帰ろう…
先に出発したのは、ピスティア、ルイス、ジェーン、そしてシスティーヌだった。
ホーリードラゴンの背に乗り、強い風に身体を打たれながらも、四人は聖国へ向けて一直線に空を駆けていく。
その中で、ぽつりとジェーンが口を開いた。
「私が……聖国に残っていれば……ハルバルドは……」
その言葉を遮るように、ルイスは静かに首を振った。
「それは関係がありません。ジェーンの実力を疑う者などいない。ですが……兄上は……」
言葉を選ぶように、一度だけ視線を落とす。
「きっと……」
その先を、ピスティアが震える声で引き継いだ。
「お兄様も……お父様と同じだったんです……。自分の命を……罪の意識から、軽く見ていた……。自分が死ぬことで、すべてが許されると……思ってしまっていたんです……」
ルイスはゆっくりと息を吐き、静かに頷いた。
「ええ……。ハルバルド兄上は……死ぬことを選んだ。私は、そう思っています」
だが、その言葉にジェーンはすぐさま強く否定した。
「そんなはずはない。ハルバルドは、聖国で誰よりも“聖人”だった。命の重さを……あんたらが思っている以上に理解していた人間だよ。私とグレンは、ずっとそれを見てきた」
ピスティアは涙をこぼしながら、首を振る。
「だからなんです……。他人の命の重さを理解してしまったからこそ……私たちが背負ってきた罪の重さにも、気づいてしまったんです……。だから……だから……」
ジェーンは歯を食いしばり、空を睨む。
「何度も言ったはずだ……。そもそも人と魔族とエルフが争うこの環境自体が、ニトやレアリスが作った“仕組み”に過ぎないんだよ。あんたらがそのすべてを自分たちの罪だと言うたびに……ニトの存在そのものを否定することになる」
ルイスはその言葉を受け止め、静かに答えた。
「確かに、“戦う舞台”を作ったのはニト様かもしれません。ですが、それもまた……違うと、私たちは理解しています。世界を維持するために……あまりにも長い時をかけて選ばれた在り方だったのだと」
ジェーンは苦く笑った。
「そうさ。だからあんたらは、誰かが死ぬたびにちゃんと悲しめる。感情がちゃんと残っている。それが普通なんだよ……。私は……そういう意味では、もう壊れてる」
ピスティアは強く首を振る。
「そんなことありません!! ジェーン様は壊れてなんかいません!! お兄様の死を……あんなにも嘆いてくださっているじゃないですか……。だから……そんな顔をしている……」
ジェーンは目を伏せ、小さく息を吐いた。
「私が……嘆く、かい……。そうさね……。ニトの教えを信じてきたし、今でも信じてる。戦いも、奪いも、奪われる命も……すべては世界の維持のためだと理解していた。だけどね……ハルバルドは違う。ニトが選んだからじゃない。あいつは……自分で、自分の意思で、立派な男になっていたんだよ。私は……」
言葉が、そこで途切れる。
ルイスが静かに言った。
「言いたいことはわかります。それだけでも……兄上にとって、どれほど救われる言葉か……」
ピスティアは涙をこぼし続ける。
「お兄様……お兄様は……生きていてよかったのに……。なんで……そんな無茶をしたの……」
ルイスは小さくため息をついた。
「……それにしても、ジークという者ですか。本当に許せません……。なぜ、今になってそのような愚かな行いを……。そのジークは、どうなったのですか?」
ジェーンは答える。
「詳しくはわからない。でも、ガイルが聖国に辿り着いた時には……ハルバルドはすでに殺されていた。グレンや他のパラディン達が、ジークと激しく戦っていたらしい。そしてその後……パラディンの一人に、アルティナっていう魔女が取り憑いた」
ルイスは眉をひそめる。
「ジークの他に……魔女……。それに、なぜガイル様が聖国へ……?」
ジェーンは続ける。
「あんたらと別れたあと、私たちはレアリスに会った。その時、一人の少女にウルティアって魔女が取り憑いていて、それをリリィが消した。だけど、その少女に今度はアルティナが取り憑いたんだよ。ガイルは、そのアルティナの行方を追って、聖国方面に向かった」
ルイスは強く拳を握る。
「ガイル様が間に合っていなければ……」
