王だから変わらない変化
ルイスはピスティアと並んで歩いていた。
新しく生まれ変わった世界樹の下。そこには、かつて見たことのないほど穏やかな光景が広がっていた。風は静かで、空気は澄み切っている。世界樹から溢れる魔力が大地に満ち、その恩恵を受けて暮らすエルフ達は、まるで神話の中から抜け出してきた存在のようだった。透き通るような肌、長く整った耳、そして芸術品のように整いすぎた顔立ち。そこに在るだけで、この場所が人の手では届かぬ聖域であると理解させられる。
ピスティアは、その光景を見つめながら思わず呟いた。
「……エルフ達って……なんて綺麗なんでしょう」
ルイスも静かに頷く。
「世界樹の恩恵を最も受ける種族ですからね」
ピスティアはしばらく何も言わずに景色を見つめていたが、やがて胸の内から滲み出るように言葉を落とした。
「私たちは……帝国は……この場所を奪おうとしたのよね……」
その声には、ただの後悔では済まされない重さがあった。美しいから欲した。豊かだから奪おうとした。その浅ましさを、今になってようやく真正面から見てしまったのだ。
ルイスはゆっくりと答える。
「そうです」
そして少しだけ視線を落とした。
「エルフだけではありません。魔族も……他の種族も……」
静かに続ける。
「戦うことに意味などありませんでした」
拳を軽く握る。
「私がこれほどまで鍛錬して手に入れた力も、本来は戦うためのものではない」
前を見据えたまま言う。
「守るための力です。この景色を……この世界を守るために、そのために私は全力を尽くしてきました」
ピスティアは弟の横顔を見つめた。幼い頃から知っているはずの顔なのに、今はどこか遠くにいる人物のようでもある。
「ルイス……あなたのことを……私たちは……」
言葉が続かない。責めたことも、理解できなかったことも、何もかもが胸に詰まっていた。
ルイスは小さく首を振った。
「それはいいんです」
その声は穏やかだった。
「帝国にいた頃の私は……ただ戦いを見るのが怖かっただけです。理想はありました。ですが、それを実行する勇気も、力もなかった」
少しだけ苦笑する。
「もっと早く動けていれば……もっと違う結果を残せたかもしれない。ならば私も同罪です。理想を成せなければ、それはただの妄想にすぎない」
ピスティアはすぐに首を振った。
「違うわ……ルイスは……一人だけ、間違えない道を見ていた。私たちは……間違えた」
そのまま声を震わせながら続ける。
「だから、お父様だけが償うことじゃない。私だって……ハルバルドお兄様だって……」
そこで、ピスティアはふと顔を上げた。
「……そういえば」
「お兄様の話をしても……?」
ルイスは静かに頷く。
「そうですね。聞きたいことはたくさんあります。ですが……あえて聞きませんでした」
ピスティアは不思議そうに弟を見る。ルイスはその視線を受け止めながら続けた。
「ニト様のもとで、姉上と兄上は聖国を任されていましたね」
ピスティアは苦笑した。
「任された……なんて言えるものじゃないわ。私は……正直、怖かった」
だが、話しているうちにその表情は少しずつ柔らかくなっていく。
「でも……お兄様は変わられたの。本当に、大きく。償うために……聖国の人々のために汗水流して働いて、祈りもたくさんして……今では神父なんて呼ばれているのよ」
ルイスは小さく笑った。
「父上も兄上も……随分変わられましたね」
ピスティアは頷く。
「ええ。そういう意味では……やっぱり似ているの。お父様も、お兄様も……過ちに気付いて、すぐに変わった。私は……ただ、お兄様の後ろについていただけ」
ルイスはすぐに否定した。
「それは違います。姉上も変わられた。それは再会してすぐに分かりました」
ピスティアは少し照れたように笑う。
「……そうかしら」
ルイスは真剣な表情で言った。
「私たち王族は皆、血が繋がっています。だからこそ、間違いに気付けば変わることが出来た。ただ……気付くのが遅かっただけです」
ピスティアは少し不安そうに呟く。
「私たち……家族として繋がるのは……やっぱりダメなのかしら……」
ルイスは静かに答える。
「帝国の王族だからこそです。家族の在り方を示す必要があります。私たちがそれを示せなければ、帝国の人々に示すことなど出来ません」
ピスティアは微笑んだ。
「ルイスは……本当に優しいのね」
ルイスは首を振る。
「私だけではありません。姉上も、兄上も、父上も……皆、優しくなれた」
そして少しだけ世界樹を見上げる。
「そうならなかった理由も、今なら分かります」
ピスティアは尋ねた。
「……どうして?」
ルイスは高く枝を広げる世界樹を見つめたまま言う。
「この世界の在り方が、この場所を残すために必要だったのだと」
ピスティアは小さく肩を震わせた。
