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【悪役転生 レイズの過去を知る 】―俺だけが知る結末を、今度こそ覆す―  作者: くりょ
新たな始まり

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救ったことがすべて嘘になる

ニトは、集まった面々をゆっくりと見渡した。


 その視線が、一人ひとりの顔をなぞっていく。


 懐かしい顔。

 そして、初めて見る顔。


 そのすべてを確かめるように、ニトはほんのわずかに目を細めた。


 それから、いつもの軽い調子の声で言う。


「その前に、まず最初に言うね?」


 誰も言葉を挟まない。

 ただ、その場にいる全員が、ニトの次の言葉を待っていた。


 ニトは小さく笑った。


「ジェーン、それにクルシア。ただいま。そして、アリスは――初めましてだね」


 その一言を聞いた瞬間だった。


 ジェーンの表情が、ぐしゃりと崩れる。


「……ニト」


 小さく呟いたかと思えば、次の瞬間には声を張り上げていた。


「ニト!! あなた!! ニト!! 会いたかった!! どこに行ってたのよ!!」


 怒っているようでいて、その実、泣きそうな声だった。

 その口調はまるで、長い間帰ってこなかった子どもを叱る母親そのものだ。


 ニトは苦笑して頭を掻く。


「いやぁ……ちょっと死んでただけだよ?」


 ジェーンの拳が震える。


「ちょっとじゃないでしょ!!」


 そう怒鳴る声には、確かな怒りもある。

 けれどその奥には、それ以上に、戻ってきたことへの安堵が滲んでいた。


 クルシアは一歩前へ進み出ると、深く頭を下げた。


「ニト様……お目にかかり光栄でございます。必ずや、私どものもとへ戻ってくださることを信じておりました」


 それは、ほとんど信仰だった。

 神を迎える巫女のような声音と姿勢。


 一方で、アリスはただただニトを見つめていた。

 じっと、信じられないものを見るように。


「……え?」


 思わず声が漏れる。


「あなたが……ニト様なの!? わたしと変わらないくらいなのに!!」


 目の前の少年は、どう見ても自分とそう変わらない年齢にしか見えない。

 なのに、その存在は聖国でも法国でも神とまで崇められている。


 初めての対面に、アリスは子どもらしく率直な反応を返してしまう。


 クルシアが慌てて声を荒げた。


「アリス!! あなた!! ニト様に向かってその口の利き方は――」


 だが、ニトは笑って手をひらひら振った。


「まぁまぁ。僕はその方が嬉しいよ?」


 クルシアは一瞬、完全に固まる。


「……!」


 そして、ぴしっと姿勢を正した。


「ハッ!! その通りでございます!!」


 見事すぎる手のひら返しに、ガイルが呆れたような顔をした。


「おい。それで話ってなんだよ」


 ニトは軽く頷く。


「うん。君たちの話も、何が起きたのかも、全部知ってる。その上で話をさせてもらうね?」


 レイズが口を開く。


「ぁあ。だが俺も聞きたい。ニト、こうして復活できたなら……なんで今頃なんだ?」


 ニトは困ったように肩をすくめた。


「もう。話がそれちゃうなぁ。そんなにそれ大事?」


 ジェーンが即答する。


「大事よ!! 何よりも大事だよ!!」


 ニトは深々とため息をついた。


「はぁ……そうだね」


 それからレイズを見る。


「原因は君にあるよ」


 レイズの眉がぴくりと動く。


「は……? 俺?」


 ニトは頷いた。


「そう。君が僕の魂に攻撃したとき、削いだでしょ? それで僕は魔力の肉体が保てなくなった。だから僕自身も、そのときはもう元に戻れないって思ったさ」


 レイズはすぐに食い下がる。


「だけど!! お前はいたんだろ!? なら、レアリスの用意したあの白い生き物に入り込むことだって――」


 ニトは苦笑した。


「君ならわかってると思ったんだけどなぁ。魂が欠けた状態でレアリスの肉体に宿るとね、在ることはできても、自分の意思を表に出すことはできないんだ」


 レイズはそこで一瞬、言葉を失う。


「……それで……」


 けれど納得しきれない顔のまま、続けた。


「でも、レイズは魂が完全じゃなくてもレアの姿で会話してたぞ?」


 ニトはそこで少しだけ真面目な顔になる。


「そこがまた違うんだ」


 そして、ゆっくり説明する。


「レイズの魂は、体になる部分がここには残っていなかった。頭の部分だけがここに残っていたんだ」


 レイズが首をひそめる。


「頭……?」


「魂の根っこ、とでも言えばいいかな」


 レイズはなおも食い下がる。


「それならニトだって会話していたじゃないか。削れた部分だけって……」


 ニトは肩をすくめ、軽く笑った。


「僕の魂は全部が根っこなんだよ。君たちと違って、全部さ。僕には“根っこだけ”っていう区別がない。全身が口であり、意思であり、体でもある」


 そして少し誇らしげに言う。


「だからこそ、僕の魂は君たちと違って、とってもデリケートなんだ」


 レイズは黙り込んだ。


 ニトはさらに続ける。


「つまり今の僕の魂は完全体なんだ。全部取り戻してきた」


 レイズは息を呑む。


「どこで……まさか……無の世界ってやつか?」


 ニトは満足そうに頷いた。


「そうそう。無の世界。ほんとに何もなかったよ? ここに戻る方法もなかった」


 そう言ってから、にやりと笑う。


「でも、それができたのはなぜかわかるよね?」


 レイズは考え、やがてぽつりと呟く。


「……レイズが……あのレイズが来たからか……?」


 ニトは拍手した。


「正解。君があのレイズを無の世界に送ったことで、僕は自由にあっちとこっちを行き来できるようになった。だから君のおかげで僕は消えたし、君のおかげで僕は帰ってこれた」


