世界樹では
その頃、世界樹ではルイス達が思いもよらぬ問題に直面していた。
長い旅路の末、ルイスはようやく父――ギルバルドとの再会を果たした。
だが。
その目に映ったのは、かつて帝国皇帝として世界に名を轟かせた男の姿ではなかった。
そこにいたのは、威厳も威光も、すべてが抜け落ちたかのような初老の男だった。
その男は、静かな庭の中でエルフの国王ラエルと、盤面ゲームのようなものを前にして座っている。二人はまるで古い友人同士のように、穏やかに駒を動かしていた。
その光景に、ピスティアが声を震わせる。
「お……お父様……!?」
その声に、ギルバルドは一瞬だけ顔を上げた。
ちらりとピスティアとルイスを見る。
だが、すぐに視線を盤面へと戻した。
ラエルが、ゆっくりとギルバルドを見る。
「ギル……あれは貴方の娘……それに息子ではないのか?」
ギルバルドは駒をつまみながら、少しだけ首を傾げた。
「……わたしの子ですか?」
そしてもう一度、ピスティアとルイスを見る。
しかし。
その目には、何も浮かばない。
ゆっくりと首を振る。
「わかりません…」
短く言う。
「私の子は……いない。私には子はいないですから…」
その言葉に、空気が凍りつく。
ラエルは小さくため息をついた。
「やれやれ……」
そして立ち上がり、ルイス達の方へ歩いてくる。
「あなた方は……帝国のルイス陛下……そして貴女は……?」
ピスティアは慌てて姿勢を正す。
「エ、エルフの国王……ラエル様ですね。初めてお目にかかります」
声が震える。
「私は……父ギルバルドの娘、ピスティアです」
その間も、ルイスは父を見つめていた。
そして。
理解してしまう。
――あの男は、もう記憶がない。
ルイスは静かに言った。
「そう……なのか」
そして振り返る。
「カイル。挨拶を」
カイルは戸惑いながら、ぺこりと頭を下げた。
その横で、システィーヌが小さく言う。
「ルイス……あなたのお父様は……」
ルイスは目を伏せる。
「ああ……」
静かに答える。
「わからなくなっているんだろう」
ラエルが深く息を吐いた。
「ここに来てすぐのことだ」
そして、真剣な目でルイスを見る。
「あなた方は、エルフと帝国の関係で何が起きたか……知っているか?」
ルイスは頷く。
「はい……知っています」
声が低くなる。
「エルフの国を……私たち帝国が……」
ラエルはゆっくり頷いた。
「そうだ…」
そして続ける。
「それを知っているからこそ。ギルは望んだ」
ルイスは問いかける。
「父は……何を望んだのですか?」
ラエルは静かに答える。
「自分の記憶を……」
そして言う。
「自分の過ちを、すべて消したいと」
ピスティアが驚く。
「な……な……それで記憶を無くしたのですか?」
ラエルは首を振る。
「記憶を無くすことに意味などない…」
「過去の過ちを忘れることは赦されることではないからな…」
そして静かに続ける。
「だが彼は……ここで暮らすことを望んだ」
「世界樹様に身も心も捧げ、新しい心を作り直してしまった。」
ピスティアは震える。
「な……何を言っているんですか……」
ラエルは苦い顔をする。
「誤解はしないでくれ。我々エルフも、そんなことは望んでいない」
「だが、帝国とエルフの悔恨はそう簡単に消えるものではない」
「平和になったから水に流す……そんな単純な話ではない」
ラエルはルイスを見る。
「彼がここで暮らすと言ったとき、当然摩擦は生まれる」
「私も反対だった…」
ルイスが問いかける。
「なら……なぜ父上はここに……?」
ラエルは答える。
「ギルが言ったのだ」
静かに。
「すべてを償いたい」
「帝国にいる……君たち息子や娘達の汚点となる過去として、もう在りたくないと…」
ピスティアが泣きそうな顔をする。
ラエルは続ける。
「死ぬことも構わないと言った。」
「だが、死ぬことは償いではないと私は言った。」
