さようなら。
ジークの内側――
そこは、暗くもなく、明るくもない。
底の見えない水面のような空間に、二つの意志がぶつかり続けていた。
罵倒。
嘲笑。
怒鳴り声。
魂と魂が直接こすれ合う音が、耳鳴りのように響き続ける。
「黙れ!!」
「うるさいのは貴方よ!!」
「消えろ!!」
「消えるのは貴方よ!!」
互いに譲らない。
譲れない。
だが――
終わらない衝突は、やがて“摩耗”を生む。
ジークの意識が荒くなる。
「……はぁ……はぁ……」
アルティナも、わずかに呼吸を乱す。
魂の衝突にも、疲労はある。
沈黙が落ちる。
しばらくして、ジークが喉の奥で笑った。
「……ククク……」
笑いだ。
疲れたはずなのに、どこか楽しそうに。
アルティナは目を細める。
「ねぇ……いい加減、時間ないわよ」
「このまま私と一緒に消されてもいいの?」
外では、ガイルが拘束を強めている。
レイズのもとへ連れて行かれる。
裁きは近い。
ジークは、ゆっくり顔を上げた。
「……おい」
「おまえの今の目的を聞かせろ」
アルティナは一瞬、言葉を失った。
「……なによ、いきなり」
罵倒でもなく、殺意でもなく、目的を問う。
予想外だった。
「そうね。私の目的?」
しばらく考えるふりをして、やがて肩を落とす。
「そんなの、もうどうだっていいわよ」
声が、空洞になる。
「みんな……みんな死んじゃえばいい」
ジークは笑う。
「結局、自滅するのか。それだと」
アルティナは、かすかに視線を逸らした。
「もう……ウルだっていないのよ」
その名前だけは、濁らない。
「私は気付いたの」
「気付くしかなかったわ」
声が、ゆっくり冷える。
「世界を支配する。それが目的だったわよ」
「でもね……」
小さく笑う。
「その光景をウルと見れないなら……もう、そんなのに意味なんてないかしらね」
ジークは、静かに言った。
「なら、俺が全部殺してやろう」
その声は、冷静だった。
「そもそも、それが目的だ」
「すべてを終わらせてやる」
「俺も、お前も」
「もう後戻りなど許されていない」
アルティナは目を細める。
「それも……そうかしらね」
ジークの瞳が燃える。
「俺は魔女が嫌いだ」
「おまえは特に嫌いだ」
「絶対に許すつもりなどない」
アルティナは頷いた。
「ええ、そうね」
「そうさせたのが私だから」
ジークは拳を握る。
「そして俺も、既に許される立場などにない」
「なら――」
口角が上がる。
「最期くらい、俺がどれだけやれるのか見ておけ」
「おまえには目的がないのだ」
「だが、私には明確な目的がある」
アルティナは問い返す。
「それは、何?」
ジークは、笑った。
壊れたように。
「ハハハハ!!」
「私は、すべてを殺さなくては気が済まない」
「すべてを、すべてを憎む」
「すべてが憎い」
声が低くなる。
「魔女であるおまえたちが発端だ」
「だが――」
「こんな世界の在り方そのものが、すべて許さない」
怒りが、形を持つ。
「楽しそうに生きてるやつらが許せない」
「暖かい家庭を許さない」
「俺より強いやつがいることも許さない」
そして、叫ぶ。
「そして俺以外に、魔女を終わらせることを絶対に許さない!!!!」
アルティナは、冷めた目で言う。
「はぁぁ……」
「いくら私の献納があっても、あれらには勝てないわよ? 貴方」
ジークは睨む。
「戦いもせずに匙を投げてるのか?」
「おまえは、いつからそんな弱いやつになった」
アルティナは静かに首を振る。
「私は、強さなんて最初から求めてないわよ」
「私たちは、だれも強くなることなんて望んでいない」
少しだけ、優しい声になる。
「私たちはね」
「私たちの居場所が」
「私たちの世界が欲しかった」
ジークの怒りが爆ぜる。
「ならば!!」
「なぜ!!俺の母さんを奪った!!」
空間が震える。
「なぜだ!!?」
「そんなことをしなければ、おまえたちを憎む必要すらなかった!!」
「なぜ、俺を作り出した!? 目的を言え!!!」
アルティナは、真っ直ぐ見た。
「貴方を死なせるわけにいかなかったからよ」
ジークは吐き捨てる。
「この体のことか?」
「そんなものは母も俺も望んでいない!」
「普通に生きて、普通に死ぬ」
「それでよかった」
「それでよかったのに!!」
アルティナは静かに言う。
「あなたが優秀すぎたからよ」
ジークは嗤う。
「優秀……?」
「ガイルという男に手も足も出ないというのにか?」