 レイズは苦い顔をする。


「複雑だな……でも、無の世界にレイズはちゃんといるんだな……」


 ニトは、何でもないことのように言った。


「ああ。言うの遅くなったけど、ウルティアもディアブロもいたよ?」


 その名に、エルディナが反応する。


「ウルティア!? ウルティアは……元気なの!?」


 ニトは肩をすくめた。


「元気って変な聞き方だね。でもそうだよ。彼女の魂はいたって元気だ。それに独りじゃない。ある意味、こっちより幸せかもしれない」


 エルディナは首を振る。


「そ、そんなわけないでしょ!! ウルティアは……ウルティアは!!」


 ニトは静かに言う。


「だって、ウルティアが選んだんだよ。こっちには戻らないことを」


 空気が止まる。


 エルディナの目が揺れた。


「……嘘よ」


 ニトは軽く続ける。


「なら会ってきたら? リリィに送ってもらえばいいよ。あ、でも、君の権能だけは邪魔になるから削らせてもらうけどね?」


 エルディナが怒鳴る。


「権能を削る!? そんなことができるわけ!!」


 ニトはあっさり答える。


「できるよ? アビスホールならさ。もしくは……レアリス、いやディアなら、それもできるかもね」


 レイズが口を挟む。


「アビスホールってどんなとこなんだ……?」


 ニトは、わざと恐ろしい顔を作ってみせた。


「んー……とんでもなく怖くてヤバい魂たちがうようよしてるところだよ」


 エルディナが青ざめる。


「そ、そんなとこにウルティアを送ったの!? あなたたち!?」


 ニトはあっさり言う。


「ディアブロが助けてくれたよ。優しいよね、彼も」


 そう言って、ちらりとガイルを見る。


 ガイルは眉をひそめる。


「な、なんだよ! いきなり!」


 ニトはニコニコしている。


「うんうん。ガイルにそっくりだよ。やっぱり彼も」


 ガイルは困惑する。


「ディアブロが俺に似てる……?」


 ニトは頷く。


「そう。すっごく似てる」


 そして真面目な口調で続ける。


「だから話しておく。ガイル、君はディアブロと魂が綺麗に混ざってる。ディアブロにはガイルの魂がちょこっと。ガイルにはディアブロの魂がちょこっと、さ」


 ガイルは、そこでようやく何かに思い当たる。


「……吸魔」


 かつてディアブロだけの技だったもの。

 それを自分が使えたこと。

 その違和感が、今ようやくつながる。


「つまり……俺のこの力は、ディアブロのおかげって言いてぇのか……?」


 ニトは嬉しそうに頷いた。


「その通り。そしてディアブロはディアブロで、アビスホールで今も戦いを楽しんでる。すごいよね。あんな混沌なところで楽しんでるってさ」


 ガイルは豪快に笑った。


「クハハ!! ディアブロらしい!!」


 ニトはそこで、空気を切り替えるように真顔になった。


「それで、本題だよ」


 周囲の空気が変わる。


「君たちがいまからしないといけないことについて、僕がわかる限りで教える」


