と向き合いながら、この場所で静かに立ち尽くしていた。
さてと、とニトはわざとらしく肩の力を抜くように息を吐いた。ここまでで、アルティナの件はひとまず片がついた。アビスホールへ向かうべき役割も、誰が何を担うのかも、おおまかな輪郭だけは見え始めている。
だが、まだ終わってはいない。
むしろ、ここから先の方が厄介ですらあった。
ニトは、ゆっくりとレアリスの方を向く。先ほどまでの、世界そのものの在り方を巡る話とはまた違う、もっと個人的で、もっと醜く、もっと根の深い問題へと視線を落としていく。
「さてと、レアリス。次のお願いがあるんだけど、いいかい?」
レアリスは小さく首を傾げる。その反応は相変わらず淡々としているが、先ほどよりはわずかに疲れたようにも見えた。いや、疲労というより、考え込んでいるのだろう。ニトに突きつけられた“終わり”の形を、まだ飲み込めていないまま、次の話へ進まなければならない。その在り方は、レアリスにとっても簡単なものではないはずだった。
「何をしたいの……?」
ニトは、クルシアとエルビナの方へ視線を向ける。わずかに顎をしゃくるだけの仕草だったが、それだけで誰の話に移るのかは十分に伝わった。
「まずは、クルシアにある権能だけを外したいんだよね」
その言葉に、クルシアが背筋を正す。彼女は待ち望んでいた話題にようやく触れられたとでも言うように、緊張を隠しきれない表情で一歩前へ出た。
レアリスは、クルシアをじっと見つめる。
「権能を……外せばいいの?」
その問いは、技術的な確認でしかないように聞こえる。だが、そこには本当にその必要があるのか、という疑問も混じっていた。
クルシアは、すぐに頭を下げた。
「はい……。私のなかにある魔女の因子を、外していただきたいのです」
言葉に迷いはなかった。彼女はそれを望んでいる。自分の中に残っている“魔女としての名残”を、自分の意思で捨てようとしている。
レアリスは、なおも無言でクルシアを見つめ続ける。
その沈黙を引き取るように、ニトが口を開いた。
「言いたいことはわかるよ。クルシアはすでに魔女としての在り方じゃない。それに……権能もかなり薄くなってはいる」
実際、その通りだった。クルシアはもはや、典型的な“魔女”ではない。肉体の奪取も、他者への寄生も、支配も、そうした在り方からは大きく離れている。それでもなお、彼女の内には魔女としての因子が残っている。それは微かであっても確かに残っているのだ。
レアリスは、ぽつりと問う。
「外す意味……あるの……?」
根本的な問いだった。
確かにクルシアは変わった。なら、わざわざ外す必要があるのか。もう害にならないのなら、そのままでもいいのではないか。レアリスの問いは、そういう方向を向いていた。
ニトは肩をすくめる。
「少なくとも根元には戻したい部分ではあるし、難しいことはわかるんだけどさ」
その曖昧な返しに、レイズが口を挟む。
「そもそも、ダルクの権能って戦いを起こすものだろ?」
レアリスやニトのように魂や権能を視認できずとも、話の流れからそのくらいは理解している。
「すでに……腐るほど戦いは起きてる。ダルクの権能なんて、いまさら意味ないだろ」
その言葉に、ニトはあっさりと頷いた。
「その通り」
そして、どこか昔話でもするような口調で続ける。
「世界が争うように仕組みを作った。戦いが起きるようになった。それは、ダルクを僕が利用するようになってからかな」
レイズの表情が曇る。
「ダルクを利用って……」
ニトは、当然のように答える。
「都合がよかったんだよ」
その言い方に躊躇はない。
「さっきも言ったよね。言葉ひとつで、この世界の在り方は曲げることなんてできない」
淡々と事実を並べる。
「ダルクの権能は、それを固定化させるために根強く残った」
その瞬間、クルシアが口を開いた。彼女の声音には、妙な誇らしさすら滲んでいた。
「はい。戦いは、本当に素晴らしいものです」
その言葉に、場の空気がわずかに軋む。
だがクルシアは構わず続ける。
「戦うからこそ……生きている実感を、皆が得たはずです」
レイズは眉をひそめる。
「戦うからこそ、失ったやつがあまりにも多いんだろ……」
クルシアはすぐに否定する。
「さっきから否定ばかりしていますが、戦いは悪いものではない」
その言葉は揺らがない。