「この体でなければ、私は……」
「聖国にいるやつらにすら勝てない!!」
「本来なら何度も死んでいる!!」
アルティナは首を振る。
「違うわよ」
「貴方は痛みを、死に方を忘れただけ」
「だから攻撃も馬鹿正直に受けすぎただけ」
「生に貪欲な、本当のジークなら」
「決して、だれにも負けることなんてなかったわよ」
ジークは叫ぶ。
「忘れてなどいない!!」
「今でも、自ら母の体を殺した!!」
「この痛みは、この苦しみは、一度も忘れていない!!」
アルティナは、静かに言った。
「貴方を選んだ理由がほしいのよね?」
「そうだ!!」
「いくらでも候補はいただろう!?」
アルティナは、あきれたように言う。
「いるわけないでしょ」
「魔女の血を継いで」
「ここまで優秀な男は、いままで一人もいなかった」
「貴方とエルディナが愛を育み、子供を生む」
「そしてそれが女の子なら、私がそれになる。」
「でもそれを、貴方もカティアも……許さなかった」
ジークの目が燃える。
「だから母を奪ったのか!?」
「ふざけるな!!」
「同意を得られなければ、なぜ母を奪う必要がある!?」
「いくらでも別のやり方があった!!」
「すべて間違えたからこそ、おまえたちを許さない!!!」
アルティナは冷たく言う。
「そんなの許せるわけないじゃない」
「私たちが私たちのために用意したものを」
「用意されたジークが、カティアが拒絶するなんて」
ジークは震える。
「俺も母も、おまえたちの道具なんかじゃない!!」
「大切な家庭を作っていた!」
「父も!!母も!!」
「すべてが宝物だった!!」
声が裂ける。
「なんで、俺なんだ」
「魔女の血?」
「そんなもの望んでもらってなどいない!!」
「厄でしかない!!」
アルティナは言う。
「忘れたの?カティアと貴方の父も、全部エルディナの子じゃない」
「そして私たちが育てた」
「私たちのために」
「時間と、たくさんの労力をかけて」
「そして貴方を死なせないために祝福もしたわ」
「私の祝福は、魂が尽きない限り肉体は死なない」
「最高の祝福よ?」
「貴方にだけ、特別に」
声が震える。
「たくさんの候補はいたわよ?」
「それでも貴方に、私のたった一回の祝福を注いだのよ!」
「もうほかには、その祝福を与えることもできない」
「私に残されたのは、支配と使役のみ」
長い時間。
長い痛み。
「それでも……カティアも貴方も喜ぶどころか、怒ったわ!」
「半分不死身になれるのよ!?」
「どれだけ欲しても得られないものよ!!」
「なのに!!」
「どうして言うことを聞いてくれないの!? 貴方は!!」
「子供の一人二人くらい、もらったっていいじゃない!!」
ジークは、静かに、しかし怒りを込めて言った。
「これだから魔女は人になれない!!」
「おまえはなにもわかっていない!人を!」
「仮にだ!ありえないが!!エルディナと私に子ができたとしてもだ」
「その子は、親として愛さねばならない」
「私はそうやって、父と母に愛され過ごしてきた」
「暖かかったどれだけ幸せだったと思っている?」
「その感触を知って、なぜ自身の子をきさまらにやらねばならん!!」
「その子供は私の子だ!!」
「おまえたちに捧げるものじゃない!!」
「そんなことを許す人が!!親が…どこにいる!!?」
アルティナは冷たく返す。
「人の尺度と私たちを同列に語らないで」
「私たちには、私たちの家族の形がある」
「人の基準での思想なんて、重ねるのが間違い」
「子供一人二人なんて、あなたはたくさんの女性と関わる機会だって望めた」
「私たちに授ける子供とは別で、大事に育てればよかったの」
「命の重さ?」
「そんなの私たちが考えるとでも?」
「私たちにとって命も、体も、思想も」
「すべて私たちにとっての最善の選択をしてきただけ」
「あなたが私たちの生き方を否定することなんてできないわ!」
「私だって人の生き方を否定したことなんてない!」
「それが人の生き方なんでしょ!?」
「なら、私の生き方も理解しなさいよ!!」
魂と魂が、再び激しくぶつかる。
怒りと正義と歪んだ愛。
どちらも、自分が間違っているとは思っていない。
ジークの内側。
暗く濁った水面が荒れ狂う。
感情が、もはや理屈を通り越していた。
「理解なんてできるわけがない!!」
魂が軋む。
「ふざけるな!!」
「おまえたちは誰からも存在を認められない!!」