 そして短く告げる。


「レアリスと戦ってる場合じゃない。魔女たちは全員、良し悪しもなく、権能をすべて根元に返すことさ」


 レイズが眉を寄せる。


「おい……根元ってのはヤバいんじゃないのか? レアリスだって困るって言ってたぞ……」


 ニトはあっさり答える。


「ぁあ、ものすっごくヤバいよ?」


 そして、さらっと続ける。


「たぶん世界がいろんな意味で滅びるよ」


 その場がどよめいた。


 クリスも、ジェーンも、クルシアも、アリスも、誰もが息を呑む。


 レイズは思わず声を荒げた。


「は!? そんなの絶対ダメだろ!!!」


 ニトは短く言った。


「でも心配はない」


 皆が息を止める。


 ニトはレイズを見た。


「君がいるからね」


 それから、少しだけ優しく微笑んで言う。


「零くんって呼べばいいかい?」


 レイズは動揺を隠せない。


「は……は……そんな……力……俺には……ないだろ……」


 ニトは静かに見つめ返した。


「気づいてないの?」


 声が少し低くなる。


「魔法も魔力も、概念すら、君は壊しているというのに」


 レイズは目を見開く。


「俺が……壊してる……?」


 ニトは頷いた。


「うんうん。君の力は死属性なんて比較にならないくらい絶対的で、しかも、なにもない。でも、なにもないからこそ、本当の無が生まれる」


 そして、まっすぐ告げる。


「君がいまなすべきことは、すべての魔女の権能をアビスホールに還し、根元を復活させることだ」


 レイズは青ざめる。


「簡単に言うなよ……俺にそんな力があるわけないだろ……?」


 ニトは首を傾げる。


「ディアブロをあんなに簡単に倒したのに?」


 レイズはすぐに首を振る。


「それはディアブロとの相性が最悪だっただけだろ……」


 ニトは呆れたように息を吐く。


「ディアブロを死属性なしで倒せることが、そもそもおかしいんだって、自分で気づかないのかい?」


 レイズは言葉を詰まらせる。


「それは……見えなかったから……」


 ニトは首を振った。


「見えないんじゃない。概念がないんだ」


 その言葉に、場の全員が沈黙する。


「魔法も魔力も、一度でも見ているのに、君の中にはない。それってつまり、完全に無かったことにしているってことだ。普通なら、一度でも現象を目の当たりにすれば、君の脳は本来“無いもの”を“有るもの”として認識する。でも、それが起きない」


 そして、一歩踏み込むように言う。


「つまりだよ? 君は魔力があることを信じてる。魔法があることを知ってる。なのに、その信じてるものすら否定できるんだ。その力がどれだけ可能性に満ちてるか、君にはわかるはずだよ?」


 レイズは答えられない。


 ニトはそこでさらに続ける。


「それにね。それだけじゃない。君はレイズを救ったと思っている。でもレイズはもう一人いるんだ。もう一人の、この世界の、この歴史に生きる、まだ眠っている本当のレイズを呼び起こさなくちゃね?」