ジェーンは低く言った。
「想像もしたくないね。ハルバルドだけじゃない。グレンも、パラディン達も……全員死んでいたかもしれない」
ルイスは強い意志を込めて言う。
「魔女にジーク……。ならば、私が必ず討ってみせます」
ジェーンは首を振る。
「そう言いたいところだけどね。もう捕まってる。ジークもアルティナも、レアリスのもとにいる。ニトもレイズも、そこに向かってるんだ」
ルイスは驚きを隠せない。
「すでに……レアリスに……。それは……とんでもないことが起きるのでは……」
そして小さく頭を下げる。
「それにジェーン……私たちのせいで……申し訳ない」
ジェーンはすぐに言い返した。
「勘違いはよしな。私だってハルバルドのことが気になっていたし、聖国がどうなっているのかも知りたかった。本当ならニトも連れて帰りたいくらいさ」
ピスティアは呟く。
「ニト様と……レイズ様で……レアリスのもとへ……何を……」
ジェーンはため息をつく。
「長い話になる。でも、聖国に着くまで時間はある。全部話すさ。ただ……私だって完全に理解できてるわけじゃない」
ルイスは静かに言った。
「私たちは……一体何をすればいいのでしょうか」
ジェーンは答える。
「ニトの指示はひとつ。聖国で守りに入れ。ハルバルドに会えたら、その後はあんたらに任せる。私は私で、聖国を立て直す」
ピスティアは不安げに言う。
「ルイス……私たち……まだ……できるのかな……。お兄様はもう……」
ルイスは即座に答えた。
「できるかどうかではありません。やらなければならないのです」
ピスティアは小さく呟く。
「……次はきっと……私……」
その瞬間、システィーヌが強く言い放った。
「いい加減にしなさい」
空気が張り詰める。
「そんな考え方で何が王族ですか。自己犠牲で全てが許される? ふざけないでください。私もリオネルも、死ぬことなど一度も考えていません。私たちは生きて、生きて、生き続けて……間違いを正し続ける。それが責任です」
ピスティアは崩れるように涙を流す。
「……ごめんなさい……。私はただ……家族みんなで……また集まれたら……」
ルイスは優しく言った。
「それが、最も正しい願いです。だからこそ私たちは、その“暖かさ”を示さなければならない。それが帝国を変える」
ピスティアは涙を流しながら頷く。
「ルイス……」
ジェーンは小さく笑った。
「あんたらは、もう十分温かいよ」
システィーヌも頷く。
「そうよ。本当に、もう家族じゃない」
ルイスは静かに言った。
「もう家族なんです。帰りましょう。私たちの家に」
ピスティアは、何度も頷いた。
「……うん……帰ろう……」
ドレイクの背に乗り、フェリル、カイル、アリスの三人は空を進んでいた。
高く、遠く。
吹きつける風は冷たく、眼下に流れていく景色はどこまでも静かだった。
けれど、その静けさとは裏腹に、三人の胸の内にはそれぞれ違う波が揺れている。
泣きじゃくるわけでもなく、取り乱すわけでもなく。
ただ前を見つめているカイルの横顔を、フェリルはそっと見つめていた。
あまりにも落ち着いている。
子供らしからぬほどに。
だからこそ、フェリルは静かに声をかけた。
「カイル……貴方は、子供なのにずいぶんと落ち着いているのですね」
カイルは少しだけ目を瞬かせる。
「落ち着いて……いますか……?」
その返しすら自然で、気負いがない。
フェリルは小さく頷いた。
「ええ。だって、貴方の親族の方が……」
言いかけて、ほんの少し言葉を選ぶ。
だがカイルは、その名をすぐに受け取った。
「……ハルバルド様ですね」
その声は静かだった。
「僕は、父上のご兄弟について……あまり知らないので。その……実感がないだけだと思います」
あまりに率直な言葉だった。
無理に悲しもうとしているわけでもなく、取り繕っているわけでもない。
わからないものを、わからないと言っているだけ。
その素直さに、アリスはたまらず顔を上げた。
「ハルバルドは……すごく優しいんだよ……!」
震える声だった。
泣き腫らした瞳に、また涙が滲んでいく。
「私が……泣いてたら、いつも慰めてくれて……みんなのためにいつも笑顔を見せてくれて……すごく、すごく……優しくて……」