「あんなことをしたのに……?」
「ええ」
ルイスははっきりと頷く。
「ですが、その在り方は確実に変わっています。レアリスとニト……この二人の考え方すら変わった」
ピスティアは首を傾げる。
「レアリスは……私にはわからないわ。でもニト様も……?」
ルイスは答える。
「はい。二人は、この世界を維持するために、私たちが戦う環境を作った。魔力が溢れることで起きる災害を防ぐためです。ですが――」
そこで少し笑う。
「レイズ様がすべてを変えた」
ピスティアは目を見開いた。
「レイズ様が……?」
ルイスは力強く頷いた。
「真の英雄はレイズ様です。勇者と呼ばれるべき人物も、レイズ様です。レアリスもニトも、その考えを変えた。つまり、レイズ様がいなければ……この世界は今も戦い続けていた」
ピスティアは小さく呟く。
「……そんな人が……いたのね」
ルイスは静かに言う。
「だからこそ、父上も、この残酷な世界に作られたのだと……そう考えています」
ピスティアは首を振った。
「それでも……あなたを利用して……あなたの妻まで……」
ルイスは静かに答える。
「許せません。ですが……許します」
ピスティアは驚いて弟を見る。
「どうして……?」
ルイスはわずかに目を伏せた。
「許す資格が、私にはないからです。私は本来、何も出来ずに死ぬだけの人間でした」
ピスティアは息を呑む。
「どうして……そんなことを言うの……?」
ルイスは答える。
「レイズ様が未来を知っていたからです」
ピスティアは呟く。
「未来……?」
「はい」
ルイスは頷く。
「だから私は守られた側です。救われた側。助けた側ではない。だからこそ、私も私で出来ることをする。帝国を……もう二度とあの道へ進ませないために」
ピスティアは優しく言った。
「あなたがいれば……そんなこと、もう起きないわ。カイルも……あなたに似ているもの」
ルイスは真剣な目で答える。
「カイルを間違えさせないためにも、私もシスティーも生き続けます。そして、間違いが起きない道を作る。必ず兄上にも会います。家族で、兄弟で……帝国を変えていこう。暖かい国にするんです」
ピスティアは微笑んだ。
「ええ……お兄様もきっと……喜ぶわ……」
だが――
この時。
ルイスもピスティアも、まだ知らない。
ハルバルドがすでに死んでいるという事実を。
そしてその事実を知ったとき、ギルバルドも、ルイスも、ピスティアも、カイルも、二度と戻らない暖かい未来が彼らを待っていることを。
しばらく歩いたあと、ピスティアがふと思い出したように尋ねた。
「ところで、カイルとシスティーヌ様は……どちらへ行ったのかしら?」
ルイスは足を止めずに答える。
「カイルが世界樹をもっと見て回りたいとのことでしたので、システィーが付き添って歩いています。姉上も……見て回りますか?」
ピスティアは苦く笑った。
「私たちは……ここを観光する資格なんてありませんよ……」
ルイスも静かに頷く。
「そうですね。エルフ達も、決して歓迎してくれていないことは私でもわかります。ですが、数日はここで滞在する予定です」
ピスティアは不思議そうに聞いた。
「それは何故……?」
ルイスは少しだけ考えてから答える。
「父上がここで何を成して、何を想っているのか知りたいからです」
ピスティアは言いづらそうに口を開く。
「言いにくいけれど……私たちのことをもう忘れてしまった……のよ?」
「そうですね」
ルイスは素直に認める。
「ですが、世界樹にそんな力が果たして本当にあるのか……気になりませんか?」
ピスティアは肩をすくめた。
「何があっても、何が起きても……もう不思議なことなんてないわよ。なんだってあるわ」
「そうですね」
ルイスも同意した。
「ですが、なんとなく感じませんでしたか?」
「何を……?」
ルイスは静かに言った。
「父上は……私たちを……カイルを理解している」
ピスティアはすぐに首を振る。
「そんなわけないわ。だって……私とルイスを見ても、何も反応すらなかったじゃない」
ルイスはわずかに目を細めた。
「でも、カイルにはなにかを示した。私はそう理解しています」
ピスティアは弟を見る。
「カイルを……一人で行かせた理由があるの?」
「えぇ」
ルイスは頷いた。
「父上にとって、はじめての孫です。覚えていないとはいえ……孫です。きっと父上に何かしらの影響を与えたはずです」
そして確信するように続けた。
「カイルはきっと、それを知っている。だからこそ……可能性を感じています」
ピスティアは小さく尋ねた。
「どんな可能性……?」
ルイスは迷いなく答えた。
「父上が父上に戻る可能性です」
ピスティアは目を瞬かせる。
「お父様が……お父様に……?」
「しばらく様子を見ましょう」
ルイスは静かに言う。