 レイズは顔をしかめる。


「は……? もう一人? なんだよそれ……」


 ニトは指を立てた。


「君は勘違いをしている。君はあのレイズを無の世界に還した。そして魂をすべて還した、そう思っているよね? だから自分はもうレイズでは完全になくなった。残念だけど、それも違う」


 レイズの呼吸が乱れる。


「君は、この世界の本当のレイズもまた無に還した。あの絵にいたのが本物で、そしてそれが君の最後の繋がりであり、自我だった。絵も、未来のレイズも、すべて今この場所にはない」


 その言葉の重さに、レイズは何も返せない。


 ニトはなおも続ける。


「なら、君がすべきことは、あの絵の時を動かすこと。そして、あの絵の時が動いたとき、この世界の本来の形が戻る」


 そしてにこりと笑う。


「だから、探しに行こう。リリアナを」


 レイズが唖然とする。


 ニトは構わず話を進める。


「そして探すために根元を目覚めさせよう。そしてすべての魂が根元によってこの世界に現れたら、リリィに無の世界へ送ってもらおう。そしたら、僕たちは根元と戦う。レアリスも僕も、それにここにいるみんなで、だ」


 その口調は、まるで遠足の予定を話しているかのように軽かった。


「どうだい? 楽しみだろう?」


 レイズは思わず声を荒げた。


「そんな、つらつら語るなよ!? 確証もなにもないだろ、そんなこと!!」


 ニトは笑ったまま首を振る。


「あるよ? あるから君にお願いしているんだ。この世界を本当に終わらせて、解放することが君の使命」


 レイズは苛立ちを露わにする。


「なんでそこでリリアナも出てくるんだ……。リリアナは、もう死んでるのに……。それに、すべての魂が復活って……それは、すべての魂が敵になるってことだろ?」


 ニトはニコニコしたまま答える。


「そうだよ。君たちのかつて戦った強敵、それに恩人たち。すべてが敵さ。だから安全なところなんてどこにもないよね!」


 レイズは頭を抱える。


「完全に終わりじゃねぇか!! 全員を巻き込む形になってるじゃないか!!」


 ニトは静かに言った。


「すでに巻き込まれてる」


 その言葉に、その場の空気が凍る。


「そして、すでに君は示している。本当のレイズに体を返したいという願いも、すべて叶えるために必要なことを」


 ニトは、レイズの心を見透かすように続ける。


「君は自分で言ってたじゃないか。レイズを救うために、ここにいるみんなを救うために来たんだって。なら、その希望はすべて根元につながる」


 そして、まっすぐ告げる。


「だから消しにいこう。すべての魔女たちを。だから救いにいこう。すべてのものたちを」


 ニトは少し首を傾げる。


「ねぇ、君は矛盾している。レイズじゃない? レイズは別にいる? なのに君はレイズなんだよ」


 その声は穏やかなのに、妙に逃げ場がなかった。


「君は、もう後戻りはできない。絶望も希望も紙一重だ。なら、メルェも、過去の悲劇も、すべて救わなくちゃ、それは嘘だよ?」


レイズは、ニトの言葉を受けてなお、すぐには飲み込めなかった。


 ただでさえ大きすぎる話だ。

 根元。

 アビスホール。

 無の世界。

 魔女の権能。

 世界の精算。


 そのすべてが、自分に向かって一斉に押し寄せてきているようだった。


 レイズは唇を噛み、低く絞り出す。


「おれは……」


 少しだけ俯く。


「なんでなんだよ」


 その声には怒りよりも、戸惑いと苦しさが混ざっていた。


「レイズを救ったし……アルバードだって救ったはずだ……」


 そこまで言ってから、レイズは顔を上げる。


「なんで、わざわざそんな危険なことをしなくちゃいけない!?」


 拳を握りしめる。


「根元が目覚めない程度に魔女は還す。それで、この世界はまだ回るはずじゃないのか?」


 レイズの目には、確かな願いがあった。


「安全に……平和な世界を……」


 それは、理屈ではない。

 心からの願いだった。


 誰も死なず。

 誰も狂わず。