言葉を重ねるたび、アリスの中にあるハルバルドの姿が浮かび上がる。
優しい人。
温かい人。
誰かのために、自然と笑える人。
カイルはその言葉を、まっすぐに受け止めていた。
「……そうなんですか……」
アリスは涙をこぼしながら、強く言い返す。
「そうよ!!」
その声には、悲しみだけではなく、わかってほしいという必死さが滲んでいた。
「なんで!? カイルならわかるでしょ!?」
けれどカイルは、そこで無理に頷くことはしなかった。
「わからないんです……」
はっきりと、けれど優しく言う。
「でも……直接会えば、きっとわかると思います……」
アリスはその言葉に、胸を締めつけられたような顔をした。
「ハルバルドは!!」
声が裏返る。
「すごく立派な人よ! 神父なのよ!? 聖国で神父と呼ばれるのがどれだけすごいことか……わからないの!?」
その叫びは、怒っているのではない。
認めてほしいのだ。
自分が大好きだった人が、どれほど立派で、どれほど素晴らしい人だったのかを。
カイルは少しだけ考えるように目を伏せた。
「神父……ですか……」
その言葉自体を確かめるように繰り返す。
「僕には、神父が何かはわからない。でも……アリス、君がそこまで褒めてくれる人なら、きっと……すごく素晴らしい人なんだね……」
飾らないその一言に、アリスの肩がびくりと揺れた。
認めたわけではない。
知っているわけでもない。
それでも、アリスの想いをまるごと受け止めようとしてくれている。
フェリルはそんな二人を見つめながら、静かに口を開く。
「そうね」
高空の風に溶けるような、やわらかな声だった。
「貴方達がこれから見ていく事実だけが、本当に大切なこと」
その言葉は、どこか自分にも言い聞かせているようだった。
「過去のことは、言い出したらみんなきりがありません。どう変わったのか。どう在ったのか。そこが、とても大切なことです」
そして、ハルバルドという名をそっと抱くように言った。
「少なくとも……そのハルバルドという方は、たくさんの人に惜しまれる。泣いてもらえる。想ってもらえる」
フェリルの目が、少しだけ細くなる。
「それがどれだけ彼にとって意味のあることか……いつか大きくなったら、わかります」
カイルは前を向いたまま、ぽつりと呟いた。
「僕は……まだ子供だから……」
その声には、悔しさとも戸惑いともつかない響きがあった。
「だから……見たままのことしか……わからない……」
その言葉に、アリスは涙を拭いながら反射的に言い返す。
「わたしだって……子供よ……!」
嗚咽混じりの声。
けれど、その中にあるのは確かな信頼だった。
「でも、子供のわたしだけじゃない……! 大人達が見たって、ハルバルドはすごく……立派なんだから!!」
その言葉は、アリスにとっての誇りだった。
泣きながらでも、胸を張って言えるほどに。
カイルは、そんなアリスをじっと見ていた。
それから、静かに言う。
「アリス……ありがとう」
その一言に、アリスが息を呑む。
「父上のお兄様にあたる方を、そこまで……認めてくれて……僕は……すごく嬉しいです」
アリスはすぐに顔を歪めた。
「嬉しいわけないわよ!!」
涙がまた溢れる。
「死んじゃったのよ!? 死んじゃったのに……嬉しいなんて……」
その叫びは正しかった。
死は悲しい。
失うことは苦しい。
それを“嬉しい”と表すことに、拒絶が起きるのは当然だった。
だが、フェリルは首を横に振る。
「アリスさん。それは違います」
穏やかに、しかしはっきりと。
「カイルは……帝国の王族を、王族としてのあり方を、そしてその想われ方を……感謝しているのです」
アリスは涙で濡れた目のまま、フェリルを見た。
「どうしてよ……」
かすれた声が零れる。
「どうしてなの……カイル……。ハルバルドは……死んじゃだめなのよ……。ハルバルドは……」
そこで、カイルが静かに口を開いた。
「……はい」
短く、けれど確かに。
「死んでほしくなかったです」
アリスが目を見開く。
フェリルもまた、その続きに耳を傾けた。
「父上も……おじいさまも……」
その小さな背中が、少しだけ震える。