そして。
「だからこそ。ここで、すべてを捧げることを選んだ。」
「許さなくていい」
「だからここにいさせてくれ、と」
ピスティアが叫ぶ。
「お父様!? そんなこと勝手に決めて!!」
「私たちは……!」
涙がこぼれる。
「お父様だけじゃない!」
「私だって……お兄様だって……ルイス以外……みんな間違えてたじゃないですか!!」
その時だった。
ギルバルドが立ち上がる。
不思議そうな顔でルイス達を見る。
「遠くからお越しくださったのでしょう…」
穏やかに言う。
「どうぞ、ごゆっくりお過ごしください」
そして微笑む。
「ここはとても良い場所ですよ…」
その言葉に。
ピスティアは崩れるように泣き出した。
傲慢で。
誰よりも帝国皇帝として君臨していた男。
その父の姿は。
もう、どこにもなかった。
ラエルは言う。
「つまり……君たちは噂話程度には聞いていたはずだ。」
「私とギルがどのような関係になったか」
「だがその話の背景は、まるで違う。」
「平和になったから…帝国とエルフが仲直りした……そんな単純な話ではない」
そして静かに言う。
「ギルバルドはエルフに仕える」
「それはつまり世界樹に仕えることを意味する」
「そして今はただの使用人だ」
「だが我々エルフは、ギルの記憶がなくなっても彼を許さない」
「だからこそ他のエルフは使用人として使うこともしない」
「関わることもしない」
「ゆえに」
ラエルは言う。
「私だけが彼を…管理している」
「それが今のギルバルドだ」
ルイスは静かに言った。
「おかしいと思っていました。」
「父上が……ラエル様と遊戯を楽しんでいると聞いたとき」
「あの父上が……?と」
そして。
「ですが、全て理解しました。」
冷たい声だった。
「父上は逃げたのですね?」
ピスティアが叫ぶ。
「ルイス!!」
「お父様は逃げたんじゃ……!」
「償うために……!」
ルイスは首を振る。
「記憶をなくす…」
「自身の過ちを忘れる…」
「それは償いとは…呼ばない」
ピスティアは涙を流す。
「そんな……ルイス……」
ルイスは静かに言った。
「カイル」
カイルを見る。
「おじいちゃんは少し記憶がなくなってしまったみたいだ」
「でも、カイルと会うのはどのみち初めてだ」
「さっきの人が、……私の父だ」
そして優しく言う。
「だからカイル」
「少し父上と話をしてきてくれるかい?」
カイルは動揺する。
「そ、そんな……初対面ですよ!?父上」
「初対面だからこそだ」
ルイスは言う。
「そしてカイル」
「おじいさまと呼んであげてほしい」
カイルは戸惑いながら頷いた。
「……はい」
システィーヌが言う。
「カイル一人に行かせるの?」
ルイスは答える。
「カイルは祖父を知らない」
「なら、これから知ればいい」
そして小さく言う。
「それが祖父なのだと」
システィーヌは問いかける。
「ねえルイス……あなたはそれで本当にいいの?」
ルイスは答える。
「父上が選んだ道です」
ピスティアが縋る。
「ルイス……!」
「お父様は帝国に……連れて帰りますよね?」
ルイスは静かに言う。
「それは父上の選んだ道を妨げる」
「これは父上なりの償い方だ」
そして。
「父上は償い方を間違えた」
「だから……連れてはいけない」
ピスティアは泣き崩れる。
「それでも……お父様よ……!」
「みんなで……ハルバルドお兄様だって……」
「家族で……食事を……」
ルイスは優しく言った。
「姉上」
「いいのです」
「父上はここに置いていきます」
「残りの兄弟で食事を」
「血の繋がりを示せれば、それで十分です」
ピスティアは声を上げて泣いた。
そして、その場に崩れ落ちるのだった。
カイルは一人、静かにギルバルドの後を追っていた。
庭の奥へ進んだ先で、ギルバルドはせっせと手を動かしている。木材を運び、布を整え、簡素ではあるが寝床を作っていた。
