償いの狂気。
ラエルは一仕事を終えると、静かに歩き出した。
向かう先は一つ。
真面目に働き続ける男のもとだった。
庭の奥で、ギルバルドは黙々と手を動かしている。木材を運び、布を整え、寝床を作る。帝国の皇帝として世界を震わせた男とは思えないほど、静かな仕事だった。
ラエルはしばらくその姿を眺めてから声をかけた。
「……本当に、あれで良いのか?」
ギルバルドは手を止めないまま答える。
「えぇ。それでいいのです」
ラエルはため息をついた。
「息子や娘が迎えに来ているのだ」
少し間を置いて言う。
「王としてではない。親として受け入れる。それは誰もが当たり前にすることだと思うがな?」
ギルバルドは、ゆっくりと首を振った。
「私は親としても、王としても失格です」
そして、震える声で呟く。
「……どんな顔を、しろと……」
ラエルは少し考え、肩をすくめた。
「失格か」
小さく笑う。
「それなら私も王としては失格だ」
そして続ける。
「だが……親としては間違えたくはない」
ギルバルドは静かに言った。
「私は……娘も息子も、戦争の道具として扱っていました」
声は低く、乾いている。
「子など、またいくらでも生ませればいい」
「そんな考えで……彼らを……」
言葉が詰まる。
「愛情など……注いだこともない」
ラエルは静かに頷いた。
「そうかもしれないな」
だがすぐに続ける。
「だが、それでもだ」
「彼らはギルと家族の時間を取り戻すためにここへ来た」
「違うか?」
ギルバルドは首を振る。
「取り戻せなどしない」
そして、絞り出すように言った。
「私は……すでに息子を一人、自分の命令で殺している」
空気が止まる。
「間違いに気付いた」
「そして、それを教えるために命を懸けた息子を……」
ギルバルドは目を閉じた。
「そんな私に……資格などあるはずがない」
「取り戻す?」
乾いた笑いが漏れる。
「死んだ息子はもう取り戻せない」
「許されていいはずがない」
「暖かい家族の時間……?」
首を振る。
「そんなもの、認められるはずがない」
「家族を手にかけ……」
「ラエル、貴方の同胞も……」
「帝国の兵士も……」
「民も……」
声が震える。
「あまりにも多くを失わせた」
「こうして生きていることすら……罪なのだ」
ラエルは静かに空を見上げた。
「ここに来て……何年になる?」
ギルバルドは答える。
「数えてすらいません」
そして言う。
「この身が朽ちるまで、一生をかけて尽くします」
「私が奪ったもの、失わせたもの」
「すべてを償うには……私の寿命は、あまりにも短い」
ラエルは頷いた。
「だからこそだ」
「生きているうちにしか出来ない」
そして少し笑う。
「なあ、ギルよ」
「私にも娘がいる」
ギルバルドは小さく頷く。
「ルル……ですね」
「帰ってきておられました」
ラエルは苦笑した。
「ああ。ひどく落ち込んでいる」
「見ればすぐ分かる」
「だから私は、娘にしてやれることはただ一つだと思っている」
「ゆっくり考えさせることだ」
そして軽口を叩く。
「もっとも娘と言っても、お前の倍は生きているがな」
ギルバルドは苦笑する。
「さすがは長命種……」
ラエルは首を振った。
「何歳になってもだ」
「娘は娘だ」
そして言う。
「私は親として、娘の幸せを願う」
ラエルはギルを見つめた。
「聞かせてくれ」
「お前は息子や娘に何を思う?」
ギルバルドは静かに答えた。
「私のようにはならないことを祈るばかりです」
ラエルは笑う。
「それはそうだろう」
そして続ける。
「お前がここに来て六年近くになる」
「私からすればあっという間だ」
「だが人にとって六年は決して短くない」
ギルは言う。
「ここまで来れば……人でもあっという間です」
ラエルは頷く。
「だからこそだ」
声を強める。
「ギル……いや、ギルバルド」
「お前の寿命は、もうそう長くない」
ギルは静かに頷いた。
「そうですね」
ラエルは言う。
「ならばだ」
「我らに償う時間など割いている場合ではない」
そして続ける。
「お前の孫……カイルといったな」
ギルは小さく呟く。
「カイル……」
ラエルは笑った。
「あの子は、お前を立派だと言っていたぞ」
ギルバルドは苦笑する。
「立派……」
「最もかけ離れた言葉です」
ラエルは真剣な声で言った。
「王として長く生きた私には分かる」
「王だったお前が使用人として生きる」
「それがどれほど自分を否定することか」
「よく分かる」
そして続ける。
「王が使用人になる」
「それは容易ではない」
「だが、お前は変わった」
「受け入れた」
「ならもういいではないか」
ギルは首を振る。
「過去は戻らない」
ラエルは言う。
「戻らないなら進め」
そして強く言う。
「残りの時間で何をすべきか」
「私でも分かる」
短く告げる。
「ギル」
「親になれ」
「親の使命を果たせ」
「それこそがお前に求められる償いだ」
ギルバルドは首を振る。