「戦うからこそ、役割を得る。楽しむことを知る。刺激を得る。だからこそ、成長は促されたのですよ?」
レイズは苦い顔で吐き捨てるように言う。
「まぁ……強くならないと死ぬからな。本当に」
だがクルシアは、その言葉すら肯定として受け取る。
「なので、そこまで強くなれたのはニト様の采配が素晴らしかったからです」
その言葉に、レイズは呆れたように笑う。
「それにしても、戦いと呼べないほど差が開きすぎだろ……」
視線を巡らせる。レアリス、ニト、ガイル、クリス。そこにいる者達を思えば、もはや“戦い”という言葉が成り立つのかすら怪しい。
「人ひとりで抱えていい力なんて、とっくに越えたやつらだらけだぞ……」
クルシアは、なおも食い下がる。
「だからこそ、努力を、鍛練を怠らない」
「皆が目標にして、戦うために成長を惜しまない」
「成長は生きる上で、もっとも大切なことです!」
だが、レイズは首を振る。
「成長しすぎたやつが多すぎるって話をしてる」
その声は、クルシアを責めるというより、現状の異常さそのものを指摘していた。
「そして、あまりにもそれは不平等になってるんだろ」
「もう“戦い”なんて呼べる戦いをできないくらいに差が開いてる」
「力がないやつは……守られることすらできない」
そこで、レイズは一度言葉を切った。自分でも、何を責めているのか整理しながら話しているようだった。
「それくらいに、力の使い方を間違えたやつが多すぎる」
そして、静かに、しかしはっきりと言う。
「なぁ……力ってのは、皆を守るためにつけるものだ」
「強者が弱者を守るためにつけたものだ」
それはレイズなりの“正しさ”だった。
「戦いを……殺すことを楽しみにして生きてるなんて、おかしいだろ……」
クルシアは即座に返す。
「それが世の常です」
きっぱりと。
「強いものが生き残る。それの何がおかしいのですか!」
その瞬間、ニトがクルシアを見た。
「クルシア」
その呼びかけだけで、クルシアはぴたりと口を閉じる。
「それを言うなら、強い魂を、権能をもっている魔女たちも、強いからこそ在るんだ」
わずかにエルビナの方へ視線を流す。
「エルビナを悪く言えなくなるよ?」
クルシアは、顔を歪めた。
「ニト様! それは違います!」
声が強くなる。
「魔女は強いんじゃない! 魔女は生き汚い!」
その場の空気がぴんと張り詰める。
「誰かの人生を、戦わずして自分のものにし、成り代わる」
「そんな存在が、果たして同じと言えますか!?」
そして、怒りに任せるように。
「成長なんかじゃないじゃないですか!!」
ニトは、その激情を受け止めながらも落ち着いていた。
「魔女も成長はするよ?」
軽く言う。
「少なくとも、強くなるための成長じゃない」
「自分の道を、自分の生き方を認めて変わっていく方の意味だけどさ」
その言葉に、エルビナが顔を上げた。
ここまでずっと抑え込んでいた感情が、ようやく噴き出したのだろう。
「私達は……」
唇が震える。
「そんな戦いを止めるために……動いていたの」
「魔女が……アルティナお姉さまが支配をすれば、それは……起きたことです」
だが、ニトはその言い訳を許さない。
鋭く、切り込む。
「じゃあ君は、なんでジークなんかを解放したのさ」
場の空気がさらに冷える。
「アルティナの目的も、ウルティアの目的も、全部ぶち壊しているよね?」
「君がジークを解放しなければ、少なくとも無駄な争いなんて起きなかったよね?」
エルビナの表情が変わる。
すぐに反論した。
「ジークは!!」
「ジークは、あのままだったら……」
声が震える。
「アルティナお姉さまに殺されて、魂を支配されていたわ!!」
その言葉は悲鳴に近かった。
「ジークはかわいそうなのよ!?」
「ジークをみんなして悪者にして!!」
「ジークのこと、何もしらないくせに!!」
クルシアが、その言葉に噛みつく。
「何を言っている!!」
「あんな簡単に命を奪い続ける男が!!」
その瞳には本物の怒りがあった。
「戦い? そんなものとはまったく別よ!!」
「あいつは殺すためなら、戦わない手段を選んで殺しまくる!」
「戦ってすらいない!」
「一緒にすんじゃないわよ!!」
エルビナも負けない。
「一緒よ!!」
その叫びには、もはや理屈ではない感情が混ざっていた。
「ジークはジークで、正しいと思ったことに向かって戦っていたわよ!?」