「認められる資格などない!!」
怒りは純粋だ。
憎悪は澱みない。
アルティナは、その激流を正面から受けながら、静かに目を閉じた。
「……わかったわ」
その声は、先ほどまでの激情とは違う。
静かだった。
「私たちは……」
わずかに震える。
「容赦なく、消されてもいい」
ジークの怒りが一瞬、止まる。
「誰からも認めてもらえない……」
「私たちの生き方は……」
長く生き、支配し、奪い、弄び、祝福し、歪めてきた存在が、
初めて“疲れ”を見せる。
「だから、もういいわよ……」
アルティナは、ゆっくりとジークを見る。
「貴方にあげる」
ジークの瞳が揺らぐ。
「私はもう……疲れたわ」
その言葉に、怒鳴り返す。
「うるさい!!」
「さっさと消えろ!!」
だがアルティナは続ける。
「ひとつだけ、教えてあげるわ」
外の世界を見つめるように。
「今から貴方に待ち受けてる相手は……」
わずかな嘲り。
「ガイルなんかよりも、よっぽど未知で、もっと強い」
「そんな存在の前で、なにができるか……」
小さく笑う。
「もう、どうでもいいわね」
そして、静かに。
「さようなら、ジーク」
「さようなら……」
その気配が、薄れていく。
魂の圧迫が、ゆっくりと緩む。
支配の鎖が、解ける。
ジークは、冷たい笑みを浮かべた。
「……ぁあ、さよならだ」
「そして、有り難う」
その声には皮肉が滲む。
「俺にこの力をくれて」
アルティナの祝福。
不死に近い肉体。
尽きぬ魂。
それが今、完全に自分のものになった感覚。
ジークは両手を広げる。
「これで、おまえたちを全員捕まえて」
「支配し、こき使ってやる」
声が低くなる。
「これからは逆だ」
「魔女が、人に利用される」
「道具として扱われる」
「屈辱を、苦しみを、痛みを」
「おまえたちは全力で思い知ることになる」
笑う。
狂気と決意が混じる。
「俺がやる」
「俺だけがやる」
「俺以外に、魔女を終わらせることは許さない」
その瞬間。
アルティナの残滓が、かすかに揺れた。
消えかけの炎のように。
「……やっぱり、貴方は優秀ね」
最後の声。
「だから、選んだのよ」
完全な沈黙。
ジークの内側から、魔女の気配が消える。
残ったのは、
憎悪。
そして――
歪んだ決意。
外の世界。
ジークの閉じられていた瞳が、
ゆっくりと開いた。
そこにはもう、アルティナの影はない。
ただ、
すべてを支配しようとする、
人の意志だけが宿っていた。
その異変に、誰よりも早く気付いたのはエルディナだった。
魂の温度が変わる。
支配の残滓が消え、歪んだ一つの意志だけが濃く浮かび上がる。
「ジーク……!!」
ティルシーの体で、息を呑む。
「貴方が……!! 貴方なのね!?」
拘束の鎖が軋む。
ガイルの黒炎が揺れた。
「くそが……」
低く吐き捨てる。
「厄介なとこで目が覚めやがったな」
ジークの瞼がゆっくりと持ち上がる。
焦点が合う。
「……ここは、どこだ」
声はかすれているが、はっきりと“本人”の響きだ。
ガイルは鼻を鳴らす。
「安心しろ」
「いまから魔女を――アルティナを」
「完全におまえごと消してやるからよ」
黒炎がさらに締まる。
拘束が強化される。
だが――
「それはさせない」
即答だった。
ガイルの眉が跳ねる。
「はぁ!?」
「馬鹿かてめぇ!!」
「てめぇの目的は魔女を消し去ることだろ!?」
「それが叶うんだ!!」
「おとなしくしとけや!!」
ジークの瞳が狂気に染まる。
「離せ!!」
「離せぇぇぇぇ!!!」
ものすごい勢いで暴れる。
スカイドラゴンの背が軋む。
だが――
ガイルの手が喉元を掴む。
吸魔。
容赦なく。
限界まで。
魔力が引き剥がされ、体から力が抜ける。
「ぐ……っ……!!」
膝が崩れる。
それでも叫ぶ。
「俺が!!」
「俺が魔女を!!」
「魔女を使って全部終わらせてやる!!」
ガイルの目が、氷のように冷える。
「……エルディナ」
「わかっただろ」
「こいつはもう戻ることなんてできねぇ」
「もう“消す”ことしか、止められない」
エルディナは必死に首を振る。
「ジーク!!」
「お願い!!」
「もう終わったのよ!!」
「アルティナお姉様も、貴方に譲ったの!!」
「私たちは……!」
「貴方が望む通り、この世界から消えるから!!」
涙が頬を伝う。
「お願いジーク……」
「あなたは、生きて!!」
その言葉に、ジークの表情が歪む。