「きっと……カイルなら……父上を動かせる。そんな期待があります」
ピスティアは少しだけ表情を和らげた。
「そう……ルイスの子ですものね」
「えぇ」
ルイスは自然に答える。
「私の息子は……未来では勇者ですからね」
ピスティアは困ったように笑う。
「未来では……って、変なことを言うわね。勇者は貴方じゃないの?」
ルイスは首を振った。
「勇者は必ずカイルになる。そしてカイルは必ず、間違えずに父上を動かせる。信じています。カイルを……そしてレイズ様も……」
ピスティアは半ば呆れたように笑った。
「貴方……ほんとにレイズ様に影響されたわよね…」
ルイスもわずかに口元を緩めた。
「嫌でもされます。それだけのことを、それだけの知識を、レイズ様は持っていましたので」
そうしてカイルとシスティーヌも、二人で世界樹の中を見て回っていた。
「母上、こちらです!」
なぜかカイルが先を歩き、案内をするようにシスティーヌを連れて進んでいく。
システィーヌは少し呆れたように、けれど微笑みを浮かべながら息子の背中を見つめた。
「カイル……貴方、ここに来たことなんてないのに、どうしてそんなに迷いなく進めるのよ……?」
カイルは振り返る。瞳だけは妙に真剣だった。
「母上……ここには、僕が探し求めていたものがあるんです」
システィーヌは思わず苦笑する。
「ほんとに……この子ったら……」
そうしてカイルが招くように進んだ先には、少し空気の違う一角があった。
エルフはエルフなのに、肌の色が違う。纏う雰囲気もまた、世界樹の穏やかさとは別の深さを感じさせる。
ダークエルフ達が集う場所だった。
その中で、一人の少女とカイルの目が合う。
フェリルだ。
本来の未来では仲間として過ごしていた関係ではある。だが、この世界、この時間の流れでは初対面に等しい。
そしてカイルは、フェリルの姿を見るや否や、思わず口を開いていた。
「すごく……綺麗な方ですね、母上」
システィーヌは一瞬きょとんとして、それから小さく咳払いした。
「あの方は……この世界樹を統べているフェリル様よ?」
すると、フェリルの方からこちらへ歩み寄ってくる。
「お久しぶりです、システィーヌ様」
システィーヌも軽く頭を下げる。
「ええ……アルバードぶりですね。カイル、挨拶を」
カイルはぴしっと姿勢を正した。
「フェリル様! 僕はカイルです! 初めまして……ですよね?」
フェリルはじっとカイルを見つめる。その目は静かで、どこか懐かしむようでもあった。
「そうですね。初めましてではないですが……でも不思議ですね」
小さく微笑む。
「なんだか、初めてではない気がします」
システィーヌはくすりと笑った。
「レイズ様が長く眠られていたときに、カイル……貴方、フェリル様とアルバードで会っているのよ」
カイルは首を傾げる。
「全く覚えてないです……」
「まだ赤ん坊だったものね」
システィーヌがそう言うと、フェリルは優しく頷いた。
「本当に大きくなりましたね。どことなくルイス様にそっくりです」
だがカイルは、その言葉に照れるよりも先に、短く真面目な口調で言った。
「その……フェリル様。お聞きしたいことがあります」
フェリルが首を傾げる。
「はい? 私にですか?」
「はい」
カイルは強く頷いた。
「僕のおじいさまについてです」
フェリルの目が少しだけ細くなる。
「……ギルバルドのことですね?」
「はい!」
カイルは一歩前に出た。
「おじいさまを、どうか許していただけないでしょうか……?」
フェリルは、ほんの少しだけきょとんとした顔をした。
「許す……ですか?」
カイルは必死だった。
「はい……! おじいさまが昔にしたことは詳しく知りません!! ですが!! おじいさまは――」
その勢いを、フェリルはやんわりと止める。
「ちょっと待ってね」
そして苦笑した。
「そもそも私達ダークエルフは、ギルバルドに何かされたことなんてないわよ」
カイルは固まる。
「え……ですが……」
システィーヌが、息子にも分かるように説明を足した。
「カイル。お義父様は……エルフとは過去に戦争をしていたけれど、ここにいるダークエルフの皆様とは争ったことはないの」
フェリルも笑う。
「そうですね。私達はそもそも帝国とは争っていません。どちらかというと……王国ですね」
システィーヌは少し気まずそうに目を逸らした。
「そ、そう……ダークエルフの皆様と過去に何かがあるとするなら……それは私の方です……」
フェリルは穏やかに頷く。
「そうですね。ダークエルフは魔族側として王国と長らく戦ってきました。でも、それはお互い様ですから」
カイルはますます混乱した顔になる。
「母上、まったくわからないです!」
システィーヌは苦笑して、地面に指で簡単な地図を描き始めた。