「戦っていたから……」
そこまで言って、声が一度落ちる。
「本当は戦うことなんて……望んでいないのに、ジークは……」
その言葉の続きを、エルビナ自身が一番理解できていないのかもしれなかった。
ニトは、そんな彼女を静かに見つめる。
「だから、君たちが作り出したんだろう」
冷たかった。
「魔女が、余計な火種を生んだ」
「そしてそのジークという男は、誰にも止めることができないくらいに壊れている」
一切の容赦なく。
「もう直せない」
「もう戻れない」
「そんな存在を野に放つなんて……」
その言葉は、刃そのものだった。
「ほんと、君が一番罪深いよね」
レイズが、そこで割って入る。
「エルビナばかりを責めるのは違うだろ……」
その声音は強くはなかった。だが、真っ向からニトに異を唱えていた。
「魔女達の思想だって……争いを止めるために起きた思想だろ……」
「そのための試みがうまくいかなかった」
「そして、それが失敗した」
レイズは自分の掌を見つめるように、一瞬視線を落とす。
「失敗は誰でもするだろ……」
小さく、苦く笑う。
「俺だって失敗だらけだぞ……」
ニトは、その言葉を否定しなかった。
「そうだね」
あっさりと認める。
「でも、失敗は許してしまうことが許されないことでしょ」
その言い回しはやや歪だったが、意味ははっきりしていた。
取り返しのつかない失敗は、ただ“仕方ない”では済まされない。
「まぁ、僕からしたらジークのしたことなんて、ほんとにちょっとしたことなんだけどさ」
その一言に、その場の誰もが一瞬だけ息を呑んだ。
ニトの尺度は、やはりどこか壊れている。
だが、彼は続ける。
「それでも――」
ここから先は、明らかに別の温度を持っていた。
「ハルバルドを殺したのは最大の失態だよね?」
「許すわけにいかないよね」
その言葉は、もはや理屈だけではなかった。
「少なくとも、ハルバルドは間違いなく優しい男に向かっていた」
「過ちを理解して」
「ハルバルドは、償うために生きていく」
「そんな彼を――」
少しだけ、ニトの声に熱が混じる。
「そんな彼だから、僕は許した」
「そんな彼だから、僕は彼を選んだ」
「聖国を」
「これからの在り方を正しく導ける存在になり得た」
そして、はっきりと。
「だからこそだよ?」
「だからこそ、ジークはタイミングがあまりにも悪い」
レイズは、その言葉に目を細める。
「それが……どういう意味かわかって言ってるんだよな?? ニト」
ニトは、レイズを見返す。
「ぁあ、わかってるさ」
わざと軽く言う。
「自分の仲間が殺されたことを恨んでるって言いたいんだろ?」
「僕がそんなことを言う資格なんてないって言いたいんだろ?」
そして、ゆっくりと首を振る。
「でも、違う」
「全然違う」
その否定には、迷いがなかった。
「ハルバルドは、これからの世界に必ず必要となる存在になれた」
「君が変えたこの世界を」
「生き残ったこの世界を」
「間違えずに導ける存在になり得た」
その一語一句が重い。
「私怨って思うかい?」
「違う」
「世界に、これから必要になる存在の損失は、君が痛いほどわかるはずだ」
その場の全員を見回しながら続ける。
「いまの世界に、ガイル君も」
「クリス君も」
「そしてレイズ君も」
「誰一人欠けてはいけないほどの存在になっている」
そこには、ニトなりの“優先順位”があった。
友だから大事なのではない。
仲間だから惜しいのでもない。
「それを君が一番理解しているはずだ」
「仲間だから大切?」
「友達だから大切?」
「全部違う」
そして、はっきりと言い切る。
「大切なのは、この後の世界を美しく」
「君が思い描いた世界を正しく」
「すべてを綺麗に終わらせるため」
「だからこそ、もうそれは必要がない」
その“それ”が、ジークのような存在を指しているのは明らかだった。
「いまこの世界のバランスを保つ行為は、もう意味がない」
「人も魔族も減らしている場合じゃない」
「その都度に、正しい道は常に変わり続ける」
「そして君が変えた」
ニトは、そこでジークの話に戻る。
「つまり、ジークはその変化に完全に置いてかれている」
「彼の考え方は、もう遅れている」
「遅れていることを、いまも再起させようとするその在り方は、もう邪魔でしかない」
その断言は、あまりにも冷酷だった。