「生きて……だと?」
吐き捨てる。
「ふざけるな」
「気持ちが悪い!!」
「もう十分過ぎるほど生きた!!」
「死にたくても死ねない、そんな地獄をずっと味わってきた!!」
魂が軋む。
「だが、おまえは別に要らない」
エルディナの胸が凍る。
「おまえは繁殖しか脳がない糞女だ」
「そんな魔女は利用する必要すらない」
冷酷な宣告。
「だから消えるなら」
「おまえは許してやる」
空気が止まる。
「特別だ」
「エルディナ――おまえだけは」
「特別にこの世界から解放を認めてやる」
「これがお前にくれてやる最期の情けだと思え」
「一人寂しく、どこかに消えてしまえ」
エルディナの涙が止まらない。
「ジーク……」
「そんな酷いことを……言わないで……」
だが、ジークは視線を逸らし、別の方向を睨む。
「だが!!」
「そこの女!!」
クルシアを指す。
「おまえは消させない」
「おまえは利用してやる」
「利用して、利用して、利用して」
「魔女であることを苦しませてやる!!」
「魂を俺が使ってやる!!」
「だからてめぇはすぐ死ね!!」
クルシアは、ふっと笑った。
本当に、軽く。
「……本当に滑稽ね」
ホーリードラゴンの背で、見下ろす。
「いまの貴方は負け犬よ」
「なにもできない」
「せっかく力を貰ったのにね」
「残念ね」
嘲笑が夜に溶ける。
「貴方もエルディナという女と一緒に消えればいい!!」
「アハハハ!!」
「お似合いよ、貴方達!!」
「この世界じゃないどっかで結ばれたらいいわね!!」
エルディナは泣きながら叫ぶ。
「お願い……ジーク……」
ガイルは、さらに吸い上げる。
魔力が、底から削り取られる。
「なぁ」
「魔力がなくても生き残れるんだろ、てめぇも」
「なら容赦はしねぇ」
黒炎が強くなる。
「おまえはあまりにも危険なやつだ」
「おまえの在り方は、完全に間違いだ」
ジークは歯を食いしばりながら、それでも睨む。
憎悪は消えない。
意志は折れない。
ガイルは、冷酷に告げる。
「そのまま吠えてろ」
「そして――」
「そのまま消えろ」
黒炎が、さらに締まり、
「嫌だ!!」
魂の奥底から、裂けるような叫びが噴き出す。
「嫌だ嫌だ嫌だ!!」
拘束の鎖が震え、黒炎が揺れる。
「いま消える!?」
「ふざけるな!!!」
ジークの瞳は狂気と執念で満ちている。
「これからだ!!」
「これから本当の復讐が始まるんだ!!」
吸い尽くされる魔力。
抜け落ちる感覚。
だが、それでも意志は折れない。
「魂達よ!!」
その声は、ただの叫びではない。
世界のどこかに散らばる、
縛られ、使われ、削られ、踏みにじられた魂へ向けた呼びかけ。
「俺の言うことを聞け!!」
「俺をここから救え!!」
「俺が全部使ってやる!!」
「だから俺を!!」
「生かせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
夜空が震える。
スカイドラゴンの翼が一瞬乱れる。
ホーリードラゴンが唸る。
エルディナの涙が止まる。
ガイルの黒炎が、わずかに不自然に揺らぐ。
その声は、
憎悪でも、
正義でもなく、
純粋な“生への執着”。
死にたくないのではない。
終わりたくないのだ。
まだ壊し足りない。
まだ奪い足りない。
まだ終わらせ足りない。
その執念が、
夜を裂く。
そして――
それを、じっと見ている存在があった。
誰の背後でもない。
誰の視界にも入らない。
ただ、在る。
レアリス。
無色に近い光を纏い、
表情を変えず、
静かに、ジークを見ている。
叫びも、
憎悪も、
愛も、
涙も、
すべてを透過するような瞳。
そして、ぽつりと呟く。
「……まだ、ダメ」
その声は、
誰にも届かない。
「消させないよ」
ガイルの黒炎を、
ジークの魂を、
エルディナの涙を、
すべて越えて。
「貴方は、まだちゃんと選んでいないから」
選択。
破壊か。
復讐か。
赦しか。
支配か。
終焉か。
ジークはまだ、
“決めたつもり”でしかない。
本当に、自分で選んではいない。
レアリスは、一歩踏み出す。
足音はない。
だが世界の流れが、
ほんのわずかに変わる。
ガイルは気付かない。
エルディナも気付かない。
クルシアも、ジークも。
誰も知らない。
いま、
世界の裁定が、
静かに動き出したことを。
夜は、まだ終わらない。
そして――
選択は、
まだ保留されたままだ。




