些細な事は人には命懸けとなる。
ハルバルドを抱え、グレンは聖国へ戻った。
門をくぐった瞬間、兵たちの視線が一斉に集まる。
その腕に抱かれた男の姿を見て、空気が凍りつく。
「……ハルバルド神父……?」
一人の兵士が声をかけようとする。
だが、グレンの表情を見た瞬間、言葉は喉で止まった。
すべてを理解するには、それで十分だった。
先ほどの異常な光。
あの騒ぎ。
その結果であることを。
グレンは落ち着いた声で告げる。
「すぐに、集めろ」
兵士は戸惑う。
「……は、何を……?」
「全員だ。今すぐ、全員を教会内に入れろ」
低く、だが揺るぎない命令。
グレンは理解している。
あれは――全うな方法で、決して死ぬ存在ではない。
必ず、復活する。
そして復活すれば、視界に入るすべての命が対象となる。
触れさせてはならない。
近づかせてはならない。
警鐘が鳴り響く。
聖国始まって以来の、全域避難警報。
ニトがいた頃には起こり得なかった事態。
だからこそ、民は現実を実感できず、戸惑いながら集まっていく。
「なぜ、皆を……?」
「グレン様、一体何が……」
答えはない。
グレンはハルバルドを教会へ運び、静かに寝かせる。
その姿は、まるで眠っているようだった。
「ハルバルド……」
声が、わずかに震える。
「おまえは……まだ、残れ」
それは魂への言葉ではない。
肉体を残す意味。
帝国へ返すため。
ピスティアへ返すため。
そのためには、聖国を守らねばならない。
シスターたちが集まる。
涙をこぼしながらも、手は止めない。
裂けた肉を縫い合わせ、
血を拭い、
整え、
安らかな顔に戻していく。
ハルバルドが、どれだけ祈りを捧げてきたか。
どれだけ己を律し、
どれだけ禁則を作り、
どれだけ身を削ってきたか。
聖国は、彼を認めていた。
だが――
彼自身は、自分を許していなかった。
常に過酷な祈りの中に身を置き、
罰のように修行を重ね、
すべてを聖国へ捧げる覚悟で生きていた。
この教会は、
グレンとジェーンが、
彼のために用意したものだった。
本人は知らない。
それが、自分のために建てられた場所だと。
それでも彼はここで神父となり、
誰よりも優しさを選び、
正しさを選び、
歩いていた。
なのに。
あまりにも唐突だ。
ニトに選ばれた者として、十分すぎるほどの覚悟を持っていた。
だが、それは終わった。
グレンは静かに呟く。
「ジェーン……戻るまでどうなるかわからない」
そして顔を上げる。
「あいつは魔女に関わるものだ。魔女が産み出した化物だ」
「そして魔女を憎みすぎたが故に、我らにまで矛先を向けた」
「……あまりにも、可哀想なやつだ」
ジークの言葉の節々に滲む憎悪。
魔女への恨み。
だが、それがなぜ聖国へ向くのか。
理解する必要はない。
空っぽで、哀れな思想。
救うつもりはない。
容赦なく消す。
そして最後に、グレンは静かに言う。
「ピスティア……
おまえの兄は、間違いを知り、
正しさを選んだ立派な兄だ」
「だから……早く迎えに来てやってくれ」
それが、最大の称賛だった。
グレンは装備を整える。
そして全員に告げる。
「もし、裸の男を見かけたら近づくな」
「絶対に戦うな」
「すぐ知らせろ」
「あいつは殺しても殺せない」
ならば、やることは一つ。
ニトの杖を取り出す。
巨大な魔石が嵌め込まれた異様な杖。
かつてニトが冗談めかして言った言葉が蘇る。
『もしこの杖を僕が使うとしたら、
みんな死んでいなくなった時だろうね』
『使用者ごと、数千年の空間に閉じ込められる。
僕なら平気だけどね』
『人が使えば、確実に死ぬよ。
だって食べ物なんてないんだから』
グレンは短く呟く。
「私を必ず死なせる」
「だが、あの男も……きっと死ぬはずだ」
静かな覚悟が、燃える。
正しくなくてもいい。
あの絶対的な間違いを止められるなら。
再戦となれば、迷わない。
エルウィンたちを呼べば遅延はできる。
だが、終わらない。
永遠に戦い続け、最後は負ける。
それを理解している。
不死身ではない。
だが不老。
それは人間にとって同義だ。
やつは、人間ではない。
魔女が生み出した、理想そのもの。
グレンは魔女への恨みを深める。
同時に、祈る。
「ニト様……あなたがいれば、
きっと簡単に片付いたのでしょう」
「ですが……私たちでは、
あなたの些細な問題でも、
命を賭ける選択になる」
そして、準備を進める。
その時。
遠く離れた離島。
「クハハ!!
これなかなかいけんな!なぁスカイ!?」
ガイルは海の魔物を豪快にかじる。
スカイも満足げに鼻を鳴らす。
「はぁー、食ったな。十分だ」
「いくか?」
振り返る。
誰もいない。
「仕方ねぇだろ……最近は誰かしらがそばにいたんだからよ」
スカイはため息。
「そんじゃ、旅の続きだな」
「砂漠の国へ向かうぜ」
空を裂いて飛び立つ。
ガイルは知らない。
砂漠に目的のものはいないことを。
聖国で起きたことを。
そして――
これを見たとき、
どんな顔をするのか。
それは、まだ少し先の話だ。