 レイナも、イザベルも、リアノも、リアナも、ガイルも、クリスも、ルイスも。

 みんなが今ある場所で、今ある温度のまま、明日へ進める世界。


 レイズが求めていたのは、本来そういうものだった。


 ニトは、そんなレイズを静かに見つめていた。


 ふざけたような笑みはない。

 子どもっぽい軽さもない。


 ただ、知っている者の目だった。


「君が一番わかってるはずだよ」


 その声は穏やかだったが、逃げ道を許さない響きがあった。


「魔力。魔法。これらがある限り、永遠に不平等は生まれる」


 誰も口を挟めない。


 ニトは続ける。


「力の差が生まれる。持つ者と持たない者が生まれる。強い者が弱い者を守ることもできる。でも同時に、強い者は弱い者を踏みつけることもできる」


 視線がゆっくりと場にいる全員へ流れる。


「それは人間も魔族も魔女も同じだよ。善人だから安全、悪人だから危険、なんて単純な話じゃない。力があること、そのものが歪みなんだ」


 レイズは黙って聞いていた。


 反論したい。

 けれど、どこかでわかっている。


 グレサスのような強さ。

 ガイルのような強さ。

 アルティナの支配。

 ウルティアの解読。

 レアリスの圧倒性。


 力があるだけで、世界は簡単に傾く。


 ニトはさらに言う。


「そして、魔力が増えすぎれば、アビスホールは精算しにくる」


 その言葉に、空気がまた冷えた。


「全員が全員、どのみち消える。それが、ずーっと先の話だと思ってるよね?」


 レイズは小さく息を呑む。


 ニトは、そこで少しだけ目を細めた。


「でも、もう違う」


「アビスホールはすでに動いている」


 一語一語を、確かめるように言う。


「無の世界も、もう“無”じゃなくなっている」


 レイズの背筋を、冷たいものが走る。


 ニトの言っていることは、希望ではない。

 予兆だ。

 もう始まってしまったものの説明だ。


「なら、もう始まるんだよ」


 ニトの声は静かだった。


「強制的な精算は、どのみち起こる」


 誰も動けない。


「僕とレアリス。そして君以外は、すべて呑み込まれる」


 その断言があまりにも重くて、誰もすぐには反応できなかった。


 レイズは乾いた声で言う。


「……なら」


 喉がひどく乾く。


「なら、根元をこっちに呼び寄せて戦うしかないっていうのか……?」


 ニトは頷いた。


「そう」


 あまりにもあっさりと。


 まるで、それ以外の選択肢など最初から存在しないかのように。


 レイズは苦しそうに息を吐いた。


「俺がアビスホールに行って……戦うじゃだめなのか……?」


 その言葉には、まだ足掻こうとする意志があった。

 ここを守りたい。

 こっちの世界を巻き込みたくない。

 全部、自分のところで終わらせたい。


 そういう願いが、そこにあった。


 だが、ニトは首を横に振る。


「君がどれだけ強くても、一人じゃ勝てない」


 レイズは顔をしかめる。


「一人じゃなくてもだ。ディアブロがいたとしても、ここにいるガイルや、僕も連れてアビスホールに行けばどうにかなるって?」


 ニトはそこで、小さく笑った。

 けれどそれは、楽しそうな笑みではない。

 不可能を前にした、どうしようもない苦笑だった。


「残念だけど、ならない」


 はっきりと断言する。


「アビスホールの中での戦力差は、この世界で魂全部が敵になったとしても、決して埋まるものなんかじゃない」


 その場にいた誰もが、その言葉の意味をすぐには飲み込めなかった。


 だが、だからこそ恐ろしかった。


 この世界で、全ての魂が敵になる。

 それはもう、世界の終わりみたいな話だ。


 それでもなお、アビスホールの方が上だと言うのか。


 ニトは静かに続ける。


「あの世界は、完全に根元が自由自在に操れる場所」


「そんなところで戦うなんて、一番あり得ないことだ」


 レイズの顔が歪む。


「……あり得ない……」


「そうだよ」


 ニトは即答した。


