逃がさない。
リアナがあまりにもべったりなため、イザベルもリアノも――もう、諦めたようにその場を離れた。
庭の喧騒はまだ残っているのに、二人の歩幅だけが少しだけ落ち着いていた。
背後では、レイズの短い悲鳴と、リアナの「離しません」が交互に聞こえる。
イザベルは肩を落とすように息を吐いた。
「はぁ……無理ないかしら」
リアノは申し訳なさそうに、けれどどこか納得した顔で頷く。
「えぇ……私たちは、ずっと側にいれましたから……」
「リアナに譲ってあげます」
イザベルは、その返答が優しすぎて、思わず眉を寄せた。
「ほんっとに……リアノは謙虚すぎると思うんだけど」
「そんなことありませんよ?」
リアノは小さく笑う。
言い訳のように、指先で髪を整えながら続けた。
「ちゃんと……頭を撫でてもらったりしましたし……」
その言葉の軽さが、イザベルには痛い。
そんな“些細なこと”を、宝物みたいに大事にしてしまうから。
「そんなんで満足してたらだめよ?」
イザベルは、わざと少し強めに言う。
そして、指を一本立てて示した。
「もっと、ワガママを言わなくちゃ」
くい、とその指が向く先は、もちろん。
「――リアナみたいに」
リアノは目を伏せ、穏やかに首を振った。
「私は別に、いいんです」
「レイズくんも、イザベル様も、リアナも……みんな大好きだから」
迷いのない言葉。
そのまっすぐさに、イザベルは一瞬だけ言葉を失う。
そして、わざとらしくため息をついた。
「はぁ……レイズに伝えておくわ」
「え……なにをですか?」
リアノが警戒するのを見て、イザベルは悪戯っぽく口角を上げる。
「リアノが寂しくて泣いてたわよ、って」
「ちょっと!! そんなことありませんよ!?」
「やめてくださいっ!」
リアノが珍しく強い口調になる。
イザベルはその反応が可笑しくて、くすりと笑った。
「泣いたっていいのよ」
笑いの奥に、確かな温度が混じる。
「好きな男と、好きな人はまた別なんだから」
リアノの呼吸が、ほんの少し止まった。
「……好きな男……ですか」
「えぇ、そうよ」
イザベルは頷く。
自分の胸の奥を確かめるように、言葉を続けた。
「わたしもみんな大好き」
「でも、愛はまた違うじゃない」
遠くで聞こえるレイズの声。
それに重なるリアナの笑い声。
――“いつもの光景”だ。
けれど、いつもの中に埋もれてしまうものもある。
「いつまでも側にいるって思ってる内は、気付かないこともあるのよ」
リアノは、頷きながらも目を伏せた。
「それは……わかります」
「でも……レイズくんは……あまりにも皆から愛されているので……」
イザベルは、その言葉を否定しない。
むしろ、そこにこそ意味があると知っている。
「だからこそよ」
きっぱりと言った。
「私たち三人は、レイズに選ばれたの」
「そして私たちも、選んだの」
それは、軽い恋の話じゃない。
命の話だ。
「たくさんの愛に囲まれる彼を――」
「頭ひとつ飛び抜けて当然の立場にいるんだからね」
イザベルはふと、レイナの背を見た。
楽しそうに走り回る、小さな命。
「……早く、リアノとリアナの子も会ってみたいわ」
リアノの顔が、いっきに赤く染まる。
「ご期待に……添えるように……がんばります……」
「ん」
イザベルは満足そうに頷き、そして少しだけ声を落とした。
「かならず残さなくちゃ」
「彼が、ちゃんとここにいる証拠をさ」
リアノは小さく首を傾げる。
「……彼……ですか?」
「ん」
イザベルの瞳が、柔らかく、そして鋭くなる。
「いまの彼がレイズだって、ちゃんと理解させるのよ」
「絶対に逃がさないんだから」
その言葉は、支配じゃない。
祈りに近い執着だ。
リアノは、息を飲み――そして、なぜか闘志を燃やすように拳を握った。
「は、はい!! 逃がしません!」
二人で同じ方向を向いて、同じ覚悟を抱く。
本来のレイズではないことを、二人は知っている。
それでも――愛してやまないのは、“今ここにいるレイズ”だ。
どんな結末を迎えようとも。
この世界から逃がさない。
帰さない。
何故なら、彼女たちにとって、もっとも居てほしいのが――“今のレイズ”なのだから。
リアノは、ふいに言葉をこぼした。
「でも……レイズ様は……」
様をつけてしまう。
それは、本来のレイズを呼ぶときの敬称。
自分でも気づいて、リアノは唇を噛む。
それでも、胸の奥から消えない願いがある。
「私は……会いたいです」
イザベルは、面倒くさそうに肩をすくめる。
「どうせどこかに引きこもってるのよ」