「だからこそ、許す意味がない」
「これからの世界が、その在り方を認めるわけがない」
そして、レアリスへ向き直る。
「ね? レアリス」
「人も魔族も、いまも減らし続けてバランスを保つことが正しいなら」
「君はとっくにそれをやっていたはずだよね?」
レアリスは、小さく答える。
「私は……魔力を減らせればそれでよかったから」
「ディアの力を使えば……殺さなくても保てるから……」
「だから……減らさなくて……よかった」
ニトは、その答えに頷く。
「同じだよ?」
「魔力を減らす?」
「これから生命が溢れていく速度に、いまのレアリスのやり方では追いつかない」
そして、レアリスの分体の多さを思い出すように。
「その証拠に、君は体をずいぶんたくさんに分けている」
「けどね。もうそれじゃ間に合わない」
レアリスは、なおも言う。
「そうなったときは……減らす……から……ね?」
ニトは、首を振る。
「減らせない」
「減らすことを許さない存在が」
「力を持ちすぎた存在が」
「理解できない存在が」
「もう溢れすぎている」
そして、レイズを見る。
「レアリス」
「君はレイズを……倒せるのかい?」
レアリスは、じーっとレイズを見る。
長い沈黙の後、答える。
「レイズだけなら……?」
「まだ消せる」
その答えに、ニトは笑った。
「レイズだけを消す?」
「それは無理でしょ」
「クリスだってガイルだっている」
「それに僕も、その道を、在り方を認めている」
レアリスに言い聞かせるように。
「レアリス」
「もう僕たちの過去の考え方は、正しくはない」
「根元の復活も必ず起きる」
「なら、減らす意味なんてない」
「魔力を返す意味もないんだ」
レアリスは、困ったように言う。
「そんなの……困る……?」
ニトは、すぐに答える。
「そうさ。困るんだよ」
「困るからこそ、まとまらなくちゃいけない」
「考え方を統一しなきゃいけない」
そして、まっすぐに。
「その考え方をもって、正しく導ける存在は多ければ多いほどいい」
「ハルバルドは、その一人だよ……?」
レイズは、眉をひそめた。
「飛躍しすぎだ……」
「それぞれの正しさは、立場が違えば答えは違うだろ……」
ニトは、深くため息をつく。
「はぁ……」
そして、静かに言った。
「君が、みんなの立場を同じにしてるんだ」
レイズの目が揺れる。
「だから、いまこの世界が実現されている」
「誰も争わない世界が実現されている」
「ダルクの権能だって機能しているのに、戦いをやめている」
それは異常だった。
本来あり得ないことだ。
「君……どれだけみんなを変えたのか、理解してないのかい?」
レイズは、ゆっくりと言う。
「俺が……そんなに変えたのか……?」
その声には、驚きと恐れが混ざっていた。
「俺は、ただ……レイズを……」
「アルバードを守るために……」
視線を落とす。
「だからだ」
「だから、それを成すために……王国も聖国も魔族も、止めるしかなかっただけだったんだ」
ニトは、その言葉を切るように言う。
「それがどれだけ起こり得ないことか、説明はしたはずさ」
「レイズ」
「言葉や思想だけでは、絶対に変わることはない」
「それが僕たちの、いまいるこの世界」
そして、一歩踏み込む。
「レイズ」
「君がいた場所で、道を、舞台を用意されていただけにすぎない」
その言葉の意味を、レイズはすぐには理解しきれなかった。
だが、ニトはもう次へ進んでいる。
「僕たちは、もう大変革の渦中にいるんだ」
その声が、この場全体に沈む。
「なら、レイズ」
「君は、誰これ助けたいなんて思っていちゃいけない」
その言葉は冷酷だった。
レイズの優しさを、まるごと切り捨てるような響きすらあった。
だが、ニトは最後にはっきりと告げた。
「この、世界の在り方そのものを壊すことだけを考えなくちゃ!」
その一言が落ちた瞬間、この場の誰もが、もう後戻りできない場所へ来ているのだと理解するしかなかった。
誰を助けるか。
誰を許すか。
誰を救うか。
そういう段階は、もう過ぎている。
いま必要なのは、世界そのものをどう終わらせ、どう始め直すのか。
そのために、自分たちは何を壊し、何を捨て、何を残すのか。
それだけなのだと。
ニトの言葉は、あまりにも残酷で、あまりにも正しかった。
だからこそ、誰もすぐには反論できなかった。