「誰も、死んでほしくなんかありません」
それは、子供の率直な願いだった。
けれど同時に、誰よりも本質を突いていた。
「みんなで……生きていたら……きっと……いいことがたくさんあったはずなんです」
その言葉を聞いた瞬間、フェリルは静かに目を丸くした。
あまりにも真っ直ぐで、あまりにも深い。
「……本当に、子供とは思えないですね……」
思わず漏れたその呟きは、驚きであり、感心でもあった。
そしてフェリルは、どこか祈るように続ける。
「だからこそ……貴方達は、大人に早くなる必要なんてありません」
風が髪を揺らす中、その声だけがあたたかかった。
「その目で感じたことを、その目で見て得たことを……必ず大切にしてください」
カイルとアリスは、黙ってその言葉を聞いている。
フェリルは二人を見つめながら、静かに微笑んだ。
「それが、みんなの……望みであり、希望ですから……」
ドレイクは翼を広げ、空を進み続ける。
悲しみのただ中にいるはずなのに。
その背の上には確かに、これからを繋いでいく小さな光があった。
アリスは、涙の残る目でフェリルを見上げた。
「なによ……貴女だって……」
少しだけ拗ねたような声。
「私たちと……そんなに変わらないのに……」
その言葉には、悔しさと戸惑いが混じっていた。
同じように見えるのに、どうしてこんなにも違うことを言えるのか。
フェリルは、その言葉を受けて、くすりと笑う。
「全然違いますよ?」
あっさりと、しかしやわらかく。
「私はこう見えても……ルイスや……ギルバルドよりも、ずっと……長く生きていますから」
アリスは目を見開いた。
「その見た目で……!?」
思わず声が裏返る。
「そんな……」
信じられない、というよりも理解が追いつかない。
フェリルは肩をすくめるように微笑む。
「私たちの寿命は、とても長いんです」
どこか遠くを見るような目。
「でも……長く生きていても、気付けないことがたくさんあったんですよ?」
その言葉は、少しだけ寂しげだった。
アリスは戸惑いながら問い返す。
「長く生きていても……わからないことがたくさんあるの……?」
フェリルはゆっくりと頷いた。
「えぇ……」
静かに、確かに。
「生きている時間の長さに、意味なんてありません」
風が吹き抜ける。
その言葉は、軽いようでいて重かった。
「気付くときは、長かろうが短かろうが……一瞬なんですよ」
その“一瞬”を思い出すように、フェリルの瞳がわずかに揺れる。
カイルは、その言葉を受けてぽつりと呟いた。
「一瞬……ですね」
小さく頷く。
「僕には……なんとなく……わかります」
フェリルはその言葉に、やさしく微笑んだ。
「そうですね」
肯定するように。
「だからこそ……貴重なんです」
その声は、どこか大切なものを手渡すようだった。
「だからこそ、しっかり受け止めてください」
アリスとカイル、二人をまっすぐ見つめる。
「幸せや暖かさには……そこに至るまでの“経緯”が、必ずありますから」
アリスは首をかしげる。
「経緯……?」
その言葉は、まだ遠い。
フェリルは少しだけ言い換える。
「道です」
短く、わかりやすく。
「そこに到達するまでの道が……旅が、それぞれの生きてきた者すべてに、必ず訪れるんです」
その言葉は、未来を示しているようでもあり、過去を肯定しているようでもあった。
アリスは眉を寄せる。
「難しくて……わかんない……」
正直な感想だった。
まだその“道”を理解できるほど、経験を積んでいない。
だが、カイルは静かに言った。
「僕は……それが、すぐに訪れた……」
その声は小さい。
けれど、どこか覚悟のようなものが滲んでいた。
フェリルは、その言葉にしっかりと頷く。
「えぇ」
優しく、しかし確かに。
「これから一気に、貴方達は成長していきます」
アリスとカイルの目を順に見る。
「それは、体の成長ではありません」
一呼吸置く。
「――心の成長です」
風が強く吹き抜けた。
「それが、どれだけ大切なことか……」
フェリルの声は、どこか祈るように柔らかかった。
ドレイクは静かに翼を広げ、空を進み続ける。
まだ幼い二人の中で、確かに何かが芽生え始めていた。