「見つけたら、お説教しなくちゃね」
「は、はい!!」
リアノが勢いよく返事をする。
――それが二人なりの、優しい正しさだった。
そうして二人の会話は終わり、庭の喧騒から少し離れた。
◇
一方で。
レイズとリアナは、その場に取り残されていた。
いや――リアナが取り残した、と言った方が正しい。
レイズは半ば抱え込まれるような形で、身動きが取れない。
「なぁ……リアナ。そろそろ俺たちも戻らないと……」
「嫌です」
即答だった。
その声は甘いのに、逃げ道がない。
「約束を果たしてくれてないですから」
「約束……?」
レイズは一瞬だけ考え、思い出して頬を掻く。
「あぁ……子供の名前だよな」
「ちゃんと考えてたぞ……?」
リアナの瞳が、期待で光る。
「じゃぁ、いますぐ教えてください」
レイズは観念したように息を吐いた。
「そうだな……女の子ならリナ」
「男なら……アイズにするつもりだ」
「……リナ……と……アイズ?」
リアナが首を傾げると、レイズは少し照れながら説明する。
「あぁ、リアナの『リ』と『ナ』を取ってリナだ」
「男の子なら、リアナの『ア』と俺の『イズ』だな」
「まぁ……みんな、名前に親の名前を少し取り入れるのって」
「なんていうか……自然だろ?」
リアナはくすっと笑った。
「リナだと……わたししかいないじゃないですか」
「そういうと思ってな」
レイズは指を折って続ける。
「イリナって名前も考えてた」
「そっちのがいいです!」
即答だった。
迷いがない。
「じゃぁ……イリナとアイズだ」
レイズが決めると、リアナは満足そうに頷き――すぐに次の刃を投げる。
「……リアノと子供ができたとき、どうするんですか……?」
笑いながら言うのが、余計にずるい。
「ぁあ……」
レイズが頭を抱える。
「リアナもリアノも……名前がよく似てる……からな……」
「ってか……そう子供を作る話をぽんぽんするなよ!?」
「ちゃんと、毎回……緊張はしてるんだぞ!?」
リアナは楽しそうに笑う。
「ほんとにいつも、リアナばっかり頑張ってるんですよ?」
「レイズくんからちゃんと……してくれないと……」
「リアノは……そういうの、自分から出来ないんだから……」
「自然に任せたらいい」
レイズは、視線を逸らしながら小さく言う。
「俺だってちゃんと……その……あるんだよ」
「何があるんですか?」
「わかって言ってるだろ!?」
レイズは起き上がり、そのままリアナの手を握った。
逃げるように、けれど誠実に。
「戻るぞ」
ぐい、と屋敷へ引っ張る。
「あ、そういえば!!」
リアナが思い出したように声を上げる。
「クリアナとディアナと一緒に、お食事も用意してるんですから!」
「おお……それは……楽しみだな」
「きっと喜んでくれますよ?」
リアナはどこかイタズラ顔で笑った。
レイズはまだ知らない。
その食事が、かつての思い出――“彼”が持っていた温度そのままを再現されたものだと。
こうして、暖かい空気がアルバードへしっかりと注ぎ込まれる。
レイズは、屋敷の床を踏むたびに確かめる。
自分の足。
自分の影。
自分の息。
彼はちゃんと、自分が自分であることを認識し――今のアルバードの地に立つ。
(本来のレイズ……?)
会えるなら会いたい。
否定なんかじゃない。
ただ、確かめたいのだ。
(体を返す……?)
もう返す必要はない。
この体は、レイズの人生は――俺が作り上げたものだ。
俺が選び、俺が守り、俺が歩いてきた。
(それでいいんだよな?)
問いかける。
返事はない。
けれど――その沈黙は、否定ではなかった。
そのまま肯定と捉えられる。
何故なら本来のレイズもまた、自身はこの世界に必要がないと。
認めて、それゆえにこの世界から離れたのだから。
彼の望み。
それは、みんながこうして生きている。
その結果が、すべてだ。
メルェの仇も、真実も、すべて知れた。
ならもう、それで十分すぎるほど報われている。
その後の人生など、もはや自分が望んだ枠をすでに越えている。
故に本来のレイズは――
今のレイズがこの世界にあることを、認めている。
そして――任せているのだと。
レイズは、リアナに引かれながら、心の奥でそっと呟いた。
(……なら、俺は俺で)
(ここで、生きる)
愛される。
守られる。
けれど同時に――守る。
逃がさない、と笑って言う彼女達
その言葉の重さは、
レイズなら知っている。
だからこそ。
ここに立つ。
今のレイズとして――
アルバードの未来を、選び続けるために。