「じゃあ、わかりやすく言うわね。帝国はここにあるの。そしてエルフ達は、もともとここにあった世界樹に住んでいた。帝国とエルフはそこで争っていたのよ」
指をずらす。
「そして王国はここ。そしてこの世界樹は、カイルが生まれる前には存在すらしていなかった」
さらに別の場所を指す。
「ここが魔族側の領土。つまり、魔族と王国が争っていたの」
カイルは目を丸くする。
「そ……それなら、どうしてそれが……無くなったのですか!! それに、この世界樹はあまりにも大きいです。たった数年でこんなに育つものなのですか?」
フェリルがくすくす笑う。
「王国と私達ダークエルフが争うのを止めたのが、レイズ様なのよ」
カイルはさらに驚いた。
「師匠が……ですか?」
フェリルは首を傾げる。
「師匠……?」
システィーヌが苦笑する。
「この子が勝手に呼んでるだけです……」
そして続けた。
「帝国とエルフの戦いを止めたのは……レイズ様と、貴方のお父さん、ルイス様が頑張ったから。でも、エルフが住んでいた世界樹は枯れてしまったわ。そして、そこからエルフを連れてきたのがガイル様」
カイルは息を呑んだ。
「ルイス……父様と……魔王、ガイル様ですか!?」
フェリルは懐かしそうに目を細める。
「魔王って……また懐かしい響きね。ガイルはガイルで優しい人よ」
システィーヌはすぐに言い返す。
「ガイルは……恐ろしかったですけどね…」
カイルは目をぱちぱちさせている。
「ガイル様に、父様に、それに師匠は……どうしてそんなことが……」
フェリルは空を見上げるようにして言った。
「不思議よね。本来なら交わることのない敵同士の中心にいた者達が、誰よりも早く距離を縮めて、そして仲間になった」
カイルは思わず聞き返す。
「そんなこと、可能なんですか……!?」
フェリルは小さく笑う。
「不可能よ。でも、それを可能にしたからこそ、いまこの場所があるの」
カイルはそれでも納得しきれない顔で尋ねた。
「それなら……おじいさまはどうしてここに……」
フェリルの表情が少しだけ静かになる。
「それが、ギルバルドにとっての……償いの結果、としか言えないわね」
システィーヌはぽつりとこぼした。
「償いというなら……戦ってきた王国だって……全部全部、お互い様なんだけどね」
「その通りです」
フェリルは即答した。
「そもそも、償う意味がありません」
カイルは目を見開いた。
「ど、どうしてですか……?」
フェリルはゆっくりと言葉を選ぶ。
「それらの犠牲すべてが、無駄じゃないからこそ今があるんですよ」
カイルは首を傾げる。
「無駄じゃない……?」
「ええ」
フェリルは頷く。
「それほどまでに歪み、争いを止めなかったのは、すべての者の選択です。そして、それらの選択があったからこそ、みんなが誤りに気付けた。だから誰か一人がすべてを背負い込むなんて……そんなの無駄なんです」
カイルは唇を噛んだ。
「なら……おじいさまは……」
「だからこそ、王なんでしょうね」
フェリルは静かに言う。
「王だからこそ、すべてを背負わないといけない。その結果が、いまのギルバルド」
そして、少し寂しそうに笑った。
「王としての過去があるから、ギルバルドだけは、それを今も背負い続けてる」
短く付け加える。
「もう王様でも何でもないのにね…」
その言葉の重みを、システィーヌも感じ取っていた。
そして、気になっていたことを口にする。
「フェリル様にお伺いします。お義父様は……世界樹に記憶を変えられたとのことですが……そんなこと、本当に可能なのですか?」
フェリルは少し驚いたように瞬きをする。
「世界樹様が……誰かの記憶を変える、ですか……?」
そして、首を横に振った。
「そんなことは……ないはずですよ?」
システィーヌは困惑する。
「でも……お義父様は……ルイスを……それにピスティアお義姉様も……」
「ああ」
フェリルはすぐに理解した。
「そういう意味ですか。そういうことなら……それは本人の問題ですね」
カイルはおずおずと母を見上げる。
「えっと、母上……その……おじいさまは……」
フェリルが先に言った。
「カイル。ギルバルドの想いを受けたのですね?」
システィーヌは息子へ視線を向ける。
「なんのこと……? カイル。お義父様と何を話したの……?」
カイルは少しだけ俯き、それから小さく、けれどはっきりと言った。
「おじいさまは……記憶を無くしてなんていません……」
システィーヌは目を見開く。
「ど……どういうことよ……。私もギルバルドお義父様に会うのは初めてだけど……聞いていた人とあまりにも別人だったわ……」
フェリルは静かに答えた。
「明らかな別人になるまで、自分を否定しすぎた。そして、変わりすぎた王」
そのままカイルを見つめる。
「それが、いまのギルバルドという男です」