それは自分のためではない。
客人のための寝床だった。
ルイス。
ピスティア。
そしてシスティーヌ。
帝国から訪れた者たちが休むための場所を、ギルバルドは黙々と整えていた。
かつて帝国の頂点に立った男とは、とても思えない姿だった。
カイルはしばらくその背中を見つめていたが、声をかけようとしても、どうしても言葉が出てこない。
すると。
ギルバルドの方から声がかかった。
「名前は……なんですか?」
振り返らずに、静かに尋ねる。
カイルは慌てて姿勢を正した。
「えっ……えっと……カイルです!」
少し緊張して言葉が詰まる。
「お母様はシスティーヌといいます! お父様は――」
そこまで言ったときだった。
ギルバルドが続けた。
「ルイスですね」
カイルは驚く。
「き、聞いていたのですか?」
ギルバルドは作業を続けながら言う。
「聞かなくてもわかります」
そして静かに付け加える。
「本当に立派になりました」
カイルは戸惑う。
「え……え……?」
「わからないんじゃ……」
そのとき。
ギルバルドは作業の手を止めた。
そしてゆっくり振り返る。
人差し指を一本立てた。
「そしてカイル……」
少しだけ笑う。
「私の孫ですね」
うんうん、と頷く。
「立派だ」
カイルは混乱する。
「ど、どういうこと!? なんでですか!?」
ギルバルドは小さく息を吐いた。
「二人には……内緒にしてください」
そして静かに言う。
「私は、記憶など無くしていないです」
カイルは目を見開いた。
「え……?」
ギルバルドは穏やかな声で続ける。
「私は、彼らの父であることを」
「皇帝の父であることを」
少し目を伏せる。
「名乗る資格などないんです」
カイルはすぐに首を振った。
「そんなことないです!!」
思わず声が大きくなる。
「僕は……知らない!」
「何があったかなんて知らない!」
そして必死に言う。
「でも……貴方は!!」
ギルバルドはその言葉を聞いて、ふっと微笑んだ。
「本当に賢い子ですね」
そして優しく言う。
「このことは、くれぐれも隠してください」
「私は、いまやるべきことをやっているのです」
カイルは戸惑う。
「や……やるべきこと……?」
ギルバルドはゆっくりと言葉を続ける。
「私はエルフに、あまりにも許されないことをした」
「そしてルイスにもです」
少し遠くを見る。
「そんな簡単に許されてはいけない」
そして静かに言う。
「ここで、こうして誰かに仕えながら生きていること」
「それが、私の望んだ償いです」
カイルは黙って聞いていた。
ギルバルドは続ける。
「ルイスも……」
「それにピスティアも」
「私を連れ帰ろうとしているのでしょう」
そして首を振る。
「ですが、それはできません」
「娘や息子の優しさを受ける資格など、私にはないのです」
カイルは必死に言う。
「なら……!」
「父上の願いを!!」
「ピスティアさんの願いを聞いてあげてください!」
声が震える。
「望みを叶えてください!」
そして小さく言う。
「お父様も……僕も……」
「おじいちゃんに会えるのが楽しみだったんです……」
その言葉に。
ギルバルドは、少しだけ目を細めた。
「おじいちゃん……」
その響きを、ゆっくり噛みしめる。
そして、ぽつりと呟く。
「本当に……優しい子に育った」
小さく笑う。
「ルイスによく似ている」
そしてカイルの頭に手を置いた。
「ありがとう」
それだけ言うと。
ギルバルドは背を向けて、その場を離れていった。
カイルはその背中を見送る。
幼いながらも、頭の中で思考を巡らせていた。
父に伝えるべきか。
それとも、約束を守るべきなのか。
どちらが正しいのか。
まだ答えは出ない。
だが一つだけ、確かなことがあった。
カイルは理解していた。
自分の祖父が。
血の繋がりが。
確かにここにあるということを。