「アビスホールは、根元が作り出した魔法の世界であり、魂の世界だ」


 そして、その瞳の奥にだけ、ほんの少し異質な色が宿る。


「そしてそれは、根元――ティグルの夢の中にすぎない」


 その名を聞いた瞬間、空気がぴんと張る。


 ティグル。


 根元。


 その存在が、ただの概念ではなく、確かな“何か”として立ち上がる。


 レイズは低く繰り返す。


「夢の中……?」


 ニトは頷いた。


「そう。あれは夢だ。だから好き勝手ができる。だから理屈が通じない。だから、魂も魔力も、あの中では全部あいつの都合で形を変える」


 そして、静かに、はっきりと告げた。


「ならば、現実に目を覚ましたティグルなら――」


 少し間を置く。


「それはもう夢じゃなくなる」


 誰も息をしなかった。


 夢ではないティグル。

 現実に目覚めた根元。


 その存在が何を意味するのか。

 想像しようとした瞬間に、脳が拒絶する。


 ニトはそれでも話を止めない。


「夢の中の王を、夢の中で倒すことはできない。だって、そこは最初から相手のものだから」


「でも、起こしてしまえば話は変わる」


 レイズが、ようやく声を出す。


「……変わるって、何が……」


 ニトはレイズを見る。


「土俵がね」


 その一言だった。


「夢の中では、根元は絶対だ。でも現実に引きずり出せば、ようやく“壊せる”可能性が生まれる」


 そして、少しだけ笑う。


「君の力が、本当に意味を持つのはそっちなんだよ」


 レイズは黙り込む。


 わかりたくない。

 でも、わかってしまう。


 自分が見えないこと。

 自分の中から魔法も魔力も消えていること。

 それが異常だとは、もう何度も言われている。


 自分の“無”が、ただの欠落じゃないのかもしれないと、うすうす感じ始めてしまっている。


 ニトはさらに続けた。


「君は、安全に平和な世界を望んでる。それ自体は間違ってない」


 その言葉に、レイズは顔を上げる。


「でもね」


 ニトの声が少しだけやわらぐ。


「安全を選べる段階は、もう過ぎてる」


 静かな絶望だった。


「今やるべきなのは、“いちばん被害が少ない終わり方”を選ぶことなんだよ」


 レイズは拳を握る。


「……終わり方、だと……?」


「そう」


 ニトは頷く。


「このまま見ないふりをして、先延ばしにして、穏やかな明日が続くと信じることはできる。けど、それは優しさじゃない」


「それは、より大きな精算を、後ろに送ってるだけだ」


 ガイルも、クリスも、ジェーンも、誰も口を開かなかった。


 ニトの言葉は、冷たい。

 だが、嘘を言っているようには聞こえない。


「だから」


 ニトは、最後にはっきりと言う。


「夢の中に飛び込んで、飲み込まれて終わるくらいなら、現実で起こして、現実で壊すしかない」


 レイズは長く息を吐いた。


「……俺は……」


 声がかすれる。


「俺は、そんなことのためにここへ来たんじゃない……」


 ニトは静かに答える。


「最初は、そうじゃなかったんだろうね」


 そして、少しだけ目を細める。


「でも、もう君はそこまで来てしまった」


 レイズの喉が、ひどく重くなる。


「アルバードを救った。レイズを救った。メルェを、イザベルを、リアノを、リアナを、ガイルを、みんなを守りたかった」


「……なら、その先も救わなくちゃ、嘘になる」


 レイズは何も言えなかった。


 ただ、ニトの言葉だけが、静かに胸の奥へ沈んでいく。


 そして、その沈黙の中で、誰もが理解し始めていた。


 もう、この物語は。

 アルバードだけの話では、終われないのだと。



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たくさんの方に読んでいただき、本当にありがとうございます。 完結済の長編です。レイズたちの物語をぜひ最初から。
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