「私は……償えるわけがない」
「対象が多すぎる」
「家族よりもやるべきことが多すぎる」
震える声で続ける。
「分かっている」
「迎えに来たあの子たちの想いも」
「暖かい家族を望む気持ちも」
「だがそれはあってはならない」
「帝国の王族だけが報われる」
「そんなことは……あってはならない」
ラエルは静かに言った。
「なら私だけは許す」
「だからお前はエルフのために何もしなくていい」
そして続ける。
「私はお前を一番近くで見てきた」
「反省も償いも……決して短くはない」
「だが」
「お前は変わった」
「変わりすぎた」
「記憶を失ったと偽り続け」
「王としての自分を否定し続け」
「ここまで来た」
ラエルは言う。
「ならもういいだろう」
「家族の元へ戻れ」
「帝国へ戻れ」
「お前が償うべきは帝国だ」
「そして家族だ」
「我らエルフは、もうお前に求めることなどない」
そして最後に言う。
「彼らを……心から愛してやれ」
「お前なら出来る」
ギルバルドは震える声で言った。
「変われた……?」
「違う」
「何も変わっていない」
その瞬間。
ラエルは怒鳴った。
「ギル!!」
「お前はもう何も出来ない!!」
「寿命も短い!!」
「なら今出来ることをやれ!!」
「息子を!」
「娘を!」
「孫を!」
「笑顔にしろ!!」
「それが今一番すべきことだ!!」
「間違えたまま終わるな!!」
静かに続ける。
「最後には正しい場所へ戻れ」
「そのための時間だったはずだ」
「もう終わったのだ」
そして叫ぶ。
「帰れ、ギル!!」
だがギルバルドは首を振る。
「それだけは……出来ない」
「死んだ者は……許してくれない」
ラエルは静かに言った。
「人もエルフも、いずれ死ぬ」
「死は別れだ」
「それ以上でもそれ以下でもない」
そして続ける。
「無念を晴らす」
「無念を償う」
「それこそが戦いの始まりだ」
「それが最大の過ちだ」
「お前も知っているはずだ」
ギルバルドは震える腕で、仕事を続けようとした。
ラエルはその手を掴む。
「やめろ!!ギルバルド!!」
ギルバルドは震えていた。
何かをしていないと。
何かを償わないと。
魂が体が、本能がすべてそう叫んでいた。
ラエルは静かに言った。
「時間をやる」
「だから考えろ」
そう言い残し、ラエルはその場を去った。
残されたギルバルドは、再び仕事を始める。
それはもはや――
償いの狂気だった。
罪を背負いすぎた王。
だからこそ。
それを止めることも、否定することも、ギルバルドには出来ないのだった。
ギルバルドは黙々と仕事をこなしながら考えていた。
木材を運び、布を整え、寝床を作る。
ただそれだけの作業。
だが、その単純な動作の裏で、思考は止まることなく巡り続けていた。
償う――違う。 それは違う。
与えられたのだ。
ほんの一瞬の、幸せを。
カイルが。
孫が、自分のもとへ来てくれた。
記憶を失ったふりをしたまま、見て見ぬふりをすることも出来た。
そうすればよかった。
それが正しかった。
だが――
どうしても我慢が出来なかった。
孫に触れたい。
家族に触れたい。
その衝動を、どうしても抑えることが出来なかった。
カイルに呼ばれた。
「おじいちゃん」と。
あの一瞬。
あの一言。
あの言葉がどれほどの意味を持つのか。
カイルには分からないだろう。
だが、ギルバルドにとっては違う。
あの言葉は。
あの一瞬は。
自分の人生において、最大の幸せだった。
満たされてしまった。
満たされる資格など、どこにもないというのに。
許されない。
許してはいけない。
絶対に、行ってはいけない場所だ。
償う者に、幸せの瞬間などあってはならない。
取り返しのつかない罪を犯した者に、
取り返す機会など与えられてはいけない。
それが罪だ。
それが罰だ。
そして――
あの暖かさ。
あの一瞬の幸せ。
それは雨のようなものだ。
誘惑だ。
そして逃げだ。
楽を選ぶな。
選ぶなら、過酷を選べ。
過酷を選び、過酷を選び続ける。
ラエル以外のエルフにどれほど嫌われようと。
どれほど軽蔑されようと。
ここで償う。
無様な王の姿を見せ続ける。
それで彼らの怒りが。
鬱憤が。
復讐が。
悔恨が。
少しでも満たされるのならば。
ギルバルドが世界樹に残ると決めた理由。
それは、ここが最も過酷な場所だと理解したからだ。
自分は許されなくていい。
無様でいい。
どれほど惨めでもいい。
受け入れられなくてもいい。
ただ真面目に。
出来ることを。
やれることを。
見せ続ければいい。
それで少しでも、誰かの心が軽くなるのなら。
それで少しでも、罪が薄まるのなら。
なんだってやる。
……もう十分だ。
私にとっての救いは。
あの子達だけでいい。
息子も。
娘も。
そして孫も。
あの一瞬だけでいい。
それだけで、もう十分だ。
だから――
どうか。
どうかこのまま。
償わせてくれ。
それが、ギルバルドの願いだった。




